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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第2話
15/596

エピソード(外伝) 2 ~ショウ視点~





     玲阿 四葉




「四葉っ」

 錆を含んだ低い声。

 俺は苦笑しつつ、後ろを振り返った。

「何で背中に回ってるんだよ、父さん」

「親子のスキンシップだ、そのくらい分かれ」

 胸を叩かれ、少しせき込む。

 凛々しいが、しかしどこか軽い顔立ち。

 体格的には俺より一回り小さいが、身に付けている風格はそんな物を全く無意味に感じさせる。

 たやすく俺の背後を取る機敏な動き。

 またそれを息子に仕掛けるという感覚。

「あなた、いい年して何やってるの」

 呆れ気味にたしなめる母さん。

 イタリア系の血を引くだけ合ってその顔立ちは、息子である自分から見ても綺麗だと思う。

 ヒールを履けば父さんを超えようかという身長。

 技は父に、体は母に似たとよく言われる。

 そして心は二人から受け継いでいると、俺は強く想っている。

「みなさん。四葉がいつもお世話になってます」

「またお前は、生真面目に。そう思わないか、優さん」

「はは。おじさんは相変わらず軽いですね」

 おかしそうに笑うユウ。

 それには父さんも照れ気味な顔を見せる。

「何恥ずかしがってるんだよ、いい年して」

「あら、お父さんはまだ若いわよ」

「母さんもさっき言ってたじゃないか」

 俺の反論に、母さんは父さんと腕を組む事で応えた。

「……確かに、若いですね」

 皮肉めいた笑い声。

「でも、ちょっと羨ましいです」

 落ち着いた、しとやかな声。

「ありがとう、聡美さん。珪君は、さてどういう意味で言ったのかな」

「言葉通りの意味です。他意はありません」

「他意、ね」

 ニヤリと笑う父さん。


「それはともかく。済みません、呼ばれていない俺やサトミまで付いてきて」

 真顔で頭を下げるケイとサトミ。

「そんなにかしこまられると、私達も困るわ。お父さんが、優さんだけ呼ぶからいけないのよ」

「おじさん、ユウのファンですものね」

「い、いや。聡美さん、俺は君のファンでもあるよ」

「あら。それなら私はどうなるの?」

 母さんに詰め寄られ、父さんは唸りながら後ろに下がった。

 「何やってんだか」というケイの呟きに、俺は心の中で苦笑した。


 醒めているというか、冷静というか。

 とにかくこいつは揺らぐ事がない。

 常に冷静で、決して自分を見失わない。

 時に「頭大丈夫か?」と思うような言動を取る事もあり、実際に何を考えているのかは正直俺には分からない。

 それでもこいつになら、俺の背中を預けてもいいと思っている。

 対してサトミは少し違う。

 秀麗な容姿からいって落ち着いているように見えるが、実際はユウ以上の短気な面もある。

 その根底には正論を貫くという姿勢があり、意味のない事で揉める俺やユウはよく説教を喰らう。

 とはいえサトミが諫めてくれなければ俺達は暴走してばかりなので、彼女のそんな優しさに俺はいつも感謝している。

 何にしても、俺のかけがえのない仲間である。



 空はすでに暗く、西に沈む太陽が微かに夜の訪れを留めている。 

 俺達は繁華街にある、飲食店がテナントを構えているビルの中にいた。

 エレベーターを下り正面に見えたドアを開けると、タキシードを着た長身の男性が出迎えてくれる。

 引き締まった顔立ちと、きびきびした身のこなし。

しゅん、予約時間より早くないか」

「食べ盛りの連中ばかりだ。年老いた俺達とは違うんだよ。ユンファ」

 軽く拳を重ねる父さんと男性。

 ユン 潤和ユンファさんというツインコリア国籍で、前回の大戦では父さんと同じ小隊に所属していた人だ。

 テコンドーと借力を使いこなし、俺など足元にも及ばない腕の持ち主でもある。

 今では軍を退役して、このステーキハウスなどのオーナーをやっている。

「変わらないわね、ユンファさんは。やっぱり借力のせいかしら」

鈴香すずかさんこそ、出会った頃と全然変わらないよ……。と、旦那の前で言う台詞じゃなかったな」

「頼むぜ」

 大笑いする父さん達。

 店に入るにはもう一つドアがあるので、中までは聞こえていないようだ。

 この年になっても、こうして笑いあえる仲。

 俺達は果たしてどうなのだろうか。


 つかの間の物思いに耽っている間に、俺達はカウンター席へと通された。

 カウンターの前には大きな鉄板が備わっていて、そこで調理してもらった料理を直接食べられるという訳だ。

「済みません、キムチお願いします」

「珪君よ。俺の店はステーキハウスであって、コリアン料理屋じゃないんだ」

「ええ、分かってますよ」

「だったら、頼むな」

 苦笑した尹さんは、シェフにオーダーを頼んでキッチンへと歩いていった。

「恥ずかしいわね。メニューにないでしょ、キムチなんて」

「そういう概念が無いんだって、この子は」

 サトミとユウに責められても、ケイの表情は変わらない。

 こいつは尹さんと仲がいいので、それを踏まえての発言であると二人も分かってはいる。


「……ちょと失礼」

 席を立つケイ。

「またトイレか。どうなってんだ、一体」

「さっき喫茶店でも行ったわよね。前から思ってたんだけど、病気?」

 父さんと母さんの会話に思わず笑い出す俺達。

「……そろそろよろしいでしょうか」

「あ、お願いします」

「かしこまりました」

 軽く会釈をして肉の塊を鉄板に置くシェフ。

 激しい音と白い煙、脂の焼けるいい香りが漂ってくる。

「これだよね」 

 朗らかな笑顔で俺の顔を見上げるユウ。 

 ステーキを食べられるという事よりも、目の前で繰り広げられる光景の方が楽しいのだろう。

「そんなに楽しい?」

「うん、楽しい」

 サトミの質問に素直に答える。

 その笑顔が、さらに増していく。

 ニンニクがコテでつぶされ、カットされた肉に掛けられる。

 さらに肉はカットされ、肉汁が激しい音を立てて焼かれていく。

 目を輝かせてそれに見入るユウ。

「……そろそろですか?」

「ええ、行きますよ」

 ユウの質問に、それまで真面目な表情を崩さなかったシェフまでもが笑顔を見せる。

 手に持たれるボトル。

 それに合わせ、ぐっと身を乗り出し鉄板へ顔を近付ける。


「お、おい。危ないって」

 俺はユウの肩を掴み、そっと後ろへと下げた。

「あ、ごめん」

 照れくさそうにはにかみ、再び鉄板へと顔を向ける。

 シェフの手に握られていたボトルが下を向き、赤ワインが鉄板へと振りまかれる。

 赤い炎が鉄板の上を撫でてまわり、一瞬にして消え去っていった。

「わっ」

 声を上げ胸元で小さな拍手をするユウ。

 無邪気な笑顔と笑い声。

 フランベというのか、とにかく今のが面白くてたまらないといった様子だ。

「出来れば、食べてから喜んでもらいたいね」

 笑いながらキムチが乗った皿を差し出す尹さん。

「シェフ、済まないね。メニューにない物まで出して」

「いいえ。お客様が喜んで頂けるのなら、私はそれで満足です」

 シェフは軽く頷いて、食べやすい大きさにカットしたステーキを俺達の前に置いていった。

「それじゃ頂きます」

 一斉にフォークや箸を動かす俺達。

 勿論誰の顔にも満足げな表情が浮かび、それを見ているシェフ達も嬉しそうな顔をしている。


「あれ、もう食べてるの」

 そうして俺達が楽しんでいるところに、ケイがようやく戻ってきた。

「ああ、悪い。ちゃんと珪君の分もあるから」

「いえいえ。俺は食べさせてもらう身ですから、そう贅沢は……」

 しかし席に着くや、険しい顔で俺達を見渡す。

「この皿には、何が乗ってたんでしょうか」

「キムチが乗ってたよ」

「美味しかったわ」

「あ、あんたら。さっき恥ずかしいだ何だ言っておいて」

 ため息を付き、焼けこげたニンニクを箸でつつくケイ。

 ユウとサトミは笑いながら、自分達のステーキを一つづつその前に置いた。

 そしてケイが飲めないビールを、グラスに注ぎ始める。

 たわいもない、子供のようなふざけあい。

 それが俺には、さっきの父さん達の会話とも重なった。

 その時も抱いた思い。

 こうした俺達の関係がいつまでも続けられるのかと。

 いや、続けていたいという思い。

 それには何が必要なのか、俺は堂々巡りにも似た考えに耽っていた。



 店を出ると、ケイとサトミが一足先に帰っていった。

 サトミの彼氏であり、ケイの兄であるヒカルと何か用があるらしい。

 二人を見送ったところで、父さんが軽く伸びをする。

「今日は楽しかったな」

「ええ。四葉の顔も見られたし、優さん達とも会えたから」

「父さん達も帰るのか」

「明日も仕事なんだよ、学生とは違ってな」

 軍を退役した父さんは民間のセキュリティコンサルタント会社に勤めていて、国内だけでなく海外へ行く事もある。

 分かりやすく言えばボディーガードであり、その危険度は軍にいる時以上だとも聞く。

「四葉は、優さんを送って上げて」

「送り狼になるなよ」

「と、父さんっ」

 俺の叫び声など気にもせず、父さん達はタクシーへと乗り込んだ。

 去っていくタクシーから手を振る二人。

 俺とユウはそれを見送ると、駅へ向かって歩き出した。

「今日は色々あったね」

「確かに」

 学校で、空手部の連中とやり合った事を思い出す。

 その話を父さんにした時の事も。


「俺の名誉はどうでもいい。その前に、自分と仲間の事を考えろ。そして、自分の道を行け」


 その言葉が、今も耳に残っている。

 自分だけではない。

 仲間の事も考える。

 確かに今日の行動は、決してユウ達のためになりはしない。

 その原因すら、俺の身勝手から起きている。

 それが仲間の事を考えていないのは明らかだ。

 「自分の道を行った」のは間違いだったのか。

 今さらながらに自分の行動を悔いていると、不意に体が後ろへ戻った。

「改札、あそこ」

 俺のジャケットを掴み改札を指さすユウ。

「ああ」

 気の抜けた返事を返し体をそちらへ戻すと、ユウが遠慮がちに俺の顔を覗き込んできた。

「元気ないわね。どうかした?」

「ん、ちょっとな」

「思春期だもん、悩みくらいあるよね」

「はは。それ面白いな」

 慰めるでもない、よく分からない理解の仕方。

 それが彼女の気遣いなのかどうかはともかく、俺の気が少し晴れたのは確かだった。

「でも、ショウが約束守ってくれてよかった」

「約束……。ああ、父さん達との食事」

「うん。空手部と揉めてるなんて知らないから、どこ行ったかと思って探したのよ」

「悪かったな、心配させて」

「平気平気」

 明るく微笑みかけてくるユウ。

 俺は改札にIDを通し、その小さな体をじっと見つめた。


 中等部の途中から、ヒカルに代わって俺達のリーダーとしてやってきた彼女。

 絶えず揉め事を引き起こす俺達をまとめていくのは、決して楽な事ではないと思う。

 しかしその口から、本気で文句が出たのを聞いた記憶はない。

 それは「仲間の事を考える」気持ちがあるからなのだろうか。 

 そして「自分の道を行く」というよりは、ただ単に感情に任せた行動をしてしまった俺は。

「……俺は小さいな」

「え、何言ってるの?どう見ても大きいじゃない。身長もそうだし、体重なんて私の倍近くあるでしょ」

「体格はな」 

「まさか、変な意味じゃないでしょうね」

 口に手を当てくすくすと笑うユウ。

 俺は曖昧に笑ってごまかした。

 この体に見合った、大きな心を持つ事が出来るのかと考えながら……。



 SDCの代表代行との試合が決まった俺は、休みを利用して祖父の家へと来ていた。

 トレーニングを手伝ってくれると言ってくれたユウも、今日は実家に帰っている。

「お帰りなさいませっ」

「お久し振りですっ」

「ああ、こんにちは」

 門下生の挨拶に面はゆい物を感じつつ本宅へ向かうと、そのリビングでは見慣れた面々が顔を揃えていた。

「四葉、元気そうね」

「ああ、姉さんも」

 玲阿流衣れいあ るい

 俺とよく似た顔立ちで、二重の大きな瞳。肩まで伸びた艶やかな黒髪。

 女性にしてはかなりの長身である。

 俺といくらも代わらない年齢の割には落ち着きがあり、その辺りは母さん似なのかも知れない。

「お祖父さんは?」

「軍の指導に行ってるわ。もうすぐ戻ってくると思うけど、お祖父様に用があるの?」

「いや、ただ来ただけ。たまには顔を出せってうるさいから」

「当たり前だ。お前だって、玲阿家の跡取りの一人なんだぞ」

「それは義兄さんに任せる」

「その呼び方は止めろ……」

 露骨に顔をしかめる従兄弟の風成かぜな

 やはり俺とどこか似た穏やかな顔立ちで、やや目が細い。

 体格としては俺よりもさらに大きく、全体のバランスも申し分ない。

 幼い頃から俺を弟のように可愛がってくれて、腕も向こうの方が数段上を行っている。

 さらには姉さんの結婚相手でもある。

「そういうところは、君のお父さんにによく似てますね」

 言葉遣いに似合った優しい顔立ちだが、その体格は偉丈夫と呼ぶにふさわしい。

 父さんの兄、つまり俺の伯父で玲阿流師範。

 お祖父さんが総帥という名誉職に下がっているため、今は伯父さんが玲阿流を率いている。

「顔も似て良かったじゃない」

 何がおかしいのかくすくすと笑う伯母。

 非常に朗らかな性格で、ちょっと丸みを帯びた体型は彼女の人の良さを如実に表している。



「……闘い、ですか」 

 俺の心の中までも見通すような、澄み切った伯父の視線。

「またケンカ?少しは大人になりなさい」

「それは言うな、流衣。玲阿の人間に、引くという言葉はないんだから」

「私も玲阿の人間よ。でも背を向けた事なんて何度あるか分からないわ。そういうのは破門かしらね、父さんみたいに」

 姉さんに見据えられ、風成は救いを求めるような視線を伯父へ向けた。

「琉衣さん、そのくらいで許してやって下さい。玲阿の家訓に、「引く無かれ」の言葉は確かに存在しています。私もかつては風成のように、常に前へ進み続けるという意味だと信じていました」

「今は違うんですか?」

「いえ、その考えは未だに持ち続けています。私自身、何事からも身を引いた事はありませんし。ただ別な意味もあるのではと、君達のお父さんから学んだのですよ」

「父さんから?」

 顔を見合わせる俺と姉さん。

 風成も初めて聞くという顔をしている。

「闘いから逃げるは玲阿で無し。先々代はそう言われ、北陸防衛戦で突撃隊に加わらなかった瞬に破門を申し渡しました」

「でも瞬叔父さんは、追撃隊に参加して最前線で戦ったんだろ。我が曾祖父ながら、何考えてるんだか。お祖父さんもお祖父さんだ、結局叔父さんを引き留めなかったんだから」

「父さん、いえ総帥はその時師範代でしたからね。師範であった先々代の命は絶対だったのですよ」

 伯父の顔に、寂しげな表情が浮かぶ。

 それはやはり、その時父さんを引き留められなかった自分に対してなのか。

「今でこそ追撃隊は英雄と言われていますが、あの当時は味方を犠牲に生き残った卑怯者呼ばわりでした。それが分かっていて、またそれを最も嫌うはずの瞬が何故突撃隊に加わらなかったのか。私はその意味を、今でも考えています」

「分かっているのは、瞬さんの勇気。そうですよね」

 伯母の言葉に満足げに頷く伯父。

 俺はそんな話を聞きながら、自分自身の行動について考えていた。

 怒りにまかせてドアを壊し、結果としてSDCの代表代行とのケンカにまで至ってしまった事を。

 「引く無かれ」

 その意味を俺は取り違えているのか。

 そして卑怯者、臆病者と非難されるのを知りつつ、何故父さんは引いたのか。

「四葉、さっきから元気ないわね。どうかしたの」

「ん、まあ多少悩みが」

「言いなさいよ、この姉に。そのくらいの包容力はあるつもりよ」

「だってさ。お前の姉さんは偉いもんだ」

「あんたの奥さんだよ」

 俺は肩の荷が軽くなるのを感じつつ、その経緯を簡単に説明した。


おとこだな、お前は」

 この手の話が好きな風成が、大げさに唸る。

「伯父さんはどう思う」

「さっきも言いましたように、玲阿の家訓の一つは「引く無かれ」です」

 それを聞いてくすくすと笑う伯母。 

「でもそのせいで、みんなに迷惑が掛かるかも知れないんだ。それを考えると、どうも……」

「仲間を侮辱されて迷惑も何もないでしょ。それはもう玲阿の家訓がどうとかよりも、あなた自身の問題よ。ドアを壊すのはどうかと思うけど」

「大体だな、四葉。みんなはお前の事を迷惑だって言ったのか」

「いや。サトミは怒ってたけど、それは俺を思っての事だと思う。ユウも、迷惑だって感じたならトレーニングを手伝うなんて言わないだろ」

「なら問題ない。壊したドアの請求書は、ここに持ってこい。いくらか知らんが、俺が払う」

 「何勝手な事を」という顔で、風成をつつく姉さん。

「そういう訳です。玲阿の家訓からも、そして人としても四葉君の取った行動に誤りはありません。瞬も、そうは言いませんでしたか?」

「まだ聞いてないけど、前こんな事は言ってた」

 俺はこの間父さんに言われた言葉を、ここで話してみた。


「自分の道を行け、か。格好良いな、叔父さんはよ。それでこそ玲阿瞬だぜ」

「馬鹿。つまりは自分の信念に基づいて行動しろっていう事でしょ。あなたも自分のした事が正しいと思うなら、それを悩むのはもう止めなさい」

「ああ」

 みんなの話を聞いている内に、不安や迷いが一つずつ消えていく。

 それはみんなが年長者であり、俺より様々な経験をしている人からのアドバイスを受けるという安心感からだけではない。

 伯父さんも姉さん達も、あの場にいれば同じ事をしていたと分かったから。

 まだ俺は、自分の信念と呼べるほど確立した考えを持ってはいない。

 それでも俺の行動は、みんなの考えと重なっていた。

 父さん、そして姉さんや風成達。

 家族が、誰よりも信頼出来る彼等が同じ気持ちを抱いている。

 だから、もう悔やむ必要はない。

 あの決断を、あの行為を。

 俺は一人頷き、自分は彼等の家族なのだという強い実感を味わっていた。



 日は過ぎていき、SDCの代表代行との試合が目前に迫っていた。

 一緒にトレーニングを手伝ってくれるユウは、今では食事の世話までしてくれている。

 言葉では言い表せない程の感謝と、そして多少の申し訳ない気持。

 結局の所この試合は俺の馬鹿さ加減から来ている訳で、それに文句も言わず付き合ってくれるユウ。

 それは彼女が俺達のリーダーだからという責任感からしているのか。

 それともあの時侮辱されたのに俺が怒ったからという、一種の礼心からしているのか。

 しかし理由を聞く事も、いや聞く勇気もなく俺は今日まで来ていた。


 今はユウを相手に、グラウンドのみのスパーリングを行っている。

 80kgのベストの重さと、鋭さまで感じさせる俊敏なユウの動き。

 以前の俺なら、ものの数秒で床に崩れ去っていただろう。

 だが今は、確実に彼女を追いつめている。

 日々の積み重ね。

 努力した者だけが辿り着ける領域。

 流した汗の成果。

 例えは色々だ。

 今まで一緒にトレーニングをしていたユウさえも、驚きの表情で俺の動きを見入っている。


 背後に回った俺は素早く彼女の腕を取り、その首に手を回した。

「……参った」

 腕が軽くタップされ、軽く抑えていた手をさらに緩める。

 やった。

 ついにやった。

 トレーニングを初めてほぼ一ヶ月。

 グラウンドでタップを奪ったのは、今日が初めてだ。

 俺はこれまで一緒に付き合ってくれた彼女への感謝を、胸の中で繰り返していた。

「とうとうやられちゃった。これは試合まで絶対負けないと思ってたのに」

「だからあんなに必死で逃げてたのか。頼むぜ」

「でも、これだけ動ければ試合でも上手くいくんじゃない。このポジションまで持ち込めればの話だけど」

 そう言え終えるや、何となく震えるユウの体。

 ……何故震えていると分かる。

 俺の手の中にユウがいるからだ。

 後ろから抱きすくめていると例えてもいい。


 額から、手の平から、脇の下から汗が吹き出る。

 スパーリングの興奮が冷め、新たな緊張が襲う。

 俺は男で、ユウは女の子。

 当たり前過ぎる事実。

 それを今まで意識した事は何度もある。

 だからSDCの本部で俺はドアを壊したのだし、中等部の頃からそうして接してきた。

 だが今俺の胸の中にある気持はもっと別の、言葉では言い表しにくい物だった。

 胸の奥に眠っていた、俺自身気付かなかった気持。

「あ、あのさ」

 気まずそうな顔でユウが振り向く。

「ん、どうした……」

 間近に迫る上気したその可愛い顔に、鼓動が早くなる。

 頬の触れ合いそうな距離で、俺とユウは見つめ合う。

「そ、そのなんだ。今日はこの辺で終わりにするか」

「う、うん。そうだね……」

 俺達はお互いの顔も見ず、慌てて距離を置いた。

 ユウは床にしゃがみ込み、しきりに髪やTシャツを触れている。

 声の掛けづらい状況なのは俺自身分かっているが、このまま汗を掻いたままでいては風邪を引く。

「……ユウ」

「わっ」

「わ、悪い。リュック持ってきたから、帰ろう」

 言葉もなく頷き、リュックを受け取るユウ。

 いつもの快活さは影を潜め、赤らんだ頬を隠すように顔を伏せている。

 それに負けない程の動揺をしている俺は、自分のリュックを背負いドアへと歩き出した。

 さっきから心の中に広がっている気持。

 今はただ、それを鎮めるのに精一杯だ。

「あ、待って」

 弱々しい声と共に、彼女が駆け寄ってくる。

 その声に多少の不安を感じつつ、さらに足を早めようとした。

「風邪引いたのかな」

 慌てて振り向くと、彼女は切なげな顔で俺の足元辺りを見つめている。  

「本当か?ちょっと見せてみろ」

 気付けば俺の手は、彼女の紅潮した頬に当てられていた。

 運動後という理由だけでは説明しずらい程の熱さ。

 こみ上げる不安を隠し、それを伝えないようにゆっくりと尋ねた。  

「少し熱いぞ。大丈夫か」

「う、うん。ほら、動いたからだって。ショウだって熱いでしょ」

 ユウの、小さな柔らかい手が俺の頬を撫でる。

 自分でも頬が、体が一気に熱くなるのが分かった。   

 そして即座に今の状況を考えてみた。

 人気の無いトレーニングルームに二人きり。

 お互いの頬に手を当て、じっと見つめあう。

 向こうもそれが分かったのか、しどろもどろになりながら俺と同時に手を離していく。

 彼女の腕に見えるパワーリスト。

 俺の腕に付いているのと同じタイプ。

 トレーニングをする必要の無い彼女が、それを付けている意味は……。


「は、早く帰ろ。汗かいてるんだし、本当に風邪引いちゃう」

「あ、ああ」 

 俺に背を向けてドアへと駆け出すユウ。

 遠ざかっていく軽快な足音。

 それは俺の胸の中で鳴る、小さな鐘の音のようだった。

 今まで気付かなかった、そしてずっと鳴り続けていた鐘の音。

 ドアの手前で待っていてくれるその姿を見つめながら、俺はその音に聞き入っていた。



 SDCの代表代行との試合を翌日に控えた日。

 俺の背中にはユウがいた。

 トレーニング中に眠っていたので、勝手ながら寮まで送ろうとしたのだ。

 途中で起きたユウはしきりに「恥ずかしい」を連発したが、俺は別段気にする事もなく彼女の部屋へとたどり着いた。

「ごめん、結局スパーリング出来なくって。試合明日なのに……」

 俺の背中から下りるや元気なく謝るユウ。

 申し訳なく思うその気持は分かる。

 でも俺は、それを気にしていない。

 謝るなら今日まで彼女を付き合わせてしまった俺であり、文句を言われこそすれ俺に謝る必要は何一つ無い。

 しかしユウは見ていて辛いくらいに自分を責めている。

 そうじゃない。

 俺は彼女の肩に手を置き、自分の思いを伝え始めた。


「何言ってんだよ。ちゃんといいトレーニングしただろ、俺達」

 きょとんとした顔で俺を見上げるユウ。

「前も言ったただろ、俺の父さんが母さんを背負ったって」

 しかしユウの表情は勝れない。

 却って元気が無くなってしまったようだ。

 ここから先はためらいを覚えたが、それは些細な事であり今は彼女の事を考えるべきだとすぐに思った。

 俺に出来るのはこれくらいであり、それが正しいのかは分からなかったが。

「おかげで、俺も大分気が楽になったよ。よく寝てるユウの顔見てたら」

「え?」

 何とも気恥ずかしい、慣れない状況。

 それでも俺は自分の思いを語っていった。              

「落ち着いてたつもりだったんだけど、さすがにこの何日かは気が重くってさ。プレッシャーっていうのかな」

 ユウの表情がさらに翳るが、俺は話を続けた。 

「そうしたらユウがいきなり寝始めて。それで思ったんだよ。もしかして、俺の事気にして寝不足になったのかなって。違ったらごめんな」

「ショウ……」

「同じように悩んでくれて、励ましてくれて、頑張ってくれて。じゃあ俺は、ユウに何をしてやれるのかなって思ったんだよ」

 ゆっくりと、思いを込めて語る。

 俺自身の気持ちを、ユウへの気持を込めて。

「結局あんな事くらいしか、俺には出来ないんだけどな。父さんと一緒でさ」

「え?」

「何でもない。それと、明日の試合中に寝るってのは無しだぞ」

 俺はユウの肩に軽く触れ、そのまま背を向けた。

 今日はきっとよく眠れるなと思いながら。

 そしてユウもよく眠れるだろうと……。



 SDCの代表代行との試合が終わるや、ユウが俺の胸に飛び込んできた。

 緊張と焦りと照れくささ。

 でもそれは、胸元にしがみつく彼女の暖かさを感じている内に消えていく。

 そして俺の心に沸き上がる、彼女への思い。

 言葉にはならないが、その体を抱き髪を撫でる。

 慣れない事に恥ずかしさを覚えると共に、心地よさと安らぎが彼女への思いと重なっていく。

 いつまでもこうしていたい、そういつまでも。

 俺はユウの髪を撫でながら、そんな事を考えていた……。



 試合を終え、俺はヒカルの運転する車の中で身を横たえていた。

 その時、ふとした記憶が脳裏をよぎる。

 試合中ユウの首に下がっていた、俺が託したタオル。 

 極限まで追い込まれてもギブアップしないSDC代表代行、三島さん。

 頸動脈から気道へと動く俺の腕。

 気道の圧搾は死すら意味する。

 しかし彼は、ギブアップをしない。

 俺の腕は、ためらう事無く気道を押しつぶしていく。

 タオルを掴むユウの手が視界の隅に映る。

 次の瞬間、俺の腕を代表代行がタップした。


 タオルを投げれば俺の負けが決まり、ほぼ勝ちを収めていた俺の怒りを買う事も予想出来る。

 それでも彼女は、ためらう事無くタオルに手を掛けた。

 俺からの非難を恐れず、自分の考えを貫いたユウ。

「自分の道を行け」

「引くなかれ」

 その二つの言葉が、おぼろげながら俺の中で一つになった。

 この小さな体には、どれだけの強さが備わっているのだろう。

 俺のような見せかけの強さではなく、真実の強さが。

 触れ合う指先からは、傷ついた体を癒してくれるような暖かさが伝わってくる。

 相反するような、しかしその二つを確かに兼ね備えるユウ。

 胸に浮かんだいくつかの思いを秘めつつ、俺は車に揺られていた……。



「食事って、これ」

 目の前にあるパスタを指さして、ニヤリと笑うユウ。

「今回はこれで勘弁してくれ。その内、ちゃんとした所に行くからさ」

 俺は生ハムがトッピングされたピザを切り取り、彼女の皿の上に置いた。

 ここは学校の近くにあるレストランで、俺達もよく利用している。

 味は最高だがどちらかといえば軽食というイメージの店で、わざわざ食事に誘って来る場所かと言われるとやや困る。


「前、父さんが母さんを背負ったって話したよな」

「うん、覚えてる」

「父さんが百人組手をやった時の事なんだけど……」

 百人の相手を連続して倒す。

 不眠不休で三日は戦い続ける玲阿流独特の鍛錬法。

 俺が知っている限りでそれを成し遂げたのは玲阿家の者と、後は片手に余るほどの人間。

 毎年20名以上が挑んではいるが、大抵は途中で病院送りとなる。

 挑む事に意義があるとされている、荒行の一つである。


 そんな試練に望むべく修行に入った父さん。

 格闘技に関しては素人であった母さんも、その手助けをしていたという。

 そして組み手が翌日に迫ったある日、疲労のたまった母さんは父さんを見守りながら眠ってしまった。

 気付けば父さんに背負われている自分に気づく。

 「俺に出来るのはこれくらいだけど、それで良かったら眠っててくれ」 

 父さんはそう呟いた、らしい。


「母さんから聞いた話だから、父さんは違うっていうかも知れないけどな」

「本当だと思うわよ、私は。格好良いよね、二人とも」

「ああ」

 俺は、そう呟いた父さんの気持に共感しながら頷いた。

 ユウを背負っていたあの時の気持ちを思い返しながら。

「ワイン、頼む?」

「残すともったいないから止めとく。これだけでも、私ちょっときついもの」

「俺も止めるかな。取りあえず……」

 水の入ったグラスを重ねて笑う俺達。

 ユウは一口一口を楽しむように、相変わらずの笑顔を浮かべて食べていく。

 そこにSDCの代表代行との試合で見せた、あの強さは感じられない。

 それに代わって暖かさと優しさが、彼女を包み込んでいる。

 今の俺なんかでは釣り合いそうにもない強い心を持った、可愛らしい女の子。

 だから俺は決めていた。

 食事に誘うのは、俺が彼女にふさわしい男になってからにしようと。

 それまでは、ただ彼女の事を思うだけでいい。

 彼女を守れるだけの強さを身に付ける、その日までは。



 強くありたい。

 父さんのように、ユウのように。

 俺自身の強さを身につけたい。

 強く……。






                              終わり





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