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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第13話   2年編前編
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13-7






     13-7




 前を遮ろうとした男の子に視線を向け、後ろへと下がらせる。

 静かな特別教棟内。

 自警局が大半を占めるブロック。

 強引にドアを開けさせ、奥へと進む。

「ここだな」

 セキュリティシステムへ手を当てるショウ。

 それが動くより前に、声が掛かる。

「壊さなくても開けるわよ」

 笑顔でカードキーを振る沙紀ちゃん。

 彼女の指示に従い、周りにいたガーディアンがこの場を離れていく。 

「どうして」

「一応G棟隊長だから、ここへ来る機会も多いの。……これで開いたと」

 スリットからカードキーが戻り、沙紀ちゃんはサマーセーターの下に着ているシャツのポケットへ入れた。

「G棟隊長、丹下沙紀です」

「どうぞ」

 緊張気味の声が、ゆっくり開いたドアの向こうから聞こえてくる。 

 こちらの様子は、カメラで確認済みだろう。


 ドアが開ききるのも待たず、中へ滑り込む私達。 

 広い室内には体を覆うプロテクターを着けたガーディアンが勢揃いしていて、その向こう側に机に一人座っている。

「アポイントは無いはずですが」

「勝手に来たのよ」

 近づいてきたガーディアンを手で制し、彼との間を空けさせる。

 彼等も大人しく下がり、無理をして私達とやり合う素振りは見せない。

 動きを見ていてもやる気は感じられず、呼ばれたからここにいるといった雰囲気だ。

「随分下らない事をやってくれたわね」

「な、何の話です」

「小谷君の事を言ってるのよ」

 机に手を付き、気持ちを抑えながら彼を睨む。

 少しくらい体が震えるのは仕方ない。

「あの子がどんな気持ちだったか考えた?それが、あの子にとってどんな意味があるかを」

「僕は何も」

「とぼけるな」

 わずかに浮き上がる大きな机。 

 ショウは足を引き、落ちてくるそれを避けた。

「それとも、あいつが嘘をついてるって言いたいのか」

「い、いや。玲阿君、落ち着いて下さい」

「出来る訳無いだろ」

 再び浮き上がる机。

 上に乗っていた書類やペンが床へ落ちるが、誰一人それには気を払わない。

「俺も少しは、お前の事を分かってるつもりだった。俺達にはない責任や悩みがあるって。だからって、人を使って」

「ショウ」

 小声で制するサトミ。

 だが、彼女の感情が消えた訳はない。

「否定なさるのなら、私達が把握している情報を公表してもかまいませんが。その際は当然、あなたのリコールを求めていきます」

「遠野さん、それは」

 慌てる矢田自警局長。

 小声でささやき合うガーディアン達。

 それを気にしたのか、局長がドアを指差した。

「みなさんは、戻って結構です」

「はあ」

「隣で、控えていて下さい」

「……分かりました」

 ガーディアン達は不満気味な表情を浮かべつつ、ドアへと歩き出した。

 私達に好奇心と訝しげな視線を向けながら。



 人の少なくなった室内。 

 しかしそれ以外に変わった事は、何一つ無い。

 おどおどとこちらを探るような視線を向けてくる局長。

 前は決してこうではなかった。

 口うるさく、規則ばかりを重視するタイプで。

 小谷君が言っていたように、一生懸命で。 

 でも今は。

 もう、言葉もない。

「小谷君から何を聞いたのか知りませんが、僕はただ彼の希望を聞いてみなさんの所へ行ってもらっただけです。特に指示というか。その、ただ。元々は僕の部下だったし、報告を入れるようにと。え、えと。あくまでも私的な物で……」

「私の頭越しにですか。局長」

 静かに彼を見つめる沙紀ちゃん。

 私達は今日の事を説明していないが、彼女も多少は情報を掴んでいるのだろう。

「しかも、私的に。自警局の内規には抵触しないんですか」

「それは、えと。私的というか、あくまでも友人として世間話程度に」

「犯罪まがいの事をさせたとも聞いています。そうなると自警局ではなく、管轄は警察になりますが。当然教唆した人も含め」

「お、大げさに捉えないで下さい。僕は何も。ただ、そうしろと言われ……」 

 口をつぐむ局長。

 よく分からないが、自分も指示を受けたんだから関係ないという訳か。

 冗談じゃない。

「分かりました。私も今回の事を公にする気はありません」

「丹下さん」

「勘違いしないで下さい。あなたのためではなく、小谷君のためにです。目に余る事が続くようでしたら、遠野さんが仰ったように自警局幹部として局長の解任決議を申し出ます」

 笑いかけた局長に鋭い眼差しを向け、唇を噛みしめる沙紀ちゃん。

 ケイは彼女の肩に触れ、机を拳で軽く叩いた。

「俺達に不満があるなら、直接言いに来てくれ。直すべき点があれば改める」

「ぼ、僕は」

「誰かに言われてやってるだけなら。それが自分達の勝手な都合でやってるのなら。こっちも、それなりの対応をする。生徒会だろうと、学校だろうと」

 いつも通りの落ち着いた口調。

 表情も変わらない。

「馬鹿な先輩を持つと、後輩も苦労するよ」

「どういう意味ですっ」

「自分で考えれば」

 鼻で笑い、足早に部屋を出ていくケイ。

 サトミも局長を一瞥して、その後に続いた。

「俺もケイと同意見だ」

「玲阿君」

「小谷の気持ちを、少しは考えろ」

 そう言い残し、ショウも部屋を出ていく。

 私は荒くなりそうになった息を整え、彼に背を向けた。

「行こう、沙紀ちゃん」

「ええ」

「あ、あの」

 慌てた表情で私達の前に回り込んでくる局長。

 こちらは感情を抑えるのに精一杯で、これ以上は同じ場所にすらいたくない。

「学校から何言われたのか知らないけど、私はそんなの認めないわよ。私達がやられた事だけじゃなくて、小谷君の事は」

「あ、あれは」

「知らないと言った。とにかく私は、あなたみたいな先輩には絶対にならない」

 爆発しそうな感情を強引に抑え込み、局長を回り込んでドアの前に立つ。

 しかし動かない。

 センサー自体、反応していないようだ。

「何よ、これは」

「話を聞いて下さい。僕だって、好きでやってる訳じゃない。学校とやり合う事に、どんな意味があるって言うんですか。多少今までの権利は制限されても、決して困る事がある訳ではありません」

 熱心に話し始める局長。

 私はそれを聞き流し、ドアの傍にあるセキュリティへ手を触れた。

 面倒だ、壊すか。


「……生徒の自治は分かりますが、それが学業へ影響を及ぼしているケースもあります。私達は勉強をするために」

 拳では痛めそうなので、スティックの方がいいだろう。 

 まずスタンガンを作動させて。

「全てを生徒が行うのではなく、学校側との役割分担をするべきです。そのためにはまず相互理解と」

 電圧が弱いか。

 火花が散るけど、もう少し上げて。

 ……よし。

「なっ」

 意味不明な演説を止め、叫び声を上げる局長。

 私はスティックを背中へ戻し、ドアを何度か蹴った。 

 それでも開かない。 

 壊わした所が違ったのか、私の力では動かないのか。

 いいや、出口はここだけじゃない。

「い、一体何を」

 血相を変えて詰め寄る局長を軽くかわし、窓辺に立つ。

 割るまでもなく、こちらから開けられるようだ。

「結構高いわよ」

「飛び降りるならね。これがあるから」

 例のラインを取り出し、窓枠へ先端を接続させる。

 物質との隙間を無くし、完全に密着する素材らしい。

 よく分からないが、降りられればいい。

「壊れやすいわよ、それ」

「でも、ドアが開かないんじゃ仕方ないから」

「マスターキーを使えばいいのよ」

 見慣れないカードキーを、スリットに通す沙紀ちゃん。

 コンソールが作動し出し、動作可能と表示される。

「そんなの、よく持ってるね」

「一応は幹部だから。さ、行きましょ」 

 ドアを開ける沙紀ちゃん。

 私もラインを外し、彼女の後に続く。

 呆然とする局長に背を向けて。

 ここへ来た事への虚しさと後悔を強く感じながら。

 自分の行為と、分かっていたはずの彼という人へ。

 私からここへ来る事は、もう無いだろう……。



 オフィスへ戻ると、そこには顔を伏せ椅子に座っている神代さんの姿があった。

 彼女の隣にはサトミがいて、気遣うような表情を浮かべている。

 おそらく、今までの経緯を説明されたのだろう。

「神代さん」

「あ」

 弱々しく顔を上げる神代さん。

 私は彼女へ頭を下げ、その姿勢のまま口を開いた。

「ごめん。あなたは知らないだろうけど、私勝手に神代さんを疑ってたの。謝って済む事じゃないのは分かってる。でも、他にはどうしていいのか分からなくて。……ごめんなさい」

「い、いいんです。あたしがはっきりと言わなかったから、みんなにも迷惑を掛けてしまって。それに、小谷君にも」

「え?」

 私が顔を上げても神代さんはまだ伏せたままで、重い雰囲気を漂わせていた。

「代わりに、私が説明するわ。神代さんは、小谷君がTシャツやノートを持っていく所を見ていたのよ。彼が見せたと言うべきかしら」

「どういう意味?」

「仲間を売るような真似は出来ないから、どうしても挙動不審になる。そしてまさか、自分が陥れられてるとも気付かない。言い訳はそのまま、小谷君を破滅へ追い込む事へつながるんだから」

「そういう事」

 小さく頷いて、うなだれている神代さんを見つめる。

 私が誤解をしている間に、彼女はそれだけ悩んでいたんだ。

 自分の事だけでなく、小谷君の事まで考えて。

 それなのに先輩だとか責任だとか偉そうな事を言っていた自分は、いったい何なのだろう。

 さっきまでの怒りはどこかへ消えてしまって、一気に気持ちが滅入ってくる。


「その小谷にしても、結局は矢田にやらされてた訳だろ。神代さんが気にする必要はないよ」

「ありがとうございます。でも、もっと早くにあたしが誰かに教えていれば。もしかして小谷君も、ここを出て行かなくて済んだかもしれないのに。あたしから見ても、彼は迷っているように見えましたから」

「それでもあいつは、きっとここを出ていったさ。神代さんが小谷を裏切りたくないと思ったように、あいつもそうしたんだから」

 苦痛の表情で、そう諭すショウ。

 誰を裏切らないようにしたか、その名前は出てこない。 

 私も、聞きたくはない。

「多分固くて真面目そうなのは演技で、本当はいい人だったと思うんです。みんなの事を話す時は、声が大きくなって瞳が輝くんですよ。楽しそうに、嬉しそうに話すんです」

「俺も、そう思う」

「どうしてそんな事をしたのかは、あたしも知りません。でも小谷君は、本当にみんなの事が好きだったんです。あたしは、今でもそう思ってる……」

 かすれていく声。

 下がっていく顔。

 私はやりきれない思いのまま、彼女の前へ座った。

「……ごめん。責任取るとか偉そうに言っておきながら、結局はこういう事になって。本当、ごめん」

「雪野先輩。……あたしは大丈夫です。きっと小谷君も、同じですよ」

「え?」


「上手く言えないけど、雪野先輩がそういう気持ちだったから。小谷君は笑ってられたし、みんなと楽しく過ごせたんだと思います。彼には彼の事情があって、色々悩んでたんだろうけど」

 すっと上がる神代さんの顔。

 毅然とした、凛とした表情。

 私を見つめる、熱い眼差し。

「それに小谷君は、こうも思ったはずです。少し無茶をしても大丈夫じゃないかって。もし自分に何かあっても、先輩達はその覚悟が出来てるんじゃないかって」

「どういう意味?」

「あたしの勝手な考えだけど、多分先輩に甘えてたんですよ。怒るし悲しむとしても、最後には許してくれるって。小谷君自身の事情に関わらず、自分を受け入れてくれるって」

「まさか。私はそんなつもりは……」

 思わず言い淀み、首を振る。

 その言葉通り、私はそんな事少しも考えてなかった。

 何かあったら責任を取る。

 それはせいぜいガーディアンを辞めるといった程度の意味で、それ以外には何も。

「意識しなくても、気持ちは伝わる物なのよ」

「サトミ」

「それだけユウも成長したっていう事。体はともかくとして」

 私の頭を撫で、くすくす笑うサトミ。

 誉めてるのかな、一応。

「年齢だけじゃなくて、先輩とはそういう事だと思うわよ」

「実感がないんだけど」

「あなたにはなくても、神代さんや小谷君にはあるじゃない。それでいいの」

 何がいいのかも分からないし、彼女達が私をどう見ていたのかも分からない。

 ただ今はもういない小谷君が、ここで楽しい時を過ごす事に役立てたのだけがせめてもの救いだ。

 彼には彼なりの事情や悩みがあって、その手助けにはならなかったけど。

 でも、これで離ればなれになる訳でもない。 

 小谷君はきっとこれからもガーディアンを続けて、顔を合わす機会もあるだろう。

 その時に笑って話をする事が出来れば、私はそれで満足だ。

 今回の事を忘れる訳にはいかない。

 ただ、彼の気持ちも胸に止めてはおきたい。

 私達と一緒にいたいと言ってくれた、あの輝くような表情も。

 神代さんが言ったように、あれは彼の本心だったと思いたい。



「ふぅ」

「何だよ、ため息付いて」

「私はまだまだだなと思って」

「16だろ。それが普通だし、その方がいい」

「ありがとう」

 ショウに微笑みかけ、背もたれへ大きく身を任す。

 だけどすぐにずり下がってくる体は、16歳以下だね。

 サトミの指摘通り、体は成長しないんだから。

「あーあ」

「今度は何だ」

「なんでもないです」

「そ、そうか」

 びくっとして顔を逸らすショウ。 

 別に脅したつもりはないが、友好的な感情も薄い。

 精神的な成長もいいが、バランスよく肉体も成長して欲しい。

 というか、この数年殆ど成長してないような……。     

「大体、あのカメラは役に立ったのか?」 

 もっともな質問をするショウに、鼻で笑うサトミ。

 神代さんはきょとんとして、彼等を見つめている。

「カメラ?」

「あなたにも内緒で、隠しカメラをね」

 サトミが端末を操作すると、TVに室内の映像が映し出された。

 私が小さい自分の手を、ちまちまと揉んでいる所とか。

 つまり、リアルタイムでの映像だ。

「一応犯人探しという意味で、幾つか取り付けてたの」

「でも」

「そう。無駄だったわ。これが無くても小谷君は告白しただろうし」

 やるせない口調でその名前を出し、サトミは画面を切り替えた。 

 人気のない、薄暗いオフィス内。

 窓の外は真っ暗で、非常灯か何かの明かりがかろうじて視界を保たせている。

「ちなみにこれは、金曜日夜更けの映像」

「何も映ってないじゃない」

「どうかしら」 

 画面右隅のカウンターが高速で動き始め、10分があっと言う間に過ぎた。

 そう思っていた途端ドアが開き、室内の明かりが灯る。

「誰」

 思わず身を乗り出し、TVに注目する私達。

 画面の速度は、通常に戻っている。

「本当、誰かしら」


 オフィス内に入ってきた人物は嫌そうな顔でカメラを見つめ、テーブルの前に立った。

 そしてそこに置いてあった財布らしき物を手にして、逃げるようにオフィスを後にした。

 何だ、これ。

「……お前、何やってるんだ」 

 呆れ気味に尋ねるショウ。

 ケイは悪びれもせず、TVを音楽番組へと変えた。

「さすがにこれはやり過ぎだと思って。Tシャツやカニ缶と違って、財布だと本当に罪悪感が出てくるから」

「お前も一応は、後輩の気持ちを考えるんだな」

「自分が非難されると分かってて、それでも敢えて色々やってきたんだ。誰のためとは言いたくないけど。とにかく、そのくらいの気は遣ってもいいだろ」

「ああ」 

 視線を交わす二人。

 少し、寂しげな表情で。


「それに小谷君が言った、神代さんが財布を取ったという証言もあながち外れじゃないのよ」

「え?」

「少し前の映像」

 同じアングルでのオフィス内。

 やや俯瞰の映像。

 テーブルに一人向かい、書類を整理する神代さん。

 その上に置かれている、ケイの財布。

 ドアが開く音に、彼女は素早く財布を膝の上へと置いた。

 ほぼ同時に入ってきた小谷君は一瞬苦笑気味な表情を浮かべ、彼女と会話を交わす。

 遅くまで残っている彼女を気遣う、少しぶっきらぼうな口調。

 多分彼の、本当の姿。

 小谷君はテーブルの下へ視線を向ける素振りを見せて神代さんを慌てさせ、オフィスを出ていった。

「あそこで小谷君が財布を持っていったら、彼がもっと困った立場になると思ったんでしょ」

「い、いえ。そこまでは。ただ、咄嗟にやっただけで」

「ユウと同じ。自分では意識していなくても、仲間のために頑張ったのよ」   

「そ、そんな」

 顔を赤くして手を振る神代さん。

 サトミは優しく微笑み、TVを音楽番組へ戻した。

「小谷君もそれが分かって、また色々と考えたはずよ。ユウの気持ちと、神代さんの気持ち。ショウからの信頼」

「サトミは」

「私は、あの子に嫌われてるもの」

 寂しげに笑うサトミ。

 あなたを見る小谷君の眼差しはいつも眩しげだったよとは告げず、彼女の背中をそっと叩く。

「死んだ子の年は数えないって言うし、もういいだろ」

「冷たいね、あんたは」

「俺はあんた呼ばわりか」

「いいじゃない」

 くすっと笑う神代さん。

 ケイも微かに口元を緩め、彼女の顔を指差した。

「せっかくここに来たんだし、少しは強くなって帰ったら」

「どういう意味?」

「パトロールしても、冷や汗かかなくなるって意味。ここには、いいインストラクターがいるんだし」

 今度は私とショウが指差される。

 彼は彼なりに、神代さんの事を気に掛けているのだろう。

「そうね。トレーニングも毎日やってるし、後は気持ちの問題よ」

「ですけど、あたしはやっぱり」

「ケンカしろって言ってるんじゃない。たまには下がらない時があってもいいって言う事さ」

 優しく微笑むショウ。

 神代さんも不安げな表情を少しだけ和らげて頷いた。

「軽く俺で試してみようか」

「え?」

「大丈夫。ちょっと、外行こうぜ」



 体育館と併設されている、レクリエーションセンター。

 室内競技を目的として作られた施設で、卓球やスカッシュ用の小さな部屋もたくさん用意されている。

 その中にある、マットの敷かれた一室。

 正面の壁は全面がミラーで、左右の壁にはサンドバッグや測定装置が並んでいる。

 ジャージやTシャツに着替え、体を解し終えた私達。

 オープングローブとエルボーパット付けている神代さんは、やや緊張気味だが。

「玲阿先輩は」

「刃物も通らない体だから、気にしなくていいわ」   

 壁際で正座して、ショウへ笑いかけるサトミ。

「だそうだ。気にしなくていいから、好きに打って来て」

「は、はい」

「それと一つ。出来るだけ、目をつぶらない事。そうしないと攻撃も当たらないし、かわせない」

「わ、分かりました」

 一礼して構えを取る神代さん。

 基礎はしっかり教えたので、それ程悪くはない。

 若干のぎこちなさはともかくとして。


 緩い踏み込みからのジャブ。

 スエーで難なくそれを避けるショウ。

 続けてローからストレートとつなぐが、やはり当たらない。

「神代さん。もっと前に」

「は、はい」

 腰を落し、すり足で前に出る神代さん。

 ワンツーとローの繰り返し。

 ただひたすらに。

 息が上がっても、腕が震えても。 

 彼女はそれを繰り返す。

 全てはガードされ、時には押し返され。

 それでも腕は上がり、足は前に出る。

 頬を伝う汗、乱れる髪。

 荒い息づかいが室内に響く。

「やり過ぎじゃないの」

 彼女から目を離さず、そう呟くサトミ。

 私は首を振り、固めていた拳をマットへ当てた。

「まだまだ。神代さん、もっと踏み込んでっ」

 返事は返らない。 

 ただ彼女の体が、より前に出る。

 真剣とも必死とも言える表情。

 虚しく空を切り、難なくはじき返され、突き飛ばされても。

 神代さんは止まらない。

 ひたすらに、一心に前へ出る。

 自分の力の無さに挫ける事無く、あきらめもせず。

 一歩、また一歩と踏み出していく。


 鈍い音と共に、壁際へ詰まるショウ。

 そこへ繰り出される左のジャブ。

 ガードを割り、微かにショウのあごをかする。

 続いてストレートが。

 小さく仰け反るショウの体。

 続けて繰り出されたローキックが、彼のバランスを崩させる。

 だが彼より先に、床へ倒れていく神代さん。

 さっきから後ろにいた私はすぐに手を差し出し、彼女を抱きかかえた。

 私より大きな体。

 熱く、汗ばんだ体。

 呼吸もままならず、顔から滴る汗は止まらない。

 力無く下がる腕。

 でもそれは、拳を繰り出そうと持ち上がっていく。

 私は背中へ手を回し、彼女を抱きしめた。

「もういいよ。もう終わり」

 言葉にならない声が、途切れ途切れに伝わってくる。

 何を言っているのかは聞こえない。

 でも彼女の気持ちは、はっきりと伝わった。

 私の背中を、弱々しく叩く拳。

 悔しそうに、何度と無く背中が叩かれる。

 自分の力が及ばなかった事に。

 これ以上何も出来ない自分に。

 私自身何度も味わった気持ち。

 そして前へ進もうと思わせてくれる力だと、私は思う。

 きっと彼女にとっても。


「やり過ぎよ」

 ショウを睨み付け、神代さんの頭にタオルを掛けるサトミ。

「シャワー浴びて、今日はもう休みなさい。明日、体が痛くて動けないわよ」

 微かに動く神代さんの頭。

 サトミは苦笑して、私とごと彼女を抱きしめた。

「いいの。この子と向かい合うだけも、すごい事なんだから。お世辞でも何でもなくて。あなたが疲れたのは体だけじゃなくて、気持ちもなの。そういう子なのよ、ショウは」

 サトミの背中を弱々しく叩く神代さんの拳。 

 今彼女が一つだけ出来る、自分の気持ちの伝え方。

「いいから。さあ、いきましょ」

 サトミに肩を借り、おぼつかない足取りで出ていく神代さん。

 振り返る事も出来ず、何も言えず。

 この場を去っていく。

 サトミの言う通りやり過ぎたのだろうか。

 胸の中に沸き上がる不安。

「大丈夫だよね」

「俺は、言う資格がない」

 神代さん以上に弱々しく首を振るショウ。

 実際彼女と向き合ったのは彼なので、強く責任を感じているのだろう。

 私は彼の背中に触れ、今浮かべられる最高の笑顔を見せた。

「大丈夫。私は、そう思う」

「ユウが、そう言ってくれるなら」

 少しだけ緩む口元。

 私の手に伝わる汗の感触。 

 実力差があるとはいえ、大柄な神代さんの攻撃を一方的に受け続けた彼。

 彼女が怪我をしないよう体の位置を変え、ガードの方法を考え。

 気を遣い、自分を省みずに。

 汗どころか、あざの一つくらいは出来ているだろう。

「ショウも、シャワー浴びたら」

「ああ。また、後で」

「うん。またね」

 額の汗を手で拭きながら部屋を出ていくショウ。

 私は彼の汗が残る手を握り締め、近くにあったサンドバッグを軽く叩いた。

「やり過ぎじゃないの」

「あなたには言われたくない」

「あ、そう」

 素っ気なく呟き、サンドバッグへワンツーを見舞うケイ。 

 基礎の出来た綺麗なフォーム。

 決して高いレベルではないが、ガーディアンとしてなら平均程度の実力はある。

「小谷君と、柔術対決とかやればよかったのに」

「向こうはブラジリアン柔術で、俺のは無名な古武道だから。それに、どう考えても小谷君の方が強い」

「だから、やればよかったのに」

「ああ、なるほどね。って」

 タックルの構えを見せた彼の鼻先にかかとをかすらせ、ドアへと歩いていく。

 本当にやり過ぎなのは誰かと思いながら。  

 低い恨み節を背に受けて……。




 翌日。

 オフィスへやってくると、机に女の子が俯せになっていた。

 呻き声も聞こえる。

「大丈夫?」

「え、ええ」

 かろうじてそう答える神代さん。

 でも、偉いよ。

 良く来たね。

 うん、すごい。

 そう心の中で誉め、頭を撫でる。 

 特に意味はないけど、先輩としての特権だ。

 はは、私もこういう事が出来る身分になった。

 そんな私を冷ややかな視線で見つめて、頭に手を伸ばしてくるサトミ。

 止めてよと、思いつつ撫でてはもらう。

 それはそれ、これはこれなの。

「悪かったな、神代さん」

「いえ。自分の実力を思い知りました。身を持って」

 最後の一言には妙な力が込められ、ショウが表情を強ばらせたくらい。

 そのくらいの親近感を抱けてもいるのだろう。

「寝るのなら帰れよ」

「うるさいな。自分こそ、いつもゲームしてる癖に」

「先輩に口答えだ。ユウ、怒ってやってくれ」

「誰が先輩なの。自分だって、この間まで中学生だったのに」

 邪険に答え、彼女の代わりに書類を書く。 

 正確に言えば、今までは彼女が私の代わりをしてたんだけどね。

 さらに言うなら、普段はケイかサトミがやっている……。

「難しいな、これ」

「毎日やらないから難しいの。それに、1段ずれてる」

「え、嘘でしょ」

「嘘じゃなくて書き直し。いい練習になったわね」

 笑顔と共に差し出される空欄の目立つ書類。

 一気にやる気が失せた。

 元々無いだけに、もう駄目だ。

「あの、浦田さん」

「何だよ」

 邪険に返してくるケイ。

 仕返しとは、心の狭い男だな。

「もしお暇でしたら、代わりに書いて頂けると助かるんですが」

「どうせ俺はゲームばかりやってる、どうしようもない男だよ。字も下手だし、神代さんにやってもらえば」

 ちなみに今書いているのは、昨年度私達が警備をした卒業式のレポートの一部。

 彼女がいかに事務能力に優れていても、知らない事までは書きようがない。

「そこを何とか。お願いします」

「と仰っていますが。遠野さん」

「甘やかしたら癖になるわ」

「だって。せいぜい頑張って」

 人を犬か猫みたいにいって。

 大体こんなの書いたって、誰も読まないわよ。

 場所?

 ドア、なんかドアの辺。

 所持武器?

 棒、長い棒。

「……目に余る事を書いてますが」 

「ユウ、真剣に書いて」

「私は自分の精一杯の力で書いてるわよ」

「形式という物があるの。あなたこそ、もう一度研修したら」

 完全に呆れられ、書類が持っていかれた。

 あー助かった。

 ただ出来ない振りじゃなくて、本当に出来ていないのが辛い……。


「出来たわ。提出しに行くわよ」

「ついで、パトロールもするか」

 ショウの言葉に、机へ手を付きながら立ち上がる神代さん。

「無理しなくていいから、休んでろよ」

「いえ。私も行きます」

 震える足を揉みながら、彼女は先にドアを出ていった。

「ユウ、早く付いていってあげて」

「世話が焼けるな、もう」

「あなた程じゃないわ」

「はいはい」



 筋肉痛が相当らしく、神代さんは壁づたいに歩いている。   

 それでも足は動いているので、私達は手を貸さない。

 彼女もそれを、よしとしないだろう。

 授業が終わっても生徒の数はそれ程減らず、お菓子やペットボトルを前に楽しそうな一時を過ごしている。

 部室を確保出来ない同好会や、場所が必要になった委員会の子達もその中には混じっている。

 ただ、寮や家へ帰らず暇を潰している人達もまた多い。

 新学期で新しい友達も増えて楽しいから、という理由もあるんだろう。

 それは私も、よく分かる。

「本当に大丈夫?」

「え、ええ。怪我じゃないので」

「そうだけどさ。押したら倒れるって雰囲気よ」

 冗談ではなく、よろめくような足取りの彼女。

 腕も痛いのか、壁へ手を付くたびに顔がしかめられる。

「……神代さん、止まって」

「は、はい?」

 つんのめるように止まる彼女。

 私は素早くその前に出て、スティックを手に取った。

 前方に見える野次馬の群れ。

 歓声と叫び声。

 ケンカの一歩手前といった所か。

「どういう状況か分かる?」

「なんとなくは」

 壁に背を持たれ、大きく息を漏らす神代さん。 

 その肩に触れ、辛そうにしている顔を見上げた。

「私達はガーディアンだから、あの騒ぎを抑えにいく」

「はい」

「神代さんはどうする?」

 一瞬揺れる彼女の表情。 

 迷い、焦り、不安、恐怖。

 だがそれは、すぐに振り払われる。

「行きます」

「無理しなくてもいいのよ。特に今は、コンディションが悪いし」

「私もガーディアンですから」

 体の震えが止まり、背筋が真っ直ぐに伸ばされる。 

 ぎこちないながらも一歩ずつ歩いていく彼女。

 私達もその後へと続く。


「下がって。開けて下さいっ」

 野次馬が左右に割れ、廊下の真ん中で睨み合っている男二人が視界に入る。

 武器は持っていないがお互い頬が赤く、すでに軽くやり合ったようだ。

「関係ない人はもう少し後ろへ。反対側の人もお願いします」

 手の合図とと共に、向こう側の野次馬も少しずつ下がり出す。

「ありがとうございます。それと、そこの二人も少し距離を開けて」

 睨み合いながら後ずさる二人。

 その間にすかさず割って入る神代さん。

 息が上がり表情が硬いのは仕方ない。

「事情は分かりませんが、怪我でもしたら何にもなりませんから。落ち着きましょうよ」

 ゆっくりと語る神代さんに、二人は鼻を鳴らして睨み付けた。

「ガーディアンは関係ない。別に誰にも迷惑を掛けてないんだし、放っておいてくれ」

「邪魔だ、あっち行けよ」

 肩をつかれ、足をふらつかせる神代さん。 

 だがぎりぎりで踏みとどまり、笑顔を浮かべて再び二人の間に入っていく。

「あたしも仕事ですから。またそれ以前に、見過ごせる事でもありません」

「うるさいな。いいからあっち行ってろ」

「いい加減にしないと、お前も」

 拳を上げる二人。 

 どよめく野次馬達。

 しかし神代さんは下がらない。

 笑顔で二人の間に立ち続ける。

「あたしが場違いなのは分かってます。でもそれは、あなた達二人もそうじゃないんですか」

「え?」

「なんだって?」

「ここは学校の廊下で、ケンカをする場所じゃありません。勿論、その仲裁をして殴られる場所でも」

 静かな、落ち着いた口調。

 気まずそうに拳を降ろす二人。

 神代さんは小さく頷き、背筋を真っ直ぐに伸ばした。

「もう大丈夫ですか?」

「あ、ああ」

「分かったよ」

 仕方なさそうに離れていく二人だが、お互いを睨む視線から険しさは無くならない。

 いくら止められても、感情まですぐに抑えるのは難しい。


「……誰が帰っていいと言ったの」

「あ?」

「何?」

「厳密な規則に照らすのなら、二人とも生徒会から警告を受けるのよ。それも分かってる?」

 大きくなる声。 

 強まる視線。 

 後ずさる男達。

「それだけじゃない。こうして他の人にも迷惑を掛けて、それも分かってる?」

「う、うるさいな」

「説教される筋合いじゃ無いんだよ」

 一旦収まった怒りが、今度は神代さんへと向けられる。

 だが彼女は下がらない。

 背筋を伸ばし、顔を上げその場に居続ける。

 頬を伝う汗。

 震える足。

 それが筋肉痛のせいだけで無いのは明らかだ。

「やる気なら、受けて立つ」

 腰の警棒へ手を触れる神代さん。 

 その足が、一歩前に出る。

 男達は戸惑いと焦りの表情を浮かべ、下がり始める。

「い、いや。俺は別に」

「お、俺だって。そ、その。ガーディアンとやり合う気は全然。あ、謝る。謝るから」

「あたしじゃなくて、ここにいる人へでしょ」

 毅然とした表情で周囲の人達を指差す神代さん。

 それに、今度は野次馬達が困惑の表情を見せる。

 本当に周りへ迷惑を掛けているのは誰なのかを自問するように。

「さあ」

「あ、ああ。す、済みませんでした」

「ご、ごめんなさい」

 小さくなって頭を下げる二人。 

 また野次馬達も遠慮気味に会釈を返し、少しずつその場を離れていく。

 こうして廊下をふさいだ事、騒いだ事、興味本位だけでこの場に来た事。

 ケンカを期待してしまった事。

 神代さんの言葉に、きっと反省の気持ちを抱きながら。

「あなた達も帰っていいわよ」

「え、でも」

「このくらいでいちいち調べてたらきりがないの。ただし、次は無いから」

 緩みかけていた雰囲気を一気に張りつめさせ、顔色を変えて頭を下げる二人を変えるよう促す。

 二人は激しく何度も頷くと、逃げるようにしてこの場を立ち去った。


「お手柄お手柄」

「あ、雪野先輩」

 壁にもたれはにかむ彼女の肩に触れ、明るく笑う。

 怪我人も出なかったし、騒ぎもスムーズに収まった。 

 野次馬にも反省させて、言う事無し。

「力尽くっぽいのが、少し気になるけれど」

 苦笑気味に、私達から目を逸らす周囲の人へ指差すサトミ。

 そうかな。

 私からすれば、大人しいもいい所だ。

「とにかく、よく頑張った」

「あ、ありがとうございます。昨日の事が、こうして役に立ちました」

「そうか」

 優しく微笑み、頬の辺りを掻くショウ。

 ただ視線が、いつになく鋭さを湛えて辺りに向けられている。

「どうしたの?」

 背伸びして耳元でささやくと、小さなため息と共に答えが返ってきた。

「ここは彼女を無理させるより、俺達がやれば良かったんじゃないかと思って」

「上手く行ったじゃない。何か不満?」

「結果はな。ただ、まずは俺達が抑えてその後で彼女に。……いや、この話は止めよう」

「そうだね……」

 先日言い争った事を思い出したのか、話を打ち切り離れていくショウ。

 胸によぎる嫌な感覚。

 自分達の力、か。

 その方が早く済むし、それなりの実力があるのは分かっている。

 ただ、むやみにふるっていい物ではないはずだ。 

 彼もそれを理解している。

 派手に暴れた時だって何かの理由があり、単に自分の力を示すために振るった事はない。

 今までは。

 この間から、その自信が少し無くなっている。 

 よそう、そう考えるのは。 

 ショウはそんな人じゃない。

 それは私が一番良く分かっている。

 そう思ってはいたけれど。


「どうかした?」

「ん、何でもない」

 何か言いたげなケイから離れ、サトミ達の後を追う。

 彼の事だから、私達が少しおかしいのは気付いているだろう。

 サトミが気付いていたように。

 ただそれは私達の個人的な問題で、みんなには関係ないし迷惑も掛けない。 

 少なくとも私は、そのつもりだ。

 さっきの男達のような下らない言い訳を考えつつ、私はサトミ達の後を追い続けた……。



 やってきたのは生徒会ガーディアンズ・G棟A-1オフィス。

 G棟全体を管轄するオフィスなので、とにかく広くて設備が整っている。

 先日のお願いが聞いたのか出迎えはなく、一安心といった所。

「お願いします」

「……はい、確かに受理しました」

 事務的にさばく受付の女の子。

 この間の子と違って面識もないので、私達はお礼だけ言って奥へと入っていった。

 沙紀ちゃんはいないかな。

 と思っていたら、モトちゃんがいた。

 この子は連合のG棟責任者なので、ここに来る機会も多いんだろう。

「また大勢で来たわね。それに、小谷君だっけ。彼は」

「色々あって」

 小会議室とプレートが下がった部屋を指差すサトミ。

 モトちゃんもすぐに頷き、そちらへと歩いていった。


「なるほど。局長にも、一応そういう子はいる訳か」

 説明を聞き終えた彼女は、後ろに大きくもたれてあくびをした。

「ちょっと」

「ああ、ごめん。自警局との協議が忙しくて、寝てないのよ。勉強もやらないといけないし」

「木之本君は?」

「消しゴム拾っても警察へ行くような子よ。私以上に頑張ってるわ」

 何だそれ。

 分かるけどさ。

「その子が付いていれば、局長も少しはましになるんじゃない?」   

「あなた、随分楽天的ね」

「サトミが悲観的過ぎるの。とにかく忙しくて、落ち込んでる暇もないわ。少し手伝ってよ」

「私は一ガーディアンである事に誇りを持ってるから」

 婉曲に断るサトミ。

 だがその前に、何枚かDDが置かれる。

 有無を言わさずとは、まさにこれか。

「アメリカの、スクールポリスが書いた論文。原文も読んでまとめて頂戴」

「それはいいけれど、関係あるの?」

「さあ。一応学校を守るという意味では同じだから。公務員と高校生で、「こう」も合ってる」

「馬鹿。誰が探してきた論文かは聞きたくないわね」

 サトミは直接端末とDDをリンクさせ、英文を読み始めた。

 だが面白くないのか、すぐに消した。

 で、あくびした。

「何よ」

「いいじゃない、見てたって」

「嫌、もう。あなた嫌」

「うー」 

 意地になってサトミに張り付き、ぐいぐい頬へ顔を寄せる。

 別に意味はない。

「馬鹿。それで、あなたは研修期間は今日まででしょ」

 モトちゃんの指摘に、神代さんは私達を不安そうに見つめてきた。

「あ、あの済みません。つい、言い出せなくて」

「私達は構わないけど。本当、これからどうするの?大体、神代さんって所属はどこ?」

「生徒会です。一応、ここへ所属するよう言われていて」

 なんだ。

 寂しくなると思っていたら、それなら問題ない。

 私達もここは良く来るし。

 彼女が応対に出れば怯えられる心配もなくなって、良い事づくめだ。


 気を抜いてだらりとしてたら、突然ドアが開き沙紀ちゃんが飛び込んできた。

「ちょっとっ」

 血相を変えて私の前へやってくる沙紀ちゃん。

 真っ赤な顔と獣のような眼差し。

 書類を差し出した腕が、小刻みに震えている。

「ど、どうしたのよ」

 そう尋ねると彼女。

 息を呑んで、机を両手で叩いた。

 慌てて身を引く一同。 

 私はずり落ちそうになったのをどうにか堪え、テーブルを掴んで彼女を睨み上げた。

「いきなり入ってきて、何怒ってるの」

「お、お、怒りたくもなるわっ」

 ぐいと身を乗り出してくる沙紀ちゃん。

 凛々しい顔が怒りに包まれ、赤い炎が見えるかのようだ。

 何よ、一体。

「これ、これ書いたの優ちゃんでしょ」

「どれ」

 書類に顔を近づけ、読んでみる。 

 どこかで見た事が書いてある。

 何だ、棒って。

「自警局の抜き打ちチェックがあって、これが見つかったの」

「だって、サトミが後で書き直して……。サトミッ」

「自業自得ね」

「私はもう、とてつもない恥を掻かせて頂きました。始末書も書かせて頂きました。……さて雪野さん、どうします」

 凍り付いた笑顔で見下ろしてくる丹下さん。

 ずりずり下がっていく私の首を捕まえ、ぐいぐい椅子へ上げてくれる。

「そ、その。あの、その」

「しばらく私の所で、事務研修をして下さい。神代さん、色々教えてあげて」

「え、でも」

「遠慮せずに、びしびしと鍛えていいから。元野さん」

「私からもお願いします」

 がっしりと手を握り合う二人。

 サトミも薄く微笑み、そこへ手を置いた。

 騙された。

 最初からその気だったな、この女。




「という訳で。雪野先輩、これからもよろしく」

「え、うん。お手柔らかに」

 伸びてきた神代さんの手を握り、頼りなげに笑う私。

 彼女と一緒にいられる時間が増えて、それは嬉しいけれど。

 何だかな。

 本当に、誰が先輩で誰が後輩なんだろう。

 成長という言葉を改めて考えてしまう、春の一時だった。





   







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