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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第14話
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     14-6




 朝。

 スクーターを駐輪場に停め、キーをロックする。

 中等部の頃を思い出す行為。

 それも今では、慣れつつある。

 時間帯は少し早いが、置きっぱなしにしてあるのか自転車やスクーターは意外と多く置いてある。

 それらを眺めつつ、教棟の方へ歩いていく。

 少し離れた所から聞こえる鈍い音。

 自転車か何かが倒れたらしい。 

 視線をそちらへ向けると、別な駐輪場で男の子が立ち尽くしていた。

 横倒しになった大きなバイク。

 見慣れたデザインとサイズ。

 その隣りに立っている男性も。

 バイクのサイズに見合った大きな体。

 革ジャンにサングラスという、威圧感のある服装。

 首からかけた金のネックレスが、その雰囲気を増す。

 青白い顔で、彼に頭を下げる男の子。

 しかし、それで済むだろうか。

 自転車とは違い、倒れれば傷は付き場合によっては故障もする。

 その金銭的な事だけでなく、この手の物には思い入れもあるだろう。

 まして男性の雰囲気を考えたら。

 そんな彼の長い手が、不意に前へと伸びる……。


 だがそれは男の子の顔を捉える事無く、倒れたバイクを掴む。 腰が落ち、軽い気合いと共に持ち上げられるバイク。

 200kgはあるだろうそれを、軽々と。

 唖然とし、すぐに謝罪へと戻る男の子。 

 男性は彼に優しく笑いかけ、怪我がないか聞いている。

 ますます恐縮する彼の背中に触れ、その子を送り出す。

 笑顔で彼を見送る男性。

 その顔が、起こされたバイクへと向けられる。

 小さなため息、落ちる肩、やるせない表情。

 少し、強がっていたようだ。

 おかしくなって、口を押さえたまま笑う。

 私は柱の影にいるので、向こうからは見えていない。

 胸の中に沸き上がる安堵感。

 変わっていない彼。

 そう私が思いたいだけなのかも知れないけれど。

 今の姿は、私の知っている彼だった。

 自己満足と言われても、未練がましいと思われてもいい。

 間違いなく私は、幸せを感じていた……。



 授業を終え、筆記用具をリュックへしまう。

 すると、聞きたくもない声が聞こえてきた。

「毎日だと疲れるわ。デートっていうのも」 

 高笑いと追従の声。

 矢加部さんの視線が、はっきりとこちらへ向けられる。

「そうは思いませんか、雪野さん」

 挑発気味な口調。

 台詞は当然として。

 相手をする気にもならず、適当に頷いてリュックを背負う。

 ここで揉める必要はないし、他のみんなにも迷惑だ。

 彼女だ誰と何をしようと、私には関係ない。

 微かな胸の痛みはともかくとして。

「あら、もうお帰りですか」

「自分こそ、自警局の仕事でもしたら」

 人が減ってきたので、一応相手をする。 

 あくまでもおざなりに、いい加減に。

 それが伝わったのかそれとも伝わっていないのか、私が乗ってきたのを喜々として受け入れる矢加部さん。

「雪野さんも、彼氏を作ったらどうです」

 あごを反らし、鼻に掛かった声を出す。

 裾を外に出した赤いブラウスと白いフリルの付いたカーティガンに、青のショートスカート。

 茶のブーツと幾つかのアクセサリー。

 長い髪は綺麗にブローされている。

 外見は申し分ない。

 内面は、私が判断するまでもないだろう。

「そうね。じゃあ、あなたにはいるの」

 一瞬反発する気持が起きて、そう答える。 

 矢加部さんはそれを待っていたかのように、口元を緩めた。

「言うまでもないわ」

 悠然とした微笑み。

 左手の薬指にはめられた指輪。

 ただ、その対となるべき指輪は見あたらない。

 正確には、その相手となる男性が。

 その疑問をも読み取ったのか、もう一度笑う矢加部さん。

「彼は一足先に、私の家に行ってますから。今日は家族で食事なので」

「それは良かったわね」

 適当に答え、そろそろ彼女に背を向ける。

「よろしければ、雪野さんもどうですか?」

「結構。私は上流階級の人間じゃないから、不作法したら悪いでしょ」

「そんな事、お気になさらないで。無知というのは、そんなに恥ずかしい事ではありませんよ」

 婉曲に馬鹿にしている言葉。

 どちらにしろ付き合う気はないので、ドアへと歩いていく。

 すると突然それが開き、入ってきた人と鉢合わせになった。


「舞地さん?」

 どうしてと思い、彼女を見つめる。

 その向こうから見える池上さん。

「雪ちゃんが元気ないから、ご飯でもと思って」

「私、ガーディアンの仕事があるから」

「智美ちゃんに言って、許可は取ってあるわ」

「そういう事」

 自分で答える、池上さんの隣にいるモトちゃん。

「お友達ですか?」

「先輩よ」

「でしたら、ご一緒にどうです。元野さんも」

「それは光栄です」

 大仰に、丁寧に頭を下げるモトちゃん。 

 彼女の意図する所は分かっただろうが、矢加部さんは微かに顔をしかめただけで堪えた。

 さすがにこの子も、モトちゃんには弱い部分がある。

 これだけの落ち着きと人をまとめる力を見せつけられれば、当然とも言えるが。

「彼女は矢加部さん。ご実家が古い名家で、私達とは同級生に当たる人です」

「よろしく」

「どうも」

 うっそりと頭を下げる舞地さんと、軽く手を振る池上さん。

 矢加部さんも一応会釈を返す。

「いいわね、ご飯。ただなんて」

「映未さん」

「何よ、智美ちゃん」

「彼女の家はお金持ちですから、お土産も付きますよ」

 楽しげに笑う二人。

 私はため息を付いて、舞地さんを見た。 

 その顔からは、これといった感情は感じられない。

 ただそれは、普段通りともいえる。

「という訳で、行きましょうか」



 彼女の家から回された車に乗り込み、市内にある矢加部邸へ到着する。

 ショウの家程ではないが、かなりの敷地と建物。

 ただ家がある場所を考えれば、こちらの方が資産価値はあるのだろう。

 地下駐車場から歩く事しばし、広いリビングへと通される。 

 中等部の頃嫌々来た記憶があり、レイアウトは変わっている物の印象としてはその時と変わらない。

 素人の私から見ても価値を感じさせる陳列品。

 家具や内装は高級感に溢れ、肩が凝りそうな程だ。

「ふーん」

 興味深げに、それらをチェックしていく池上さん。

 モトちゃんは一人ソファーに座り、のんきにお茶を飲んでいる。

「何も、来なくてもいいのに」 

 窓から中庭を見つつ呟く。

「私もそう思う」

 隣にいた舞地さんが、突然言葉を返してきた。

 小声で言ったつもりだけど、聞こえていたようだ。

「何かあるの?」

「言いたくない。それに私は、誰でもない」

「え?」

「いいから」

 それ以上は、本当に話したくないという顔で首を振る舞地さん。

 よく分からないが、彼女も色々と事情があるんだろう。


 そうこうする内に、着替えを済ませた矢加部さんが戻ってきた。

 淡いブルーのワンピースと、頭にはカチューシャ。

 優雅なお嬢様といった感じで、まさにそのままだ。

「ショウ君は。先に来てるんじゃなかったの?」

「ええ、ちょっと他の所へ」

「そう」

 あまり興味なさげに頷くモトちゃん。

 ただその視線は、真っ直ぐと矢加部さんへと向けられている。

「わざわざ、ようこそ」 

 少し甲高い声。

 恰幅のいい小柄な男性が、鷹揚な笑みと共にリビングへと入ってきた。

 ポロシャツに綿パンという、かなりラフな服装。

 人の良さそうな、穏やかな顔立ち。

 その壮年の男性が、私と目を合わせる。

「雪野さん。お久しぶりです」

「こちらこそ。お邪魔しています」

「済みません。また娘のわがままだと思いますが」

 そう言うや笑い出す、矢加部さんのお父さん。

「お父様。変な事を仰らないで下さい」

「だったら、ここの内装も変えてくれるかな。私はもっと落ち着いた物の方が好きでね」

「それでは矢加部家の格式に合わないと、何度も説明したでしょう」

「という訳なんです。みなさんも堅苦しいでしょうが、しばらくお付き合い下さい」

 苦笑したおじさんは、モトちゃんを見て頭を下げる。

「元野さんもお久しぶりですね。天崎さんとは、時折会っているんですが」

「私への愚痴でも漏らしてませんでしたか?」

「後が怖くなりそうなので、私からは何とも」

 笑う二人。

 その会話を聞かなくても、おじさんの人の良さは前から知っている。

 だから余計に、どうして矢加部さんがと思う訳だ。

 思ったからといってどうなりもしないし、はっきり言えば私には関係ない事だが。


「お二人は?」

「私は池上映未と申します。雪野さんの友人ですが、厚かましく押し掛けてしまいました」

 丁寧な挨拶をする池上さん。

 おじさんは何度も頷き、笑顔を浮かべた。

「滅相もない。娘が連れてくる子は、どうもこの子におもねる人ばかりでして。交友関係の幅を広げろと、何度も言っているんですが」

「私のような人間と付き合いを深めても、いい事はありませんよ」

 薄く微笑む池上さんと、やはり笑顔で何度も頷くおじさん。

 当の矢加部さんは、苦い顔でそんな二人を見つめている。

「こちらの方は」

 視線を向けられ、うっそりと頭を下げる舞地さん。 

「私も、雪野さんの友人です。名乗る程でもありません」

「そうですか」

 非礼とも言える舞地さんにも、笑顔で応えるおじさん。 

 ただその瞳に、疑問の光が宿る。

「どこかで、お会いしませんでしたか?」

「いえ」

「それとも、写真かな……」 

 小首を傾げ、考え込んでいる。

 舞地さんは手にしていたキャップを深く被り、顔を少し逸らした。

「どうしたんですか、舞地さん」

 苛立ったように声を掛ける矢加部さん。

 それを聞いて、おじさんが「ああ」と声を出す。

「あの、舞地さんですか。お父様達とは、何度かお会いした事がありまして」

「そうですか」

 消え入りそうな声。

 それでもキャップは取られ、前髪を軽くかき上げる。

「……そういえば、目元がお母様に似てらっしゃいますね」

「恐れ入ります」

「お父様、何のお話ですの」

「お前知らないのか?彼女のご実家は、北関東では有名な財閥だよ」

 楽しそうに説明するおじさんと、顔を引きつらせる矢加部さん。 

 しかしどうにか息を整え、リビング全体を指差していく。

「家柄としてはどうなんです。我が家は何十代と続く名門ですが」

「私の家は明治以降に栄えた、成金みたいな物だ」

「またご謙遜を。北関東の舞地家と言えば、国政にも影響力を持つ国内有数の企業グループ。緩やかに没落している私達とは、比べ物になりませんよ」

 知ってか知らずか。 

 娘のプライドを崩させるような説明。

 ますます表情が厳しくなる矢加部さん。

 何となく重くなる空気。

 ただそう感じているのは、私と矢加部さんだけかも知れないが。


「……失礼します」

 遠慮気味な声と共に入ってくるショウ。

 それを見て、一気に明るくなる矢加部さんの顔。

 彼女は満面の笑みで駆け寄り、その腕を取った。

「何してたんですか」

「え?何って、俺は今……」 

 強い力で腕が引かれ、耳元で何かをささやかれる。

 泳ぐ視線、困惑気味に頷くショウ。

 その口が、ゆっくりと開く。

「ごめん。ちょっと、奥で片付けをしてて」

 ぎこちない説明。

 しかし矢加部さんは丁寧に頷き、彼をソファーへと座らせた。

「仕方ないわね。すぐ、お茶を用意しますから」

「あ、ああ」 

 固い返事。

 そんなショウの前には、足を組んで彼を見据えているモトちゃんがいる。

「疲れてるみたいね」

「そ、そうかな」

 逃げ腰の表情。

 その意図は分からないが、話をしたいという顔ではない。

 ただ間が持たないと思ったのか、辺りを見渡して小声で呟いた。

「……サトミと、ケイは」

「私の代わりに、仕事をしてもらってる」

「最近仲いいみたいだな、あの二人」

 一瞬浮かぶ笑顔。 

 だがそれは、本当に一瞬の事だった。

「じゃあショウ君は、最近誰と仲がいいの」

 昨日観たTVを尋ねるような口調。

 表情も穏やかな物。

 ただショウは言葉を詰まらせ、俯き加減で眉間の辺りへ手をやった。

「どうでもいい事よね」

「い、いや。それは」

「ああ、ごめん。私が聞くような話じゃなかった」 

 おかしそうに笑うモトちゃん。

 対照的にショウは、何も返せず下を向いている。

「智美ちゃん、あまりいじめないの」

「別に、いじめてはませんよ。ただ、聞いただけです」

「同じでしょ。玲阿君も、大丈夫?」

 優しく尋ねる池上さん。 

 しかし返事はろくに返らず、その首が微かに動いただけだ。

「何かあったんですか?」

 怪訝そうに尋ねてくるおじさん。 

 ショウは手を振って、席を立った。

「済みません、俺帰ります」

「そうか、残念だな」

「それでは、私達も」

 私を目線で促す池上さん。

 モトちゃんはショウの隣りに並び、小声で彼に何かを言っている。

「申し訳ありません。せっかくお招き頂いたのに、このような形になってしまいまして」

 丁重にお詫びをする池上さんに、おじさんは鷹揚に手を振った。

「構いませんよ。今回もどうやら、娘のわがままのようですし。これに懲りず、これからもお付き合い下さい」

「はい、それでは失礼します」



 地下駐車場へと続く長い廊下。

 照明は灯っているが、気持として薄暗さを感じさせる灰色の壁。

 俯き加減のまま、無言で歩いていく。

 突然後ろから聞こえる足音。

 振り向くと、血相を変えた矢加部さんがこちらへ向かっていた。「玲阿さんっ」

「悪いけど、帰るよ」

「夕食の準備も、もう」

「ごめん」

 言い訳をせず、ただ謝るショウ。

 矢加部さんの顔色がさらに変わり、私達へと向けられる。

「玲阿君に、何を言ったんですか?」

「人の生き方について少しね」

「え?」

「冗談よ。本人がそう言ってるのならいいじゃない。無愛想な男の子を相手にしてても、面白くないでしょ」

 なだめるように語るモトちゃん。

 矢加部さんは納得いかないという顔で、私へもその険しい眼差しを向けた。

「雪野さんは……」

「関係ない」

 短く遮るショウ。

 赤らんでいた矢加部さんの顔が一転して青くなる程の、低い声で。

「ですって。お父さんによろしく」

 呆然とする彼女の肩に触れるモトちゃん。

 しかし矢加部さんは小さく「はい」と答えただけで、それ以外の反応はない。

 少し可哀想かなとも思ったが、私は人を思いやれる程の余裕もない。

 また、そこまで親しみを抱いている相手でもない。

「怒った訳じゃないわよ」

 すれ違い様そうとだけ呟き、彼女の隣を通り過ぎる。

 自分は優しいのか、それとも懲りないのか、甘過ぎるのかと思いながら……。 



 何台もの高級車が並ぶ地下駐車場。

 私達を送ってくれた運転手の人が、シルバーのRV車の前でかしこまっている。

 黒塗りのセダンもあるが、それに乗りたいとは思わないし向こうも気を遣ってくれたのだろう。

 食事はともかく、大して揉めずに帰れたのは助かった。

 矢加部さんも明日になれば、元の通りになっているだろう。

 そういう性格だし、だからこそ困らされてはいるが。

 後部座席へ乗り込もうとすると、後ろから肩を掴まれた。

「なに」

「一緒に帰れ」

「え?」

 舞地さんが指差す方向に止まる、黒のRV車。

 そのドアを開けているショウ。

「どうして」

「理由はない」

 私をそっとどかせ、車に乗り込む舞地さん。

 そのドアが閉められ、助手席からモトちゃんが顔を出す。

「仲直りしろとは言わないけど、ずっとケンカしてても仕方ないでしょ」

「でも」

「ずっと側にいれば、色んな事もあるわよ」

 舞地さん越しに聞こえる静かな声。 

 前を向いたまま、気だるげな顔をしている池上さん。

「本当に離ればなれになった後じゃ遅いから。でも雪ちゃん達はまだ、側にいるんだから。距離も、気持も」

「う、うん」

「何かあったら、真理依が相談に乗るわ」

「勝手な事言って。済みません、出して下さい」

 静かに走り出す車。

 微かなエンジンの音を聞きつつ、それを見送る。

 どうしようかと少しそのままで佇み、リュックを背負い直す。

 いきなり乗り込むのもおかしいし、かといってどう話し掛ければいいのかも。 

 大体今日だって、顔を合わせても口はきいていない。

 やっぱり一人で帰った方がいい。

 そうは思うけど、でも。


「え?」

 目の前に現れる、車のドア。 

 横を向くと、黒のRV車が止まっていた。

 開いたドアの奥には、遠慮気味に助手席を指差すショウが。

「い、家まで送る。みんな、先に帰ったんだろ」

「う、うん。お願い」

 ぎこちない彼に頭を下げ、高いステップを登る。

 シートに座りドアを閉めると、車内には沈黙が訪れた。

 ゆっくり始動する車。 

 エンジン音は殆ど聞こえず、殺風景な駐車場の光景が流れていくだけだ。


 外に出て、住宅街から幹線道路へ続く道を走っていく。

 あまり見慣れない景色。 

 普段はまず来ない地区で、高級住宅が現れては消えていく。

 車内は依然として沈黙が続く。

 今は車載コンポが切なげなバラードを流し、かろうじてその間を埋めている。

 信号待ち。 

 手を上げて横断歩道を渡っていく、小学生くらいの女の子。 

 彼女くらいの年齢だった頃、私は何をしていたんだろう。

 少なくとも、今のように悩んではいなかったはずだ。

 昔から内省的な面はあったにしろ、ここまで落ち込んだ事はない。

 幾つかの嫌な出来事は、確かにあった。

 でもそれらは誰かの助けで、それとも時には自分一人で立ち直った。

 これ程までに時間を掛けずに。

 横断歩道を渡りきり、小走りで路地へ入っていく少女。

 友達との待ち合わせ、自宅への帰り道。

 理由は分からないが、楽しげな表情と共に路地へと消えた。 

 何の悩みもない、幸せをその形としたような彼女。

 勿論それは私がそう考えるだけで、彼女は彼女なりの悩みがあるのかも知れないが。 

 そんな考え方自体、内省的過ぎるのだろう。


 信号が青に変わり、車は静かに走り出す。

 不意に右手から現れ、私達を抜いていく大型のバイク。

 危ないと思う間もなく、その姿は道の彼方へと消える。

 隣をうかがうと、ショウは落ち着いた顔で前を向いている。 

 バイクを追う様子はなく、怒ってる訳でもないようだ。

 向こうも私の視線に気付いたのか、苦笑気味にハンドルを指でつつく。

「抜かされたくらいで怒っても仕方ない」 

 大人びた答え。

 以前の彼を知る者にとっては、という注釈付きの。

 昔なら即座に抜き返し、場合によってはケンカにもなりかねない時もあった。

 ただそれは彼が成長したためか、何もかもにやる気がなくなったのか。

 まるで、私のように。

「っと、また来た」

 サイドミラーやモニターを見つつ、車を操るショウ。

 数台のバイクが左右を抜け、速度を落としたこちらへ挨拶代わりに親指を立てている。

 小さくクラクションを鳴らして応えるショウ。

 バイクはもう見えず、車の速度が上がる。

「よくやるよ」

 自嘲気味なささやき。 

 それは暴走に近い走りをしている彼等だけではなく、かつての自分自身にも向けられているのだろう。

 昔の彼の行為だけを取れば、彼等の走りなど可愛い物だ。

 私は何も言わず、前を向く。 

 ショウもそれ以上は口を開かず、運転に専念する。 

 無言と沈黙の中。

 切なげなバラードだけが、車内に流れていく。


 幹線道路。 

 夕暮れの中、車の列が続く。

 交通情報は市街地の渋滞を告げ、歩道を歩く人達に追い抜かれるくらい。

 会話は依然として無く、時折事務的ともいえる短い言葉が交わされる程度。

 みんなの気遣いで二人きりになったけど、あまり意味はなかったようだ。

 お互いの距離を再確認したという事以外は。

 すぐ側に彼はいる。

 手を伸ばせば届く所に。

 でも、心はどうだろう。 

 彼の気持ち。

 私の気持ち。

 それが通い合っていたと、私は思っていた。

 何があっても大丈夫だとも。


 それは一瞬にして崩れ、私の考えも打ち砕かれた。

 かつて彼に抱いていた思い。

 今、彼に抱いている思い。

 その二つが変わらないとは言わない。

 でも私は、まだ彼に思いを寄せている。

 それは素直に認められる。

 だけど、表現は出来ない。

 そうする勇気も、気力も無い。

 遠くにいる彼には。 

 すぐ隣りに。 

 手を伸ばすだけで届く所に、彼はいるのに。



「……着いたよ」

「え?」

 顔を振ると、自宅の玄関が見えていた。

 エンジンは切られていて、どうやらかなり前に着いていたようだ。

「あ、ありがとう」

「いや」

 難しそうな顔で首を振るショウ。

 面倒な事を頼んでしまったと思い、ため息が漏れそうになる。

 さすがにそうする訳にも行かず、後部座席からリュックを取りドアを開ける。

 高いステップを降りた所で、ドアへ手を掛ける。

 難しい顔で前を向いたままの彼。

 そのまま玄関へ向かおうとする私。

 それで今日は終わる。

 この気まずい雰囲気も。

 そして彼との距離は、遠ざかっていく。

「……寄ってく?」

「え?」

「お茶くらいはいいでしょ」

「あ、ああ」

 戸惑い気味に頷き、車を降りてくるショウ。

 私は玄関のドアに手を掛け、彼を振り返った。

 この後訪れる気まずさを十分に承知しながら。


 リビング。

 地域のニュースを流すTV。

 マグカップを前に、無言で向かい合う私達。

 何も変わらない状況。 

 変えようとしない私達。

 話したい事はいくらでもあり、聞きたい事も限りなくある。 

 だけど口は動かず、心の中で繰り返すだけ。

 一言でもいい。

 ちょっとした冗談でも。

 だけど、私達は黙ったまま向かい合う。

 お母さんは買い物中らしく、姿が見えない。 

 お父さんは今日、会社へ行っているはずだ。

 家には私達二人きり。

 意図した訳ではなく、偶然。

 またこの状況が、余計に空気を重くする。

 何をするでもなく、会話もなく。

 結局は空回りになっている。

 何一つ進展しない。

 もうこのままで、終わってしまうのだろうか。

 今日も、この先も。


 ついため息を付き、ソファーの隣に置いてあったリュックへ触れる。

 指先に感じる、固い感触。 

 どうしてと思いつつ、ファスナーを開けて中へ手を入れる。

 出てきたのはスティック。 

 そんな事にも気付かなくなっている。

 自分でも馬鹿馬鹿しく思い、それをテーブルの上に置く。

 音が聞こえたのか変化を求めたのか、ショウの視線がそちらへと向けられる。

「……ちょっと借りていいかな」

「あ、うん」

 スティックを手に取り、軽く振るショウ。

 今度はそれを伸ばし、何度か手の平へ当てる。

「重心がずれてる」

「え?」

「正確には俺も分からないけど、今テーブルに置いた時の音がちょっと。最後に調整したのって」

「去年の11月くらいかな」

 今年に入ってからは、自分で調整しただけだ。

 また私自身は、それで合っていると思っていた。

「多分、成長したんだよ」

「なにが」

「その、自分の体が」

 名前を呼ばず、曖昧に答えるショウ。

 私は自分の体を見つめ、首を振った。

「全然変わってないけど」

「もっと微妙な成長だと思う。目に見えないくらいの」

「そうかな」

 首を傾げ、腕を振る。

 見慣れた短い腕。

 去年より伸びたとは思わないし、またそうにも見えない。

「それに、これ自体の重心もずれてる」

「どうして分かるの」 

 当然な質問をする。

 ショウはスティックに触れるのを止め、首を振った。

「何となく」

 曖昧な答え。

 答えを我慢するような表情。

 私も無理には尋ねず、ため息を付いた。

「私は、分からないけど」

「父さんに頼んで調整してもらう。それまで、これを……」

 彼のリュックから出てくる警棒。

 磨き込まれた、だけど殆ど使われた様子はない。

 彼は大抵素手で戦い、警棒は滅多に使わないから。

 それでも手入れは行き届いていて、感触は私のスティックと遜色ない。

「今日は遅いから、明日学校が終わったらすぐ行こう」

「あ、うん」

 彼に気押される感じで、すぐに頷く私。

 ガーディアンの仕事を、また休む事になるとかも考えずに。

「でも、迷惑じゃない?」

「どうして」

 不思議そうな顔。

 私は首を振り、自嘲気味に笑った。

「私なんかの世話を焼いて」

「別に、俺は。あのさ」

「なに」 

 問い詰める訳ではなく、純粋に尋ね返す。

 腰を浮かしかけたショウは手を動かし、しかしすぐに首を振ってソファーへ戻った。

「いや、何でもない」

「そう」

 答えは期待していなかったので、落胆もしない。 

 残念ではあるが。 

 また、彼と私との壁にも気付かされる。

 以前なら、突っ込んで聞く事が出来た。

 それとも、話さなくても気にならなかった。

 今は答えを待たず、それを当然と思う。

 思い込んでいる。


「いや。なんて言ったらいいのかな。言いたくないって意味じゃなくて、その」

「いいよ、無理しなくても」

「本当だって。あの、俺は。だから、これが」

 テーブルへ置かれる、私のスティック。

「さっきこうして置いた時」

「うん」

「今は違うんだけど。……ちょっと、やってみて」

「え?ああ、うん」

 訳の分からないまま、スティックを持ってテーブルへ戻す。

「これが、どうかした?」

「……毎日使ってると、自分では分からないかな。少し音が違うんだよ」

「音なんて別に」 

 もう一度やってみるが、コトンという音がするだけだ。

 少なくとも私には、何の違いも感じられない。

 感覚自体が鈍っている事を、考慮する必要があるにしても。

「自分でやってみてよ」

「ああ」

 今度はショウが、スティックを置く。

 やはりコトンという音が、TVの音に重なって消える。

「何が違うの?」

「だから微妙なんだ」

「全然分かんない。どこが……」

 ショウが置いたスティックへ手を伸ばす。


 その瞬間。

 引いた彼の指先に、私の指先が触れる。  

 何でもない、本当に何でもない事。

 だけど私達は慌てて手を引き合い、顔を逸らした。

 自分でも分かるくらい高まる胸、血の気が上がる頬。

 その理由は分からない。 

 彼はどうなのか。 

 そう思い、恐る恐る顔を彼へと向ける。

 向こうもゆっくりと、こちらへ顔を向ける。

 気のせいか赤く見える顔。

 慌てたような表情。

 私がゆっくりと口を開く。

 彼もまた……。



「ただいま」

 スーパーのビニール袋を提げて、リビングに入ってくるお母さん。

 弾かれたように距離を置く私達。

 それを見て、お母さんが苦笑する。

「何してるの、あなた達は」

「べ、別に」

「あ、ああ。お、俺帰る」

 自分のリュックをひったくり、早足で廊下へ向かうショウ。 

 だがすぐに戻ってきて、テーブルの上にあった私のスティックを持っていく。

「ご飯は?」

「い、いや。用事があるから」

「そう。最近来ないけど、どうかした?」

「な、なんでもない。ま、また来ます」

 一礼してリビングを出ていくショウ。

 少しして気を取り直し、玄関へと向かう。

 ちょうど彼が出ていった所。

 こちらもサンダルを履き、玄関を出る。


 車に乗り込んでいる彼。

 始動するエンジン。

 走り出す車。

 車道まで出て、それを見送る。

 胸元で、小さく手を振って。

「さよなら」

 夜風に掻き消されるささやき。

 街灯に照らされた夜道を走っていく車。

 そのドアから、何かが見えた気がする。

 私はもう一度手を振り、玄関へと戻った。

 振り返されたように見えた手を、胸の中に残して……。




 器具を外し、小さな部屋から外へ出る。 

 軍の守山駐屯地内にある、体力測定用ルーム。 

 私の体格や動き、身体能力のチェックが終わったのだ。

 軍医と装備関係の研究員が、笑顔でこちらへとやってくる。

「少し手足が伸びてるね。勿論、身長も」

「え、そうですか?」

「本当に、微妙にだけど。多分、雪野さんは実感がないくらいに」

 診察室のような部屋。

 デスクの上にあるモニターに表示される、私のデータ。

 前回の測定値と比べ、本当に若干だが伸びている。

「スティック自体と、内部の重りも、削れたのか少し軽くなってる」

「それって、重心がずれてるって事ですか?」

「うん。感覚的に分かるかどうかくらいだけど、雪野さんは気付いてた?」

「いえ。私は」

 首を振り、別な机で解体されているスティックへ目をやる。

 ショウが言っていた通りの事。

 私にすら分かっていなかった事実。

 それをあっさりと指摘した彼。

 胸の中に沸き上がる、複雑な気持ち。 

 喜んでいいのか、感謝していいのか。

 それとも。

「でも、良くこれを使いこなしてるね」

「使いやすいですよ。オーダーメードですし」

「重りの場所が微妙だから、意外と振りにくいんだよ。知らない人が振ると、軌道が横に流れたりするから」 

「確かに」

 サトミ達が振ると、研究員さんが言った通り左右に流れる時がある。

 これを手にする機会がある彼女達でもそうで、知らない人は振れない事も珍しくはない。

「敵に奪われた時、利用されないようにという理由もあるんだ。一応は、軍用品だし」

「ええ」

「だから高いんだよね。四葉君も、よくやるよ」

「え?」

 研究員さんは、解体されたスティックを指差した。

「今でも少しずつ払ってるよ。もういいって言ってるのに、いつまで払うつもりなんだか」

「あの、何の話ですか」

「知らないの。四葉君、これの代金を毎月送ってくるんだ」


 ずっと、ずっと昔。

 中等部に入った頃の話。

 警棒の重さや使いにくさが気になって、その代わりが欲しいと思っていた。

 そんな時、私に申し出てくれた人がいた。

 もっといい物があると。

 彼のお父さんのつてを頼り、頭を下げ、このスティックを手に入れてくれた。

 市販品とは違う素材と作り、出来上がるまでの過程。

 素人の私でも分かる、その価格。

 でも私はずっと、好意で安くしてくれたと思っていた。

 今、その話を聞くまでは。


「そう、ですか」

 かろうじて、それだけ呟く。

 何も分からなくなってきた。 

 自分の事、彼の事。

 私の気持ち、彼の気持ちも。

 何もかもが。

「あ、あの。最後の支払いはいつですか?」

「さっきもらったよ」

「主任。その話は雪野さんにするなって、四葉君言ってましたよ」

「え、そうだった?あ、そうか。ちょっとまずいな。ごめん、忘れて」

 顔をしかめて謝る研究員さん。

 私は苦笑気味に頷き、彼等に気付かれないようため息を付いた。

「とにかく調整はしておくから、今日はもう帰っていいよ」

「あ、はい。お願いします」

「うん。四葉君にもよろしく」



 軍服を着た人達とすれ違い、追い抜かれながら駐屯地の敷地を歩いていく。

 外来客用の駐車場は、もうすぐ。 

 ショウは元大尉であるお父さんの知り合いと、話をしているとの事。

 まだ彼は戻ってきてないと思うけど、私は知り合いもいないしやる事もない。

 時折駆け足で、隊列を組んだ人達が走っていく。

 銃こそ持っていないが、その顔は紛れもない軍人の精悍さを感じさせる。

 掛け声と叱責、規則正しい足音。

 夕景へ消えていくその声、その姿。

 訳もなく、胸が締め付けられる。


 そして、ふと思った。

 今は、距離のある私とショウ。

 でも、彼が軍へ進んだ場合。

 その距離は現実の物となる。

 私達が今会えないといっても、その気になればすぐに相手を見つけられる。

 同じ学校へ通い、すぐ近所に住んでいるから。

 だけど、彼が軍へ行った時には。

 埋めようとしても埋まらない距離。

 そして時間も。

 会えないのは、一日や二日という単位ではない。

 一ヶ月、二ヶ月。

 今のこうした悩みが、なんなのかと思うくらいの事。

 またそうなった時、私はどうなるんだろう。

 分かっているのは、今のままでは関係がないという事。

 もうこの時点で、私達は離ればなれになっているから。

 私は、そう思っていた。

 だけど、さっきのスティックの話。

 その異変に気付いた彼。

 そのお金を払い続けている彼。

 私には何も言わず、伝えようともせず。 

 彼の真意は、一体。

 そして私は、どうすれば……。



 夕暮れの中。

 長く薄い影を見つめる。

 実際の自分とは違う姿。

 ただこれも、私ではある。

 よく分からない事を思いつつ、軽く前髪をかき上げる。

 強くなり始めた、まだ冷たい春の風。

 心にまで吹き抜けるような。

 寒くなった肩を抱き、下を向く。

 私は、何をやっているんだろう。

 何を見ていたんだろう。

「どうかした?」

 遠慮気味な呼び掛け。

 夕日に目を細めながら、車のドアにキーを入れるショウ。

「キー、持ってるだろ」

「うん。ちょっとね」

「寒いから」

 助手席のドアが開けられ、私は中へと乗り込んだ。

 窓を降ろし、冷たい風を車の中へと吹き込ませる。

 風に揺れる髪。

 ショウは何も言わず、車を走らせる。




 夕日に向かって走る車。

 吹き込む冷たい風。

 切ない、夕暮れの香り。

 私は車の揺れに身を任せ、赤く染まる街並みを眺めていた。

 何も考えず、何を思う事もなく。 

 その景色を、視界に収めていた。

 無言で車を走らせる彼の隣で。

 私はその揺れに、身を任せていた。  













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