15-1
15-1
動くと汗ばむ程の陽気。
ヘアバンドを押さえ、風にそよぐ髪の感触を楽しむ。
青い空と白い雲。
広いグランドを見渡し、胸一杯に初夏の空気を吸い込む。
「何してるの」
「ちょっとね」
「失恋の痛手からは立ち直った?」
おかしそうに笑う、ジャージ姿のニャン。
私はすぐに彼女へ組み付き、耳元でささやいた。
「へ、変な事言わないで。失恋なんてしてないわよ」
「あ、そう。よりを戻したの」
「もう」
「子供が恋愛だなんて、随分おませんちゃんね」
嫌な事をさらりと言ってくる黒沢さん。
彼女に向かって牙を剥くと、ふっと笑われた。
綺麗なだけに、様にはなっている。
やられる側としては、たまった物ではないが。
「……普通悲しい事があると、少しは痩せるんですが」
人の後ろからやってきて、頬をつつく青木さん。
相当に失礼だな。
「も、もういいって。ほら、練習したら」
「自分こそ、ガーディアンの仕事は」
「それは、その。たまにはいいじゃない」
へへっと笑い、辺りを見渡す。
槍?
……ああ、やり投げのか。
取りあえず手に取り、腰でためる。
「せっ」
重いが、扱えない事もないな。
少し長い分、バランスを気を付けないと。
「あなたは何をしてるの」
「面白いなと思って」
「馬鹿」
持って行かれる槍。
面白くないな。
その内買おう。
いや、ショウの実家に拝領した奴がある。
あれで、少し練習しよう。
してどうするのかって話だけど……。
「んー、これは」
長い棒。
かなり、長い棒。
棒高跳び用のポールだ。
ふーん、意外と軽い。
しなりもあるし、悪くない。
ちょっと、やってみよう。
「本気?」
「当然」
コーチから簡単なレクチャーを受け、ポールを持ったまま走る練習を数度。
バーの高さを2mにしてあるので、飛べなくても問題ない。
「行きます」
「どこにでも行ってよ」
素っ気ない見送りを受けて走り出す。
ややぶれるフォーム。
横風が気になるが、トップスピードに乗せて助走区間を駆け抜ける。
迫るマット。
ポールを下げ、地面すれすれで滑らせる。
手首に伝わる抵抗。
ポールの先端が、くぼみとなっているボックスを捉える。
しなるポール。
体を預けつつ腹筋に力を入れる。
浮き上がる体。
近くなる空。
何とも言えない爽快感。
などと感動している間もなく、横風が吹き抜ける。
ポールのしなりは無くなり、後は下へ落ちるだけ。
マットは遠く、真下には地面が見えている。
怪我をする高さではないが、落ちたいとも思わない。
仕方ないな。
「せっ」
真横にあるバーへ足を掛け、感覚だけで蹴りつける。
微かな抵抗。
当然下へ落ちるバー。
それと同時に、真横へ跳んでいく私。
横風に乗り、緩やかに落ちつつ右へ流れる。
「よっ」
左右に立っている、バーを支えている棒。
それにかろうじてしがみつき、伝って下へと降りていく。
「着地成功」
マットに降りた方が早いとも思うが、気にしない。
「あなたは、普通に生きられないの」
「怪我が無くてよかったわね、くらい言ってよ」
「反省の色無し、ね」
「というか、反省した事ってあります?」
やいやいと騒ぐニャン達。
それに必死で言い返す私。
たまにはこういうのも悪くはない。
彼女達の友人として。
元陸上部として、ここだって私の居場所なんだから。
G棟内の直属班が待機するオフィスの一室。
そこに顔を揃える私達。
広い部屋に10人以上。
何をやるのか知らないが、喉が渇いた。
「その格好は何」
「ちょっとね」
適当に答え、目の前にあったペットボトルを傾ける。
さぼって陸上部にいました、とは答えない。
誰が見たって、分かってはいるだろうけど。
「これで、全員だな」
ホワイトボードを背にして、室内を見渡す名雲さん。
「前から言っている通り、来週から他の学校に行ってもらう。やる事はガーディアンの仕事だから問題ないが、ここ程治安が良くない可能性もある」
各自の端末に転送される地図。
……琵琶湖。
「滋賀だ。日本海側程トラブルはなく、太平洋側よりは荒れてる。ちょうど良いと思ってな」
「じゃあ、僕からグループの振り分けを」
名雲さんの隣りに座っていた沢さんが、静かに語り出す。
「池上さんと名雲さんと一緒に行くのは。元野さん、丹下さん、遠野さん、木之本君、七尾君」
その情報も、端末へと送られてくる。
「舞地さんと僕と一緒に行くのが。雪野さんと、玲阿君」
なる程。
この間は別々って話だったけど、一緒になった。
だから何だという訳でもないが。
素直に嬉しい。
と、心の中だけで思う。
「それで、柳君は浦田君と」
「俺達だけ、色気無いですね」
「駄目?」
寂しげにケイを見つめる柳君。
ケイは何故か頬を赤らめ、首を振った。
「と、取りあえず二人で楽しもうか」
「そうだね」
楽しげに笑う二人。
何だかな。
「しばらくここを離れるんだから、何かあったら今の内に済ませろよ」
「何を」
「身近なところでは、寮の冷蔵庫やペットの世話。ため込んだ洗濯物や、大きな物は事前に送る」
さすがに経験者だけあり、すらすらと例を挙げる池上さん。
舞地さんは遠い目で、机を見つめている。
半分寝ているようにも見える。
「別に難しく考える必要もない。いつも以上に金をもらって仕事をするだけだ」
「僕は給料制だったよ」
「大変だな、公務員は」
苦笑し合う名雲さんと沢さん。
しかし、私は何をすればいいんだろう。
「ねえ、どうする」
「さあ、俺は別に。池上さんが言ってた、寮の冷蔵庫くらいかな」
「だよね」
ショウと二人で頷き合い、取りあえず家に帰ろうとだけ考える。
でもそれは、普段もしている事だ。
「サトミは」
「ヒカルと顔を合わせるくらいね」
「モトちゃんは」
「私もこれといって。一生いなくなる訳でもないし、一人きりで行く訳でもないから」
返ってくる、同じような答え。
ただ目を移すと、沙紀ちゃんが少し浮かない顔をしている。
「どうかした?」
「え?えと、何の話だった?」
「向こうへ行くまでに、こっちで何するのかって」
「あ、ああ。そうね。私は、そうね……」
物思いに耽るような、薄い瞳の輝き。
悩んでいるという程ではないが、何かを気に掛けているのは明らかだ。
「妹さん達の事?」
静かに切り出すモトちゃん。
沙紀ちゃんは息を付き、前髪を引っ張りながら頷いた。
「私が妹離れしてないっていうのかな。寮に住んでるから家を出てるのも同じだけど、家にはいつも帰ってるから」
「少しの辛抱よ」
「ええ」
彼女にしては珍しい、気弱な微笑み。
私は兄弟がいないのでよく分からないが、そのくらい悲しい物なのだろう。
「サトミはいいの?お兄さんと会わなくて」
「この間、一緒に会ったでしょ。モトこそ、お父さんに会いに行ったら」
「東京まで行けって?」
冗談とばかりに手を振るモトちゃん。
それは距離以外の理由もあるのだろう。
会うのは嬉しいとしても、苦い思いはしたくない。
というか、味わいたくない。
それにしても家族、か。
ひたっと私に寄り添う女の子。
何かを話す訳ではなく、何かする事もなく。
遠慮気味に、だけど決して離れようとはせずに。
「優ちゃんの妹になる?」
「うん」
可愛らしい声で、素直に頷く愛希ちゃん。
沙紀ちゃんの妹で、彼女よりは優しげで大人しい顔立ちだ。
どちらかといえば、可愛いタイプだね。
今は中1で、体型的には私より少し小さいくらい。
ちなみに私は高2。
こういう時は、神様を恨みたくなる。
「あなたは、何照れてるの」
「て、照れてないよ」
やんちゃそうな顔を赤くする真輝君。
彼は弟で、中2。
この子の方が精悍で活発そうで、沙紀ちゃん似かな。
「いつもはもっとうるさいんだけど、優ちゃんの前だと大人しいわね」
「お、俺はいつもこうだって」
「嘘」
ぽつりと漏らす愛希ちゃん。
一瞬睨みかけた真輝君だが、妹には怒れないらしく口元で何かを呟いてマグカップを傾けた。
場所は沙紀ちゃんの実家。
私の家と同じようなリビングと内装。
ハングル語で書かれた色紙が飾ってあるのが、目に付く程度。
ただ何を書いてあるのかは、この家にいる誰も読めないらしい。
わざわざ飾るくらいだから、良い事が書いてあるんだろう。
そう思いたい。
「夕ご飯どうする?」
「悪いじゃない」
「気にするタイプ?」
「多分」
二人で一緒に笑い、私は愛希ちゃんの髪を撫でた。
彼女もはにかみつつ、私に寄り添ってくる。
頼られる事を強く実感出来る瞬間。
自分よりも弱く、だけど自分を慕ってくれる存在。
沙紀ちゃんがあんな顔をしたのも、今はよく分かる。
それにこれだけ可愛ければ、余計に。
「でも、いいか。私はサトミもモトちゃんもいるし」
「二人とも、お姉さんじゃないの?」
「かな。それより沙紀ちゃん達はいいわね、楽しそうで」
「優ちゃんだって、玲阿君と一緒じゃない」
にやりと笑って返してくる沙紀ちゃん。
こっちはどうにも言いようが無く、少し唸る。
否定する気は無いが、肯定するのは恥ずかしい。
さすがにまだ、そこまでは素直にはなれない。
それでも前よりは、自分の中で認めているけど。
彼と、自分との関係を。
「彼氏?」
不意に口を開く真輝君。
「ま、まさか。ねえ」
「どうだか。本人達が否定してるだけじゃなくて?」
「へえ」
妙に頷かれた。
真顔で。
「真輝の恋は、失恋で終わったわ」
「な、何言ってんだ。お、俺は別に何も」
「あれ、優ちゃんは嫌い?」
「い、いやそうじゃなくて。その、俺はだからさ。だって、あれじゃん。年離れてるし、会ったばっかりだし」
しどろもどろの真輝君。
話題が話題なので私も恥ずかしいが、その慌てようはちょっと可愛い。
そんな余裕を持てる心境になっている、今の自分。
それだけ経験を重ね、年を取ったという事だろう。
惚れられた強み、という程強気ではない。
とにかく私にも、たまにはこういう事があるようだ。
年に何回か、くらいは。
「どうしたの」
首を振り、フォークで夏みかんをつつく。
日に何回かそういう事があるだろう、サトミの部屋で。
「用意は済んだ?」
「ええ。殆どが服ね。大きい物は、向こうで揃えた方が早そうだし」
「サトミ達は大勢で行くからいいけど、私達は少ないもん」
「いいじゃない。ショウと二人きりになれて」
くすっと笑い、マグカップを軽く掲げるサトミ。
私もそれに自分のマグカップを重ね、俯き加減に否定する。
「舞地さんも沢さんもいるから。それに、二人きりになったからどうという事でもないし」
「だけど、前よりはましでしょ」
「まあ、ね」
先日までの、彼との行き違い。
距離を置き、心が離れ。
それがこの先も続くと思っていた。
こうして一緒に旅行出来るなんて、絶対無理だと。
その時の事を考えれば、今は夢のようとも言える。
だけど。
私達が距離を置いていた事。
激しく言い合った事。
お互いの気持ちを伝え会った事。
それは紛れもない現実だ。
ローテーブルの奥にあるスティックを見るまでもなく、その事を強く実感する。
「私達はいいとしても、ケイ達はどうなのかしら」
「柳君と二人だもんね。少し心配だな」
「彼の体が?」
意味深ににやつくサトミ。
私も悪い笑みを浮かべ、二人で密やかに笑う。
「柳君も、あの子の何を気に入ってるのか。謎ね」
「良いところがあるんだって、多分」
4年以上付き合っておきながら、そう答えてしまう私。
何がいいと聞かれても、特に出てこないので。
「サトミだって、ヒカルを気に入ってるじゃない。私は、その方が謎よ」
「あ、あの子には色々と良いところがあるの」
「例えば」
「それは、えーと。ここまで出かかってるんだけど」
喉を押さえ、一人で唸るサトミ。
多分、一生出てこないだろう。
無い答えを見つけろという方が無理なのだ。
「止めた。もう止めた」
あっさりと、しかも投げやりにそう宣言した。
虚しさと物悲しさを漂わせ。
そんな人と付き合っている自分を省みたのかも知れない。
ヒカルも悪くはないんだけどね。
弟同様、良いとも言えない……。
何か空気が重くなってきたので、話題を変える。
ショウの事を突っ込まれるのも嫌だし。
嫌というのは正確ではなく、気恥ずかしい。
最近色々意識した分、彼の話題はちょっと駄目だ。
自分で考えるだけで照れるのに、人に言われるなんて。
という訳で、やるせないため息を付いているサトミの前に卓上端末を置く。
「滋賀のどこに行くの」
「え?」
長い眠りから覚めたという顔。
悪い夢、かもしれない。
当然目が覚めても、その夢が現実になるだけだけど。
「え、えーと。私達が長浜で、ケイが彦根、ユウはここね」
「近いじゃない」
「いざという時には集まれるようにしてあるのよ、きっと」
それなら最初から全員同じ所でやればいいのにと思いつつ、自分の場所をもう一度確かめる。
木之本か。
あの木之本君じゃなくて、琵琶湖北の。
日本海も近いし、悪くないかな。
「でも、しばらくは離ればなれだね」
「寂しい?」
「自分こそ」
お互いに指を差し合い、少し視線を伏せる。
ショウの事ばかりを考えていたけれど。
いつの日か、彼女と別れる時も来るのだろう。
学校を卒業し、どちらかが結婚をし、時が移っていけば。
当たり前の、どこにでもある出来事。
今までに何度と無く繰り返された事。
私にまだ、その意味すらも分からない。
理解したくないとも言える。
サトミやモトちゃん達と離ればなれになり、時折お互いの声を聞くくらいになる。
数日という間ではなく、何年も会えなくなるなんて。
あって欲しくはない。
でも、その時は必ず訪れる。
永遠に会えなくなる訳ではないけれど。
その時を想像するだけで、胸の奥が痛くなる。
切なさで心が締め付けられる。
決して避けては通れない、いつか来る未来を思うと。
「今日は、一緒に寝ようか」
「いいわね」
「いつも寝てるけど」
「そう言わないの」
声を上げて笑う私達。
その時が来るのは、遠い先の事とは思わない。
寂しいのも分かっている。
だから、一つでも思い出を作ろう。
また会った時、今に戻って語れるように。
特別な何かだけではなく、ささやかなありふれた日常の出来事を刻んでいこう。
私はその瞬間が好きだから。
その思い出も大切にしたいから。
目の前の微笑みに同じ気持ちを重ね、私はそう思い続けた……。
「せんべつ?何を選んで欲しいんだ」
すっとぼけた事を言ってくる、ガーディアン連合議長。
というか、塩田さん。
「……冗談だよ。おい、浦田。何か言いたい事でも」
「いえ、別に。先輩じゃなかったら、指の一本くらいは折ってたかなって」
「真顔で言うな。初めに言っとくけど、金はないぞ。そういうのは、大山か中川さんの所へ行ってくれ」
やっぱり。
期待はしてなかったし、最初から分かってた。
だから落胆もしないし、残念にも思わない。
「お前らな、もう少しリアクションしろ。どうしてっ、とか。下さいよっ、て」
「言ったら、出てくるんですか」
「だから、無いんだって」
無茶苦茶だ。
そりゃ私達だって、無愛想にもなる。
「元野や木之本は、そんな事言いにこなかったぞ」
「諦めてるんですよ、あの二人は。連合の困窮した財政を知ってますから」
さも情けないという顔で首を振るサトミ。
「あ、あのな。ここに金がないのは、俺のせいじゃないぞ。ガーディアン関連の予算はまず自警局に回って、その余剰というか向こうの裁量でこっちに……。誰か聞け」
一応聞いてるのはショウくらい。
ケイは眠そうに棚にもたれていて、サトミは枝毛を探している最中。
私は聞いていたと思う。
思う、というのは内容を覚えてないから。
それを人は、聞いてないという……。
「しかしお前達、大丈夫か?そんな他の学校に行くなんて」
「塩田さんも、中等部の頃行ってたじゃないですか」
「あの時は、屋神さんと一緒だった」
だから大丈夫なんだと言いたげな顔。
この前までとは全く逆の態度。
子供というか、何というか。
「ちょっと待ってろ。……おい、すぐこい。……あ、知るか」
「誰です」
「責任者だ」
少しして、顔をしかめた沢さんがやって来た。
「僕にも、多少はやる事があるんだけどね。用があるなら、そっちから来てくれないか」
「俺は仕事で忙しいんだ」
「元野さんと木之本君、の間違いじゃないのかい」
「あんた。俺達が行くのに、文句付けてたのはそれか」
鼻で笑うケイ。
塩田さんは「うっ」と漏らし、大袈裟に手を振った。
「お前、馬鹿だな。そんな訳あるか。自分が忙しくなるからって、後輩を無理矢理引き留めるなんて」
「本当。立派な先輩です事」
サトミは醒めた眼差しを彼に向け、たおやかに口元を押さえた。
「で、僕に何か」
「無いよ、もう」
「塩田さん」
情けない声を出すショウ。
それはさすがに堪えたらしく、軽く咳払いをした。
「えと、なんだ。向こうに、例の傭兵とかはいるのか」
「どうだろう。彼等はそれと知れずに入り込んでいる場合もあるから。ただ、危険な連中はいないと調査済みだ」
「危険って」
「君が総入れ歯にさせた、例の金髪君とか」
薄く笑う沢さん。
塩田さんも凄惨な笑みを浮かべ、デスクに腰掛けた。
「あんなの、大した事無いだろ」
「腕はね。ただ連中のグループは人数が多いし、手口が姑息だ」
「油断は禁物か。俺としては、そっちの方が面白いけどな」
「ひどいね、君は。僕も、同感だが」
小さく頷き合う二人。
こうしていると、彼等がかなり特殊な人間だと思い知らされる。
私も色々経験をしてきた方だが、この人達に比べればその足元にも及ばないだろう。
「その辺については、何か考えてあるのか」
「心配だったら、君も付いてくる?」
「まさか。こっちが手薄になる隙を突かれたら困る」
「昔に比べれて、随分冷静になったね」
確かにそうだ。
私達はともかく、舞地さん達がいなくなり沢さんもいなくなる。
勿論ガーディアン自体はたくさんいるものの、学校との確執を知る人は殆ど行ってしまう。
その辺りの意味も含まれているのだろう。
「阿川や風間達がいるし、大丈夫だけどな」
「雪野さん達の後輩もいるだろ」
「御剣は使えるが、他に誰が」
「元野さんの代わりに、事務をやってくれそうな子とか」
神代さんの事か。
「雪野さんの代わりになる、小柄だけと強い子もいる」
「沢さん、詳しいんですね」
「ガーディアンに関しては。それ以外の生徒は、殆ど知らないよ。浦田君と違って」
不意に名前が出てくるケイ。
だが彼は何も言わず、ただ会釈をしただけだ。
沢さんもそれ以上は話を進めず、口を閉ざした。
よく分からないが、その辺りは二人だけが知る何かがあるのだろう。
「……こんにちは」
するっと入ってる天満さん。
その後ろには、副会長と中川さんが。
「何だよ」
「餞別」
高級ホテルのアニメティグッズを、箱詰めでくれる天満さん。
私はそれをありがたく受け取り、数をチェックした。
これなら、モトちゃん達の分もあるな。
「そんなの、適当に買えばいいだろ」
「気持なの、気持。それまだ配布前のだから、後で感想をレポートでね」
「モニターじゃないですか」
軽く突っ込む副会長。
「という訳で私は、現地にスペシャルゲストを呼んでおきました」
「あ、誰だ」
「あなたは行かないから、関係ないんです」
「もったいぶりやがって。向こうに着いたら、お前が待ってるんじゃないだろうな」
驚く副会長。
もっと驚く塩田さん。
「冗談ですよ。私も、そこまで酔狂じゃありません」
「お前ならやりかねん。女装するくらいだし」
「見たくないわね」
腕を組み、それをさする中川さん。
結構真に迫った言い方で。
「そういう気持ち悪い話はいいから、みんな気を付けなさいよ」
「あ、はい」
「しかし武者修行なんて」
「研修だよ、中川さん」
沢さんの指摘に彼女は「同じよ」とあっさり返し、ため息を付いた。
「沙紀も連れて行くんでしょ」
「心配かい、従兄弟の身の上が」
「当たり前じゃない。私の跡はあの子に継がせようと思ってたのに。仕方ない、愛希ちゃんを引き取るか」
あの子は私の物だと内心で応え、取りあえず笑う。
そんな私の心を悟ったように、中川さんも笑う。
少し、すごみを加えて。
「何してるの、二人とも」
「別に」
「何でもないです」
十分何でもある素振りで顔を逸らす私。
油断ならないな、この人も。
「近畿庁と教育庁の知り合いには連絡してあるから、何かあったらそっちにね」
「あ、はい」
「君も過保護だね」
「何とでも言って。沙紀が拉致される事を考えれば、このくらいは当然よ」
かつて傭兵に拉致された経験がある中川さんはそう言い切り、沢さんを睨み付けた。
「僕は傭兵じゃないよ。やってる事は同じだけどね」
「あなたや伊達君をどうこう言うつもりはない。あのワイルドギースとかいう子達もね。だからってああいう連中がいる所へ従兄弟を送るのを、納得した訳じゃないのよ」
厳しい口調で言い返す中川さん。
沢さんは肩をすくめ、塩田さんを振り返った。
「俺だって、納得はしてないさ。試練が人を育てるばかりじゃない」
「どうも僕の案は、評判が悪いな。いっそ、取りやめにする?」
「まさか。こいつらがいないと何も出来ないなんて思われたら、たまった物じゃない」
「どっちなのよ」
苦笑気味に突っ込む天満さん。
「さあな。別に俺が行く訳じゃないし、せいぜい頑張ってくれ」
「だそうだ。出発は明日だし、準備は」
「ええ、なんとか」
「じゃあ、今日は早く休むといい。興奮して、夜更かししないようにね。雪野さん」
どうして私だけ。
とは聞かず、みんなの笑い声を聞く。
ああ、分かってる。
そんな事。
生まれてきてから、死ぬまでずっと……。
翌朝。
車に荷物を詰め込み、頭の中で忘れ物をチェックする。
多分無い。
いざとなれば、100km走ればいいだけだ。
などと、前向きに考える。
忘れ物を前提にする事自体、後ろ向きとは考えずに……。
「どう?」
「準備完了。後は、出発するだけよ」
自分達の車を指差すサトミ。
大きなRV車で、名雲さんがフロントガラスを拭いている。
「大人数でいいね」
「またそれ?それなら、あの子達はどうするの」
RV車の後ろ。
停まっている、2台のバイク。
ケイと、柳君のだ。
「本気で、あれでいくの?」
「滋賀なんてすぐそこだし、この方が楽だ」
「ショートツーリング」
即座に返ってくる答え。
ライダーズジャケットと厚手のジーンズ。
バイクのリアシートには、大きめのバックパックが付けられている。
「米原までは一緒よね」
サングラスをずらしてこちらへやってくるモトちゃん。
どうやら、彼女が運転するらしい。
名雲さんか七尾君がすればいいと思うけど、サトミよりは何百倍かましだ。
「しばらく会えなくなるけど、泣かないでよ」
「大丈夫、昨日泣いたから」
「ね」
「あ、なる程」
笑って手を取り合う私達。
その間に、全ての準備が整ったようだ。
「おーい、行くぞー」
叫ぶ名雲さん。
サトミとモトちゃんは私の肩に軽く触れ、彼の元へと走っていった。
私もそれを見届け、自分達の車へと向かう。
寂しさだけではない、心がときめくような気持。
今までとは違う場所。
知らない土地への。
震えにも似た、出立の時への高ぶりかもしれない……。
幹線道路を西へ走る私達。
米原で分岐する道路。
名雲さんと私達は右へ。
ケイと柳君のバイクは左へと曲がる。
遠ざかっていく二つのシルエット。
その姿は、すぐに消えて無くなっていく。
北上する2台の車。
やがて先を行く車が、右へと曲がる。
私達は直線を行く。
離れていく車。
遠ざかる距離。
一台となり北を目指す私達。
胸に募る寂しさ。
隣でショウが運転をしていても。
後ろに舞地さんと沢さんがいても。
今の寂しさは埋められない。
いつか会える。
すぐに会えると分かってはいても。
子供のような悲しさは消え去らない。
人との別れを殆ど経験しない私にとっては、何よりも辛い事。
ショウと行き違いになった時も違う感情。
彼女達が私にとってどれだけ大切な存在だったかを、改めて実感する。
だからせめて。
彼女達にもそう思われる存在でありたい……。
「大きいなー」
両手を広げ、何度か手を振る。
別に意味はない。
強いて言うなら、琵琶湖の大きさを表現した。
悲しいのは悲しい。
感動は感動。
そういう物だ。
などと、自分に言い訳をする。
「学校はまだ?」
「もう着くよ。その前に一休みと思ってね」
「あ、沢さん」
コーヒーの香りがする紙コップを片手に、湖岸に降りてくる沢さん。
車はドライブインに止めていて、私とショウもペットボトルを地面に置いている。
「舞地さんは」
「寝てるよ」
「あの人は、いつまで寝てるんだ」
「体を休めてるの」
強くショウに言い返し、お茶をがぶ飲みする。
どうして私が言い訳をと思いながら。
「危ない学校なんですか?」
「どこだろうと、君達なら問題ない」
「はあ」
「生徒達の体質には、問題があるが」
意味ありげに呟く沢さん。
「どういう意味ですか」
「行けば分かる。色々と」
「また、もったいぶって」
「確かにそうだ」
珍しく笑い声を上げ、沢さんは足元の石を湖面へ蹴り入れた。
波立つ水面に波紋が広がり、それはやがて消えていく。
「君達は今度行く学校にどう影響出来るのか。それとも、されるのか」
「今の石のように?」
「ああ。僕や舞地さんはもう、影響なんてされないけどね」
薄い、感情のこもらない微笑み。
舞地さんも時折見せるような。
「さてと、どう思う?」
「駐車場ですか?」
「鋭いね、さすがに」
ショウに頷き、沢さんが景色を眺めるように私達の耳元へささやきかけた。
「この手の仕事に、監視は付き物だ。教育庁のチェックだけではなく、学校側のが」
「それは、誰が」
「勿論、僕達の存在が邪魔な連中さ」
今の状況を楽しむような表情。
生き生きとした、学校では見た事のないような。
フリーガーディアンとしての本質を、わずかだが垣間見た気分である。
「何にしろ、大した事じゃない。相手の出方も少し分かったし、そろそろ行こうか」
「あ、もしかして。そのために、休憩を」
「さあ、どうだろう」
傾斜になっている湖岸を登っていく沢さん。
やはり読めない人だ。
それとも、私達が単純過ぎるのか。
どちらにしろ中川さん達が言っていた通り、警戒は必要だろう……。
大きな道路から路地へ入り、少し進んだ頃。
長い塀と、その向こう側に見える緑色のネット。
塀の途中にある門からは、広いグラウンドが現れる。
私達の高校よりはかなり狭い敷地。
休日なので、生徒らしい姿は殆ど見られない。
その辺りも、私達の学校とは違う点だ。
「ここ、ですか?」
「ああ、まずは偵察を」
ナビの画面に映る映像。
学校の俯瞰図。
それがズームされ、赤い車がその周りを走っている。
「あれ」
「これって」
間違いなく、私達の車である。
だけど映画じゃあるまいし、こんなシステムなんて。
「沢のだ」
いきなり後ろから声が掛けられた。
「え?」
「フリーガーディアンなら、監視衛星の画像くらいは閲覧出来る」
まだ眠そうな舞地さん。
その体をようやく起こし、何気ない表情で学校の塀を眺めている。
「ここは?」
「あ、あのね。もう着いたのよ」
「あ、そう。すぐだったな」
もういい。
2時間をすぐと言うような人は。
「滋賀、か」
「どうかしたの」
「別に」
十分何でもあるという口調。
ただ無理して聞く事でもないので、私はナビを操作した。
寄る。
まだ寄る。
窓から手を出す。
それも見える。
「これすごい」
「雪野、おもちゃじゃない」
「いいじゃない。ふーん、悪い人の監視とかに役立ちそう」
「誰の話だよ」
運転席で、人のいい笑顔を浮かべるショウ。
あなたはねと、内心で答えて画面を変える。
長浜付近。
ある高校の駐車場。
そこに停まる1台のRV車。
はっきりとはしないが、何名もの人間がその周りに見えている。
「はは、これサトミ達じゃない?」
「止めろよ」
「止めない。えーと、ケイ達は」
画面を彦根方面へと移す。
バイク、バイクと。
これは違う、これも。
えー、これか。
「あっ、画面が消えた」
「衛星が上からいなくなったんだよ」
「彦根の上から?」
「東アジア上空だ。衛星が、どこを飛んでると思ってる」
呆れたように指摘する舞地さん。
そのくらい私だって知ってる。
地球の上だ……。
「事前の配置とも違いない。特に問題はないね」
「入れ物は問題なくても、入ってる人間は?」
「辛辣だな」
「同じ事を考えてるくせに」
牽制とも付かない会話。
私には何も分からないが、学校に入れば少しは理解出来るだろう。
全てはそれからか。
「よろしくお願いします」
丁寧に挨拶をする男性。
広い、執務用らしい部屋。
彼以外にも数名の男女がいて、一斉に頭を下げてくる。
「よろしく。契約は済んでいるから、今からでも動くけど」
「いえ。今日は生徒が殆どいないので。明日以降に」
「分かった。それで僕らの権限は、警務委員長と同等でかまわないよね」
「はい。そういう契約ですので」
警務委員長とは、草薙高校でいう自警局長らしい。
そんな権限を許していいのかと思うが、彼等は納得しているようだ。
「報酬の方なんですが、残りはみなさんがここを発たれる際という事で」
「支払いさえしてくれれば、問題ない」
「はい、それは必ず」
即座に頷く男性。
彼は警務委員長。
他の人達は警務委員会の幹部との事。
ただ沢さんが報酬をもらうと口にしたのは、彼がフリーガーディアンの身分を隠しているため。
理由はよく分からないけど、何かの考えがあるんだろう。
「僕達の仕事はガーディアンのサポートで、期間は2週間。それも、大丈夫だね」
「ええ。現在発生している、生徒同士の抗争を抑えて頂けたら」
「レポートは読んだ。報酬に見合うだけの仕事はしよう」
笑顔を浮かべる警務委員会のメンバーに頷く沢さん。
彼はそのままドアへと歩き出す。
舞地さんも。
当然私達も、慌てて続く。
「どう思う?」
「さあな。よその学校が何やってるなんて、全然知らないから」
廊下を歩く彼等の後に従いながら、ショウと話す。
同じ学校なので雰囲気は同じだが、多少汚れが目立つ。
「抗争なんて、自分達でどうにかすればいいじゃない」
「助けが欲しい程揉めてるんだろ。ユウとサトミみたいなのが、大暴れしてるとか」
「何よ、それ」
鳩尾へ裏拳を当て、舌を鳴らす。
「だからだ」とささやきが聞こえたけど、気にしない。
固い腹筋だなと思うくらいで。
「舞地さんはどうなの?」
「こういう学校は珍しくない。おそらくこれ以上荒れると、学校が警備会社を導入する。だからそれを阻止するために、私達を雇った」
「生徒の自治を守るため?」
こちらを向く舞地さん。
その口元が、微かに緩む。
「そういう発想を出来るから、草薙高校の生徒は評価が高い」
「え?」
「すぐに分かる。それと、連中とはあまり親しくならない方がいい。後で辛い」
「別れっていう意味?」
舞地さんは首を振るが、答えを返してはくれない。
「沢さん」
「聞かない方がいい事も、世の中にはたくさんある。多分そういう経験を、君達はここで幾つもするよ」
「そうでしょうか」
「どこにでもある学校、どこにでもいそうな生徒達。彼等の考えもまた、どこにでもありそうな発想だから」
全く答えになってない沢さんの言葉。
だが舞地さんは苦笑気味に頷いている。
「契約の確認は済んだ。後はホテルに戻って、体を休めよう」
「はい……」
「試練が人を育てるとは限らない、か。塩田君の考えも、あながち間違いじゃない」
自分に言い聞かせるようにそう言って、沢さんは窓へ遠い眼差しを向けた。
そこから見える景色ではなく、もっと遠い何かを見るように。
彼が時折浮かべる、思い詰めた表情。
意味の分からない言葉。
その答えの幾つかは、ここにあるのだろうか。
私達がここへ来た意味もまた。
何が待っているのかは知らないが、覚悟はしておこう。
彼等の思いに応えるため。
勿論、自分自身のためにも。
きっと彼等がそうだったように、悲しみをも糧に出来るように。