13-6
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「最近無いって、ちょっと」
「え?」
訝しげに私を見つめ返す、青いジャージ姿のサトミ。
長い髪は、後ろで束ねられている。
女子寮のラウンジ。
いるのは私とサトミだけ。
もう真夜中なので、いる方がおかしい。
ついね、つい。
「ま、まさか。その、そういうのは」
「勘違いしないで。前使ってた、メモ用のノートが見つからないの」
「なんだ。サトミなら、全部頭の中に入ってるでしょ」
「私にとっては結構大事な物なのよ」
息を付き、ソファーの下を覗き込むサトミ。
ある訳がない。
「よかった。ヒカルの子供なんて、まだ見たくないから」
「どうして」
「覚悟が出来てない」
「あなた、私の親?」
くすくす笑い、ノンカロリーのオレンジジュースをまわし飲みする私達。
太る体質ではなくても、多少は気を遣う。
じゃあ早く寝ろという話は気にしない。
「見られたら困る事でも書いてあるの?」
「それは大丈夫。ただ毎日使ってたから、手元に置いておきたかったのよ」
「まめだね、随分。青いキャンパスノートでしょ。私の部屋には無いと思うし」
「モトの所にもないの。いいと言えば、いいんだけれど」
明らかに気にしている表情。
とはいえ私が場所を知っている訳もなく、また探し出す方法も思いつかない。
ここは諦めてもらうしかないだろう。
「それより、A-1も管轄対象になるって聞いた?」
「モトが何か言ってたわね。私達だけでする訳でもないし、問題ないわ」
あっさりした答え。
私のように困った様子はまるでない。
「面倒じゃないかな。それに、私達4人だし。……今は、小谷君を合わせても5人か」
「でもガーディアン自体は削減の方向にあるから、少人数になるのは仕方ないわよ。生徒会ガーディアンズの協力が得られる分、むしろ負担は減ると思うわ」
「そういう考え方もあるのか。なるほど」
「本当に削減すればの話だけれど」
やや醒めた表情。
誰の事を思い浮かべているのかは、大体分かる。
「それに私達は少人数で警備をしてきた経験があるから、そのデータを他のブロックでの警備に流用するつもりだと思う」
「結局モルモットじゃない」
「プレケースよ。手当も出るらしいし、悪くはないでしょ」
「うん」
現金に頷く私。
お金に困ってる訳じゃないけど、無いよりはいい。
まずはオフィスのドアを、自動化するのが目標だな。
「ただ、ノートがね」
「関係ないじゃない。まだ言ってるの」
「大切なのよ、私にとっては」
真夜中。
人気のないラウンジで話し込む私達。
明日の朝はきついだろうなと思いながら、その楽しさに身を任せていた。
猛烈に眠い。
本当に馬鹿だ。
そして授業中に寝てるから、余計馬鹿になっていく。
サトミに言わせれば、知識が身に付かないだけで馬鹿にはならないらしいけど。
どちらにしろ、無駄な時間を過ごしてしまった。
昨日の夜更かしと、結局寝てしまった午前中の授業が。
この分は、後で復習しないといけないし。
私って、本当に何やってるだろう。
そう思いつつ寝るのが、本当に気持ちいい……。
「3年寝た子がやってきた」
ころうどんから顔を上げ、皮肉っぽく笑うケイ。
こっちは言い返す材料がないので、黙ってトレイをテーブルへ置く。
寝起きで食欲がないため、いつもよりもさらに少な目。
「上げる」
何故かお昼から出てきたユッケをショウのトレイへ置き、石焼き風ビビンバを食べる。
少し辛くて食が進むね、これは。
テールスープも美味しいし。
「これはいいのか」
「生肉を食べる気分じゃない」
「美味しいのに」
お皿に盛られたユッケを、一口で食べるショウ。
元々少ないけど、この人も落ち着き無いな。
「サトミは」
「ぐーぐー寝てる」
「眠り姫か」
そう評するケイ。
私は寝た子なのに。
分かるけどさ。
「サトミが、ノート無くしたって」
「無くなる時もあるだろ」
「真剣に聞けよ、少しは」
「それは君に任す。俺は、伸びない内に食べる」
そう言うや、勢いよくころうどんをすすりだした。
ほっとこう。
「知らない?青いキャンパスノート」
「さあ。オフィスには、見た覚えがない。それとも、神代さんが片付けたのかな」
この間オフィスを整理してたから、そうかも知れない。
後で聞いてみよう。
放課後。
オフィスへ来ると、神代さんがいつものように待っていた。
「こんにちは」
「うん、こんにちは。あのさ、青いノート知らない?」
「ラックに幾つかありましたよ」
自分の後ろを指差して、棚を開ける神代さん。
取り出される青いノート。
それを一つ一つ開けていき、私は首を振った。
「無い」
「え?」
「サトミがメモ代わりに使ってるノートを探してるの。でもこれは、私達の落書きしか書いてない」
「確かに……」
神代さんは見てはならない物を見たように顔を背け、ラックの中を調べ始めた。
そういう反応は止めてよね。
勿論、書くのを止めればいいんだけどさ。
「これとこれと、これと」
次々に出てくるノートやルーズリーフ。
しかし、問題のノートは見つからない。
「じゃあ、ここにはないのかな。ごめんね」
「いえ。でも、そんなに大切な物なんですか?」
「サトミはそう言ってた」
二人でノートを片付けていると、そのサトミ達がやってきた。
「無いって顔ね」
「うん。最初から、そんなのは無いんじゃないの」
「怖い事言わないで」
「……無い」
突然ぽつりと漏らすショウ。
自分のロッカーを開けていたのだが、何がないんだろう。
「Tシャツがない」
「ケイへこの前貸したでしょ」
「あれじゃなくて、世界地図の方」
腕を組み、一緒になって唸るサトミとショウ。
ウーウーうるさいな。
「どうかしたんですか」
「あ、小谷君。ノートとTシャツがないの」
「はあ」
「知らない、よね」
彼の言葉を待たず軽く笑う。
小谷君も微笑んで、室内を見渡した。
「部屋のキーは簡単に開くし、誰かが盗んだとか」
「ノートとTシャツを?卓上端末なら分かるけど」
「マニア筋かな。サトミとショウの私物を狙ってるから。ユウは」
「まさか。私の物なんて持っていっても……」
自分のロッカーを開け、適当に探ってみる。
別に、何が無くなってるなんて事は……。
「無いっ」
一斉に仰け反るサトミ達。
どうしたのかと思っていたら、私の叫び声が原因らしい。
「あ、あなたは、何を取られたの」
「カニ缶。最高級・越前ガニッ」
「馬鹿」
「あれは私の命の次に大事なの。今の所はっ」
ロッカーをガンガン叩き、わーっと吠える。
「許せん。絶対に許せん。犯人を見つけて、もう……」
言葉にはならない感情。
カニ、カニの恨みが私を突き動かす。
食べられるカニの恨みは知らないけど。
「警察よ、警察に連絡して」
「そんな恥ずかしい事は嫌。カニ缶を盗まれましたなんて」
「額の大小じゃなくて、これはれっきとした犯罪なのよ」
「捜査に対して罪との釣り合いが取れないと、普通はしないの。比例原則よ」
なんだそれ。
巨悪に立ち向かってよね。
「取りあえず自警局と内局へは届け出を出すわ。ショウがTシャツでユウがカニ缶。私のノートは保留として。他には?」
「私は特に」
「俺も」
首を振る神代さんと小谷君。
私は視線を動かし、積まれたノートを読んでいるケイへ話し掛けた。
「大丈夫?」
「俺のを持っていっても、何の特にもならない。数学の修了証もここにはないし、取られて困る物も入ってない」
「ならいいけど」
本人が気にしていないのならいいか。
私もケイが何を持っているかは把握してないし。
把握もしたくない。
「面白くないなー。誰よ、私のカニ缶を持っていったのは」
「まだ決まった訳じゃないだろ。ショウのTシャツにしたって」
「だって、あったのよ」
「おとつい持って帰ったのは?ショウがこの間着て帰ったのは?確信がある?絶対ここにあったって」
ケイの質問に押し黙る私。
そう言われると、答えようがない。
先週までは確かにあって、おとつい幾つか缶詰は持って帰った。
その中には違うカニ缶もあって、記憶が曖昧だ。
「分かんない」
「俺もそうだけど、着て帰ったのは違うTシャツだ。それははっきりしてる」
「お互い、部屋なり実家で一度確認すれば。犯人探して、恥を掻くかもしれないから」
あくまでも冷静なケイ。
彼自身の物が取られていないというよりも、確信がないのに騒ぐ必要はないと思っているのだろう。
しかし部屋に帰っても、やはりカニ缶は見つからなかった。
実家へ持って帰ってはいないので、明らかにおかしい。
「無い、無いわよ」
「だからって、来なくても」
ベッドサイドに腰掛け、顔を押さえるケイ。
相変わらずマンガとゲームの城だな。
整頓はされているけど、とにかく量が多い。
難しそうな、日本史の専門書も片隅にはあるが。
「でも随分マニアックだね。ユウが好きで、さらにそのユウが好きなカニ缶を持っていくなんて」
脳天気な事を言うヒカル。
同じ顔が二つ揃って、鼻で笑った。
「あなたはどうしてここにいるの」
「たまには兄弟で親睦を深めようと思って」
「アパートのキー無くしたんだってさ。こいつは、本当に」
「そういう事もある」
ヒカルは明るく笑い飛ばし、ケイの端末を手に取った。
笑い事じゃないって。
「去年の成績はどうだった?」
「相変わらず。お兄様にはかないませんよ」
「数学は、何とかぎりぎりか。中等部でやり直させた人は慧眼だね」
「嫌がらせだ。永理の隣だぞ」
楽しげに会話を交わす兄弟。
それを微笑ましく見守りたい所だけど、今は事情が違う。
「カニ缶」
「ヒカル、買ってやってくれ」
「いいよ。ただ、どうして無くなったのかな。ケイの言う通りマニア関係だとして、今までそんな事あった?」
私が首を振ると、ヒカルは何度と無く頷いてケイを指差した。
「報復が怖いからね。だから珪を恐れない人間の犯行か、それとも知らない人か」
「盗まれたという前提での話だろ」
「うん。でも、それ以外に何か思いつく?」
「さあ」
曖昧に答え、ケイはTVへ視線を移した。
「サトミのノートが取られたって決まった訳でもない」
「だとしたら、僕が探してるところだよ」
「無茶をやってだろ」
「さあ」
今度はヒカルが曖昧に答え、チャンネルを変えた。
無言のまま二人の間で交わされる意志の疎通。
双子だからという理由だけではない、この二人だからこその行為。
「……で、俺に探せって?」
ため息混じりに折れるケイ。
彼等が意見を戦わせれば、結果は大抵今のようになる。
無論ケイが押し通す時もあるが、それは希だ。
「頼むよ。兄を犯罪者にさせないためにも」
「取られたとしてもそれはノートで、サトミ自体が危ない目に遭ってる訳じゃない。それは分かってるよな」
「勿論」
「どこがだ」
私には読みとれないヒカルの心境を指摘するケイ。
それでも彼は止めると言わず、思案の表情でTVに見入っている。
「木之本君に頼んで、カメラでも付けるか。あそこは防諜機能があるから、普通には撮影出来ない」
「再犯があると?」
「さあ。それでも、怪しい人物の一人や二人は映るだろ」
少しして、その木之本君もやってきた。
「やあ」
のんきに手を挙げるヒカル。
木之本君もいつも通り優しい笑顔を浮かべ、彼に手を挙げた。
これでショウがいれば、善人トリオが揃うところだ。
「あまり気が進まないけどね」
差し出される、小さなCCDカメラ。
リモート装置が内蔵されていて、ライターをさらに細くした感じ。
音もしないので、こういう事には打ってつけの道具だ。
「ドアの所と、オフィス内に2つもあればいいよね」
「窓の外は」
「あんな高い所から、誰が入ってくる?」
頷き合うヒカルと木之本君。
ケイは何か言いたげに笑い、「それでいいよ」と答えた。
この人は悪人だからな。
「目星はどう」
「どうして俺に聞く」
「知ってそうな顔だから。違うかな」
「探偵じゃあるまいし」
鼻を鳴らし、ヒカルから顔を逸らすケイ。
「大体、犯人見つけてどうする」
「罪を償ってもらう。カニ缶のね」
「親族間の窃盗は罪にならないって知ってた?勿論俺達は身内じゃないけど、知り合いだったらどうする。モトがこっそり忍び込んでたとか」
「そんな事はあり得ない」
生真面目に答える木之本君。
ケイは「例えだよ」と笑い、CCDカメラを指で弾いた。
「気が進まないね、俺は」
「僕も」
「気が合いますな、珍しく」
「たまにはね」
皮肉っぽく笑い、木之本君はCCDカメラを起動させた。
彼の端末を経由して、室内のTVに映像が映し出される。
「映像記録は、ネットワーク上に72時間単位で上書きされていく。閲覧は端末でも、こうしてモニターへリンクさせるのも可能。ただ監視ソフトが手元にないから、誰か進入してきても人が見ていないと分からないよ」
「ヒカルが徹夜するんじゃないの。愛しい彼女のために」
「いやいや。兄に尽くす弟の立派な姿に、僕は涙が止まらないよ」
とんだ馬鹿兄弟だな。
「別に見張って無くても、後でビデオを見ればいいだけでしょ」
「僕もそう思う」
「でも、見たいじゃん」
「だよね」
頷き合う馬鹿兄弟。
どっちなんだ。
「だったら、二人仲良く見てれば。同じ顔付き合わせて」
机の上をあさりながら、適当に言う。
意外と真面目な本が置いてあるんだよね。
ただ、この鍵が掛かってる引き出しが。
「何が入ってるのよ。いやらしい本?」
「それはベッドの下。じゃなくて、中等部でのIDとか成績表」
「鍵掛けなくてもいいじゃない」
「他にも色々入ってるんだよ」
人を手で追い払うケイ。
何よ、もう。
という訳で、今度はラックをあさる。
その横に、フックで掛かっている人形。
見覚えのある、白いウサギ。
首には手書きの小さな名札が下がっていて「ウサ」とある。
聞いてみたいけど、聞くのがためらわれる品物だ。
という訳で、その内サトミにでも聞いてみよう。
あの子なら、何でも知ってるから。
「ユウ。犯人探しはどうする」
「ん、ああ。少なくとも、一言言わしてもらう。カニ缶返せと」
「もう食べてるよ。僕なら、カニチャーハンだね」
明るく笑い飛ばすヒカル。
あなたの好みは聞いてない。
「でも浦田君が言う通り、犯人探しなんてどうなのかな」
「だって」
「もし本当に盗まれたとしたら、それは学内の人って事だよ。知り合いじゃなくても、これから顔を合わせる可能性があるんだし。勿論、うやむやに済ませとは言わないけど」
「じゃあ、どうしろって言うのよ」
ラックを叩き、ケイに睨まれる。
確かに、尋ねられているのは私の方だ。
「とにかく調べるけどさ。まずは、聞き取り調査かな」
「誰を」
「勿論身内から」
翌日。
学校は休みで、私達は女子寮の前に佇んでいた。
ヒカルは暇らしく、今日もいる。
隣にはサトミが寄り添って。
そこは私の場所なのに。
そういう訳で、反対側に位置する。
「どうして腕を組むのよ」
「対抗上」
ヒカルを睨み付け、どちらかというとしがみつく。
ぶら下がっているとも言う。
「聡美によりも、ショウと腕組んだら」
「あのな」
小声で突っ込み、ヒカルの脇をつつくショウ。
ケイと違って慌てて逃げる事はしなく、ウヒャウヒャ笑っているだけだ。
本当にこの人、大学院生か?
「ケイ。カメラ見て無くていいのか」
「後で見る。大体、眠い」
いつも通りのやる気が感じられない態度。
ただ今回は付き合わせた面もあるので、こちらも強くは言えない。
「来た」
私が顔を向けるのに合わせ、みんながそちらを向く。
麻のジャケットに薄茶のコットンパンツの小谷君がこちらへ歩いていた。
「どうも」
勢揃いしてる私達に挨拶をする小谷君。
何となくヒカルを気にしているのは仕方ないだろう。
知り合いではないし、同じ顔が二つあれば余計に。
「ちょっと話を聞きたいんだけど、いい?」
「ええ。かまいませんけど」
私達の後ろにいたケイはだるそうに頷き、気のない素振りで問い掛けた。
「最近オフィス内で、色々物が無くなってる。それについて、何か知ってる事があれば教えて欲しい」
「さあ、特には」
態度の割には意外とストレートな質問。
すぐに首を振る小谷君。
ケイは彼を手招きして近くまで呼び寄せ、声をひそめた。
あまりにも小さくて、私達にも聞き取れないくらいに。
「小谷君に迷惑は掛けない。名前も出さない。ただ知っている事があれば、教えて欲しい」
「浦田さん」
「俺達も、表に出す気はない。騒ぎになる前にどうにかしたいんだよ」
淡々とした無機質とも言える口調。
表情には何の変化もない。
明らかに動揺を見せ始めた小谷君とは違い。
「……しかし」
「大丈夫。あくまでここにいる人間だけで処理するし、外には絶対漏らさない。何かあったら、責任はこっちで取る」
「本当に、誰にも言いませんか?」
「なんなら一筆書いてもいい」
冷静に語るケイ。
難しい顔で腕を組んでいた小谷君は、自分を見つめてくるケイの視線に頷き返した。
「俺の名前は、絶対に出さないで下さいよ」
「勿論」
「それに、確信がある訳でもないんで」
「噂でも憶測でも、そう思えたという話でもいい。そこから先は、こっちで判断する」
再三念を押す小谷君。
ケイは根気強くそれを受け入れ、促し続ける。
「はっきりとは言えないんですけど」
「いいよ。それでも」
「……この間オフィスへ入ろうとしたら、神代さんが廊下の遠くで見えました」
「それで」
あくまでも冷静に尋ねるケイ。
私達を気にしつつ、小谷君は顔を伏せたまま口を開いた。
「結構遠かったので、神代さんだったとは言い切れませんが」
「うん」
「……ノートを持っていたように見えました。青い感じの」
震え気味の声と体。
私達を見上げる、悲しげな眼差し。
ケイは彼の肩に軽く触れ、優しく微笑んだ。
「ありがとう。それを見たのは、俺だって事にする。小谷君は何も見なかった。そう押し通せばいい」
「ですけど」
「知り合いを捕まえたくないだろ」
低い、だけど私達の誰にも聞こえる声。
薄い微笑みが小谷君へと向けられ、すぐに消えていく。
「勿論、神代さんには黙っておいて。後は俺達に任せてくれればいい」
「は、はい」
「もう帰っていいよ。また月曜日、学校で」
慌てて頭を下げ、足早に去っていく小谷君。
私はその背中が見えなくなるのを確かめ、ケイに詰め寄った。
「今の話」
「確信は無いと、彼も言ってる。証拠も何もない」
「だけど、でも。そんな」
気持ちばかりはやって、言葉につながらない。
疑いたくない気持ち。
しかし私がこの間見た光景。
たやすく南京錠を外した神代さんの姿が蘇る。
小谷君の告白と重なって。
「あなたはどう思う」
「俺に振られても」
分からないとばかりに首を振るヒカル。
サトミはそれ以上何も言わず、ケイと視線をかわした。
「何か」
「あなたはどう思うの」
「さあね。ショウは」
「疑おうと思えば疑えるし、違うとも言える。分からん」
大きく首を振るショウ。
その通りだと思いながら、私はケイを見上げた。
「当然、神代さんにも聞くのよね」
「聞くのは、俺だけじゃない」
「分かってる。責任は私が取るわよ」
それからしばらく後。
学校近くのファミレス。
私達の間に座っている神代さん。
ヒカルを紹介するという理由で彼女を呼び出し、今も楽しそうにサトミ達と話している。
私は笑顔を作るのに、少し苦しいが。
「こいつアパートのキー無くしてさ。馬鹿なんだよ」
「どんな物でも無くなる時は無くなる。それに、困ってないから」
「狭い部屋に転がり込んできて、困ってるのは俺の方だ」
軽い、何でもないようなやりとり。
私の心を騒がせるには十分な。
「神代さんって、いつもオフィス来るの早いよね」
何気ない質問。
神代さんはパフェの生クリームを頬張りながら頷いた。
「変な奴とか、オフィスの前で見なかった?ほら、俺達狙われれてるから」
「たまにいますよ。あたしは怖いから、一度やり過ごしますけど」
「それでいい。逆にそいつらがうろついてれば、他のおかしな連中は寄ってこない」
オレンジシャーベットに差し入れたスプーンが止まる。
少しずつ核心へと近づいていくケイの言葉と共に。
「ほら、最近色々おかしな事があるからさ」
「そうですね。でもあたしは、何も見てませんよ」
視線を泳がす神代さん。
明らかな動揺の仕草。
ケイは軽く頷き、ヒカルへ話を振った。
「それで、アパートのキーはどこにあった」
「差しっぱなしだった」
「という馬鹿は人もいるから、サトミ達のも盗まれたとは限らない」
「例外の人の話をしないで」
サトミの指摘に笑う私達。
神代さんは笑い事も出来ないのか、頬の辺りを引きつらせたように振るわせている。
「珪は、犯人をどうするつもり」
「俺は何も取られてないから、別に。はっきり言えば、どうでもいい」
「目の前にいても、そう言える?」
冗談めいたヒカルの問い掛け。
青い顔でテーブルを見つめる神代さん。
ケイは鼻で笑い、彼を指差した。
「いる訳無いし、出てくる訳もない。大体、本当に誰かが持っていったかどうかも分かってない」
「例えばの話だよ。僕は珪が探す振りをして、証拠を隠してると思ってるけどね」
「俺が犯人?さすが兄だけあって、いいとこ付くな」
再び笑う私達。
しかし神代さんはいたたまれないといった様子で、席を立ち上がった。
「す、済みません。あたし、今日行く所あるので」
そう言い残し、振り返りもせず去っていく彼女。
テーブルにバナナパフェの代金だけを残して。
「どういう事だ?」
聞きたくないといった表情で尋ねるショウ。
ヒカルは知らないという顔で首を振る。
彼は単にケイへ合わせただけで、深い理由はなかったのだろう。
それであそこまで出来るのだから、すごいのだが。
「単なる無駄話。どこにでもある、普通の」
「彼女はそう取ったかしら」
「さあ。どうなっても、俺には関係ない」
いつもより険しい眼差しで私を見つめるケイ。
私はたじろぎつつも、それを見つめ返す。
犯人を捜す事の結果が、こういう事態につながった。
私だってそれくらいは分かっていた。
動揺し、自分を見失うのが神代さんだった事以外は。
「頭痛い」
額を抑え、テーブルに置かれたグラスを指で弾く。
痛いといっても、勿論比喩的な意味だが。
「それで、ユウはどうするつもり」
耳元でささやかれるサトミの台詞。
私は伏せていた顔を少しだけ上げ、テーブルを見つめた。
答えはすぐに出ず、同じ考えが堂々巡りするだけだ。
「ユウ」
「聞こえてる」
「ならいいわ」
素っ気なくささやき、コンディショナーの香りが遠のいていく。
私の苦悩はそのままに。
「ユウが悩む必要もないだろ」
慰めるようなショウの声。
私は少しだけ手を挙げ、かろうじてそれに応えた。
「気にするのは分かるけど、どうなるにしろユウに責任がある訳じゃないんだし」
「いや。責任は私にある。私は、ここのリーダーなんだもん」
「そうか……」
そっと肩に置かれる大きな手。
私はもう一度手を挙げ、両手で額を抑えた。
考えてどうにかなる訳でもなく。
ただ自分の気持ちと言葉だけが空回りしている。
しかし、どうすればいいかという答えは見つからない。
そんな物初めから無いのか。
私には無理なのか。
席を立ち、ファミレスの店内を見渡していく。
大勢の客と、忙しく立ち回る店員。
食べ物の匂いと、軽いBGM。
気が滅入っている今の自分とはかけ離れた光景。
ただし、それぞれの心情は分からない。
笑顔でピラフを運んでいるウェイトレスさん、子供にピザを食べさせているお母さん、たくさんの食器を汗だくで運んでいくウェイターさん。
彼等は何かをやっていて。
だけど、その気持ちを表してはいない。
自分達のやるべき事を、嫌な顔一つせずやっている。
当たり前と言われればそれまでで。
今の私には、眩しすぎる人達。
結局私は何も変わってない。
強くなろうとしているのに。
変わりたいと思っているのに。
相変わらず、悩んでいる。
人からすれば、もしかすると気にする程では無い事で。
それは私の心に重くのしかかっている。
今までにない、責任という言葉と共に。
人を信じ、疑い、その責任を取る。
自分で言った言葉。
「そうだね」
席に座り、グラスに溶けたオレンジシャーベットを一気に飲む。
甘い味が、喉を通り過ぎていく。
それを消す、わずかに残った氷の感覚。
口の中が痛くなるような。
私はそれも飲み干して、勢いよくグラスを置いた。
「今度の事で何があっても、責任は私が取る。これは、誰にも頼らない」
「ユウ」
「いいの。もう決めたから。それに、やけになってる訳でもない」
心を落ち着けてそう宣言する。
一人ずつと視線をかわしながら。
「警察や学内で問題にする気はない。私達と最小限の人達の間だけで済ますつもり。言いたい事があれば、ここで言って」
首を振るサトミとショウ。
ケイはただ黙っているだけだ。
ヒカルも、また。
「もう1度二人に話を聞いて、事実ならその責任を取ってもらう。私達への謝罪と、二度としないと誓約をしてもらって。後、ガーディアンも辞めさせる」
「妥当ね」
ようやくサトミが一言返してくる。
私は彼女に頷き、自分の胸を指差した。
「それと、私もしばらくは謹慎する。勿論、ガーディアンを辞める気はないけど」
「本当にそれでいいのか」
真剣な表情で問い掛けてくるショウ。
私は彼にも頷き、テーブルへ手を付いた。
「責任を取るって、自分で言ったんだから。少し甘いかも知れないけど」
「あなたが決めたのなら、私が言う事は何もないわ」
「俺もだ」
「……ありがとう」
二人に小さく頭を下げ、額へ手を当てる。
決めたとは言っても、私の中にある迷いがそうさせたのだろう。
全てを割り切れたら、そんな楽な事はない。
また、そうなりたくもない。
この先どうなっても、結局私はいつまでも悩み続けるんだろう。
それは私が私である証でもある……。
翌日は日曜日。
場所は男子寮のレクリエーションルーム。
防音設備が整っていて、話し声程度は外へ漏れない。
私とショウはやや硬い表情で、サトミは普段通り冷静に。
普段は楽しさと笑顔で溢れている空間。
今は耳が痛いくらいに、静まり返っている。
心の中とは裏腹に。
ドアが開き、その静寂が破られた。
緊張した面持ちで入ってくる小谷君によって。
「今度は、どうしたんです」
今日は暖かいせいか、Tシャツとジーンズ姿である。
私は神代さんから先に話を聞くつもりだったのだが、ケイがもう一度確認してからと言ったので。
「ごめん。この間の話を、もう一度聞きたくて」
「ああ」
曖昧に頷いた小谷君は、気まずそうな素振りで私達の前へ座った。
「そう見えただけで、絶対とは言い切れないんですよ」
「分かってる。ただ、今度はケイが財布を取られたの。何か、心当たりはない?」
ついさっきケイから聞いた事を、そのまま尋ねる。
金曜日にオフィスへ置き忘れ、土曜日の朝戻ったらなかったという事。
大してお金が入っている訳ではないが、学内のIDや身分証としてのIDの方は多少問題だ。
彼も絶対オフィスでなくしたとは言いきれないらしく、警察にはまだ届けていないが。
嘘ではないらしく、確かにその頃から彼の財布を見ていない。
「……またですか」
眉間の辺りへしわを寄せる小谷君。
それは財布がなくなった事へか、それとも。
「何か知ってるの?」
「俺も、あそこで見張ってる訳じゃないんで。本当かな」
口元で呟かれる言葉。
何を言っているのかは聞き取れないが、逡巡の表情とも取れる顔。
「小谷君」
「え、ああ。俺に聞かれも困るんですよね」
「困る事を知ってるの?」
「そう尋ねられると、余計に困るんですが」
ため息が漏れ、口元が抑えられる。
昨日の私にも似た苦悩を漂わせ。
「言いたくないなら、それでもいいわ。ごめん」
「いえ。参ったな」
「何が」
「どうしようかと思って」
顔が伏せられ、肩が落ちる。
これ以上はやめよう。
何かを知っていたとしても、彼の気分を害してまでは聞きたくない。
これ以外にも、事実を確かめる方法はあるんだから。
「ごめん。今日はもう帰って。ごめんね」
「いいんです。ただ、俺から話を聞かなくていいんですか?」
「うん。嫌がってるのに、無理して聞く事じゃないから。忘れろっていうのは無理だろうけど、出来ればそうして」
彼へ頭を下げ、ドアへと歩いていく。
だが私がそれを開けるより先に、彼が口を開いた。
背負ったリュックに手を触れながら。
「……見ましたよ」
「え?」
戸惑う私をよそに、小谷君は話を続ける。
「神代さんが、慌てて何かを隠したのを」
「本当?」
「小さな物でした。ただそれは、彼女の私物かもしれないし」
告白したという事からか、開き直ったような態度で話す小谷君。
私は話を終えたい気持ちを堪え、彼を促した。
「いつの事?」
「金曜日の夜です。みなさんが帰った後、忘れ物を思い出してオフィスへ戻ったら彼女がいて。書類を整理してたって言ってましたけど」
「そう」
高まる胸の鼓動感じつつ、腰を浮かし掛ける。
するとケイが、笑顔でテーブルへ身を乗り出した。
「今、あそこにカメラが仕掛けてあるの知ってた?」
「え?」
目を見開く小谷君。
ケイは笑顔のままで、サトミを横目で捉えた。
「俺映像を確認してないが、君が見たっていう時間も当然カメラは抑えてる」
「浦田さん、何が言いたいんですか」
「確かに財布は、あそこにあった。ただ、神代さんは持っていって無い」
「言い切れますか?」
苦笑気味に頷くケイ。
サトミは鼻を鳴らし、端末を取り出した。
「映像は、私が確認したわ。その時間に神代さんはいたけれど、何も持っていってはいない」
押し黙る小谷君。
しかし動揺や焦りの表情は見られない。
先程の開き直りとも言える態度のまま、鋭い眼差しを向けるサトミと視線を交わしあっている。
「すると、俺が持っていったとでも」
「いいえ。財布に関しては違うわ」
聞き逃してしまうような言葉。
私と同じ考えを抱いたのか、ショウがサトミへ顔を向ける。
「おい」
「何かしら」
「人を疑うのは……」
テーブルへ手を付き立ち上がるショウ。
だが彼の険しい視線と剣呑な物腰に対して、サトミは冷静な物腰を崩さす小谷君と向き合っている。
「あなたからの反論は」
「随分人が悪いですね、遠野さん」
「仲間を疑う事が?」
「分かってながら尋ねる事がですよ」
テーブルの上へ置かれるリュック。
そこから出てくるノートとTシャツ、そしてカニ缶。
どれもがオフィスから無くなった品物だ。
棒立ちになり、顔色を失うショウ。
小谷君は席を立ち、彼へ頭を下げた。
「済みません。せっかく信頼してもらったのに、こうなってしまって」
「どういう事だ」
怒りよりも、その光景が信じられないといった彼の顔。
だが目の前にあるのは、紛れもなく彼のTシャツである。
「俺達を騙してたって事か」
「分かりやすく言えば。済みません」
余計な言い訳をせず、頭を下げる小谷君。
固められたショウの拳が、ゆっくりとテーブルに落ちる。
「どうしてだ。一緒にいて言ってただろ。これからも、ずっとここにいたいって。あれは、あれはなんだったんだよ」
「玲阿さん、もうやめて下さい。これ以上俺が何を言っても無意味ですから。俺はみなさんの私物を盗んだ。その罪を神代さんへ押し付けようとした。ただそれだけです」
テーブルへ置かれる、ガーディアン連合のID。
うなだれるショウへ何か言いかけ、小谷君は首を振った。
「それでも、言い訳を聞きたいわね。ショウも、そう思ってるわ」
「遠野さん」
「神代さんが可愛がられてるから嫉妬で。なんて適当な理由ではなくて。どうして先輩のために、そこまで尽くすのか教えてくれないかしら」
「先輩?」
声を合わせる、私とショウ。
頷くサトミと、苦笑する小谷君。
「調べたんですか。一応経歴はごまかしたつもりなんですが」
「ネットワークのデータは変えられても、人間は別よ。中等部で、永理が調べてくれたの」
「なる程。そういえば、前いた学校の事を誰かへ話したかも知れません。一応、秘密にはしてたんですけど」
「四六時中自分をごまかすなんて、無理な話よ。どう演技をしようと、いつか自分の姿は外に出る。神代さんと楽しく話していた時のように」
静かな、諭すような口調。
小谷君は自嘲気味に笑い、壁にもたれた。
「いつから分かってました?」
「私とケイが疑ってたのは、初めからよ。そこの二人は、今もあなたを信じたいでしょうけど」
「済みません。雪野さんから素直にそう言われて、正直焦りました」
「でも嬉しかったでしょ。信じてるとも言われて」
面白く無さそうに笑う小谷君。
虚しさと、物悲しさを漂わせて。
「結局俺も甘いんでしょうか」
「さあ。それは知らないけれど、そこまで忠義立てする価値があるかしら。あの人に」
「一応は、先輩なんで」
再三出てくる、その言葉。
一体誰の事を言っているんだろうか。
そんな私の疑問を読み取ったのか、彼はポケットからガーディアンのIDを取り出した。
「……生徒会ガーディアンズ?もしかして」
「ええ、矢田さんです。中等部では一緒にやってました。俺は現場で、あの人は事務と指揮ですが」
「あなたに、私達を探れとか仲間割れをさせろって?」
沸き立つ怒りを堪え、テーブルの縁を強く握り締める。
少しくらい揺れるのは、我慢してもらうしかない。
「今さら隠しても仕方ないので、全部話しますよ。雪野さんの言ってる内容に近いです。ガーディアンを取り仕切るに当たって、みなさんの存在は大きいですから」
「何よ、それ」
「協力してくれるなら助かるけど、反対勢力として存在するのは非常に困ります」
「だから、今度の事を命令したって訳?」
苦笑気味に頷く小谷君。
私はテーブルの縁を握り締めたまま、腕を上げかけた。
それを、かろうじて自重する。
自嘲かもしれないが。
「どういうつもり、あの男は。人を何だと思ってるの。大体あなたも、断ればいいじゃない」
「先輩なので」
翳る表情。
落ちる視線。
その肩に、ショウが手を置く。
「だったら」
「玲阿さん。気持ちは嬉しいけど、俺は向こう側の人間ですから」
「誰が決めた。お前だって分かってるだろ。昔の矢田はともかく、今のあいつがどうかは」
「分かります。だけど、分かってても仕方ない事ってあるじゃないですか」
さりげなくショウから離れる小谷君。
寂しげな彼の視線を避けるようにして。
「そこまであいつの指示に従う必要はあるのか?脅されてる訳でもないんだろ」
「ええ。単なる先輩と後輩です。ただ俺を初めて指導してくれた人というだけで。馬鹿げてるとは、俺も思ってます」
しかし彼の口から、それ以上の言葉は聞かれない。
あくまでも自分の道を貫こうとする彼の姿勢。
本心は、そしてどうしてかは私には分からない。
分かっているのは、彼の気持ちが変わらない事。
自分が間違っていると分かっていて、馬鹿げていると言いながらも。
彼は揺らぐ事無く、突き進んでいる。
自分自身の道を。
「それでも、まだ矢田局長へ付いていくつもり?彼にはともかく、あなたへのメリットは薄いわよ」
「人に付いていくってのは、そういう事とは関係ないと思いますが」
「大して思い入れが無い人でも?」
「中等部の頃はいい人でしたよ。理想に燃えて、学校を良くしようと一生懸命で。ここで再会した時は、多少印象が違ってましたが」
ややはぐらかした返事。
だがサトミの真っ直ぐな眼差しに、小谷君は鼻の辺りを抑えて視線を伏せた。
「今の矢田さんが浮いた存在なのは分かってます。でも、だからといって見捨てるのも悪いじゃないですか」
「現場で動けるあなたが手を貸す事によって、事態が悪化するとしても?」
「下らないヒロイズムに浸る気もないですし、一方的に矢田さんが間違ってるとは思ってません。それに俺は、自分の意志でやってますから」
「せいぜい頑張る事ね」
醒めた口調で彼に告げ、サトミはケイへ視線を向けた。
「……俺達と一緒にとは言わないけど、矢田君に義理立てする必要もない」
「そう言ってもらえるのはありがたいんですけどね。みなさんの物を盗んだりして迷惑を掛けましたし。神代さんにも」
「それを言いだしたら、俺なんてとっくに退学してる。それに矢田君は、おそらく学校に取り込まれてる。狙いはガーディアンの掌握。それがどういう結果につながるか、君なら分かるだろ」
「力で生徒を抑え込む可能性があると。理由さえ妥当なら、俺は支持しますよ。理由が妥当なら」
鋭い視線で見つめ合う二人。
ケイは鼻を鳴らし、机に置かれたノートやTシャツを指差した。
「その矢田君は、君にこれを持ってこいと」
「そうは言いません。神代さんが盗った事にすれば、みなさんが揉めるかと思いまして」
「君はショウを、神代さんはユウを。それで仲間割れを誘う、か」
「済みません」
声を落とし頭を下げる小谷君。
しかしケイは苦笑して、自分を指差した。
「気にしなくていい。その意味では、俺の方が先輩だから」
「え?」
「仲間割れとか、情報を探るって事が。もう説得はしないけど、この件で気に病む必要もない。俺で免疫が出来てるよ」
自嘲気味な笑い声。
中等部の頃。
私達の所へ研修にやってきた生徒会ガーディアンズの男の子。
初めから疑われ、それを隠そうともしなかった人がいた。
悩み、苦しみ、でもそれは表に出さなかった。
ここにいる誰よりも小谷君の気持ちが分かっている人が、彼と向き合っている。
「……名残惜しいんですけど、俺は戻ります」
「ああ」
「それと、神代さんに謝っておいて下さい」
「伝えるよ。よく分からないけど、小谷君が謝ってたって」
ケイの言葉に少しだけ微笑み、彼は席を立った。
「みなさんも済みませんでした。雪野さんの言葉にを聞いて、自分が何してるのかをよく分かりました」
「私の?」
「悪い人はいないって。雪野さんは忘れたかも知れないけど、俺には結構堪えました」
「小谷君」
深く一礼し、私達を振り返りもせず部屋を出ていく小谷君。
私は閉まったドアかを見つめ、テーブルに置かれたカニ缶を手に取った。
「わざわざ持って来てたって事は、こうなるって分かってたのかな」
「あれだけ頭が回るのなら、そうかも知れないわね。それなのに、という話よ」
「矢田か」
舌を鳴らし、テーブルへ拳を当てるショウ。
微かに揺れるテーブル。
抑えた彼の感情が、それから読み取れるような。
重い、やり場のない気持ち。
私は小谷君の去ったドアを見つめ続けた。
丁寧に磨かれた、ロッカーに入っていた時より綺麗な缶を握り締めたまま。