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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第13話   2年編前編
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     13-4




 勿論そう簡単に上手く行く訳はない。

 お互いあまり口をきかないし、そう親しげにもしていない。

 ただ以前のような刺々しさはなくなり、少なくとも二人の間に流れていた気まずさはどうにかなったようだ。

 私が何かしたという訳ではないけれど、嬉しい事には変わりない。


「さてと」

 オフィス内のTVを付け、椅子に深く腰を下ろすケイ。

 放課後間もない時間。

 私達は全員揃って、そのTVに注目を向けていた。

 今期も生徒会長に就任した彼が、指針というか施策を発表するので。

 そんなのは後で書類でも見ればいい気もするけれど、今回は新しい提案があるという噂が流れている。

「生徒会の組織改革をするとは聞いてるわ」

「具体的には」

「さあ。私は生徒会のメンバーじゃないから」

 腕を組んだまま首を振るサトミ。

 ただ興味はあるようで、視線はTVから離れない。

「出てきた」

 リモコンを引き寄せ、ボリュームを大きくするケイ。 

 珍しく積極的だな。


 モニターに映る、制服姿の生徒会長。

 無機質な青い背景から見て、学内放送用のスタジオだろう。

 普段通りの落ち着いた物腰と、よく通るやや高めの声。

 型通りの挨拶を短く済ませ、彼は演壇に置いてあったミネラルウォーターのペットボトルを手に取った。

 小さな間が開き、聞き手である私達も自然と彼に注目をする。

 小さく下に出るテロップ。

 「生徒会長 石山 烈 (いしやま れつ)」

 初めて知った。

 当たり前だが、副会長同様この人にも名前があった。

「噂として聞いている人もいるかと思うが、今回の本題である生徒会組織について」

 普段通りの、自信とゆとりに溢れた態度。

 前傾姿勢になり、さらに集中するサトミとケイ。

 私とショウも、一応は姿勢を正す。

 それは神代さん達も同様だ。

「一般生徒の中にある不満。つまり生徒会が持つ強大な権限をどうすべきか。一昨年度の改正により執行機関と企画部門に分かれはしたが、実質的には生徒会指導の元学校運営は進められている。無論それ自体に問題がある訳ではなく、生徒会という一部の者のみが権限を持ちそれを自己の権力として行使する事に問題が……」


 生徒会の問題点を明確な形にして伝えてくる生徒会長。

 それは自己批判でもあり、自身の権益をも脅かす内容である。

 しかし彼は淀む事なく生徒会の改善すべき点をいくつもあげていき、少しずつ間を置いて私達に考える時間を与えていく。

 このままでいいのかと。

 私達はどうするべきなのかと。


「無論事案を迅速に処理するためには命令系統が必要で、ある程度のヒラエルキーになるのはやもうえない。ただそれが何の不正もなく行われているのか、圧力によって変化する事はないのか。我々はそれを監視する必要がある」

 ペットボトルを傾け、もう一度間を作る会長。

 私も知らない間に頷いている。

「チェック機関は皆無に等しく、規則と各自の良心のみに頼っているのが現状だ。生徒会メンバーは結局のところ自薦であり、中等部からの固定化された人間のみが就任するスタイルが当然とされている。生徒会という名前は、果たしてどの生徒を差すのだろうか」

 会長の口元が緩み、演壇の上にあった書類が持ち上げられる。

「いきなり組織の全てを変える訳ではない。まずはそれで正しいのかどうかを、自分なりに考えて欲しい。無論私は、みなさんを扇動している訳ではない」

 鼻で笑うケイ。

 別におかしくはないけど、彼にとっては違ったようだ。

「例えば……」

 突然言葉を止める会長。

 表情が一気に強ばり、笑顔が消える。 

「失礼」

 画面に手を挙げると、隣から大山副会長が現れた。

 マイクはオフになっていて、顔を近づけている二人の会話は全く聞こえない。

 会長は彼に一礼すると、書類を持ったまま画面の外へと消えた。

 代わって副会長が、演壇に立つ。

「プロンプターに故障がありまして、会長からの施策演説は以上とさせて頂きます。これ以外の詳細な内容に付きましては、各自端末及び生徒会からの配布書類でご確認下さい」

 そつのないフォロー。

 画面が切り替わり、屋上に付けられたカメラの市街地を眺める映像へと変わった。 

 拍子抜けな展開と、唐突な終わり方。 

 何かよく分からないが、生徒会組織を変えたいという彼の意気込みは伝わってきた。


「揉めるな、これは」

 楽しそうに笑って、ゲームを始めるケイ。

「何が」

「生徒会長は、新カリキュラムを修めた人間。施策方針の原稿くらい、プロンプター無しでも暗記してるさ」

「トラブルがあったって言うのか」

「あの顔見ただろ」

 確かにそうだ。

 あれ程冷静な人が、一瞬だけど完全に我を失っていた。

 ショウの問い掛け通り、私達には理解出来ないトラブルがあったと考えるのが普通だろう。

「困ったわね」

「俺は全然困らない」

「あなた、生徒会長と親しいんでしょ」

「さあ。向こうはそう思ってないんじゃないの」

 即リセットして、またリセットしてる。 

 自分の人生もリセットすればいいのに。

 サトミはさらにリセットして、別なパットを手に取った。

「俺とやる気?」

「今ので、フラストレーションがたまってるの」

「余計たまると思うけど」

「あなたがね」

 ケイが笑顔を浮かべたのもつかの間、狐は丸焼けになっていなり寿司に変わった。

 そのまますし桶に入れられ、出前へと消えていく。

 つまりはケイの負け。

 完全なる敗北と、修飾語を付け加えてもいい。

「おかしいな」

「あなたは不器用なのよ」

「そんな訳は……」

 あっと言う間に捌かれて、猫のエサになる鰯の頭。

 でも猫も食べずにまたがれて、そのまま終了。

「面白くないな、これ」

「下手な人にはそうかもしれないわ」

「またまた」

 と言っている間に、海苔巻きの具。

 でも端っこなので、切られて犬のエサ。

 今度は食べてもらえたみたい。

 結局負けだけどね。

 とうとうパットを置き、ため息混じりに立ち上がるケイ。

「……話でも聞きに行こうか」

「親しくはないんでしょ」

「本人以外に聞けばいい」



 やってきたのはガーディアン連合本部。

 私も連合の一員ではあるけれど、用事がないからここへはあまり来ない。

 そういう事にしている。

「あら、どうしたの」

 書類を抱えたモトちゃんと廊下で出会う。

 相変わらず忙しそうだな。

「ちょっとね。塩田さんいる?」

「ええ。これ少し持って」

 書類の束を受け取り、ぺらぺらとめくる。

 新入生のガーディアンの履歴書か。

 生徒会ガーディアンズと比べて審査が甘いから、連合を希望する人は意外と多い。

 ただ装備や待遇でかなり劣るため、辞めていく人もまた多い。

 逆にいえば残った人達は、それだけやる気があるという事だ。 

 変わり者という説もあるが、気にしない。

「たくさんいるね」

「それは、高校からの希望者。中等部からの希望者は、もっとあるわ」

「ふーん。追い出されないように気を付けよう」

「役職に就けばいいのよ」

 耳元でささやくモトちゃん。

 私も高いところにある彼女の耳元へ顔を近づける。

「舞地さんもそう言ってたけど、私には無理だって。サトミでも使ってやって」

「やる気がないなら、構わないわ。ただ、空きはあるからいつでもいってきてね」

「んー」

 彼女の気持ちは嬉しいが、やはり無理だ。

 それだけの能力がないし、自信もない。

 そんな自分が人を率いていくなんて、その人達にも失礼だ。

「難しいんだよね」

 返ってこない答え。 

 ただ自分の声はよく返ってくる。

 目の前に壁があるので。

「ユウ、こっち」

 サトミとモトちゃんが、呆れ気味に手を振っている。

 少し集中し過ぎていたようだ。

 さすがに壁へぶつかる程鈍くはないが。

 野性的な感覚とも言えるけど……。



「何だよ」

 無愛想に出迎える、ガーディアン連合議長。 

 つまりは塩田さん。

 大きな机には書類が山のように積まれ、疑似ディスプレイがいくつも展開している。

「お前達の方で、チェックは済んでるんだろ。俺が目を通す必要なんて無い」

「議長ですから、全員を把握して頂かないと。出会った時に、「お前誰?」では困りますからね」

「あー。木之本は」

「自警局と、改正した規則について意見調整しています。勿論さぼってはいません」

 柔らかく微笑むモトちゃん。

 種類の山がもう一つ増え、塩田さんのため息も増える。

「それで、何か用か」

「生徒会長の演説聞いてました?」

「途中で止めた、あれだろ。大山に聞けよ」

 そう言うや端末で連絡を取り出した。


「私も忙しいんですけどね」

 苦笑気味に、塩田さんの隣へ立つ副会長。

「会長の予定していた原稿が、それ。プロンプターに表示されたのがもう1枚の方」

「執行委員会(仮)となってますが」

 静かな口調で尋ねるサトミ。

 ケイはいつにない真剣な表情で、書類に見入っている。

「現在生徒から選出されるのは、生徒会長のみ。それを複数名にして、合議制へと変える案。また各局の局長についても、選挙を導入する方向です」

「民主集中制から、間接民主制への以降ですか?」

「生徒会長の案は」

 小さく頷く副会長。

 疑似ディスプレイに表示されたのは、それと同じ組織図。

 ただし、選出方法が異なっている。

 会長案が一般生徒から選挙によって選び出すのに対して、疑似ディスプレイの案はもっと固定化した内容。

「推薦者を、指定の委員会でで検討し選出。一般生徒で構成するとはなっていますが、後退どころか別物ですよ」

「生徒会長の案も、学校は了承してるんですよね。でなければ、ああいった公式の場では発表出来ない」

 ケイの発言へ目線で応える副会長。

「要は、学校側が方針を変えたと。もしくは、最初からこれを施行するつもりだったとか」

「おそらくは後者でしょうね。学校側の交渉責任者は、教育問題担当理事。私達とやり合った、例の男ですから」

「そんな奴を、学校はどうして交渉相手に。理事長は何してるんですか」

「あの人は、規則をそれ程重視していません。どんな環境であれ、勉強は出来るという持論を持っているようです。また例の理事は、草薙グループの所有者である高嶋家に以前から仕える人らしいですし」

 淡々と語られる内容。

 決して聞き逃す事の出来ない、下らない話。

 思わず拳を固め、自分の太股を何度と無く叩く。


「落ち着けよ、ユウ」

「だって。確かにまだ何かあったって訳じゃないけど、どう考えてもおかしいわよ」

「ただ、まだ結論を出すにも早いだろ」

 冷静に指摘するショウ。

 彼の言っている事は分かる。

 正論だし、妥当な意見だ。

 ただ、私の感情は違う。

 単なる嫌な気分。

 それだけと言ってしまえば、終わってしまう。

 だけど、納得出来る話ではない。

 私の感情は、そう告げている。

 今日まで私を突き動かして来た、胸の中の思いは。

「会長は?」

「学校と交渉しています。取りあえず組織改正案は、無期延期。今回の件も含めて、再度話し合いが続くでしょう」

「結局、学校の意のままですか」

「辛辣ですね、浦田君」

 苦笑して疑似ディスプレイを消す副会長。

 彼自身の案ではないにしろ話し合いには加わっているだろうし、面白くはないはずだ。

 しかし副会長は平然とした顔で、書類に目を落としている。

「これからどうなるんです」

「学校側が攻勢を強めてくるでしょう。今回会長の案を相殺した事により、対立は避けられませんね」

「会長と学校が?大山さんと、学校が?」 

 副会長は曖昧に笑い、塩田さんへ視線を向けた。

「どうですか」

「今回は学校と生徒会の問題だ。関係ないとは言わないが、直接の影響は薄い。仕掛けて来れば、対抗するけどな」

「もう少し冷静になったらどうです」

「先輩譲りで、血の気が多いんだよ」

 フォトスタンドが手に取られ、屋神さん達の顔に指を差す。

 以前とは違う、信頼と敬意に満ちた表情で。

「好きでなった議長じゃないが、その権限は使わせてもらう。屋神さん達のためにも」

「らしくない言い方ですね」

「かもな。とにかく俺は、学校には屈しない。誰かのためっていう考え方が間違えているとしてもだ」

 自信に満ちた、自信に満ちた答え。

 その態度には、わずかな揺らぎもない。

「学校は矢田を抱き込んでガーディアンを掌握したつもりだろうが、全然甘いんだよ」

「甘いですか」

「金と装備は揃ってるが、肝心の人材がいない。いたとしてもそれは、矢田の施策に反発している連中だ」

 珍しく皮肉めいた表情を見せる塩田さん。

 その視線を私達へと向けてる。

「もし向こうと揉めるなら、引き抜きをやってもいい。去年、お前達が仕掛けられたようにな」

「あれは前自警局長と塩田さんの、駆け引きを含めた出来レースでは」

 笑い気味に指摘するケイ。

 塩田さんは鼻で笑い、フォトスタンドを机に倒した。

「知るか。とにかくガーディアンはこちらで抑えてある。SDCも、三島さんの後輩が代表に就任してるから問題ない。後は旧クラブハウスの悪共だが、そっちも屋神さんの後輩が抑えてる」

「パワーゲームですか?そうなれば向こうは、外部からその手の人間を呼ぶでしょう」

「だろうな。現に何人も潜り込んでるが、それは大山が監視してる」

「正確には情報局と総務局が。自警局が当てになりませんので」

 冷静な口調で語った副会長は、疑似ディスプレイを全て消し書類を全部サトミへと手渡した。

「よかったら、元野さん達にも見せてあげて下さい」

「分かりました。学校は、これ以外に何か行動を起こしているんですか」

「細かい手はいくつも打ってますよ。理事推薦の生徒も、かなり入ってきてますし」

「先行きは苦しいでしょうか」

「塩田が言ったように、人材はこちらの方が揃っています。去年以上に」

「不安定な気もしますけど」

 からかい気味なサトミの視線を受け、お互い様だという顔をする。

 何にしろ、平穏な学校生活とは縁遠い訳か。    

「よかったら、生徒会長と話されますか」

「学校との交渉は」

「もう終わったでしょう。私達はまだ仕事がありますので、みなさんだけで」



 やってきたのは生徒会長執務室。

 副会長室以上の広いスペースと整った設備。

 普段は秘書さん達が仕事をしている机には、誰一人いない。 

「馬鹿にでもしに来たのか」

 言葉とは裏腹に、ゆとりある態度でソファーに身を任せている生徒会長。

 モニターで見ていた時の動揺は、微塵も感じられない。

「彼か。君達に加わったという物好きは」

「初めまして。小谷です」

「経歴と能力は悪くない。せいぜい頑張るんだな」

 データはすでにチェック済みらしく、会長は口元を緩め小谷君から視線を動かしていった。

「彼女はどうだ」

「優秀よ。私の何倍も」

「雪野先輩」

 困惑する神代さんの肩を何度か叩き、サトミが頷くのも確認をする。

 小谷君の反応が薄いのは仕方ないとして。

「それはよかった。君達の所へ預けるのはどうかと思ったが、苦労は買ってでもしろという。少しの間、我慢してくれ」

「は、はい」

「勝手に連れてきて、言う事がそれ?無茶苦茶じゃない」

「人を率いていく大変さがよく分かっただろ。他人への責任を負うといった意味も」

 私の心を見透かすような質問。

 思わず答えに詰まり、ショウを肘でつつく。

「痛いな……。ただ俺達は現場のガーディアンだから、彼女にとっていい研修先とも思えないが」

「だからこそ、という理由もある。玲阿君が強いからといって、君の周りにその手の人間ばかり配置したらどうなる。ケンカに明け暮れる日々もいいが、書類の山がたまっていく一方だ。お互いの足りない部分を補う、という考え方をしてくれないかな」

「はあ」

 あっさり話を終えてしまうショウ。

 その意味では、確かに会長の言う通りだ。

「それより、さっきおたおたしてたけど大丈夫」

「君は相変わらず攻撃的だな」

「ああ、ごめん」

「素直に謝れると、こちらも困るが」

 苦笑して書類を差し出す会長。 

 先程副会長に見せられたのと、全く同じ物だ。

「大山さんから説明があったと思うが、私達の案と学校の案だ。プロンプターの内容を差し替えられたので、今回はパスした」

「ケイが言うには、そのくらいプロンプター無しでも暗記してるって」

「ただし私が動揺した事は、生徒全員に伝わった。何かトラブルが起きているとね。そして君達のように、色々考えて行動する人も出てくる」

 私達一人一人と視線を合わせ、最後にケイと見つめ合う。

「あそこで自分の案を押し通せば、学内が混乱に陥る。それなら学校に貸しを作り、同時に行動力と洞察力のある人間が学内にどれだけいるか探った方が有益ともいえる」

「その考えに、俺達は乗せられたと」

「人聞きが悪い。同調者と募ったと捉えられないかな」

「それはあなたの考え方で、人にはまた違う考え方がある。駒として使われる事に、納得出来ない人もいる」 

 真剣な面持ちで彼と向き合うケイ。

 気分を害しているようには見えないが、いつも程落ち着いている様子でもない。

「それぞれの主観に付き合う程悠長じゃない。考えは異なっても、行動が同じなら問題ないと私は思うが」

「経緯よりも結果、ですか。なるほどと言いたいところですが、これは経緯も大事なケースだと思いますよ」

「君にしては甘いな。目的のためには手段を選ばないタイプだろ」

「という具合に、あなたの思惑通りには物事は進まない。アイディアとしては買いますけどね」

 身を乗り出し、視線を絡め合う二人。

 言葉のない、それ以上の深いやりとり。

 二人はどちらとも無く視線を外し、ソファーへと崩れた。

「どちらにしろ、今すぐ学校とトラブルがある訳ではない。間接的にはともかく、直接的に君達へ影響があるとも言えない状態だ。揉めるのが嫌なら頭を低くして、目を覆っておくんだな」

「そうしますよ。俺は学校と揉める気がないし、その理由もない」

「だ、そうだ。雪野さんは違うという顔をしているようだが」

「仕掛けてきたら考えるだけよ。自分から飛び込もうとまでは」

 思わない、という言葉は続かない。

 春休み前に、塩田さん達から聞いた話。

 これまでの経緯。

 私達の周りで起きてきた出来事。

 関係無いの一言で済ますには、色々とあり過ぎた。

 全てから目を逸らすなんて事が、出来るのかどうか。

「さてと。悪いがまだ仕事が残ってるんだ」

「お忙しい中、失礼しました。ユウ、行こう」

「あ、うん」



 オフィスに戻り、椅子に座ったまま少し考える。

 この数ヶ月抱いている、同じ思いを。

 自分の取るべき行動と、その責任。

 周りの人への影響。自分の能力。

 結局は出る事のない結論を探し続ける。

 きっとなし崩しに、流されてしまうんだろう。

 そう思う事自体、私は学校とやり合う気になっているんだと思う。

 巻き込まれた時にどうするかを考えても、逃げてどうするかとは考えないから。

「生徒会長とも親しいんですね」

 やや興奮気味に口を開く小谷君。

 私は自分の考えを頭の奥へ収め、首を振った。

「親しいのはケイだけで、私達は別に」

「俺だって、親しくはない。考え方も違う」

「はいはい」

 彼の言葉を軽く流し、サトミと苦笑し合う。

 私達の知る限り、ケイがああいった態度を見せるのは珍しい。

 心情的にはともかく、近しい関係であるのは間違いない。

「どうかした?」

 俯き加減の神代さんの顔を覗き込むと、彼女は無言のまま首を振った。

 また気分でも悪いのだろうか。

「調子悪いなら、医療部へ行こうか」

「いえ。大丈夫です。少し寝不足なだけで」

 さっきまでは元気だったので、そうは思えないだけど。

 それでも本人がそう言うなら、仕方ない。

 無理強いも出来ないし、そっとしておこう。

「いるかなー」

 突然ドアが開けられ、書類をバラバラ落としながら天満さんが入ってきた。 

 それを後から入ってきた中川さんが、ため息混じりに拾っていく。

「嶺奈、落としてる」

「ごめん、ごめん。ふーん、新人?」

「小谷です」

「神代です」

 席を立ち挨拶をする二人。

 サトミが簡単に説明を付け加え、彼女達に納得してもらう。

「こんな所にいても、苦労するだけよ。事務が得意なら、予算編成局へ来ない?今なら空きもあるし、手当はガーディアンの比じゃないわ」

「運営企画局も、新規募集中です。今なら生徒会の審査手続きも代行しております」

「わ、私はその、ここに満足してますから」

「そう。じゃあ君は?」

 耳元をかき上げ、小谷君へ微笑みかける中川さん。

 戸惑い気味に首を振り、小谷君も否定する。

「俺は、みなさんに憧れて自分で志願したんです。何があっても、みなさんに付いていきます」

「随分熱い子ね。ガーディアンなんて、何が楽しいのよ」

「本当、本当。塩田君みたいに、遊んでれば別だろうけど」

 大笑いする先輩二人。

 失礼だし、塩田さんを馬鹿にされるのはちょっと気にくわない。

「塩田さんはあれでも一生懸命やってるのよ。ふらふらしているように見えて、実際は学内全体に目を配ってるの。何よ、もう」

「そんな塩田君を怒鳴りつけたのは、どこのだれだった?ん、雪野さん」

「わ、私よ。も、文句ある」

「無茶苦茶ね、あなたは。屋神さんから塩田君経由で、雪野さんか」

 変な系図を語る中川さん。

 あの人達よりはましだ。 

 少なくとも自分では、そう思いたい。

「それで、どういった用件でいらしたんですか」

「遠野さん、話が早い。新入生の生徒会参加希望者の説明会があるの。そこで受付と整理をして欲しいなって」

「私達がやらなくても」

「たまにいるの。何か勘違いして暴れる人達が。元野さんと丹下さんには話を通してあるから、お願いね」

 ぺこぺこ頭を下げる天満さん。

 お願いというより、確認だ。

 大体あの二人が了承していて、私達の断る余地がない。 

「ほら、凪ちゃんも」

「私は付いてきただけよ。それとも予算編成局の周辺警備を担当してくれる?」

「浦田君に横領されるわよ」

「人聞きの悪い。無駄な予算の有効利用と言って下さい」

 平気な顔でそう言ってのけるケイ。

 神代さんと小谷君が唖然とした顔をするが、中川さん達が笑っているのにさらに呆れているようだ。 

 気持ちは分からないでもない。

「警備はいいけど、揉めるのは嫌」

「大丈夫。受付といっても、立ってるだけだから。暴れる人は、もうやっちゃって」

「何を」

「私の口から、それ以上は」

 教唆だ、教唆。

 参ったなと思いつつ、端末のスケジュール表をチェックする。

 今教えられた日は、しっかりと空きがある。

 モトちゃんか沙紀ちゃんがリークしたな。

 その内こっちも、あの子達に何かさせてやろう。


 無駄な事には努力を惜しまない事を誓い、神代さん達へ顔を向ける。

「という訳で、その日は開けておいて。自警局とは別に、予算編成局からも手当が出るし」

「分かりました」

「はい」

 素直に頷く二人。

 初めてとも言える仕事に興奮しているのか、喜々とした表情で頷く小谷君。 

 しかし神代さんは、勝れない顔付きのままだ。

 ただサトミが言っていた精神的な物なら、私にはどうしようもない。

 彼女が、その理由を教えてくれない限り。

 むやみに踏み込んだり調べたりする気にもなれない。

 それが自分の限界であり、力の無さの裏返しでもあるんだけど。

「じゃあお願いね。凪ちゃん、行くわよ」

「人を勝手に連れてきて、何言ってるの。それじゃ、また」

 慌ただしく出ていく二人。

 ただ端末や部下の人を使えばいいのに,わざわざ来てくれたのは嬉しい。

 そんな人達が先輩であり、上に立っている事も。


 彼女達の見送りから戻って来ると、ショウがオフィスの前で壁にもたれていた。

「どうかしたの」

「ん、まあ」

 歯切れの悪い返事。

 どうやら、私を待っていたようだ。 

 私もすぐ中へは入らず、ショウと共にドアから距離を置く。

「簡単に引き受け過ぎじゃないか、さっきの」

「モトちゃん達が確認してるんだし、仕方ないでしょ」

「ただ俺達は、生徒会の人間じゃない。命令系統が違うとは言わないが、指示される必要はないんだぞ」

「理屈ではね。でも、先輩じゃない」

 唐突な反論に戸惑いつつ、それでも言い返す。

 ショウは鼻の辺りを手で触れ、私から目を逸らした。

「これで、また何かあったらまずいだろ」

「そんな事言ってたら、何も出来ないわよ」

「俺達のやる仕事かっていう意味だ。ちょっと流され過ぎというか、自分の意見が無さ過ぎじゃないのか。俺達はもっと、自分の意見を押し通してもいいはずだろ」

「どうしたの、急に」

 違和感とは言わないが、ショウの態度に奇妙さを覚えつつ尋ねる。

 はっきり言えば彼だって流されるタイプで、私と大差はない。 

 余計な事を押し付けられた経験は何度と無くあり、だけどそれを厭わずこなしてきた。

 それが彼の素敵な所だと、密かに思っていたくらいだ。


 でも今は、何かが違う。 

 いや、変わったのだろうか。

 自信を付け、自分の意見を持つようになったのだろうか。

 もしそうなら、悪くはない。

 むしろ、歓迎するくらいだ。

「……そうだね。ごめん。安請け合いし過ぎたみたい」

 頭を下げるとショウは困惑気味に首を振り、少し私との距離を置いた。

「謝ってもらおうと思って言った訳じゃない。ユウが悪いとって意味じゃなくて。ただ、俺達はもっと、自分なりの意見や行動を取った方がいいと思って」

「それは分かるよ。でも、先輩の頼みを聞くのは自然な事でしょ」

「あ、ああ。ただ、彼女達から命令される理由はない。それはユウも分かるだろ」

「うん。だけど、命令は言い過ぎじゃない?」

 胸の中に引っかかりを覚えつつ、彼を見上げる。

 しかし彼も、自分の考えを譲る気はないようだ。 

 少なくともそれを正しいと思っているのだろう。

 勿論私には、否定する事は出来ない。 

 生徒会長やケイが言っていたように、人はそれぞれ考え方が違う。

 だから他人と付き合っていけるし、楽しい面もある。

 ただ私は、ショウと重なり合う部分が多いと思っていた。

 下らない事に巻き込まれ、厄介な事を背負わされて。

 口ではそれを嫌がっていても、どこか楽しんでいた。 

 彼もきっとそうだった。 

 これまでは。

 だけど今は、何かが変わっている。 

 それは彼が自分を確立し、成長した証なのか。 

 私が子供でいるだけなのか。 

 答えは、見つからない。

「もう止めよう。俺も、少し言い過ぎた」

 場を取り繕うように笑い、オフィスの中へ入っていくショウ。

 私も笑顔を浮かべ、閉まっていくドアを見つめる。

 胸の奥に出来た、小さな確かな不安を消そうとして。 

 消える事は無いと分かりながら、私は胸に手を当て顔を伏せた……。



 数日後。

 生徒会参加希望者の、説明会会場にやってきた。

 実質的な受付作業は生徒会の人が行っていて、私達はその補助といったところ。

 別室に控える参加希望者は次々面接室へ呼び出され、生徒会や学校、自治体、出資スポンサーの審査を受けている。

 私達がいる場所は3部屋ある内の中央で、ドアから向かって左が控え室。右が面接室となっている。

 これまで無意味に暴れ出す人はいなく、正直手持ちぶさとも言える。

 勿論、その方がいいのは分かっているけれど。

「暇ですね」 

 生徒会が配布している、学校案内のパンフレットを読みふける神代さん。

 彼女は新1年でしかも編入生なので、参考にもなるのだろう。

「お陰で助かるわ。後何人残ってる?」

「一組ですね。お疲れさまでした」

 優しく微笑む受付の女の子。

 こちらこそと答え、軽く息を整える。

 トラブルを望む気はないし、彼女達の役にも少しは立てたと思う。

 後はこのまま無事に済めば……。

「来たよ、大物が」

 鼻を鳴らし、小声で呟くケイ。

 控え室から出てきた数名の男女。

 大きな笑い声と、横柄な態度。

 彼等を引率している男の子へ見下したような視線を向け、隣にいる人へ何やら笑いかけている。

「あいつだ」

「え?」

「去年、俺達がガーディアンの資格を停止させられた原因。理事の息子」


 ケイの指摘に、その時の記憶が思い返される。

 ナンパをしていた中学生。

 それを止めに入った私達。

 だが結局は矢田局長の一方的な通告で、私達はガーディアンの資格失効となった。

「やっぱり、トラブルになったな」

 なおも何か言いたげなショウと視線が重なる。

 私は無言で彼を捉え続ける。

 微かな苛立ちと共に。

「別に、ユウが悪いとは言ってない」

「何も聞いてないわよ」

「どうしたの、二人とも」

 困惑気味に私達を止めに入るサトミ。 

 神代さんと小谷君は、彼女以上に困った様子だ。

「ショウが、警備を引き受けた事に文句があるんだって」

「そこまでは言ってない。ただ、俺達がやる仕事かどうかって思っただけだ。断ってもいいんじゃないかって」

「同じじゃない。ごまかさなくていいから、はっきり言ったら……」

「分かったから、その話はまた後で」

 私達の肩に手を置き、サトミは下がるように促した。

 確かに、ここで揉めている場合ではない。 

 その程度の事で。

「……ごめん」

 サトミと、そしてショウに頭を下げる。 

 ショウは曖昧に口元で呟き、そのまま小谷君の方へ行ってしまった。

 私もこれ以上揉めたくはないので、少しほっとする。

 結論が先送りになった気もするけど、揉め続けるよりはましだ。

「あ、あの。その」

「気にしなくていいわ。最近が仲良過ぎただけで、結構やり合ってるのよ。この二人は」

「はあ」

「私も久しぶりで、少し緊張したけれど」

 冗談めいて私の肩を抱くサトミ。

 切れ長の綺麗な瞳が、不安げに私を捉える。

「大丈夫。ちょっとした、意見の食い違いだから」

「そう。とにかく、ここは大人しくしてて」

「分かってる」

 彼女の背中に軽く触れ、道を空ける。

 そんな私達の事など構う様子もなく、例の息子がドアへと歩いていく。

 周りは取り巻きだろうか、へつらうような笑みと笑い声。

 新カリキュラム修得者で理事の息子なら、分からなくもないが。

 よくそれで、我慢出来るな。 

 やっている方よりも、やられる方が。


「……お前ら」

 ドアの前で振り返る息子。

 さすがに、物覚えは良いらしい。

 私が出ようとするより早く、ケイが彼等の前に立つ。

「何か」

「この間は、よくもやってくれたな」

「お互い様だ。俺達は、ガーディアンの資格停止処分を受けた」

「ふんっ」

 突然男が足を振り上げ、ケイのお腹を蹴りつける。

 あっけなく吹き飛ぶケイの体。 

 息子は鼻で笑い、床へうずくまった彼の側へと歩み寄った。

「まだやるか」

「いや」

「馬鹿が。これからは、相手を見て行動しろ」

「ああ」

 顔を伏せ、弱々しく頷くケイ。

 恭順とも取れる、頼りない姿。 

 それに満足したのか、男はケイの足を軽く蹴ってきびすを返した。

「文句があるなら、いつでも来い。相手になってやる」

 一斉に上がる笑い声と歓声。

 彼等はドアの向こう側へ消え、ようやくその喧騒は終わる。

 室内に漂う重く、やるせない空気。 

 床に倒れていたケイは、低くため息を付いて机づたいに立ち上がった。

 伏せられる顔と、震える肩。 

 手が口元を覆う。

「あ、あの」

 慌てて駆け寄ろうとする受付の女の子達。

 だがサトミが、素早くそれを制する。

「心配しなくても大丈夫よ。ちょっと、いい加減にしなさい」

「ああ、悪い」

 口を押さえたまま顔を上げるケイ。

 笑い気味の、それを必死に押さえた表情。 

「また人をからかって」

「優越感に浸らせただけさ。あれで、しばらくは俺達を甘く見る。おかげでこっちは、楽が出来る」

「怪我は」

「ドッチボールやって、怪我する奴がいる?しかも、小学生のボールで」

 お腹に付いた埃を払い、背中を揺らしながらドアへと向かう。

「笑ってるとまた揉めるから、先に帰る」

「ショウ、付いていって」

「え?」

「いいから、行って」

 強引に彼を送り出すサトミ。

 その剣幕に押されてか、神代さん達も慌てて後を追う。


「あなたも、大丈夫?」

「まあね」

 控え室の椅子を片付けながら会話を交わす私達。

 受付の女の子達も後片付けを済ませ、一足先に帰っている。

 例の息子も帰った後で、残っている人は誰もいない。

「ショウの態度もおかしいし、何があったの」

「自分の意見を持ちたいらしいよ」

 この間の話を、かいつまんで説明する。

 するとサトミは肩をすくめ、たたんだ椅子を雑に壁へ寄せた。

「そんな事が言える程、自分の考えがある子じゃないわよ。悪い意味じゃなくて、ショウは人に合わせるタイプなんだから」

「最近色々あったし、成長したんじゃない」

「ユウはそう思うの」

「思いたい」

 椅子を静かに置き、壁へもたてれ窓の外を横目に眺める。

 土曜日で学校は休み。

 外は明るくて、日差しも暖かくて。

 何となく、ため息が漏れる。

「あまりふざけた態度を取るなら、私から一言言うわよ」

「いいわよ。別に間違った事を言ってる訳じゃないんだし」

「だからって、人を傷つける理由にはならないわ」

「大袈裟だって」

 笑顔を作り、椅子を片付け始める。

 内心の痛みを隠すように。 

 サトミには分かってしまう気持ちを。

「自信を持つのは良い事だけど、少し勘違いしてないかしら」

「まさか。ショウだよ」

「真面目な人程陥りやすいの。あれだけの力を持っていて、今まで大人しかった方が不思議だわ」

「言い過ぎじゃない?」 

 まるで自分が責められているような気分になってくる。

 今までのショウとは違う態度。

 それを否定するサトミ。

 彼女にそのつもりはなくても、私にはそう聞こえるから。

 そして、彼がそうでは無いと思いたいから。

「勿論、さっき程度の事なら私も大して気にはならない。そのまま、良い方向へ自信を付けてくれるのならね」

「大丈夫大丈夫」

 サトミに背を向け、残りの椅子を片付けていく。

 彼女の視線を避けるように。

 心の中の思いを振り払うようにして……。



 日曜日。

 トレーニングセンターで軽く汗を流す。

 女子寮に併設されている施設で、ダイエット目的に頑張る子もいるようだ。

 基本的に男の子の立ち入りが禁止されているため、かなりリラックス出来る空間ともなっている。

「ふぅ」

 バーベル状のウェイトを、振りかぶってに持ち上げるマシーン。

 私は数回持ち上げるのがやっとで、重量も平均値を上回るかどうか。

 体型的に筋力は諦めているから、気にはならない。 

 それよりも瞬発力や柔軟性の方が、私にとっては大事だから。

 スポーツドリンクの入った水筒を手に取り、ストローをくわえる。

 程良い冷たさと酸味。

 疲れた体が癒えていく感覚。

 顔の汗をタオルで拭い、腕の辺りを軽く揉む。

「お疲れみたいね」

「モトちゃん」

 私の隣りに座る、Tシャツとスパッツ姿の彼女。

 長身でスタイルがいいので、様にはなっている。

 運動をさせると、目を覆いたくなるが。

「凝ってる?」

「大丈夫だって」

「そうみたいね」

 くすっと笑い、私の肩から手を離す。 

 サトミから昨日の事を聞いて、何か話しに来たのだろうか。

「生徒会長の話だけど」

「ああ、それか」

「他に何かあるの?」

 私はすぐに首を振り、適当に笑った。

 彼女も不審には思わない様子で、話を続ける。

「学校とやり合うらしいわね」

「まだ、はっきりとはしてないわよ。そう単純な人にも見えないし」

「そうね。ただあなたの所にいる……」

「モトちゃん」

 彼女の肩に手を置き、首を振る。

「私は神代さんを信じてる。どういう経緯で来たのかはともかく、今は私達の仲間よ」

「何かあっても、後悔しない?」

「するかも知れないけど、放り出すような真似は絶対にしない。それは小谷君もね」

「……あなたがその気なら、私が言う事は何もないわ」

 肩に置いた手がそっと外され、モトちゃんが立ち上がる。

 そしてさっき私がやっていたマシーンへ手を掛ける。


 ワイヤーの付いたグリップを握り、マシーンへ背を向けて振りかぶる動作を取る。

「あれ、動いた」

「あ、当たり前でしょ。こ、このくらい」

 息も絶え絶えな返事。  

 普段落ち着き払っている顔は必死の形相で、額にはもう汗が滲んでいる。

「私は5回だよ」

「じゃあ、私は……。くー」

 叫び声と共に重りが持ち上がり、カウンターが6を刻む

 運動が苦手で、こういうトレーニングも嫌いな方なのに。

 少し見直した。

 今の見た目は、見放したくなるけど。

「やるじゃない」

「あ、あなたよりは大きいんだし、このくらいはね」

「明日筋肉痛だって言わないでよ」

「後悔はしても、放り出すような真似はしないのよ」 

 どこかで聞いた事を言うモトちゃん。

 それはきっと私へも向けられているのだろう。

 彼女が私の上司に当たる以上、放り出すような真似はしないと。 

 私の行動で、後悔するような時が来ても。

「ありがとう」

「何が」

「こっちの話。はい、これ」

 さっきの水筒を彼女へ渡して、にこっと笑う。

 モトちゃんもにこっと笑い、ストローへ口を付けた。

「美味しい。でも、何だか懐かしい味がする」

「さすが。モトちゃんのお父さんからもらった、変な薬草入れてあるの」

「父の味、か」

 複雑な表情と共に、水筒を戻すモトちゃん。  

 わたしはもう一度ストローをくわえ、その酸味を味わった。

 微かな苦みも。

 普段は飲みづらい味。 

 でも、疲れ切った今にはちょうど良い。

 苦しい時に自分を助ける物は何なのかと、ふと考えさせられたりもする。


「カエル味じゃなくて助かった」

「え?」

「お父さん達結局カエル捕まえて、二人して食べてるのよ。わたしはそれを知らなくて、鶏の唐揚げだと思ったら」

 震える肩を抱きながら、首を振るモトちゃん。

 ちょ、ちょっと待って。

「あなたこの前、唐揚げ持ってこなかった?サトミと食べろって」

「友達じゃない」

「誰もそんな事は聞いてないわよ。あれは何っ」

「聞きたい?」 

 怖い事を言ってきた。

 優しい、優し過ぎる微笑みで。

 そう、冷静になろう。

 慌てちゃ駄目なんだ。

 それが私の悪いところ。

「淡泊で、鶏と似てるのよね」

「聞いてないっ」

 彼女をどかしてグリップを手に取り、ぐいぐい引っ張り始める。

 マシーンの方を向いたまま、両手で。

 何だかもう、動いていないとどうかなりそうだ。

「あら、すごい。100kgだって」

「くー」

 足を踏ん張り、さらに引っ張っていく。

 するとモトちゃんが、一言呟いた。

「カエルみたいな格好」

 やや開き気味の膝、落ちた腰。

 緑のTシャツ。

「冗談じゃないわよっ」

「本当に」 

 薄く微笑むモトちゃん。

 満足げと言ってもいい。

 仲間を見つけた、熱い眼差し。



 世の中、知らなくて事がたくさんあるようだ。

 悩みの材料も。 

 少なくとも今の私にとっては、ショウとの事以上の問題。

 カエルなんて、冗談じゃない。

 しかも。

 あんなに美味しいなんて。

 もうあの味は、忘れられない。

 カエルの味として。




 マシーンの数値が自己ベストを刻み、モトちゃんの声援がどこか遠くで聞こえている。

 後悔のしようもない、下らない悩み。

 そして軽くなる、胸の中。

 それをモトちゃんに感謝する。

 恨みより、少し上回るくらいに。

 もう少し他の慰め方があるでしょと、疲労感以上の脱力感と共に。 









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