14-1
14-1
薄曇りの空。
学内のグラウンド。
プロテクターを着けた大勢のガーディアン達。
今日は、ガーディアン連合と生徒会ガーディアンズの合同訓練。
これから始まるのは、二手に分かれ攻撃と防御を受け持つシミュレーション。
「ちょっと暑いかな」
「日焼け止め塗ったら」
人の低い鼻に触れてくるサトミ。
仕方ないので、プロテクターごと頭突きをかます。
彼女のプロテクターがおかしな音を立て、後ろへよろめいた。
「な、何するのっ」
「訓練、訓練」
「分かったわ」
低い声を出し、いきなり長いバトンを突きつけてくる女の子。
喉元に迫ったそれをかわすと、足元にローキックが跳んできた。
遠慮のない子だな。
それを飛び越え、懐へ一気に飛び込む。
焦りの表情を浮かべるサトミ。
大丈夫、ただ脇を……。
「わっ」
目の前に広がる暗闇。
それが彼女の長い黒髪だと気付いた時には、後ろから羽交い締めにされていた。
「暴動参加者1名確保。特徴は低い鼻となだらかな胸。直ちに照会して下さい」
「うー」
「唸る癖があるようです」
「がー」
彼女に抑えられたまま、バタバタと手足を動かす。
当然みんなの視線が集まり恥をかく。
私だけでなく、サトミも。
「止めてよ」
「リンゴ炭酸」
「どうして私が……。分かった、分かったわよ」
「勝った」
わがままを押し通して、ばたつかせていた手を止める。
いい汗もかいた。
「まだ終わってないぞ」
少し厳しい口調でたしなめてくるショウ。
最近、特に精悍さを増した表情。
日の陰った下で見ても、それは変わらない。
「少しふざけただけでしょ。何ぴりぴりしてるの」
醒めた口調で指摘するサトミ。
ショウは「分かったよ」とだけ呟き、どこかへ歩いていった。
「何、あの子。最近おかしくない?」
「この間言ってた、自立じゃないの」
「人のいいのが取り柄なのに。あれだと、ただのケンカ馬鹿になるわよ」
辛辣に評し、人混みに消えていくショウの背中を見つめるサトミ。
私はあまり見る気にになれず、視線を逸らす。
「準備はいいか」
そんな私達の元へやってくる塩田さん。
彼も全身にプロテクターを付け、肩にはバトンを担いでいる。
「指揮を執られるのでは」
冗談っぽく尋ねるサトミに、塩田さんは鼻を鳴らしてバトンを振った。
「俺は現場の方が合ってるんだよ。そっちは、元野達に任す」
「向こうの指揮は?」
「矢田だろ。一応は、自警局長だからな」
サトミ程は皮肉さが無い表情。
「ガーディアン連合対生徒会ガーディアンズですか。遺恨を残しそうですね」
「捉え方によるさ。人による、かな」
意味ありげな呟き。
サトミは苦笑して、取り巻きのガーディアンに指示を出している矢田自警局長に視線を向けた。
彼も全身にプロテクターは付けている物の、前線に立つ事は無いだろう。
その能力としてでなく、気構えとして。
以前はともかく、今はそうとしか思えない。
「どうでもいいけど、玲阿と仲良くしろよ」
「え?」
「さっき怖い顔で歩いてたぞ。お前達以外に、止められる人間はいないんだから」
先輩の顔で、そう諭してくる塩田さん。
ただ私は素直に頷けず、曖昧に返事を返した。
「どうした」
「最近、ショウが張り切ってるんです。自分の意見を持つとか言って」
「サトミ」
「なるほどね。あいつはあいつなりに、何か考えてるって事か。それがどういう方向へ行くかはともかく」
煙るような眼差し。
誰が誰かも分からない、大勢の人混みの中。
気付かないはずなのに。
私は彼を見つめてしまう。
外見の良さや体格にだけではなく。
彼という存在に。
「俺に相談しろとは言わないが、大丈夫か」
「今の所は」
「厳しいな、お前は」
「あの子が、今まで甘く過ごしてきただけです」
険しい態度とと台詞を弱めないサトミ。
私は黙って、その言葉を聞いている。
「……その辺りは、お前達自身の問題だ。もう一人の問題児は」
「あそこに」
「おーい、浦田」
大声を上げ手を振る塩田さん。
沙紀ちゃんと話し込んでいたケイは、手を挙げてこちらへ駆け寄ってきた。
「敵に内通か?」
「ええ。リーダーの寝首を掻く相談を」
平然とそう答えるケイ。
リーダーとはつまり、塩田さんの事だ。
ただ塩田さんは鼻先で笑い、それを片付けた。
「お前、しばらく玲阿の様子を見てろ」
「あいつの側にいると、ごつい連中が来て怖いんですけど」
「仲間だろ」
「自分の事は自分でしないと。いちいち、面倒を見る必要はないと思いますよ」
塩田さんの意図、ショウの微妙な変化を察知した答え。
それは彼らしくもあり、また冷たいとも言える。
「冷たいな」
私とは違い、はっきりと口にする塩田さん。
「あれだけ強いんだし、自分の力がどこまで通用するか試せばいいんですよ。自分の責任でね」
「それで自滅してもか」
「もっとショウを信じたらどうです。……言っておきますが、俺があいつを信じているという意味ではないので」
あまりにも醒めた言葉。
だが彼は、それを気にした様子はない。
私が顔色を変えたとしても。
「ケイ、言い過ぎよ」
「サトミも同意見かと思ってたけどね」
私へ視線を向けるケイ。
つまり彼女は、私を気遣ってそこまでは口にしなかったと言いたげに。
「あれだけ強ければ、自分で色々やりたくなって当然でしょ。むしろ、遅かったくらいよ」
「あくまで他人事か」
「じゃあ塩田さんから言って貰えます?調子に乗るなって」
「言えるか」
苦笑する塩田さん。
まだ二人とも軽さが残っているからいいが、本気でこの会話をされたら敵わない。
いや、本当にショウがそうだとしたら。
「いっそ今日は、ショウに幾つかのブロックを指揮させたらどうです」
「あいつは、そういうの苦手だろ。せっかく出来た自信を無くす可能性もあるし」
「優しいですね……。じゃあユウに代わって、俺達だけでも」
「それならいいか。雪野、済まんが」
顔の前に手を持ってくる塩田さん。
私は無言で頷き、視線を伏せた。
彼を試すような行為。
その結果への不安。
幾つもの、重い考え。
「大丈夫、ユウ」
敢えて尋ねてくれるサトミ。
軽く合わせられるヘルメット。
私は目線で応え、空を見上げた。
厚い雲の垂れ込める、初夏の空を……。
さすがに全員でぶつかり合う訳ではなく、希望者と選抜方式。 私達は当然入っているが。
「ショウ君達は、最前列に」
「ああ」
モトちゃんの指示に、短く答えるショウ。
私達のリーダーを任されたという不安や緊張は、特に感じられない。
こういう場面で彼が私達を率いた事は何度もあり、その点では問題ない。
ただそれは自発的な行動で、こうした公式な責任を伴う場合はどうか。
私でもこなしているんだから、大丈夫だとは思うけど。
「こちらは防御側で、一定ラインまで下がったら負け。相手の挑発に乗って、敵陣営に飛び込んでも駄目。あくまでも冷静に、実戦を想定してお願いします」
ヘルメットのインカム越しに聞こえる、モトちゃんの落ち着いた口調。
それに頷き、少しずつ意識を集中させる。
少なくとも、その気になる。
「最前列の交代は、こちらの指示に従って下さい。また体力的に問題が生じた場合は、無理せず引いて下さい。その辺りも、実戦同様臨機応変に」
今度は木之本君の声が。
聞き慣れた二人の声に、心が静かになっていく。
またこれが、訓練だからという事もあるだろう。
「相手陣営の主力は、G棟隊長丹下さんが率いる部隊。補佐が阿川さんと七尾君。ここを除けば、私達の方が優位に立っています。ですから、そこと当たる人達は気を付けて」
「臨時アドレス転送開始。……全ガーディアン、通信状況良好。元野さん」
「ええ。矢田自警局長、こちらの準備は整いました」
モトちゃんと局長の会話は聞こえない。
聞く気もないが。
「みなさん。現時刻から5分後に開始します。その間に隊列の確認を。体調が不調な方は、早めに申し出て下さい」
「各リーダーは、班の人員を確認」
木之本君の言葉に、左右に並ぶ私達を数えるショウ。
「G棟A-2、玲阿四葉。全4名問題なし」
静かな、落ち着いた口調。
帰ってくるのは木之本君の声ではなく、音声を認識したコンピューターの声。
いくら彼が有能でも、同時に何十もの返事を返すのは不可能だ。
横目に見るショウの表情に変化はない。
ヘルメットとフェイスカバー越しでも、それは分かる。
「どうした?」
目線を合わせてくるショウ。
私はバトンごと手を振り、もう片方の手で彼を指差した。
「今日は、頑張って」
「ああ。何とかやってみる」
控えめながら、自信を感じさせる返事。
何か言いたげなサトミ。
関心の無さそうなケイ。
私は黙って頷き、フェイスカバーを降ろした。
横一列に並ぶガーディアン達。
小細工抜きでの、正面からのぶつかり合い。
私達はその最前列で、回ってくるローテーションも一番多い。
それだけ周りの期待を受けているとも言える。
相手との距離は、殆ど無い。
よって、合図と共にぶつかるだけだ。
集中力をさら高め、体に力を込めていく。
訓練とはいえ気は抜けないし、私は小さいからなおさらだ。
「何か言ったら」
隣にいるショウへ顔を向けるケイ。
皮肉ではなく、彼が初めて指揮する事への意味だろう。
「……怪我しないように、周りに気を配って。それと、今日は俺の言う通りに」
「ああ」
「そうね」
静かに返すケイとサトミ。
お互い顔を伏せ気味で、その表情は読み取りづらい。
「全員に連絡。訓練開始まで30秒。10秒前からカウントします」
ヘルメット内に響く、モトちゃんの声。
私はフェイスカバーを降ろし、前を向いた。
今は、余計な事を考えている場合じゃない。
「5、4、3、2、1。訓練開始。全員防御準備」
土煙が上がり、プロテクターを着けた生徒会ガーディアンズが一気に突っ込んでくる。
腰をため、激突に備える私達。
そしてスティックとプロテクターが、激しくぶつかり合う。
「下がるな。後列は前列をフォロー。怪我人はすぐに交代させろ」
同じ最前列のどこかにいる塩田さんの声が、インカム越しに聞こえてくる。
全身にのしかかる圧力。
きしむプロテクター。
それでも腰を落とし、必死に押し戻す。
「生徒会ガーディアンズ、右翼が若干後退。最前列は現状位置を確保。隊列を崩さないで下さい」
開始前の指摘通り、地力はこちらが勝っているらしい。
実戦ならすぐにでも前進するのだろうけど、今は訓練だ。
突然増す圧力。
最前列が入れ替わる、私達と対峙していた生徒会ガーディアンズ達。
プロテクター越しの見慣れた顔。
沙紀ちゃんと七尾君、そして阿川君と山下さん。
親近感は沸くが、それはそれだ。
今私達が守っている場所は、全体のほぼ中央。
ここを突破されれば、指揮を執っているモトちゃんの所へ一直線。
さすがにそれは、させられない。
沢さんがいない事が、せめてもの救いか。
「クッ」
猛烈な圧力に耐え、下の方から押し返す。
単純な力勝負では相手にならないが、力点をずらして押す場所を工夫すればいい。
後は気力だ。
ぶつかり合う事数分。
息が上がり、体力の持たない人から下がっていく。
正直、私も少しきつい。
「玲阿君、一旦下がって下さい」
訓練中とあってか、苗字で呼び掛けるモトちゃん。。
圧力に耐えつつ、隣にいるショウを見上げる。
だが彼は押し続けるだけで、後ろへ下がろうとはしない。
「玲阿君」
「まだいける」
「その判断はこちらでします。いいから、交代して」
トーンの落ちる声。
それでもショウは動かない。
いや、むしろ前に出ている。
「玲阿。元野の指示に従え」
今度は塩田さん。
しかしショウは前進し続ける。
「今交代したら、押し切られる。後10分」
「それは元野が決める事だ。お前が判断する事じゃない」
「そんな事言ってたら負ける」
「勝ち負けは関係……。おい、玲阿っ」
塩田さんの制止を無視して、密集する生徒会ガーディアンズの間を抜けていくショウ。
「どうしたの」
私とヘルメットをぶつけ合いながら、怪訝そうに尋ねてくる沙紀ちゃん。
こちらは答えようが無く、顔を伏せて視線を避ける。
「雪野、玲阿のフォローに回れっ。浦田と遠野もっ。俺もすぐ行くっ」
「了解っ」
下がっていた視線を沙紀ちゃんに向け、無言で訴える。
「……分かった。ここは貸しよ」
「ごめん」
わずかに体をずらした沙紀ちゃんの隣を通り抜けていく私達。
「済みません」
「いいよ。七尾君、今の内に少し前進を」
「了解」
苦笑気味にすれ違う阿川君達。
最後に沙紀ちゃんが何か言いたげに視線を合わせ、全体に前進を指示した。
訓練なので打撃は禁止されているが、周囲全体を囲まれてはかなり苦しい。
こっちは4人だけ。
それに私はともかく、サトミとケイはこういう場面が得意ではない。
「あの馬鹿」
息を荒くしながら呟くケイ。
サトミは無言で、押し寄せる圧力に耐えている。
「ユウ、無理しないで。下がってもいいのよ」
「大丈夫、モトちゃん。塩田さんとも合流出来るし、殴られないだけまだましよ」
「玲阿君は目測で、10m先。矢田自警局長の護衛と交戦中」
「打撃は無いんでしょ」
舌を鳴らすサトミ。
「事前の取り決めではね。直属班じゃないから練度は低いけど、気を付けて」
「分かった、木之本君」
舞地さんでないのは助かった。
どちらにしろ、楽ではないが。
「ユウ、インカムで呼んで」
私を肘でつつくサトミ。
自分ではやりたくないらしい。
「……ショウ。前に出過ぎ。早く戻って」
「もう少しで届く。みんなこそ、俺の後に付いて来いよ」
「モトちゃんの指示に従うのが先でしょ」
「指揮所じゃ分からない事もある。現に俺は、ここまで来てる」
辺りから聞こえる叫び声。
どちらが先に手を出したかは知らないが、ため息が出てきた。
「ユウ、早く来いって」
「……今向かってる」
「分かった」
ややうわずった声がして、通話が切れる。
意味が分かってるのか。
「何考えてるんだか。ちっ」
どこかを蹴られたらしく、声を上げるケイ。
圧力は依然として収まらず、一歩ずつ前進するのがやっとの状況。
「モト、時間は」
「後20分。時間切れが先か」
「ショウが先か、でしょ。分かってる」
「お願い」
いつにない真剣な口調。
サトミはもう一度舌を鳴らし、私の隣になって進み始めた。
「ゆっくりでいいよ」
「早くショウを止めないと、本当に揉めるわよ。いくら訓練とはいえ、局長を倒したら」
「面白いじゃない、とはいえないか。仕方ないわね」
「本当、何がしたいのかしら」
醒めた言葉遣い。
サトミもケイも押し寄せる圧力を堪えるのに必死で、こうして前進するのは相当に苦しいのだろう。
そして後ろでは、私達の守備位置が沙紀ちゃん達に突破されつつある。
こっちが先になる可能性もあるか。
「どけよ」
「え?」
いきなり私の前に現れ、バトンを横に構える塩田さん。
「後ろから押せ。一気に抜ける」
「は、はい」
腰を落とす塩田さん。
その後ろに構え、力を込める私達。
「大丈夫ですか?」
「時間がない。構わず押せ」
塩田さんも今の状況を十分に把握しているようだ。
前から起きる低い声。
突然生じた圧力に戸惑っている様子。
ただそれは、私達が受けていたものに比べれば幾分落ちるだろうが。
前進は相変わらず一歩ずつだが、少しは速度が増した。
そしてショウの背中が見えてくる。
生徒会ガーディアンズの最後列辺り。
小さく出来ている空白。
その周囲をガーディアン達に囲まれ、バトンで押し合っているショウ。
最後列の後ろには指揮所があり、局長らしき姿も見える。
また怪我人も。
それがショウとやり合った結果なのかは分からないが、数はやや多い。
「玲阿、戻れっ」
インカムではなく、フェイスカバーを上げて叫ぶ塩田さん。
周囲の喧騒にも負けず響き渡る声。
ショウが一瞬こちらへ目を向けるが、その場を下がる気配はない。
「あの馬鹿。おい、俺達も突っ込むぞ」
「まさか、加わらないですよね」
「それも面白いんだけどな」
私と同じような事を言って苦笑する。
サトミとケイは、くすりともしないが。
「おい、ちょとどけ。あいつを止めるから」
「え?」
私達と押し合いをしている生徒会ガーディアンズの子が、怪訝そうに塩田さんを見つめる。
「あ、塩田議長」
「それはいいから、仲間も少し下がらせろ」
「は、はい」
インカムで連絡を取り、前を開けてくる男の子。
訓練だし、彼等もそこまで無理をする気はないのだろう。
ショウのように。
「悪いな」
「いえ。彼、何かあったんですか」
「俺が聞きたいよ」
鼻で笑い、バトンを肩に担ぐ塩田さん。
押し寄せる圧力から解放された私達も安堵の息を漏らし、彼へ続く。
「元野。矢田に連絡。訓練中止だ」
「その前に、こっちが落とされそうですよ。丹下さんが、目の前まで来てます」
「時間は」
「まだ20分以上。耐えきるのも出来なくはないですが」
珍しい自嘲気味な声。
「塩田さん、木之本です」
「何だ」
「こちらは中央から完全に分断されています。訓練の趣旨から言っても、これ以上は」
「分かった。無理しない程度までやって、適当に切り上げろ」
顔をしかめ、バトンで自分の肩を叩く塩田さん。
「あいつは訓練の意味が分かってるのか。スタンドプレーを披露する場じゃないんだぞ」
「それは、ショウを止めた後で」
冷静に指摘するケイ。
彼はすでにヘルメットを取り、乱れた髪を掻き上げている。
サトミも同様で、表情はケイより硬い。
割れた人垣の間を通り抜け、ショウを取り囲む輪に辿り着く私達。
それに気付いたのか、バトンを構えて何人かのガーディアンがこちらを振り返る。
「落ち着け。あいつを止めに来ただけだ」
「あ、塩田議長」
「それはもういい。玲阿っ、もう終わったぞっ」
肩で息をしながら振り返るショウ。
曇るフェイスカバー。
傷だらけのプロテクター。
そして険しい周囲からの視線。
ショウはヘルメットを脱ぎ捨て、辺りに注意を払いつつバトンを腰の位置まで下げた。
「時間はまだあります」
「元野の所に、丹下達が迫ってる」
「だったら、その前に」
「俺は、終わったと言ったんだ。聞こえなかったのか」
一瞬にして凍り付く辺りの空気。
息を呑むガーディアン達と、視線を伏せるショウ。
久しぶりに感じる、塩田さんの圧倒的な威圧感。
それをこんな場面で味わうとは、思いもしなかったけど。
「みんな、悪い。この件については、後で連合の方から正式に謝罪する」
「そこまでしなくてもいいです。ただ、彼に一言注意して貰えれば」
隊長らしい人がショウを指差し、ひびの入ったプロテクターを外す。
彼に限らず周囲の人達は、同じような態度だ。
「ああ。矢田を呼んでくれ」
「はい」
インカムで連絡を取る男の子。
その間に私達のインカムには、モトちゃん達の所へ沙紀ちゃん達が突入。
そして降伏したのと連絡が入った。
「という訳だ。玲阿、分かったか」
「でも」
「お前の話は後で聞く。……矢田、悪い」
軽く頭を下げる塩田さん。
局長は青い顔で首を振り、私達から視線を逸らした。
「こちらも挑発に乗った面がありますから。今回は、両者不問という事で」
「ああ。少し早いが、ここで訓練は切り上げるか」
「その方が良さそうですね。元野さんには、こちらから連絡します」
怯え気味の顔で背を向けようとする局長。
私も見ていたい訳ではないので、すぐに意識から彼を消す。
「こいつには連合の方で処分させるから、悪いがそれで勘弁してくれ」
「いえ。ただ、これからは気を付けて下さい」
「そうだな。玲阿、行くぞ」
「はい……」
何か言いたげな素振りを見せ、しかし俯き加減に歩き出すショウ。
そこに向けられる、鋭い視線。
彼がそれを気にしている様子はない。
サトミやケイ、塩田さんも。
私を除いては、誰も。
ストレッチと簡単な挨拶が終わり、全員が着替えに入る。
当然男女は別。
私はサトミ達と一緒に、クラブハウスのロッカールームにいた。
「あの子は何がやりたいんだか」
ケイと同じような感想を漏らすモトちゃん。
タンクトップにショートパンツの下着という、少々薄着。
ただそれは、私やサトミ達も同様だ。
「自立っていうけど、あれはただ突っ走ってるだけよ」
辛辣に評するサトミ。
周りにいた女の子も、私を気にしつつ笑っている。
「丹下ちゃんはどう思う?」
「勝因の一つとして助かったわ」
「あ、皮肉」
「冗談。確かに、ちょっとらしくないかな。玲阿君ってもっと大人しいというか、良い意味で控えめじゃない。でも最近ちょっと変なのよね」
二人よりは穏やかな説明。
どちらにしろ、批判的な意味合いは強いが。
「結局処分はどうなるの?」
「始末書ね。勿論、ユウも」
「え」
少し離れて聞いていた私は、着かけていたTシャツを持ったままモトちゃんの前に駆け寄った。
「ど、どうして私まで」
「監督不行届として。今回の指揮権がショウ君にあったとしても、ユウには彼を監督する責任があるんだから」
「で、でも」
「いいじゃない。今さら1枚や2枚」
他人事のように笑うサトミ。
じゃあ自分も書いてよという話だ。
「後は議長名での訓告かな。資格停止まではいかないと思う」
「そんな大袈裟な」
「命令無視、ルールを無視した乱闘。訓練の遅滞と中止。私なら、そうするわよ」
やや厳しい顔で指摘する沙紀ちゃん。
間違いなく、G棟隊長としての表情で。
「後は、ショウに殴られて怒ってる人がいないかどうか。本当、困ったわね」
「昔もあの子は、よく暴れてたじゃない」
「その時は理由があったわ。今度みたいに、訳も分からずスタンドプレーに走るなんて」
「確かに」
軽く頷くサトミとモトちゃん。
やや深刻な雰囲気。
すでに殆どの人は着替えを済ませ、ロッカールームを後にしている。
残っているのは私達と、数名くらいだ。
「ユウ、まだ」
「今行く」
スカートのフックを掛け、プロテクターの入った袋を背負う。
シャワーを浴びてだるくなった体には、少しきつい。
外に出ると、壁にもたれているショウがいた。
私達全員と視線を重ねるショウ。
いつもならサトミやモトちゃんから一言ある場面だが、二人ともただ黙っているだけだ。
沙紀ちゃんは私達に任せるという雰囲気。
そしていつものショウなら、自分の失敗に申し訳なさそうな態度を取るはず。
でも彼は、こちらを気にしてはいるものの謝る素振りは感じられない。
ロッカールームでの会話より重い空気。
冗談でそれを和ませる気にはなれず、とはいえこのまま立ち去る事も出来ない。
気まずい沈黙。
それを破ろうとしない私達。
時だけが過ぎていく。
「何してんだよ」
愛想のない声。
男子用のロッカールームから出てきたケイが、教棟を指を差す。
「終わったんだし、帰ろう」
この場の雰囲気を気にする事無く、いつも通りの態度でそう促す。
私達もそれを潮時のようにして、誰からともなく歩き出す。
隣を歩くショウ。
これといって会話はなく、ただ歩いていくだけ。
楽しい気分も、浮き立つ気持も別にない。
目的地に向けて歩く。
それ以外の事は、何も。
彼の存在が曖昧に感じられる。
いつもとは違う、まるで他人のような感覚。
同じ思いを共有して、同じ気持ちを分かち合って。
時にはぶつかり合い、時には笑い合い。
この人の側にいたいと思っていたのに。
その存在が分からない。
廊下を一緒に、同じ方向へ歩いている男の子。
今はまるで、そんな感じ。
「それ、持とうか」
やや遠慮気味の声。
ショウが、私の背負っていたプロテクターの袋を指差した。
「いいよ。軽いから」
少し突っぱね気味に言い、袋を背負い直す。
「そうか」
あっさりとした態度。
それきり何も言わず、前を向くショウ。
普段なら強引にでも持っていく所。
別に重いからではなく、私が大変そうだからという理由だけではなく。
彼は私に、そう接してくれていた。
今までは。
肩にのしかかる重い感覚。
実際には大した重さじゃない。
サトミやモトちゃんも、平気でそれを持っているから。
だけど今の私とっては、まるで鉛が詰まっているような気分だった……。
パトロールや事務の仕事は訓練に参加しなかったガーディアンへ任せ、私達はいつもより早く終業した。
全員一緒なので遊びに行くとか食事という選択肢もあるけど、誰もそんな事を言い出さない。
またその気分でもない。
殆ど会話のないまま解散し、寮へと戻る。
食事、か。
気分は重くてもお腹は空く。
ただ寮にある食堂まで行く気にもなれず、キッチンへ入り適当に探してみる。
パスタがあった。
インスタントだけど、ソースも。
面倒だし、これでいいか。
茹で上げたパスタにオリーブオイルを絡ませ、インスタントのボンゴレソースを上から掛ける。
ハーフタイプなので、これなら残す事もない。
後はサラダを、少し。
ローテーブルまで運び、TVを付けて食事を始める。
一人きりの、味気ない夕食。
いつもならそうは思わないのに、今日はどうかしてる。
さっきのショウを、まだ引きずっているようだ。
訓練中から。
いや。この最近の、彼の変化。
サトミ達が指摘するまでもない、私が一番分かっている事。
勿論分かっているからといって、何かが出来る訳ではない。
一言、注意する。
注意、か。
それが妥当なのかどうか。
また彼が、素直に受け入れてくれるだろうか。
今までと少し違う彼。
間違っていると、私には言い切る自信がない。
このままで良いとも思わないけれど。
気付けばニュースが終わり、見た事のないタレントの旅行番組になっていた。
海辺の旅館で豪華な食事を取る男女。
伸び始めたパスタをすすりながら、それに視線を合わせる。
言葉は聞こえる、画面も目に映っている。
理解しているかは、ともかくとして。
それでもどうにかパスタを平らげ、ぬるいお茶を口にする。
洗い物は終えたし、宿題も無い。
後はお風呂に入って寝るくらいだ。
やる事、やりたい事はある。
でも、やる気がない。
カーペットへ寝ころび、チャンネルを変えてクイズ番組に目を移す。
笑っている出演者達。
私も少し笑う。
何がおかしいのかは、自分でもよく分からない。
頭では分かっていても、気持が付いていってない。
まだ何があったという訳でもないのに。
ほんの少しの変化なのに。
自分の方が変わってしまっている。
普段の自分ではいられない。
その理由は。
あまり考えられない。
彼への気持ち。
勿論それが一番だろう。
後は不安。
彼が何をしたいのか、どこへ向かうのかが分からない。
その時自分がどうしたらいいのかも。
ただ、時だけが過ぎていく……。
少し早めに寝付いたのだが、目が冴えて眠れない。
考え事をしているためだろう。
体は疲れているのに、意識は違う。
仕方ないので部屋を出て、ラウンジの方へ歩いていく。
廊下にはまだ人の姿があり、床に屈んでお菓子を食べている子達もいる。
楽しそうな彼女達。
それを羨む気持だろうか。
胸の痛みを覚えつつ、廊下を歩く。
照明の幾つかは消えているが、まだ人で賑わうラウンジ。
私は自販機でお茶を買い、空いている窓際の席に付いた。
薄暗い外。
景色は何も見えず、小さな虫が飛んでいるくらい。
だからどうという訳もなく、ペットボトルを傾ける。
「雪野先輩」
「ん?」
振り向くと、パジャマ姿の神代さんが立っていた。
その隣は、渡瀬さんも。
「あれ、あなたって自宅じゃ」
「ナオの部屋に泊まってるんです。その内私も、寮にしようかと思って」
「それもいいかもね。私も実家は近いけど、寮に住んでるし」
前の椅子に座る彼女達。
私は姿勢を直し、ため息を付いた。
「先輩、どうかしたの?」
不安げな表情で尋ねてくる神代さん。
渡瀬さんもお下げ髪を撫でつつ、上目遣いで私の様子を窺ってくる。
「ちょっと寝付かれないだけ。二人こそ、寝ないでいいの?」
「明日、休みだよ」
「ああ、そうか」
今頃気付いた。
ショウの事ばかり考え過ぎていたようだ。
「雪野さん、明日予定あります?」
「無いけど、どうして」
「美味しいパフェのあるお店があるんです」
「ふーん」
付き合いではなく、つい笑顔がほころぶ。
彼女達の屈託のない表情を見ていると。
「遠野先輩はどう?」
「私から連絡する。……ショウ達も呼ぼうか」
「たまには女の子だけで」
悪戯っぽく笑う神代さん。
私は安堵感を覚えつつ頷いた。
「でも、太るかな」
細い体を撫でる渡瀬さん。
「あなたは、太ってちょうどいいくらいでしょ」
「雪野さんはどうですか?」
「私はちょうど良いくらいだって」
彼女よりも小さな体を反らす。
これで太ったら、本当に目も当てられない。
「二人とも、もう少し食べたらどう?」
「食べられないんだって」
声を合わせて抗議する。
それが出来れば苦労しない。
「何も、怒らなくても」
「ナオには分からないのよ」
「そうそう。良いよね、胸が大きい人は」
「本当、本当」
二人して頷き、ため息を漏らす。
心底と付け加えたくなる程の。
「そ、そう。じゃあ、私はそろそろ寝るから」
「ナオ、待って」
「話は終わってないわよ」
「終わったよ、もう。……どうして付いてくるの」
「寂しいのよ。独り寝は」
「いつも独り寝でしょ」
くすっと笑い、タオルケットを渡してくれる神代さん。
二人はベッドの上。
私はクッションを敷いた床の上。
ベッドで寝ても良いけど、一人の方が気楽な気分。
ただ冗談混じりに答えたように、一人きりは少し寂しい。
今夜は先輩の立場を使って、彼女達に甘えよう。
また、それを受け入れてくれた彼女達に感謝しよう。
「先輩、寝酒は?」
「え、そうなの?」
「ひ、人聞き気の悪い事言わないで。いくら何でも、寝酒は無いわよ」
「この前知り合いから、日本酒もらったんですけど。大吟醸とかいうのを」
気付いたらベッドの上に乗っていた。
そして神代さんの顔を見つめていた。
「出して」
「は、はい」
「お酒、か。私は苦手だな」
お下げを解き、セミロングになっている渡瀬さん。
それはそれで、また可愛い。
「先輩、つまみは」
「お酒だけでいい。一口飲むだけだから」
「ふーん」
疑わしいという顔と共に差し出される、五合の瓶と小さな湯飲み。
本当なんだって。
とにかく、飲もう。
「……辛口、かな」
「何でもいいよ」
鼻で笑う神代さん。
渡瀬さんは良く分からないが、ベッドの上にのの字を書いている。
「二人も、ほら」
「いらないって」
「先輩の酒が飲めないっての。え?」
「無茶苦茶だ」
むずる彼女に湯飲みを渡し、強引にお酒を注ぐ。
「もう」
傾けられる湯飲み。
微かに動く眉。
悩ましげに漏れるため息。
「へぇ」
「美味しいでしょ」
「うん。チィも飲んだら」
今度は渡瀬さんに湯飲みが。
「……あれ」
空になった湯飲みを差し出す渡瀬さん。
喜々としてそれに注ぐ私。
神代さんは鼻歌交じりで、さきいかを持ってくる。
後輩との楽しい一時。
翳っていた気分が癒されていく感覚。
ただ、明日は辛いだろうな……。
分かってるなら止めろという話だ。
目覚ましで飛び起き、だるい体にムチを打つ。
パフェなんて、今日じゃなくても食べられるのに。
頭の中でうだうだ言いつつ、女子寮の玄関に降りてくる。
そこにいたのは、私と同じくらいだるそうな神代さんと渡瀬さん。
「先輩、いつ帰ったの」
「二人が酔いつぶれた後」
「潰れてないです」
あくび混じりの返事。
渡瀬さんは青のワンピース、神代さんは赤いジャケットにジーンズスカート。
何にしろ、似合っているからいい。
「遠野先輩達は」
「あの子達こそ、完全に酔いつぶれてる」
一応部屋まで行ったんだけど、動かなかったので止めた。
昨日のショウを、彼女達も少しは引きずってるのだろうか。
「で、お店はどこ」
「神宮駅の、少し裏手。車で行く?」
「あるの?」
「一応は」
大きな胸を反らす神代さん。
それは見たくないが、車は見てみたい。
「小さくない?」
「気のせいだよ」
「いや、小さいって」
断言する渡瀬さん。
彼女が座っているのはバックシート。
座っていると言っても、横向きに足を伸ばしてる。
「二人乗りじゃないの、これ」
「先輩とチィは小さいから」
「あ、そう」
二人揃って、陰険に返事をする。
面白くないな。
窓を開け、熱田神宮からの涼しい風を車内に吹き込む。
すぐそこは都心なのに、これだけの広い緑を間近に感じられる場所。
ふとした瞬間に思う。
今は余計に心を和ませる事。
車を走らせる事少し。
多少危なげな運転ではあったけど、どうにか喫茶店の駐車場へと滑り込んだ。
「チョコパフェ3つ」
何でもそれが一押しらしく、代表して注文する神代さん。
時間が早いせいか、席は半分が埋まっているといったところ。
また彼女達の前には、そのチョコパフェらしき物が置いてある。
「私、残すかも」
メニューの絵が少し大きそうだったので、あらかじめ言っておく。
食い意地は張っていても、量は駄目なのだ。
「美味しいから、残さず食べれると思うけど」
「それが、なかなかね」
「分かります」
小柄同士頷く私達。
神代さんは不思議そうに、そんな私達を眺めている。
しばらくして可愛らしいウェイトレスさんが、そのチョコパフェを運んできてくれた。
グラスから溢れそうな生クリームとフルーツ。
下の方は螺旋状の層が出来ていて、チョコと生クリームが交互に重なっている。
見た目だけでも十分に楽しめ、食欲も増す感じ。
「いただき……」
満面の笑みと共に手を合わせようとした時。
テーブルの隣を、数名の女の子が通り過ぎていった。
どうやら二階席から降りてきたようだ。
その中心にいる女の子が、私の目を引いた。
大きな瞳と、逸らしたあご。
綺麗ではあるが、どこか癖のある表情。
高そうなブランドっぽい服とバッグ。
いかにもといった感じのお嬢様。
向こうも私に気付き、口だけを小さく動かす。
何を言ったのかは分からないし、あまり知りたくもない。
そのまま彼女達は店を去り、私も顔をパフェへと戻した。
「知り合い?」
「一応。同学年という意味では」
適当に答え、一気にパフェを頬張っていく。
胸に募る不安と苛立ち。
その気持ちとは裏腹に、見る見る減っていくパフェ。
戸惑い気味な神代さん達をよそに、私はパフェへ集中していた。
無理矢理に、振り払うように。
今の気持ちににも通じる、余計な事を思い出さないようにして。