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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第14話
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     14-4




 席へ着き、リュックを机の隣へ置く。

 卓上端末とノートを広げ、ペンを手に取る。

 自分がいるのは、教室の後ろ。

 席は半数以上が埋まり、クラスメートが楽しげに会話を交わしている。 

 窓からは春の日差しが差し込み、先日まで暖房を入れていたのが嘘のような暖かさ。

 ホワイトボードに書き込まれた幾つかの落書き。

 意識は。


 はっきりとしている。

 誰が何をしているのか、何を話しているのかが分かる。

 立ち直った訳ではないが、少しは元に戻った。

 あくまでも、ほんの少しだけ。

 今も気は重く、やるせない気持が胸を占める。

 何かが変わったのではない。 

 せいぜい目を覚ました、というくらいの事で。

 背けていた目を、前に戻したとも言える。

 どちらにしろ、何も進歩はしていない。 

 良くもなってない。

 それでもいい……。



 サトミ達も私の周りに座り、そろそろ授業が始まるという時間。

 するとドアの辺りで、騒がしい声が聞こえてきた。

「まだ大丈夫ね」 

 教室内を見渡し、私と目を合わす矢加部さん。 

 その隣には、ショウもいる。

 久しぶりに見る顔。

 少し元気が無いようだが、調子を崩している様子ではない。

 それに、我知らず安堵感を覚える。

 あれだけ思い悩みながらどうしてと自分で思うが、そこまでは割り切れない。

 一瞬口を開きかけるショウ。

 だが矢加部さんに腕を引かれ、そのまま私達の少し前の席に付く。



 ざわめく教室内。 

 大抵のクラスメートは私とショウの関係を知っていて、また最近どうだったかも分かっている。

 しばらく顔を見せなかったそのショウが、私達の前に現れたという今。

 好奇心や不安を漂わせた視線。 

 それを楽しむように、笑顔さえ浮かべ辺りを見渡す矢加部さん。

 落ち着かない雰囲気。

 ささやき声。

 先生が来ればそれも収まると思い、顔を机に向ける。

 始業のチャイム。

 しかし、先生は来ない。

 少しして、スピーカーからアナウンスが。

 急病により、休講。

 配信された情報では自習となっている。

 一気に騒がしくなる室内。

 ただすぐに代理の先生が来て、出席を取り詩の書かれたプリントを配りだした。 

 時間まで、それを読むようにと。 

 当然そんなのを読んでいる人はどこにもなく、みんなは話をしたり別な授業の宿題をしたりと他の事をやり始めた。


 拍子抜けの気分。

 少しやる気がでたと思ったら、いきなりこうなるとは。

 ただ勝手に帰る程でもないので、取りあえず次の授業の予習をする。

 それ程広くはない教室。

 すぐそばで交わされる会話は、当然耳へ入る。 

 下らない、大して面白くもない会話。

 殆どが自慢話で、関係ない自分としては疲れてくるくらい。 

 しかし黙れと言える雰囲気ではないし、そういう気分でもない。

 勝手にしてればいいだけだ。

 私も、出来るだけ気には払わない。


「嫌ね、お金がないなんて」

 鼻に掛かった、小馬鹿にした声。

 偶然静かになった室内に、その声が広がっていく。

 自然と集まる視線。

 それを気にするどころか、むしろ当然という表情。

「大した金額じゃないでしょ。車の1台くらい」

 あちこちから聞こえる、驚きを含んだささやき。

 緩む矢加部さんの顔。

「世の中には、食べる物にも事欠く人がいるみたいだけど。服も買えないで、人にもらったりとか」 

 それとなく向けられる視線。

 私達の方へ。

「よくそんな生活で我慢出来るわ。私だったら、恥ずかしくてとても。そうは思いません、遠野さん」

 笑顔。

 侮蔑気味のそれで、サトミへ笑いかける矢加部さん。

 彼女の取り巻きから上がる笑い声。

 気まずそうな、それ以外のクラスメート。 

 本を読んでいたサトミはそれを机に置き、ゆっくりと彼女へ顔を向けた。

 緩やかに、流れるように。

「そうかしら」


 静かな、何でもない一言。 

 その一言で、室内がさらに静まりかえる。

 まるで喉元に、研ぎ澄まされた刃を突きつけられたかのように。

 矢加部さんに至っては、青白い顔で口を開けたままだ。

 今さらながら、サトミの事を思い出したのだろうか。

 外見だけを見れば、大人しそうな綺麗な女の子。

 でもその内面は、青い炎が絶える事無く燃えている。


「私達に、何か言いたい事でも」

 落ち着いた口調で語りかけるモトちゃん。

 ただ彼女もまた、サトミとは違う独特の威圧感を発している。

「わ、私は別に」

 同意を求めるように、矢加部さんが室内を見渡す。

 だが、反応は何一つ無い。

 今私の周りにいる人達。 

 サトミ、モトちゃん、木之本君、沙紀ちゃん。 

 クラス内だけでなく、学内でも強い影響力を持つ人達。

 勿論それを顕示する事はなく、普段はむしろ大人しくしている方だ。 

 みんなもそれを分かっているから、私達には自然に接してくれる。

 でも矢加部さんは、多分自分の方が上に立ちたかったのだろう。

 極端にいうなら、このクラスでの主導権を欲しかったのかも知れない。

 自分と取り巻き。

 そしてショウがいればどうにかなると思って。

 しかし現実は、そう甘くない。

 私がそうだったように。

 彼女にとっても。


 矢加部さんへの賛意は、わずかにも感じられない。

 むしろ遠ざかるような雰囲気。 

 それは私達の方が、クラスのみんなと付き合いが長いという事もあるだろう。

 また、それ以外の要素も当然ある。

 お金と力があればいいという物でもない。

「言いたい事があれば、はっきり言ったら」

 あくまでも静かに語るモトちゃん。

 だからこそ、その威圧感は増す。

「べ、別に何でもありません」

「そう。ごめんなさい、てっきりケンカでもしたいのかと思って」

「え?」

「私も揉めるのは好きじゃないけど、友達を馬鹿にされて黙ってる程人間が出来てないのよ」

 柔らかな微笑みが、優しい顔に浮かぶ。

 鋭い、刺すような眼差しと共に。

「揉めたいなら、いつでも来て。矢加部さん」

「わ、私は」

「冗談よ、冗談」

 軽く笑い飛ばし、木之本君と話し始めるモトちゃん。

 それを合図としたかのように他のクラスメートも、自分達がやっていた事に戻る。 

 対照的に、白けきったムードに包まれる矢加部さん達。

 屈辱と恐怖。 

 その二つを同時に味わい、何も出来ない無力さ。

 自業自得とも言えるが、彼女はそう思っていないだろう。


「怖いわね」

 そう言う割には、笑っている沙紀ちゃん。

 モトちゃんは手を振って、彼女の隣を指差した。

「私は、ビールをぶっかけないから」

「良く覚えてるね」

 自分も覚えてる事を告げる木之本君。

 ケイは鼻を鳴らし、読んでいた本を閉じた。

「どうでもいい」

「投げやりだね」

「じゃあ、木之本君はどう思う」

「僕?ちょっと、矢加部さんは無理し過ぎかな。もっと周りの人と合わせるようにすればいいんだけど」

 相変わらずの人がいい発言。

 それに、苦笑とも付かない顔をするみんな。

 私も少しだけ笑う。

「あの馬鹿に聞かせてやれば」

「浦田」

「何だよ」

 珍しく苛立ち気味に返すケイ。

 沙紀ちゃんは困惑気味に彼を見返し、一瞬私を窺った。

 それには何も答えず、ただ首だけを振る。

「どうでもいいんだけどさ」

「どっちなの」

 軽く突っ込むモトちゃん。 

 再びの笑顔。

 するとそこに、暇を持て余した様子のクラスメートが通り掛かった。


「よう」

 誰に話しているのかと思ったら、その顔は私を向いていた。

 取りあえず頷き、サトミ達へ顔を戻そうとする。

「あ、あのさ。話があるんだけど」

 3人組の一人が、どもり気味に話し掛けてくる。

 私が自分の顔を指差すと、その子が頷いた。

「ここだと何だから、外で」

「まだ授業中……」

 そう答えた途端、チャイムが鳴る。

 だが困った顔をしたのは、彼の方。

 クラスメートは荷物を片付け、教室を出ていく。

 勿論、矢加部さん達も。

 そして、ショウも。

 こちらを見ているショウ。

 私を。

 それとも、他の人を。

 でも、何も言わない。

 ただ私を見ているだけで。

 こちらもつい、彼を見つめる。


 他の事は何も考えず。

 彼を目を合わせる。

 言いたい事は限りなくあり。

 伝えたい思いも限りない。

 でも、その術はない。

 私と彼の間には、机と机の間にある通路以上の距離がある。

 少なくとも、私にとっては。

 リュックを背負い立ち上がる彼。

 その姿はドアへと向かう。

 視線を私に向けたまま。

 ドアの向こうに消える寸前まで。

 言葉はなく、何かを渡される事もない。

 ただ視線をかわし、見つめ続けるだけ。

 一言告げれば。

 まだ間に合う……。


「雪野さん」

「え?」

 不意に現実へ引き戻された感覚。 

 目の前にはさっきの男の子と、その友達が立っていた。

 視線をドアに戻すと、すでにショウの姿は見えなくなっている。

 仕方ない。

 今さらという話だ。

 それに話して、どうかなる訳でもない。

「雪野さん」

「え?」

 また自分の思索に耽っていたようだ。

「ああ、ごめん。それで、話って」

「そ、その。人もいなくなったし、ここでいいんだけど」

 私の周りを気にする男の子。

 クラスメートは全員出ていって、残っているのは私達だけ。

 つまり、サトミやモトちゃん達がまだ側にいる。

「みんなには話せない事?」

「い、いや。そうでもない」

 自分は友達を連れていて、こっちが一人では虫が良過ぎるとでも思ったのか。 

 明らかにサトミ達を気にしつつ、男の子が一歩に出た。

 私はリュックを持って、彼とは反対側の通路に出る。 

 冷たい態度かも知れないが殆ど口をきいた事もないし、親しくもない。

 せいぜい顔を知っている程度だ。

 焦ったのか、机に手を付く彼。 

 こちらは逃げた訳ではないので、それを冷静に見つめる。

「あ、あのっ」

 突然の大声。 

 苦笑気味のサトミ達。

「その、今雪野さんって誰かと付き合ってる?」


 真っ赤な顔で尋ねる男の子。

 こちらは答える気にもならず、リュックを背負い背を向ける。

「サトミ、行こう」

「ええ」

 彼等には一瞥もせず、ドアへと歩き出す。

 私とショウの関係を知って、そう言い出したのだろう。 

 話の内容は大体分かったが、その気は全くない。

 特に、今の気分では。

「雪野さん、待ってよ」

 ドアの前に立つ彼と友人。

 さっきのモトちゃんを見て、何も気付いていないのだろうか。

「べ、別に付き合ってくれとかそういうのじゃなくて。ただ友達っていうのか。ちょっと遊びにでもと思って。映画のチケットがあるから」

「私、忙しいの」

 にべもなく答え、反対側のドアへ目をやる。

 そちらをふさごうと足を動かす男の子。

 遊んでいる気分ではないので、はっきり言おうと口を開きかける。

 だが向こうが先にじれたらしく、大きく首を振った。

「分かったよ。俺なんて相手に出来ないって事だろ」

「そうは言ってない。ただ、今はそういう気分じゃないの」

「だから振られるんだよ。媚びを売れとは言わないけど、少しくらいは愛想良くしたら」

 ストレートな言葉。

 私の素っ気ない態度に怒りを覚えたんだろうけど、言い掛かりもいい所だ。 

 馬鹿馬鹿しくて言い返す気にもなれず、適当に頷く。

「そうかもね。話は分かったから、どいてくれない」

「ああ、どくさ。もう、用はない」

 先程とは打って変わった、冷たい態度。

 さすがに怒りがこみ上げるが、何かを言う気にもならず隣を抜ける。

「あいつもあいつなら、自分も自分だな」

 苛立った声が、背中に掛けられる。 

 彼等が、ショウに反感を抱いているのは知っている。

 格闘クラブ系に所属し、それなりに自信があり。

 だけどショウがいれば、どんな経歴も彼方ににかすむ。

 それらの複雑な気持ちが、不意に今爆発したという訳か。


「うるさいな、お前」

 後ろからの声。

 振り返るとそこには、ケイがいつにも以上に無愛想な顔で立っていた。

「なんだ、文句でもあるのか?」

「調子に乗るなって言ってるんだ」

「この野郎。よくそんな事が言えたな」

「俺をどう言おうと勝手だけどな。他の子の事で、何か言ってみろ。ただで済むと思うな」

 険しい眼差しで睨むケイ。

 男は鼻を鳴らし、彼へと近づいた。

 自然と割れる私達。

 その結果、男とケイが睨み合う格好となる。



「仲間がいるからって、お前こそ調子に乗るな」

 素早く構えを取る男。

 ケイは無言で、ジーンズのポケットに手を入れた。

「お前は足手まといなんだよ。玲阿が少し強いからって、自分も強いって思ってるんじゃないだろうな」

 何も答えないケイ。

 男は鼻で笑い、上体を揺らし始めた。

「他の連中はともかく、お前は数合わせなんだ。それに気付けよ」

 少しケイの口が開く。

 言葉を待つ男。

 だが何も発せられる事はなく、ケイは小さなあくびを終えた。

「このっ」

 男の顔色が変わり、速い出足で前に出る。

 同時にケイも、ポケットから手を出した。

「止めなさい」

 静かに彼の手を押さえるサトミ。

 その視線は刃となって、男達へと向けられる。

「私も怒らせる気?」 

 一気に辺りの気温が下がったような感覚。

 男達はぎこちなく首を振り、気まずそうにして目配せをした。

「行こうぜ」

「馬鹿の相手なんてしてられるか」

 捨て台詞を残し去っていく男達。

 サトミは薄笑いを浮かべ手をその背中を見送り、ようやくケイの手を離した。

「あなたも落ち着きなさい」

「最近ストレスが溜まってるんだ」

「馬鹿にされたからって、燃やしてどうするの。どうせ、ライターを出そうとしたんでしょ」

「いいだろ、別に」

「そうね。ユウ、ではなくて他の子って言うのが気になるんだけど」 

 からかうような視線。 

 それを避けるように、リュックを背負いドアへ歩いていくケイ。 

 そのまま彼の姿は消え、私達だけが残される。

 ただサトミの視線が沙紀ちゃんへ向かない事から、そういう意味では無いようだ。

「どういう意味?」

「その内ね」

 曖昧に答えるサトミ。

 こちらも無理に聞く気はなく、小さく首を振る。

「どうかした?」

「何やってるのかなと思って」

「さっきの連中が馬鹿なだけよ」

「そうかも知れないけど」

 それ以上は続けず、私もドアへと歩き出す。

 次の授業がもう始まる。

 今度は普通に受けられるだろう。

 それに、少しくらいは落ち着きたい。

 多分今の自分には、休息が必要だから。

 こうして、自分を気遣ってくれる人達の助けが。

 自分では何も出来ないけれど。 

 今は、それにすがるっていた方がいい。

 下らない意地を張っているよりはましだ。

 もし私が学んだ事があるとするなら、きっとそれだろう……。



 放課後。

 取りあえず、モトちゃんのオフィスに顔を出す。

 特に割り当てられた仕事もなく、ただ座っているだけ。 

 する事は、何もない。

 ただ、それでは気が引ける。 

 そんな風に思えるようになった。


 取りあえず辺りを見渡し、途中が抜けている本棚を整理する。

 大して意味もなく、今特にやる必要もない。 

 でも、何もしないよりはましだ。

「何してるの」

 隣りに立ち、怪訝そうに私を見つめる神代さん。

 彼女の小脇には、数冊の本が抱えられている。

「あ、それで」

「そのくらいは、私がやるから」

 そっと私をどかし、てきぱきと片付けていく。

 私よりも早く、丁寧で、順序立てて。

 却って、邪魔をしたようだ。

「……どうしたの?」

「え、別に」

 少し無理に笑い、その場を離れる。

 こうなると本当にやる事が無く、ため息を付いてソファーに座る。

「先輩、暇?」

「ん、見ての通り」

「良かったら、手伝って欲しいんだけど。これを、名簿順に並び替えて」

 テーブルに置かれる、分厚い書類の束。

 G棟全員の、ガーディアンのプロフィールだ。

「今、元野さんに連合の分も貰ったから」

「分かった。渡瀬さんは」

「もうすぐ、残りの分を……」

 真剣さと、すさまじい集中力。

 書類の束を抱え、その上にグラスを2つ置き。

 すり足で、一歩また一歩と進んでくる。

「あんたは、何してるの」

「黙ってて」

 いつになく厳しい口調。

 やっている事とのギャップはともかくとして。

「は、早く」

「何よ、もう」

「お、落ちるから」

「はいはい」

 側までやって来た彼女からグラスを受け取り、神代さんはそれをテーブルの上へと置いた。

「あ、雪野さん。じゃあ、もう一ついりますね」

「私はいいから、二人で……」

 人の話も聞かず、書類をテーブルへ置き突っ走っていく渡瀬さん。 

 そして今度はペットボトルを肩に担ぎ、グラスを手にして戻ってきた。


「ありがとう」

「どう致しまして」

 にこりと笑い、私のグラスにお茶を注いでくれる。

「あなたは、いつも楽しそうね」

「はい、楽しいですよ」

 素直な笑顔と返事。 

 私もつい笑顔を浮かべ、それに応える。

「この子は脳天気なんだよ。さっき元野さんにも、落ち着くようにって言われてたのに。すぐこれだから」

「性格なの。これはもう、治らないの」

 はっきりと自信を込めて言い切る渡瀬さん。

 それには私も頷きたくなる。

「でも並び替えるって、そんな必要あるの?」

「局長が、アイウエオ順での閲覧を希望だってさ」

「あー、めんどくさい」

 愚痴る神代さんと、ストレートに不満を呈する渡瀬さん。

 その気持ちは、本当によく分かる。

「これだけの量、3人じゃ無理でしょ」

「そうなんだけど、他の人も忙しくて」

「雪野さんは暇そうですね」

 くすくす笑い、書類を仕分けしていく渡瀬さん。

 神代さんが気まずそうに彼女を肘でつつくが、きょとんとした顔でそれを見返す。

「ん、どうかした?」

「い、いや。別に」

「あ、そう。変な名前だな、この人」

 屈託無く笑う彼女を気にしつつ、私に目線で謝る神代さん。 

 私は首を振り、軽く微笑んだ。


 最近色々あるけど、この子達といると気が休まる。

 自分が年上で、少しは彼女達よりも経験がある。

 私の方が上の立場という意味より、接する時に余裕が出来る。

 勿論サトミ達といても気は休まるけれど、どこか気を張っているのも確かだ。

 気を遣わせないようにとか、無理してでも笑っていようとか。 

 でも彼女達といる時は、もう少し自分でいられる。

 付き合いの短さと、年齢や経験の差。

 微妙で,私にとってはゆとりを持てる位置。

 ずるいといえば、ずるいポジション。

 本当なら彼女達の相談に乗る立場なのだろうけど、今はこうして自分を安全な場所に置いていたい。 

 せめて、後少しは。


「精が出ますね」

 苦笑しつつ、こちらへやってくる小谷君。

「何か用」

 素っ気なく尋ねる神代さんに、彼は書類の束を差し出した。

「今年ガーディアンになった連中の、追加分。頑張って」

「小谷君も頑張ってよ。というか、やって」

「俺は他にやる事があるんだよ」

「さぼればいいじゃない。ほら、仕事仕事」

 相当矛盾する事を言い、渡瀬さんは今の書類を突き返した。

「勘弁して欲しいね。……どうも」

 結局は腰を下ろし、それとなく私に挨拶をする。

 私も曖昧に頷き、ア行の書類を抜き出していく。

「ごめん。渡瀬さん、俺にもグラス」

「あ、うん」

「あたしも行く」

 席を立ち、キッチンへ続くドアへと歩いていく二人。 

 そのドアが閉まり、ロビーには私と彼だけになる。 

 多少の出入りはある物の、私達に気を留める者は殆どいない。 

 最近の、よくある風景の一つとしての視線しか。

「大丈夫ですか?神代さんは大分心配してますよ」

「渡瀬さんは」

「気付いてないのか、そう振る舞ってるのか。後者なら、相当見直しますけどね。気の回る渡瀬さんなんて、渡瀬さんと呼べないけど」

 少しだけ笑い、彼は書類の抜き出し作業を進めていく。

 あくまで自然に、自分の感情は出さずに。

「俺が立ち入る事じゃないし、言う権利も無いし」

「いいよ、気を遣わなくても。前よりは、ちょっと良くなったから」

「そうですか。浦田さんや雪野さんは、何か言ってます?」

「全然。本当に、たまに言うくらい」

 もしかすると色々言っているのかも知れないが、私がそれを覚えていない。

「意外だな。それとも、そういう優しさですか」

「どうなんだろう。最近ぼんやりしてて、全然考えが回らないから」

 自嘲気味に笑い、作業のペースを少し落とす。

 ただこれをやっていると気は紛れるので、完全に止めはしない。

「小谷君は、どうしてそんな事聞くの?」

「俺も色々と事情がありまして」

 私以上に薄い笑顔。 

 彼はそこで言葉を切り、辺りを見渡した。

「浦田さんにでも、俺と会ったと言って下さい」

「あ、うん」

「それに雪野さんは先輩ですからね。俺みたいなどうしようもない人間でも、多少は心配しますよ」 

 ちょっと頼りなげな、切ない表情。

 そう振る舞っているのではなく、彼の本心を表すような。 

 それを疑い、否定するのは簡単だけど。

 私は、彼を信じている。

 きっと彼が、私を信じているように。

「……ありがとう」

「い、いや。お礼を言われても。渡瀬さん達遅いなー」

 落ち着き無く立ち上がる小谷君。 

 微かに赤らんでいた顔が、しかし突然険しくなる。

「何か、やばそうな奴が入ってきましたよ」

「襲撃?」

「いえ。ガーディアンのIDを付けてます」

 腰を落とし、警戒気味な動きを取る小谷君。

 私も気になり、その場で立ち上がる。


 服の上からでも分かる鍛えられた体と、かなりの長身。

 腰には長い警棒が差してあり、辺りを見つめる大きな瞳は鋭く険しい。

 静観というよりは野性的で、普通にしているだけで相当の威圧感が感じられる。

御剣みつるぎ君」

「知り合いですか」

「中等部での後輩。私というより、……ショウの」

「ケンカ屋って雰囲気ですね。なるほど」

 先程よりは警戒を解き、ゆっくりと彼に近づく小谷君。

 私も関係上、彼に付いていく。

 受付の前。

 クレームではないが、強い口調で書類をやりとりしている御剣君と受付の女の子。

「何してるの」

「誰だよ……。あ、雪野さん」

 口調を改め、慌てて一礼する御剣君。

 目を見張る程の大きな体が、一気に小さくなった印象を受ける。

「彼女が怖がってるじゃない。あなたは顔も声も怖いんだから、もっと静かにしなさいって言ってるでしょ」

「は、はい。済みません」

「ごめんね。この子見た目はこうだけど、別に怒ってないから。そういう物だって、軽く聞き流して」

 怯え気味だった受付の子にフォローを入れ、作業をしていた応接セットの方へ連れてくる。


「それで、どうしたの」

「塩田さんが、書類を取りに行けと言って。ついでに、学校の配置やオフィスの場所を覚えろって」

「分かった。仕事が終わったなら、適当に見て回って」

「あ、はい。それより、四葉さんと何があったんです。あの人、なんか機嫌が悪くて」

 ストレートな質問。

 表情に悪びれた所がないのは救いだが、そう聞かれたい事でもない。

 そんな私の気持ちを読み取ったかのように、小谷君が面倒げに手を振った。

「本人に聞く事じゃないだろ」

「誰だ、お前は」

「1年の、谷だ」

「関係ない奴は口出すな。俺は雪野さんに」

 もう一度手を振る小谷君。

 先程よりは強く、明確な意図を持って。

「分かったから、もう止めろ。多分、自分が噂で聞いてる通りだ。そうですよね、雪野さん」

 助け船を出してくれる小谷君へ頷き、私は首を振る。

 少しは吹っ切れたはずなのだが、ストレートに聞かれるとさすがに堪える。

「私から話す事は何もないから。知りたかったら、ショウにでも聞いて」

「話してくれないんですよ。だから、雪野さんにと思って」

「私から聞いてどうするの」

「い、いや。そう言われると困るんですが」

 考えの浅い所を見せる御剣君。 

 普段なら笑い飛ばす所だが、今はそういう気分ではない。

 すぐに私の意を汲み、小谷君がドアを指差す。

「もういいだろ。この辺で帰ったらどうだ」

「お前はさっきからうるさいな」

 テーブルを叩こうと伸びる手。 

 だが私の視線を受け、すぐにそれを引き戻す。

「……と、とにかく。お前はちょと」

「ケンカしたいって顔だな。俺には負けないって」

「当たり前だ。四葉さんとだってやるぜ、俺は」

 自信に満ちた表情。

 勿論それは、紛れもない彼の実力に裏付けられた物だ。

 また今の言葉にも、偽りはない。

 しかし小谷君は冷静な態度で彼を見返し、腕を組んだ。

「確かに俺は大して強くない。君より弱いのも認める。だけど」

「だけど、なんだ」

 言葉をため、薄く微笑む小谷君。 

 醒めた、冷たい炎のような眼差と共に。


「俺はどちらかって言うと、浦田さんのタイプなんだ。あそこまで頭は回らないけど、ケンカはあの人より強い。それで、最近玲阿さんは誰に負けた」

「何」

 大きな目を細める御剣君。

 動く喉仏。

 それが不安や恐怖でないのは、緩んだ口元を見なくても分かっている。

「どっちにしろ面白くない事になるんだし、今日は帰ってくれないかな」

「ちっ。お前の事は、覚えたからな」

「光栄だね」

 剣呑な視線を軽くかわし、もう一度ドアを指差す。 

 御剣君は何か言いかけて首を振り、一応は私に頭を下げた。

「済みませんでした。また、挨拶に来ますから」

「うん。サトミ達にも、会いに来てね」

「あ、はい。失礼します」

 丁寧にもう一度頭を下げ、ドアを出ていく御剣君。

 それと同時に、小谷君がため息を付く。

「助かった」

「ケンカするんじゃなかったの」

「あんなのとやったら、一発で負けますよ。ブラフです、ブラフ」

 気弱に笑う小谷君。

 ただ彼の本質を多少は知っているだけに、一概には頷けない。

 頼もしいとも言えるが。


「……お待たせしました」

 トレイを手にして、私の前に立つ神代さん。

「さっきの子は」

「俺を脅して帰っていった」

「逆に見えたけど」

 テーブルに置かれる二つのグラス。 

 御剣君の分も、用意してくれていたようだ。

 今まで出てこなかったのは、私達に気を遣っていたんだろう。

「……済みません」

 神代さんの後ろにいた渡瀬さんが、突然謝ってくる。 

「え?」

 顔を伏せ、腰の辺りで手を揉む渡瀬さん。

「私、何も知らなくて。それを無神経に、馬鹿みたいに騒いで。済みません……」

 小さくなる声、下がる視線。

 頼りなく揺れるお下げ髪。

 心から申し訳ないという気持が、見ているこちらにも伝わってくる。

「大丈夫よ。何も、渡瀬さんが謝る事じゃないから。私こそ、気を遣わせてごめん」

「は、はい」

「本当に。……ありがとう」

 彼女の肩に、頬に、髪に触れる。

 彼女の気持ちを受け止め、それに応えるために。

 顔を上げはにかむ渡瀬さん。

 私も微笑み、もう一度彼女の頬に触れる。

「駄目な先輩だね、私は。後輩にまで気を遣わせちゃって」

「いいんじゃないの」

「どうしてあなたが言うのよ」

 軽く神代さんに突っ込み、みんなで笑う。

 少し軽くなる気持。

 私が何かをした訳ではなく、みんなに助けられただけの事。

 それも後輩に。

 でも、決して悪い気持ちでもない。

 少しずつ、一歩ずつでも。

 前に歩いていきたいから。

 例え誰かの助けの借りてでも。

 今のままでいるよりはいい。

 それが私を助けてくれている彼等に出来る、数少ない事だから。



 寮ではなく、今日も自宅へ戻る。 

 学校からはすぐ側で、本当ならここから通っても良いくらい。 

 現に中等部の頃は、しばらく家から通っていた。

 リビングでプロテクターのサイズを調整していると、インターフォンが鳴った。

 応対に出るお母さん。 

 少しして、制服姿のサトミが入ってきた。

「どうしたの」

「ご飯を食べに来た」

 そう答え、二階へ続く階段を上がっていくサトミ。

 それ自体は珍しい事ではないため、特に気にせずプロテクターのチェックに戻る。

 最近支給された物なので傷は少なく、強度の点でも問題ない。

 お金は取られるが、無いよりはましだ。

 以前の使い物にならないプロテクターからこれに替わったのは、ケイが斬られたからという胸の痛む事実はあるけれど。

 一部の生徒関係者だけが知る事実。

 学内での殺人未遂に近い事件なだけに、公にしづらい事なのだろう。

 スティックにしてもそうだけど、お母さんが言っていた通り使わないで済めばそれに越した事はない。

 ただ、私がガーディアンをやっている以上それは無理だ。

 辞める、という選択肢も無くはない。 

 それは辞めてどうする、といった次の展開にもつながる。

 今が辞めるきっかけの一つであると分かってはいても。

 このところ、ガーディアンとして殆ど何もしていなくても。

 その発想には向かわなかった。

 ガーディアン以外にもやりたい事はある。

 それをする自信も多少はある。

 だけど、今の状態で他の事をやったとしたら。

 まるで逃げたようになる。

 逃げる事全てが悪いとは思わない。

 ただ、今回だけはそうしたくない。

 ついこの間までは無かった考え。

 何も考えられなかった、とも言えるが。

 今こうして少しは意識が晴れ、周りが見えるようになって。

 冷静さを取り戻して考えてみると、そう思える。

 彼との行き違いや衝突と、ガーディアンの仕事は関係ない。

 ガーディアンを続けていれば、顔を合わせる機会も出てくるだろう。 

 それは辛くて、胸が痛む事だ。

 でも、辞めるのは違う気がする。

 彼の行き違いとガーディアンの仕事を絡めるのは。 

 それが私の下らない意地だとしても。

 ガーディアンを辞める気は無い……。



 TVを消し、リモコンで明かりも落とす。

 薄い布団を掛け、一息付く。

「……少しは元気になったみたいね」 

 天井を見つめながらささやくサトミ。

 今日家に来て、初めてにも近い言葉。

 勿論食事中もついさっきまでも、色々と話はした。

 ただ、この話題については初めてだ。

「ごめん、心配掛けて」

「私こそ。何もしなくて」

 謝るサトミ。 

 でも彼女は、本当に何もしなかった訳ではない。

 私を一人にしてくれて、自分で考える時間をくれた。

 人によっては、それを冷たいと取るのかも知れない。 

 でも私にとっては、最も求めていた事。

 少しは冷静になった今、それがよく分かる。

 そう。 

 私に必要だった事。

 それは人の助けであり、それを受け入れる事であり。 

 自分で考える時間とゆとり。

 まだ何一つ解決してはいないけれど、胸は苦しく痛いけれど。 

 サトミが言う通り、少しは良くなった。

 みんなのお陰で。

「本当に駄目だね、私は。今日も、神代さん達に慰められたし」

「それだけ人気者なのよ、あなたは。私が同じ立場だったら、相手にもされないわ」

「そんな訳無いわよ。少なくとも、私は」

「ユウだけ?それも、頼りにならない話ね」

 くすっと笑い、指先を絡め合う。 

 伝わる温もり。 

 彼女の思い。

 私の気持ち。

「結局何だったのかな、私とショウは」

「それは、私の方が知りたいわよ。周りで見てる人は恋人だって言うし、私達もそう思わなくもないけれど。はっきり言いきれる関係ではなかったもの」

 ストレートな、いつにない踏み込んだ発言。

 薄闇の中に、彼女の澄んだ声が溶けていく。

「それが駄目だったのかな」

「難しいわね。冷たいけど、あなた達にしか分からない事だから」

「うん。私は何となく、自分の空回りかなって思えてきて」

 自分で笑い、ため息を付く。

「人の心なんて、分からない物ね。口で言ったとしても」

「私達はそういう会話がなかったし、何かした訳でもないから余計に」

「恋の悩み、か。私には難しいわよ」

「サトミは、ヒカルと付き合ってるじゃない」

 すぐに聞こえる、忍び笑い。

 よく分からないが、彼女にはおかしかったようだ。

「そう言われればそうね。自分では、実感がないから。ただ私達も、付き合おうとか好きですって言った記憶はないわよ」

「そうなの?……確かに、気付いたら二人付き合ってたもんね」

「本当、自分でも不思議だわ。どうしてこの人とって」

 もう一度笑うサトミ。

 笑い事には思えないが、本人がいいならそのままにしておこう。

「私とヒカルがそうだったように、あなた達もどうなるかは分からないって事よ」

「まあね」

 小声で答え、ため息を付く。

 受け入れたくはない現実。

 だが、紛れもない事実。

「大体あなた達、昔は私とケイが付き合うみたいな事言ってたじゃない」

「あの頃は、そう思えてたの。それに、仲良かったし」

「否定はしないけど、あの子は恋愛対象にならないわよ。近過ぎるもの」

「性格や考え方が、でしょ。じゃあ、私とショウはどうなのかな」

 少し自分の中で考えてみる。

 似ている部分は幾つかある。

 明らかに違う部分も。

 だからといって、付き合うかどうかという話でもない。

 自分と似ているから付き合わないのは、サトミ個人の考え方だから。

「難しいね」

「だから、あなた達がどう考えるかよ」

「うん」

 寝返りを打ち、彼女から背を向ける。

 離れる指先。

 サトミも動く音がして、会話もなくなる。


 道は幾つもある。 

 示してくれる人もいる。

 それを選ぶのは、私自身。 

 選んだ後で後悔するのも、喜ぶのも。

 ただ、急ぐ必要もない。    

 時に任せ、そのまま流されるという道もあるのだし。

 曖昧な決着。

 少しずつ、だけど確実に消えていく関係という事も。

 何を選ぶのかは私に掛かっているのだから。

 そして、彼にも。








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