15-2
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ある教棟の一角。
私達の待機用に用意された、広い一室。
奥にも二部屋程あり、小さいながらキッチンも用意されている。
生徒同士の抗争を抑えるためのサポート役への待遇として、これが妥当なのかどうかは分からない。
特にやる事もないので卓上端末を開き、草薙高校のオンライン授業を受ける。
見た事のない、オンライン専従の先生。
その性質上こちらからの質問も随時可能だが、そこまで熱心ではない。
話を聞いて、ノートを取る程度。
少し疲れたので画面を消し、音声を自動文書処理するよう設定する。
「何だよ、余弦定理って」
私の隣で唸るショウ。
それは、私の方が聞きたい。
こういう時サトミがいると助かるんだけど、勿論彼女はここにはいない。
からかうような笑顔も、丁寧に教えてくれる優しい声も。
胸の中に募る寂しさ。
彼女も離れた土地で、同じ事を思ったりするのだろうか。
「 BCの二乗 =ABの二乗 +ACの二乗 -2xABxACxcosθだろ」
「はい?」
「余弦定理だよ」
参考書を開きながら、私達のいるデスクへ手を付く沢さん。
「内積と同じだから、ベクトルの勉強もしたらどうだい」
「蹴る練習を?」
「間違ってはいないけどね」
苦笑する沢さんだが、困っているようにも見える。
間違ってないなら、いいじゃない。
「キックのベクトルを変える、という意味じゃない。大きさと向きを表すものを、ベクトルというんだ」
呆れ気味に指摘してくる舞地さん。
寝てたのに、聞いてたな。
「それに対して普通の数学で扱う数値、大きさだけを表すものをスカラーという」
「あ、そう。だから何よ」
「ユウ、止めろ。とにかく、俺には分かりません」
「諦めないでよ」
両方に噛みつき、三角形と向き合う。
面積を求めよ?
求めてやろうじゃないの。
底辺掛ける高さ、割る2でしょ。
高さがb、底辺が……
……どうして、底辺が書いてないの。
なんだ、この θは。
猫の目か。
もう知らない。もう止めた。
こんな事をやってる場合じゃない。
今やらないと、後でどうなるかも知らないけど……。
「終わりかい」
「ええ、終わりました」
「雪野の人生も終わった」
「ま、まだこれからよっ」
自分でもどうだかなと思いつつ机を叩き、勢いよく立ち上がる。
それ同時に、デスクの上にあった端末が音を立てた。
私のではなく沢さんのが。
「……はい。……ええ、分かりました。すぐ向かいます」
「誰です」
「生徒同士が暴れているらしい。初仕事だよ」
こればかりは、いずこも変わらない光景。
廊下を埋める大勢の生徒。
怒声や叫び声。
独特の高揚したムード。
ただ草薙高校に比べ生徒の数が少なく施設が劣るせいか、うらぶれた感は否めない。
どちらにしろ、仕事の進行には関係ない。
「どいて下さい」
人垣の後ろから、大きめの声で呼び掛ける。
誰一人動かないし、振り向きもしない。
これも、似たようなものだ。
「玲阿君、頼むよ」
「え、俺が?」
「得意だろ」
「そうですけどね」
首を回し、一歩前に出るショウ。
その手が、大柄な男子生徒の肩に掛かる。
「悪い、どいてくれ」
「あ?人が楽しんでるのに、邪魔を……」
飲み込まれる言葉。
凍り付く表情。
大きな体が一気にしぼみ、その場から去っていく。
ショウが殴ったりした訳ではない。
軽く睨んだだけだ。
その視線に耐えられる人がそうそういるとは、私も思えないが。
「ほら、どいてくれ」
「な……。は、はい」
「お、おい。どけ。どけって」
自分達で声を掛け合い、積極的に動く野次馬。
少しずつ出来てくる隙間。
後ずさる人達。
すでにショウが何もしなくても、彼等は率先して下がっていく。
私にとっては見慣れた光景なので、特に気にせずショウの後に付いていく。
「別に、誰も暴れてないぞ」
「見えない」
「ほら」
指を差すショウ。
しかし私に見えるのは、見上げる程の大きな背中。
頼り甲斐のあると、付け加えてもいい。
やはり私にとっては見慣れた光景だが、これは気にして彼の隣りに並ぶ。
狭い廊下の左右を埋める野次馬達。
その中央に出来た、小さなスペース。
向き合う数名の男子生徒。
ただ怪我をしている様子も、殴り合っていた気配もない。
お互い睨み合ってはいるものの、トラブルと呼ぶには大袈裟な状況だ。
「何よ、これ」
「雪野さん、話を聞いて」
「あ、はい」
沢さんに促され、取りあえず彼等の元へと近づいていく。
一斉にこちらを見てくる男子生徒達。
見慣れない私達に、若干警戒しているようではある。
特に私は、彼等とは違う制服を着ているので余計に。
「生徒会に雇われた、アシスタントスタッフ。警務委員長と同等の権限があるから、その点はよろしく」
胸元に提げているIDを指差し、同意を得る。
驚きの声は上がらず、隣同士でささやき合う光景が周囲で見られる。
事前に私達のような存在が来ると、通知なり噂があったのだろう。
「何があったの」
「こいつらが、俺のバッグを隠した」
真顔で説明する男子生徒。
余程、大事な物でも入っているのだろうか。
「中身は」
「教科書と、筆記用具」
「それ以外は」
「プリントかな」
……冗談だろうか。
しかし表情は変わらず、睨み合っている人間は全員真剣その物だ。
「どう思う?」
「俺が聞きたい」
肩を落とすショウ。
あれだけ人を脅かし、半ば無理矢理ここまでやってきて。
その結果が、バッグを隠された。
中身も教科書。
小学生でも、今時そんな事しない。
「……解散だ」
ショウは床を見つめたまま、気のない声で宣言した。
「だけど」
「でも」
「バッグは返せ」
言いたくもないという顔でそう告げ、隠したとされた男子生徒を指差す。
「は、はい」
怯えつつ、あっさりと認める男子生徒。
他の者も、気まずそうにうなだれている。
「後は、自分達で話し合ってくれ。ほら、行って」
「は、はい」
「す、済みませんでした」
連れだって駆け出していく男性生徒達。
「ユウ」
「知らない。私はもう」
「俺だって」
お互いから漏れる、やるせないため息。
落ちる肩と、重い足取り。
いつにない疲労感を感じながら、私達は後ずさる野次馬に構う事もなくその場を立ち去った。
「何よ、あれは。バッグ隠したって。子供が遊んでるんじゃないんだから」
「本当。俺は、何したんだか」
まだ立ち直っていないショウ。
日本刀を抜いたら、リンゴを剥いてくれと言われたようなものだ。
「良くある事だよ」
「だって沢さん、この学校は荒れてるって」
「滋賀の高校は、全体的に荒れ気味とは言った。でもいいだろ、ナイフを振り回されるよりは」
「そうですけど。何か、納得出来ないな」
トラブルを求める気はないが、これなら私達がいなくたって……。
「そういえば、この学校のガーディアンは。あそこにいた?」
「さあな」
ふぬけた返事。
これが玲阿四葉、その人か。
でもいいや、面白いから。
「僕達がいると聞いて、出動を取りやめたらしいね」
「何で」
「そういう物なんだ」
「自分達の学校なのに、自分達が何もしないなんて。私達はサポートで、便利屋じゃないんですよ」
デスクの上に拳をぶつけ、沸き上がる怒りをかろうじて抑える。
何か、もう。
「あー」
「叫ばないで」
冷静に指摘する舞地さん。
じゃあ寝ないでと言ってやりたい。
「……はい。……ええ、分かりました。すぐ行きます」
「沢さーん」
「要請があった。お金はもらってるんだし、その分の働きはしよう」
人気のない、階段の踊り場。
野次馬は少なく、今回はガーディアンらしい人間もいる。
「結局私達がいなくても、問題ないじゃない」
「俺はもう、何もやらない」
拗ねるショウ。
ただ彼にやる気がなくても、これなら大丈夫だろう。
そう思った瞬間。
階段の下から人が上がってきた。
警棒やバトンを持って。
なるほど、一応はこういう連中もいる訳か。
「……どこ行くの」
上へ上がっていこうとするガーディアン達を呼び止める。
「い、いや。俺達は弱いから。ここはみなさんで」
「自分達は、ここの」
生徒でしょうという言葉を飲み込み、ショウを肘でつつく。
「知らないって。もう、恥はかきたくない」
「いいじゃない、今さら。100個も、101個も変わらないから」
「どうせ俺は、恥ずかしい男だよ」
ああ言えばこうだな。
私に劣らず。
「お、おい。お前ら」
誰かが呼んでる。
それも、かなり不満げに。
下を見て、ようやく思い出した。
変な連中が、近くに来てたのを。
「こっちは忙しいのよ。ケンカしたいなら、また後にして」
「な、なに?」
おかしな声を上げる連中。
馬鹿にされたと思ったようだ。
また、そのくらいは分かるらしい。
警棒の持ち方を見る限り、自分が怪我をしそうだが。
「誰だ、お前らは」
「アシスタントスタッフ」
胸元のIDを指差し、身分を示す。
一気にたじろぐ男達。
所詮はこの程度か。
ただ、こちらとしては助かる話だ。
「ほら、早く帰って」
「ふ、ふざけるな」
「どっちが。やるって言うのなら、いつでも相手になるわよ」
腰を落とし、背中のスティックをすかさず抜く。
鋭い、空気の裂ける音。
同時に辺りの雰囲気も、一気に引き締まる。
「こ、この」
一斉に構える男達。
相手の実力も、雰囲気も読めないとは。
仕方ない、デモンストレーション代わりに……。
突然、黒い風が吹き抜けた。
私の目の前に現れる華奢な背中。
ほっそりした首筋と、耳まで見えるショートカット。
ボディラインから女性だと気付くより早く、声が発せられる。
「5秒待つ。消えろ」
「な……」
「残るのなら、その後の保証はしない」
短い、しかし峻烈な口調。
彼女は間違いなく、その通りに実行すると思わせるだけの力を込めた。
後ずさる男達。
階段を踏み外しよろける者がいても、笑い声は上がらない。
感情という物をどこかへ置き忘れてしまったかのように。
男達は全くの無表情のまま、その場を去っていった。
「何をしてる」
静かに声を掛ける舞地さん。
わずかな、人によっては気付かないくらいの親しみを込めて。
「挨拶をと思って」
「大人しくなったと思ったら、女隊長は健在?」
「その呼び方は止めて」
こちらを向き、照れ気味の顔を見せる女性。
精悍でボーイッシュな顔立ちで、澄んだ瞳が印象的だ。
体型的には舞地さんと大差なく、黒のシャツと革のパンツが細い体にフィットしている。
「久しぶり、清水さん」
「……沢。私を呼んで、どうする気」
「舞地さんと一緒に仕事をするのも、懐かしいだろうと思って。後輩もいるし」
その澄んだ瞳が、私とショウを捉える。
深い、心の奥にまで届くような輝き。
喉を鳴らすのも忘れ、その瞳を見つめ返す私達。
「あなた達は……」
「晃さんっ。大丈夫ですかっ」
懸命な表情で階段を駆け下りてくる、繊細で可愛らしい顔立ちの男の子。
でも、どこかで見たような。
「わ、私は大丈夫だから。このくらい、いつもやってるでしょ」
「で、でも危ないですから。もう止めるって、約束したじゃないですか」
「あ、うん」
殊勝に頷く清水さん。
本当に申し訳なさそうにうなだれて。
あれ程の迫力を見せた彼女を黙らせた男の子は、優しく微笑み私達の前に立った。
「……久しぶりだね」
「え。どこかでお会いしましたか?」
「僕は小泉穂。草薙高校の、元生徒だよ」
人のいい、眩しい程の笑顔。
男性にしては細い体型だが、腰にはしっかりと警棒が下がっている。
しかし、元生徒といっても思い当たる節がない。
こんな可愛い顔なら、覚えてもおかしく無いはずだけど。
「名前だと分かりにくいかな。以前の肩書きは、フォース臨時代表代行」
「……あっ」
同時に叫ぶ、私とショウ。
去年の前期、ガーディアン組織同士の抗争。
その際塩田さんを解任に追い込み、だけど最後には自警局長と共に退学となったフォースの幹部。
あの時は遠目でしか見なかったので殆ど覚えていなかったが、間近で見てようやく記憶が一致した。
「……ごめん。去年は僕や峰山さんが、色々と迷惑を掛けて」
深く頭を下げる小泉さん。
真摯な態度で、心からの謝罪の意を込めるように。
ショウはすかさず彼の肩に手を触れ、顔を上げてもらった。
「そ、そんな。俺達も、その事情を多少は聞きましたから。小泉さんが悪いとかどうとかって話じゃないって」
「でも僕達が、塩田君と一緒に学校を混乱させたのは事実だよ。それは退学したからといって、償える事じゃない」
「おかしな連中を辞めさせるためですよね。だったら、そんな……」
突然言葉を切り、左手を横へ伸ばすショウ。
その肘が受け止める、人の手首。
手首の先には、微かにだが細い刃物が見えている。
「いい反応だ。なあ、小泉君」
「また、そういう事を。危ないじゃないですか」
「大丈夫。当たらないように、気配は発した」
「久しぶり、林君」
鋭い笑顔で手を差し伸べる沢さん。
林君と呼ばれた穏やかな顔立ちの男性は、ショウへ向けた刃物を持った手で握り返す。
しかし刃物はどこへ消えたのか、沢さんの手が傷付いた様子はない。
「彼女が清水さんで、彼が林君。以前草薙高校にいた傭兵さ」
「……あの、マンションにIDがあった」
「懐かしい事を言う」
薄く、寂しげに微笑む清水さん。
「屋神さんは?」
「卒業しましたよ。式にも出ました」
「裏切り者が、よく出れたね」
「林さん」
小泉さんにたしなめられ、男性はおどけたように手を振った。
それだけでも、彼の性格が伺える。
先程の動きからは、その実力が。
「冗談だよ。しかし草薙高校か。確かに、懐かしい」
彼の顔にも切なげな表情が浮かび、遠い眼差しが私達を捉える。
ただそれは私達に、他の誰かを重ね合わせているようにも見て取れる。
「取りあえず、一度戻ろうか」
「はあ」
「警戒しない。なあ、小泉君」
「だから、僕に振られても」
彼等の顔に浮かぶ笑顔。
それは清水さんも例外ではない。
強い絆に気付かされる瞬間であり、羨ましく微笑ましい光景。
私はそんな彼等の姿に、自分達を重ね合わせているのかもしれなかった……。
小泉さんがいれてくれたコーヒーを前に、ようやく落ち着く私達。
よく見ていると可愛いというより、綺麗というイメージの方が合ってるかもしれない。
それに細やかにさりげなく、あれこれと気を遣ってくれる。
ただ去年の前期に彼が取った行動を考える限り、その外見だけでは判断出来ないだろう。
「わざわざ、俺達まで呼ぶ必要があった?大して荒れてもないのに」
「君という存在を、雪野さん達にも知ってほしくてね」
「フリーガーディアンの推薦で?ただの大人しい中国人だよ、俺は」
先程ショウを、暗器で襲った人とは思えない林さんの台詞。
沢さんは聞いた様子もなく、自分の警棒を磨いている。
「草薙高校は、これから一揉め二揉めある。その時に備えて、ここらで鍛えておくとでも」
「まあね」
「わざわざ、他の学校に来てまでする事か。沢君がそう判断したのなら、かまわないけど」
変わらない、飄々とした態度。
対して清水さんは一言も発せず、静かにコーヒーを飲んでいる。
舞地さんは気を抜く感じでそうしている時が多いが、彼女はもっと澄んだ雰囲気。
ただ言えるのは、お互い一日中でもこうしてしていられるだろう。
「君、三島さんに勝ったんだって?」
「勝ったといっても、向こうは怪我をしてたらしいです。それに、俺が負けてもおかしくない試合でした」
謙虚に答えるショウ。
林さんはくくっと笑い、テーブルの上に肘を置いた。
「ハンディがあっても、あの熊に勝てる人間がいるとは。さすがは玲阿流直系か」
「知ってるんですか」
「名前くらいは。RASの母体となってる、日本古来の古武術だと」
「俺は、その家に生まれたというくらいでして」
あくまでも控えめな答え。
それもおかしかったらしく、もう一度喉元で笑い声が上がる。
「その名前と強さがあって、その台詞か。面白いよ、玲阿君」
「はあ」
「先日少し強気になったんだけどね。雪野さんに、たしなめられたらしい」
「わ、私は何も」
沢さんに手を振り、視線を伏せる。
たしなめてはないし、何もしていない。
言い合いをして、お互いを理解し合ったくらいで。
それが彼にどう影響したのかは、よく分からない。
彼との距離が、以前よりも少しは近くなったかとは思うが。
「忍者君達が後を託したのが、彼等という訳か。なるほど」
「私はまだ、そうすると決めた訳じゃ」
「そうだね。僕も、感情だけで判断しない方がいいと思う。それだと、僕達と同じ間違いを犯す事にもなりかねないから」
諭すように語る小泉さん。
林さんは額の辺りに手を当て、聞き取れない程の息を付いた。
「たまに厳しいな、君は」
「済みません。でも、学校を辞めて本当によかったって思いますか?」
「俺はあそこが母校じゃないから、それ程の思い入れはない。これからどうなるかについても」
「本当に?」
真っ直ぐな、心を込めた瞳の輝き。
それを困惑気味に受け止める林さん。
ただその迷いは一瞬で、彼の顔にはそれまでと同じ軽い表情が戻る。
「さあね。もう、終わった事だし」
「ええ。その通りです」
微かに、翳りを帯びた視線を下げる小泉さん。
その瞳の輝きは薄れ、林さんへ向けた熱意も消えていく。
「……晃さんは、どう思います?」
「2人と変わらない。屋神さん達と一緒に行動した時点で、全部終わった」
「はい」
さらに顔を伏せる小泉さんの手に、自分の手を重ねる清水さん。
「私は、あの決断を間違ってはいないと思う。結果的に学校を去る事にはなったけど。あの時屋神さん達と一緒に行動しなかったら、私はその方が間違いだと思ってる」
「晃さん……。そうですね」
少し色付く、小泉さんの頬。
それは手を取り合う事を照れている訳ではなく。
気持が通じた事への思い。
自分が一人では無いという実感。
私もほんの時折感じる、みんなとの絆。
「君達はいいね、仲が良くて」
「な、何が」
「今さら照れなくても。なあ、小泉君」
「い、いえ。僕は」
途端に慌て出す2人。
ただ、つながり合った手を離す気配はない。
「一緒にいるんじゃないんですか?」
「今回は沢君が呼んだから来たまでさ。2人の間に、子供でも出来たら別だけど。将来の名付け親としては、色々と心配で」
「馬鹿」
さすがに呆れる清水さん。
ただ、まんざらでもないという顔ではある。
「この子達以外には、来てないのか」
「近くの高校に分散してる。ワイルドギースの監督下で」
「なるほど。一度、顔を見に行くかな」
懐かしむというよりは、息を呑む程のすごみを増す林さんの瞳。
それは舞地さんが時折沢さんに見せる物と同じであり、彼等が同じ種類の人間なのだと強く実感させられる。
「それで、現状は?」
「僕も昨日着いたばかりだがはっきりしないが、二つの勢力が生徒会の主導権を争っているらしい」
「だったら、警務委員会だった?そこに所属するのは、公平じゃない気がしますけど」
「ここは中立だよ。つまりどちらも引き込もうとしているし、狙ってもいる。また警務委員会自体このトラブルを抑えないと、解散か警備会社の下へ入る事となる」
「複雑なんですね」
去年の前期にも似た状況。
勿論違う部分もあるが、生徒同士の抗争と引き抜き。
そのしわ寄せは、当然一般の生徒へとやってくる。
私達の学校では塩田さん達の策略だったという面があるにしろ、あまり楽しくはない。
「混乱を収める、正義の味方か。後が辛そうね」
ぽつりと漏らす清水さん。
舞地さんも気のない顔で、微かに頷いている。
「逆じゃないんですか?」
「その内分かる。上手く行けば、何事もなく終わるけど」
低い声で答える舞地さん。
その言葉を、何度聞いただろうか。
待っていた結末は決して楽しい事ではなく、先輩達の辛い過去。
すると今度も、同じような事に。
考えたくはないが、そう思うしかない彼女達の言葉。
「私には、普通の学校に思えるんですけど」
「その普通さが、一番問題なの。さっき雪野も、怒っていたように」
「あれは、自分性質の事を自分でやらないから。それと関係があるんですか」
「ああ」
舞地さんは短く答え、机の上にあったキャップを手に取った。
それ以上は言いたくないのか、それとも私達で答えを見つけろという意味か。
押し黙る舞地さん達。
尋ねる事もない私達。
重くはない、静かな沈黙。
心の中にある釈然としない気持を抱えたまま、私はその沈黙の中にいた。
終業時間を終え、学校近くのビジネスホテルへと戻る。
今日はあの後に、出動が数件。
どれもが軽い小競り合いで、当事者同士で簡単に解決出来るような物ばかり。
しかし彼等は揉め続け、ガーディアンはこれといった事をしない。
草薙高校と違うのは当然だけど、これでは本当に私達を呼ぶ必要があったのだろうか。
これといったのは、清水さん達が来た時の連中くらい。
ただ彼等も本気ではなく、あくまでも威嚇用に警棒やバトンを持っていたようにしか見えなかった。
楽には楽だが、やりがいはない。
空回りどころか、そこにすら辿り着いていない気分だ。
もやもやした気分のまま、部屋を出てこのフロアのロビーへと向かう。
草薙高校の寮よりも狭く、質素な内装。
申し訳程度の自販機が幾つかと、ソファーに観葉植物。
せり出した大きな窓から夜景が見えるのが、せめてもの救いだろうか。
取りあえずお茶を買い、窓際で暗がりに浮かぶ街を眺める。
夜が早いのか明かりは少なく、ロビーの照明がなければ星の光の方が多そうだ。
ふと胸の中に浮かぶ、サトミ達の顔。
彼女達は、きっと楽しくやっているだろう。
私もそれに加わりたかったなと、少し思う。
一人で薄暗い夜景を見ていて、人恋しくなっているのかも知れない。
私をここへ連れてきたのは、沢さんなりの考えがあっての事だ。
清水さん達もいるし、寂しいというのは当たらない。
それを言うならケイ達は、二人きりだし。
ただ私達の所へ彼女達がいるように、あの子達の所にも誰かが待っている可能性もある。
揉めてなければいいけどと、一人で笑う。
「寂しいよな、ここ」
控えめに掛けられる声。
振り向かなくても分かる。
窓に映った姿を見なくても。
「自分がそう思ってるから、寂しく思えるんじゃないの」
「ケイみたいな事言うな」
苦笑して、私の隣りに並ぶショウ。
彼との間にあった、幾つかの出来事。
そのわだかまりや衝突、自分の気持ち。
辛く悲しい事ばかりだったけど、今はそれがよかったと思う。
上辺だけの付き合いではなく、本当にお互いの気持ちを伝え合う事が出来て。
「サトミ達は、何やってるのかな」
「さあ。連絡は取ってないから」
端末のボタンを一つ押せば、今すぐにでも話は出来る。
でも今は、そういう心境ではなかった。
胸の中にある寂しさとは別に。
一人でいたいというよりも、一人で頑張ってみたい気持。
いつも人に頼っていた分。
そしてショウとの事でも、結局にみんなに頼っていた分。
今度くらいは頑張ってみたい。
そう、今は思う。
明日になれば、また違うかも知れない。
寝る前に、その決意は崩れるかも知れないが。
そんな気持を持っていたいと思っている。
「俺達を鍛えると言っても、昼間のあれを考えると本当かな」
私と同じ感想を漏らすショウ。
鍛えられる前に、駄目になるような気もする。
「その内分かるって舞地さん達は言ってるけど、どうだよ」
「私に聞かないで。どうして、ああ隠したがるかな」
「だろ。結局言うんだから、今言えって話だぜ」
愚痴り合う私達。
さすがに舞地さん達の前で、ここまでいう度胸はない。
殴り合って勝つ可能性が仮にあったとしても、人間的に敵うとは思えないから。
あの5人、全員に。
小泉さんにすら、私はそういう気持ちを抱いている。
「あの人、小泉って言うんだな」
「だったら、前の自警局長の名前覚えてる?」
「山峰……は、父さんの戦友か。えーと、峰山」
「そうそう。私なんて、副会長の名前も忘れそうになるわよ」
「確かに。副会長としか、呼ばないし」
失礼な話題で話し込む私達。
付き合いがあれば自然と覚えるだろうが、副会長はともかく前の2人は接点が全くない。
去年の出来事がなければ、そのまま名前も知らずに卒業してただろう。
「明日からもこうだと、ちょっとだるいな。名雲さん達は、よくやってるよ」
「ああ、草薙高校で。確かに、舞地さんはいつも暇そうにしてるもんね。でもあれは、性格かな」
「ケイなら、これで報酬が貰えるなら問題ないって言うんだろうけど」
「報酬、か。私達も貰えるのかな」
ふと湧き出た疑問。
沢さん達に聞いてないし、彼等も口にはしていない。
どうしても欲しいとは思わないが、貰って困る物でもない。
「今日の様子だと、カットじゃないか?残金の支払いなんて、怪しそうだな」
「かもね。でも、琵琶湖が見れたし」
「観光旅行、ね。休みに、琵琶湖でも回ろうか」
「あ、それいい」
拳を固め、軽く振る。
意味はなく、喜びを表現しているだけだ。
「そ、そのさ」
「あ、うん」
会話にならない会話を交わし、頷き合う私達。
そしてすぐに、俯き加減ではにかみ合う。
彼の言いたい事は分かったし、彼も私の答えは分かっただろう。
一週間は始まったばかり。
明日から、まだ長い一日が待っている。
休日は、遠い先の話。
二人きりで行く、琵琶湖へのドライブは……。
着替えを済ませて、一階のロビーへと駆け下りる。
エレベーターだけど、気分的に。
学校が少し離れているので、全員で車に乗って行く事になっている。
玄関前のロータリーに見える、黒のRV車。
その後ろには、同じような赤のRV車が停まっている。
「お早う」
「ああ、お早う」
爽やかに挨拶を返すショウ。
朝日にきらめく、精悍な横顔。
ただ見取れている場合でもないので、寝起きの体を軽く解す。
「元気いいね」
「あ、お早うございます」
「お早う」
優しく微笑む小泉さん。
柔らかそうな黒髪が朝日を受けてきらきらと輝き、あどけなさを残す可愛らしい顔を引き立てる。
その前髪に手を触れる何気ない仕草が、また様になっている。
「少し、襟が曲がってるね」
「え?」
ショウの襟元へ伸びる手。
彼の胸元へ入る小泉さん。
間近でショウを見上げ、春の風を思わせる笑顔を彼へと見せる。
「これでいいよ」
「は、はい」
うわずった声を出すショウ。
顔どころか、耳まで赤い。
男同士で何を、とは思わない。
私が同じ立場なら、倒れてもおかしくない。
そのくらい可愛らしく、また人を引きつける笑顔である。
知らない間に拳を握っているのは、ともかくとして。
「あ、あのさ」
「何よ」
「い、いや。何でもないです」
「あ、そう」
素っ気なく突き放し、小泉さんは笑顔を見せる。
彼への怒りは感じないが、ショウには別だ。
なんて、理不尽に思う。
やがて玄関前に全員が揃い、車へ乗り込んでいく。
私もと思い、後部座席のドアへ手を掛けると。
「ごめん、雪野さん。僕達はちょっと、話があるから」
「あ、はい」
助手席で手を振る沢さん。
運転席側の林さんは、声は聞こえないが何か言って笑っている。
後部座席に乗っている舞地さんは、キャップを深く被り寝ているが。
そういう訳で、後ろの車へと乗る。
やや込んでいる市街地の道路を、流れに乗って走る二台の車。
前を行く沢さん達の様子は窺えないし、そうする気もない。
私とは違う生き方をしている人達なので、内密な話の一つくらいはあるだろう。
窓の外に見える、名古屋とは違う街並み。
寮からではなく、ホテルからの通学。
その車を運転しているのは、昨日初めて会った人。
清水さんは無言のまま、ハンドルを握っている。
車内には緩くクラッシックが掛かっていて、重苦しい沈黙は感じない。
ただ会話を交わす者がいないのも、事実ではある。
信号待ち。
沢さん達の車はそれを抜け、私達の車が横断歩道の手前で停まる。
通勤客や私達同様、通学する学生達。
交差点では、バスや大きなトラックも行き交っている。
寝起きの意識の中、それを見るとは無しに視線を向ける。
「……舞地と仲が良いみたいね」
唐突という程ではないが、不意に口を開く清水さん。
私はショウを一度見て、こくりと頷いた。
それをバックミラーで確認した彼女は、ハンドルを持ち替えて微かにこちらを振り返った。
「あなたはどちらかというと、池上に似てるけど」
「あの、うしゃうしゃ姉さんに?」
冗談じゃないと喉まで出てきた言葉を飲み込み、「はあ」と曖昧に答える。
多分向こうも、冗談じゃないと答えるだろうが。
「清水さんは、舞地さん達と仲がいいんですか?」
彼女の問いにつながる形で、私も一つ尋ねてみる。
無難だが、少し微妙だと思う質問を。
「彼女は渡り鳥のエースである、ワイルドギース。私は報酬さえ貰えれば何でもする傭兵。立場も考え方も違う」
「それは聞いてます。でも、友人としてはまた別な部分があるじゃないですか」
「……案外、鋭い事言うわね」
戸惑いと苦笑の感じられる口調。
短い髪に触れた彼女は車を発進させ、車線を変えた。
「確かに、他の渡り鳥よりは一緒に仕事をしていた。あの子達が草薙高校に居着いてからは、あまり会ってないけれど」
右折車線に入り、対向車の流れをうかがう清水さん。
流れが途切れたところで車が右へ曲がり、軽く横への力を感じる。
「舞地はあそこに居場所を見つけた、という訳か」
「そうなんですか?」
「あの子達が、何か企んでるとでも?勿論、そういう考え方もある。ワイルドギースという名前は、ケンカが強いだけで与えられる物ではないから」
暗に私の考えを肯定する内容。
車は加速を強め、辺りの景色を後ろへと流していく。
「今、前にいる車に乗っている人間達。フリーガーディアン、ワイルドギース、林爽来。傭兵の事を知る人が見たら、夢かと思うわよ」
「はあ」
「あなた達には分からないだろうけど、あの子達は戦いの中に生きる人間でもある。その後輩が、自分という訳。そういう認識はある?」
からかうような指摘。
無くはないが、はっきりとは分からない。
彼等が特殊な存在であるのは理解していても、本当の姿。
その過去を、殆ど知らないから。
苛烈な生き方をしてきたというくらいしか。
「無い方が、いいのかもね」
「え?」
「ワイルドギースとしての舞地よりも、舞地真理依として彼女を理解出来る方がいいのかもという意味。あの子も、それを望んでいると思う」
訥々と語る清水さん。
舞地さんを強く理解しているのが分かる言葉。
私は誰かに対して、そこまでいう事が出来るかと考えてしまうくらいの。
「……あれは」
黙って話を聞いていたショウが、座席の下で指を向ける。
私はナビを操作して、バックカメラの画面に切り替えた。
数台のバイク。
それだけなら、どうという事ではない。
「嫌な感じだな」
「そうね」
きめ細やかな心情はともかく、こういう事はすぐに理解し合える。
さっきの今だと、ちょっと悲しいが。
「どうかした?」
「尾行というか、こっちを監視してるようなバイクが数台見えます」
「鋭いね、君も。草薙高校最強の名前は、噂ではないという訳。……起きて」
「は、はい?」
助手席から飛び起きる小泉さん。
程良い揺れに、眠りを誘われていたらしい。
それだけ安心しているとも言える。
彼女にだけはなく、私達にも。
少し、嬉しい。
「つ、着きました?」
「馬鹿。いいから、そのバイクを録って」
「あ、はい。逆輸入車ですね、KS(カワサキ・スズキ開発)かな」
詳しい人だな。
「昼までには、所有者が分かると思いますよ」
「え、どうやって」
「車種や、走行地域、フロントのナンバープレートから割り出すんだ」
そういう事にも詳しいらしい。
どうやって割り出すかまでは、語らないが。
向こうはこちらの動きに気付いたのか、それとなく速度を落とし出す。
「逃げるか。何か、当ててやりたいね」
「物騒な事言うなよ。……これは」
ホテルに置いてあったマッチ。
何に使うという訳もないけど、持ってきていたそれを手に取るショウ。
「軽く……」
窓を開け、マッチ棒を投げた。
風に乗り、それは一瞬の内に後ろへと飛んでいく。
そして先頭を走っていたライダーのヘルメットを、見事に捉えた。
「はは、上手い」
「だろ。この、風を読むのが難しいんだぜ」
「私も、私も」
自分の側の窓を開け、マッチ棒を放る。
「あ」
それがマッチ箱の側面を捉え、突然火を噴いた。
風に乗り飛んでいくマッチ棒。
何故か消えない炎。
そのままマッチ棒は飛んでいき、再びヘルメットを確実に捉えた。
バイクが大きく揺れたようにも見えたが、私はすぐに窓を閉めて前を向いたので知らない事にした。
「無茶苦茶だな」
「だ、だって。大体、何で消えないのよ」
「それだけ、ユウが燃え上がってるんだろ」
「何よ、もう」
舌を鳴らし、腕を組む。
朝から、面白くないな。
「楽しそうね」
前から聞こえる声。
笑っている清水さん。
「あ、済みません」
「舞地も、困った後輩を持ったものね」
呆れ気味な言葉。
ただそれは、彼女との距離が近くなったと感じさせる。
素直に嬉しく、心地いい瞬間。
何を言われたかは、ともかくとして……。
授業に出ないので、やる事がない。
オンライン授業は受けている物の、身が入らない。
元々入っていない、という意見は聞かない事にする。
「あまりいい出来じゃないね」
チャーハンを頬張り、首を傾げる林さん。
昼休み。
学食でお昼を食べる私達。
中国人だからという訳でもないだろうが、文句を付けている。
私も自分の分を食べてみる。
「……あまり、パラパラしてない」
「分かってるね、雪野さん。こういうのを食べると、大陸に帰りたくなる」
「え、向こうの出身なんですか?」
「違う。林さんは、横浜出身の横浜育ち」
何だそれ。
小泉さんに指摘された林さんは朗らかに笑い、ラーメンをすすった。
「これは、まあまあかな」
「相変わらず、食べ物にはうるさいね」
「人生何が楽しいって、食べてる時だろ。沢君みたいに、生でヘビを食べるような人には分からないだろうけど」
「え」
思わず止まる箸。
全員の視線を受けた沢さんはおもむろに咳をして、ゆっくりと箸を置いた。
「フリーガーディアンのサバイバル訓練で、仕方なくだ。常食してる訳じゃない」
「焼けば美味しいけどね」
「自分だって食べるんじゃないか」
嫌な話で盛り上がる2人。
私は聞かない事にして、唐揚げをショウの皿へと乗せた。
地鶏で美味しいが、無理して食べる程じゃない。
というか、もう食べられない。
「体の具合でも悪いの?」
優しく尋ねてくれる小泉さん。
私は首を振り、満腹だと告げた。
「晃さんでも、もう少し食べるけどね」
「私はどうでもいい。でも、どうして彼にあげる」
「はい?」
ちょうど唐揚げを頬張っていたショウは、そのままで固まった。
私は聞こえない振りをして、ラーメンのどんぶりをに顔を伏せる。
「ふーん」
意味ありげに呟く林さん。
何よ、とは言い返さない。
いいじゃないよと、内心で答えるだけで。
ただ、以前よりは照れる気持が薄い。
それは彼等との付き合いが短いという事だけではなく。
私の中で、ショウとの関係を認め始めているから。
口に出せる程で無いのが、また可愛いんだ。
なんて、馬鹿な事を考えたりもする……。
昼休みが終わっても、やはり待機室にいるままの私達。
清水さん達もいて人数は増えたが、広いので問題はない。
何より、気詰まりでないのが嬉しい。
舞地さんは勿論清水さんも殆ど喋らないけれど、彼女達の気持ちは何となく分かっているから。
林さんも時折沢さんや小泉さんと短く会話を交わす程度で、彼もまた落ち着いた面を持っているようだ。
言葉にしないと分からない事はあるが、一日中喋ったからといって分かり合える訳でもない。
要は何をどんな気持で、どのようにして話すかだ。
それとも、どのような相手と。
サトミ達との出会いがそうであったように。
彼女達にも、同じ事を感じている。
時間の長さだけではない、もっと深い部分でのつながりを。
そんな思いを胸に抱きながら、私は静けさの中に身を任せていた。