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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第12話   1年編最終話
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12-5






     12-5




 暖かい風と、澄みきった青空。

 なびく茶のショートカットをかき上げて、正門をくぐる。

 「学校法人草薙学園 高等部卒業式」

 そう書かれた大きな看板を視界に収めながら。

 いつもより多い、ブレザー姿の男女。

 晴れやかな笑顔と、どこか寂しげな表情。

 そんな彼等とは別に、スーツ姿の男女も大勢見える。 

 卒業生と、彼等の家族だろう。

 私はその間を通り過ぎ、笑い声を背に受けながら歩いていった。


 静まりかえった大講堂。

 階段上に備え付けられた椅子と、整えられた壇上。

 椅子は大まかに3ブロックへ分類され、大部分は卒業生と父兄、後は在校生が座る場所となっている。

 そこに入りきれない在校生の席も、別な講堂に用意されている。

 マイクや照明のチェックをする放送部員達。 

 私は最後尾の席を一つ一つチェックして歩いていった。

 ドアの位置、周囲に立つガーディアンや教職員、父兄の位置。

 昨日も見たが、念のためにもう一度。

 まさかとは思うが、不測の事態に備えるために。

「問題ないな」

 胸元のカメラを調整しつつ、そう呟くショウ。

 映像は、副会長執務室にいるサトミ達へと送られている。

 式典中近くにいるとはいえ、警戒は必要だ。

 また取り越し苦労で済めば、それに越した事はない。

「うん、大丈夫。戻ろう」



「わはは」

 笑っている人が何人か。

「何がおかしい」

 臙脂のネクタイを緩め、舌を鳴らす屋神さん。

 それをすぐに締め直す中川さん。

「似合ってるから、大丈夫です」

「わはは」

 天満さんは、相変わらず笑っている。

 ネクタイに、紺のブレザー、白のシャツ。

 別に変ではない。

 今までのワイルドな服装からすると、ちょっと違和感はあるけれど。

「式はどうなってる」

「参加者の入場が殆ど終わってます。屋神さんも、そろそろ」

 ドアを手で示し、促す副会長。

 屋神さんは喉元を気にしながら、そちらへと向かう。

「あなたに言うまでもないですが、出来るだけ穏便に」

「無理矢理連れ出して、何言ってるんだ。俺はずっと、大人しくしてるぞ」

「分かってますけどね。念のために、ガーディアンを周りに配置します」

「好きにしろ」

 軽い調子で答え、ドアを出ていく屋神さん。

「雪野さんも、お願いします」

「あ、はい」


 1万人単位の収容人数を誇る大講堂。

 今日は卒業生とその父兄、そして在校生でひしめき合っているだろうその施設。

 腕時計で時間を確認して、ドアへと張り付く。 

 少しのざわめきと、それと無い緊張感。 

 ドアの傍にいたサトミが、こちらに向かって一礼する。

「後は、屋神さんだけです」

「VIPだな、まるで」

「最後尾で壇上は見えにくいですが、ご了承下さい」

「分かってるよ」

 ドアを開けるサトミ。

 彼女に向かって小さく手を挙げ、それをくぐる屋神さん。

 私とサトミも、すぐ後へと続く。


 多少のざわめき。

 照明が落とされ、やや薄暗い講堂内。

 階段状の席は殆どが埋め尽くされ、ブレザー姿の生徒達が緊張の面持ちで中央の壇上を見つめている。

 メイン会場に入りきらない在校生や父兄は、また別な講堂でその壇上を見ている事だろう。

 音もなく歩いていく私達。

 ドアからすぐ側の、右隅の最後尾。 

 手を後ろで組んでいたショウが、こちらに向かって一礼する。

 彼にも手を挙げ、その空いていた席へと座る屋神さん。

 それに気付いた者は、殆どいない。

 またこの薄暗さでは、誰かもよく分からない。

 そして式が始まってしまえば、前を向くばかりだ。

 隣にいる三島さんと短く会話を交わし、屋神さんは腕を組んで背もたれに身を任せた。

 私も壁際にいるショウの隣りに収まり、辺りの様子を再度チェックする。

 特に危険な兆候はなく、教職員が近づいてくる様子もない。

 後は無事、式が進行していくのを願うだけだ。



 進行役が式の開始を告げ、全員での校歌が斉唱される。

 続いて卒業生首席が代表して、卒業証書を授与。

 学校長や父兄代表、出資企業、自治体からの祝辞と流れていく。

 厳かだが、少し退屈な時間。

 来賓者の紹介を聞き流しつつ、視線は周囲へ向け続ける。

 泣いている女の子、居眠りしている男の子、カメラを廻してる子もいたりする。

 高校の卒業式という、一度きりの思い出。

 それを色々な形で過ごす人達。

 屋神さんは席へ付いた時と変わらず、腕を組んだまま前を見据えている。 

 何一つ変わらない。 

 そして心の動きも読みとれない。

 ただ、彼に何か仕掛けてくるような人もいない。

 屋神さんがこの出席をどう思っているかはともかく、少し気が楽になる。


 来賓者の紹介が終わり、在校生送辞へと式は進行していく。

 壇上に見える、小さな人影。

 その上や講堂内のあちこちにある大型スクリーンには、セミロングの大人しそうな女の子が映し出されている。

 一礼した彼女は、拍手が静まるのを待って手にしていた白紙を広げた。

 今から読み上げる送辞が書かれてあるのだろう。

 しかし、言葉が出てこない。

 困惑。

 いや、うろたえる表情がモニターに映し出される。

 理由は分からない。

 ただ何かのトラブルで、彼女が送辞を読み上げられないのは確かだ。 

 進行役の人はしきりに辺りを見渡し、彼女の顔色は見る見る青ざめていく。

 ざわめき始める講堂内。 

 やがて野次が飛び、それが罵声へと変わるのに差して時間は掛からなかった。


 騒然となる雰囲気。 

 静止しようと訴える進行役の声は掻き消され、女の子は今にも倒れそうな顔色で式壇に手を付いている。

 それにも構わず騒ぎ続ける人達。

 張りつめていた緊張感が解け、一つの方向へと流れていく状態。

 棘々しさと敵意、この場のみの感情に身を任せていく人達。

 講堂内にいるガーディアンが耳元のインカムに手を当て、指示を仰ぐ。

 しかし行き違いがあるのか、難しい顔でマイクに怒鳴っている。

 そのインカムを捨てた数名は、警棒を抜く寸前だ。

 ますます脹らむ喧騒と苛立ち。

 それに押しつぶされそうになっている女の子。

 私が予想もしていなかった事態で、卒業式が崩れていく。

 暴動すら起きかねない、不穏な状態。

 しかしこれだけの騒ぎを、どうやって収めたらいいというのか。



 突然何かが爆発するような激しい音が、背後から聞こえる。

 叫び声が上がり、だがそれはすぐにかき消える。

 一瞬にして静まりかえる講堂内。

 喧騒も、苛立ちも、異様な高揚感も。

 もう存在はしない。

 そして全員の目が、音がした方向へと向けられる。

「静かにしろ」

 低い声、狼を思わせる精悍な顔立ち。

 ネクタイを緩め、講堂内を射殺すような眼差しで見渡す。

 屋神さんはスラックスに両手を入れ、外に倒れているドアの前で顎を逸らした。

 吹き込む風にたなびくジャケット。

 短い前髪が、横へ流れていく。

「文句がある奴は、前に出ろ。俺が相手をしてやる」

 圧倒的な自信と威圧感。

 側にいるだけで肌が刺すように痛い。

 誰もが視線を伏せ、息をひそめる程の迫力。

 屋神さんは構わず、一歩前へと踏み出した。 

 それだけで講堂内の空気が張りつめ、例えようのない緊張感が全体を包み込む。

 まるで一人一人と目を合わせるように、再び視線を動かしていく。

「読み出さないなら、何か困ってるんだとすぐに分かるだろ。そんな事も構わないのが、ここの卒業生か。ふざけやがって」

 壁を打つ裏拳。

 剥がれ落ちるコンクリート。

 噛みしめられる唇。


「な、何ですかあなたは」

 血相を変えて駆け寄ってくる、矢田自警局長。 

 ガーディアン全体を指揮する立場にあるので、今回の警備を担当しているのだ。

 どうでもいい事だが。

「余計なトラブルを起こさないで下さい」

 苛立ち気味に詰め寄る局長。 

 一応、彼の出席は分かっていたようだ。

 屋神さんは彼を見下ろし、拳を顎へと近付けた。

 局長は小さく叫んで、慌てて腰を引く。

「この程度か。自警局長の名が泣くぜ」

「なっ。大体あなたは、今日出席しないはずじゃ」

「誰が決めたんだ。お前か」

「い、いや。しかし、あなたの前歴からいって。その、悪い噂ばかりを」

 多少は事情を知っているらしい局長が口ごもる。

 屋神さんは鼻を鳴らして、髪をかき上げた。

「だったら元自警局長、屋神大として言わせてもらうぜ」

 顔色を変える局長と、やはりという雰囲気が漂う講堂内。

「これだけの騒ぎになるまで放っておいて、今頃登場か」

「ぼ、僕は自警局長であり、式の進行は運営企画局と内局と学校の……」

「そういう連中が対処出来ない場合のために、ガーディアンは存在する」

「で、ですが」

「お前が指示を出さないために、現場のガーディアンが自分で判断して動こうとした。その責任が自分に掛かるのを、覚悟の上で。分かるか、その意味が」 

 固められた拳が、自分の胸元へと押し付けられる。

 しかし屋神さんはそのまま怒りを爆発させる事もなく、局長から離れた。


「おい、誰か送辞のメモくらいは持ってるんだろ。それを、渡してやれ」

 彼の呼び掛けに、最前列辺りから数名が飛び出した。

 式壇に手を付いている彼女を励まし、何かを手渡している。

「あ、あの。だから僕は」

「黙れ」

 低い声でそう言い放ち、席に付く屋神さん。

 それを合図としたかのように、講堂内のざわめきも静まっていく。

 進行役が式の再開を告げ、拍手が起きる。

 緊張感からか、たどたどしく送辞を読み上げる女性。

 一言の会話も無く、彼女の言葉に耳を傾ける人達。

 さっきまでの喧騒は嘘のようで、卒業生を思う言葉だけが講堂内に広がっていく。

 屋神さんは腕を組み、先程と同じ姿勢で前を向いている。

 彼が何を思っているのかは、分からなかった。

 でも今は分かる気がする。

 私だけでなく、ここにいる全員が……。



 顔を真っ赤にして、深く頭を下げる女の子。

 彼女を罵倒する声は、どこからも上がらない。

 真摯な思いを伝えた彼女を湛える、暖かな拍手以外には。

 後ろから屋神さんの様子を窺うが、彼は腕を組んだまま動かない。

 ただ先程の怒りを引きずっているようには見えず、その意味では安心だ。

 彼を気にするような視線は時折見られても、突っかけてくる人間は出てこない。

 またそれを防ぐために、私達が配置されてもいる。

 その間にも壇上では、進行役が次へと式を進めている。

「卒業生答辞。卒業生代表、三島公威君」

 名前を呼ばれ、うっそりと立ち上がる三島さん。

 彼は通路側にいる屋神さんを立たせ、通路へと出た。

 だがそのまま歩き出しはせず、屋神さんの背中を押す。

「おい」

「喉の調子が悪い。代わりに読んでくれ」

 強引に渡される、白い紙。

 眉間にしわを寄せる屋神さん。

 ざわめきは拍手に取って代わり、それは徐々に大きくなっていく。

「俺が読んでどうする」

「卒業生の代表だからだ」

 そう呟き、彼の背中をもう一度押す三島さん。

 屋神さんも抵抗せず、通路を歩き出す。

 彼が壇上に着くまでの間、拍手が途切れる事は無かった。


「……俺がここにいる事自体、多少問題があるんだが。何人かの勧めと協力により、出席を決めた。その彼等と、俺を受け入れてくれたこの場にいる全員に感謝する」 

 壇上で一礼する屋神さん。 

 拍手が起き、それが静まるのを待って彼は答辞の書かれた紙を開いた。

「答辞。梅が散り桜が咲き誇る正門。3年前、私達はそこをくぐり……」




「……ご静聴、ありがとうございました。卒業生代表・熊、じゃなくて三島公威。代読、屋神大」 

 笑いが巻き起こる講堂内。

 笑っていないのは運動部らしい在校生と、三島さんくらいだ。

 屋神さんはそれが静まるのを待って、頭を下げた。

「最後に少し、俺から。さっきは下らない事を言って済まなかった。俺自身そんな事を言えた義理じゃないんだが、つい。悪かった

 もう一度頭を下げる屋神さん。 

 だが彼を非難する声は、どこからも上がらない。

 その名を呼ぶ事と、惜しみない拍手の他は。

 全員が席を立ち、赤らんだ頬で手を叩き続ける。

 先程の喧騒など比べものにならない高揚感と一体感。

 この場に、卒業式にふさわしい暖かな雰囲気。

 彼が自警局長や総務局長を辞めた理由を知る人は、殆どいないだろう。

 何かの複雑な事情があったとしか。

 でもここにいる全員が、きっと彼の事を分かってくれている。

 さっきの言葉、行動、態度。

 この人はずっと、あのままなんだと。

 この学校に入学してから、変わらないんだと。

 学校を思い、生徒を思い、その気持ちを貫き通した3年間。

 人には言えない事情や、辛い過去と、厳しい現実。

 それでも彼は学校に残り、非難を受ける立場にあっても自分を曲げなかった。

 強い、誰にも負けない強さを持っていたから。

 降り注ぐ拍手を、はにかみに受け止める屋神さん。

 壇上を降り通路を歩く彼に、卒業生のみならず在校生も頭を下げていく。

 拍手と、敬意に満ちた眼差しと共に。

 その時だった。



「……自警局長に敬礼っ」

 講堂内に響き渡る、澄んだ声。

 ブレザーに身を包み、彼の前に現れる塩田さん。

 姿勢を正し、揃えた人差し指と中指をこめかみに当てて。

 それに合わせて、全ガーディアンが姿勢を正して敬礼の仕草を取る。

「馬鹿野郎」

 苦笑して、塩田さんへ敬礼を返す屋神さん。

 一瞬視線をかわした二人は、屋神さんが歩き出す事でそれを終えた。

 その背中に向かい、敬礼を続ける塩田さん。

 通路に配置されたガーディアンは、全員敬礼で彼を見送る。

 生徒達からは拍手が続き、何度と無くその名前が呼ばれる。

 私達も姿勢を正し、壊れたドアの隣で敬礼をする。  

「世話になったな」

 小声で呟く屋神さん。

 春の風が、それを私の耳元へと運ぶ。

「そう仰って頂けて光栄です、自警局長」

「俺は、元だ」

「はい、自警局長」  

 もう屋神さんは何も言わない。

 優しい笑顔を浮かべ、ドアを出ていく。

 みんなの拍手と敬礼を受けて。 

 壇上では進行役が、式の終了を告げていた……。




 副会長執務室。

 拍手と歓声。

 だが、それを破る叫び声。

「い、痛い」

「何が敬礼、だ。格好付けやがって」

 塩田さんの首を抱え込む屋神さん。

 叫び声を上げる男の子と、楽しそうな男の子。

 仲のいい親友同士と言ってもいい光景。

 先日までのわだかまりや行き違いは、もうどこにも見られない。

 変に気を揉んでいた自分が、馬鹿馬鹿しく思えるくらいはしゃいでいて。

 副会長達も、半ば呆れ気味にその様子を眺めている。

「だ、だって。あんたは自警局長だろ」

「元、自警局長だ。それに、「お前」じゃないのか」

「先輩に、そんな口のきき方する訳ないって」

 悪びれず答える塩田さん。

 ようやく彼を解放した屋神さんは、鼻で笑い大きなデスクに腰掛けた。

「そこに座らないで下さい」

「知るか」

「全く、大人しくしろと言っておいたのに」

「卒業式だし、最後の思い出さ」

 ワイルドに微笑み、さらにネクタイを緩める屋神さん。

 みんなも仕方ないという顔で、笑顔を見せる。

「一人いないね」

 室内を見渡す天満さん。

 屋神さんと三島さん。 

 副会長達2年。 

 私達と、彼女の手伝いをしていたモトちゃんもいる。

 全員いる。

「ケイがいないな」

 ぽつりと漏らすショウ。

 ああ、そんな人もいたな。

「講堂にはいたわ。でしょ、モト」

「ガーディアンではなく、運営側で動いてたから。まだ向こうにいるのかも」

「私がここにいるんだから、浦田君がいる訳無いって」

 と仰る、運営企画局局長。

 正確には企画局局長で、運営局は兼任していないとの事。

 前任者の新妻さんにはまだまだ及ばないから、と以前言っていた。

 色んな意味で、この人もすごいと思うけどね。


「……ただいま戻りました」

 そこに、何となくややつれ気味のケイがやってきた。

 彼はそのまま奥へと進み、デスクに腰掛けている屋神さんの前に立つ。

 かなり険悪な表情で。 

 さっき彼が取った行動や雰囲気を見れば、私でも二の足を踏みたくなるくらい。

 しかしケイは、その場を離れない。

「何だよ」

 特に怒りもせず、冷静に尋ねる屋神さん。

 ケイの頬が少し動く。

「あなたがドアを蹴倒して壁を壊したので、教職員に説教喰らってました。請求はされなかったけど、ねちねち言ってくるしこっちは反論のしようがないし。あー」

 今さら怒りがこみ上げてきたのか、変な声を出すケイ。

 屋神さんは軽い調子で笑い、彼の胸を拳で突いた。

「痛いです」

「ああ、悪い。お詫びに、飲みに連れてってやるよ」

「俺、飲めませんから。それに、疲れた……」

 ソファーに腰を下ろし、ぐったりするケイ。 

 この人がここまでなるなんて、相当絞られたんだろうな。

 確かに、ドア全壊壁半壊。

 笑って済ませられる事ではない。

「ごめん浦田君。後で、ガム上げるから」

「みんなして、俺を馬鹿にしやがって……」

「だってあなた、馬鹿じゃない」

 冷静に指摘するサトミ。

 それに合わせて笑う私達。

 笑っていないのは、本人のケイだけ。

 いや、彼をからかい気味に慰めている沙紀ちゃんも。

 彼女の立場なら、笑えなくても仕方ないだろう。

 私は笑うけど。


 少し雰囲気が落ち着いたところで、私とサトミ達は一旦隣の控え室へと移動した。 

 お茶を変えるとか言って。

 そして準備を少し。

 私達が戻ると屋神さんは楽しそうに笑っていて、塩田さんも彼の側で笑顔を見せている。

 他の先輩達も変わらなく、暖かな雰囲気が室内を包み込んでいる。

 その中へと入っていく私達。

 屋神さんの前へと。

「あ、あの」

 代表して、先頭に立つ私。

 戸惑い気味の屋神さん。

 私は一礼して、抱えていた花束を差し出した。

「卒業、おめでとうございます」

 戸惑いが笑顔に変わり、はにかんだような表情へと移っていく。

 花束を受け取り、私の手をそっと握る屋神さん。 

 続いてサトミやモトちゃん、沙紀ちゃんも花束を渡す。

「……参ったな」 

 言葉に詰まり、視線が少し伏せられる。

 でもそれは一瞬で、顔が上がった時にはいつものワイルドな微笑みが浮かんでいた。

「見たか、三島。お前はむさ苦しい男達から、俺は可愛い女の子達からの花束。これが、俺とお前の差だ」

「勝手に言ってろ」

 苦笑する三島さん。 

 屋神さんが言った通り彼はSDCの人達から花束をもらっていたので、今回は遠慮した。

 それに屋神さんが卒業式に出るなんて知ってる人はいなかったから、私達だけでもという事もあった。

 同情や感傷かもしれない。

 でも紛れもない、私達の感謝の気持ち。

 学校を守ってくれた人への、敬意と思慕の思い。

 それを込めて、私達は花束を彼へと贈った。

「ただ、これだけじゃないんです」

 顔を見合わせ笑う私達。

 副会長達も、意味ありげに微笑んでみせる。

「何だよ、塩田」

「さあ、俺からは何とも」

 わざとらしく顔を逸らす塩田さん。

 屋神さんが全員を睨んでいくが、動揺する人は誰もいない。

「隠す事でもありませんし、こちらへどうぞ」



 特別教棟内のラウンジ。

 普段は生徒会や委員会関係者で賑わうここも、今日は閑散としたものだ。

 いや、一人いる。

 目立たない男の子が一人、紙コップで何か飲んでいる。

「なんだ、あれ」

 怪訝な声を出す屋神さん。

 他の人達も苦笑気味だ。

「やあ」

 軽い、どちらかと言えば脳天気な挨拶。

 こちらにやって来た男の子は、人の良い笑顔をみんなに振りまいた。

「何だ、お前」

「呼ばれたから」

 普通に答える男の子。

 屋神さんは鼻を鳴らし、彼の顔を指差した。

「これか、花束以外っていうのは」

「失礼だな、屋神君」

「文句あるか、間」

 彼の顎に拳を突きつける屋神さん。

 間さんは慌てて後ろへ下がる。

「変わらないね、君は」

「この前、会ったばかりだろ。大体、卒業のプレゼントにしてはいまいち……」

「じゃあ、俺は」

 どこからともなく現れた、神経質そうな顔立ちの男の子。

 屋神さんはすぐに、首を振る。

「お前も一緒に会っただろ、杉下」

「そうか。それにしても君は、無茶ばかりやって。卒業式、モニターで見てたよ」

「いいから、お前は中川といちゃついてろ」

「だから、そういう仲じゃないと言ってるだろ」

 あっさりと否定する杉下さん。

 中川さんもおかしそうに笑っている。

「こんな野郎ばかりで、何が楽しいんだよ」

「じゃあ、私は」

「人の彼女に用はない」

「あ、そう」

 私達の後ろから現れた水葉さんは鼻を鳴らして、塩田さんの隣りに収まった。

「よかったわね、丈君」

「あ、ああ。まあ、なんとか」

「まだ拗ねてたら、こう行こうと思ってたのに」

 固めた拳をさする水葉さん。 

 笑い声が起きる前に、一人の女性が現れた。


 艶やかな、セミロングの黒髪。

 しとやかで、落ち着いた佇まい。

 白い肌と、強い意志を湛える綺麗な瞳。

 まるで古い森にある泉から現れた妖精のような。

「新妻。お前、体はいいのか」

「ええ。みんなはよく来てくれたけど、あなたと会うのは久し振りね」

「迷惑だと思ってな」

「でも、あの時は嬉しかったわ」

 白い頬を赤く染める新妻さん。 

 それとなく視線を逸らす屋神さん。

 だがそれを冷やかしたり茶化すものは、誰もいない。

 その出会いと再会を喜び合う人達しか。

「3年じゃないが、伊達達は」

「彼と親しいワイルドギースですか。そちらにも当たったんですが、遠慮するとの事で。この間、名古屋港にも来てたらしいですし」

「あいつらしいと言えば、らしいか」

「ただ、卒業おめでとうございますと伝言がありました。勿論、峰山君達からも」

「馬鹿が」

 苦笑する屋神さん達。

 だが笑顔も、どこか翳りを帯びている。

 楽しそうな雰囲気、しかし盛り上がり切らない雰囲気。


「集まってるな」

 五分刈りの男性と、バンダナを巻いた男性。

 その後ろからはロングヘアの女の子と、緩いウェーブが掛かった女の子が付いてきている。

「何だよ、お前ら。どうしてここにいる」

「呼ばれたんだよ、F棟隊長」

「古い事言うな。俺はもう、何の役職にも就いてない」

「悪い連中集めて楽しんでたのよね」

「さすが、屋神君」

 輪に加わる4名の男女。

 元SDC代表、ガーディアン連合議長。

 総務局長と、総務課課長。

 全員、かつてこの高校にいた人達だ。

「お前ら、卒業式は」

「とっくに終わったから来てるんだよ」

「しかし、ほぼフルメンバーだな」

 感慨深げに呟く五分刈りの男性。

 全員が同意の表情を浮かべるが、どこか寂しげな雰囲気が漂っている。

「あの人達、ですか?」

 ぽつりと呟く、小さな女の子。

 あちこちから漏れるため息と、やるせない表情。

 寂しげな、重い空気。

 先程までの楽しさは影をひそめ、真夜中のように静まりかえるラウンジ内。



「何だ、暗い顔して」

 全てを吹き飛ばすような、底抜けの元気な声。

「卒業式なんだし、もっと楽しそうにしたら」

 艶を含んだ、明るくしとやかな声。

 全員の視線が、その声の方へと向けられる。

 大きな、三島さんにも匹敵する程の男性。

 その隣には、とても綺麗な女性が並んで歩いている。

「河合、笹島」

 呆然とした表情で、その名を口にする屋神さん。 

 二人は笑顔で頷き、みんなの元へとやってきた。

「久し振り」

「そうね」

 静かに、万感の思いを伝えるように抱き合う笹島さんと新妻さん。

 その二人に水葉さんが、そっと手を添える。

「お前、どうして」

「呼ばれたから、来たまでだ」 

 拳を重ね合う河合さんと屋神さん。

 三島さんもそんな二人を見守っている。

「北米連合から、よく来れたな」

「昨日卒業式、さっき到着。空港からはヘリで直行。参ったわよ」

「僕もね」 

 二人の後ろから現れたのは沢さん。

 河合さんは彼の肩を叩き、豪快に笑い飛ばした。

「ここへ来る時は、いつもヘリだぜ」

「とにかく疲れたわ」

 腰を下ろす二人と、肩をすくめる沢さん。

 何か言いたそうだ。

「沢、どうした」

「アメリカまで迎えに行けば、誰でも疲れる。そうは思わないか、雪野さん」

「え、それはその。フリーガーディアンなら色々権限もあるし、すっと連れて帰って来てくれると思って」

「フリーガーディアンを使いっぱしりかよ。お前も、無茶苦茶だな」 

 どっと笑う一同。

 私も仕方なく、少しだけ笑う。

 どことなくやつれ気味の沢さんから目を逸らして。



 久し振りに学校を訪れた彼等を案内しつつ、校内を歩いていく私達。

 彼等が言うには、殆ど変わった所は無いらしい。

 1年しか経っていないので、それは不思議でもない。

 ただ「1年しか」、と言えるのは私がずっとここにいたから。 

 この学校を離れていた人達にとっては、長い1年だったかもしれない。

「前から気になってたんだが、あれはなんだ」

 一般教棟の壁面。

 それもかなり高い位置。

 特殊合金の壁に突き刺さる、一本のスティック。

「俺がやった」  

 平然と言ってのける塩田さん。

 前期の始め頃、トラブルを起こしていたガーディアン達を沈めるために彼が放った一撃。

 あれも今考えると色々あったんだろうけど、こうして見てみると改めて彼の実力が実感出来る。

「こんなのに刺さるの?」

 訝しげに壁をつつく水葉さん達。

 しかし誰がどう見ても、傷を付ける事すら難しそうだ。

「簡単さ。要は金属の目を見るんだ。切れやすい所に刺し込めば、ああなる」

「……なるほど」

 小さく頷き、全員を見渡す屋神さん。

 口元が、横へ緩む。

「お礼参りしようぜ」



 特別教棟の裏手。

 卒業式が終わったため人気はなく、広いスペースに数台の高級車が止まっているだけだ。

 屋神さんはその中の1台に取り付き、薄く微笑んだ。

「間違いない、あいつのだ」

「誰だよ」

「あの理事、学校運営担当だったか。大山」

「間違いありません」 

 静かに頷く副会長。 

 先輩達はは険しい顔付きで、大きな高級車の周りを取り囲んだ。

「やる、観貴?」

「そうね。屋神君、策はあるの」

「ああ。要は……」

「これだけのメンバーが揃ってるんだ。何でも出来る」

 彼の言葉を遮るように、力強く言い放つ河合さん。 

 屋神さんは苦笑して、沢さんを指差した。

「まずは、開けろ」

「これは犯罪だよ」

「気にするな。責任は、河合が取る」

 勝手な事を言う屋神さんと、肩をすくめ端末を取り出す沢さん。

「……開いた。エンジンを掛けるのは、少し時間がいるけど」

「人力で運ぶさ。という訳だ、頼む」

「無茶苦茶だな、お前は」

 と言いつつ、バンバー下に手際よくロープを結んでいく河合さん。

 何をするのか想像は付くが、黙って見守ろう。

「三島、引くぞ」

「どうして俺が」

「気にするな」 

 もう一本のロープを渡される三島さん。

 河合さんは自分の分を腰に巻き、車の後ろを指差した。

「他の連中は、押してくれ」

「動くか、これが」

「無理だ」

「大丈夫だ、なんとかなる」

 何の根拠もない河合さんの言葉。

 しかし自信に満ちあふれた一言。

 男の子達は力強く頷き、車の後ろへと回り込んだ。

「新妻、運転席へ」

「ええ」

 屋神さんに促され、優雅な仕草で乗り込む新妻さん。

 サイドギアが外され、タイヤが少し前に出る。

「いいわよ、動かして」

「よし、行くぞっ」

「おうっ」



 何というか、言葉がない。

 旧クラブハウス近くの広いスペース。 

 そこに置かれる、場違いな高級車。 

 男の子は全員息を荒くして、顔中に汗を滴らせている。

 途中でエンジンは掛かったのだが、最後まで人の力で運んできたのだ。

 それにどれだけの意味があったのかは知らないが、全員満足げな顔ではある。

「早速やってみようぜ。塩田」

「ああ」

 手渡されたスティックを軽く振り、高級車のボンネットに先端を当てる塩田さん。

 その動作を何度か繰り返し、腰が落ちる。

 振りかぶられるスティック。

 それは勢いよくボンネットに突きつけられ、乾いた音を立てた。

 普通なら跳ね返り、彼の腕にもダメージがある場面。

 だがスティックはボンネットに突き刺さり、小さく揺れている。

「という訳」 

 事も無げにスティックを抜く塩田さん。

 それを受け取る三島さん。

「セッ」

 するのは鈍い音。

 だが穴は開かず、妙な形でボンネットが歪むだけだ。

「貸してみろ」

 河合さんがやっても同じ。

 へこみはするが、穴は開かない。 

 車全体が激しく揺れて、その反動でタイヤがバウンドしても。

 二人とも、ある意味では塩田さん以上だ。

「力じゃないんだって。コツとタイミングだよ。左古さんがやっても、ただ壊すだけじゃないの」

 いつになく上機嫌の塩田さん。

 気持ちは分からないでもないので、私も大人しくその様子を見守る。

 積極的に、共犯になりたい気分でもないから。


「観貴ちゃん、やってみたら」

「そうよ、やってみなさいよ」

「先輩、出番です」

「頑張って、観貴さん」

 突然わき起こる新妻さんへの応援。

 淡々とした表情でそれを眺めていた新妻さんは、渡されたスティックを振って小さく頷いた。

「コツは」

「塗装の加減と、微妙な凹凸。後は、ためらわない事」

 無理だよという顔で説明する塩田さんを下がらせ、スティックが振り上げられる。 

 華奢な体型と、細い腕。

 構えこそ様になっているが、どう考えても不可能と思われるその結果。



「ヤッ」 

 低い気合いと共に振り下ろされるスティック。

 同時に上がる、驚嘆の声。

「う、嘘だろ」

「真実よ」

 スティックを引き抜き、薄く微笑む新妻さん。

 ボンネットには、それと同じ直径の穴が小さく開いている。

 女性達から一斉にわき起こる歓声。

 男性陣からは、投げやりな拍手が巻き起こる。

「難しく考え過ぎなのよ。こうでしょ」

 スティックを振るたびに開いていく小さな穴。

 それ程力を入れているようには見えず、また特別に何かしている様子もない。

 ただ穴が開き、塩田さん達が呆れ果てるだけだ。

「すごいですね」

 ようやく手を止めた彼女に、遠慮気味に声を掛ける。 

 新妻さんは優しく微笑み、首を振った。

「車を壊しただけよ」

「あ、なるほど」

「納得されると、私も困るけど」

 もう一度笑う新妻さん。

 私も微笑み返し、彼女の顔を見つめる。

「どうしたの?」

「いえ。病気がちだと聞いていたので」

「最近は調子がいいの。水葉さんも気を遣ってくれていたし。それにここへ来て、余計元気になったわ」 

 顎を逸らす新妻さん。

 その先には一般教棟、グラウンド、特別教棟、大講堂。

 学内の施設が存在する。

 いつもなら生徒達で賑わう学校が。 


「私達は結局何も出来なかったから、あなた達に掛ける言葉もない。せいぜい、止めなさいとしか」

「止める、ですか」

「学校とやり合って、その様がこれよ。転校、退学、解任。学校以外、誰も得をしてないわ

「後悔もしてないんですよね」

 私の呟きに、顔を強ばらせる新妻さん。

 違うのだろうか。

 言ってはいけない言葉だったんだろうか。

 そう私が不安がっていると、彼女の手が肩へと置かれた。

「その通りよ。ごめんなさい、色々あって私達は素直になれなくて」

「そんな」

「大丈夫。私達の事なんか気にせずに、好きなようにやりなさい。それがここにいる、全員の気持ちだから」

 車を囲み、大騒ぎしている男の子達。

 それをたしなめつつ、笑っている女の子達。

 楽しげな、きっと二度とはない思い出の一つ。

 そして私も、その中の一人なのだろうか。



 梅はもう散ったけれど、来年にはまた花開く。

 今は桜のつぼみが膨らみ、そうして季節は流れていく。

 彼等が卒業して、私達が進級して、その私達もいつかは。

 楽しそうな笑い声や歓声。

 仲間と一緒に浮かべる、心からの笑顔。


 彼等にあった様々な出来事や感情。

 何度と無く見た、憂いに満ちた表情。     

 今はもう、どこにもない。 

 消えた訳ではなく、心の中に溶けていったのだろう。

 辛さも苦しさも、避けて通らなかった人達。

 それが正しいのかは別にして。

 だからこそ、今の彼等がいる。

 私達の目の前で笑い、肩を抱き合い、信頼した眼差しをかわし合う人達が。

 素敵な、心の奥が暖かくなる光景。

 自分もいつかはこうありたいという。




 卒業おめでとうございます。

 そして、どうして車を壊すの。

 そうはなりたくないと思いながら、私は彼等の笑い声を聞いていた。












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