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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第12話   1年編最終話
130/596

エピソード(外伝) 12-1 ~ユウ視点~





     家族




      前編




 一車両の半分を占めるコンパートメント席。

 洋酒が並んだ棚や高級食材の入った冷蔵庫。

 備え付けの家具は素人目にも一流品で、正直触るのも怖いくらい。

「早いなー」

 窓に両手を付き、流れていく光景を見続けるヒカル。

 名古屋を出発してから、殆どその場を動かない。

 飽きてよね。

「済みません、騒がしくて」 

 白いブラウスに紺のタイトスカート姿のサトミが、恐縮気味に頭を下げる。

「気にしなくていい。確かに早いから」

 少し上げられる、赤のキャップ。

 いつも通りの、Gジャンにジーンズ。

 舞地さんは鋭い目元を和らげ、グラスへ口を付けた。

「でも、ここって高いんでしょ」

「100往復出来るくらいは稼いでる」

 さらりと返ってくる答え。

 あながち冗談ではないので、こちらとしては笑うしかない。

 リニアは一路東を目指す。

 舞地さんの実家へと。



 お供は、私とサトミとヒカル。

 他の人達はそれぞれ忙しくて、今回はパス。

 春休みだっていうのに、何をやってるんだか。

 東京でリニアを降り、今度は北へ。

 風景に緑が増え始め、開けた窓からは清々しい風が吹き込んでくる。

 しかし駅弁を買う間もなく、電車はホームへと滑り込む。

 名古屋を出てから、まだどれだけも経っていないのに。

「少し街だね」

 ホームから見える、幾つかのビル。 

 駅前には商店街もあるようで、それなりの活気はあるようだ。

 ただ遠くに山の尾根が見えるあたり、遠くに来たなとも実感させられる。


 すたすた歩いていく舞地さんについて、改札を出る。

 タクシーが並ぶ駅前のロータリー。

 ホームから見えていた商店街は、古くてどこか懐かしい感じ。

「ここから、どうやっていくの」

「少し遠いから、バスかタクシーで……」

 そう舞地さんが言った途端、私達の前に黒塗りの大型車が横付けされた。

 戸惑う私をよそに運転席から降りてきたのは、実直そうな初老の男性。

 紺のスーツに、白い手袋。

 まるでお抱え運転手みたいだ。

「お嬢様」 

 なるほど、お迎えか。

 私もそう呼ばれてみたいね。

 というか、そのお嬢様を見てみたい。

 しかし周りには誰一人としていなく、バッグを持ち続ける私達だけ。

「こちらは、お友達の方ですか」

 誰に話してるんだろう、この人は。

 人違いですよと言おうとしたら、舞地さんが私の前に出た。

「そうだけど。どうしてここに」

「JL(Japan Linear network・日本リニア網)から連絡がありまして」

「余計な事を。大体個人情報なのに」

 淡々と会話を交わす二人。

 知り合いのようだ。

 というか、もしかして。

「あの、一つ聞いてもいいですか」

「駄目」

「舞地さんには聞いてないわよ。その、お嬢様っていうのは」

「真理依お嬢様の事ですか」

 胸を反らし、誇らしげに言ってのける初老の男性。

 対照的に眉をひそめる舞地さん。

 いや、真理依お嬢様。



 そういえば、駅員さんや車掌さんが妙に低姿勢だったな。

 あれはコンパートメント席を使っていたからだと思っていたんだけど。

 しかし、どうも信じれない。

 こうして大きな屋敷の前に立っていても、まだ信じられない。

「タヌキ御殿?」

「あなた、何言ってるの」

「春の夜の夢では無さそうだね」

 小道の左右に広がる、日本庭園風の景色。

 周りを囲む、高い木々。

 どこからか聞こえるのは、小鳥のさえずりだろうか。

 ショウの実家も大きいが、広さでは段違いだ。

「舞地さんって、お金持ちだったんだね。いや、大金持ちかな」

 一人先を行く舞地さんはキャップに手を触れ、少しだけ足を緩めた。

「明治の殖産興業で財を成したとは聞いてる。今でもこの地方の大半は、何らかの形で影響を受けている。経済、政治の両面で」

「ふーん。お嬢様、か」

「それはもういい」

 何となく照れ気味の口調。

 再び早まる歩み。

 私はサトミの耳元に顔を寄せ、小声で尋ねた。

「ねえ、本当かな?」

「あなたも人を信じない子ね。現にこうして屋敷があって庭もあって、リムジンに乗ってきたじゃない」

「ユウは現実的なんだよ。タヌキは人を化かすからね」

 私もそうだけど、この人も相当だな。

 しかし、いつ着くんだ……。


 電車に乗っていたより長く感じたが、どうにか屋敷へと上がった私達。

 広い玄関にはお手伝いさんらしき人がずらりと並び、その手前にはスーツ姿の男性が居並んでいる。

 そして中央に立つ、紺の和服を着た精悍な顔立ちの男性。

 隣には楚々とした雰囲気の、優しそうな女性が一歩下がって控えている。

「ただいま帰りました」

 一礼する舞地さん。

 私達もそれに合わせて、頭を下げる。

「とにかく上がりなさい。みなさんも、さあどうぞ」

 重々しい、宣託のような口調。

 きびきびとした動きで土間を上がった舞地さんに付いて、慌てて私達も後へ続く。


 やはり広い、和風の客間。

 大きな座卓と、床の間の掛け軸。

 縁側からは先程の日本庭園とは違う、一面の芝生が見て取れる。

 そこで戯れる、何匹もの大型犬。

 テニスコートが何面取れるかというレベルだ。

 何かもう、どうでも良くなってきた。

「さっきのが、お父さん?」

「ああ」

 素っ気ない返事。 

 仲が悪いとは言っていないが、家族という言葉とはかけ離れた二人の会話。

 少し、胸が痛む。

「他に家族は?」

「兄が一人と」

「妹が一人」

 ふすまが開き、可愛らしい顔立ちの女の子が入ってきた。

 肩辺りまでの柔らかそうな髪と、鋭さを湛えた綺麗な瞳。

 間違いなく、舞地さんの妹だろう。

華蓮かれんだ。こちらは、雪野さんに遠野さん、それと浦田君」

「よろしく。姉さん、もっと帰ってきなさいよ」

「ここは遠い」

「姉さんが家を出ていってくれれば、私は財産が増えて助かるけれど」

 怖い事を言い、くすくす笑い出す華蓮さん。  

 舞地さんは怒る様子もなく、机に置いたキャップを撫でている。

「とはいえ私は、その辺のおぼっちゃまと結婚させられる運命なのよね。ふらふら遊んでる姉さんが羨ましいわ」

「だったら、一緒に来る?」

「まさか。私みたいな世間知らずが通用する訳無いわよ。あるのはお金だけで、能力も経験も何もないんだから」

 非常に冷静な自己分析。

 しかし自虐的ではなく、あくまでも自分を静かに見つめているといった態度。

 その辺りは舞地さんに似ているようであり、また違うようでもある。

「姉さんも、いつまでそんな事やってるの。高校は、もう卒業でしょ」

「卒業したら止める」

「何が楽しくてやってるの。お母さんも心配してるのに」

 ため息を付く華蓮さん。

 舞地さんは肩をすくめ、束ねていた髪を解いた。

 黒髪が横へ広がり、いつもとは違う雰囲気の彼女が現れる。

「だから、こうして帰ってきた」

「いつも側にいなさいっていう意味。分かってる?」

「ああ」

 強い調子でたしなめられ、殊勝な顔で頷く舞地さん。

 どちらが姉だか分からないな。

「それじゃみなさん、また後で。姉さん、お父さんともちゃんと話してよ」

「ああ」

「もう。普通に返事して」

 顔をしかめ、それでも私達に頭を下げて客間を出ていく華蓮さん。


 息を付く間もなく、今度は精悍な顔立ちの青年が入ってきた。 

 左右に分けたやや長めの髪と、若干甘さが漂う精悍な顔立ち。

 ノーネクタイのスーツ姿で、やや長身。 

 20過ぎといった所か。 

「みなさん初めまして。真理依の兄で、一磨かずまと申します」

 丁寧に頭を下げる一磨さん。

 私達もそれに倣い、舞地さんもうっそりと頭を下げる。

 確か二人とも、玄関で見た気はする。

「名古屋と比べれば退屈でしょうけど、ゆっくりしていって下さい」

「あ、はい。ありがとうございます」

「父が田舎名士なので、多少の無理もききます。何かあったら、遠慮無く真理依か家の者に伝えてください」

 どう答えていいのか難しい台詞。

 困惑気味の私に気を遣ってか、サトミが薄く微笑んだ。

「先程も舞地さんから伺いましたが、北関東の舞地家といえば中央政界にも影響力のある名門。田舎名士は言い過ぎではありませんか?」

「事実ですよ。所詮は明治からの成金。金があり目端の利く人間が何人か出たから、多少の影響力があるだけで」

「ご謙遜を。私も舞地さんが、舞地家の直系だとは思いませんでしたけどね」

 くすりと笑うサトミ。

 真理依さんは落ち着き無げに、頬の辺りを触れている。

「そういえば、名前を伺ってませんでしたね」

「私は遠野聡美。彼女が雪野優で、彼は浦田光です」

 一つ一つ頷いていく一磨さん。


「遠野さんは」

「聡美で結構です」

「……聡美さんは、成績が優秀なようですね」

「どうしてそれを」

「全国でもトップランクにある高校生なら、田舎名士の元にも情報が来ます」

 座卓の上に置かれる何枚かの書類。

 文面を読む限り、教育庁が作成した極秘のファイルらしい。 

「情報が簡単に漏れてるんですね。プライバシー保護法も、公務員倫理法もどこへいったんだか」

「政治の貧困と官僚の腐敗。こればかりは、いつまで経っても無くならない」

「それを利用して、舞地家があると?」

「聡美失礼だよ。済みません、失礼な事を申し上げて」

 真剣な顔で謝る光。 

 聡美も不承不承といった表情で、口元を動かす。

「いえ、構いません。仰る通りですから」

「しかしこれは面白いですね。性格分析は、いまいち甘いですけど」

「何よ、それ」

 言ってる側から肯定するサトミ。

 全く、仲がいいんだから。

「真理依、母さんが服を見立ててくれるそうだから行ってきて」

「服はあるけど」

「母さんの気持ちも汲んでやれ。ほら」

「あ、はい」

 素直に頷いて客間を出ていく舞地さん。

 少し普段とは違う態度で、ここが彼女の実家なんだと気付かされる。


「あれも、もう少しここへ帰ってくるといいんですけどね」

「はあ」

「華蓮は分け前が増えると冗談めかして言ってますが、やはり家族ですから。巣立ちするには、まだ早いと思うんですよ。……済みません、下らない事を聞かせてしまって」

「い、いえ」

 一磨さんはサトミのデータが書類をまとめ、芝が見える窓辺へと立った。

「真理依がここを出ていって、もう5年になります。何不自由なく、大切に育てられてきたのに」

 静かな、落ち着いた口調。 

 背中越しに声が伝わるだけで、彼の表情は窓ガラスにも映り込まない。

「それを気にしてか真理依は父と距離を置き、父もまた家を出ていった娘と距離を置く。これこそ、下らない話です」

「聞いていいのか分からないんですが、どうして舞地さんは家を出たんですか?」

「精神的な自由が欲しかったんでしょう。舞地家の長女として見られる生活ではなく、ただの舞地真理依として生きる人生が。辛くても苦しくても、そういう道を選んだんだと俺は思ってます」

 窓を滑る指先。 

 上げられる顔。

 今日も空は良く晴れていて、でもその日差しは部屋に入ってこない。


「子供なら、一度は夢見るような話です。俺は舞地家の跡取りという立場が頭にあったので、真理依の背中を見送る事しか出来ませんでしたが」

「そうですか……」

「ただ、母さんや華蓮は今でも心配しています。食事は取れているか、寝る場所はあるか、怪我はしていないか。それが家族なんですよね」

 小さくなる声。

 下がる顔。

「父も、真理依の事が心配なんです。ただあの子が自分の意志でここを出ていった以上、それを認める訳には行かなくて」

「家族では無いんですか」 

 強い口調で問い詰めるサトミ。 

 一磨さんは後ろ向きのまま、頷いた。

「みなさんには馬鹿げてる話でしょうが、真理依の父であると同時に舞地家の長でもあるんです。家で娘を心配する子煩悩な父親という絵は、難しいんですよね。特に、こういった古い因習が残る田舎では。家長は絶対であり、子はそれに従うべきであるという」

「下らない話ですね」

「聡美。済みません、再三」

 丁寧に頭を下げるヒカルだったが、彼の表情からいつもの柔和さが薄れている。

「僕も舞地さん同様、出奔した身でして。ただ彼女程確かな意志があった訳ではなく、単に父を嫌っただけですけどね」

「そうでしたか」

「だから僕に意見を言う権利は無いんですが、やっぱり家族は大切だと思いますよ」

 一瞬サトミの横顔を捉え、そのまま席を立つヒカル。

「済みませんが、東京の大学に少し用がありまして。僕はここで」

「急がれるんですか?」

「申し訳ありません。時間が空きましたら、また寄らせて頂きます」 

 ヒカルは一礼すると、慌ただしく客間を出ていった。

 それを見送る事無く、遠い目付きで座卓を見つめるサトミ。 

 いや。

 彼女の視点は、もっと先の何かを捉えているのだろう。

 何なのかは私なりに分かっているが、あえて問いただす事でもない。

「彼の宿泊先は決まってるんですか?」

「大学に施設はあるし、野宿も平気な子ですから」

「面白いですね、雪野さん」 

 軽く笑い飛ばす一磨さん。

 冗談ではないんだけど、彼はそう取ったようだ。

「誰かに送らせて、ホテルを手配します。彼の気分を害さない程度に」

「え?」

「いえ、こちらの話です」

 一磨さんは曖昧に微笑み、端末で連絡を取りだした。

 サトミはその間も、ぼんやりと座卓を眺めている。

 私はすっかりぬるくなったお茶をすすりながら、予定外の行動を取ったヒカルの事を考えていた……。



 豪勢な食事も済み、檜造りの大きな湯船に浸かる私。

 舞地さんのお父さんは仕事が忙しいらしく、食卓には姿を見せなかった。

 本当にそうなのか彼女を避けているのかは、分からないが。

 与えられた部屋は広くて何でも揃っているし、待遇も申し分ない。 

 ただ、多少の居心地の悪さがあるのも否めない。

 それはこの家の格式という事だけではなく、舞地さんとお父さんの事。

 きっとその事に引っかかりを覚え、帰ってしまったヒカル。

 未だに心ここにあらずといったサトミ。

 ため息混じりに肩まで浸かり、そのまま泳ぎ出す。

 プールとまでは行かないが、私一人が使うにはあまりにも大きな湯船。 

 勿論浴室自体も。

 冗談ではなく、ここへ住んでもいいくらいだ。


「お邪魔します」

 そう言うや、タオルを片手に提げた女の子が入ってきた。

「え?」

 戸惑う間もなくシャワーを浴び、女の子は湯船に足を浸ける。

「ぬるいかな」

「熱いわよ」

「そう?」

 朗らかに笑い、全身を浸かる華蓮さん。 

 舞地さんとは違って、社交的な性格のようだ。

「聡美さんは、元気が無いみたいだけど」

「あの子も多少事情がね。少し、そっとしておいてあげて」

「はい、分かりました。背中でも流しましょうか」

「お嬢様が?」

 私が顔をしかめるのも構わず、人を引っ張り出して鏡の前に座らせた。

「肌のきめが細かいですね」

「体が貧弱な分、そっちでカバーしてるの」

「彼氏とかいます?」

「さあ。いるといいね」 

 曖昧に答え、蛇口から出したお湯で顔を洗う。

 すぐ顔に出るからな。

「聡美さんと、さっき帰った男の子は付き合ってるんですよね」

「世界の七不思議よ。ヒカルには、その内天罰が下るわ。天が裁かないなら、私が裁く」

「はあ」

 湯気にかすむ鏡の向こうで、戸惑い気味に私を見つめてくる華蓮さん。 

 殆ど初対面の子に言う台詞じゃなかったかな。

「仲、いいですよね。優さんと、聡美さんって」

「んー、中学校からの知り合いだから。私のお姉さんみたいなもの」

「へえ」

 背中に掛けられるお湯が肌を伝い、その温もりが心地いい。

「ありがとう。じゃあ、私も」

「いいですよ」

「遠慮しないの。この三助にお任せあれ」

 額にタオルを巻き、自分の体をペタペタ叩く。

 形から入るのよ、私は。


「優さんって、いつも楽しそうですね。いえ、皮肉じゃなくって」

「深刻になる時もあるけど、長続きしないの。しかし、あなた何才よ」

「14です。姉さんと3つ違い。兄さんとは、8つ」

「私とは2つか。おかしいな」

 どう見ても私以上に発育した体型。

 勿論子供っぽさは残っているものの、私に比べれば何の不自由もしていない。 

 お金はある、名誉も地位もある、胸もある。

「何が不満なのよ」

「はい?」

「い、いや。こんないい所から出ていくなんて、舞地さんも贅沢だなと思って」

「姉さんは自立心が強いんです。それと家出した頃は、財産を巡って少し揉めてたそうです。それを嫌って家を出たのもあると、兄さんが言ってました」

 なる程。

 舞地さんらしいといえば、らしい。

 中学生になったばかりの少女が考える発想かどうかは、ともかくとして。


「姉さんとお父さんは似てるんです。自分の意見を押し通して、でもそれを人には言わなくて。頑固というか、何というか」

「あなたは?」

「私はお母さんにかな。結構いい加減で、適当だから」

「落ち着いた感じに見えるけど」

 湯船の中で激しく首を振る華蓮さん。 

 いいけど、飛沫がかかる。

「あの人もいい所のお嬢さんで、それの良い部分だけで出来てるんです。おおらかで、のんきで、人が良くて」

「ふーん」

「自分の親に対して言う事じゃないですけど」

 少しはにかんだ華蓮さんは、お湯をすくって顔を派手に洗い出した。

 だから、飛沫が飛ぶっていうの。

「ヒカルもそういうタイプだよ。さっき帰っていた男の子」

「へえ。だから聡美さんと合うのかも。彼女、思い詰めるタイプみたいだから」

「繊細なのよ。私とは違って」

「確かに体型はそうですね」

 冗談っぽく笑う華蓮さん。

 私も引きつった笑顔を浮かべ、湯船から上がる。 

 よく言えば繊細、分かりやすく言えば貧弱な体で。

「もう上がるんですか?」

「暑いの苦手なの」

「デザートを用意してありますから、食べてて下さい」

「いいのよ、気を遣わなくても。勿論、遣ってくれてもいいけど」

 楽しそうに笑う彼女へ手を振り、よろめき気味に脱衣所へと辿り着く。

 ビールの方がいいんだけど、という言葉を飲み込みながら。



 と思ったら、ビールもやってきた。

 これがまた、冷えてて美味しいんだ。

 一人でぐいぐい飲んでいたら、視界の隅にサトミが入った。 

 まだ気だるそうに、壁を見つめている。

 ご飯もあまり食べて無かったし、大丈夫かな。

「サトミ、お風呂は」

 無言で前を向くサトミ。

 仕方ないので、軽く肩をゆする。

「ちょっと」

「え?」 

 まるで、今目が覚めたという表情。 

 綺麗な顔が左右に動き、ため息が漏れる。

「光は、どこへ行ったの?」

「東京の大学」

「ああ。そういえば」

 それすら良く分かっていなかったようだ。

「飲む?」

 首を振り、グラスから顔を背けるサトミ。

 私は泡を少しだけ口にして、テーブルへと戻した。

「サトミの気持ちも分からなくはないけど」

「ごめんなさい。つい」

 うっすらと浮かぶ、寂しげな笑み。

 綺麗な彼女には似合っていて。 

 似合い過ぎていて、こっちまで寂しくなってくる。


「駄目ね、せっかく遊びに来たのに」

「気にしなくていいって。それよりも、お腹空いてない?」

「大丈夫。これ、少し食べるわ」

 皿に盛られたフルーツを、フォークで差して少しだけ食べる。

 食べたいからではなく、私の手前といった雰囲気で。

「やっぱりみんなで来た方がよかったのかな。まさか、ここまで重くなるとは思ってなかったから」

「そうかも知れない。特に、私は」

「また、そうやって。私の事落ち込むとか言っておいて、自分もそうじゃない」

 サトミは微かに頷き、フォークを置いた。

「結局引きずってるのよ。親の事を」

「その辺りは、私にはちょっと分からないんだけど」

「ユウのお父さんとお母さんは、素敵だもの」

 一瞬浮かぶ、可愛らしい笑顔。 

 だがそれは、すぐに氷のような表情に取って代わる。    

「私の親とは違ってね」

「サトミ」

「ごめんなさい。いつも、同じ事ばかり言って」

「それはいいけど。お風呂入ってきたら?」

 視線を窓へと向けるサトミ。

 日はすでに落ち、外の景色は全く見えない。

 いつもとは違う、室内の眺め。

 彼女の気分が不安定なのも、多少はそれが関係しているのだろう。

「温泉なんだって、ここのお風呂。広いしいい香りだし、気持ちいいよ」

「あまり、そういう気分じゃないのよね」

「だから入るんじゃない」

「でも」

 面倒げに首を振るサトミ。

 どうも、かなり疲れている様子だ。

 肉体的にではなく、精神的に。

「もう寝る?」

「そうね」

「だったら」


 室内にある備え付けの端末を手に取ると、赤いワンピースを着た舞地さんが入ってきた。

 髪は後ろに伸ばされ、黒のチョーカーまで付けている。

「お、お嬢様」

 ひっくり返って大笑いする私。

 さすがにサトミもそれには驚いたらしく、私を叩きながら笑いを堪えている。

「そんなにおかしい?」

 困惑気味に、膝まで出た素足を撫でる舞地さん。

「似合ってるよ。ただ、見慣れないから。写真、写真と」

 カメラを手に取り、彼女が身構えるより先にシャッターを何度か切る。

 これはもう、絶対部屋に飾ろう。

「本当に素敵ですよ。お母様の見立てですか」

「ああ。いくら何でも、これは無いって言ったのに」

「いいじゃないですか。お母様の気持ちは、良く分かります」

「そうかな」

 しきりに襟元のチョーカーへ触れる舞地さん。

 苦しいというより、慣れないので気になるのだろう。

「私はそういう記憶がないですから、余計に」

「……済まない」

 頭を下げようとする舞地さんに、サトミは手を振ってそれを止めさせた。

「下らないひがみですから、聞き流して下さい。ユウなんてもう、気にもしませんよ」

「私は気にする」

「ありがとうございます」

 今度はサトミが頭を下げ、少しだけ微笑んだ。

「調子が良くないみたいだけど。医者を呼ぶ?」

「いえ。そこまでは。精神的な問題ですし」

「自分で分かってるのなら、大丈夫」

 優しく微笑み、手にしていたタオルをサトミへ放る舞地さん。

 戸惑う彼女をよそに、舞地さんは自分が入ってきたふすまを指差した。

「お風呂へ行こうか」



 暑い。

 暑過ぎる。

 さすがに湯船には入らなくて、大きな窓を開けて夜風を呼び込む。

 外には高い植え込みがあり、見られる心配は何もない。

 見られる程でもないという意見は、聞き流す。

「クシュッ」

 少し冷えた。

 仕方ないので、結局湯船に入る。

 今日はよく眠れそうだ。

「意外と大きいんですね」

「遠野には負ける」

「またまた」

 楽しげに会話を交わす二人。

 私は加わる気にもなれず、湯船から上がって足だけを浸ける。

 本当、隠す所がないよね……。

「舞地さんは、ここへは戻らないんですか?」

「父が、それを許さない限りは」

「でも、お母様や華蓮さん達は待ってますよ」

「勝手に飛び出したという負い目もある。こうして帰ってくる事自体、父はどう思ってるか」 

 苦笑気味に答える舞地さん。

 サトミは湯船から上がり、私の隣へ腰を下ろした。

 白い肌を滑っていくお湯の珠。

 濡れた黒髪が体に纏い、言いしれない艶やかさを醸し出す。

「私は逆で親に売られた立場なんですけど、同じ立場ならもっとここへは帰ってきます。待っていてくれる人がいるのなら」

「歓迎しない人もいる」

「そうかも知れません。でも、待っている人もいるんです。その気持ちも、分かりますよね」

 静かに、心を込めて語るサトミ。

 舞地さんは湯船の中で立ち上がり、濡れた黒髪をかき上げた。

 お湯を弾く綺麗な肌、柔らかなボディライン、赤らんだ頬。 

 だが表情は、窓の外にある闇へと消えている。

「分かっていても、どうしようもない事もある。私の気持ちだけでは、どうにもならない」

「そうでしょうか」

「遠野の気持ちは嬉しいし、そう出来たら私も嬉しい。でも父は、それを許していない」

 自嘲気味な呟き。

 夜風が吹き抜け、素肌を晒した私達を過ぎていく。

 冷やしていく。


「お母様や華蓮さんの気持はどうなるんです」

 あくまでも食い下がるサトミ。

 舞地さんは首を振り、お湯に浮かんでいたリモコンで窓を閉めた。

「あの二人は優しいから、何でも気持だけで解決出来ると思ってる。あながち間違いとは言えないけど、私と父の間はそこまで単純でもない」

「一磨さんもですか?」

「兄さんは、父に従う。長男だし、いずれはこの舞地家を率いていく人だから。父の意見と変わらない」

「本当にそう思ってます?お父様の事も、一磨さんの事も」

 言葉は返らず、窓の閉まった浴室に湯元から湧き出るお湯の音が響く。

「舞地さん」

「父に立場があるように、兄にも立場がある。だから母さん達のように、私のわがままを笑って見過ごせない」

「家族なんですよ。血のつながった」

「どの家も雪野の所のように、暖かな環境とは限らない。特に田舎で、なまじ格式のある家は」

 抑えた、静かな口調。

 明かりの下に見える彼女の表情は、普段と変わらない冷静なもの。

 舞地さん自身の感情はともかくとして。

「私はそれ程困ってないし、こうしてたまには帰ってくる」

「そうですけど」

「遠野の言いたい事は良く分かる。たださっきも言ったように、私一人が空回りしても始まらない」

 少しだけ口元を緩め、サトミの頬へ手を当てて湯船を出る舞地さん。

 サトミはその頬に触れ、浴室を出ていく舞地さんに声を掛けた。

「だけど私は、家族と一緒にいるのが一番だと思います」

「そうね……」

 舞地さんの呟きと共にドアが閉まる。

 私も湯船から足を上げ、サトミの肩へ手を置いた。

「暑いし、もう出ようよ。舞地さんも、分かってるって言ってくれてるんだし」

「ええ」

 先程までよりは元気な表情。

 お風呂に入ったからか、それとも舞地さんと話をしたからか。

 どちらにしろ、いい事だ。

 やはりよろめく足でドアへ向かいながら、私はそう思った。

 自分が元気をなくしそうだなとも思いながら……。



 布団を並べ、サトミと一緒に寝る私。

 別々な寝室を用意すると言ってくれたんだけど、この方が落ち着くので。

 それはきっと、サトミもそうだろう。

「明日からどうするの」

 天井を見上げながら尋ねてくるサトミ。

 私は掛け布団の上に座り、首を振った。

「知らない街だし、特に名所もないって言ってた。ごろごろしてればいいんじゃないの」

「あなたはそれで楽しいだろうけど。私も、東京へ行けばよかったかしら」

「いいじゃない、たまには何もしなくても。美味しい物食べて、お風呂入ってれば」

「温泉旅館に来たんじゃないのよ」

 仕方ないといった顔でくすくす笑うサトミ。

 大分元気が戻ったようだ。

「でも、舞地さんの実家がこんなすごいとは思わなかった」

「舞地という名前は、聞いた事があったわ。北関東を中心とした財閥とでもいうのかしら。おそらく親戚が、国会の上院と下院にいるはずよ。いわば、この地方の小君主ね」

「ふーん。一平民の私には、ぴんと来ないけど」

「私もよ。舞地さんもそう思ったから、家を出たんじゃなくて」

 醒めた口調でそう呟き、室内で唯一灯っているスタンドに手をかざす。

 より陰影の出来る、サトミの顔。

 震える程に綺麗な、今日は少し寂しげな。


「いくら権力があっても、気持まで豊かになるとは限らない。ここの人はいい人ばかりみたいだけど」

「まあね。あのお父さんはともかくとして」

「娘より家が大事、か。聞きたくはなかったわ」

「一磨さんの話?」

 目線で肯定するサトミ。

 微かに鋭さを帯び、私が思わず息を呑むくらいの。

「そんな訳はないのよ。人よりも、家や自分達の名誉が大切なんて事は」

「分かるけどさ。舞地さんも言ってた通り、お父さんや一磨さんにも事情があるんでしょ」

「だとしても。帰ってきた娘にろくろく声も掛けないなんて。そして、それを肯定する兄なんて。冗談じゃないわ」

 お風呂へ入るまでの気だるさは完全に消え去り、青い炎のような怒りを放つサトミ。

 声は抑えられていて、表情も冷静さを失わない。

 だからこそ余計に、今の彼女の心境が理解出来る。


「確かに、そんな家なら帰ってこなくても正解よ」

「サトミ。言い過ぎじゃないの?」

「いいえ。光は怒って帰って済ませたけど、私はここまで出かかったわ。ふざけるんじゃないって」 

 冗談っぽくまなじりを上げ、喉を指差すサトミ。

 私は苦笑して、布団を被った彼女のお腹へ触れた。

「怒り虫でも住んでるの?」

「何、それ」

「知らないけど、すぐ怒るから」

「怒らないし、住んでない」  

 そう言うや、私のお腹を触りだした。

「それよりユウはどうなの。……出てない?」

「屈んでるからよ。失礼ね」

「でも、腹筋が無いじゃない。あれだけ鍛えてるのに」

「ボディービルダーじゃあるまいし。普段はふにゃふにゃしてるの」

 疑いの眼差しを向けてくるので、お腹に力を入れる。

 するとサトミは「ああ」とささやいて、脇腹に触れてきた。

 まだ疑ってるな。

 私も体勢が苦しいので、サトミの上に乗っかる。

「ほら」

「あ、本当。ちょっと、ショックだわ」

「何が」  

「私より、ウエストが細いのが」

 くすっと笑うサトミ。

 私もおかしくて、笑おうとした。


 でも笑顔は浮かばなかった。 

 いつの間にか開いていたふすま。

 そこに立つ、ブルーのパジャマを来た少女。

「華蓮さん」

「……失礼しました」 

 暗闇の中でもはっきりと分かるくらい赤い顔をして、一礼された。

 勘違いしてないか、この子。

「違うわよ。ただ、腹筋があるかどうかを見てただけだから」

「その格好で?」

 腰を引いてこちらを指差す華廉さん。

 布団の上、抱き合うような私達を。

 そう言われれば、そうだ。

 しかも暗いし。

 私でも疑う。

 というか、勝手に信じ込む。

「それで、何か用?」

 サトミの上から降り、布団の上にちょこんと座って彼女に尋ねる。

 可憐さんは後ろに持っていた枕を振り、曖昧に微笑んだ。

「よかったら一緒に寝ようと思ったんですけど、止めた方が良さそうですね」

「だから誤解だって。この子は彼氏がいるし、私だって……」

「私だって?」

 すかさず距離を詰めてくる華蓮さん。

 嫌な子だな。

「女の子に興味はないっていう意味」

「話の流れで行くと、好きな子がいる。もしくは、彼氏がいると聞こえましたけど」

「いないって。私みたいな子供、誰も相手にしないから」

 自虐的に笑い、私とサトミの間に座った華蓮さんを見やる。

 私よりもふくよかな胸と、大人びた顔立ち。

 2才年下というけれど、どうだ?

 私の方が、でも十分通る。


「せっかく舞地さんが帰ってきてるんだから、お姉さんと寝たらどう?」

 優しく促すサトミに、華蓮さんは首を振った。

「姉さんはまた帰ってくるけど、お二人はもうこないかも知れないじゃないですか」

「だからって、一緒に寝なくても。狭いし」

「あ、やっぱり」

 口元を抑え、私から飛び退く華蓮さん。

 何が、やっぱりだ。

「言ってなさいよ。とにかくサトミは私の所有物で、もし寝るのならあなたは私の隣り。これはもう、決まってるから」

「誰が決めたのよ。華蓮さん、構わないからこっちへ」

「はい」

 嬉しそうにサトミの布団へ滑り込む少女。

 自分の方が、やっぱりだ。

「何よ、もう。寂しいじゃない」

 仕方ないので私も布団に入り、じりじりと二人へ近付いていく。

「ちょっと、邪魔です」

「邪魔してるのよ。あー、狭い」

「部屋が広いのに、どうして3人が固まってるの」

 苦笑するサトミと、華蓮さんを挟んで寄り添う私達。

 旅先での楽しい一時。

 笑顔の戻ったサトミと、新しい友達との。

 嬉しそうにはしゃいでいる華蓮さんの横顔。 

 舞地さんにも似た顔が浮かべる、彼女は見せない表情。



 きっとこの子も、滅多には見せないだろう。

 だけど舞地さんが帰ってきた事に、それをお父さんの前では見せられないから。 

 舞地さんとこうする事も、許されてはいないからかもしれない。

 だからここで、笑っている。 

 私達に、見せてくれる。

 勝手な私の解釈かも知れない。

 それでも私の胸には、小さな痛みが感じられた。  






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