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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第14話
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エピソード(外伝) 14 ~ショウ視点~






     自信




 人気のないオフィス。

 ラックや机の上は綺麗に片付けられている。 

 それが却って、生活の跡を感じさせなくする。

 ついこの間まではあったはずの顔。

 絶え間ない笑い声と会話も。

 何もかも。

 その原因は何なのか。

 いや、誰のせいなのか。

 俺はドアの脇にある壁に拳を叩き付け、その痛みを感じていた。




 活気あるオフィス。

 その受付から少し奥に入った、小さな部屋。

 山になった書類を、マニュアル片手に片付けていく。

 慣れない仕事だが、何かやっていないと落ち着かない。

「何してるの」

 開いているドアの前から声を掛けてくる木之本。

 俺は書類の山を指差し、冗談でも言おうと笑いかけた。

「そんな事は聞いてない」

 いつにない厳しい口調。 

 穏やかな顔が強ばり、熱を帯びた瞳が俺を捉える。

「勿論、僕が口を挟む事じゃないのは分かってるけど」

「いや。別に」

「じゃあ、どうしてここにいるの」

 諭すような口調。

 俺は何も答えず、そのまま視線を逸らした。

「玲阿君っ」

 辺りへ響く怒声。 

 木之本の後ろを誰かが通り掛かったが、それにも構わず木之本はドアを拳で叩いた。

「叩くな」

「僕だって、こんな事は言いたくない」

「だから、俺は」

「言い訳を聞いてるんじゃないっ」

 再びの怒声。

 普段のこいつからは、想像も出来ない激しさ。

 その理由は勿論俺にあり、怒っているのも俺を思ってこそだろう。

 勿論、それだけではないはずだが。

「玲阿君が何をしたっていいよ。でも、雪野さんは別だ」

「それは」

「人の気持ちを傷付けてまでやる事なんて、何の意味もないよ。違う?」

 答えようもない言葉。

 しかしこっちにも、言いたい事の一つや二つはある。

「俺だって、自分のやりたいようにする権利はあるだろ」

「どうしようと、それは構わない。はっきり言えば、僕達にもそれを止める権利はない」

「だったら」

「雪野さんは別だと言ってるんだよ」

 小さくなる声。 

 しかし、怒りを抑えたような雰囲気は変わらない。

「分かってる」

「何を……。雪野さんを大切にしないでどうするんだよっ」

 突然の絶叫。

 少しは抑えたつもりだろうが、俺は思わず後ずさった。

 それは声の大きさにだけではなく。

 彼の気迫に圧されて。

 いや。その思いだろうか。 

「……ここにいるのは構わないけど、雪野さんの事はちゃんと考えておいて」

「え、ん。ああ」 

 曖昧な返事にまなじりが上がりかける。 

 たださすがに度が過ぎたと思ったのか、最後に念を押すような顔をして去っていった。

 誰もいなくなる部屋。 

 そこに一人残り、ため息を付く。

 そんな事は、言われなくても分かってる……。



「終わった」

「お疲れ様」

 書類の束を受け取り、ケースへ収めるモト。

 そのまま帰ろうとしたら、すぐに声が掛けられた。

 また説教か。

「もう何も聞きたくない」

「怒られたんだって?あの子も、あなたに向かってよくそんな事したわね」

「何が」

「学内最強とも言える玲阿四葉を人前で怒鳴りつけるなんて、普通はやらないの」 

 分かりやすい説明。

 そういう自分は、普段から俺を怒ってる気もするが。

「何よ」

「いや、別に」

「私はあなたを思って、いつも注意してるの。サトミみたいに、楽しんでる訳じゃなくて」

 言ってる端から、楽しそうに笑うモト。

 しかし俺は笑う気分ではなく、取りあえず笑顔を作った。

 自分でも分かるくらい、頼りないものを。

「元気ないわね」

「そうかな」

「自分の道を見つけた人にしては」

 皮肉めいた言葉。

 そんな事を言われては、笑うしかない。

 今度は、苦笑だが。

「何をするのか知らないけど、少しは元気出したら」

「今までと違う事をやる訳じゃない。ただ人任せにしたくないというか、自分でももっと積極的にやりたいだけだ」

 書類の中から抜き出した1枚が、鼻先に突き付けられる。

 必要事項を書き込む欄。

 一行だけ書かれている文字。

「こういうのにも、やる気を見せて」

「分からないから、書きようがない」

「あなた、中等部からガーディアンでしょ」

「事務は管轄外だ」

 いい加減な事を言って、書類を手に取る。

 当然だが管轄外ではなく、俺もやる必要のある仕事。

 今までは、周りが肩代わりをしてくれていた。

 今は、誰もいないが。

 とはいえ、何を書けばいいのかくらいは分かる。

 どう書けばいいのかが分からないだけだ。

「気合いだけじゃ、どうにもならないわよ」

「分かってる」

「だったら頑張って。これは私の方でチェックして、あなたに返すから」

 出来の悪い子供を諭すような言い方。

 ただそれは間違ってはいなく、俺は殊勝に頷いてため息を付いた。

 空回りしている自分のやる気に対しても……。



 再び目の前に現れる書類の山。 

 赤いラインと、綺麗な文字での修正。

 それを頼りにマニュアルを開き、新しい書類を作っていく。

 実際にはモトが手直した時点で提出済みになっていて、この分は俺への宿題というか練習用だ。

 また彼女の言う通り、こういう事もやった方がいいのは分かっている。

 今までのようにサトミやケイへ任せっきりではなく、自分が何をやっているのかより正確に知るためにも。 

 自分の責任から逃れないためにも。

「……何してるんです」

 少しからかい気味の声。

 顔を上げると、武士が楽しそうな顔で笑っていた。

 御剣武士みつるぎ たけし

 俺とは遠縁に当たる、同じく古武道宗家の息子。

 精悍というよりは野性味を漂わせた風貌。

 体格は俺よりやや小さいが、体力では殆ど変わらない。

 その実力においてもまた。

「書類を直してる」

「そんな事もやるんだ」

「一応はガーディアンだからな。お前は、何しに来た」

「塩田さんが、学校の配置を覚えろって言うんで」 

 見せられる、学内の地図が表示された端末。

 こいつは新入生。

 しかも雑な性格なので、大切な事だと思う。 

「暇なら一緒に行こう」

「俺は忙しい。勝手にどこでも行け」

「冷たいな。大体、四葉さんこそどうしてここに。雪野さん達は?」 

 矢継ぎ早な質問。

 空気を読まないというか、ストレートというか。

 普段なら素直だなと笑えるところだが、今は無遠慮という言葉しか思いつかない。

「黙れ」

 やや威圧気味に答え、軽く睨む。

 すぐに顔を強ばらせた武士は、ぎこちなく頷いて少し下がった。

 冗談でやってる部分もあるだろうが、こいつは必要以上に俺に引け目を感じている。

 俺の実家と武士の実家が宗家と分家に近い関係なのも、理由の一つだとは思う。 

 実際には俺に勝てない事が、内心でかなり堪えているらしい。

 俺からすればその差は殆ど無いと思うが、そういう部分を持っているのは正直可愛くも思えてくる。


 ただそれはそれ。

 釘を刺しておいた方がいい。

「……サトミとかはともかく、ユウには聞くなよ」

「どうしてです」

「聞くなと言ったら聞くな」

 素直に頷く武士。

 しかしそれを聞く奴でないのも、十分に分かっている。

 本当に気楽というか、深く考えないと言うか。

 それでも、俺みたいにいつまでも悩みを引きずるよりはましだろう……。     




 訳もない苛立ちを抑えつつ、廊下を歩いていく。

 進まない仕事、木之本や武士の事。

 それらは実際は、大した事じゃない。

 胸のつかえの殆どを占めている、たった一つを除いては。

 食堂の入り口辺り。

 普段から人の多い場所だが、何かを臨時販売しているのかいつも以上の賑わいを見せている。 

 大勢の人と話し声。 

 全てが邪魔で、ただの雑音にしか聞こえない。

 我ながら荒んだ考えだが、今は人を構っている余裕もない。

 深呼吸して気持ちを落ち着け、人混みを避けながら自販機を目指す。

 前からやってくる、大柄な男達。

 派手な服装と、偉そうな態度。 

 辺りを威嚇するような顔付き。

 その一人と目が合った。

 中等部の頃なら、それだけで突っかかって行くところだ。

 今もそれに近い気分だが、どうにか自制して視線を逸らす。

 しかし向こうも、俺とは大差ないらしい。

 明らかに変わる体の向き。

 大勢の人混みがいる中で、俺へと近づいてくる連中。

 今すぐ逃げる事は簡単だ。

 人混みへ紛れ込むのも。

 だが、それをする気はない。

 馬鹿と言われようとどう思われようと。

 敵に背中を見せるなんて考えは、生まれついた時から持ってない。


 当然と言うべきか、わざとらしく肩を寄せてくる男。

 十分相手が踏み込んだのを確認して、肩を下げて前に出る。

 空かされた格好になった男はその場でつんのめり、床へと転がった。 

 仲間から上がる失笑。

 周りからも、抑え気味だが笑い声が漏れる。

「てめえ」

 顔を真っ赤にしていきり立つ男。

 自分で何をしたのか考えるという真似はしないらしい。

「ふざけやがって。お前、名前は」

 以前から思っていたが、それを聞いてどうするつもりなんだ。

 どちらにしろ馬鹿に名乗る程は人がよくないので、肩を回して準備を始める。

「な、なんだ。やる気か?」

「元々そのつもりなんだろ。来ないなら、こっちから行くぞ」 

 少し腰を落とし、低い姿勢で前に出る。 

 まさかそこまで好戦的な態度で来るとは思わなかったのか、男達は戸惑い気味に後ずさった。

「ちょ、ちょっと待て」

「話は後で聞いてやる」

 周囲から起きるざわめきと歓声。

 逃げ腰の男達。

 怯えた顔。

 そのどれもが苛立ちを増させる。 

 下らない。

 勿論、こんな事をやっている自分が。 


「セッ」 

 懐に手を入れた男へ駆け寄り、足を振り上げてその手ごと押さえつける。

 このまま蹴り飛ばそうとも思ったが、かろうじて自制した。

 怪我をさせないようにとか、やり過ぎだと思った訳じゃない。

 知り合いと目が合ったからだ。

「元気いいな」

 何とも楽しそうに笑う名雲さん。

 その背中から出てきた柳君は、警棒を抜いて男達の顔へそれを突き付けた。

「僕も混ぜてよ」

 返る手首。 

 舞い上がる髪の毛。

 切れた数本が床へ落ちるのを見たのは、本人だけだろう。

「お前らは、全員帰れ」

「で、でも」

「続けたいなら止めないぞ。その時は、当然俺も加わるけどな」

 すごみを増す笑み。 

 ガーディアンとは根本的に違う、ひりつくような威圧感。

 男達は即座に首を振り、体を小さくして野次馬の間をすり抜けていった。 

 その野次馬達は名雲さん達の行動を見て満足したのか、やはりすぐに散っていく。

「君は何してるの」

 名雲さん同様、楽しそうに笑う池上さん。

 その隣にいるのは、舞地さん。

 彼女はキャップの鍔越しに、咎めるような眼差しで俺を睨んでいる。

「真理依、怒らないの」

「怒ってない」

「ここでは何だから、場所を変えましょ。名雲君、その子を連れてきて」



 やって来たのは、直属班の待機室。 

 俺も普段から出入りしている場所ではあるが、今はそれ程居心地がいい訳ではない。

 笑っているのは名雲さんと池上さん。

 柳君は元気なくテーブルを見つめ、舞地さんは相変わらず俺を睨んでいる。

「雪野がどうしてるか知ってるか」

 直接的な質問。

 弱々しく首を振ると、舞地さんはキャップを取りその鋭い瞳へさらに力を込めた。

「……済みません」

「私に謝ってどうする」

「済みません」

「脅すなよ、お前は」

 やはり笑う名雲さん。

 俺は何も言いようがなく、頭を低くする。

「それで結局、何がしたいんだ」

「みんな同じ事を聞くけど、別に違う事をするつもりじゃない。ただ、もう少し自分の意見を持とうと思って」

「意見ね。気持は分からなくも無いけどな」

「そんなのは持たなくてもいい」

 断定してくる舞地さん。

 鋭い視線は一向に止む気配がない。

「舞地、睨むな」

「だって」

「そんなに雪野が可愛いのか」

「そういう意味じゃない」

 頼りなくなる口調。

 逸らされる視線。

 そこまで思ってくれる人がいる事に改めて気付く。 

 今さら、しかもこんな形で知ってしまう事にどんな意味があるのかは分からないが。

 俺が間違ってるのだろうか。

 自分で考える。

 自分でやってみるという事が。

 俺には出来ないのだろうか。

 こうして人を傷付け、自身の気持ちを揺らがしてまでする事なのだろうか。

 どうしてこんな事に。

 いや。

 俺は何のために、そうしようと思ったんだろう……。



「新入生の指導?」

「ええ。得意でしょ、そういうの」

「人に教える程、何かを知ってる訳じゃないんだけど」

「今日は控えめなのね」

 くすくす笑う丹下さん。

 ユウ達から避けるために、俺が立ち寄っている場所の一つ。

 勿論彼女達がここにいる時は、素早く立ち去っている。

「ガーディアンの指導法じゃなくていいから、玲阿君の好きにやって」

「アバウトだな、随分」

「自分の考えで頑張って」

 皮肉というより、からかいに近い表情。

 どちらにしろ、こちらとしては返す言葉がない。

「ふーん。俺もなんかやりたいな」

「体育館倉庫の掃除っていうのがあるわよ」

「あの、山下さん。それは、雑用と言うんでは」

「得意だろ、物を片付けるのは」

 楽しげに笑う、阿川君と山下さん。

 二人はG棟の副隊長であり、丹下さんにとっては中等部からの先輩にあたるらしい。

 だから彼女もこの二人を頼っている様子で、時にはどちらが隊長か分からない時もある。

「なんか、暴れたいなー」

 ふざけた事を言ってる七尾君。

 もう少し落ち着いている人間かと思ったが、こうして一緒にいるとどうも違う気がしてきた。

 ユウ程ではないが落ち着きが無く、考えるより動くタイプらしい。

 見た目もこうしていると、年齢以上にあどけなさを感じる。

「自分のオフィスにいなくていいの?」

「沢さんがいるし、外にいた方が気楽だろ」

「仕事してよね」

 苦笑した丹下さんは書類を俺に差し出し、卓上端末の画面をこちらへと向けた。

「そっちのリストにもあるけど、全員格闘技経験が無いの。それは一応、覚えておいて」

「ああ」

 面倒と思う人もいるだろうが、逆におかしな癖が付いていなくて俺としてはやりやすい。

 なまじ格闘技をかじっていて、調子に乗る奴もいるし。

「それと、手当が出るから覚えておいて」

「いい、そんなの」

「規則なのよ。働いた人には報酬が出る。当然とも言うわ」

「だってさ」

 気楽に笑う七尾君。

 皮肉を言われていると分かってるんだろうか。




 床へ膝を付く大勢の男女。

 喘ぎ声とむせかえるような熱気。 

 恨みがましい視線も感じる。

「もう終わりか」 

 やや厳しめに声を出し、室内を見渡す。

 動いているのは、ほんの数人。

 それ以外はすでに、気力すら使い果たしているようだ。

「10分休憩だ」 

 少しだれる空気。

 力無く立ち上がった彼等はよろめくようにして壁際へ寄り、ペットボトルに手を付けた。

 しかし中にはそれすら受け付けない者もいて、激しくむせ返している。

 運動能力を見るついでに軽く筋トレをやらせたが、結果は資料のデータと大差ない。

 逆を返せばこれからの可能性がある訳で、十分に期待出来る。

「……やり過ぎじゃないのか」

 俺の隣で笑ってる七尾君。 

 額にうっすらと汗は浮かんでいる物の、疲れた様子はまるでない。 

 ペースとしては俺とほぼ同程度。

 新入生の3倍の速度と回数でやった上での結果でもある。

「俺に任されたんだから、俺のやりたいようにやる」

「あ、そう。俺はいいけどね。それに、昔を思い出す」

 遠い、過去を懐かしむ眼差し。

 厳しい訓練をした後での。

 彼が何を思い出しているのかは知らないが、その気持は十分に理解出来る。

 汗を吹き出して、息を荒くして、動く事もままならなくなって。

 それでも体を動かし、意識を前に持っていく。

 自分でも馬鹿馬鹿しいと思いながら。

 こんな事に意味があるのかと何度も思いながら。

 止めようとはしない自分。

 そして、教え続けてくれる人がいた。

 肩を並べ、その苦しさを共に耐える人も。

「恨みを買うんじゃないのか」

「慣れてるさ」

「さすが玲阿四葉は、言う事が違う。俺も、学校最強の座でも狙おうかな」

 無造作に突き出される右の拳。

 一見雑とも見えるフォーム。

 しかしそれはガードを捨てた、一撃に賭ける動きに近い。

 かするだけで、相手のガードもろとも吹き飛ばすだろう。

「……と、10分経った」

「分かった。始めるぞ」

 ため息混じりに立ち上がってくる新入生。

 恨みがましい視線はそのままで。

「大丈夫かな」

「いいよ。恨まれるのは俺だから」

「それは助かった」

 横からは気楽な笑顔、前からは刺すような視線。

 俺は何一つ気にしてないという顔で、トレーニングの再開を告げた。



 学校近くのファミレス。 

 すでに時間は夕食時を過ぎていて、客はカップルや若者が中心となっている。

「しかし、あのペースでやる気か」

「別に無理はさせてない」

「ある程度経てば、それに気付くだろうけど。でも、あの子達は全くの素人だろ」

 先程よりは意味ありげに笑う七尾君。

 俺はほうれん草カレーを一気に頬張り、ナンをかじった。

「付いて来れないなら、ガーディアンなんて辞めた方がいい」

「厳しいな」

「違うか?」

「さあね。それで育つ奴もいれば、駄目になる奴もいる。その駄目になった奴に素質がないとは、玲阿君だって言い切れないだろ」

 意外と鋭い質問。

 ただ俺の返事を聞く気はなかったらしく、顔を伏せてパスタをすすりだした。

「俺にも一応は考えがある」

「なる程ね。でも、言わないと伝わらないぞ」

「それは」

「仲間内は別さ。それこそ雪野さん達なら、何も言わなくても分かってくれる事の方が多いだろう。でも、そういう人達でも何もかも理解してくれる訳じゃない」

 最近の出来事を踏まえてだと思う発言。  

 今までそれ程親しくは無かったが、俺達の関係は理解しているようだ。

 それも、かなり的確に。

「ただ、俺も分からなくは無いんだ。こう自分でやってみたいっていう話は」

「え」

「俺の周りも、出来のいい人間ばっかでさ。勿論玲阿君が駄目てっ訳じゃなくて。どっちかと言えば力押しのタイプだろ。そうすると自分では深く考えなくても、周りが勝手にやってくれる。でも、ふと気付くんだよ。これでいいのかなって」

 心の深い部分に触れる内容。

 正直驚きと戸惑いを感じ、彼を見つめる。

「中等部の頃は、特に先輩がすごくてさ。峰山さんとか」

「ああ、退学した。というか、俺達が悪いんだけど」

「いや、あの人達は納得して辞めてると思う。それはともかく、とにかく出来るんだよ向こうは。そうすると俺は力があるだけの人形かって話になる。当然向こうにそんな気は無いとしても」

「鋭いな、どうにも」

 思わず笑い合う俺達。 

 他の人間からすれば、どうして悩むのか分からない話だろう。

 だが本人にとっては切実な、自分の存在意義なんて言葉すら使いたくなる程の事だ。

 現状に不満があるというより。

 自分でもやれるんだと周りに示したい。

 ただのでくの坊ではないと。 

 そうであって欲しいと、願望を込めている部分もあるが。

「どっちにしろ、楽じゃないけど」

「覚悟の上さ。七尾君も、そうだったんだろ」

「そのなれの果てって奴。同期の丹下さんなんて、G棟隊長だもんな」

「俺だってモトが同期だけど、あの子もG棟隊長だ」

 お互いの口から漏れる、頼りない笑い声。

 かわされる、共感めいた視線。

 それにようやく気付いた俺と。

 一足早く気付いている彼。 

 どこかでつながっているはずの、その思い。




 何かと風当たりの強い学内だが、休日になればそういう事もなくなる。

 はずだ。

 自宅ではなく、玲阿家の本宅。

 広いリビングの隅に、何故か正座をさせられる。

「あの」

「何だ」

「どうして正座を」

「板の間じゃないだけ、ましと思え」

 腕を組み、真上から見下ろしてくる父さん。

 笑っているようにも、怒っているようにも見える。

「雪野さんは、最近どうしてこない」

「いや。俺に言われても」

「貴様。俺が軍で何をやってたか、教えてやろうか」

 ポケットから出てくるペンチ。

 それが頬の辺りに当てられる。

「何してるのよ」

「決まってるだろ」

「馬鹿」 

 姉さんはペンを強引に奪い、それをテーブルへと置いた。

 かなり力強く。

「大体お父さんは、ただの歩兵でしょ」

「将校だ、俺は。ただ拷問は、兄貴の方が得意だけどな。元情報将校の方が」

「私も拷問は苦手ですよ。やってやれない事はありませんけどね」

 ペンチを手にして、薄く微笑むおじさん。

 見ない方が良さそうだ。

「あの子は私の弟子でもある。お前は、それを分かってるんだろうな」 

 冗談抜きで、射殺すような視線を向けてくるお祖父さん。

 重々しい、体の奥に食い込んでくるような口調。 

 俺は体を小さくして、口元で呟いた。

「何か、言いたい事でもあるのか」

「い、いや。ただ俺だって、自分のやりたい事がある」

「ほう。何をだ」

「何をっていうか。自分で考えて、人にも頼らないで」

 意外そうないくつかの顔。

 お祖父さんは鼻で笑い、ソファーへと大きくもたれた。

「口では何とでも言える。だがその結果が、これだろう」

「そうだけどさ。俺だけが悪いのか」

「そういう事は、わしに聞くな」 

「じゃあ、誰に聞くんだよ」

 顔を逸らすお祖父さん。 

 父さんは俺を見下ろすだけで、姉さんは初めから知らない素振りである。

「そんな事は、自分で考えなさい」 

 厳しく言い放つ母さん。

 隣では伯母さんが、にこにこ微笑んでいる。

 妙な迫力がこもっているような気もするが。

「お、俺はそのつもりだ。だけどみんながあれこれ言うから」

「あなたが原因でしょ」

「だけど」

「こっちが恥ずかしくなるわ」 

 その言葉に、楽しそうに笑うみんな。 

 何がおかしいのか分からないし、こっちとしては何も楽しくない。

「よう、青春野郎」

 入って来るなり大笑いする風成。

 それにはさすがにむっとして、きつく睨む。

「おじさん、しつけがなってない」

「人の息子をからかって、その台詞か」

「自分は正座させてるだろ」

「父親の特権だ」

 胸を張る父さん。

 一体、どっちなんだ。

「他の子も来ないのか?」

「この馬鹿のせいだ」

「だから俺は」

「お前に発言権はない」

 楽しげな笑顔と笑い声。

 いつ果てるとも尽きない会話。

 何が面白いのか分からない。 

 俺一人を置き去りにした……。



 例によって、山のような書類。

 そしてマニュアル。

 それを片手に、空欄を埋めていく。

 地味で、精神的に疲れる作業。 

 今までやってこなかった、しかし現場と同じくらい大切な事。

「そんなの、他の人に任せたらどうです」

「え」

 あごを反らし気味に微笑む矢加部さん。

 俺がこうなった原因の一つ。

 いや、原因は全て俺にある。

 彼女は普段通りの自信に満ちた表情で、俺の前に座った。

「事務仕事なんて、玲阿君がわざわざやらなくても」

「上から言われれば仕方ないさ」

「元野さんですか?」

 微かに曇る表情。 

 ユウ達と仲が悪いのは俺も分かっているが、モトにはそれ以上の引け目を感じているらしい。

 あそこまでゆとりと余裕があって仕事も出来る人間を前にすれば、誰でも強くは出られないが。

「備品の使用状況書?こんなの書く必要あるんですか」

「そういう書類がある以上、書かないとまずいだろ」

「形式にこだわっても仕方ないと思いますけどね」

 普段から家柄や格式に重んじる彼女にしては、少し意外な発言。

 俺の疑問に気付いたのか、矢加部さんは長い髪を撫でつけ書類を横へ弾いた。

「伝統をも守るのと、意味もない事に固執するのとは違います」

「なるほど」

「馬鹿なお嬢様でも、そのくらいは考えてますよ」

 寂しげな笑顔。

 自分でもそういう評判を気にしない訳はない。

 嫌でも耳に入る言葉。

 言われもない中傷、言い掛かり、時には襲われる事もある。

 自分には関係のないのに。

 しかしそんな家に生まれたのが悪いというなら仕方ない。

 それすらも受け止めなければならないのなら。

「文句を言う連中は、相手にしなければいいだけです。それとも、こちらの力を見せつけるか」

 強い、頑なとも言える理屈。

 過去何度か聞かされた、譲る事のない考え方。

 多分初めは自分を守るために、そう思い出したのだろう。

 そうでも思わなければ、押し潰されかねないから。

 でもいつしか、変わってしまったのかも知れない。

 自分の信念に。 

 向かって来る者は敵で、それは戦う相手であるか屈服させる存在。

 俺自身抱いた事のある感情。

 彼女を諫めるのか簡単だ。

 だけど本人は、聞きはしない。

 自分の事は自分が一番分かっていると思い込んでいるから。

 それもまた、俺自身に言える事だが……。


「将来は、どうするおつもりなんですか」

 唐突な質問。

 俺は書き終えた書類に視線を注ぎ、上から順にチェックした。

「一応、軍に進むつもりだけど」

「変わってないんですね、考えは」

「それ以外に何も出来ないから」

「そうでしょうか」

 柔らかな表情。 

 俺の事を理解しようとしてくれている顔。

 彼女に関する噂を払拭するような。

 普通の、どこにでもいる優しい高校生の笑顔。

「ご実家の、格闘技団体を経営するとか」

「それは母さんと姉さんがやってるし、玲阿流もいつか生まれる向こうの子供が継ぐさ」

「だからって、軍に行かなくても。いくらお父様が軍にいたからといって、危険過ぎます」

「日本は、基本的に海外派兵はしないんだよ。国連の要請があれば、また別だけど」

「そうでしょうか」

 ぽつりと漏らす矢加部さん。

 卓上端末の片隅に流れている、全国ニュースのヘッドライン。 

 中華連邦チベット政府と、インドとの国境紛争。

 すでに国連が調停に入っていて、各国に軍の派遣を要請する準備中だとなっている。

「俺が行く訳じゃないし、入隊は少なくとも6年先さ。その時には、もっと平和になってる」

「そう、ですね」

 弱々しい言葉。

 漏れるため息。

 普段の彼女からは、あまり想像出来ない態度。 

 だけどこれも、矢加部さんの本当の姿である事に間違いはない。

「……ん」 

 開いたドアの向こうで、卓上端末を抱えている男と目が合った。

「どうかしました……」

 視線をそちらへ向けた途端、露骨に顔をしかめる矢加部さん。

 ケイは鼻先で笑い、顎を俺へと向けてきた。

「邪魔だったみたいだな」

「いや。別に」

「そうか」 

 そのまま去っていくケイ。

 少しの沈黙。

「私、そろそろ帰ります」

「え、ああ」

「家にも、また来て下さいね」

 寂しげな表情。

 何も言えない俺。 

 彼女は首を振り、静かに部屋を出て行った。


「よう、色男」

 受付に出た途端、すぐに掛かる声。

 ただ馬鹿にしたのではなく、からかいに近い口調ではある。

 またこの間の一件を気にする素振りはなく、普段通りに俺と接してくる。

 それはこいつなりの気遣いだろうが、むしろ責めてくれた方が気は楽になる。

 その辺りを見越すくらいは、難なくやる男だが。

「何か用か」

「書類を届けたら手伝えって言われてさ。下っ端は辛いよ」

「文句あるの」

「いえいえ。喜んでやらせて頂きます、元野隊長」 

 わざとらしい敬礼。

 モトはケイを軽く蹴り、鼻先に指を突き付けた。

「あのね、私は好きでやってる訳じゃないのよ。何なら、代わって欲しいくらいだわ」

「俺じゃなくて、あの忍者に言ってくれ。しかしあれは駄目だな、仕事もしないでふらふらしてて」

「面白そうな話してるな」

「わっ」

 突然飛び上がるケイ。

 その背後から気配もなく現れた塩田さんは、首に腕を回して絞め始めた。

「こいつは、いつもこんな事言ってるのか」

「もっと色々」

「浦田君、お兄さんにも聞かせてくれよ」

 何度も動く口。

 しかし漏れるのは呻き声だけで、言葉にはなっていない。

「この馬鹿が」

 ようやく解放されるケイ。

 塩田さんは床にうずくまった体に蹴りを入れ、親指を下に向けた。

「その内、リコールしてやる」 

 咳き込む音に隠れて、途切れ途切れに聞こえる声。

 どっちが馬鹿なのかは、あまり判断したくない。


「お前は、何してるんだ」

「え」

「女を侍らせて楽しんでるかと思ったぜ」 

 かなりきつい言葉。

 ただ、それに動揺する程甘い人間はここにはいない。

 俺を除いては。

「え、えと」

「この間の件で自警局に謝罪文は出すは、怪我人の治療費も持つはで大変だぞ」

「済みません。だけど、俺は」

「間違えてるとは思ってないって?格好いいな、おい」

 肘で突かれた。 

 肘打ちに近い強さで。

「お前が何やろうと勝手だけど、周りにも人間がいるって覚えとけよ」

「それくらい、分かってます」

 さすがにむっとして、反発気味に言い返す。

 塩田さんはにやりと笑い、もう一度肘で突いてきた。

「だったらいい。人のいいなりになってるよりは、よっぽどましだ」

「はあ」

 思っても見なかった言葉。

 今までみんなから言われたのとは少し違う、俺を認めるような。

「大怪我しないと馬鹿に気付かないって言うしな。せいぜい頑張れ」

「は、はい」

「本当に分かってるのか?」

 突かれる腕。

 さっきよりも優しく。

 ゆっくりと。

「たまにはそういう事も言うんですね」

「悪いか」

「いいえ。私もそのくらい労って欲しいなって」

「他の奴に頼め。なあ、浦田」

 笑い気味の表情。 

 苦笑するケイ。

 何故かモトは少しだけ赤くして、塩田さんを蹴りつけた。

 先程よりも、かなり力強く。

「お、お前な。先輩に向かって、そういう」

「先輩が、どうかしました?」 

 威圧感のある微笑み。

 サトミのそれとはまた違う、押し潰されるような空気。

「何でもありません」

 一礼する塩田さん。

 モトは襟を直し、厳しい顔で彼を見下ろした。

「私はまだ仕事がありますので、後はお願いします。塩田、議長」

「分かりました」

「はは、怒られてやんの」

「ケイ君も」

 しっかり釘を刺し、モトは颯爽と奥の部屋へと消えていった。

「何様だ、あの女」

「あんたの部下でしょうが。管理がなってないんじゃないんですか」

「浦田よ。それは今さらって話だぞ」

「確かに、中等部の頃からああでしたね」

 しみじみ語る二人。

 そう思うと長い付き合いで、この4年間はあっという間にも思えてくる。 

 親友と例えてもいい関係。 

 色んな事もあり、ぶつかり合った事もある。

 それでも今までやって来たはずだ。

 今度の事で、その関係がどうなるかは分からない。

 単純に俺一人を外せば済むとは、さすがに思えない。

 今まであった形が少しでも崩れれば、そのままではいられない。

 微妙に何かが変わっていくだろう。 

 それが良い方向へ向かうのを、俺は願うしか出来ない。


 ただ、願うだけではどうしようもない相手もいる。 

 他の何よりもその関係を大切にしたい。

 していたつもりだった。

 でも現実は、自分からそれを壊してしまった。

 思わず、勢いで出てしまった言葉。

 誰よりも言ってはいけない相手に。

 だけど、違う相手だったらああはならなかっただろう。

 自分でも分からない感情。

 抑えきれなかった気持ち。

 馬鹿げた反発心。

 その結果は言うまでもない。

 反省や謝罪という事では償いきれない現実。

 俺自身が傷付くのは、どうだっていい。 

 でも彼女は違う。

 どうしたらいいのか。

 そして、どうしようも出来ない自分。

 たった一言謝る事すらも……。 




 謝ってどうなるという物でもない。

 怒鳴り合いをした日には、余計に。

 ただ、何故か心は軽くなった。

 心の中に、もやが掛かっていたような最近の自分。

 それが少し晴れた気分。

 自分の気持ちを、拙いながらも言ったのがよかったのだろうか。

 他の誰でもない、彼女に。

 いや。

 彼女だからこそ、俺は言ったんだろう。

 また、聞いてくれたんだろう。

 こんな俺の話を。

 言い返され、怒鳴られもした。

 ケンカと例えてもいいくらいに。 

 それが、本当によかったのかどうかは分からない。

 ただ、すれ違っている関係よりはましかもしれない。

 少なくとも俺は、そう思っている。 

 どんな形でも、彼女との接点が持てたんだから。

 情けない、女々しい考え方。

 彼女と出会えただけで。

 声を聞いただけで。

 少しでも、側にいられただけで。

 十分だから。

 最後の微笑みは、今の俺にはもったいなすぎる。

 いつも何の気無しに見ていた、あの笑顔は……。




 新入生達も少しは体力が付き、徐々にだが型も教えられるようになってきた。

 以前よりメニューを増やしきつくしているが、みんなは黙ってそれをこなしている。

 やらされているという態度ではなく、率先してやるという姿勢すら漂わせて。

 どういう心境の変化か知らないが、恨まれた甲斐はあったようだ。

「よし、終わり。俺が教えるのも今日で最後だから、安心しろ」

 肌に感じる安堵感。

 ただ以前程の敵意や苛立ちは、かなり薄れている。

「今さら言ってもなんだけど。他のガーディアンは、多分ここまで厳しく指導しない。だから、これからは少しは楽が出来ると思ってくれ」

 こここそ不平が聞かれると思ったが、特に反応はない。 

 厳しく教えられるのが癖になった訳でも無いだろうに。

「じゃあ解散。また明日……、じゃないんだっけ。悪い」

 自分で言っておきながらという話。

 今度こそ馬鹿にされるなと思っていたら、案の定笑い声が聞こえてきた。

 ただそれが暖かみを帯びていると感じたのは、俺の気のせいではなさそうだ。


「……よかったら、ご飯でも食べに行きませんか」

 ロッカールームで着替えていると、後ろから声が掛かった。

 緊張気味な幾つもの顔。 

 これも、社交辞令で言ってる訳ではないらしい。

「誘ってくれるのは嬉しいけど、俺と行ったって面白くないだろ」

「え?それは、その」

「いや。えーと、今まで俺達誤解してたかなと思いまして」

 顔を見合わせる彼等。

 何だ、誤解って。

「少し酒でも飲んで、打ち上げって事ですよ」

「ちょっとくらいは、いいじゃないですか」

「そこまで言ってくれるなら、俺も行かせて貰おうか」

 突然開くドア。 

 なだれ込んでくる女の子達。

 着替えている途中の奴は慌てて前を隠すが、それに構わずこっちへ駆け寄ってきた。

「ありがとうございますっ」

「い、いや」

「ファミレスに予約を入れてますから、早く行きましょう」

「あ、ああ」

 ぐいぐい引っ張られる手。 

 後ろから押される背中。

 こっちの戸惑いをよそに、みんなは俺をロッカールームから連れ出した。     



 駅前のファミレスへ続く大通り。

 楽しげに会話を交わすみんなと、何となく相づちを打っている自分。

 以前とはあまりにも違う状況。

 新しく出来ている関係。

 いつまでも同じなんて事はあり得ない。

 気付かない内に、少しずつ変わっていく。

 それがゆっくりと変わるから、そうと気付かないだけで。

 そう思いたくないから。

 突然の変化に、気持が付いていかない。

 だけど今は違う。

 理由は分からないけれど、楽しそうに笑っているみんな。

 誤解だと言ってくれた事。 

 思いが通じたという気持。

 駄目でどうしようもない自分でも、少しは人の役に立てた。

 空回りが、全くの無意味ではなくて済んだ。

「……なんか、変なのが来ますよ」

 声をひそめる、俺の側にいた男の子。

 彼の視線を追うと、大柄な男が数人向こうから歩いてきていた。

 こんな早い時間から酔っているのか顔は赤く、話し声もかなり大きい。 

「あいつら」

「知り合いですか」

「ん。一応、クラスメートって奴だ」

 あくまでも顔を知っている程度で、話した記憶は殆ど無い。

 分かっているのは、俺に敵意を抱いている事くらいか。

「放っとけ」

「はあ」

 しかし向こうの意思は違ったらしい。

 連中は少し先にいた女の子達に何かを言い、馬鹿笑いをしている。 

 お互いの表情を見る限り、ろくな事を言ったとは思えない。

「玲阿さん」

「お前達は何もするな」

「は、はい」


「おい、どうした」

 やや強めに声を出し、前へと出る。

 連中は俺がいたのを知らなかったらしく、一様に驚いた表情を見せた。

「その子達に、何か用か」

 安堵の表情を浮かべる彼女達を後ろに下げ、男達と向かい合う。 

 酔った勢いか、露骨な敵意が向けられる。

 体格が大きいので、それなりの威圧感はある。

 俺の知り合い達に比べれば、そよ風程度の物だが。

「からかっただけだ。怒るなよ」

「それともおぼっちゃまとは、口も聞いちゃ駄目か?」

「身分が違うもんな、俺達とは」

 小馬鹿にした笑い声。

 敵意だけではない、暗い物を含んだ眼差し。

 お前だけどうしてという、言葉にならない声。

 昔ならこの時点で相手は地面に倒れていたが、年齢と共に多少の自制心は生まれている。

「言いたいのはそれだけか。こっちは用があるんだ」

「そりゃ悪かったな。おぼっちゃまの邪魔をして」

「それとも、新しい仲間か?このガキ達が。大体……」

「大体、何だ」

 顎を引き、瞳に力を込める。

 俺の事を言われるのはともかく、この子達は関係ない。

 それを馬鹿にされてまで、大人しくはしていられない。

 一気に顔を青くする男達。

 しかしそこは酔った勢いも手伝ってか、口は止まらない。

「お、お前の昔の仲間が馬鹿だって言いたいんだ」

「何?」

「浦田は弱い癖に調子に乗るし、遠野は頭がいいからって脅してくるし。どうしようもないな、あいつらは」

 馬鹿げた笑い声。

 どういう事か知らないが、誰が悪いのかは十分に分かる。

 そこで相手にされなかったから酒を飲み、俺でうさを晴らそうとした訳か。

 みんなが馬鹿にされるのは余計に苛立ってくるが、ここで揉めるとそっちにも迷惑が掛かるかもしれない。 

 ここは大人しくして、やり過ごすとしよう。

「分かったから、もういいだろ。こっちは、用があるんだ」

「ちっ。ケンカも出来ないって?情けないな」

「放っとけ。あんな女と付き合ってた奴だ。似たような物さ」

「なるほど。お前も、雪野程度の女がせいぜいだな」

 笑い声が聞こえたような気がした。

 目の前にいる奴だろうか。 

 大体、ここはどこだ。 

 どうして笑ってる。

 どうして俺は、ここにいる。



「れ、玲阿さんっ」

「あ?」

 俺の腕を掴む新入生達。

 全員が、真っ青な顔で。

「どうかしたのか?」

「ど、どうかって」

「あれ」

 頭上にある腕。

 そこにある人の顔。

 もがいているようにも見える。

「誰だ、これ」

「な、何言ってるんですか」

「い、いや。その前に降ろさないと」

「え、ああ」

 手を離すと男は地面に崩れ落ち、そのまま動かなくなった。

「おい、大丈夫か」

 声をかけた途端飛び上がる男。

 間違いなく、大丈夫だ。

「す、済みません。済みません」

「いや、俺こそ。それで、何の話してたんだっけ」

「す、済みません。も、もう俺達は行きますから」

「済みません、済みません」

 仲間らしい連中に連れられて、路地に消えていく男。

 何なんだ、一体。

「す、すごいですね」

「あんなの、初めて見た」

「持ち上がる、普通?」

 盛り上がっているみんな。

 俺は腕を揉みながら、記憶を辿っていった。 

 あいつらの顔は見覚えがある。

 ここで、たまたま出会った。

 この子達を馬鹿にされて、サトミ達も馬鹿にされて。

 その後に……。

「あの野郎」

「今さら、何言ってるんです」

「え、ああ。そうか。しかし、あいつら」

 固めた拳を手で押さえていると、みんなに笑われた。

 それ程怖がられていないのは助かるが、これもどうかと思う。

「やっぱり、雪野さんと知り合いだったんですね」

「え?」

「この間、訓練中に会ったんです。彼女が言うには玲阿さんが私達を厳しく指導するのは、私達を思っているからだって」

「そう説明するのが恥ずかしいし、言わなくても通じると思ってるとも言ってました。だから、辛いかも知れないけど頑張ってって励ましてくれました」

 思っても見なかった説明。

 考えてもいなかった事。

 何を言われても、どう思われても仕方ないのに。

 こんな馬鹿な俺を見守ってくれていたなんて。

 分かってくれたなんて。

 自分は何をやっているのか、何を考えていたのか。

 馬鹿げた自分の感情だけを優先させて。

 人の気持ちも分からないで。

 自分が何をしたいか、何が出来るかを考えるなんて。

 そんな事をする前に、俺はやるべき事があるのに。

「恋人、ですか」

「あ?」

「ケンカしてるとか」

「な、なんだそれ」 

 人の悩みと動揺を見透かしたような言葉。 

 思わず後ずさった俺を囲むみんな。

「じゃあ、今日の食事はそれをテーマに」

「か、勝手な事言うな。俺は別に、ユウとは」

「わ、名前で呼んでる。やっぱりこれは」

「そ、そうじゃないんだって。ユウも俺をショウって呼ぶし。あ、あれ。え、えと……」

 しどろもどろになる俺。 

 余計に盛り上がるみんな。

 最近は俺達を気遣ってか、あまり無かった空気。

 久し振りに味わう、新鮮な。

 少しの面はゆさと心地良さに、俺は照れながら身を任せていた……。 




 学校の近くにあるレストラン。

 どちらかといえば軽食を出す所で、値段も俺が支払えるくらいの店だ。

 勿論味は申し分なく、一通り全メニューは食べてある。

「はは、なんだこれ」

 ラザニアをフォークで小さくして、美味しそうに食べているユウ。

 テーブルに着いているのは、俺と彼女だけ。

 誘う時は、久し振りに緊張した。

 それこそ初めてユウと、二人きりで食事に行った時くらいに。

「ワイン、頼むか?」

「私はいい。これだけでも、私ちょっときついもの」 

「どっかで聞いた台詞だな」

「進歩がないのよ、私達は」

 楽しそうな、彼女によく似合う朗らかな笑顔。

 この間までの寂しげな微笑みとは違うが、あれはあれで綺麗だと思う。

 恥ずかしくて、そんな事は言えないが。

「さてと、サトミ達のお土産でも頼もうかな」

「お、おい。俺は、そんなに金無いんだって」

「大変だね、おぼっちゃまなのに。済みませーん、シーフードピザとフライドチキンをテイクアウトで」

 喜々として自分の好物を頼むユウ。 

 俺はカードの残高を確かめ、ため息を付いた。

 そしてお互いに顔を見合わせ、笑い合う。



 変わらない事もあれば、変わっていく事もある。

 それが良い時も、悪い時もある。

 だけど俺の気持ちは変わらない。

 いつまでも、何があっても。

 この胸の思いは、決して……。






                                    了

















     エピソード 14 あとがき




 この子はこの子で、悩んでたんですね。

 自分のやりたい事と、現実。

 そして勿論、ユウの事。

 結局はいい子です。

 少しは、成長の跡も見えますし。


 意外と面白いのは、木之本君。

 平気で怒ります。

 彼に対してだからこそ、という面もあります。

 友達思いのいい子ですから。

 後は、矢加部さん。

 中等部に続いての登場で、嫌なお嬢様といった風情。

 間違いではないにしろ、それはあくまでもユウの視点。 

 ショウの視点では、また違った面があります。

 自分の立場に誇りと自信を持ち、気高く生きようとしているんでしょう。 

 勘違いしている気がしないでもないですが。

 私は、嫌いではありません。 

 お近づきには、なりたくないですけどね。


 ユウのスティックの代金を払うためにバイトをしたり、その事を隠してたり。

 あちこちで突かれて、落ち込んだり。

 本質的には優しくて、思い遣りのある子。

 それは結局変わりません。 

 ユウとの仲も、少しは進展したのかも。

 スティックの経緯については、中等部編にていずれ。



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