13-1
肌寒さも和らぎ、日だまりの中では緑が芽吹き始める頃。
赤らんだ頬と、輝く瞳。
紺のブレザーに身を包み、溌剌とした表情を浮かべる新入生達。
そんな彼等を見ていると、こちらまで嬉しくなってくる。
草薙高校入学式。
その警備を命じられ、式場の一角に配置された私。
最初は面倒かとも思ったけど、こういった光景を見ているとそんな気分もどこかへ消えてしまう。
「何か、いいよね」
「ああ」
その一言で、優しく頷いてくれるショウ。
気持ちが通じたと思える瞬間。
つい笑顔が浮かぶ。
「サトミは」
「寮で寝てる。やる気無いのよ、あの子は」
「普段通りとも言えるけどな」
周囲を気にして、トーンを落として喋る私達。
ただ新入生や在校生もざわついてるため、それ程は目立たない。
緊張感に欠けるとも言える。
「……静かにするように」
やや甲高い、しかしよく通る声。
壇上にいた生徒会長が、挨拶を中断して注意したのだ。
騒いでいた生徒は全員押し黙り、顔を伏せる。
「当校は自主性を重んじる。話を聞かないのも、何をするのも個人の自由だ。その責任を取るという前提において。私は型通りの挨拶をしただけだが、その数分も我慢出来ない程切羽詰まった状況があったのかどうか。それでも話したいのなら、好きにしてくれ」
水を打ったように静まりかえる講堂内。
生徒会長は式壇を軽く拳で叩き、その前を指差した。
「意見があるなら、ここで言ってくれ。その程度も出来ないなら、後で文句を言うな」
当然壇上には誰一人出ていかず、沈黙だけがそれに応える。
「私のやり方に不満ならば、生徒会へ申し出てくれ。すぐに推薦文を書き、他校への転校手続きを取る準備がある」
「会長、その辺でいいでしょう」
柔らかく彼を止める副会長。
人のいい笑顔を浮かべた彼は、そのまま前へ向き直った。
「勿論、今の話は何一つとして冗談ではありませんので。転校だけではなく、退学の手続きも受け付けています。会長、続きをどうぞ」
会長は苦笑して、挨拶の続きを始めた。
そして生徒達は静かに、彼の話に耳を傾ける。
「怖いね」
「俺達も、黙るとするか」
顔を見合わせ笑う私達。
緊迫感に欠けるのは自分達かな。
でも、ここにいないサトミよりはましだ。
春の、心地よい日溜まりの中。
入学式は滞りなく進んでいく……。
スクールガーディアンズ 2年編
13-1
ドアの前に立つ。
スライドしないドア。
やはり手動らしい。
「ぐー」
ドアに爪を立て、手で開ける。
「これって、嫌がらせ?」
「誰の」
素っ気なく返してくるケイ。
式場にいないと思ったら、こんな所にいた。
それでも学校にいるだけ、サトミよりはましか。
「荷物とか、手続きは」
「全部やらせて頂きました」
差し出されるチェック済みの書類。
私はそれを押し戻し、新しく割り振られたオフィス内を見渡す。
「あまり変わらないね」
「いい部屋は、全部生徒会が抑えてる。でも、廊下に荷物を広げるよりはましだろ」
「そうだけど、もう一部屋くらい欲しいじゃない」
「何のために」
真顔で見つめてくるケイ。
答えに詰まる私。
「いいだろ。住めば都って言うし」
優しくフォローしてくれるショウ。
良家のおぼっちゃまとは思えない発言だ。
「どうでもいいよ。それより、サトミは」
「寮で寝てる」
「進級した自覚がない女だな。なってない」
「お前が言うな」
軽くケイへ突っ込んだショウは、部屋の隅へ行って私物をロッカーへ詰めだした。
半分がトレーニング器具で、後は着替え。
私の場合は、缶詰だったりもする。
モモ缶が美味しいのよ。
「ここは、誰の管轄なの?」
「連合は、モト。生徒会ガーディアンズは、丹下。二重に抑え込まれてる」
「そういう訳でも、無いとも言えないけど」
一概に否定出来ないので、つい口ごもる。
2年になった私達の新しい管轄ブロックは、G棟A-2。
モトちゃんはA-1で、G棟のガーディアン連合を統括する立場。
なおかつ木之本君同様、塩田さんの補佐。
沙紀ちゃんもA-1で、G棟全体のガーディアンを統括する立場。
言ってみれば二人とも大幹部。
私達は、相変わらずの平隊員。
気楽でいいけどね。
ちなみに生徒会ガーディアンズA-2隊長は沢さんで、その副隊長が七尾君。
フォースが、生徒会ガーディアンズに統合された結果である。
私達への、もう一つの重しかもしれない。
「……お早う」
気だるげな挨拶と共に入ってくる、制服姿の美少女。
長い黒髪と、切れ長の綺麗な瞳。
細い顎が髪を滑らせ、その美しさを引き立てる。
などと、見取れている場合でもない。
「今頃来ないでよ」
「警備なんて、聞いてなかったもの。私は色々忙しいの」
「何が」
「その、お昼前まで寝るとか」
言い訳力0だな。
サトミはケイが差し出したマグカップを両手で包み、眠そうに紅茶をすすっている。
「ぬるいわよ」
「その方が飲みやすいだろ」
「石田三成じゃあるまいし」
くすっと笑い、それでも美味しそうに紅茶を飲むサトミ。
ケイはキッチンへ戻り、黙々と自分の分を作っている。
「結局、何してたんだ」
「寝てたわよ」
「それ以外は?」
「だから、寝てたの」
刺々しく返すサトミ。
多分、少し恥ずかしいのだろう。
ただショウは、「そうですか」と答えて小さくなった。
「いじめないでよ」
「こんなに強い人を、どうやって」
「いじめじゃなくて、いびりだろ」
コンロの前で、後ろを向いたままぽつりと呟くケイ。
サトミが眉間にしわを寄せたが、見えてはいない。
そのために、向こうを向いているとも言える。
そうやってのんきに話していると、インターフォンが鳴った。
ノックしないし、勝手に入ってこない。
それだけで、知り合いではないと判断出来る。
「どうぞ」
よそ行きの声で答えると、少しの間があってドアが開けられた。
「失礼します」
遠慮気味に入ってきたのは、やや長身の男の子。
凛々しいと例えてもいい顔立ちと、バランスの取れた体型。
立っている様も隙はなく、格闘技経験者だと見て取れる。
そういう見方をする必要も無いけどね。
「何か、トラブルでもあった?」
「い、いえ。ここって、ガーディアン連合のオフィスですよね」
「ええ」
「エアリアルガーディアンズの」
頷いた私を見て、顔を赤らめる男の子。
サトミの眼差しは、醒めた色合いへと変わる。
次の言葉を予期していたかのように。
「お、俺。エアリアルガーディアンズに入りたいんです」
中等部の頃から、年に数回こういう子はいた。
長くて一週間、短ければ数時間で帰っていく。
私達がいじめた訳ではない。
襲われたり現場でトラブルに巻き込まれている内に、向こうから申し出てくるのだ。
後輩が少ないのは、そういった理由もあると思う。
「A-1に元野智美という子がいるから、そちらへどうぞ。彼女はガーディアン連合の幹部で、ガーディアンになりたいのならその方が早いわ」
柔らかい仕草でドアを手で示すサトミ。
婉曲な拒絶とも言える。
しかし男の子は即座に首を振り、数歩前に出た。
「俺は、エアリアルガーディアンズに入りたいんです」
「下らない評判を聞いてきたんだろうけど、あなた自身のためにもならないわ」
「いえ。俺は本気です。何があっても、絶対に辞めません」
「ですって。リーダー、どうします」
任せるというサトミの顔。
私はショウに視線を向ける。
彼も、同じような顔。
参ったな。
「私達と一緒にいても、いい事はないわよ。怪我するし、逆恨みされるし。手当も少なくて、こんな狭い所に押し込められて。本当、何のためにガーディアンやってるんだろ……」
「ユウ、そういう話じゃない」
困惑気味に私の方をつつくショウ。
そうだった。
「と、とにかく、A-1へ行って。生徒会ガーディアンズが難しいなら、今言った元野さんの所で話を聞いてくれるから」
「俺、彼女の後輩なんです」
「え?」
私のみならず、サトミとショウも表情を変える。
モトちゃんの後輩なら、私達も顔を合わせている。
人数が多いとはいえ、忘れるはずはない。
その疑問に気付いたのか、彼は笑顔で手を振った。
「俺は去年、彼女が所属していたガーディアンに入ったんです。だから元野さんとは、面識が殆ど無いんですけど」
「そうなんだ」
「ただそこにいた、浦田永理さんにみなさんの話を聞いて。是非、入りたいと思ったんです」
再び表情を変える私とショウ。
サトミは目線で私達を制し、コンロの前に立っているケイへ声を掛けた。
「あなたもこっちへ来て」
「はいはい」
飄々とした態度でやってくるケイ。
しかし男の子は彼を見ても、何の反応も示さない。
「君、名前は」
「小谷 透です」
「止めた方がいい、小谷君。無理というか、絶対後悔する」
「どうしてそんな事を言えるんですか。大体あなたは、誰なんです」
サトミの視線を受け、口を閉ざす私とショウ。
ケイは鼻で笑い、袖口に付けているガーディアンのIDを指差した。
「彼女達の知り合いで、蒲田。IDはガーディアン連合だけど、生徒会にも籍がある」
「あ、はい」
「君の志望理由や、話を聞いても仕方ない。それよりも、この子達と一緒にやっていける能力があるかって話」
ショウを指差し、席を立たせる蒲田君。
彼をそのまま間へ歩かせ、小谷君と向き合わせる。
「この子が、有名な玲阿四葉君。名前くらいは聞いてるだろ。顔も知ってるかな」
「え、ええ」
「勝てとは言わない。それなりにやり合えたら、俺も君を推薦するよ。玲阿君、軽く頼む」
「あ、ああ」
蒲田君は腕を組み、小谷君へ視線を向けた。
「格闘技は、何が得意?」
「柔術と、空手を少し」
「分かった」
ソファーに毛布を敷き、そこにショウを寝かせる蒲田君。
小谷君をその上にまたがらせ、小さく頷く。
「古いスタイルだけど、マウントポジションだ。柔術にとっては、必勝とも言える形」
「ええ、まあ」
「これで、玲阿君に勝てると思う?」
「自信はないですけど、当てるくらいなら」
蒲田君は鼻で笑い、ショウの顔を指差した。
「じゃあ、寸止めで」
「あ、はい」
「用意、初め」
ショウの準備も待たず、勝手に始められる勝負。
振り下ろされる、かなりの速度を持った拳の連打。
だがそれは、一つとして当たらない。
首を振り、腕を動かし正確に跳ね返していくショウ。
下になっているため、上体は殆ど動かせない。
それでもショウは、難なくそれらをかわす。
対照的に小谷君の息は上がり、拳も速度を落としていく。
「玲阿君、反撃を」
蒲田君がそう言った途端、カウンターで小谷君の顎にショウの拳が突きつけられる。
不利な体勢、かなりの距離、相手のブロック。
それらを意に介さない、模範のような一撃。
実戦なら、結果は言うまでもない。
「ちなみに彼なら、足を振って首を刈る事も出来る」
「で、ですけど」
「実力が違い過ぎるって?じゃあ自分より強い奴が暴れたら、そう言い訳する?相手が強くて、手出し出来ませんでしたって。遠野さん」
「勝てないなら迷わず武器を使う。それを卑怯と思うなら、ガーディアンをやる必要もない。例えば、今腰に下がっている警棒は何なのかという事」
淡々と答えるサトミ。
ショウは自分の上からどいた小谷君の肩に触れ、優しく慰めている。
「普通のガーディアンなら、俺もここまでは言わない。ただこの子達は、そういう場面に出会う機会が多いから敢えて忠告した」
「で、でも」
「今度は、俺とやろうか」
キッチンへ行き、割り箸を持って戻ってくる蒲田君。
先が少し濡れている。
「これをナイフと見立てる。君の服が濡れたら、切られたという事」
「は、はい」
「ちなみに俺は、大した腕じゃない。だからといって、油断もしないように」
「は、はい」
身構える小谷君。
つま先立ちの、動きやすい構え。
蒲田君との距離は、約2m。
踏み込んで、当たるかどうか。
「行くよ」
軽い調子で告げる蒲田君。
緊張した面持ちで頷く小谷君。
だが勝負は、一瞬にして決まる。
蒲田君が割り箸を振りかぶり、すぐにそれを放ったのだ。
直線を描き、小谷君の胸元へ当たる割り箸。
ブレザーに染みが出来、割り箸が床へと落ちる。
「はい、終わり」
「そ、そんな」
「飛び道具を持ってる奴もいる。そのくらいは知ってるだろ」
「で、ですけど」
肩を落とす小谷君。
蒲田君は醒めた眼差しで、そんな彼を見据える。
「済みません」
爽やかな声と共に入ってくる、ポニーテールの少女。
「こんにちは。狭いね、ここ」
「生徒会がいい場所を取ってるらしいわ」
「だったら、遠野ちゃんも生徒会に入る?」
笑顔で切り返す沙紀ちゃん。
サトミもくすっと笑い、彼女に椅子を勧めた。
「取り込み中みたいだけど」
「いいの。それより、何か用?」
「ええ。浦田に少し手伝ってもらおうと思って。どこいくの」
ドアを出かけていたケイに声が掛かる。
目を丸くする小谷君。
そんな彼を、サトミは醒めた眼差しで捉え続ける。
「あ、あなたが浦田さんのお兄さん?」
「それは、大学院にいる。俺は知らない」
「え、でも。双子で、あれ?い、いや。写真やビデオは見たんですけど、目立たない顔で……。す、済みません」
「謝ってもらう必要もない。丹下」
「分かった。じゃあ、みんなまた後で」
書類を手に、部屋を出ていく二人。
後に残された小谷君は、呆然気味にドアの方を見やっている。
「あ、あの」
「今日は取りあえず帰って。話があるのなら、また明日にしてくれないかしら」
やや素っ気なく応対するサトミ。
小谷君はぎこちなく頷き、小声で挨拶をして部屋を出ていった。
「もう少し、優しくしてやれよ。動きは固かったけど、あいつ本気でやれば相当強いぞ」
「だからあなたは、人が良いって言われるの」
「何か企んでるとでも?」
「ケイの顔も知らないで、永理の先輩もないわよ。勿論目立たない子だから、一概に否定は出来ないけど。それともわざととぼけてるのか。どちらにしろ、気は許さない事ね」
あくまでもサトミは冷静だ。
ただ私としては、そこまで疑いたくないという気持ちもある。
私達に憧れたと言った時の、彼の表情。
そして、その言葉まで疑りたくはなかったから。
何となく淀んだ雰囲気の中、ドアがノックされた。
インターフォンを押さないから、知り合いだろうか。
「開いてます」
「……失礼します」
入ってきたのは、沙紀ちゃんに負けないくらいの大柄な女の子。
綺麗で精悍な顔立ちと、ウェーブの掛かった明るい茶髪。
ブレザーの下に着ているシャツは胸元が開けられて、大きな胸がのぞけそうだ。
健康的に焼けた肌の色が、目に眩しい。
「何よ」
愛想無く尋ねてしまう私。
すると女の子は、慌てて頭を下げて書類を机に置いた。
「す、済みません。これ、預かって来たんで」
「サトミー」
「はいはい。……あなたを、ここで指導するようにと書いてあるわ。つまり、研修ね」
上目遣いで、女の子と書類を見つめるサトミ。
先程の醒めた態度とも違う、相手の資質を探るような視線。
少女は赤い顔で、それを受け止めている。
何となく怖そうな子だけれど、意外と素直なんだろうか。
「ユウ、どうする」
「研修って、塩田さんが決めたのなら私はかまわないけど」
「あ、ありがとうございます」
深く、ちょっと雑に頭を下げる女の子。
私は彼女の肩に触れて、慌てて手を振った。
「いいって。そんな事しなくても。さっきはごめん、愛想無くしちゃって」
「い、いえ。あたしこそ」
「へへ」
恐縮する女の子の肩にもう一度触れる。
胸が大きい?背が高い?
それが何だって言うのよ。
こんなにいい子じゃない。
「すぐ態度が変わるんだから」
「あ?」
「こっちの話。それで、あなた名前は」
「神代直樹です」
「そう、神代さん。紹介するわね。彼女が雪野優で、ここのリーダー。彼が玲阿四葉。聞いてるだろうけど、学校最強の男の子。それで私は遠野聡美。雑用係よ」
冗談っぽいサトミの口調にも、神代さんはぎこちなく頭を下げている。
少し緊張しているようだ。
「そんなに固くならなくても。何か、変な話でも聞いた?」
「あ、あたしは他校からの編入なんですけど、多少」
今度は私が、ぎこちなく頭を下げる。
「それは噂に過ぎませんです。見ての通りの、こじんまりした体制でやってます」
「は、はい」
頭を下げ合う私達。
ショウが苦笑して、間に入った。
「もういいだろ。それより、ケイも呼ぶか」
「忙しいから、後でいいわ。それで研修だけれど、これから私達と一緒にやるという事?」
サトミのさりげない質問に、神代さんは大きく手を振った。
「あたしは少しここで、勉強するよう言われてるだけで。みなさんには、全然及びませんから」
「データで行くと、事務方なのね。その体型からいって、現場タイプにも見えるけれど」
「ケンカは、全然弱いんです」
少し寂しげな表情。
視線が伏せられる前に、サトミの手が伸びる。
「そんなの弱くたっていいじゃない。強くたって、何の自慢にもならないわ」
「は、はい」
「という訳だ。事務が得意なら、俺よりも優秀って事か」
「私よりもね……」
声を上げて笑う私達。
神代さんも、遠慮気味に顔をほころばせる。
「俺のリュックって、こっちに」
ペンを片手に入ってくるケイ。
慌てて彼に向き直る神代さん。
視線を合わす二人。
「また、入門希望者?」
「彼女は研修よ。彼が浦田珪。頭はおかしいけど、事務は得意だから」
「は、はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ」
丁寧に会釈して、机の上にあったリュックを取るケイ。
だが手に付かず、床へと落ちる。
「何やってんだ」
「逃げるんだよ、こいつが」
「逃がしてるんだろ、お前が」
ショウに手渡され鼻を鳴らしたケイは、神代さんのデータが書かれた書類に目を通した。
「優秀だね、なかなか」
「皮肉ですか」
やや厳しい口調で、尋ねる神代さん。
ケイは肩をすくめ、書類を彼女へ手渡した。
「まさか。資格も持ってて、中学校でも実績を上げてる。本当に、そう思っただけさ」
「不良娘がっていう意味じゃないんですか」
しかし神代さんは、あくまで食ってかかる。
「どうしたんだよ、急に」
「そういうのには慣れてるんですよ。白い目で見られるのも、馬鹿にされるのも」
「誤解だって。サトミ」
「神代さん。彼も本当に、悪気があって言った訳ではないのよ」
「はい……」
不承不承といった態度で頷く神代さん。
ケイは肩をすくめ、リュックを背負った。
「俺は邪魔みたいだから、今日は向こうにいる。何かあったら呼んで」
「ええ。丹下ちゃんによろしく」
手を振り部屋を出て行くケイ。
そのドアを、険しい表情で睨む神代さん。
本当に突然の変化。
おそらく彼女の、触れられたくない部分を刺激してしまったんだろうけど。
「あれは、よくないよ」
さすがにたしなめる私。
神代さんもそれは分かってるのか、恐縮した表情で頭を下げた。
「済みません。私、変な事言って。本当に、済みません」
「私に謝っても。とにかく、今度あの子に会ったらもう少し愛想良くね」
「はあ」
それは気にくわないのか、曖昧な返事が返ってきた。
彼女にも今のような考えがあるだろうし、無理に謝らせる事もない。
ケイも、気にしてないだろうし。
少しずつ、誤解を解いていくとしよう。
「冷たい事を言うなら、その外見を何とかするのね」
「サトミ」
「でも、それは変えたくない。だったら、むやみに怒らない。分かった、神代さん?」
「は、はい」
素直に頷く神代さん。
サトミは優しく微笑み、彼女の肩へ触れた。
「お姉さんは優しいね」
「あなたにも優しいわよ」
「俺には厳しいぞ」
「そういう事をするからでしょ」
再び起きる笑い声。
さっきよりも笑顔が膨らむ神代さん。
ただケイとの関係はどうなるのか、それが笑顔を浮かべる私の胸には残っていた……。
入学式や新学期といっても事前にオリエーテーションが1週間程組まれていて、授業の開始は勿論、生徒会や委員会への所属はすでに決まっている。
部活も仮入部での登録が始まっていて、SDC主催が主催する講堂での勧誘演説もそれを補うような物。
塩田さん達が行動したした結果の生徒組織改革は中等部にも及んでいて、高等部に入ってもスムーズに移行出来ると思う。
「こ、こんにちは」
私がオフィスに来ると、慌てた様子で神代さんが席を立った。
昨日同じ、胸元を大きく開けた制服姿。
多分きついんだろうな。
私がやったら、ずり落ちてくるけど……。
「いいよ、座ってて。お茶飲む?」
「え、いえ。その。はい、頂きます」
「緊張しないでよ。そんなに私達の評判って悪いの?」
「逆です。あたしは他校からの編入ですけど、色々話を聞いて尊敬してるんです」
恥ずかしそうにそう呟く神代さん。
こちらが逆に恥ずかしい。
「ふーん、字上手いね」
「そんな」
「本当、本当。私はちゃかついてるから、すぐ間違えるの」
キータイプはともかく、手書きはとにかく気を遣う。
「ケイよりはましだけどね。ほら、昨日の浦田君」
「ああ」
神代さんの笑顔が硬くなる。
まだ気にしているようだ。
「悪い子じゃないよ。いい子でもないけど」
「はい」
「それで、何か連絡は?」
「自警局から1件。現在ある備品のリストを提出してくれとの事で、私なりにまとめてみました」
差し出されるリスト。
書いてある。
オフィス内にある備品が、多分全部書いてある。
多分というのは、私が把握していないから。
「すごいね。サトミに再チェックしてもらうけど、これでいいと思うよ」
「ありがとうございます」
可愛らしい笑顔で会釈する神代さん。
外見は自分で言っていた通り少し悪っぽいが、こうして笑うと普通の女の子だ。
「他のみなさんは」
「みなさん……。すぐ来るよ」
と言ってる間に、サトミとショウが入ってきた。
紙袋付きで。
「何それ」
「食べ物ではいのは確かね」
「改正された自警局のマニュアル」
「なんだ」
鼻を鳴らして、雑誌に視線を落とす。
規則が変わっても、私は変わらない。
別に格好いい理由ではなく、何が変わったか分からないから。
「眠い」
ぽそりと呟きながら入ってくるケイ。
神代さんが表情を変えるが、私とサトミの視線を受けて小さく頷く。
「これ、規則改正後の新マニュアル」
「ああ」
サトミから紙袋を受け取り、ケイは厚めの冊子を読み始めた。
何が面白いのか、一人で笑っている。
「ご感想は?」
「慣習になってるのを、文章化しただけだ。自警局もこんなの作る暇があるなら、装備を無料で貸し出すシステムを考えろって」
「私に言わないで」
「あ、そう。とにかく、読む必要はない」
机の上に放り出される紙袋。
たまたまそれは神代さんの前に滑っていき、彼女も遠慮気味に読み始めた。
「……本当に、分かってるんですか」
「尋問のマニュアル化と、拘束の新しい手続き法。警察じゃないんだから、アバウトでいいんだよ」
「具体的に何が変わったかを聞いてるんです」
あくまでも追求する神代さん。
ケイも昨日の事が頭にあるのか、落ち着いた態度で端末とTVをリンクさせた。
「手短に、尋問の方だけ。今まではIDチェックと、当人に問題行動を質問。それに対して、立会人が一人以上。勿論、それらは記録する」
「それで」
「今回からはIDでチェックした情報を、すぐに自警局へ連絡。場合によっては彼等のモニター監視による尋問。尋問者の発言は自警局員がチェックし、不穏当な場合は謝罪。また当事者の行動が問題と思われた場合は、即座に警察へ通報」
書類を見ないまま、淡々と答えていくケイ。
それ程長い間チェックしていたようには見えないが、マニュアルがある程度は頭に入っているのだろう。
「とはいえ所詮は形式。自警局でチェックするには事件が多過ぎて、結局は今まで通り現場任せさ」
「随分、事務方を馬鹿にしてるんですね」
「どうも、俺の言う事は気にくわないみたいだな。という訳で、後はサトミに聞いてくれ」
ケイは神代さんを避けるようにして、窓際に置いてある椅子へと向かった。
彼の指定席とも言える場所へ。
そして神代さんの前には、サトミが立つ。
切れ長の綺麗な瞳が、鋭さを持って彼女に向けられる。
「あなたは、昨日の話を聞いて無かったの?しかも自分で尋ねておいて、あの言い方は無いわよ」
「す、済みません」
「いいわ。あの子も気にしてはいないから。ただ、いつもああではないからそれも覚えておいて」
「は、はい」
恐縮して小さくなる神代さん。
ケイへとは全然態度が違うな。
分からなくも無いけど。
「で、研修って何やるんだ」
「全部私達に一任されてる。取りあえず、パトロールかしら」
「ああ。ケイ、行くぞ」
うっそり立ち上がるケイ。
私もスティックを、背中のアタッチメントに付けて立ち上がる。
新学期だし、気合いを入れるとするか。
空回りしない程度に……。
人で溢れる廊下。
楽しげな会話と笑い声。
喧騒と人の波。
この辺りは2年のクラスが多くて、新学期といって浮かれるとは思えないんだけど。
とはいえ、気持ちは分からなくもない。
そんなみんなの笑顔とは対照的に、緊張気味の神代さん。
動きは固く、周囲を見る視線は不安そうだ。
「大丈夫だって。何かあったら、私達がやるから」
「は、はい」
「原因になるって事はあるけどな」
「嫌な事言わないでよ」
ショウの脇に拳を軽く当て、後ろの様子を見る。
少し離れて付いてくるケイ。
彼ではない、付いてくる気配を少し感じたので。
「どう思う?」
「問題ないだろ。尾行って程度だ」
「な、何の話ですか?」
慌てて体を寄せてくる神代さん。
私が尾行されていると告げると、一気に表情が青ざめた。
「大丈夫?サトミッ」
「少し休みましょ。この先に、ガーディアンのオフィスがあるから。ショウ、手貸してあげて」
「い、いえ。いいです」
「遠慮しないで」
今にも倒れそうな彼女の腕を取り、ゆっくりと歩き出すショウ。
私とサトミは前に出て、人をどかしていく。
神代さんは困惑気味だけど、それに構ってる場合ではない。
とにかく、急ぐとしよう。
顔色の悪い彼女を奥の部屋に寝かせ、私達はお茶を前にしていた。
「医療部に行かなくて大丈夫か」
「精神的な物だと思うわ。理由も何となく分かってる」
静かに語るサトミ。
私は彼女が寝ている部屋のドアを見つめ、ため息を付いた。
「パトロールに出て、失敗かな。事務方なのは、それが嫌だから?」
「さあな。無理してパトロールをする必要もないし、今日は休ませようぜ」
ショウは軽く伸びをして、椅子の足を浮かせた。
その微妙なバランスを保ち、ふらふらと遊んでいる。
「器用ね」
くすっと笑い、私達の前に座る沙紀ちゃん。
その隣には、モトちゃんと木之本君もいる。
「彼女は誰なの」
「研修生。聞いてないの?」
「さて。元野さんは?」
「何となくは。生徒会長の意向だとか」
モトちゃんの台詞に、木之本君も頷いている。
「え、塩田さんじゃなくて?」
「その辺りは、僕達も分からない。研修先を、雪野さん達に指定してきただけだから」
「ふーん。よく分からないけど、大丈夫かな」
「本当。あの子が危ない目に遭わないか心配だね」
嫌な事言う子だな。
しかも当たってるだけに、返す言葉がない。
「背景におかしな点はないし、心理テストの結果も良好。会った印象も悪くない。私は問題なしと思ったから、承認したのよ」
「モトが承認って、そんなに偉いのか?」
「私はこのG棟における連合の全ガーディアンを、統括する立場。ちなみに私がミスした場合は、生徒会ガーディアンズG棟隊長である丹下さんの責任に」
楽しそうに沙紀ちゃんをつつくモトちゃん。
沙紀ちゃんは苦笑して、ケイを指差した。
「私はともかくとして、彼女と揉めてるんでしょ。向こうが一方的にとは聞いてるけど」
「どうせ俺は嫌われ者なんだ」
「その内いい事があるよ、浦田君」
「そう慰められると、余計に落ち込む」
木之本君を暗い眼差しで見つめ、小さなため息を付いた。
彼は彼なりに、気にしてるんだろうか。
この子も人間だから、そのくらいの神経はあるだろう。
というか、あってほしい。
「入門希望者は?」
「今日は来てない。来るかどうかも、分からない」
「ショウがやり過ぎたんだ」
「やらしたのはお前だろ」
座ったまま拳をやり合う二人。
でも一方的にケイがやられて終わり。
殴られた訳ではなくて、全部寸止めだけどね。
「ここも後輩がいるのかしら」
「ええ。一人紹介しようか。チィちゃーん」
そう沙紀ちゃんが叫ぶと、どこから軽快な足音が聞こえてきた。
短めのお下げに、大きな瞳。
柔らかそうな頬と、低めの鼻に緩んだ口元。
私程ではないが、小柄な女の子が駆け足でやってきた。
「何ですか、隊長」
「それは止めてよ。彼女は渡瀬千恵ちゃん。中等部で、私の後輩だったの」
「よろしくお願いします」
「それでこの人達は、エアリアルガーディアンズ」
「あ、そういえば」
手を叩き、笑顔で距離を詰めてくる女の子。
動作の一つ一つが可愛いな。
「お噂は、かねがね。中等部では地区が違いましたけど、尊敬してたんです。沙紀先輩の、憧れの人達ですし」
「すごいわね、雪野さん」
ニヤニヤと笑う、元野さん。
全く、他人事だと思って。
「私達なんて、本当に大した事無いから。そこに座ってる、ニコニコお姉さんの方が偉くて立派だし」
「はい」
素直な返事と、愛くるしい笑顔。
何か、きゅっと抱きしめたくなるね。
「少し、静かに喋ったら」
不意に口を開くケイ。
全員の視線が彼へと向けられる。
「奥で寝てるんだろ、まだ」
「あ、済みません」
小声で謝る渡瀬さん。
申し訳なさ一杯といった表情で頭を下げ、部屋の隅へと歩き出した。
「いじめるなよ」
「知るか。今年の1年っていうのは、全部ああなのか?」
まさかケイも、そこまでなるとは思ってもいなかったのだろう。
気にした様子で、寂しげな後ろ姿を視線で追う。
「大丈夫。あの子、切り替えが早いから」
「ユウみたいね。でもこの子は、少し内省的かしら」
人を分析するサトミ。
それに頷くみんな。
そういう目で見られていたのか。
確かに、いじけ癖はあるよな。
本当、直らないよね。
はぁ……。
というのが、よくないんだ。
「うあー」
「な、なに。急に」
「いや。意味はないけど、自分なりに景気づけを」
「最悪ね」
全く友達甲斐の無い事を言ってくれるサトミ。
「だから、うるさいって」
ケイが無愛想に私をたしなめてくる。
神代さんに邪険な態度を取られているのに、これだ。
「そう気にしなくても、あの部屋は防音設備が整ってるわ」
「感情的な事を言ってる。自分が気分を悪くして寝てるのに他人が騒いでたら、面白くはない」
「意外とまともな事言うのね」
「俺はいつでもまともだよ」
沙紀ちゃんにそう答え、本を読み出すケイ。
それが本当なら、こっちも助かるけどね。
「大体あの子は、どうして急にああなったの?」
「プライベートな事よ。プロフィールくらい読んだら」
サトミが差し出した書類に目を通し、ショウにも渡す。
「別に、これといって書いてないぞ」
「だよね」
「中2の項目欄。怪我で短期間入院とあるわ。それまでは現場にも出ていたのに、それ以降は事務のみ」
白い指先が書類の上を滑り、彼女の資格欄に流れていく。
「事務の資格は複数持っているけど、格闘技は研修のみ。勿論事務方では珍しくないにしろ、その研修もぎりぎりの合格ライン。と、モトのように推理してみました」
「何よ、それ。本人にも事情はあるでしょうし、しばらくはそっとしておいてあげれば」
柔らかく微笑むモトちゃん。
彼女にはある程度、その事情が分かっているようだ。
私も全く分からない訳ではないので、素直に頷く。
「でも、浦田君は相変わらずだね」
「どうせ俺は嫌われ者だよ」
「敵意を出しやすい相手じゃないのかな。逆説的な意味で、親近感を抱いてるとか」
「まさか。いじめやすい相手だと思ってるだけだろ」
そうじゃないよと言いたげな木之本君。
私こそ彼に、そうじゃないよと言ってあげたい。
本当に、人がいいんだから。
「小谷君って知ってる?例の入門希望者なんだけど」
「……聞いた事あるような」
「中等部で、僕達がいたガーディアンズに去年入った子だよ。一緒には仕事をしてないけど、顔くらいは知ってる」
「そういえば、そんな子もいたか」
木之本君の補足に、何度も頷くモトちゃん。
「どう思う」
「漠然とした質問ね。そういう子は、たまに来るでしょ」
「サトミが、怪しいっていうから」
「その可能性があると言ったの」
肩をすくめるサトミに、私は机を指で叩いた。
「だって神代さんには優しいじゃない」
「あなたは、どうなの」
「私は、あの子好きよ」
「好みは聞いてないわ」
今度はサトミが机を指で叩く。
やられると、結構威圧感があるな。
「悪い子でもないと、私は思う」
「根拠は」
「無い」
もう机も叩かれない。
見てもくれない。
「そうやって人を信じるのが、ユウのいいところだよ」
冷たい視線の中、優しい事を言ってくれるショウ。
木之本君も、「そうそう」と頷いている。
私も嬉しくなって、へへと笑う。
3人で笑う。
「底抜け脳天気トリオだな」
嫌な事を言う人は放っておく。
「大体ユウは、どうしたいの」
「分からないわよ。それに、今日はまだ来てないし」
腕を組み、少し唸る。
サトミの言っている事は分かる。
ただ、それをすぐには認めたくない。
自分達を慕っていると言ってくる人を、疑うなんて。
それが甘いと思う自分。
以前ならもっとサトミに反発しただろう。
でも今は、彼女の言う事がより理解出来る。
だから、悩む。
結局、自分で決めるしかないと分かっている分。
「今度来たら、一緒に仕事をしてもらう。何かあっても、その責任は私が取る」
席を立ち、机に手を付きみんなと目を合わせる。
不安、困惑、諦め。
伝わってくる、幾つもの感情。
しかし私を止める声は、誰も上げようとしない。
それは私を信頼しているからなのか、言い出したら聞かないと思っているのか。
とにかく口にしたからには、私はそれを果たすだけだ。
「あなたは進歩しないわね」
ため息を付き、前髪をかき上げるサトミ。
「悪い?」
「そう答えると分かってたから、別に」
「そう思った根拠は」
「無いわよ」
朗らかに笑って、私の手を取るサトミ。
私も彼女の手を、そっと握り返す。
意見は違っても、気持ちは同じだから。
「全く、分かってても爆弾を抱え込むんだから」
呆れるモトちゃんと、優しく微笑んでいる木之本君。
「それで、実際の所はどうなの」
「さあね。俺は知らん」
あくまでも素っ気ないケイ。
沙紀ちゃんは、そんな彼に呆れている。
「間違ってるかな」
「それは後で考えればいいさ。今は、ユウのやりたいようにすれば」
肩に置かれる大きな手。
確かにそうだ。
後でどうなろうとも、どういう結果になろうとも。
結局は拭えない私の甘さだとしても。
それを受け入れてくれる人への、さらなる甘えだとしても。
今の気持ちに素直でいたい。
私に出来る、数少ない事。
それを為し遂げたい。