14-2
14-2
気が重いまま学校へ来る。
神代さん達と一緒にいた時はまだしも、一人になって色々考えたから。
考えたくないとも思っても、自然と脳裏をよぎっていく。
中等部での出来事。
決して楽しくはない、時が経っても思い返したくはない事の幾つか。
それは中等部全般ではなく、彼女にまつわる話についてだけど。
再びその思いを味わうのかと考えると。
そしてショウの事を考えると。
机の下にリュックを置き、卓上端末や参考書を広げていく。
さすがに授業を休むほどではないが、身は入らないだろう。
ノートに書き込まれている予習の跡。
誰とやったかは、思い出したくもない。
ノートを閉じ、端末の方で書く準備をする。
「元気ないわね」
静かに私の隣へ座るサトミ。
一応、昨日の事は伝えてある。
「気にし過ぎじゃない……、とも言えないかしら」
「分からない」
「そうね」
それ以上は何も言わず、彼女も授業の準備をしていく。
少しして、難しい顔をしたケイがやって来た。
朝だけど、今日はあまり眠くないようだ。
私が視線を伏せると、ケイは静かに私達の後ろへと座った。
「いいよ。何かあったら、俺が言うから」
「また揉めるわよ」
苦笑しつつ、止めようとはしないサトミ。
話題の主は、ショウではない。
昨日私が会った女性。
綺麗だが、決して親しみやすいとは言えない態度。
中等部以来、会っていなかった。
いつか会う可能性はあると、うすうす思ってはいたもの。
まさかこの時期に。
考え事をしている内に授業は終わり、サトミのノートを借りてどうにか授業内容を写し終える。
その後も彼女が来る事はなく、気付けば昼食の時間になっていた。
生徒で賑わう食堂。
いつも以上に少ない食事を少しずつ食べ、一番遅れて食べ終える。
少しずつ減り始める生徒達。
それを見るとは無しに、お茶を飲む。
やるせなさと気だるさ。
ケイが斬られた時の後にも似た感じ。
まだ何があった訳でもないのに。
取り越し苦労。
いや、確実に何かが待っている。
あの子を観た時から、それは確信となって私の心を締め付けていた……。
放課後。
いつものようにオフィスへ入る。
私の隣りに座るサトミ。
前に座るケイ。
ショウがいない。
よく考えれば、朝から見かけてない。
二人ともそれについては何も言わず、普段通り書類を片付けている。
静かに過ぎていく時間。
私はそれに甘え、何もせず机を見つめる。
それが何の解決にもならないと分かっていながら。
結局私は、何も変わってはいない……。
そしてと言うべきか。
ドアが開き、ショウが入ってきた。
精悍な顔に、困惑気味の表情を浮かばせて。
その隣り。
彼の腕を取り、薄く微笑む少女。
ブラウスと、襟に巻かれた綺麗な柄のスカーフ。
ブルーのタイトスカートに、やや低いヒールの靴。
長い髪を優雅にかき上げ、彼女は私と視線を合わせた。
顔を向けているのは、私達3人へ。
だが彼女は間違いなく、私を見つめている。
「久しぶりですね、雪野さん」
棘のあるやや高い声。
彼女はすぐに手を振り、ショウへしだれ掛かった。
「ああ。昨日、喫茶店でお会いしましたね」
「そうね」
素っ気なく応え、席を立つ。
サトミとケイも席を立ち、ショウと彼女。
その後ろにいる、取り巻きの連中と対峙する。
「それで、何か用」
あくまでもぶっきらぼうに尋ねる。
応えたくもないが、最低限の礼儀だけは守りたい。
この人に通じるかどうかは知らないが。
「ええ。またガーディアンになったので、その報告に。といっても私の所属は自警局で、ガーディアンは資格だけですけれど」
「そうなの」
「せっかく会いに来たのに、愛想がないですね」
口元に手を当て、くすくすと笑う彼女。
明らかに、小馬鹿にした目付きで。
「愛想?」
「ええ、そうですよ」
「誰があなたに……」
「ユウ、止めろ。矢加部さんに失礼だろ」
私を制したのは誰でもない。
その矢加部さんに腕を取られているショウだ。
確かに言い過ぎたと自分でも少し思い、取りあえず口を閉ざす。
ショウから目を逸らして、苛立ちを抑え込み。
矢加部さん。
中等部の頃、何度となく私と衝突した女の子。
どちらかと言えば、向こうから一方的にだが。
実家が資産家なのを鼻に掛け、私達を馬鹿にして。
それだけでなく。
ショウの実家と懇意だった事から、彼に言い寄っていた。
下らない、本当に下らない話。
だけど彼女が転校した事で、もう終わったと思っていたのに……。
「報告が済んだなら、もう帰ったらいかが」
「冷たいですね、遠野さん」
「そうかしら。私は、昔からこうよ」
「そうですか」
二人の間で散る火花。
ショウはそれにも何かを言い、サトミを黙らせた。
彼女の方が、話す気を無くしたとも言えるが
「随分肩を持つのね。授業にも出ずに、デートでもしてきたの?」
辛辣に告げるサトミ。
ショウは首を振り、腕を絡めている矢加部さんへ視線を向けた。
「彼女が高校は初めてだって言うから、案内してただけだ」
「それは、内局の仕事でしょ」
「知り合いの方が何かといいだろ」
「親切なのね」
皮肉っぽく言い、サトミは鼻を鳴らした。
一瞬赤くなるショウの顔。
照れではなく、屈辱でだろう。
「分かったから、もう帰れよ」
いつになく厳しく言い放つケイ。
そして何か言おうとしたショウを、先に制する。
「お前には言ってない。矢加部さん、聞こえただろ」
「あなたは、何一つ変わってませんね。人に接する態度も、性格も」
吐き捨てるような口調。
見下げ気味の視線。
ケイは構わず、ドアを指差した。
「帰れと言ったんだ。俺は、これ上話す気もないぞ」
さらに増す厳しさ。
矢加部さんは唇を噛みしめ、ショウの腕を引いた。
「さあ、行きましょ」
「え、ああ」
引きずられるように歩き出すショウ。
その前に、素早くサトミが立ちふさがる。
「あなたはまだ仕事があるでしょ。それとも、ガーディアンの仕事も休む気?」
「だから、まだ案内を」
「それは内局の仕事だと言ったはずよ。今日提出書類はどうするの」
「すぐに戻る」
苛立ち気味の声。
サトミは平然とそれを受け流し、彼を見据える。
「自主性とわがままを勘違いしてるんじゃなくて。自分の考えに基づいて行動するのと、好き勝手にやるのとは違うのよ」
「そのくらい分かってる」
「だったら案内は他の人に任せて、自分の仕事に戻りなさい」
「俺は今、彼女を案内する方が優先だと思ってる」
はっきりと、自信を持って言い切るショウ。
あごを反らし、悠然とサトミを見下ろす矢加部さん。
サトミはそちらを見ようともせず、氷のような眼差しをショウへと向けた。
「好きにしなさい」
醒めた一言。
そのままショウへ背を向け、私の隣へと戻る。
ドアを開けるショウ。
出ていこうとする彼等。
私は視線を伏せ、その足元だけを見つめる。
何か言おうとして。
でも口からは、一言も出てこない。
言いたい事はいくらでもあるのに。
私は何も言う事が出来ない。
「……お前は残るんだ」
いつの間にかショウの隣りに周り、その腕を取るケイ。
矢加部さんがケイを睨むが、それ以上の鋭い眼差しが彼女を跳ね返す。
「あなた、何様のつもり」
「黙ってろ」
いつになく強い口調で彼女を制し、ケイは強引に二人を引き離した。
「私は自警局長に、彼を案内役として付けてくれるよう頼んであります」
「それは俺の権限で、現時点を持って終了した」
「たかがガーディアンが、自警局長に逆らえるとでも?」
「職務を妨げる恐れがある場合は、その通達を拒否する事が出来ると規則にはある。地位や立場があれば何でも出来ると思うな」
ショウの腕を引くケイ。
だがその体は、わずかにも動かない。
「何だ、まだそいつと一緒にいたいのか」
「急いでやる事はないんだから、構わないだろ。それに、すぐ戻る」
「だ、そうよ」
悠然と微笑む矢加部さん。
ケイは鼻を鳴らし、その腕を解放した。
「じゃあ、好きにしろ。その代わり、すぐに戻って来いよ」
「それはどうかしら。学校は広いし、私も行きたい所があるし」
「お前には話してない」
一瞥もせずに言い放ち、すごみを増した眼差しでショウを見上げる。
「……俺はお前の部下じゃないから、命令を受ける筋合いはない」
静かに、しかし反発するように言い返すショウ。
ケイは軽く頷き、鼻で笑った。
「そう取るか。お前こそ、どうかしてないか」
「俺は、俺がしたいようにするだけだ。いちいち人の意見に左右されずに」
「それを世間じゃ、わがままって言うんだ」
サトミ同様辛辣に評するケイ。
ショウの顔色が再び変わるが、彼はその顔を平然と見上げ続ける。
「とにかく、すぐに戻ってきてくれ。それさえ守るなら、もう何も言わない」
ケイは少しだけ表情を和らげ、数歩下がった。
何か言いたげなショウ。
だがその腕を、矢加部さんが引く。
「さあ、行きましょ。レストランを予約してあるから、今日はそちらで夕食を」
「え、ああ」
曖昧な返事。
頷いたとも見える仕草。
気付けば私は、ドアの前に立っていた。
出ていこうとする彼等をふさぐ格好で。
「雪野さん、どうかなさいましたか」
鼻に掛かったような、ふざけた声。
私はその彼女ではなく、ショウを見上げた。
何か言いたげな彼。
何も言わない私。
しばし見つめ合う私達。
でもお互いの間に、言葉は生まれない。
それ以上の視線は交わされても。
意志を伝えあう行為は、何一つとして……。
「さあ、行きましょ」
軽く押される肩。
よろめき、背中がドアに付く。
いつもなら何でもない事。
でも私の体は、たやすく後ろへ流れた。
今の心を表すように。
そんな私を一瞥し、ドアへ手を掛ける矢加部さん。
開くドア。
出ていく彼女。
それに付いていくショウ。
「一言くらい謝ったら」
凍り付いた刃のような声。
一瞬体を震わせ、ゆっくりを振り返る矢加部さん。
サトミはそっと私の肩を抱き、彼女を見据えた。
その声以上の、剣呑な眼差しで。
「す、少し押しただけじゃない」
気圧された顔。
しかし、謝罪の言葉は出てこない。
一歩前に出るサトミ。
下がる矢加部さん。
その間に、ショウが入る。
「どいて」
「いいだろ、そのくらいで」
いきり立つサトミを制する言葉。
なおも何か言いかけるサトミの前に、ケイが立つ。
「何がいいんだ」
笑顔。
周りの時間が止まるような。
肌が総毛立つような。
この場にいるのが、怖い程の。
「仲間を突き飛ばされて、それでもいいっていう意味か」
「……なんだと」
目を細めるショウ。
ケイは笑顔のまま、微かに私へ顔を向けた。
「意味が分からないって言うなよ」
「押されただけだろ」
「本気か、おい」
鼻を鳴らすケイ。
しかしショウが、発言を翻す気配はない。
「もう一度言うぞ。仲間を突き飛ばされて……」
「どうでもいいだろ、そんな事」
風の切る音が耳を打つ。
鈍い声と、床へ崩れる音がそれに続き。
悲鳴が、どこかで聞こえている。
床へ倒れあごを押さえるショウ。
彼にすがる矢加部さん。
そのきつい眼差しが、冷徹に見下ろすケイへと向けられる。
「何する気っ」
「邪魔だ、下がってろ」
「え?」
「そいつは、続きがやりたいみたいだ」
軽く腰を落とすケイ。
振り上げた足の反動で立ち上がったショウは、その勢いのまま前蹴りを放った。
「馬鹿が」
それを難なくかわし、今度はカウンター気味に脇腹へボディーアッパーを見舞う。
再び床へと崩れる体。
ケイは手の平を上に向け、挑発気味にそれを振った。
「どうした、玲阿四葉。俺程度に負けてていいのか」
「何っ」
血相を変えるショウに、素早く矢加部さんがすがりつく。
「も、もう止めましょうよ。こんな人を相手にしても、仕方ないわ」
「だけど」
「……俺がやりましょうか」
不意に前へ出てくる、矢加部さんの取り巻き。
ショウと引けを取らない体格。
軽い身のこなし。
ケイが再び構えを取るが、それを制する声が飛ぶ。
「お前じゃ無理だ」
あごを押さえつつ立ち上がるショウ。
明らかに不満の顔を浮かべる男。
それでもショウは首を振る。
「矢加部さん」
「玲阿君が無理だと言ったら無理なのよ」
「……分かりました」
険しい眼差しをケイに向ける男。
ケイは鼻で笑い、両手をジーンズのポケットへ入れた。
「それが無難だな。後はその男と勝手にやってろ。サトミ」
「ええ。ユウ、行きましょ」
私の肩を抱き、彼等の間を抜けていくサトミ。
その眼差しは誰でもなく、ショウへと向けられる。
私も一度だけ、彼を見る。
こちらを見つめる、何かを言いたげな瞳。
でも言葉は生まれない。
私もまた、何一つ口にしない。
ただ見つめ合うだけで。
ドアをくぐる私。
オフィスに留まる彼。
手を伸ばせば届く距離をすれ違い。
離れていく。
一言も。
何もなく。
私達は、離ればなれとなった……。
夜。
気付けば服を着替え、ベッドサイドに腰掛けている。
お風呂に入り、食事も取ったのだろう。
髪は少し濡れ、お腹の感覚もそう告げている。
サトミの姿はなく、それ以外の誰もいない。
ただ、私しか。
ベッドサイドにあったバスタオルをバスルームへ戻し、鏡を見る。
少し青白い、生気に乏しい顔。
多分今日は、ずっとこうだったんだろう。
あの時から。
まさかと思った事の連続。
矢加部さんとの再会。
突然のいざこざ。
ショウとケイのケンカ。
そして、あの一言。
「どうでもいいだろ、そんな事」
誰にでもない。
紛れもなく私に向けられた言葉。
今までの4年間。
幾つもの出来事。
私の気持ち。
そうだと思っていた、彼の気持ち。
全てが覆された。
大袈裟かも知れない。
でも私には、そうとしか聞こえなかった。
灯りを消し、ベッドに横たわる。
考える事はたくさんある。
あり過ぎて、思考がまとまらない。
その出来事の大きさにも。
すぐに薄れる意識。
まとまらない思考。
消えていく意識の中、ふと思った。
目が覚めても、きっと何一つ変わっていないだろうなと……。
教室。
卓上端末とノートの用意をして、少し息を付く。
思った通り、何一つ気持は変わっていない。
重く、やるせないままで。
かすんだような教室内の眺め。
遠くに聞こえる、クラスメートの声。
今が夢と言われても、信じてしまうくらいの感覚。
全てが虚ろで、現実感がない。
もう一度息を付き、後ろにもたれる。
「お早う」
柔らかい声で挨拶をしてくるサトミ。
「おはよう」
オウムのように返し、前を見つめ続ける。
サトミは私の隣りに座り、授業の準備を始めた。
何も言わない彼女。
私も何も言わない。
言おうとはしない。
それすらも辛い気分だから。
少しして、ケイもやってきた。
「お早う」
「ああ。おはよう」
サトミにそう返し、私の後ろへ座る。
今日も寝不足では無いらしく、ただ普段以上に機嫌の悪そうな顔。
彼もそれ以上は何も言わず、そのまま授業が始まった。
昨日同様、いつの間にか終わっている授業。
違うのは、もう放課後になっていた事。
昼休みにも気付かなかった。
一つ分かっているのは、ショウの姿が見えない事。
昨日の今日で、会うはずもないだろうけど。
もしかしてと。
謝りに来るのではと思っていた。
昨日はごめん、悪かったと。
いつも彼が見せる、少し気弱そうな。
あれだけ強い人がどうしてと思う、優しい表情で。
でもそれは、私の思い過ごし。
彼の姿はなく、端末にも何一つ連絡はなく。
ただ時だけが過ぎ、私は一人無為に時間を過ごしている。
何もしない。
何も出来ない時間を。
私達がやってきたのは、いつものオフィスではない。
ガーディアン連合、G棟A-1オフィス。
G棟隊長のモトちゃんがいる所だ。
昨日の事を、サトミかケイが気にしたのかも知れない。
ただここにいて、何をする訳でもない。
その意味では、昨日のショウをとやかく言える立場ではない。
彼は仕事を放棄して、矢加部さんの案内をして。
私は何もせず、テーブルを見つめて座り続けるだけで。
テーブルに置かれたスティック。
肩から外されたID。
それを見つめ、何も考える事が出来ない。
考えようがない。
結論を出すのが怖いから。
もうこのままになるかも知れないという、強い不安。
今までは考えもしなかった。
でも今は、現実味を持って迫る事実。
「おい、起きてるか」
「え?」
顔を上げると、前のソファーに名雲さんが座っていた。
彼だけではなく、舞地さん達も。
「話は大体聞いた。最近あいつが変だと思ってたら」
「予想は付いたけれど」
苦笑気味に頷き合う、名雲さんと池上さん。
柳君は自分の事のように、その可愛らしい顔を曇らせている。
「どうしたんだろう、一体」
「司が気にしなくてもいい。これは、雪野と玲阿の問題だ」
冷静に指摘する舞地さん。
私を慰めもしなければ、からかいもしない。
彼女は普段通り、私に接している。
それが今の私にどう感じられるかを、気にする様子もなく。
「冷たいね、お前は。それで、あいつを殴ったのは浦田か」
「え、どうして」
「顔怪我してたから、理由を聞いたんだ。そうしたらあいつ、何も言わないんだよ。トレーニングで怪我したら言うだろうし、今この学校であいつを殴れる奴といったら」
ここにいる人間を一人ずつ指差していく名雲さん。
「後は卒業した熊と屋神。いるところだと、忍者とか」
「消去法で、浦田君って訳。あの子も、殴らなくてもいいのに」
「いい薬だ」
「真理依まで」
二人にたしなめるような視線を向け、池上さんはストレートの髪を撫でつけた。
「その浦田君は」
「丹下ちゃんの所へ、書類を届けに行ってる」
「聡美ちゃんは」
「ご覧のように、モトの手伝いですよ」
私の隣りに座っているサトミ。
その前に置かれる卓上端末と書類の山。
それと、幾つかの端末。
「木之本君が、外へ出てるので」
「ふーん」
意味ありげに頷く池上さん。
サトミは薄く微笑み、卓上端末の画面を閉じた。
「色々あるんです。それより、何か御用ですか」
「別に。真理依が来たいって言うから」
「私は何も」
微かに顔が赤くなる舞地さん。
その視線は私からそれ、ドアへと向けられる。
彼女の気持ち、気遣い。
心の中が、少しだけ温かくなる。
しかし、それはすぐに消えていく。
ドアが開き、数名の男女が入ってきた。
昨日会った、矢加部さんの取り巻きだ。
彼等は受付で何か言い、揉めている。
「ごねてるって感じだな」
「聡美ちゃん、私達で良かったら」
「済みません、お願い出来ますか」
「ああ。柳、行くぞ」
私達に気付き、こちらを見てくる取り巻きの男女。
受付の女の子は、助かったという視線を向けてくる。
「何やってる」
軽い調子で尋ねる名雲さん。
彼を知っているのか、彼等から動揺が伝わってくる。
「書類の不備?名前が入ってないだけだろ。このくらい、そっちで処理しろ」
「しかし、規則ですから」
不満気味に反論する女の子。
名雲さんは鼻を鳴らし、自分の名前を書き込んだ。
「これでいいだろ。ほら、帰れ」
「あなたは、ここの人間ではないはずです」
「直属班は、全オフィスに対して指揮監督する権限を有する。無論限定された権限だけど、この程度はその範囲内よ」
他の書類もチェックして、不備を直していく池上さん。
「はい、終わり。ガーディアン連合に圧力掛けたいのか、このオフィスを目の敵にしてるのか知らないけど。程々にしなさいよ」
「生徒会なのに、こちらの肩を持つんですか」
「少なくとも、あなた達よりは持ちたいわね」
「だそうだ。自分の仕事に戻れ。それとも、使いっ走りが仕事か」
挑発気味の言葉。
彼等の顔色が、途端に変わる。
「図星突かれたからって、怒るなよ」
「ケンカ売ってるんですか」
前に出る、大柄な男性。
昨日、ケイとやり合おうとした人だ。
体格では名雲さんに負けていなく、また顔にもそう言いたげな表情が見て取れる。
一気に緊迫感を増す空気。
彼だけでなく、他の者も敵意に満ちた眼差しを名雲さんへと向ける。
「……遠野」
彼等を視界に捉えたまま、サトミの名を呼ぶ名雲さん。
「怪我をしない程度なら、モトへは私から」
「分かった」
「じゃあ、僕も」
名雲さんの隣りに並ぶ柳君。
目の前にいる人達に比べ、明らかに華奢な体格。
加えて、優しさと可愛らしさを備えた顔立ち。
場違いとも言える彼の登場に、少しのどよめきが起きる。
「ほら、誰でもいいから来てよ」
「勝てるって言うのか?直属班だか知らないけど、調子に乗るな」
「雪野さんにふざけた事をして、ただで済むと思ってる?」
一瞬にしてすごみを帯びる表情。
凍り付く辺りの空気。
男の顔色が変わり、奇妙な叫び声を上げて走り出す。
意外に早いストレート。
ヘッドスリップでそれを交わす柳君。
しかしストレートは牽制。
横へ流れた柳君の鳩尾に、前蹴りが飛ぶ。
「セッ」
それを真下から捉える、柳君の膝蹴り。
股の裏を打たれ、仰け反る男。
伸びた足はそのまま男のあごを取らえ、天井へと向けられる。
その勢いのまま体を後ろへ翻す柳君。
男が床へ崩れるより早く、柳君は後方宙返りを終えて床へと降り立つ。
軽やかで、淀みのない動き。
それを、当たり前のようにこなし。
今も柔らかく微笑み、床に倒れた男を見下ろしている。
「もう終わり?ちょっと回っただけなのに」
「その程度なんだろ。ほら、次は誰だ」
男をまたぎ、前に出る名雲さん。
後ずさる男女の中から、例の巨漢が進み出る。
血走った眼差しと、赤い顔。
屈辱と怒りに満ちた表情で。
「馬鹿がっ」
ジャブからのロー。
ミドル、ハイ、パンチの連打。
打たれっぱなしの名雲さん。
攻め続ける男。
鈍い音が続き、周りからは歓声が上がる。
しかし。
男の顔が青ざめていく。
動きも鈍くなる。
疲れではなく。
苦痛の表情、浮かぶ汗。
ついには膝から崩れ、完全に動きを止める。
「やる気あるのか」
鼻を鳴らす名雲さん。
気付いていたのは、何人いただろうか。
無闇に攻めてくる男。
ガードをする傍らで、その手足の急所へ逆に打撃を加え続ける。
攻めれば攻める程傷つくという、高度なテクニック。
気を付けていれば防ぐのは可能だが、それをさせないだけの技術を名雲さんは持っている。
「さて、まだやりたい人は……。いないみたいね。大した怪我はしてないから、早く連れて帰りなさい」
あごをドアへと向ける池上さん。
動かない男女。
恐怖と、怒りと、不満。
それらが混ざり合った視線。
「……分かってないなら、私が相手になろうか」
腰から抜かれた警棒が伸ばされる。
室内に響く、澄んだ音。
一気に引き締まる空気。
先程の柳君のそれとは比べ物にならない程の、息が詰まりそうな強烈な意志。
「その辺でいいでしょう」
後ろのドアが開き、バインダーを抱えたモトちゃんがやってきた。
穏やかな顔に浮かぶ、柔和な微笑み。
モトちゃんは舞地さんへその笑顔を向け、警棒をしまわせた。
「という訳なので、お引き取り下さい」
「し、しかし」
なおも拘泥する男女。
モトちゃんは笑顔のまま彼等を振り返り、ドアを指差した。
「引き際って知ってる?私は、今がそれだと思うけど」
「ですが、元野さん」
「ガーディアン連合の幹部の指示には従えない?だったら、自警委員の指示と捉えて」
室内に響く、落ち着いた声。
彼等の顔色がさらに青くなる。
「今回の件については、不問にします。自警局で調査をなさりたいなら構いませんが」
「い、いえ」
「でしたら、お引き取り下さい。局長によろしく」
ドアが閉まったのを確認して、こちらを振り向くモトちゃん。
「何も、ケンカしなくても」
「い、いや。名雲さんが」
その影に隠れる柳君。
名雲さんは困惑気味に頷き、口元で何やら呟いた。
「別に怒ってはませんよ。私も事情は分かってますから。彼等にも、かなり問題がありましたし」
柔らかく微笑み、バインダーをテーブルへと置く。
「これは?」
「後期から予定している、ガーディアン統合案。あくまでも、試案だけど」
「本当にやれるのかしら」
「生徒会ガーディアンズは、勢力が増えると思ってて乗り気よ。塩田さんも」
「俺がどうした」
「わっ」
目を丸くして飛び退くモトちゃん。
その後ろには、いつの間にか室内にいた塩田さんが立っている。
「ど、どうして」
「そこから入ってきたんだよ。何か、気絶した男達と入れ替わりに」
悪びれず答える塩田さん。
彼の優れた隠行のせいだろうが、さすがの舞地さん達も気付かなかったようだ。
「さすが忍者」
感嘆の表情を浮かべる名雲さん。
柳君は呆然と、子供のような顔で彼を見つめている。
「俺は忍者じゃない。……どうして、あんたらが」
「同じ理由だと思うわよ」
苦笑気味に答える池上さん。
舞地さんは黙って、私の傍らに立っている。
「過保護だな、どいつもこいつも」
私へと向けられる視線。
だが塩田さんは何も言わず、テーブルの上に腰を下ろした。
「ガーディアン統合ね。反対する理由がない」
「自警局長の権限強化につながったとしても?」
「こっちは現場を押さえてる。学校の介入が無意味な程に」
精悍さを増す塩田さんの横顔。
その鋭い視線が、舞地さん達へと向けられる。
「あんたらが、敵に回っても問題ないくらいにな」
「どうして敵だと」
「仮定の話さ。今の生徒会長と契約してるんだろ。あいつは、杉下さんと接触してる。それだけで、十分怪しい」
言葉の割には楽しげな態度。
バインダーは閉じられ、長い足が組み替えられる。
「間さんに頼まれてここへ来たって事で、信じられる部分もあるが」
「ガーディアンを押さえるだけで、学校とやり合えるとでも?」
静かに尋ねる池上さん。
塩田さんは軽く頷き、誰もいない壁を指差した。
「生徒会は大山が副会長を3期勤めて、ほぼ掌握してる。SDCは、三島さんの後輩。予算編成局は中川さんが局長」
「学校が、外部の生徒を流入させてきたら」
「そのために、こうして基礎を固めてるのさ。勿論衝突やトラブルは、いくらでもあるだろ。嫌な事や、辛い事も」
低くなる声。
誰にでも無く、自分に語りかけるような口調。
「だけど、何とかなるんだよ」
「その根拠は。あなた達が優秀だから?」
「俺や大山達は、中継ぎさ。実際に何かをするのは、後の連中だ」
胸に突き刺さる言葉。
だがそれは、今の私には大した衝撃を与えない。
それ以上の事で、胸も心も占められているから。
「大した自信ね。失敗した時、辛いわよ」
「経験済みだ。さっき程度の連中はともかく、俺とやるなら気を付けろよ。学校側に付くなら、容赦しないから」
「脅し?」
「ああ、そう取ってくれ」
平然と答える塩田さん。
それを、薄く微笑んで返す池上さん。
両者の間に走る、冷たい火花。
「二人とも、そのくらいにして下さい」
落ち着いた口調で間に入るサトミ。
塩田さん達もそれ程真剣ではなかったらしく、すぐに会話を終える。
「何にしろ、矢田の下にはああいう連中がいる。あいつらは単なる馬鹿だが、矢加部はそれなりの影響力があるからな。その尻馬に乗って、利用するつもりだろ」
「局長がですか?」
「お互いに。矢田は矢加部の金と知名度を、矢加部は学内での権力を。金と名誉と力。よくやるぜ」
「お金と名誉なら、こっちも負けてませんよ」
それとなく視線を上げるサトミ。
その先には、少し困ったような舞地さんがいる。
「舞地、か。北関東辺りに、そういう企業グループがあるらしいが」
「どうだか」
曖昧に答える舞地さん。
塩田さんもそれ以上は突っ込まず、私達を指差した。
「揉めるなとは今さら言わないが、程々にしろよ。玲阿の一件もあるし」
「あれは」
「分かってる、遠野。前も言った通り、あいつを止められるのはお前達だけなんだしな」
仕方ないという態度。
私はなるべく聞かないように意識を背け、自分の手の平を見つめる。
それが分かったのか、塩田さんも話題を変える。
「ところで、伊達は何してる」
「さあな。俺が知りたい」
「この前のトラブルで、あいつも名古屋港に来てたんだろ」
「知ってたのか」
苦笑する名雲さん。
対照的に目を丸くする柳君。
「え、そうなの?僕、会わなかったけど」
「裏でこそっと動いてたんだよ。警察を止めたり」
「馬鹿らしい」
突然無愛想な声を出し、池上さんは鼻を鳴らした。
それを舞地さんが、黙って見つめる。
「何よ」
「別に」
「馬鹿らしい」
もう一度言って、何故か名雲さんの太股に蹴りを入れて柳君の頭を叩いた。
「い、いた」
「な、なんだよ」
「うるさいわね」
「お、お前無茶苦茶だぞ」
「うるさいって言ってるのよ。何が、もう、本当に、もう……」
さらに叫び、少しずつ小さくなる声。
池上さんはそのままソファーに座り、俯き加減で何かを呟いている。
「何だ?」
「ちょっとな。訳ありって奴さ」
「そう言えば屋神さんが、伊達に彼女がどうとか言ってたっけ」
「彼女じゃない。友達って訳でもないが」
曖昧な答え。
どこかで聞いたような。
身につまされるような。
池上さんと、その伊達さんが実際どういう関係だったのかは分からない。
今の彼女を見ての、推測でしか。
池上さんと自分。
どちらが幸せで、幸せでないのか。
その判断は付かないし、今の私には付きそうにもない。
重い気持、まとまらない思考。
全てがただ、流れていく。