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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第13話   2年編前編
136/596

13-5






     13-5




 明けて月曜日。

「おはよう」

「あ、ああ。お早う」

 ぎこちなく挨拶を返してくるショウ。 

 昨日の事を引きずっているようだ。

 ただ引きずっているだけ、安心とも言える。

 全く何も気にしていなかったらどうしようかと思ったから。

「へへ」

「どうしたんだよ」

「別に」

 少しほっとしましたとは言えず、リュックから卓上端末を出し参考書を開く。

 これで授業が無かったら、いう事無しなんだけど……。



 食堂で、ニコニコしながらご飯を食べる。

 美味しいのもそうだし、さっきの気分がまだ残っている。

 やっぱりこういう人なのよ。

「楽しそうね」

 サンドイッチの袋をくわえながら、私の前に座る沙紀ちゃん。

 フリーセットの乗っているトレイもあるので、それとは別に食べる分だろう。

 体格が、私とは比べ物にならないからな。

「丹下ちゃん、食べ過ぎじゃないの」

「そうかな。じゃあ、あげる」

「食べないわよ」

 私の前に置かれる、……カツサンドか。

 嬉しいけど、さすがに入らない。

 後で食べよう。

「しまわないで」

「嫌だ。しまう」

 サトミの制止を振り切り、膝の上に隠す。

 夜食確保。

「優ちゃん、リスみたいね」

「ハムスターだろ。顔、膨れてるし」 

 失礼な事を言う子のすねを蹴り、悲鳴を聞き流す。

「ショートカットで、そう見えるだけなの。私はやせ気味なくらいよ」

「俺もそう思う」

 そっとフォローしてくれるショウ。

 昨日の事なんか、もうどこかへ消えてしまいそうな気分になってくる。

「はい」

「え?」

「あげる」

「ああ」

 カツサンドを受け取り、ショウは私に頭を下げた。

 私も、どういたしましてと微笑み返す。

「あの、それは私の何ですけど」

「気にしない、気にしない」

「悪い、丹下さん」

「いいんですよ、玲阿君」

 大仰に笑い、何故かケイの背中を叩く沙紀ちゃん。

 むせ返した男の子は、涙を流してお茶をすすっている。

「いい年して、何泣いてるの」

 露骨に嫌そうな顔をして、ティッシュを彼へ投げるサトミ。 

 優しいともひどいとも言える。

「な、泣いてるんじゃなくて。死ぬかと思った。じゃがいもで」

「馬鹿」

 本当に。

 私も含めて……。



 授業を終え、オフィスへとやってくる。

 こう毎日やってると、どっちが本業が分からない時がたまにある。

 ケイ達は自警局へ行っていて、いるのは私一人だけ。

 神代さんも、今日は遅いな。

「……こんにちは」

 私を見て、戸惑い気味に入ってくる小谷君。

 それ程親しく話をしていないので、警戒しているのだろうか。

「こんにちは。みんな、少し遅れるって」

「そうですか」

 会釈して私の前に座る彼。

 私は読んでいた通達書を机に置き、軽く伸びをした。

「規則の遵守徹底化、ですか」

「あなたが好きそうな話ね。皮肉じゃなくて」

「悪くはないと思いますよ。俺達の裁量だけで判断するより、規則に沿って行動するのは当然ですから」

「理屈ではね。ただ、私達には無理な話よ」

 今日提出期限の始末書を脇に置き、こめかみの辺りを手で押さえる。

 まだ新学期早々だっていうのに、いきなりだ。

 向こうが暴れたから、自分の身を守っただけじゃない。

 これだと始末書100枚も、冗談では無くなりそうだな。

「一つ聞いていい?」

「どうぞ」

「どうして一緒にやりたいって思ったの?こういうと何だけど、私達と全然タイプが違うじゃない」 

 不意を付かれたように視線を泳がせる小谷君。

「どうかした?」

「い、いえ」

 ぎこちない返事。

 本当に、どうしたんだろう。

「え、えと。やっぱり強さへの憧れというか、自分には無い物ですから」

「ふーん」

「変でしょうか」

「そうじゃなくて、意外と普通の理由だなって。でも、安心した」

 少し私が笑うと、小谷君は不思議そうに見つめ返してきた。

「ん?」

「い、いえ」

「そう。だってみんな小谷君の事を疑ってるから、ちょっとね」

「はあ」

 曖昧に頷く小谷君。

 言い方が、ストレート過ぎたかな。


「やっぱり疑ってますか」

「ごめん。今まで色々あったから、みんな警戒気味なの」

「分かりますよ。そういう気持ちは」

「誤解なんだよね。神代さんの事だって」

 小谷君はまた「はあ」と答え、私の言葉を待つような表情を見せた。

「彼女も見た目がああだから、人から色々誤解された事もあったみたいだけど。でも話せばいい子で優しいって、よく分かるじゃない」

「そう、ですね」

「うん。私は、悪い人はいないって思いたいから。勿論悪い事をやってる人はたくさんいるけど、本当にその人が駄目な人間とは思いたくないの。甘いといえば、甘いのかな」

「いえ。そういう考えでいいと思います」

 はにかみ気味に頷く小谷君。

 私も笑いつつ、始末書を前へ置いた。

「それはそれとして、書くとするかな」

「雪野さんだけですか?」

「まさか。4人全員よ。私だけだったら、でっち上げてでも書かせるわ」

「怖い事言わないで」


 ドアが開き、額を抑えながらサトミが入ってきた。

 彼女の後に続くケイ達は、さながらお供だな。

 何だか嫌な予感。

 始末書追加って言い出さないだろうね。

「もう書かないわよ」

「え?」

「始末書じゃないの」

「まさか。フォースが生徒会ガーディアンズと統合したでしょ。その組織改編に伴い、意見調整を含めてしばらく会合を増やすんですって」

 机の上に増える通達書。

 私はそれを丁寧に折り、サトミのリュックへと入れた。

「ちょっと」

「だって、私出ないもん」

「あなたが、ここのリーダーなのよ」

「じゃあ、今期からはサトミがリーダーという事で」

 立ち上がって、棚から連合内の申請書を探して。

 探して……。

 探さなくてもいいや。

「仕方ない、今期も私がリーダーという事で」

「申請書はちゃんとあるわよ。そうでしょ、神代さん」

「ええ。上から2段目の、奥にある青のクリアファイルに」

「またまた」 

 今開けているのは、その2段目。

 クリアファイルなんて、どこにも。

「どこにも……」

「どうしました、雪野先輩」

「どこにも私の居場所はない。って言ってみたりして」

「馬鹿」

 軽く一蹴された。 

「だ、だって。私もここに代わってから日が浅いから」

「神代さんは、もっと浅いわ。整理くらいしなさいよ」

「じゃあ、サトミはしてるの」

「しなくても、場所なんて頭に入ってるの」 

 さらさらした黒髪を指差すサトミ。

 何よ、頭がいいからって威張っちゃって。

 勿論、威張るっても足りないくらい頭は良いけどさ。

 どうせ私は、物覚えが悪いわよ。


「うう」

「泣かないでよ」

「だって。サトミがいじめる」

「いじめてないでしょ。鼻、鼻っ」

 人の鼻にティッシュを押し付けてくるサトミ。

「ほら、チーンして。チーン」

「人を馬鹿にして」

「いいから、チーン」

 もう、嫌だな。

 でも、する。

「世話が焼ける子ね。泣き真似して、鼻出さないで」

「花粉症かな」

「いつの時代の病気を言ってるの」

「じゃあ、風邪」

「馬鹿は引かないのよ」

 相当に失礼な事を言いながら、私の鼻を拭くサトミ。

 こっちは情けなくて、本当に涙が出そうだ。

「はい終わり」

「ありがとう。でも、まだむずむずする」

「もう知らないわよ。面倒見きれないわ」

 見捨てられた。

 いいや。

 これで、ちょっと。


「おい」

「え?」

「俺のだ」

「ああ、ごめん」

 素直に謝り、ケイのリュックに鼻をこすりつける。

「止めろ」

「鼻は出てないって。むずむずするだけ」

「マーキングじゃあるまいし。臭腺でも付いてるんじゃないの」

 よく分からないけど、多分失礼な事を言ってるんだろう。

 ただ、それはお互い様なので聞き流す。

「雪野先輩、どうぞ」

「ありがとう」

 神代さんが入れてくれた紅茶を飲み、一息付く。

 暖かい湯気が顔に掛かり、鼻の調子も良くなってきた。

 彼女は一人ずつにマグカップを渡していき、小谷君へも遠慮気味だが手渡した。

「はい」

「ああ、どうも」 

 差し出されたマグカップを両手で受け取るケイ。

 彼女は何か言いたげに彼を見下ろしていたが、すぐにその場を離れサトミの隣へと座った。

 私の隣りも空いてるのに、何よ。

 いいんだけどさ。

 ちなみに配置は、私-サトミ-神代さん。 

 反対側にショウ-ケイ-小谷君。

 神代さんと小谷君はまちまちの場所に座るが、私達はほぼ固定の位置。

 ケイは一人寂しく、窓際で座ってる時もあるけどね。


 そのケイが、微かに表情を変えた。 

 彼の訝しむような視線は、湯気の漂うマグカップを捉えている。

「何か、問題でも」

 やや棘のある口調で尋ねる、紅茶を入れてくれた神代さん。

 ケイは彼女へ手を振り、それでもマグカップから目を離さない。

「いや。俺の気のせい」

「はあ」

「それより暑いのに、上着脱がないの」

 動きを止める神代さん。

 するとケイは「悪い」と呟き、彼女へ頭を下げた。

「別に、謝ってもらう事でもありません。それとも、私が言いたくない何かを隠してるとでも」

 硬い表情で、彼へ視線を向け続ける神代さん。

 ケイは首を振り、席を立とうとした。

「あなたを責めてません」

「気分は悪いだろ」

「だからって、気を遣ってもらう必要もありません」

 やや強い口調。

 怒りと不安の入り交じった瞳。

 彼女はそのままジャケットを脱ぎ、Tシャツの袖を肩までまくり始めた。

「……これで、納得しましたか」

「ああ」

 低い応え。

 右肩の辺りを抑え、顔を伏せる神代さん。

 やや浅黒い肌。

 長い腕。

 その肩口に付いた、わずかな筋。

「大体分かってるでしょうけど、襲われたんです。いきなり後ろから。現場に出なくなったのも、パトロールが怖いのも、尾行が嫌なのも。全部そのせいです」

 淡々とした告白。

 顔は伏せられたままで。

 視線は前髪に隠れ、わずかにも見えない。


「今さら言うのもあれだけど、気にする事も無いんじゃないの」

 いつもより優しい口調で語るケイ。

 しかし神代さんはややまなじりを上げ、彼を睨み付けた。

「他人事だと思って、適当に言わないで下さい」

「そう取られると困るけど。見せるのが嫌ならそうして隠してればいい訳だし。言われても気付かないくらいの傷だろ」

「あなたは男だから、そう言えるんです」

「かもね」

 何か言いたげなサトミと私を目線で制し、マグカップを傾ける。

「こんにちは」

 少しの沈黙の後。

 ドアが開き、遠慮気味に沙紀ちゃんが入ってきた。

「今、忙しい?」

「いつも暇よ」

「よかった」

 サトミに微笑みかけ、ケイの隣りに座る沙紀ちゃん。

 それも、いつもの事だ。

「丹下さん、どうぞ。紅茶でよろしければ」

「ありがとう。でもこういうのは、浦田にやらせればいいのに」

「はあ」

 どう答えたらいいのか分からないらしく、神代さんは困惑気味にこちらへ視線を向けてきた。

 私は雰囲気を変える意味も込めて、勤めて明るい声を出した。

「沙紀ちゃんの言う通り。もう何もかも、ケイにやらせてあげて」

「勝手に言ってろ。しかし、これって」

 まだ気にしているケイ。

 紅茶ではなく、マグカップ自体がおかしいようだ。

「どうしたの」

「いや、なんか手が」


 そう呟いた途端。 

 乾いた音がして、ケイのマグカップが胸元で半分に割れた。

「わっ」

 叫び声と同時に落ちてくる紅茶の固まり。

 時間が経って冷えていたらしく、それ以上の声は上がらない。

 ただ、白いTシャツを紅茶の色で染めた男の子が出来上がった。

「お前、何やってんだ」

「不吉な予感。呪われてるわね、あなた」

「近づかないでおこっと」

 一斉に椅子をずらす私達。 

 神代さんと小谷君も、遠慮気味だが少し下がる。

 逃げ出さないのは沙紀ちゃんくらいだ。

「古いから割れただけだろ。……これって、中等部の時から使ってる奴?」

「物持ちが良いのね」

「忘れられない思い出を最後に作ってくれた」

 明るく笑い出すケイ。

 私達とは多少感性が違うようだ。

「それより着替えたら」

「無いよ、そんなの」

「じゃあ、俺の使え。ロッカーに入ってる」

「サイズが合わないけど、寒いよりはましか」

 ケイは濡れた部分を体から離し、ロッカーを開けてTシャツを取り出した。

「また、派手な」

「普通だろ」

「俺には派手なの」

 気を使ったのか、それを持ってキッチンの影へ消えるケイ。

 私も彼の裸なんて見たくないので、放っておく。

「でも、本当にどうして割れたんでしょう」

 怪訝そうに、真っ二つになったマグカップを見つめる神代さん。

 紅茶は殆どTシャツに掛かったので、幸い床は殆ど濡れていない。

 逆とも言えるが、気にしない。

「日頃の行いよ。ろくでもないから、浦田」

「はあ」

「……遅いわね」

 そう呟くや、割れたマグカップを持ってキッチンへ消える沙紀ちゃん。

 言いたい事は色々あるが、サトミも黙っているのでここは我慢する。


「どうなってるんです」

 今度は小谷君が、怪訝そうに尋ねてくる。

「さあな。あまり知りたくない」

「知りたくない?」

「いや、こっちの話だ」

 私達へ笑いかけてくるショウ。

 話を振らないでよ。

「とにかく、私も見てきます」

「神代さん、放っておけばいいって」

「でも、私が入れた紅茶ですし。多少は私にも原因があります」

 思い詰めた様子で、足早にキッチンへ向かう神代さん。

 止めておけばいいのに。


 そう思っていたら、何やら叫び声が聞こえてきた。

 そして神代さんが、青い顔でキッチンから飛び出てくる。

「どうしたのっ?」

「い、いえ。その」

 口を押さえ、壁にもたれる神代さん。

 少し、体が震えているようだ。

「あなたが悪いのよ」

「体拭いてただけだろ」

 軽い調子で言い合いながら、沙紀ちゃんとケイもキッチンから出てくる。

 ケイは上半身裸で、首からタオルを掛けている。

「大丈夫、神代さん?横になったら」

「い、いえ」

 首を振り、恐る恐るといった様子でケイを見つめる神代さん。

 ケイは胸元をタオルで拭き、脇の辺りを抑えている。

「あ、あの」

「なに」

「あの傷は」

 彼女が不安がっている理由がようやく飲み込め、私とサトミは苦笑した。

 少し、寂しげに。

「怪我でちょっとね」

「そうですか……」

「馬鹿なのよ、あの子は」

 眉をひそめるサトミに戸惑いつつ、神代さんはケイから視線を逸らさない。

「すごい傷ですけど」

「そうね」

 サトミはあくまでも素っ気ない。

 私はあまり見たくないので、彼を手で追い払う。

「向こうで着替えてよ。寒気がする」

「失礼な女だな。俺も寒気がするけど」

「意味が違うでしょ。いいから、ほら」

 沙紀ちゃんにTシャツを渡され、もぞもぞしながらそれを着るケイ。

 白い地に赤い日本地図が描かれていて、ちょっと似合わない。

 多分、日の丸をイメージしてるんだろうけど。


「……それは、どうして出来たんですか」

 低い声で尋ねる神代さんに、ケイは肩をすくめて壁にもたれた。

「転んだら変な所に鉄パイプがあって、ギーって。安っぽいギロチンかな」

 喉を鳴らして笑うケイ。

 神代さんは硬い表情で頷き、自分のリュックを持ってドアへと歩き出した。

「済みませんけど、今日は先に帰ります」

「いいよ。また、明日ね」

「え、ええ」

 頼りない返事と共に出ていく神代さん。

 それを見送った全員の視線が、ケイへと向けられる。

「な、なんだよ」

「あなたが変なものを見せるからでしょ」

 露骨に顔をしかめるサトミと私。 

 沙紀ちゃんも苦笑気味に、彼の手からタオルを受け取った。

「襲われた経験があるっていうから、あれを見ればいい気持ちはしないでしょうね」

「でも、前よりは大分良くなってるだろ」

「はれは引いた。しかし、逃げる事か?」

「怪我が無くても、私なら逃げる」

 陰気な目で睨まれた。

 だから逃げるのよ。

「それはともかく、明日から来るかしら」

「どういう意味?」

「丹下ちゃんが言ったように、嫌な事を思い出したらって事」

「倒れるくらいの思い出か。確かに、そうかもな」

 難しい顔でそれを肯定するショウ。

 私もそういった経験が無くはないので、彼女の気持ちは分かる。

「小谷君はどう思う?」

「俺ですか。彼女の性格もよく分かりませんし。来るのなら来るんじゃないでしょうか」

 ごく当たり前な返答。

 ただそれには、頷ける点もある。

 私達が無理矢理連れてくる事は出来ない。 

 あくまでも彼女の意志で判断すべき問題だから。

 それに研修はここ以外でも出来る。

 嫌な事を思い出しながらではない、もっとリラックス出来る環境は他にたくさんあるだろう。

 神代さんのためを思えば、その方がいいのかも知れない。

 そしてこの人は、どう考えているのか。


「なに」

「神代さんがどうかなって」

「来るよ」

 すかさず返ってくる答え。

 私の意図を十分に読み取っている、普段通りの冷静な態度。

「どうして。あなたの怪我を見て、嫌な思いをしてるのに」

「まあね。ただ、彼女は何でここにいるかって話さ」

「え?」

 ケイは顔を少し伏せ、沙紀ちゃんの横顔を見上げた。

「襲われても、怪我をしても。あの子はガーディアンとしてやってきてる。だから、この程度の事では引き下がらないわよ」

「そうかな」

「勿論。優ちゃんだってそうでしょ」

「私は物忘れが早いから、嫌な事もすぐ忘れるの。でも、神代さんはどうかなって」

 オフィス内に訪れる沈黙。

 少し重い空気。

 来ると言い切ったケイや、それをフォローした沙紀ちゃんの表情も決して勝れない。

 以前よりも整理された室内を見渡しながら、私はその沈黙に耐えていた……。



 翌日。

 授業を終え、オフィス内へと入る。

 しかし神代さんの姿はなく、彼女のリュックも置いてはいない。

 キッチンにも人影は見あたらず、どこかに隠れている様子もない。

「仕方ないか」 

 ため息を付き、リュックを机の上に置く。 

 そこからスティックを取り出し、持ち上げて振ってみる。

 意味のない、単調な行為の繰り返し。

 それを惰性で、しばらく続ける。

 みんなの到着はまだで、一人静かなオフィスで佇む。

 この間までなら神代さんが先に来ていて、はにかんだ微笑みで私を出迎えてくれていた。

 勿論彼女も研修期間が済めば、ここを去る。

 ただそれまでは、一緒にいられると思っていた。

 でも、こういう事になったら。

 この先も顔は合わせにくい。

 私達よりも、彼女の方が。

 それは、私達にとっても辛い。

 私は席を立ち、スティックを伸ばしてケイの荷物が入っているロッカーをつついた。

「こんな子のせいで、全く」 

 何度と無くつつき、出来ていたへこみを直す。

 直ったように見える。

 多分直っただろう。

 違う所がへこんだように見えるけど、気のせいだ。


「この中に隠れてたら、笑うかな」

 ……ん。

 生意気に、キーが掛けてある。

 何か隠してるのかな。

「えーと、マスターキーは」

 こういう下らない事には、つい張り切ってしまう。

 整理された棚の中。

 その一つ一つに書かれた書類の名称と用途。

 これも、いつの間に書いたのだろう。

 綺麗な神代さんの文字。

 ラックの上には、どこに何が入ってあるかをまとめたプリントが置いてある。

 勿論、マスターキーの場所も。

「あった」

 神代さんの、最後の仕事。

 おそらくは、昨日の夜。

 私達が帰った後に、一人で頑張ったんだろう。    

 彼女は何も悪くないのに、ここを去っても誰も責めはしないのに。 

 それでも一所懸命、私達のためにこんな事をやってくれた。 

 その彼女が、今はいない。

「とにかくこの子が悪いのよ」

 舌を鳴らし、ロッカーにキーを差す。

 すぐに小さな電子音がして、ロックが解除された。

「……開かない」

 よく見ると、上の方に南京錠がしてあった。

 あの男、小賢しい真似を。

 大体、背伸びしないと届かないじゃない。

「何でこんな事を……」

 背伸びして手を一杯まで伸ばしていると、不意に上から手が覆い被さってきた。

 少し浅黒い、大きな手。

 振り向くとそこには。


「神代さんっ?」

「こんにちは」

 いつも通りのはにかんだ笑顔。

 私は彼女の腕を取り、同じように微笑み返した。

 嬉しくて、嬉しくて。

 言葉が出てこないから。

 そうする事しか出来なかったから。

「う、うん。でも」

「私が辞めたと思ったんですか」

 苦笑して顔を伏せる神代さん。

 彼女は俯き加減のまま、小さく口を動かした。

 気持をそのまま、言葉に代えるために。

「最初はそのつもりだったんですけど」

「うん」

「……逃げたくないなって」

 耳元を過ぎていった声は、私の胸に溶けていく。

 彼女の気持ちと共に。

 辛さや苦しさ。 

 それを乗り越えようと懸命に頑張っている彼女の気持ちが、私にははっきりと伝わった。

 彼女が持っているのと同じ、私の中の何かと重なって。

「いいですか?」

 ためらいがちな質問に、私は大きく頷いて神代さんの手を握った。

「勿論。なんなら、ずっといる?」

「いえ、それは結構です」

「何よ、もう」

「済みません」 

 声を合わせて笑う二人。

 するとドアが開き、サトミ達が入ってきた。

「楽しそうね」

「うん」

「また整理されてるみたいだし」 

 室内を見渡し、神代さんへ微笑みかけるサトミ。

 彼女は一目見ただけで、全てが分かったようだ。

「徹夜?」

「い、いえ。一応、昨日中には帰りました」

「頑張ったわね」

「は、はい」

 顔を赤らめた神代さんは、書類をしまおうとしているショウへ駆け寄り照れながら場所を教えている。

「詳しいな。俺、立場がないよ……」

「そ、そんな」

「いや、本当に。俺は、ケンカしか出来ないから」

 何か拗ね始めた。

「あ、あの。玲阿先輩」

「うん?」

「そのロッカーを、少し左へ寄せてもらえますか。そうするとスペースが出来て、もう一つラックか棚がおけると思いますから」

「分かった」

 にこっと笑い、荷物の入ったロッカーを持ち上げるショウ。

 反対側に回らされたケイとは対照的に、喜々としてやっている。

 何だかな。


「人使いが荒いわね」

「え、そういう訳でも」

「冗談よ。ショウ、行き過ぎてる」

 指先だけで指図するサトミ。

 どっちが荒いんだ。

「でも、棚入れるってお金無いじゃない。手当はもう、一杯一杯だし」

「え、お金いるんですか?無料で貸してもらえるんじゃ」

「しっかりしてるのよ、ここは。手元に来たと思ったら、即支払い。嫌がらせじゃないの」

 ようやく場所が定まったロッカーに手を当て、ぐいと押す。

 当たり前だけど、びくともしない。

 ショウは軽々やったのに、悔しいな。

「ユウ、叩かないでよ」

 先を読まれた。 

 面白くない。

「そういえば」

「え?」

「ケイのロッカーが、鍵掛かってるのよ」

 神代さんに頼んで、さっきの南京錠を触らせる。 

 それで、どうしよう。

「番号は?」

「教えるか。……どうして下の鍵は開いてる」

「マスターキーでちょとね」

 へらへらっと笑い、番号を考える。 

 サトミのパスワードで懲りたけど、つい考えてしまう。

 でも、全く思い浮かばない。

 誕生日って柄じゃないし、身長体重もぴんと来ない。

「じゃあ、私が開けてみますね」

 そういうや、南京錠へ顔を近づけ慎重に動かし始める神代さん。 

 静まりかえった室内に、南京錠の回る音だけが響いていく。

「……開きました」

「本当?」

「ええ」

 笑顔と共に引き抜かれる南京錠。

 そして頼りない音がして、ドアがゆっくりと傾いてくる。

「おい」

「済みません、浦田先輩」

 神代さんは悪戯っぽく笑い、彼へ南京錠を手渡した。  

 戸惑う私やショウをよそに、彼女はロッカーの中へ顔を入れる。

「隠す程の物は入ってませんけど」

「下に書類があるだろ。それがちょっと、訳ありなんだよ」

「修了証。中等部での数学を修めた物とするとあります」 

 くすくす笑い、神代さんは1枚の紙を取り出した。

「浦田先輩だって」

「いいんじゃない。雪野先輩」

「そうね、遠野先輩」

「しかし、浦田先輩か」

 私達も笑顔を浮かべ、ケイのロッカーに取り付く。

 ケイへ敬意を込めた視線を送る神代さんと共に。  

先程までの静けさとは違う、明るい笑い声の響くオフィス内。 

大切な仲間との一時……。



 翌日。

 書類を持ってA-1の生徒会ガーディアンズへと向かう私達。

 こういうのはネットワークを使って送ればいいのに。

 面倒だし、向こうでは怖がられるし。

「済みません」

「は、はい」

 予想通りと言うべきか。

 緊張感の漂う声が、インターフォン越しに聞こえてきた。

 何もしてないのに、相変わらず評判が悪い。

「ど、どうぞ」 

 ドアが開くや、数名の女の子が列を作って出迎えてくれた。

 嫌がらせだね、逆に。

「私達はいいから、仕事に戻って」

「で、ですけど」

「書類を持ってきただけだから。今度からも、いちいち出てこなくていいよ」

「は、はい」 

 硬い面持ちで奥へと消えていく女の子達。

 受付では、知り合いの男女がくすくす笑っている。

「何よ、あれ」

「1年生。エアリアルガーディアンズの評判を聞いたんだろ」

「怖いもん、雪野さん」

「せめて、達と言って」

 広い受付用のロビー。

 左右に延びる廊下と、正面の壁は一面の窓ガラス。

 ロビー内にも卓上の端末が幾つか置かれ、関係者以外でも自警局や生徒会の記録を引き出す事が出来る。

 前のオフィスも広かったけど、ここは段違いだな。

 さすがはG棟を統括するだけの事はある。

「これ」

「はい。確かに受理しました。面倒だから、ネットワークにすればいいのに」

「でしょ。私もそう思う」

「矢田自警局長が、反対してるってさ。融通が利かない男だ」

 辛辣に評する受付の男の子。

 身内にも評判が悪いな。

「要望書や陳情書を、私達も出してるけれど」

「そうね。遠野さん達がまとめた分を筆頭に、結構な数が来てるわ。ただ、局長御自身の御判断が無い事には」

 女の子は肩をすくめ、スキャナで読み取った書類を棚へと入れた。

「こうしてデータに変換するんだから、無意味なのよね。手書きが必要な物以外は、ネットワークへ移行すべきなのに」

「あれには無理だろ。もっと他に、局長のなり手はいないのかな」

 口元に指を当て、目配せする男の子。

 こっちも分かっているので、口元に指を当て頷く。

「面倒だろうけど、これからもお願いね」

「お互い様。それで、沙紀ちゃんは」

「今日は、近くの学校に出張中。ガーディアン同士の意見交換と親睦会だって」

「ふーん。偉い人は大変だ」

 のんきな事を言って、ロビーを軽く見渡す。

 奇妙な声が聞こえてきたのだ。

 私は二人に別れを告げ、テーブルのあるロビーの奥へと歩いていった。

 受付辺りからの視線を遮る観葉植物や低い壁の間を通り抜け、テーブルが置かれたスペースへとやって来る。

 やや広い場所で、長方形のテーブルが4つ程。

 lここも、資料閲覧のため一般にも開放されている場所だ。


「わんわかわーん」

 明るく、軽いテンポ。 

 テーブルを拭く手付きも軽快そのもの。

「わんわかわーん、わんわかわーん」

 続けて2回。

 テーブルは正確に、丁寧に拭かれていく。

「わんわか、……わーん」

 私と目が合い、口をつぐんで固まる渡瀬さん。

 恥ずかしさと情けなさでか、赤い顔がおずおずと伏せられる。

 垂れ下がったお下げ髪を、頼りなく揺らして。

「にゃひーん」

 そう私が呟くと、彼女の顔が輝いた。

 そして私の前まで駆け寄り、胸元で丸めた手を横へ振り出す。

 こちらも、丸めた手を横へ振る。

 当然体も揺れている。

「わんわかわーん」

「にゃひーん」

「わんわかわーん、わかわかわーん」

「にゃひ、にゃひーん」

「いい加減にしなさいっ」

 机が叩かれ、目を尖らせたサトミが顔を近づけてきた。

 元が綺麗なだけに、こうなると息が詰まりそうな程の迫力がある。

「わん……」

「にゃん……」 

 最後に一鳴きして、手を取り合う私と渡瀬さん。

 お互いを慰めるためと、言葉を越えたつながりを確認するために。

 元々、言葉は使ってないとも言えるけど……。


「大体、なんだそれ」

 困惑気味に、手を取り合っている私達を見つめるショウ。

「夢でも現実でもない世界の話はどうでもいいよ」

「そのフレーズを知ってるって事は、ケイも見た事あるの?」

「女子高生やOLに流行ってる、幼児向けアニメだろ。話には聞いた事がある」

 相変わらず、そういう事には詳しいな。

「よく分からん」

「分かる必要もない事よ。私は、ユウに付き合わされて一度見たけど」

 疲れ切ったため息を付くサトミ。

 あれの面白さが分からないなんて、可哀想な子だ。

「彼女のが乾犬いぬいぬで、私のが馬ん猫。ウミウソが、また可愛いのよ」

「私は、クマ虎さんも好きですよ。「ハチミツって、美味しいぞー」って」

 両手を上げて、「はっはっはー」と笑い出す渡瀬さん。

 この人も、相当だな。

 勿論、私も。

「あれいいよね。私は、鹿馬々(しかまま)も好きかな。「私は、馬鹿じゃないんだからー」って」

 両手をばたつかせ、地団駄を踏んでみる。

 ファンキーなお母さんで、いいんだこれが。

「もう分かった。分かったから」

 呆れ気味に私を抱きしめてくるサトミ。

 怒る気力も失ったらしい。


「それで、あなたは掃除中かしら」

「ええ。後は、書類を少し片付けようと思いまして」

 渡瀬さんは机の上にあったリュックを指差し、中から何枚かの紙を取り出した。

 冒頭には、警備計画準備書と書かれてある。

「今度ラグビー部の警備をするんですけど、配置図を自分なりに考えろと言われまして」

「簡単じゃない」

「私、地や絵を書くの苦手なんですよ」

 その言葉に、ケイへ視線が集まる。 

 この人よりはましだろうという感じで。

「何で俺を見る。それより、神代さん手伝ってあげたら」

「え?」

「そういうの得意だろ。ここでの仕事も覚えられるし、同じ1年同士助け合わないと」

 彼女の隣りの椅子をずらせ、神代さんを座らせるケイ。

 二人ははにかみ気味に挨拶を交わし、並んで書類に取り組み始めた。

 配置やローテーションは渡瀬さんが、図や説明の書き込みは神代さんといった具合。

 初対面の割には打ち解けているし、コミニュケーションもスムーズで悪くない組み合わせだ。

「後輩にやらせないで、君らがやったらどうだ」

「じゃあ、御自身でなされては。阿川先輩」

 皮肉っぽく微笑むサトミに、阿川君は肩をすくめてテーブルの上へと座った。 

 神代さん達がいる所とは違うテーブルにね。


「G棟副隊長に対して、失礼な態度でしたか」

「攻めてくるね、君は。俺は好きでやってる訳じゃない。自警局がやれっていうから、それに流されてるだけさ」

「違う後輩にみせてやりたいぜ」

 含み笑いをするショウに拳を向け、鼻で笑う阿川君。 

 よく分からないが、彼等は以前より親しげな様子。

 その様子を山下さんが、微笑ましげに見守っている。

「こんにちは」

「ええ、こんにちは。丹下さんが留守で、今は阿川君が代行してるの。トラブルの時は、彼に責任を押し付けてね」

「了解です」

 二人してくすくす笑い、席へと座る私達。

「G棟を沙紀ちゃんや阿川君が統括すると、A-1の警備が手薄になるんじゃ」

「私達が忙しい場合は、A-2の沢君と七尾君が代行してくれるの」

「でも、いつも忙しいですよね」

「そう。だから実質ここは沢君の担当で、A-2は七尾君の担当。元野さんもそのつもりじゃないのかな」

「え?」

 言っている意味が分からず、つい問い返す。

 山下さんは優しく微笑み、私の顔を指差した。

「連合は元野さんが統括していて、彼女はA-1の警備も担当。ただし彼女も忙しいし、それは補佐する木之本君も同様」

「はい」

「だからあなた達には悪いけれど、A-1もカバーして欲しいの」

「私達、4人ですよ。A-2だけでも苦しいのに」

 腕を組み、少し唸る。

「勿論警備をやれとは言わないわ。ただ何かあった時は、出来るだけ応援に来て欲しいのよ」

「それは、山下さんの意見じゃないの」

「鋭いわね」

 くすっと笑い、「冗談よ」と手を振る山下さん。

「今のブロック体系が妥当かという考えもあるし、少人数でどれだけ対応出来るかのモデルケースね。特にここは生徒会ガーディアンズと連合が友好的だから、そういう事もやりやすいの」

「モルモット?」

「いいじゃない可愛くて。私好きよ」

「そういう問題かな」


 やはり腕を組んだまま唸る。

 言っている事は分かるし、悪くないと思う。 

 ただ、私達が忙しくなるなら話はまた別だ。

「浦田君のご意見は」

「手当は」

「もう、そういう話は。……どんどんしてよ」

「雪野さんまで。勿論出動頻度や状況に応じて、手当は出すわよ。装備も出来るだけ生徒会ガーディアンズに近づける。矢田君は、ご不満らしいけれど」

 また嫌な名前が出てきたな。 

「丹下の判断で決済出来る額だと思いますが」

「そうやって、自警局内の分裂を誘う?それとも独立かな」

「金が欲しいだけですよ。それに不満を感じてる人は、自警局全体にいますから」

「私はノーコメント。ガーディアンの人員削減としての面もあるから、大変だろうけどお願い」

 顔の前に手を持ってくる山下さん。 

 そこで、ふと気付く。

「どうして山下さんが頼むの。モトちゃんから話は聞いてないけど」

「現時点では、私達だけの話し合いだから。正式な通達になるのは、まだしばらく後ね」

「俺はそれとなく聞いてますよ。ユウが知らないのは、連合の本部にいかないから」

「だ、だって。あそこ苦手だもん」

 言い訳にもならない事を言って、軽く体を前後させる。

 意味はなく、単にリズムを取るような物だ。

「その削減にしても、局長はどうなの?」

「世の常として、権力者は自分の力を削ぐのは反対する物よ。フォースを統合して以前より強大になった分、謙虚になって欲しいけれど」

「まとめるだけの力がなければ同じですよ。あれは、上に立つ器じゃない。少なくとも、今のままでは」

 醒めた口調で言い捨て、端末を取り出すケイ。

 誰かから連絡があったようだ。

「沙紀ちゃん?」

「ああ」 

「何よ」

「大した内容じゃない。挨拶程度」

 素っ気なく答え、端末がすぐにしまわれる。

 たわいもないやりとりをするくらい親しいという考え方もあるけど、黙っておこう。

 世の中に男の子はたくさんいるっていうのに、全く。


「どうしたの、雪野さん」

「いえ。それより、渡瀬さんは?」

「優秀よ。もう少し落ち着きがあれば、言う事無いわね」

「耳が痛いです……」

 どうもあの子を見ていると、鏡を見ている気になってくる。

 違う面もあるにしろ、重なる面も多い。

 私以上にチャカチャカしてるけどね。  

「神代さんはどう?」

「私よりは優秀です、はい」

「そう。ただあの子も経歴が少し曖昧なのよね。編入生でしょ」

「人を疑うのは、俺も好きですよ」

 ぐいと身を乗り出すケイ。

 薄く微笑む山下さんとの間で視線が絡み合う。

「随分肩入れするのね。君らしくない」

「何なら阿川君の過去を探ってみますか?彼は気にしなくても報道部には高く売れそうだ」

「自警局幹部、つまり生徒会幹部である私と張り合う気?」  

 厳しい雰囲気を漂わせる山下さん。

 柔和な表情はそのままで、鋭くなった眼差しがケイを真っ直ぐに捉える。

「お望みなら。俺が前、生徒会内部の不正を探ってたのは知ってますよね。その時生徒会長へ報告しなかった案件も、いくつかあるんですよ」

「私がそれに関与してるとでも?」

「まさか。ただ自警局にも他局同様、不正や金品の不明朗な流れがある。それが表に出れば、自警局全体に累が及ぶくらいに」

「私も幹部として責任を取る必要があると。面白いわね」

「ブラフじゃないので、念のため。ちなみに俺をどうにかしても無駄ですよ。当然、情報は分散させてある」

 阿川君と楽しそうに話しているサトミへ視線を向けるケイ。

 それを確認した山下さんは表情を緩め、両手を小さ上げた。

「あなたには負けるわ。私程度では敵わない」

「そう油断させておいて、でしょう。今の音声を記録して、生徒会幹部への恐喝の証拠とするとか」

「あ、知ってた」

 くすっと笑い、端末とは違う記録装置を取り出す山下さん。

 通常オフィス内は防諜機能が備わっていて、安易な盗聴や盗撮は出来ないようになっているのだ。

「今のは冗談としても、大丈夫なの?」

「俺が判断する事じゃないので」

 今のやりとりを冗談と済ます山下さん。

 ケイも平然とした顔で、私を指差す。

「何よ」

「リーダーはユウだから。当然、責任を取ってもらわないと」

「と、取るわよ」

「それを聞いて安心したわ。こっちにとばっちりが来ないようにお願いね」

 山下さんは優雅に微笑み、記録装置を置いたままこの場を後にした。

 ケイが再生すると、先日発売されたアイドルグループの新曲が流れ出す。 

 軽くからかわれたらしい。

「こうして油断させておいて、本当に録音した物は持って逃げてるさ」

「え?」

「だから、冗談。それより、責任の方を頼む。俺も、とばっちりは受けたくない」

 冗談とも本気とも付かない口調。

 私はバラードに耳を傾けつつ、渡瀬さんと一緒に作業をしている神代さんへ視線を向けた。




 疑う、か。

 考えたくはない、でもこれからはきっと必要になる事。 

 それを自分が出来るのかどうか。

 やるべきなのかどうか。

 そう思う事自体、疑いに掛かっているのかも知れない。

 その自己嫌悪と必要性の間で、私は友情を歌い上げるのバラードに浸っていた。 










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