15-4
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朝。
少し遅れて、ホテルのロビーへ降りてくる。
「済みません。寝過ごしたみたいで」
「まだ早いよ」
軽く顎を動かす沢さん。
ショウ、舞地さん、林さん、そして沢さん。
「清水さんと小泉さんは」
「寝てるんじゃないの」
「先に行こう」
のんきな林さんと、案外冷たい舞地さん。
「いいわよ、私呼びに行ってくる」
「あ、雪野さん」
「すぐですから」
沢さんの制止を背で聞いて、私は階段目がけて駆け出した。
エレベーターで来れば良かったと今頃思い、ドアの前に立つ。
インターフォンもあるけど、こういう時はノックに限る。
あくまでも、私の勝手な思い込みで。
叩く事しばし、ドアの向こうで物音が聞こえた。
どうやら、今起きたようだ。
他人事ではないし、特に急いでもいないので気長に待つ。
もう少し経つと、小さな音がしてドアがわずかに開いた。
「お早うございます」
「ああ、雪野さん。お早う」
眠そうな顔と声。
着かけのシャツの胸元がはだけ、妙に艶めかしい。
といっても、小泉さんだけど。
「ごめん。今行くから」
「はい」
「良かったら、中で待ってて」
「いえ。すぐに戻りますか……」
ドアの向こう側。
小泉さんの肩越しに見える影。
眠そうな顔と、無造作に肩から掛けたバスタオル。
その下はスパッツだけで、上は何も着ていない。
「し、失礼しました」
「え、どうしたの?」
「し、下で待ってます。そ、それじゃ」
「あ、雪野さん」
さっき同様、今度は小泉さんの制止を背に聞きながら階段を駆け下りる。
参ったというか、馬鹿というか。
勿論、私が。
「だから止めたのに」
「だって、まさか」
「落ち着きがないから、そうなる」
昨日の夜とは打って変わり、普段通りの落ち着いた口調でたしなめ来る舞地さん。
ああ、どうせ私はちゃかついてるよ。
何よ、もう。
「どうしたんだ」
間抜けな事を聞いてくる人が一人。
同類とも言えるが。
「子供には関係ない事よ」
高い位置にある顔に指を突き立て、ここぞとばかりに言い切ってみせる。
ショウは眉をひそめ、私を指差してきた。
「自分だってだろ」
「いいの。分かんない人は。本当に、鈍いわね」
非常にいい気持ちだ。
普段言われてる事を、人に言うのは。
ついさっきまでの自分に言っている気もするが。
「俺が鈍いのはいいけどさ。小泉さん達は」
「だから」
わーっと手を振り上げたところで、その2人がエレベーターを降りてきた。
別に照れたり、恥ずかしがったりしている様子はない。
というか、こっちが恥ずかしい。
「済みません。遅れちゃって」
「いいよ。遅刻も何も無いんだから」
意外と優しい事を言う林さん。
この人、小泉さんには甘いよな。
「よく寝れた?」
「何が」
素っ気なく返す清水さんに、舞地さんは首を振ってその場を離れた。
彼女なりに、からかったようだ。
「馬鹿」
その背中に呟き、短い髪を触れる清水さん。
私も逃げるようにして、その場を離れていく。
とにかく、完全に目は覚めた。
という訳でもないが、私が運転して学校へと向かう。
清水さん達は、少し先を走っているようだ。
「本当、参った」
「しかし、清水さんがね」
意外さとおかしさを含んだ口調。
バックミラー越しに見える、沢さんの笑顔。
私は羨ましいなと思うくらいだが、彼はまた違う思いがあるようだ。
「そんなに意外ですか?」
「そうでもないけど、強面で通ってた子だから」
暗に認める沢さん。
「清水も女の子だ。おかしくはない」
珍しく強く出てくる舞地さんに、沢さんの頷きが見えた。
ただお互い言い争う気はないらしく、認識の違いを確認したという程度だろう。
「雪野達も、一緒の部屋に泊まったら」
思わず足がばたつき、アクセルを強く踏む。
迫るカーブ。
体をひねりつつ、道路のくぼみをチェックしながらハンドルを切る。
勿論、ブレーキを踏むような真似はしない。
タイヤがきしみ、叫び声が聞こえた気もしたが車はどうにかコーナーを曲がりきった。
「な、何してるんだ」
「舞地さんが、馬鹿な事言うから」
信号で一旦止まり、激しくなった呼吸を整える。
別に、今のコーナリングに対してではなく。
舞地さんの発言に対して。
しかしこの程度で動揺するとは、まだまだだな。
信号が変わった途端、急発進してすぐ側の路地に入り込む。
再びきしむタイヤと叫び声。
ただ今度は、誰も文句を言ってはこない。
車の後ろ。
つまりは、今まで走っていた幹線道路。
そこを駆け抜けていく、数台のバイク。
後部座席に見える、長い棒。
「牽制、かな」
「さあ」
窓を開け、前後をチェックするショウ。
今の所、おかしな様子はないようだ。
「まだ何もしてないのに、どうして」
「いや。意外と君達の行動が、ガーディアン達に影響してる。それを嫌ったんだろ」
「誰が?」
「すぐに分かる」
例の答え。
ただ私も、分かってはいた。
先日、林さんと一緒にいた時の出来事。
その時、彼に注意をしてきた人物。
また、それ以前の沢さん達の指摘。
しかし、信じたくはない。
矛盾と、裏切り。
それもまた、沢さん達が何度と無く言ってきた事。
胸の中に沸き上がる、幾つもの気持。
私はそれを抑えるようにして、ゆっくりと車を発進させた……。
いつもの通り待機室へ入り、呼び出しを待つ。
オンラインの授業は先行して受けていて、特にやる事もない。
ただ退屈ではなく、先程の考えを引きずっている。
それ以外の事も考えながら、時を過ごす。
無駄とは言わないが、あまり誉められた事とも思えない。
ただそれは、いつもの事。
すると自分は、普段からあまり誉められない存在らしい。
我ながら内向的な考えだ。
「無い」
空になったマグカップを持って、キッチンへ向かう。
考えてばかりだし、飲んでばかりの気がする。
暇なのも、考え物だな。
物が揃っているようで、そうは無い。
無駄にたくさんある物もあるが。
誰かが買い揃えてくれたらしく、私達が帰っても半分以上は残るだろう。
取りあえずコーヒーを入れ、お茶のペットボトルも持ってくる。
「飲み過ぎだ」
「飲みたいんだもん」
「ケイの事笑ってる場合じゃないぞ」
嫌な指摘を受け、ペットボトルは彼に投げる。
最初からそれが狙いだったのか、嬉しそうに笑われた。
「後一週間か」
「何もしてないって気がするけど」
「ああ」
美味しくなかったらしく、顔をしかめるショウ。
ドクタミ茶だってさ。
私も、そのくらいは読んでるのよ。
「私達がいなくても、問題ないんじゃないの」
「俺も、そう思う。抗争といっても、本当に軽く揉めてる程度だろ」
「朝のバイクも、何もしてこなかったし」
ショウと一緒に、視線を窓辺へと向ける。
沢さんはそこからこちらへと歩いてきて、机の上に腰掛けた。
「来るんじゃなかったって?」
「そこまでは言いませんけど」
「確かに今は穏やかだ。特に目立った動きはない。表面的にはね」
深く、鋭い微笑み。
側にいた舞地さん達も、同じように苦笑する。
「どういう事です」
「その内分かる、はもういいか。僕達が呼ばれた理由は、生徒会の内部抗争による学内治安の悪化。それに際する治安活動のサポート」
つらつらと説明する沢さん。
私とショウは頷きもせず、話に聞き入る。
「だから本質的な事を言えば、暇でやる事が無くても問題はない」
返す言葉がないとはこの事だ。
何だか、自分が単なるケンカ好きのトラブルメーカーに思えてきた。
頭では分かっていたんだけど、気持として刺激を求めていたようだ。
どうも良くない。
「分かった、雪野さん」
「はあ」
それでもあまり納得は出来ず、鈍い反応を見せる。
トラブルが無くていいのは分かっていても、それと私達がここへ来た意味がつながらないから。
本当に、何のためにここへ来たのかという話だ。
平和で良かった、と言いたいなら草薙高校でも出来る事だし。
「不満かい、雪野さん」
「い、いえ。そういう訳でも」
ありますと言いたいのを我慢して、そう答える。
沢さんは分かってるという眼差しをこちらへ向け、林さんへ顎を振った。
「君からは」
「傭兵向きな考えだな。優良株だ」
「は?」
「血の気が多いって事」
真顔で指摘する舞地さん。
誉められているとは思えないが、そう馬鹿にされている訳でもないようだ。
最後の一言はともかくとして。
「心配しなくても、すぐにトラブルは起きる。今朝も襲われかけたんだろ」
「はっきりとはしませんけど。相手が誰か、全然分かってませんし」
「小泉君の調べた情報だと、この学校の生徒が所有してるバイクがあった。それ以外のはレンタルと、個人の所有」
「それって」
いきなり確信を付いてくる言葉。
息せくこちらを冷静な態度で受け止める林さん。
「盗まれた、と言われればそれまでだ。勿論画像解析すれば済むけど、今小泉君がいないから」
「そういえば。どこ行ったんです」
「たまには一人でいたい時もあるさ。なあ、舞地さん」
「どうして私に振る。清水と一緒に、買い物へ会いに行ってるだけ。それに画像解析なら、自分でやれば」
「最近、そういうのが億劫になってきてね」
妙に古い言い回しをする林さん。
彼には似合っている言葉ではあるが。
「無理に身元を調べる必要もないし、しばらくは相手の出方を窺ってればいい。なあ、沢君」
「ああ。生徒会内部の抗争もそろそろ、本格化する。その時には、僕達も前に出る」
「つまり、雪野の出番という訳」
ちくちくと攻めてくる舞地さん。
ただ事実なので、こっちも言い返せない。
それだけ彼女が元気になった証拠でもあるし。
と、好意的に考える。
震える拳は、気にしない。
「それが済めば、もう終わりですか」
「だといいんだけどね」
どこか苦い表情で呟く沢さん。
林さんも、同じような雰囲気で押し黙る。
「何か、問題でも」
「色々と。さてと、たまには契約主の顔でも見に行こうか」
「牽制かい」
「人が悪いな。挨拶だよ、挨拶。さあ、ぐずってないで行こう」
ある教棟の最上階。
生徒会の使用する部屋が幾つかある中の一つ。
ガーディアンがドアの前に立ち、それとなくこちらを窺っている。
ちなみに草薙高校とは違い、生徒会用の教棟などは存在しない。
確かにあれは、私の目から見ても贅沢に思えるが。
「やあ」
軽い調子で手を挙げ、無造作に近付いていく林さん。
警備をしていたガーディアンは、露骨に慌て、わずかにあとずさった。
「警務委員長に会いたいんだけど、いるかな」
林さんは開くまでも平然とした口調で尋ねる。
からかっているようにも思えるが。
「ア、アポイントメントはお取りでしょうか」
久し振りに聞く台詞だ。
血圧が30は上がる感覚も。
「取ってもいいが、俺達が誰かは分かってるだろ」
「緊急の用件がない限り、取り次ぎをしないのが原則でして」
「作ってやろうか」
私だけ聞こえるくらいの声でささやくショウ。
勿論そんな真似はしないが、自制心が薄れてきているのは確かだ。
「会いたくないと、捉えていいのかな」
「い、いえ。そういう訳では。たた規則として、アポを取って頂かないと」
同じ言葉を繰り返すガーディアン。
分かっていつつそう答えるのは、嫌な仕事だろうな。
そう同情的に思っていると、ある事に気付いた。
「ショウ」
「ああ」
微かに視線を動かし、私の意を汲み取るショウ。
彼の襟元の髪。
一カ所だけ不揃いに短くなっている。
わずかに見える、燃えたような毛先。
火が出るタイプのコンロを使っていて前髪が燃えるのは、まだ無くもない。
しかし後ろ髪が燃えるなんて話は、聞いた事がない。
足を一歩前に出したところで、私の気を削ぐように林さんがのんきに呟いた。
「だったら、また日を改めよう。その時は、勿論通してくれるよな」
「え、ええ。手続きさえ済ませて下されば」
「仕方ない、無駄足になったけど戻ろうか」
待機室に戻った途端、林さんに大笑いされた。
「君は、猪か」
「な、何が」
「相手を見る。おかしい。即突撃。少しは状況を見て行動してくれ」
痛いところを突かれ、唸りながら黙る。
林さんは笑いを堪えつつ、私とショウに顎を振った。
「よくそれで、今までやってこれたな。敵と見なしたら、殲滅するタイプか?」
「その辺に長けている子が2人いて、交渉事は彼等がやってる」
フォロー、ではなく補足してくれる舞地さん。
悪かったね、ケンカ馬鹿で。
「少しはこういう事も覚えたらどうだ。沢君がここに連れてきたのは、そのため?」
「いや。雪野さん達は、今のままで問題ないよ。のびのび育っていけば」
誉めていると好意的に捉え、取りあえず頭を下げる。
子供に対する誉め言葉だという事までは、深く考えず。
「その2人も、こっちに?」
「ああ。女の子はいい子なんだけど、もう一人がどうも」
ため息を付き、やる形無しという顔で首を振る舞地さん。
何もそこまでひどくはない。
多分。
「大内さんを助けたって子だった?偽善っぽいけど、悪くないだろ」
「じゃあ林君は、悪魔からおにぎりを貰ったら食べるタイプかい」
「まさか」
「そういう子だ」
ひどい例えだな。
分からなくもないが。
「よく分からん。そんな奴が、どこにいる」
「例えば、僕の目の前とか」
「俺?また怖い事を。俺はただの、気弱な中国人だよ」
都合が悪くなるとこれだ。
ワイヤー一本で、屋上から飛び降りる癖に。
「とにかく、あの髪で誰が僕達を狙ってるかは分かった」
「じゃあ」
「彼個人の行動かもしれないし、他のグループが絡んでくる可能性もある。さっきの話、聞いてた?」
「忘れた」
はっきりと言い切り、舞地さんを呆れさせる。
みんなが認めている通り、私は考えるタイプじゃない。
思ったままに動くだけだ。
勿論それだけでは駄目だと分かってはいる。
いるけれど、自分自身は変えられない。
直すところ、変えられるところはあっても。
それが私自身なんだから。
「あー」
「叫ぶなよ」
「はー」
「ため息も付くな」
自分がため息を付くショウ。
もう嫌だという顔にも見える。
付き合いの悪い相棒だ。
「君はやりたい放題だな」
「そうですよ」
「言い切るか。舞地さん、なんとかしてくれ」
「子供のしつけは、私の担当じゃない」
見捨てられた。
馬鹿にされたとも言える。
子供結構。
いいじゃない、もう何年もしたらこんな事は出来ないんだから。
と、何年か前に考えた事を改めて思う。
数年後も、きっと思う事を……。
面白くないので、廊下に出る。
ついでにトイレも行く。
こっちがメインとも言うが。
その入り口。
微かに聞こえる話し声。
揉めているようだ。
即座に足音を消し、壁伝いに中へと入る。
場所が場所なので様にならないが、それを気にしている場合でもない。
「……だから合い鍵を持ってくればいいだけよ」
「だけど、私」
「知り合いがフロントにいるんでしょ。だったら」
「だったら、何」
腕を組み仁王立ちで正面を見据える。
狭いトイレの中。
一人の女の子を取り囲む、数名の女の子。
決して楽しくはない光景。
「……う、うるさいわね」
「どうする。ここで、やる?」
「この人数なら」
目配せしあう彼女達。
どうやらターゲットを、私へと変更したらしい。
元々そうだった話し振りでもあるが。
小柄で、見るからに貧弱な見た目。
対して数名の仲間と、手に提げた武器。
その結果は、たやすく想像が付く。
全てが想像通りに行くなら、世の中は誰一人困らないが。
「私が、わざわざ雇われた人間だって知ってるよね」
「この人数相手に、勝てると思ってるの」
後ろから聞こえる声。
足音で気付いていたが、仲間を呼ばれていた。
「今すぐ学校から出ていくなら、見逃してあげるわ」
ありがたい台詞だ。
きっと私は、泣いて喜べばいい場面なのだろう。
「断ったらどうなるか、分かってるわよね」
「それとも、そのくらい馬鹿?」
沸き起こる笑い声。
甲高い、優越感に浸った表情。
外見や雰囲気は、至って普通そうな子達。
だが今の行動は、どう考えても普通じゃない。
草薙高校でもたまに見かける、ある一点だけにしか意識が向いていない状態。
ただ以前見かけたのは、その場の興奮でそうなった人達。
今私の前にいるのは、それを確信してやっている人達。
笑い声を聞くのも、そろそろ限界だ。
「どうしたの。震えて」
「偉そうな事言って、その程度。何が、渡り鳥よ」
「泣く前に、さっさと帰りなさい」
浴びせられる罵声。
顔を伏せ、息を整える。
「ほら、早く……」
肩に伸びてくる手。
それをバックステップでかわし、相手をこちらへと呼び込ませる。
手の行き場を失い、バランスを失う女の子。
今度は素早く前に出て、その懐に飛び込んだ。
「あっ」
全員から上がる、同じような声。
大した事をした訳じゃない。
ただ前後に動いただけだ。
「この距離でも、骨くらい折れるわよ」
それが脅しでないのは、脇に手を押し当てられている彼女が最も実感しているだろう。
「それで、誰がどうするって」
「え?」
顔から汗を吹き出しながら、私を見下ろす彼女。
私は脇を押さえた手に力を込めた。
「トイレだし、お漏らししても大丈夫よね」
「い、今行きます。すぐに」
笑ってしまうくらい俊敏に飛び退き、一人でトイレを飛び出ていく女の子。
他の子も状況が分かったのか、すかさずその後に付いていく。
「全く」
彼女達が逃げていった入り口を睨み、舌を鳴らす。
文句を言われてても嫌だし、こういう追い払い方をしても苛立ちが残る。
とにかく、面白くない。
ただそうばかりも言ってられないので、奥で小さくなっている女の子に声を掛ける。
「大丈夫?怪我はない?」
「え、ええ。ありがとうございます」
まだ怯え気味だが、かろうじて笑顔を浮かべる。
「また何かあったら、私達に連絡して」
「……でも、もうすぐいなくなるんですよね」
ふとした一言。
私は何も考えず、すぐに頷いた。
「そういう契約だから。でも、私達がいなくたって問題ないでしょ」
笑おうとしたが、彼女は笑わない。
私も、また。
「寂しいですよ、やっぱり」
「う、うん」
「こういう場所で話す事でも無いですけど」
ようやく笑顔を見せる女の子。
おかしそうに、だけど寂しげに。
私の胸に届く表情。
少しだけ、舞地さん達の気持が分かった。
いつも不思議に思い、他人事だと考えていた。
それが今、自分の事として現実になっている。
会釈をして、早足で出ていく彼女。
私もゆっくりと、その後を追う。
ここに来た意味を、ようやく自分の事として考えながら……。
待機室へ戻り、すぐにキーを掛ける。
「どうした」
普段とは違う行動に、すぐ反応するショウ。
私は手の平を彼に向け、押す真似をした。
「変なのがいたから、軽く」
「怪我は」
「どこも」
「相手を聞いたんだけど」
笑われた。
勿論彼も、私が何もしていないと承知の上でだ。
「合い鍵とかフロントがどうとか言ってたから、ホテルに来る気かも」
「そう来るか」
にやりと笑う林さん。
何とも楽しそうだ。
「安ホテルでも、セキュリティくらいはある。それに、襲われても問題ないだろ。軍の特殊部隊ならともかく、ろくに訓練も受けてない高校生なんだし」
「進入すら難しいとでも」
「ああ。、警備員に止められるのがオチだ」
少し残念そうになる。
自分こそ、トラブルが好きなんじゃないの。
「心配なら、玲阿君に守ってもらったら」
「お気遣いは嬉しいですが、そこまでか弱い女じゃないので」
笑顔で、刺々しく答える。
向こうも薄く笑い、警棒をデスクの上に置いた。
「沢君を餌に、少し遊ぼうか」
「冗談はいいよ。とにかく少しずつ物事は進行している。後は気構えだね」
「何のです」
「どういう事態になろうと、それを受け入れる事への」
静かに語る沢さん。
私とショウは少しの間を置いて、はっきりと頷いた。
おぼろげに分かりかけた物事の中で。
その結末も、どうにか理解しながら。
「舞地さんは、どう思う?」
「特に感想はない。手口が甘いなというくらいで」
取ったキャップを撫で、落ち着いた表情を見せる彼女。
「そう考える私達がおかしいと言われれば、それまでだけど」
「達、ね」
一言だけ口を挟み、林さんは読んでいた雑誌へ視線を戻した。
「とにかく、草薙高校とは基本的に違う。ここにいる限りは、傭兵としての頭に切り換えた方がいい」
「どんな」
「誰に対しても油断せず、常に周囲の状況に目を配り、絶えず現状を認識し先を読む」
当たり前の行動だが、決してたやすくはない。
普通の高校に通っていれば、まずしなくてもいい事だ。
私達はガーディアンとして多少の気構えはあるものの、その分余計に難しいと分かっている。
「雪野には、難しいかな」
「何よ」
「悪い意味じゃない」
よく分からないな。
じゃあ、どういう意味だと。
「それだけ雪野さんがいい子だって、舞地さんは言いたいんだよ」
「は」
視線を逸らす舞地さん。
笑いを堪える沢さん。
林さんの背中も揺れている。
「あの」
「私は、その意味のままのつもりで言っただけ」
「じゃあ、僕の早とちりかな」
「知らない」
舞地さんは素早くキャップを被り、俯いたまま部屋を出て行ってしまった。
こちらとしては後を追う心境ではなく、ただ恥ずかしいというか面はゆいというか。
「もう、沢さんが変な事言うから」
「いや。俺も案外本気だと思う。大内さん達といい、あの子後輩の面倒見はいいから」
「雪野さんは特別だよ」
「かもな。雰囲気をみてると、俺でも分かる」
妙に納得しあう2人。
こっちはますます肩身が狭い。
「気持は、俺も分かるよ」
「止めてよね、ショウまで」
「だけどさ。2人には悪いけど、周りを警戒して生きていくのもちょっと」
はにかみ気味に呟くショウ。
それは私への思いでもあり、傭兵の生き方に対する婉曲的な否定でもある。
「本当、沢さん達には悪いと思いますが」
「いや。そういう君の考え方の方がいいに決まってる」
「はあ」
「そこまで強くて、でもあくまで人を信じたいと思える君もね」
寂しげで、眩しげな視線。
どこか陰を宿す2人。
彼等自身が認めているように。
自分達が決してヒーローではなく、人とは違った存在であると認識している証拠でもあった。
強く、人の先を読み、警戒を怠らない。
普通に生活していれば、何も関係がない事。
その事を実践し続ける彼等。
何かの引っかかりを覚え、それを否定したいと考える部分を抱えながらも。
その生き方を変えようとはしない。
自分で分かっていても、今のように非難を受けようと。
彼等はの生き方を譲ろうとはしない。
私は全く違う考えを持ち、違う生き方をしている。
でもその気持ちは、自分の事のように理解出来る。
私にだって譲れない、何があろうと変わらない思いを胸に秘めているから。
そのために自分の全てを掛けてもいい事を。
「つまり僕らは日陰者で、その内いなくなる存在なんだろうけど」
「沢君は公務員だから、まだましさ。俺達なんて好き勝手にやってる、ただの高校生だ」
「その分こっちは、しがらみが多い。連絡一本で、今日は北海道明日は沖縄だから」
「公費だろ。本当、俺達はどうしてこんな事やってるんだか」
いつしか愚痴り出す2人。
ただ先程までの翳りは薄れ、楽しそうではある。
話している内容はともかくとして。
「よく分からん」
「ほっといて、外いこ」
「ああ」
見捨てた訳じゃなく、二人きりで話した方がいいと思ったからだ。
私達がいない方が、話しやすい部分もあるだろうし。
「ちょっとごめん」
「何」
「女の子の用事を、いちいち聞かないの」
すっと角を曲がり、トイレへを駆け込む。
すっかり忘れてた。
本当、ケイの事を笑ってられない状態になるところだった……。
一転晴れやかな気分で廊下に出る。
ショウは、いた。
周りに人はいるが、揉めた様子じゃない。
揉めていたとしても、その時は周りに倒れているだけだ。
「……彼女とかいるんですか」
目をきらきらさせて尋ねている女の子。
彼を取り囲んでいる子達も同様である。
その気持ちは、よく分かる。
だからといって、にこやかに見守る心境でもない。
この辺りは、我ながら複雑だ。
「い、いや。いないよ」
相変わらず、この手の話題にはぎこちないな。
ただその反応と答えに、周囲からは黄色い声がさざめいた。
少し、あの輪の中に混ざりたい気分だ。
「じゃあ、じゃあ」
気持に言葉が付いていかないといった感じ。
他の子も同じらしく、上体だけが前に出ている。
すぐ周りを取り込んでいる子に胸を押し付けられているようにも見え、あまり面白くはない。
その行為に対しても、自分の薄い胸板に対しても。
「どうなんです」
口を閉ざしたショウに、容赦なく問い詰める女の子。
当然他の子も、刺すような眼差しを彼女へと向ける。
さっきの沢さん達が晩秋のススキが原だとすれば、ここは常春のレンゲ畑だな。
私も続きは聞きたいが少し怖いので、すぐに背を向けた。
この辺りに関しては、かなり気が小さい。
木之本君をからかってる場合じゃないね。
「あ、雪野さん」
歩き出した途端、前から声を掛けられた。
この間のガーディアンで、多少は顔見知りになっている。
狭い廊下。
ショウの言葉を待っていたため、沈黙を守っていた女の子達。
当然そちらへも、今の声は届いている。
名前というより、その音に反応してこちらを振り向く気配。
私も成り行き上、後ろを振り返る。
目が合った。
女の子達と。
ショウとも。
すがるような、溺れかけの子犬のような眼差しで。
あれだけ強くて、あれだけもてて、どうしてこうかな。
それがまた、彼の魅力でもあるんだけど。
ただ下らない自分の考えに捉えられている場合でもないので、今の子に挨拶をして歩き出す。
さすがにハローなどとふざけた事は言わず、普通にトコトコと歩いていく。
池上さんなら、平気でしそうだが。
突然割れる人垣。
腰を引く何人かの女の子。
「あ、あの」
「私達、その悪気があった訳じゃ」
「ただ、質問がしたくて」
聞いてもないのに色々言ってきた。
どこかであった反応。
というか、過去何度か見た記憶がある。
最近は、ちょっとなかったんだけど。
「私は何も」
「いえ。本当に」
先手を打たれた。
話くらい聞いてよね。
「じゃ、私達はこの辺で」
「失礼します」
「それでは、また」
嬌声を上げ、パタパタと駆けていく女の子達。
みんな手を振っているので、こちらも振り返す。
また、というのがおかしくもあり引っかかりもするが。
「あの、なんだ。角曲がったらユウがいなくて、代わりじゃないけどあの子と会って」
聞いてないわよ、とは言わずに女の子達が去った廊下をじっと見る。
「俺は何もその、そういうつもりじゃなくてさ。なんて言うのか、ほら。あれだよ」
どれよと突っ込みたいが、我慢する。
「ふ、深い意味はなくて。ただ質問というか、周りを囲まれてたけで」
「さぞ、ふくよかな胸だったでしょうね」
「え?」
しどろもどろになりながら、顔を前に出すショウ。
「どうせ私は貧弱ですよ」
「い、いや。その。俺の話聞いてた?」
「聞いてない」
そう言い切り、やるせないため息を付く。
私だってもう少し何とかなってたら、動揺しないし自信も付くんだけど。
出る所はいつまで経っても出ないで、ため息ばかりが出るという様だ。
冗談じゃなく、私の顔くらいある子もいたからな。
本当に私は、高校生だろうか。
一度、正式に戸籍を確認してみよう。
あの親だから、間違えてるなんて事も無くはない。
と、虚しい方向に逃げていく。
「……中学校にでも行こうかな」
「急に、なんだよ」
「あなたには分からない話」
「違和感は無いよな」
笑われた。
さっきの今なので拳が固まったが、ここは自制しよう。
「痛っ」
「どうしたの」
「な、何でもないです」
顔をしかめて首を振るモテモテ君。
誰だって、つねられれば痛い物だ。
さすがに皮膚は、鍛えようがないから。
結局自制心がない自分。
ただそれが、私の良い所なんだ。
そう馬鹿げた解釈をして、自分の頬もつまむ。
膨れてはないけど、そう見えるふにゃふにゃの頬を。
神様も、せめて話くらい聞いてくれればいいのに。
「……聞いてよね」
「何か言った?」
真顔で尋ねてくるショウ。
警戒気味に、と付け加えてもいい。
「そ、その。誰だって、言いたい事くらいあるわよ」
「はあ」
さっきの女の子達を思い出したのか、ここは曖昧に頷かれた。
私もこれ以上は限界なので、今来た方向へ指を差す。
「とにかく、戻ろうか。あの2人をほっといても何だし」
「舞地さんは」
「あの人は猫科だからいいの。お腹が空いたら、その内戻ってくるわよ」
私も言いたい事を言って、どうにかこの場をやり過ごした。
本当に言いたい事や聞きたい事は、胸の奥にしまったまま。
それが貧弱なのは、いかんともしがたいが。
ただ秘密を守るくらいは出来ると思う。
その事を確認するため、何げに手を当てる。
少し思った。
どうも危ういぞと……。
一応は注意して、ホテルの部屋へと入る。
荒らされた様子はなく、おかしな雰囲気もない。
誰かが隠れていても、それくらいは分かる。
あくまでも、今くらい気を張りつめていたらの話だが。
それでもバスルームや窓の外をチェックして、ようやく一息付く。 ……待てよ。
「済みません」
「いいよ」
気にするなという具合に手の平を動かし、端末をチェックする沢さん。
私はすぐ静かにして、彼の様子を見守る。
「特に問題ない。盗聴も、盗撮も。それにここも、一応はセキュリティが組んであるから大丈夫だと思う」
「あ、はい」
「僕は平気だけど、雪野さんは女の子だからね。特に盗撮は問題だ」
それが冗談だと分かったのは少し後の事で、何となく笑うタイミングを失ってしまった。
だからという訳でもないが、私は胸にしまっていた質問を彼へとぶつけた。
「一つ聞きたいんですけど」
「いいよ」
「沢さんは、この先どうなるか想像は付いてるんですよね。それがあらかじめ分かっていて、私達を連れてきたんですよね」
彼の答えを待たず、首を振る。
「済みません、余計な事を聞いて」
「いや。ろくでもないのは僕の方だよ。どうなるかは、多分君が想像してる通りだ。塩田君の言う通り、辛さが人を育てるとは限らない」
「でも沢さんはそう思ったから、私達をここへ連れてきたんでしょ」
「いつも甘い事を言っている君達を、辛い目に遭わせるためかもしれないだろ」
冗談とは思えない、落ち着いた口調。
醒めた態度。
「人を信じるのもいいけど、裏切られると辛いよ」
「言ってる事は分かります」
「理屈じゃないさ」
ふっと微笑み、私に背を向ける沢さん。
やがてドアの閉まる音がして、室内に静けさが戻る。
彼の言葉、彼の態度、彼の意図。
全てを理解し、私自身分かっているつもりだ。
今、自分が置かれている状況も。
それでも人を信じたいと思う私は、やはり甘いのだろうか。
大きな失敗をしないと、気付かないのだろうか。
夜。
窓から見える夜景。
暗がりに浮かぶ、無数の明かり。
その一つ一つに暮らしがあり、人がいる。
だけど。
明かりのない所にも、人はいるはずだ。
見えない場所にも、誰も気付かない所にも。
私達が明かりの下にいるとしたら、沢さん達傭兵はきっと暗がりの中。
そのどちらに価値があるという訳ではない。
人の目に触れるかどうか。
ただ、それだけで。
人を信じるのは甘いと、沢さん達は言う。
それでも。
こんな私にだって、譲れない事がある。
例えば一つは、彼等を信じる事。
甘くても、例え後悔しても。
それだけは譲らない。
いや、譲れない。
薄暗い部屋。
明かりのない、自分の周り。
心落ち着く中で、私は一人佇んでいた。