14-3
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ぼんやりとした、定まらない意識。
自分が何をやっているのか、どこにいるのかという感覚が希薄で。
気付けばある場所にいて、何かをしている状態。
行動しいてるのに間違いはなく、会話も交わしている。
だけど、その内容は殆ど覚えていない。
無為に過ぎる時。
それが何も生み出さないと分かりながら、どうする事も出来ない自分。
ケイが斬られた後と似た、たまらない虚脱感。
あの時は目の前で起きた事に、何も出来なかった。
冷静に行動する沙紀ちゃんのようにも振る舞えなかった。
自分のふがいなさと、塩田さん達への訳もない苛立ち。
どちらかと言えば、自暴自棄に近い感覚。
それからようやく立ち直ってきたと思った矢先。
誰が悪い、という事なのか。
あんな事を言ったショウ。
私を突き飛ばし、身勝手な事を繰り返した矢加部さん。
それとも、私。
だけど、私が気落ちする理由はあるのだろうか。
この間の、池上さんと伊達さんの話のように。
私とショウは、付き合っている訳ではない。
周りはそういう目で見ていたとしても。
私達がお互いの気持ちを告げた事はなく、何か関係があった訳ではない。
他の男の子よりも親しい友人。
その域を越えてない。
そう。
ショウがどうしたからって。
何を言ったからといって。
私には関係ない。
だから、私が気にする事ではない。
また、彼が気にする事でもない。
ローテーブルに置かれた端末。
時折入ってくるメールや通話の着信。
でも。
アドレス帳。
先頭には、サトミの名前が。
その次にある名前。
知り合ったのは、ケイよりも後。
塩田さんよりも。
中等部の頃。
私は塩田さんに、憧れにも近い気持を抱いていた。
それはガーディアンを志すきっかけとなり、ずっと側にいたいと思っていた。
初恋とも呼べない物と気付いたのは、少し後の事。
恋に恋する年頃とでもいうのだろうか。
私を助けてくれ、いつも優しく時には厳しく接してくれ。
でも彼はやはり先輩で、それ以上の気持にはならなかった。
今でも尊敬し、信頼し、一緒にいたいとは思っているが。
恋愛感情とは、自分でも思わない。
その理由は一つ。
ショウに会ったから。
初めて彼と会った時は、どうだったろう。
はっきりとは覚えていない。
格好いい人だなというくらいで。
でも、何か心に残っていた。
今でもおそらく、その時の気持は胸のどこかにあるだろう。
他の誰とも違う。
その時も、それからも。
今でも、誰にも感じた事のない気持。
たった一人。
ショウにだけ抱いた気持。
それが、私の勘違いと言ってしまえばそれまでで。
本当に独りよがりな考え方なら、もっとどうしようもなく。
こうして気を滅入らせているのも。
訳の分からないまま、何もしないでいるのも無意味になる。
灯りを消し、タオルケットを掛けて横になる。
薄闇に浮かぶ家具。
それを見るとは無しに、枕元に置いた端末へ手を伸ばす。
私から一言何か言えば。
そう思い、すぐに端末から手を離す。
あの時から、幾度と無く繰り返された行為。
結局ボタンは押されず、そして彼からも掛かっては来ない。
過ぎていく時。
募っていく、やるせない気持。
全ては闇の中に消えていく……。
ガーディアンのオフィス。
モトちゃんの所ではなく、沙紀ちゃんの。
大抵はこの二つを行き来している。
以前の、私達のオフィスには一度も行ってない。
幾つかあった私物はサトミかケイが持ってきたらしく、今でも私の手元にあるけれど。
とにかく今日も私は、何をするでもなくソファーに座っていた。
時折側を通りかかるガーディアン達。
声を掛けてくる子もいれば、視線だけが向けられる時もある。
その一つ一つがどういう意味なのかは、殆ど分かっていない。
私を慰めているのか、憐れんでいるのか、小馬鹿にしているのか。
はっきり言えば、それはどうでもいい。
今の自分に、他人の意図を計る余裕はない。
自分の考えすら満足に理解出来ないのに、どうして。
「……誰だ、お前」
「え?」
不意に間近で声を掛けられた。
それにはさすがに反応して、顔を上げる。
精悍だか、どこか愛嬌のある顔立ち。
決して大柄ではない、それでも引き締まった体型。
腰には警棒が差してあり、袖口にはガーディアンのIDが。
赤の3本線。
「F棟の隊長?」
思わず立ち上がり、手をこめかみへと持っていく。
「止めろ」
困惑して手を振る男性。
F棟隊長といえば、それ以外の隊長を束ねる筆頭の立場。
それは現場にいる全ガーディアンのトップである事を意味し、自警局長に次ぐ実質的なNO.2でもある。
ちなみに自警局長のすぐ下には事務局があり、役職としては事務局長がNO.2になっている。
「ガーディアン連合だな、お前」
「あ、はい。済みません」
「謝らなくていい。丹下の知り合いか」
「あ、はい。去年は、同じブロックにいました。今もですけど」
私の答えに、軽く頷く男性。
言葉通り怒っている雰囲気はなく、何かを確かめているような素振りだ。
「えーと、あれだ。塩田の後輩だろ」
「……ああ、昔北地区で。あの時はお世話になりました」
「本当にな」
何故かしみじみ呟く風間さん。
正直こちらは、あの時何があったかなんて殆ど忘れてる。
「風間さん。何してるんですか」
からかい気味の、良く通る明るい声。
七尾君が、笑顔でこちらに近づいて来ていた。
「んだよ、お前は。仕事しろ」
「自分だって。大体あんたF棟の隊長なんだから、ここにいちゃおかしいでしょ」
「教棟の隊長会議なんだ」
「そうですか」
冗談っぽく敬礼する七尾君。
風間さんは舌を鳴らし、彼に拳を伸ばした。
「やな野郎だな。久しぶりに学校へ戻ったら、いきなりF棟隊長だぜ」
「学外での経歴を買われたんですよ。暴れまくってたって聞きましたけど」
「それはそれ、七尾。噂って奴だ」
七尾君の頬に軽く拳を当て、不意に表情を曇らす風間さん。
「……小泉や峰山は、辞めたんだってな」
「ええ。俺もそう詳しくは知りませんが、学校とトラブルがあったみたいで」
「あいつらも、馬鹿が。辞めてどうするんだ。右藤さん達だって」
「はあ」
恐縮気味に頷く七尾さん。
風間さんは顔をしかめ、テーブルに腰を下ろした。
「せっかく戻って来たっていうのに」
「小泉さんがいないと寂しいですか?」
「うるさいよ」
「ふーん。そうなんだ」
笑いかけた七尾君へ、突然風間さんが飛びかかる。
真っ赤な顔で組み合う二人。
ロビーの中央。
肩を掴み合い、一進一退を繰り返す両者。
呻き声と、床を靴がこする音。
激しい息づかいと、そして……。
「いい加減にしなさい」
そんな二人の頭上に振り下ろされる警棒。
当たりはしないが、それは髪一本というレベルで止められる。
「だって、七尾が馬鹿で」
「違いますよ。風間さんが、馬鹿で」
「止めなさいと言ってるの。ほら、離れて」
二人を強引に引き離し、手を振る綺麗な女性。
艶やかなロングヘアと、穏やかさで優しげな顔立ち。
警棒をしまう仕草はしなやかで、思わず見取れてしまう程。
「ごめんなさいね、この二人馬鹿で」
「い、いえ」
「私は、3年の石井唯。4月から編入というか、復学したの。一応、F棟副隊長って肩書きで。ね、風間隊長」
「あー、面白くない。土居は、何してる」
「事務局にいたわよ。また似合わない部署というか」
朗らかに笑う石井さん。
その柔らかな視線が、再び私へと向けられる。
「私達は、中等部で沙紀ちゃんと一緒にガーディアンをやってたの。だから会議の前に、ちょっと顔を見に来たんだけど」
「あ、今奥に」
「聞こえましたよ、あれだけ騒いでれば」
苦笑気味にやってくる沙紀ちゃん。
石井さんへと伸びた手はしっかりと重ねられ、照れ気味に会釈する。
「G棟隊長か。私は完全に抜かれたわね」
「そんな。前も言いましたけど、格としてはF棟副隊長の方が上ですよ」
「でも、阿川や山下は下だろ。いい気味だ」
何がおかしいのか、大笑いする風間さん。
どうやら、彼等とも親しいらしい。
「自警委員、か。お前もだろ」
「ええ、一応」
遠慮気味に頷く沙紀ちゃん。
風間さんは鼻で笑い、袖に付いているIDに触れた。
「要は、肩書きさ。勿論多少は力もあるし、金も動かせる。だから何だって話だ」
「そうでしょうか」
「当たり前だろ。隊長だろうと何だろうと、それ以前に俺達はガーディアンなんだから」
「風間さんは、単純過ぎんだよ」
苦笑しつつ、しかし嬉しそうな七尾君。
沙紀ちゃんも、真剣な面持ちで頷いている。
「お前、雪野だった?エアリアルガーディアンズの噂なら、外でも聞いたぞ。草薙中学や高校は、無茶苦茶な連中がいるって」
「そ、そんな」
「お前達は生徒会でもないし、ガーディアン連合でも役職にも就いてない。それでも外で評判になるくらいの事をしてきた。つまり、肩書きなんて、無意味って事だ」
ある意味極端な、だけど聞くに足る言葉。
沙紀ちゃんの先輩だからではなく、この人自体を信頼出来るという気持。
滅入った今の自分にすら分かる事。
「変わりませんね、風間さんは」
「成長しないんだよ、俺は」
明るく笑う風間さん。
沙紀ちゃん達も朗らかに笑い、昔話を少しずつ始める。
出会いと、幾つもの出来事、別れ、そして再会。
それを聞くだけで感じられる、彼等の絆。
多分私やサトミ達と同じくらいの強さ。
「小泉達とは会ってるのか」
「いえ、俺はちょっと」
「峰山さんには会いましたけどね」
苦笑して、去年の事を語る沙紀ちゃん。
風間さんと石井さんは顔をしかめ、やるせないため息を付いた。
「あいつは、何がしたいんだ」
「さあ。私は、ケンカをさせられただけなので」
「前から訳が分からんかったが、やっぱり分からん」
「でも、元気でやってるみたいですよ。この間、少しですが話をす機会があったんです」
今度は、舞地さんの出来事を話す。
ケイが連絡を取ったとは言ってたが、そういう事もあったのか。
「傭兵、ね。ここはいないけど、他の学校じゃ結構でかい顔してたな」
「そういう人達を、片っ端から殴ったのは誰よ」
「正当防衛さ。殴られる前に殴る。常識だろ」
「無茶苦茶だ」
笑う七尾君を指差し、風間さんは足を組み替えた。
「じゃあ、小泉は。峰山と一緒にいるのか?」
「聞いたんですけど、そうではないみたいです」
「ふーん。別れたのか、あの二人」
「付き合ってないわよ、怖い事言わないで」
自分の両肩をさする石井さん。
良く分からないが、複雑な事情があるらしい。
「俺さ、向こうで峰山とは何度か会ったんだ」
「え、そうなんですか」
「ああ。ただ小泉がいないから、おかしいなって。いや、別におかしいって事もないけど」
自分で否定して、風間さんはテーブルから立ち上がった。
「いない奴の事を、あれこれ言っても仕方ないか。あいつらには、あいつらの考えがあるんだろうし。なあ、丹下」
「私は、小泉さん達の退学に力を貸したような物ですから」
「向こうがそのつもりなら、お前にも止めようがないさ」
優しい、労るような表情。
伏し目がちの沙紀ちゃんの肩へ手を置く石井さん。
彼女達の絆を、改めて知る瞬間。
「しかし、会議ってまだか」
「他の隊長は全員見えてますよ。後は、局長が……」
そう沙紀ちゃんが答えた途端、ドアが開きその局長が入ってきた。
彼一人ではなく、何人かの取り巻きも連れて。
自警局長という立場からすれば当然なのだろうが、どうでもいい事だ。
「お待たせしました。今から始められますか?」
「ええ、準備は整っています」
私とは違い、丁寧に返す沙紀ちゃん。
風間さんは無造作に局長の前に立ち、かなり無遠慮に彼を見下ろした。
それを戸惑い気味に見つめ返す局長。
「あ、あの」
「それじゃ、始めましょうか。局長」
敬語を使う風間さん。
地位とすれば当然なのだが、二人の風格や佇まいから行くとかなりの違和感がある。
「彼女も同席させていいですか。……えと」
「雪野さん」
「そう、雪野さんを」
「え、それは。しかし」
逡巡する局長。
風間さんは鼻を鳴らし、面倒げに頷いた。
「分かりました。じゃあ、雪野さんの仲間、学内トップの女性を。ガーディアン連合塩田議長の代理、オブザーバー資格でなら問題ないでしょう」
「え、それは」
「そのぐらい即決しましょうよ。丹下、その子呼んでこい」
「分かりました」
きびきびと動く沙紀ちゃん。
少しして、書類を抱えたサトミがやってきた。
「私に何か」
「会議に出席してくれ。塩田の代理として」
「分かりました。事後になりますが、その許可は私の方で」
「話が早い。そうですよね、局長」
「え、ええ」
赤くなる局長の頬。
さすがに、自分を恥じるという感覚はあるらしい。
「出来れば、彼も同席させたいのですが」
「お断りします」
自分から言う、サトミに付いてきたケイ。
風間さんは構わず頷き、奥のドアを指差した。
「じゃあ、始めようぜ」
円卓上の机が備え付けられた会議室。
話としては学校からの通達や、今後の行事進行など取り立てて話し合う程でもない内容。
今のぼんやりとした頭には、余計に何も残らない。
経費の使い過ぎ、手順の悪さ、過剰人員。
何もかもがとは言わないが、どうでもいい事だ。
「それで終わりか?」
「いえ。野球部地区予選の警備について、幾つかの連絡が学校と父母会から入ってます。それと、水泳部の……」
「分かった。分かったよ。書類だけ置いていってくれ。いちいち口で説明するより早い」
「し、しかし。これは会議ですし、通達を正確に伝えるようにと」
大きく手を振り、顔をしかめる風間さん。
「俺はこの会議に初めて出るんだけど、いつもこうなのか?」
「そうみたいね」
「らしいよ」
苦笑する、H棟と、I棟の隊長。
J棟の隊長は、顔を伏せ気味にして目を閉じている。
「寝るな、お前は」
「え、ああ。済みません」
あくびをするJ棟の隊長。
綺麗な顔立ちの女性だが、どう見てもやる気は見られない。
「この雰囲気で会議を続ける事自体無意味だろ。どうしてもやりたいなら、違う事を話し合え。事務局が、ガーディアンの手当を使い込んでる事とか」
「そ、そんな事実は」
「違うのか。土居がそう言ってたから、俺信じたんだけど」
適当に頷く風間さん。
局長はどう答えていいのか分からないという顔で、彼を見つめている。
「企業から無料で支給されてる装備を、有料で貸し出してそれを幹部がポケットマネーにしてるとか。警備したクラブから、金巻き上げてる奴がいるって話も聞いたぞ」
「そ、それは」
「通達や連絡事項もいいけど、内部の問題点も話し合おうぜ。せっかく現場のトップが集まってるんだし」
押しまくる風間さんと、気まずそうに頷くだけの局長。
他の隊長はようやく目が覚めたと言わんばかりの顔で、その様子を見守っている。
局長の取り巻き、特に事務局の人間は苦い顔だが。
「ガーディアン連合としては、どう思うかな」
「最近は多少良くなりましたが、装備や待遇面をもう少し向上して頂けると助かります」
静かに答える聡美。
事務局の一人が顔色を変え、テーブルを叩いた。
「生徒会のメンバーである生徒会ガーディアンズと、ボランティアに近いガーディアン連合で待遇が違うのは当然です。大体同一ブロックに二つの組織が存在しているのですから、連合の存在自体不必要だという議論も出ています」
「レスポンスタイム(ここでは現場への到着時間)、再犯防止率、装備及びオフィスの耐久年度。殆どの数値で、連合が上回ってますが」
「数値だけで物事を推し量られても困ります。生徒へのアンケートでは、間違いなく我々側に支持が集まってます」
挑みかかるような視線。
サトミはゆとりを持って微笑み、机の上で指を組んだ。
「いつの調査ですか?それと、対象は?誰が、どういう状況で聞きました?情報局の人間が、いきなり部屋に訪れて聞いたのでは?」
「我々が、答えを強要したとでも言いたいんですか」
「その辺りが書かれてないので、何とも言えないのですが。一番肝心な情報が」
顔を強ばらせる事務局の男性と、それを平然と見つめ返すサトミ。
「遠野さん、その辺りにしてもらえますか。問題点は自警局内でも、十分話し合っていますので」
「失礼しました」
慇懃に一礼するサトミに、局長は顔をしかめて風間さんへ視線を向けた。
「何だ、こういうの嫌いか」
「無理に揉める必要はないと思います」
「問題点の洗い出しだ。内部監査が入る前に片を付けた方がいい」
「そんな事は無いと……」
そこまで言って、言葉を切る局長。
風間さんは鼻で笑い、机を拳で軽く突いた。
「自警局内の不正には介入しないよう、どこかと密約をかわしてるとか?その代わりに、便宜を図るとか」
「私は何も」
「生徒会長辺りに聞いたら面白そうですね」
不意に、話へ加わるケイ。
その醒めた眼差しが、刺すように局長を捉える。
「不正の事実を掴み、会長や総務局に連絡するとか。何人か退学者が出るんじゃないですか」
「浦田君、そういう事は」
「不正の見過ごす方が、退学させるよりも悪いと思いますけどね」
静かな、しかし確かな威圧感。
局長だけでなく、事務局や彼の取り巻きまでもが息を呑む。
以前彼が実際に生徒会メンバーを退学させた事実が、その言葉に真実味を持たせる。
「今は指示を受けていないから、何もしませんが。……特別なアクションを起こさないけど、見過ごしている訳ではないので念のため」
そう付け加え、急に関心なさげな顔をするケイ。
「だ、そうだ。局長、まだ続けるのか」
「い、いえ。書類を後でお渡ししますので、みなさんそちらをご覧下さい」
「局長」
口を挟もうとする事務局の人間。
しかし局長は疲れた表情でそれを制し、席を立った。
「会議の進行や内容については、私達でも一度検討します」
「それがいいな。いっそ、俺の解任でも検討するか」
冗談っぽい口調。
鋭い、刺すような視線は局長を真っ直ぐに貫く。
「お前が学校推薦で自警局長へ就任したように、俺は生徒会長の推薦でF棟隊長になった。だから解任されても、別に困る事はない」
「風間さん」
「ただ、前の自警局長とは知り合いでな。どういう人間か、どういう経緯で退学したかも知ってる。多分、お前以上に」
低くなる声。
鋭さを増す眼差し。
「……俺を辞めさせる時は、それなりに覚悟しとけよ」
「わ、私は」
「言いたいのはそれだけだ。終わったんだから帰れ。丹下、局長のお帰りだ」
「はい」
戸惑う様子もなく、素早く立ち上がりドアを開ける沙紀ちゃん。 局長は口元で何かを呟き、顔を伏せたまま会議室を出ていった。
その後を取り巻きが追い、他の隊長達も席を立つ。
「脅すなよ」
「知らないわよ、どうなっても」
軽く拳をかわす彼等。
「それじゃ、失礼します」
「ああ、寝るなよ」
「寝てません」
冗談っぽく敬礼をして、J棟の隊長も部屋を出ていく。
残ったのは私達と、鼻歌交じりで警棒に触れている風間さんだ。
「クビだ、クビ」
「うるさいよ、お前は」
七尾君とじゃれている様はごく普通で、局長を脅した雰囲気もなければそれを悔いている様子もない。
「本当に、大丈夫ですか」
二人よりはやや深刻な表情をする沙紀ちゃん。
風間さんは鼻で笑い、七尾君の頭を無造作に撫でた。
「心配するな。ガーディアンをクビになったからと言って、死ぬ訳じゃない」
「ですって。私は関与しないから」
「石井さん、それは無いでしょうが」
「大丈夫よ。あなたがいなくなっても、その意志は私が継ぐから」
朗らかに笑う石井さん。
その視線がふとこちらへと向けられる。
私だけではなく、サトミやケイへも。
「なかなかって感じね」
「いえ。聞いた事を、適当に話しただけですから」
「そうには見えなかったけど。……あなたも」
「どうも」
うっそりと頭を下げるケイ。
石井さんは満足げに頷き沙紀ちゃんを肘で突いた。
「な、なんですか」
「別に」
「あの、何か」
「な、何でもない」
何故か沙紀ちゃんの方が否定して、激しく石井さんを突き返した。
「ちょっと」
「何が」
「もう、何よ」
「どっちが。とにかく、大人しくしてて下さいね」
強引にまとめ、書類を片付けていく沙紀ちゃん。
石井さんも一緒に片付けをして、それを彼女へ渡した。
「私達はいいけど、あなた達はどうなの」
「問題ありません。多分」
「何よ、それ」
「断言は出来ないので」
少し笑い、沙紀ちゃんは困惑気味に私を見た。
「どうかしたの」
「いえ、別に」
「……多少、友人とトラブルありまして」
私に代わり答えるサトミ。
詳しくではないが、簡単な説明がされる。
「なる程ね。そいつの気持も、分からなくもないが」
「まあね」
苦笑する二人。
私を気遣ってか、極端な事は言わないしからかう事もない。
今の自分には、どうでもいい事だが。
「俺からあれこれ言う話でもないし、自分で何とかするんだな」
「はい……」
「そういう顔するなよ。おい、石井」
「私に振らないで。……私もあなたにアドバイスする立場じゃないから、上手くは言えないんだけど」
少しの沈黙。
私にとっては、いつもと変わらない時間の流れ。
「少しは、悩んだ方がいいのかも知れないわね」
「え?」
「自分を見つめ直すためにも、その子の事を改めて考えるためにも」
「石井さん、それはあまり」
困惑気味に彼女を止める沙紀ちゃん。
ただ私にとっては誰がどう言おうがあまり意味はなく、言葉だけが滑っていく。
その内容は聞こえている。
でも理解しているかと言えば、どうだろう。
それは今の、石井さんの言葉にしてもそうだ。
「分かりました」
惰性ともいえる態度で、礼を言う。
石井さんは何も言わず、ただ頷いただけ。
沙紀ちゃんの危ぶむような視線も、何とも思わない。
「冷たい言い方だが、結局はお前達の問題だ。どういう結論を出すのかもな」
「はい」
「聞こえてるか、お前?……まあ、いい。それだって別に死ぬって訳じゃないんだし、悩むのも程々にしろよ」
軽く笑い席を立つ風間さん。
そのまま沙紀ちゃんとと共に、会議室を出ていった。
「何だかな、あの人は。雪野さんも、風間さんの事は気にしない方がいいよ。大ざっぱで、いい加減な人間だから」
「うん」
「じゃ、俺も帰る。石井さん、また」
「ええ」
二人を追うようにして、七尾君の姿も消える。
彼等には付いていかず、一人残る石井さん。
その視線は私ではなく、ケイへと向けられている。
「あなたの名前って、おおい……」
突然蒸せ返すケイ。
そのせいで、言葉が半分も聞き取れない。
小首を傾げた石井さんは、何かを思い出すような素振りをしてドアを指差した。
「寮まであの子を……。いや、私の勘違いかしら。何しろ、古い話だから」
「俺は、浦田です」
「そうよね」
ケイの隣へ並び、何故か首の裏を覗き込んでいる。
意味が分からないし、聞く気力もない。
サトミは瞳を鋭く輝かせ、その様子を見守っているが。
「ごめん。やっぱり私の勘違いね。あなた、そういうタイプに見えないもの」
「はあ」
「いいの、いいの。それはともかく、何かあったら私達の所にも来て。風間君は馬鹿だけど、少しは役に立つから。じゃ、またね」
人が去り、それでも私は相変わらず机を見続けている。
何かをする訳でもなく、良くしようと思う事もなく。
同じ事を、延々と繰り返し考えるだけで。
それも、まとまらない思考の中。
私と彼。
その関係と、お互いの気持ち。
もしかして、私の一方的な思いではなかったのか。
今までの全ては、単なる空回り。
そうすると、今こう思い悩んでるのもまた。
無意味で、何も生み出さない事ではないのか。
そう思いながらも、何も出来ない自分。
自分の限界。
取るに足らない、この程度の事で駄目になってしまう。
ケイが斬られた時にも味わった気持。
それの、何倍もの虚脱感。
立ち直るきっかけすら見つけられない、今の自分。
こんな状態がいつまで続くのか。
もう、何もかもがどうでもよくなってくる。
本当に、私は……。
最近の自分によくある通り、気付けば場所を移動していた。
沙紀ちゃんのオフィスで、受付前のロビー。
人が行き交うやや騒がしい場所。
この間までは自分が騒いでいて、それにはあまり気を払わなかった。
今は、それに意識を払う余裕がない。
人の視線も、言葉も、何もかも。
例えではなく、抜け殻のような状態。
自分はここまで弱かったのかと、改めて思い知らされる。
ケイがああなった時、それまでの自分を省みて強くなろうと誓い。
そのために努力をして、少なくともそうして来たつもりだった。
でも、実際はこの様だ。
何一つ変わってない。
自分が情けないという気分ですらない。
今まで、私は何をして来たんだろう。
大勢の人に支えられ、助けられ。
私自身は、何も出来ず。
それでもいつかは、自分がみんなの力になろうと思っていた。
そう出来るとも。
ケイの時、強くそう思った。
舞地さんの時にだって。
少しは変わった気がした。
人の役に立てる気がしていた。
それなのに。
自分の事で。
たわいもない一言で。
全てが消えてしまった。
今まで積み重ねてきた事も。
自分なりの気持ちや信念も。
何もかも。
私という人間は、所詮その程度でしかない。
それを、改めて思い知った……。
ぬるいアイスコーヒーへ口を付け、ため息を付く。
氷が入っていたかどうかは知らない。
砂糖か、シロップを入れたかどうかも。
茶色になっているから、ミルクは入れたようだ。
自分の事なのに、それすらも分からない。
目の前にあったから口を付けた。
飲みたいからという意識もない。
口の中に残る苦さ。
それを洗い流そうと、オフィス内のキッチンへ向かう。
ドアの前で、足を止める。
話し声が聞こえたからだ。
「雪野さんと玲阿君?別れたんじゃないの」
「そういう事ってあるのかな。仲良かったのに」
「男と女なんだし、何でもあるわよ」
「そういえば玲阿君、たまに派手な女と一緒にいるな」
陰口という程でもない、単なる世間話。
むしろ、私達に気を遣っているくらいの内容。
どちらにしろ、口の中を洗い流すのは諦めた方が良さそうだ。
微かに残る苦さを気にしつつ、殆ど減りもしないグラスを見つめる。
たった一つだけ置かれている。
周りには、誰もいない。
このオフィスの責任者であり、G棟のトップである沙紀ちゃんは当然としても。
サトミも、ケイもいない。
当たり前だが、ショウも。
最近よくある事だ。
私一人何もせず、ただ座って視線を伏せている。
馬鹿馬鹿しいと思う、無駄な行為。
寮や自宅へ帰った方が、周りに迷惑を掛けないだろう。
ここにいて、何が解決する訳もない。
それが分かりながら、こうして座っている。
ガーディアンの終業時間まで。
本当に私は、何をしてるんだろう……。
「軽くやろうか」
「え」
顔を上げると、舞地さんが立っていた。
赤いキャップに、Gジャンとジーンズといういつもの服装。
その手がしなやかに動き、ドアが指差される。
格闘技用のトレーニングルーム。
マット敷きの床で、正面の壁は全面がミラー。
サンドバッグやパンチングマシーンも置いてある。
学内に幾つかある中でも、一番小さな部屋の一つ。
私も時折訪れる、なじみ深い場所。
誰と訪れたかを考えると、胸が痛くなる。
「セッ」
不意に飛んでくるジャブ。
それをバックステップで避ける。
意識ではなく、体の方がそう反応した。
下がる私を見越した、伸びるようなロー。
足を上げ、それを受け流す。
タックル気味に飛び込んでくる舞地さん。
膝を上げ、出足を制する。
その膝が抱え込まれ、極められる。
鈍い痛み。
体を反転して、どうにかふりほどく。
床へ倒れた所に飛んでくるかかと。
だがそれは、鳩尾の真上で止められる。
「動くには動くか」
差しのベられた手を掴み、立ち上がる。
言っている意味も分からなければ、どうしていきなりこういう事になったのかも理解出来ない。
私を励まそうとしたのか、いつまでも落ち込んでいる私に苛立ったのか。
それとも、単なる気まぐれか。
「あの……」
「どうした」
静かな、本当に私が何を言いたいのか尋ねるような口調。
落ち着いた眼差しも、物腰も。
何一つ変わらない。
「別に」
「私も、人の事は言えないから」
「え?」
「この間の出来事」
微かに翳りを帯びる、精悍な顔。
舞地さんを慕っていたという男の子の、策謀とも言えぬ行為。
それを彼女がどう感じたのか。
あの時の舞地さんを思い出せば、すぐに分かる。
今の私にも似た、薄く消え入りそうな雰囲気。
心はそこになく、空へ溶けてしまったのではと思える程の変化。
彼女はそれから立ち直った。
辛く、厳しい決断と共に。
私には多分無理だろう。
自分を慕い、もしかして思いを抱いていた相手。
例えその人が悪いとしても、突き放すような真似は。
それが正しい判断だと、頭では分かっていても。
私は舞地さんのように、強くは振る舞えない。
今自分置かれている状況が、それとは比べ物にならない取るに足らない事だとしても。
人にしたら、悩む方がおかしいと思うような事でも。
「どうした」
「いや、何でもない」
「そう」
普段通り素っ気ない態度。
舞地さんは私にタオルを放り、しなやかな歩みでドアに向かった。
私に何かを言う訳でもなく。
怒るでもなく、慰めもせず。
「……沢が、話があると言ってた」
「え、何の」
「よその学校へ行ったらどうだって」
「転校って事?」
気付けば舞地さんの前に回り込み、彼女の肩に手を置いていた。
「そ、それって。ここにいてもしょうがないから、どうせならって……」
「慌てない。別に逃げ出せという意味じゃない」
そっと私の手を下へ降ろし、舞地さんは口元を緩めた
「強くなりたいって雪野が言ってたから、少し他の学校で研修してみるのもいいっていう話」
「で、でも」
「無理に玲阿と一緒にいなくてもいいし、いい機会だと思うけど」
優しい、今度ばかりは私を気遣う言葉。
そして髪がそっと撫でられ、その手は頬へと降りていく。
「今すぐって事でもない。沢が良さそうな学校を探しているから、その内また話す」
「う、うん。だけど私は、あまり」
「嫌なら断ってもいい。それも、無理にする必要もない。ここにいたって強くなれるし、学ぶ事も出来る。沢は、過保護過ぎるんだ」
最後にもう一度私の頭を撫で、再びドアへ歩き出す舞地さん。
「私、私は」
「いいから」
珍しく手を振り、ドアの向こうへ消える。
私が手を振るのを待つ事もなく。
それとも、振る余裕がないと分かっていてか。
他の学校での研修。
確かに彼女が言う通り、いい機会なのかも知れない。
お互い距離を置くために。
お互いの事を、もう一度考えるためにも。
そう思っているのは私だけで。
彼にして見えれば、解放された気分かも知れない。
私と一緒にいる必要が、その間は完全になくなるから。
今はまだ、同じガーディアンズに所属する者同士という関係がある。
でも一時的にしろ、別々の学校に行ったとしたら。
その間は、関係が途切れる。
その後で、ここへ戻ってきた時には。
空白が出来ている。
お互いの共有していない時間が。
別々の、時の流れが出来る。
私と、彼の道が。
辛いけど、悲しいけど。
そういう道も、あるのかも知れない。
今まで、思いもしなかった事。
思いたくもなかった。
でも。
私とショウが別々の場所にいて。
その思いも伝えず、言葉も交わさないのは。
全て現実だ。
まずは、それを受け入れよう。
そこから始めよう……。
自宅のリビング。
スティックを、特殊な布で磨く。
殆ど市販されていない複合金属で作られていて、傷は勿論サビが浮くという事もない。
ただ汚れは付き、表面がくすんだりする。
それでもこうして拭けば、表面に施してあるコーティングのお陰もあってすぐに綺麗になる。
ツヤ消しのシルバー。
私でも手軽に扱える、程良い重さ。
ワンアクションで倍以上に伸び、少しの操作でスタンガンを作動出来る。
多分、高校生が持つには高価な道具。
勿論お金は払ったが、実際の値段とはかなりの差があったはずだ。
ショウの知り合いでなかったら、手に入れる事すら難しかった。
最近は、意識的に頭の中から消していたけど。
それと、このスティックの手入れは関係ない。
スタンガンを作動させ、電圧をチェックする。
バッテリーはスティックを振る事で充電され、今はフルに近い状態。
特殊な工具で継ぎ目を外し、その部分も磨く。
一瞬にして外す方法もあるが、それは必要に迫られた時しか使わない。
内部は空洞で、威力を増すため数カ所に可動する重りが仕掛けてある。
私の動きや力、リーチに合わせられた位置。
一定期間ごとにその位置を修正していて、そろそろその時期だ。
ただショウと距離が開いた今、それを頼む事は難しい。
それでも大して問題はないし、このままで行こう。
「精が出るわね」
マグカップをテーブルへ置き、私の前へ座るお母さん。
私の変化には気が付いているようだけど、それについて何か言う事はない。
「最近、手入れしてなかったから」
「そんな物騒な物、使わなければいいだけでしょ」
「理想としてはね。でも、そうもいかないの」
取りあえず自分で調整出来る部分を直し、組み直していく。
慣れた、何度もやっている事。
それでも気持を込めて、一つ一つ慎重に組んでいく。
「最近、成長してるわね」
「まさか。全然駄目よ」
「自分で気付かないだけでしょ。特に、気持ちの部分は」
自分の淡く膨らんだ胸を指差すお母さん。
正直、今の自分にとっては反対の事を言われた気分。
「そうかな」
「母親の言う事を、少しは信じたら」
「でも」
「大丈夫よ、優は」
慰めるでもない、労るでもない。
だけど、限りなく優しい笑顔。
「少しは自分を信じたら」
「それこそ無理よ」
「あなたって内省的というか、あまり自分に自信を持たないのよね。持ち過ぎても困るけど」
苦笑するお母さん。
私も、曖昧に笑う。
「性格的な物だから直すのは無理だろうけど、自分で思ってる程駄目じゃないわよ。親の欲目という事でもなく」
「そう……。でも、やっぱり」
「分かった。ただあまり暗い顔してると、お父さんがまた落ち込むわから」
「お父さんは」
「仕事で、アメリカだって。羨ましい」
カレンダーに目を移すと、確かに昨日からしばらく渡米となっている。
「北米連合でしょ」
「あなた達にとってはそうだけど、私達の年代だとアメリカなのよ。それがカナダを実質的に吸収して、北米大陸全体が統一されたの」
「歴史では習った」
「日本が連邦化する時代だもの。何があっても、驚かないわ。北海道が独立宣言したってね」
ちょうどニュースでやっている、北海道独立記念日の概要。
独立と言っても実際に別な国になった訳ではなく、名目上な意味合いが強いらしいが。
物心付いた時にはすでに「独立」していたため、あまり実感がない。
「何がどうなるかなんて、結局分からないのよ」
そう言って、キッチンへ向かうお母さん。
私はそれを見送りながら、心の中で頷いた。
強い実感として。
紛れもない現実として。
自分の身に起きた事を、振り返りながら。