12-4
12-4
淡いブルーのサマーセーターと、茶のキュロット。
腰には白いパーカーを巻いている。
外に出た時は肌寒かったけど、こうして歩いていると気持ちいい。
それこそ、訳もなく走り出したくなるくらい。
走らないけどね。
薄手のジャケットを羽織ったショウが、右手にある建物を見上げる。
やや派手なディスプレイと、開け放たれたドアから届く音。
ゲームセンターだ。
「お、おい」
戸惑うショウに構わず、ふらふらと入っていく。
「何してるんだよ」
「いいじゃない。別に、どこか行く当てがある訳でも無いんだし」
「そうだけど、ゲーセンって」
「私は好きなの」
スロットに熱中している人達を横目で見つつ、奥へと進む。
激しくスライドする体感式カーゲームや、フィッシングゲーム。
歓声を上げている女の子達と、ベンチに腰を下ろし笑っているカップル。
楽しさだけが存在する、素敵な空間。
「はは」
高い位置にあるパンチングボールに飛びつき、適当に叩く。
お金を入れていないので回数や数値は表示されないけど、それでも面白い。
「何やってるんだよ」
「面白いからいいの」
「よく分からん」
首を振り、変なルーレットゲームを始めるショウ。
2、4、6、8とオッズがあり、オッズが低い程ルーレット上に数が多い。
で、ショウは2に賭けた。
ランプが点滅して、動いているように見えるルーレット。
1周、2周、3周。
徐々に速度が落ちていき、そして。
「あ」
小さく上がる声。
16で止まるランプ。
ちなみに16は、ルーレット上に2つだけ。
「自分こそ、何してるの」
「面白くないな、これ」
そう言うや、いきなり両替機に走り出した。
馬鹿だ。
「止めなさいよ、もったいない」
「いや。これは、俺とこいつとの戦いだ」
「ケイみたいな事言わないで」
「今なら、あいつの気持ちがよく分かる」
本格的に、いっちゃってるな。
幸せの国へと。
「何してるんだ、お前ら」
「え?」
コインを入れようとしているショウと、彼を止めようとその腕にしがみついていた私は同時に振り向いた。
「あ」
そして同時に、声を出す。
「屋神さん」
大柄で引き締まった体格と、狼を思わせる精悍な顔立ち。
胸元の開いた黒いシャツと皮パン。
シルバーのネックレスと、細めのサングラス。
似合っているから良いけど、誰でもするような格好でもない。
「デートかよ。いい身分だな」
「べ、別に、そういう訳でも。ただ暇だから、お昼でも一緒に食べようって」
「そういうのを、世間ではデートっていうんだ。俺なんて、相手がこいつだぜ」
自分の後ろを指差す屋神さん。
そこには青いシャツとジーンズの、三島さんが立っている。
何しろ大きいから、私の視線には却って目に入らないくらい。
しかしこの二人が揃うと、かなりの威圧感があるな。
「おい、あれやろうぜ」
屋神さんが指差したのは、大きなボックス。
ヴァーチャル型の対戦格闘ゲームで、私もたまに遊ぶタイプ。
「三島、行け」
「どうして、俺が」
「リマッチだ」
体にパットとワイヤーを取り付ける二人。
それが筋肉の動きを読み取り、相手からの攻撃や体の感触を伝える負荷を生み出す。
目には大きめのゴーグルを付け、視覚には人間ではなく対戦相手のキャラクターと向かい合っている映像が投影される。
映像を取り込んで自分そのものを使う事も可能だけど、私は少し大きめのクンフー少女を大抵使っている。
そのくらいは、夢見てもいいじゃない。
ちなみにショウは空手着の少年、三島さんは拳法着の少年を選択。
まあ、猫とか選ばれても困るけどね。
至近距離で放たれる、両者の鋭いジャブ。
周りのギャラリーから漏れる感嘆の声。
それはボックス上部に設営されている大型スクリーンだけではなく、実際に動いているショウ達にも向けられている。
ボックス脇に表示される、実測値。
平均100kgのジャブが、立て続けに20発ずつ。
しかも、それをかわし合う両者。
ふっと沈み込むショウ。
タックル気味な動きに膝を合わせる三島さん。
ショウはサイドステップでそれをかわし、横蹴りへとつないだ。
蹴りを肘で受け流し、三島さんが懐へ飛び込む。
足を伝っていく左手。
掌底気味なその手が、ショウの鳩尾へと向けられる。
微妙な動きを見せる手首。
後ろへずれるショウの体。
だがそこで、突然画面がブラックアウトする。
「何だよ、これ」
「おーい,壊れたぞ」
「続き見せてくれー」
騒ぎ出すギャラリーと、慌てふためく店員達。
ショウと三島さんは体に取り付けてあった器具を外し、笑い合っている。
「どういう事?」
「三島の内勁だろ。機械が、数値を測定出来なかったんだ」
「まさか」
「人間を想定したソフトで、熊の力が測れる訳無い」
誉めてるんだか、からかっているんだか分からない屋神さん。
少しして修理が終わったが、二人はもうやる気がないようだ。
当然ギャラリーからは、不満の声があがる。
「やればいいのに」
「俺の負けで終わった」
あっさりと認めるショウ。
三島さんは首を振り、彼の鳩尾を指差した。
「当たったというより、自分で飛んだだろ」
「実戦なら、倒れてたよ」
「謙遜する必要はない」
お互いに称え合う二人。
男の子同士の友情とでも言うんだろうか。
一度は本気でやり合いあった仲だけど、今はこうして笑って向かい合っている。
なんだか見ているこっちまで、嬉しくなってくる。
体に器具を付けて、アップライトの構えを取っている私。
向かい合っているのは、ストリートギャング風の少年キャラ。
私の方は、チャイニーズドレスを着たクンフー少女キャラ。
何をやってるんだろうと思いつつ、軽くステップを踏む。
それに合わせて少女もステップを刻む。
ゴーグルの隅に映る、器具を付けた屋神さん。
誘うようなオープンガード。
幸いギャラリーは殆どいないので、こちらも大胆に仕掛ける。
「セッ」
スライディングから、床に手を付いてのハイキック。
スパッツに着替えてあるので、おかしな事にもならない。
ブロックの感触と、足に感じる振動。
肘がかすったようだ。
ただ機械の構造上投げ技がないため、大技を仕掛けやすい。
飛び膝から、空中で体を翻しての後ろ蹴り。
後ろに下がる、少年ギャング。
しかしこっちの着地を見計らい、鋭いフックが放たれた。
ガード越しに感じる振動。
続いて脇腹に、ミドルキックが叩き込まれる。
「チッ」
ジャブを連打して強引に距離を作り、サイドステップとターンで後ろへと回り込む。
それに合わせて、こちらを向く少年ギャング。
わずかに出来る隙。
床を蹴り、体を前に倒して前方宙返りを放つ。
上を向く少年ギャングの肩に手を当て、素早く後ろ側へ。
そのまま後ろ蹴りを放って間合いを稼ぎ、肘から裏拳へとつなぐ。
ヒットの感触と、浮き上がる感覚。
脇腹にタックルが入ったと思った所で、画面が落ちた。
今度は故障ではなく、時間切れ。
「Drow」と大きな文字が、リプレイ画面と同時に表示されている。
「負けた」
器具とゴーグルを外し、大きく息を付く。
あのままゲームが続いていれば、私のキャラは地面に伏せていただろう。
「ゲームと実戦は、また別だからな。お前みたいに細かく動く奴は、こういうワイヤーがあるとやりづらいだろ」
勝ちを主張したりせず、私のフォローをしてくれる屋神さん。
ショウや三島さんからすればどちらが勝ったかは分かっていると、知っての上で。
少しではなく、かなり嬉しい。
「疲れたから、帰る。三島、行くぞ」
「ああ」
背を向けたまま手を振る屋神さんと、軽く会釈をして後を追う三島さん。
私もその背中に頭を下げ、今のリプレイを端末に記録した。
そんなに親しくはなく、会った事自体少ないけれど。
きっと思い出になると思ったから。
先輩との大切な一時を、私は胸に抱きしめた……。
人気のない、一般教棟のラウンジ。
私の前で、眠そうな顔をしているケイ。
「もう、お昼よ」
「天満さんの手伝いしたり、宿題したりで寝不足なんだ」
「いいじゃない。何かもらえるんでしょ」
「キャラメルもらって喜ぶ高校生が、今時どこにいる」
テーブルの上に置かれる、アーモンドキャラメル。
それに付いている、おまけのミニカーも一緒に並べられる。
「可愛い」
「欲しいなら上げる」
「いいの?」
「同じのが20個あっても仕方ない」
虚しいため息と、やるせない表情。
そんなにキャラメルをもらったのか。
そして、同じミニカーばかり出てきたのか。
ついてないというより、彼らしい。
「めどは立った?」
「ああ。数学は全部終わった」
「宿題じゃなくて、天満さんの手伝い」
「大体は。それより暇なら、机並べてくれ」
彼が指差したプリントには「謝恩会場設営アルバイト・報酬紅白まんじゅう」とある。
「やる訳ないでしょ。誰よ、これ考えたのは」
「さあ。余分に作り過ぎた、まんじゅう業者じゃないの」
「訳分かんないな」
興味なさげに書類をたたむケイ。
私もまんじゅうに釣られる訳はなく、そのサンプルを一つ見せてもらう。
「もらうよ」
「どうぞ」
「へへ」
机は並べないけど、まんじゅうはもらう。
ぱりぱりした皮と、小豆がしっかり詰まった思い感触。
良い物だ。
「間に合うの?」
「生徒会と委員会、運動部の人間も動員するから。かなりの部分は業者がやるし、問題ない。それより、出てこない人間をいかに連れ出すかの方が問題さ」
「なるほど」
昨日の事を思い出し、少し考える。
「ある程度は出るの?」
「生徒会と教職員の、気合いの入れ方による。来たくないなら、放っておけばいいと思うけど。卒業式に出なくても、卒業は出来るんだし」
鼻を鳴らすケイ。
そういえばこの人、中等部の卒業式はどうだったっけ。
「屋神さんはどうなの?」
「他の人間には出ろって言ってるらしい。本人は嫌がってるけど」
「困った人ね。昨日、言えばよかった」
訝しむケイに「何でもない」と答え、また考える。
「強引に呼び出せないかな」
「あの大男を?そういうのは、ショウに頼めば」
「別に、ケンカしようって話じゃないわよ」
「俺達が話して、「分かった。その通りだ」って涙流すタイプでもない」
冷静にもっともな事を言ってきた。
確かに、たやすく情に流される人間には見えない。
「だけどさ」
反論しかけたら、ニコニコした可愛い男の子がやってきた。
「柳君、どうしたの」
「浦田君に呼ばれた。僕に告白?」
怖い事を言うな、この人は。
しかも、笑顔で。
「それもいいけど、ちょっと頼みが。謝恩会で、ウェイトレスの子が足りなくて」
「僕、男だよ」
「だから頼んでる。柳君から女の子に頼んで欲しいんだよ」
「ええ?」
「彼女達には報酬が出るし、柳君には斡旋料も出す。悪い話ではありませんよ」
と、悪代官並の顔で持ちかけるケイ。
肩を抱かれた柳君は、困惑気味にテーブルへ「の」の字を書き出した。
「で、でも僕。知らない子に声を掛けるのは恥ずかしい」
「大丈夫。こっちでピックアップしてる子がいるから、そのリストに沿ってやってくれればいい」
取り出される、顔写真付きの書類。
全員可愛かったり綺麗だったりして、言ってみれば粒ぞろい。
「やっぱり、華がないとあれだからさ。ユウは、別な意味で鼻が無いけど」
「自分だってでしょ。柳君も」
「じゃあ、鼻のない同士頑張るという事で。連絡は俺じゃなくて、モトに頼む。頑張って下さい」
「え、あ、うん。行ってきます」
よく分からないといった顔のままラウンジを出ていく柳君。
騙されたと言い換えてもいい。
「悪いわね」
「お金が貰えて、女の子とも親しくなれる。いい話だよ」
「だったら、自分でやればいいじゃない」
「無理だから、外部委託してる」
なるほどと、失礼ながら納得する。
別にケイが無理だとは思わないけど、成功率で言えば柳君の方が圧倒的に高いだろう。
「私に、何か用」
茶に染めた長い前髪を横へ流しつつ、今度池上さんがやってきた。
柳君とは違い、愛想はない。
「謝恩会のウェーターが足りないんですよ」
「スカウトをやれって。下らない」
先を読んでくる池上さん。
しかしケイは、構わず男の子の顔写真が添付された書類を差し出した。
「報酬は渡しますし、舞地さんの許可も得てます」
「……あの子には、いくらバックマージン払うのよ」
「そういう、人を疑うような事を言わない。はい、お願いします。連絡は俺ではなく、モトに」
書類を渡された池上さんは、剣呑な眼差しをケイに向け続ける。
「大体、真理依はいないじゃない」
「屋上で、毛布にくるまって寝てましたよ」
「あの子は遊んでて、私は男の子のナンパ?あなた、後で話があるわよ」
「せいぜい覚えておきます」
出口の所で振り返り、もう一度睨んでくる池上さん。
それでも、書類は持って行っている。
「知らないわよ、何されても」
「謝恩会が滞りなく終わったら考える。プレゼントは良し、料理は良し、コースがこうで……」
「それより、屋神さんは出席するの?」
「知らないよ、俺の担当じゃないから。148足す23は……。172」
真顔でメモする男の子。
私は別なペンを取り、171と修正した。
「つ、疲れてるから、間違えた」
「疲れて無くても間違えるじゃない。いいから、屋神さん」
「だから、知らないの。担当者も諦めてるし、無理だって。……間違えた」
済と書くところを、流と書いている。
駄目だ、こんな人と関わっていても仕方ない。
こっちまで駄目になる。
大きな執務室と、備え付けられている大きな机。
そこに構える、精悍な顔立ちの男性。
「どうなんですか」
「俺に聞くなよ」
露骨に嫌そうな顔をする塩田さん。
私は構わず、机に手を付いた。
「だけど、屋神さんは塩田さんの先輩なんですよ。だったら、卒業を見送るのは当然の話じゃないですか」
「俺の先輩は、あの男だけじゃない。その事は、どうするって言うんだ」
「え、えと、それは」
「あの男だって母校の卒業式に出られない人達の気持ちを考えれば、出る気にはならないだろ」
表情は変わらない。
そうしようと、無理しているようにも見える。
机に置かれたフォトスタンドへ、彼の手が伸びた。
「新妻さんと水葉さんは静岡。杉下さんや間さんは東京に落ち着いて。後は東京、九州、北海道。河合さんと笹島さんなんて北米連合、アメリカだぜ」
「それは聞きました。でも、屋神さんはここにいるじゃないですか」
彼の気持ちに構わず、さらに距離を詰める。
しかし塩田さんは顔を背け、そのまま背もたれへと崩れた。
「塩田さんっ」
「お前が俺と顔を合わせたくなかったように、俺もあの男とは顔を合わせたくない」
「だけど」
「それに向こうも、今さら俺とは会ってくれないさ。自業自得だけどな」
寂しげに呟く塩田さん。
彼は椅子を廻し、そのまま私に背を向けた。
「じゃあ卒業式に連れてきたら、会ってくれますか?」
「どうかな」
「もう、どうして素直にっ」
机を拳で叩くと、突然モトちゃんが入ってきた。
まるで、それを合図としたかのように。
「な、何よ」
「それは私の台詞。机は備品だから、叩かないで」
人の手は心配してくれない女の子。
私は机から離れ、モトちゃんへと近付いた。
「ねえ、あなたからも何か言ってよ。屋神さんの事」
「担当者から聞いたけど、出席はしないって言い切ってる。無理ね」
「無理って誰が決めたの。私は、そんな事知らないわよ」
「駄々こねないの。塩田さん、天満さんから警備計画を預かってきましたから目を通して下さい」
私を隅へ追いやり、書類を渡すモトちゃん。
塩田さんはこちらを向いて、無表情のままそれをチェックしていった。
「これで問題ない。人数も揃ってるし、お礼参りなんて下らない事をする連中は全員リストに上げてある」
「では、了承という事で伝えておきます。議長」
「止めろ、その呼び方は」
さっき以上に嫌な顔をする、ガーディアン連合次期議長。
ちなみにモトちゃんはその補佐として、彼を支えるのが決まっている。
私は、来年度も平だけどね。
「もう一人の補佐はどこ行った」
「木之本君ですか?今度私のガーディアンズに入ってくる、新入生用のマニュアルを作ってますよ」
「まめな男だ。……それを、ガーディアン連合全体のに使おうぜ」
少し悪い顔になる塩田さん。
机の片隅に、事務方からのマニュアル制作に対する請願書がちらりと見える。
「伝えておきます。ギブアンドテイクで、屋神さんが出席したら会ってもらいますよ」
「お前、立ち聞きしてたのか」
「さあ」
すっとぼけて、抱えていた書類を私に渡してくるモトちゃん。
「何よ」
「暇なら手伝って。こっちは、猫の手も借りたいくらいなんだから」
「ニャンでも連れてくればいいじゃない」
「合ってるのは名前だけでしょ。さあ、早く」
「頑張れー、雪野ー」
引っ張られていく私に、頼りない声援を送る塩田さん。
「と、とにかく、さっきの話。お、覚えておいて下さいよ」
「頑張れー」
「ユウへの声援もいいですけど、塩田さんの仕事もたくさんありますからね。後で人を連れてきますから、逃げても無駄ですよ」
「頑張れー、俺ー」
モトちゃんに釘を差され、ますます頼りなくなる塩田さんの声。
私は構わず彼に念を押し、ずるずると部屋を出ていった。
本当に一番偉いのは誰なのかと考えながら……。
やってきたのは運営企画局ではなく、ガーディアン連合本部内の一室。
狭い部屋の小さな机に、サトミが一人座っている。
数字の書き込まれた書類を前に、怖い顔をして。
「あの子は、何してるの」
「全体の進行チェック。それに対する生徒や教職員の動き。各個人の誘導やプレゼント進呈の手順。などなどなど」
「個人?そんな単位でスケジュール進行するの?無理だって」
「無理って誰が決めたの。私は、そんな事知らないわよ」
どこかで聞いた台詞を返してくる、天才美少女。
仲間だ。
「いいから一休みしなさい。あなた、朝からずっとでしょ」
「そうね。大体私がスケジュールを管理しても、現場で何かあったら意味がないわ」
「それを言ったらお終いよ」
苦笑して、マグカップに紅茶を注ぐモトちゃん。
サトミはお礼を言って、美味しそうにそれを一口含んだ。
「ユウは、学校に何か用?」
「屋神さんの事で、塩田さんにちょっと」
「あなたも無謀というか、考え無しね」
「だって、他に思いつかなかったんだもん」
言い訳にもならない事を言って、机に爪を立てる。
勿論、意味はない。
「仮に屋神さんが出席したとしても、卒業式が混乱しない?不良連中のボスであり、以前は全ガーディアンを束ねていた男。そんな人が、突然出てきたら」
「うー」
「唸らないで。あなたの気持ちは分かるけど、そう単純じゃないわよ」
「ぐー」
違う唸り方をして、腕を組む。
じゃあ、どうすれってのさ。
「大体、突然どうして」
「意味はないわよ。ただ、あの人も卒業生には変わりないんだし。それに、この間は色々お世話になったから」
「渡世人みたいな事言うわね。モト、何かないの?」
「旧クラブハウスをいぶしたら、飛び出てくるかも」
なんだそれ。
うさぎや狸じゃあるまいし。
少し、やってみたいと思わなくもないが。
そんな事は口に出さず、指先で机を叩く。
「本気で考えてよ」
「だから難しいの。この間聞いた話からして、そう簡単に説得される人とは思えないわ。しかも私達は、殆ど面識もない訳だし」
「諦めろとは言わないけれど、期待はしない方が無難ね」
慰めるような口調でそう言うサトミ。
私は曖昧に頷いて、書類の一つを手に取った。
卒業生の一覧。
三島公威。
その下の欄。
屋神大。
出席未定の但し書き。
確かに二人の言う通り、出席は難しい。
かつて戦った学校側は、積極的には交渉しないはずだ。
生徒会も、不良学生を束ねているという彼の現状を見れば同じだろう。
そして塩田さんが言っていた事。
自分と一緒に戦った人達が母校の卒業式に出席出来ないのに、どうして自分がという彼なりの推測。
私も頷ける、もっともな理由。
でも、納得は出来ない。
無茶苦茶だと言われればそれまでだけど。
自分でもよくは分からないけど。
そして、何の手だてもないけれど……。
「俺に聞くな」
困惑気味に私を見つめてくる名雲さん。
舞地さんは暇そうに、ストローの抜け殻に水を掛けている。
遊ぶな。
学校近くのファミレスに二人を呼び出したはいいが、何一つ進展しない。
「ちょっと、舞地さんも聞いてよ」
「知らない」
「別に何かしてくれとは言ってない。ただ、良い考えでもあればって」
「無い」
即答する人。
で、まだ抜け殻に水を掛けている。
今時、こんな事をやってる人がいるとは。
「屋神って、あの目付きの悪い大男だろ。殴って連れてこいって言うなら、俺達にも手はあるが」
「もう、何がワイルドギースよ。全然駄目じゃない」
「無茶苦茶だな、お前」
ため息を付く名雲さん。
私も分かってはいるけど、自分で分からないなら人に聞くしかない。
結局自分では何も出来ないという事にもつながるけど、それを気にしている場合でもない。
「人の意見に流されない男なんだろ。つまり本人にその気がなければ、絶対出てこない」
「うん」
「じゃあ、無理だ。あれは、拷問しても無理だ」
「放っておけばいい」
あくまでも素っ気ない舞地さん。
それよりも、抜け殻で遊ぶ方が大事らしい。
「大体、勉強は」
「宿題はやってるよ。サトミも、変な予習をやらしてくる」
「それでいい。いっそ、大学卒業資格も取れば」
「さらっと言うね」
この二人は勿論、池上さんと柳君も資格所持者。
授業も出ずに全国を渡り歩いていたのに、勉強は出来る人達。
その逆で、勉強が出来るから渡り歩いても問題がないとも言える。
「まずは自分の事を頑張って、他人を構うのはその後。分かった?」
「分かってる。だけど」
「だけどじゃない」
レシートを取り、すたすたと歩いていく舞地さん。
なんだかな。
「怒られた」
「そうじゃなくて、心配してるだけだ。何と言っても、去年学校とやり合った連中のボスなんだし。本当学校から、に目を付けられるぞ」
「でも」
「悪いとは言ってない。ただ本人が本当に出席したくないなら、どうしようもない」
そういい残し、名雲さんも去っていく。
私は一人残り、冷めたピザをかじった。
固いパン生地と、ピーマンの苦さ、タバスコの辛さ。
まるで今の気持ちのような。
「だからといって、諦めないのよ」
余ったピザを紙に包み、席を立つ。
直接聞いてはいないし、人づての話では出席したくない事になっている。
でも、私は違うと思う。
勝手な思い込み、お節介、トラブルの原因。
構わない。
後悔は、後でする物なんだから。
今はただ、行動あるのみだ。
人がどう言おうと。
どう思おうと、とにかくやるしかない。
余り物を持って帰る事も含めて……。
「こんにちは」
運営企画局へ顔を出し、ソファーに座る。
天満さんは寝不足なのか、少し眠そうだ。
「大丈夫ですか?」
「徹夜はしてないから。それでこないだの件、ある程度はめどがついたわ」
端末の画面を見せてくれる天満さん。
私は頷いて、本題を切り出した。
「屋神さんは、どうなってます?」
「それが出来る義理じゃないって言ってた。気持ちは分かるから、私も無理にはね」
寂しくなる表情。
手に取られる、例のフォトスタンド。
「凪ちゃんはどう思う?」
「あの人は硬派なのよ、硬派」
どっと笑う天満さんと中川さん。
なんだかな。
私は彼女達を手伝っていた沙紀ちゃんと顔を見合わせ、首を振った。
「大体去年は、あなた暇そうにしてたじゃない。観貴さんも」
「私は担当じゃなかったの。それに先輩は、この程度軽くこなす人なのよ」
「はいはい。とにかく私達よりも、もっと悪知恵の働く人の所へ行ってきたら?沙紀も一緒に来て」
という訳でやってきたのは、生徒会副会長室。
副会長は相変わらずの落ち着いた雰囲気で、デスクに構えている。
「私からも話はしてみましたが、本人にその気がなければ仕方ありません」
「そうですけど」
「出席したくないんじゃなくて、出来ないと思ってるんでしょう」
「塩田さんも、そう言ってました」
「さすが親友、考える事は同じだね」
苦笑する沢さん。
「その内気が変わるかも知れないし、あの人が出てくればトラブルになる可能性もあります。そして彼を連れ出した事で、雪野さんが学校に睨まれる可能性もありますよ」
「承知の上です」
揺るぎなくそう答える。
もう決めたから。
彼を出席させると。
だから、迷わない。
副会長は机の上で指を組み、小さく息を付いた。
「……騙して出席させるのは簡単ですが、それでは意味がありません。そうですよね」
「はい」
「勿論最悪の場合は、沢君と玲阿君で拉致しますが」
「馬鹿」
頭をはたく天満さん。
しかし副会長はかまわず、壁際の大型ディスプレイにスケジュールを表示させた。
「後、5日ですか。みんな、卒業するんですね」
「黄昏れるのは構わないけど、何か考えはあるの」
「あるにはありますが、今言った通り策を弄する場面じゃありません」
「君らしくないね」
中川さんと沢さんの指摘にも、やはり動じない副会長。
慣れているとも取れる。
「人間は何と言って、誠意です。それに動かされない人はいません」
「説得しろという意味ですか?」
「甘い物でも持っていけばいいんですよ」
またはたかれた。
「とにかく、呼んでみましょう」
少しして、革ジャン姿の屋神さんがやってきた。
精悍な顔立ちと、射殺すような眼差し。
「何だよ」
機嫌の悪そうな声。
副会長以下、全員全く気にした様子はない。
「雪野さん、どうぞ」
みんなに押し出され、彼の前に立つ私。
沙紀ちゃんが少し後ろで控えてくれている事に、心の中で感謝する。
険しい眼差しを見つめ返し、息を整える。
「その、卒業式に出て欲しいんですけど」
「お前は、俺の親か」
「違います」
真顔ではっきりを首を振る。
それを見て、微かに眉を動かす屋神さん。
「あのな」
「何ですか」
「いや、いい。とにかく俺は、出れた義理じゃない」
塩田さんが言っていた通りの答え。
それは彼の考え方が分かったと同時に、彼等が同じ考え方をしている事を知る結果ともなった。
離れていても、仲違いをしていても。
二人は一緒なんだ。
そして、予想していた結末。
無理強いする権利は無いし、彼がそれに従う必要もない。
諦めないという気持ちとは別に、本人の意思を尊重したい気持ち。
私には分からない彼なりの事情。
自分の意志とは違う事もしなければならないという事実。
今の現状を見れば、私にだって少しは分かる。
「だから、そういう顔するなよ」
「え?」
下がっていた視線を上げると、困った顔をしている屋神さんと目が合った。
どうしていいのか分からないという、少しの寂しさを漂わせて。
「大山」
「私は何もしてませんよ」
「俺がこういうのに弱いと知ってだろ。ったく」
「という訳で、屋神さんは出席してくださるそうです」
にこりと笑う副会長。
天満さんと中川さんも、笑顔で拍手をしている。
「相変わらず、人がいいね」
「うるさいぞ、沢。で、俺が出て揉めないのか?」
「学校側は嫌でしょうが、こちらで何とかします。天満さん」
「そうね。入場は全員が入って、照明を落とした後で最後尾に。終わったと同時に、すぐ出ていけば大丈夫でしょ。謝恩会は、ご自由にという事で」
その説明に鼻を鳴らす屋神さん。
でもそこまでしてどうして、とは言わない。
自分の置かれている立場と、それでも出て下さいと言ってくるみんなの気持ちを分かっているのだろう。
「しかし、式に出たからどうってものでもないぞ」
「出られない人達の分も含めてですよ」
声のトーンを落とす中川さん。
副会長や天満さんも、表情に翳りを宿す。
ただ一人沢さんだけは、少しの変化もない。
少し無理をしているようにも見えるけど。
「まあいい。出席して、お前らの気が済むならな」
「あ、後。塩田さんなんですけど」
「それは知らん。向こうが会いたくないって言ってるんだから、どうしようもない」
「はい……」
確かにこれは、私が踏み込めない問題だ。
卒業式への出席とは全然違う、もっと複雑な二人の気持ち。
事情も殆ど知らず、また何の関係もない私程度がが関わってはいけない部分でもある。
「あのな」
「は、はい」
突然声を掛けられ、慌てて顔を上げる。
そこにあるのは、優しい眼差しをした屋神さんの顔。
緩んだ彼の口元が、ゆっくりと開く。
「俺はあいつと会ってもいいんだぞ。ただ塩田が怒ってるし、俺も悪い事をしたと思ってるから会わないだけだ。お前が気にする必要はない」
「は、はい」
「お前みたいに素直になれれば、俺もあいつも苦労しないんだけどな」
苦笑する屋神さん。
副会長達も微笑み気味に、そんな彼を囲んでいる。
「それで、俺以外に出席しない馬鹿はどれだけいる。俺の知り合いなら、全員出させるぞ」
「助かります。リストはこれですから、どうぞ」
「よし。大山は担当者に連絡して、俺の名前を使わせろ。天満は、少なく見積もってた分を増やすように通達。中川も、その分の予算や品物を企業と交渉してこい」
てきぱきと指示を出す屋神さんと、素直な表情でそれに頷く副会長達。
とても自然な、とても楽しそうな雰囲気。
去年はきっとこうだったと思わせるような。
「沢。お前は学校と交渉して、卒業がやばそうな連中を助けてやれ」
「どうして僕が」
「フリーガーディアンなら、そのくらいの権限はあるだろ。出席日数や点数が足りない連中は、徹夜でレポートや追試をやらせても構わん」
「じゃあ、屋神さんは何をするんだい」
沢さんの問い掛けに、屋神さんはワイルドに微笑んだ。
「俺は指示を出す。前もそうだったように、今でもな」
ひとしきり指示と仕事を終える先輩達。
結局は自分も色々と働いた屋神さんが、瞳を細める。
その精悍な面差しを私の後ろ、沙紀ちゃんへと向けて。
「お前って、中川の従兄弟だよな」
「ええ、丹下沙紀です。以前、中等部でお会いしました」
「覚えてるよ、俺も」
頷く屋神さん。
そして微かに、眉間へしわが寄る。
「峰山や小泉の後輩だろ」
「え、ええ」
私を気にしつつ頷く沙紀ちゃん。
よく考えれば彼女は、元局長直属班の隊長。
その時の局長といえば、今名前が出ている峰山という人。
1年で隊長になったのは、そういう関係もあるんだろうか。
「心配するな。あいつが退学になった経緯は、俺も聞いてる。警察に捕まった事もな」
楽しそうに笑う屋神さん。
ただ笑っているのは彼だけで、他の人は神妙な面持ちで顔を下げている。
「面白くないのか、お前達は?」
「笑い事では無いですから。ねえ、凪ちゃん」
「まあ、ね。私は中等部の頃から、あの子達を知ってるし」
寂しげに微笑む中川さん。
「私は彼を退学に追い込んだ一人ですからね。コメントのしようがありません」
「という意見があるけれど。屋神さん」
「いいんだよ。あいつを2回殴ったっていう、誰だっけ。そいつも笑えるな」
屋神さんはもう一度笑い、短い前髪をかき上げた。
「峰山も大人しくしてれば、生徒会長って目もあったのに。あいつも小泉も、馬鹿やりやがって」
「馬鹿、ですか」
遠慮気味に尋ねる沙紀ちゃん。
「辞めれば済むと思ってる奴は、みんな馬鹿だ」
突然の厳しい口調。
刺すような気配。
「まだ言ってるんですか」
呆れ気味の副会長。
屋神さんはテーブルを拳で叩き、鼻を鳴らした。
「河合達が辞めて、峰山達が辞めて。何が変わった?何も変わってない。今の自警局長なんて、何やってる」
「さあ。各局は独立した組織であると、我々が取り決めましたから」
「とにかく、俺には関係ない」
一気に醒めた態度となり、自分の端末をチェックする。
「さてと。女の所でも行こうかな」
「まだ仕事が残ってます」
高い位置にある襟を捕まえる中川さん。
天満さんはぐいぐいと背を押して、机に屋神さんを付ける。
「あのな、俺は」
「いいから、頑張って下さい」
どさりと書類を置く副会長。
沢さんはそれを見て、薄く微笑んでいる。
私はそろそろ潮時と思い、沙紀ちゃんと頷き合った。
「じゃあ、私達はこれで」
「失礼します」
「ああ。おま前ら血の気が多いらしいな。卒業式で暴れるなよ」
閉まっていくドアの向こう側から聞こえる言葉。
そしてそれに続く笑い声。
失礼だなと思う一方。
気を付けようと、改めて頷き合う私達だった……。
安堵感と、気の抜けた気持ち。
あまりにもあっけなく事が進んだから。
ただ彼の気持ちを考えると、そう喜んでばかりもいられない。
この高校を卒業出来なかった人達の気持ち。
そして、卒業式に出席して欲しいと思う私達の気持ち。
簡単ではない選択。
その中で屋神さんは、あえて式に出てくれる。
この学校を去った人達に対して、身勝手に近い行為だと分かっていて。
自分の気持ちに背く事だとしても。
私達の身勝手な気持ちに応えてくれた……。
家に戻り、ベッドサイドに腰掛ける。
床ではサトミが、クッションを抱いてTVを見ている。
私の説明に、黙って頷いて。
「でも寂しいよね。こっそり入ってきて、こっそり出ていくなんて」
かつては総務局長を務め全ガーディアンを束ね、生徒達のためにその立場を追われた人。
それが今は、隠れるようにして行動しなければならないなんて。
確かに普通に出ていけば、大騒ぎになるのは分かっている。
彼自身承知もしている。
それでも、辛い。
「何か、出来ないかな」
「出席はするんでしょ」
「うん。サトミは?」
「聞くまでもないわよ」
優しい暖かな笑み。
本当、その通りだ。
「ショウは?」
「出てくれる。ケイは嫌がってた」
「当日は学校にいるから、無理にでも連れて行くわ」
笑顔に鋭さが混じり、低い笑い声が漏れる。
「卒業、か。私達も4月からは、2年生よ」
「ええ。もう1年経ったわね」
「気付いたらって話。いい思い出ばかりでもないけど、でもいいよね」
分かってるという表情。
楽しい事や笑える事ばかりじゃない。
辛い事、泣きたくなるような事もあった。
でも、それも含めて私達の思い出だ。
いつか振り返った時、懐かしく思える大切な時。
今はまだ辛い気持ちの方が多いけど。
それを否定したりはしない。
自分自身の生き方を。
「あなた最近、たまにそういう顔するわね」
「え?」
不意に声を掛けられ、戸惑いつつサトミを見つめる。
「思い詰めたっていうか、憂いを帯びたというか」
「屋神さんも言ってたけど、そうかな?」
「悪くないわよ。綺麗だし、大人の雪野優って感じ」
からかい気味の口調。
そして私を見つめる切れ長の瞳は、限りない優しさを含んでいる。
何があっても側にいると語っている。
どうしてそれが分かるのか。
私も同じ気持ちだから。
通じ合う気持ち。
口に出さなくても分かる事。
屋神さんと塩田さんがそうであったように。
今はそれ故に仲違いをしているけれど。
もう一度元に戻って欲しい。
そんな思いを込めつつ、私はサトミと手を重ね合った。