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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第12話   1年編最終話
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12-2






     12-2




 赤いジャージと、茶のブーツ。

 背中には黒のリュックを背負う。

 日差しにきらめく雪と、それを被った高い木立。

 その眩しさに、手袋をした手をかざす。

 膝まで埋まりそうな新雪。

 吐く息は真っ白で、じっとしていると体の芯まで凍えてきそうだ。

 山小屋の前から伸びる、幾つもの峠へと続く道。

 今は車も通行止めで、白い道を歩いているのは私達だけ。

 雪を被った景色や、青い空。

 頬を過ぎる冷たい風、滑りやすい足元。

 最初は感じていたそれらが、少しずつ薄れていく。

 視界に移る自分の足元だけが、かろうじて見えるだけで。 

 聞こえるのは、速まる鼓動と荒い息。

 背負ったリュックの重みが、肩にのしかかる。

 周りの景色や感覚が希薄になり、自分の事だけが強く感じられる。

 普段は意識もしない、独特の感覚。

 極度の疲労感から来る、無心な気持ち。

 考えるのは、自分の事ばかりになっていく。


 昔の事、ずっと昔の事。 

 自分の考え、好きな事、やりたい事、嫌な事。

 同じ事を何度も何度も考えたり、とりとめもなく違う事ばかり考えたり。

 延々とそれが繰り返される。

 そうしている内に、最後はある一点へ辿り着く。 

 最近の自分。

 悩み、ふさぎ込んでいた自分。

 それから逃げ出そうと思ったり、あがいていた毎日。

 結局は変わらない日々。

 以前ならそのまま、暗い淵へ落ちていくように沈み込んでいった。

 自分のふがいなさと、情けなさに苛まれて。

 でも、今は違う。 

 そんな最近の、色々思い悩んでいた部分が遠ざかっていく。

 勿論消えた訳ではなく、その思いは胸の中に残ったままで。

 辛さや悔しさ、悲しさはそのままに。 

 だけど、もうそれに煩わされる事はない。

 周りを感じない今。

 自分だけを意識出来る、この時。

 強くなると誓った、あの瞬間から。

 私は一歩踏み出した。

 例えそれが、どんな道だとしても。

 そんな思いに捉えられながら、私は毎日雪道を歩き続けていた。



「結構登ってきたね」

 晴れた空の遠くに見える、白い尾根。

 足元には、私達の登ってきた峠道がつづら折りになっている。

 車なら20分もあれば登ってこれる距離。

 しかし雪を被った道を、人の足で登ってくるとなれば話は違う。

 冬季通行止めの、細い道路。

 道には私達と、動物の小さな足跡が付いているだけだ。

「迷わないだけ、まだましさ」

 道など無い、足元に広がる木立を指差すショウ。

 おじさん達と来る時は、GPSを頼りに本当の山道を踏破するとの事。

 軍を描いた映画などではたまに見かけるけど、私には想像すら出来ない。

「本当に、誰もいないよね」 

 白一面の光景。

 街では春がすぐそこまで来ていたのに、ここはまだまだ冬の世界。

 外に出していた果物が石のように固まっているなんて事が、当たり前になっている。

 晴れ間は見えていても気温は氷点下で、それも注意していないとすぐ雪空へと変わる。

 そんな所へ好きこのんで来る人間など、まずいないだろう。


「おーいって、叫んだりして」

 ガードレールに手を掛けて、本当に叫ぶ。

 真っ白な森に響く私の声。

 少し恥ずかしくて、でも楽しくて。

 街中では味わえない、新鮮な気分。

「落ちるぞ」

「大丈夫。GPSも持ってるし」

「そういう問題か?」

 苦笑して、腰のワイヤーを外すショウ。

 そのフックをガードレールに取り付け、彼はそれを乗り越えた。

「落ちるの?」

「降りるんだよ。帰りは、この方が楽だ」

「確かに、直線だけど」

 止めなさいと言いたい気持ちと、やってみたい気持ち。

 気付けば私も、ガードレールを越えていた。

「無理しなくてもいいぞ」

「せっかくここまで来たんだし、少しは無理しないとね」

「なるほど」

 ワイヤーを掴み、斜面を蹴りつけるショウ。

 その勢いと共にワイヤーが伸び、彼の体が降りていく。

 いつだったか学校で、こんな事をやったっけ。

 私もこういうのは好きなので、すぐ後へと続く。

 かなりの急な斜面と、足を滑らす凍り付いた雪。

 ワイヤーが左右に揺れるのを抑え込むのも大変だし、斜面から伸びている木立を避ける必要もある。

 集中力とタイミング。 

 後は、ちょっとした勇気。

 それには、多少自信がある。


 ショウからやや遅れ、私もどうにか斜面を降りきった。

 腰のボタンを操作してフックを外し、ウインチでワイヤーを巻き取る。 

 パワーを上げれば、それだけで上に登って行く事も可能だ。

「それで、小屋はどこ?」

「……今がここだから」

 彼が取り出した端末に表示される、現在位置。

 道路からかなり離れた山中で、小屋までもそれなりに距離がある。

 つづら折りの道を降りていくのも時間が掛かるけれど、雪深い森の中を進むのも時間が掛かる。

 つまり、私達には考えがないとも言える。

 夏なら、早かったんだろうけど。

「クロスカントリーと思えばいいさ」

「走る?」

「ああ、いいよ」

 あっさり同意するショウ。

 小屋を出てから4時間あまり。

 多少の休憩を挟んでいるとはいえ、雪道を歩きづめ。

 それでも彼に、疲労の色は薄い。

 背中のリュックには10Kg以上の重しが入り、手足にはパワーリストやアンクルが巻かれている。

 私も多少は負荷を掛けているが、正直言ってレベルが違う。

 またそれに文句を言ったり、ましてや自慢する素振りもない。

 本当に格好いいというか、何というか。

「ん、どうした」

 私の視線に気付き、靴ひもを直していた彼が顔を上げる。

「別に」

 まさか「格好いいと思ってました」と言う訳にもいかず、適当にごまかす。

 大体二人きりで、そういう事を思っている場合じゃない。

「……先行くね」

 恥ずかしさついでに、突然走り出す。

「お、おい」

「小屋で待ってる」

「逆だろ」

 後ろから聞こえる、雪を踏みしめる足音。 

 視界の隅に、彼の姿が映る。 

 白い雪に覆われた、深い森の中。

 背の高い木立は枝に雪を被り、木漏れ日を辺りに散華させる。

 静けさと、わずかな光の差し込む白い光景。

 そんな中。

 一気に私を追い抜き、そのまま小さくなっていく背中。

 さすがと言いたいところだが、走る事ならショウに負ける気はしない。

 雪野優、としてだけではなく。

 元陸上部の名誉に掛けても。


 出だしこそ早かったショウだが、その背中がすぐに見えてくる。

 これだけの深い雪と、立ち並ぶ木立。

 そして背負った荷物が、バランスを崩させる。

 彼も足は早く、スタミナもある。

 ただ、走るためのトレーニングを積んでいる訳ではない。

 その筋肉も、格闘技のために付けられた物だ。

 勿論私だって、格闘技の練習を中心に行っている。

 でも、走るためのトレーニングを欠かした事はない。

 それは陸上部に籍を置いたあの日から、さらに増やされた。

 だから。


 変わらないピッチと、腕の振り。 

 視界に映る物を意識せず、ただ捉えていく。 

 自分の走るコース、走りやすいコースを。

 気付けば足はそちらへと向き、体が反応をする。

 雪に埋まる足。

 ひたすら続く上下の勾配と、雪に隠された目には見えない足場の悪さ。

 岩につま先が当たり、木の根が足首を払う。

 それを踏破し、掻き分けていく力。

 辛く、厳しい繰り返し。

 だけど、心のどこかで楽しんでいる。

 走る事を、雪の中を駆けていく事を。

 格闘技をやっている時とは違う充実感。

 長距離特有のランナーズハイとも異なる感覚。

 体がそれを楽しいと思うだけではなくて、走るのが好きだから。

 例え雪の中でも、勾配がある山道でも。

 足が動く限り、どこまでも駆けていける気分。

 息は乱れず、ピッチも変わらない。 

 重くなる手足、頬を伝う汗。

 それはたまらない爽快感へとつながっていく。 

 日は差さず、氷点下の冷たい外気の中なのに。

 私は笑顔で、雪道を駆けていた……。



 殆ど意識のないまま、手を伸ばして木に触れる。

 見慣れた足跡が付いた雪に、道路へ出た事に気付く。 

 森の切れ間。

 空から降り注ぐ、たくさんの日差し。

 風は冷たいままで、ブーツには雪が凍り付いている。

 ひりつく頬と、止まらない鼻。

 白い息を吐き、つい笑ってしまう。

「何やってるんだか」 

 取り出したティッシュで鼻をかみ、大きく息を付く。

 疲れ切った体、何とも言えない達成感。

 途中からは全く、何も考えていなかった。

 昨日までの無心とも違う気持ち。

 ここ最近の悩みも、今の状況も、走っている事も。

 心の中には無かった。

 時折鳴るGPSの音だけが、聞こえていた気がする。

 ただそれ以外は、何一つとして。

 森の風景も、冷たさも、体の重さも。

 意識をしても辿り着けない、一つの境地。

 私は小さな胸に手を当て、目を閉じた。

 何故だかは分からないけれど。

 そうする事が、ふさわしいと思ったから。

 真っ白な心がある内に、そうしたかった……。



 ペットボトル片手に大きな木へもたれていると、鼻を垂らしたショウがやってきた。

 勿論格好良いけど、格好良くない。

「鼻、出てる」

「そりゃ出るさ」

 投げやりに答え、鼻をすするショウ。

 顔はかなり赤く、息も上がり気味。

 彼にしては珍しい。

「先に着いてるんじゃなかったの」

「どうせ俺は遅いよ。体が、重過ぎるんだ」

 膝に手を付き、荒い息を繰り返すショウ。

 かなり埋まったらしく、黒いジャージが膝辺りまで白くなっている。

 重い分埋まる。

 その分、力を必要とする。

 力を込めて踏み出すので、また埋まる。

 私にはない悪循環だ。

「川へ落ちそうになるし、参ったよ」

「凍ってたじゃない。私はすぐ飛び越えたわよ」

「乗ったら、ピシッて。片足落ちた」

 よく見ると右足が、完全に凍っている。

 ブーツにはヒーターが入っているので、凍傷にはならないだろうけど。

「ダイエットしたら」

「殆ど筋肉だぜ」

「体が大きければいいって物じゃないのよ」

 いつにない強い立場に立っている私。

 小さくて得した事なんて久し振りだ。

 子供料金を払えと言われる事は、よくあるけど。

「とにかく、戻ろう。今日はもう、何もしたくない」

「十分動いたって」

 彼の肩を叩き、軽い足取りで雪道を歩いていく。

 ショウに勝ったから、という理由も少しはある。

 でもそれ以外の、自分でもよく分からない気持ち。

 どれだけ長い冬にも、いつかは春が来る。

 そう例えたくなるような。

 青く晴れた空と、彼方に見える暗い雪雲。

 足元には雪が積もり、空気は肌を切るように冷え切っている。

 ここはまだ冬だけど。

 私には、春の足音が聞こえていた。

 日の当たる、道路の斜面。

 雪の間から見えるわずかな緑に、目を細めながら。

 私はそう感じていた……。



 小屋のドアに手を掛け、そのまま腰を下ろす。

 キーを掛けていかなかったのに、閉まっているのだ。 

「熊かな」

「鍵は掛けないだろ」

 もっともな事を言ってくるショウ。

 そうなると相手は人間。 

 こんな奥深い山奥に、一体誰が。

「どうする」

「猟師じゃない事を祈る」 

 銃の有無を言っているのだろう。

 例えボクシングヘビー級の世界チャンピオンでも、一発の銃弾で敗北を味わう事になる。

 ましてただの高校生である私達が、どうするという話だ。

「俺が先に行く。ユウは様子を見て、窓から」

「割れるわよ」

「ためらうなって事さ」

 自分のカードキーでドアを開け、体を滑り込ませるショウ。

 忍び足で歩いていく彼の後ろ姿を確かめ、リビングの窓へと向かう。

 壁伝いに歩いていき、気配を散らす。

 こういったのも塩田さんの仕込みがあり、得意分野だ。

 相手にもよるが、気取られずに人の後ろへ立つくらいはたやすい。


 カーテンの開いたリビングの窓。 

 雪の被った厚手の上着を着た男女。

 男性はかなりの巨体で、女性は細身の長身。

 特に男性の方は、その雰囲気に隙がない。

 おそらくは格闘技経験者だろう。 

 それくらいは見て分かるが、一体何者なんだ。

 ショウと挟撃しても、勝機がどの程度上がるか。

 しかし勝手に上がり込んできた人間を前にして、見過ごせる場面でもない。

 それも、こんなへんぴな場所に来る人なんておかし過ぎる。

 雪の積もった地面に伏せ、そのまま窓の下へ匍匐前進する。

 伏せたまま手を上に上げ、窓を確認。

 幸い鍵は掛かっていなく、割って入る必要もない。 

 後は耳を澄まし意識を集中させ、ショウの動きを待つだけだ。


 焦燥感に駆られる間もなく、ドアの開く音がする。

 叫び声と、何かが倒れる音も。

 どうやら不意は付けたらしい。

 後は私も突っ込み、勢いで押し切るだけだ。

 本気を出されれば、私達だけでは辛過ぎる相手みたいだから。


 素早く立ち上がって窓を開け、部屋の中へと転がり込む。

 勿論そうしている間も、室内の状況は見えている。

 男性に組みひしがれ、馬乗りにされているショウ。

 その脇に立ち、何か言っている女性。

 不意を付いたくらいでは勝てない相手か。

 しかし、ショウを見捨てていく訳にも……。

「何してるの」

 目を丸くして、私を見つめる端整な顔立ちの女性。 

「え」

 棚の中にあったワインボトルを放り投げる構えを見せていた私は、その姿勢のまま固まった。

「あ、あの。その。喉乾いたなって」

「ブーツくらい脱いだら」

「そうですね……」

 窓際に足を放り出し、靴ひもをほどく。

 肩に置かれる綺麗な手。

「私達が、泥棒にでも見えた?」

 笑い気味の、しとやかな声。

 背中越しに聞こえる、ショウの悲鳴。

「お前、師範代に向かっていい度胸してるな」

「ですって、優さん」

 私の顔を覗き込み、くすっと笑う流衣さん。

 風成さんに締め上げられているショウの悲鳴を背に、私はブーツを脱ぎ捨てた。


「はは。い、いつ来たんですか」

「つい、さっき。端末に連絡入れたんだけれど」

「ショウ」

 帰ってくるのは悲鳴だけ。

 走るのに必死で、聞いてなかったんだろう。

「でも、遅かったですね。もう一週間以上経ちましたよ」

「RASの仕事が、色々立て込んでたの。明日には戻らなければならないし」

「そうなんですか。トレーニングどころじゃないですね」

「最初から、ここでする必要も無かったのよ」

 苦笑して前髪をかき上げる流衣さん。

 確かに今時、「山籠もり」でもない。


「風成、もう止めなさいよ」

 軽くたしなめられた風成さんはショウを解放して、何やら唸り始めた。

「あー、馬鹿馬鹿しい。何しに来たんだ、俺は」

「優さん達を迎えによ。私達リニアで来たから、帰りは一緒にね」

「あ、はい」

「仕方ない。四葉、熊と戦りに行くぞ」

 革のジャケットを脱ぎ始める風成さん。

 熊と、やる?

「熊の真似でもするの?」

「ん。あ、ああ。そうとも言うし、違うとも言う」

 口ごもるショウと、妙に張り切っている風成さん。

 すると流衣さんが、綺麗な眉を動かした。

「狩りじゃないでしょうね」

「え?」

「お父さんから聞いた事があるの。素手で、熊や鹿を殺すって」

「ええ?」 

 口を押さえしゃがみ込む。

 だがそこが例の毛皮だとすぐに分かり、慌てて飛び退く。

「無茶苦茶なのよ、この人達は」

 額を抑え、首を振る流衣さん。

「いいだろ、無駄なく使ってるし」

「あ、あの。使うって」

「肉は食べられるし、毛皮も肝も売れる」

 平然と答えた風成さんは、肩をすくめてショウを指差した。

「こいつ、捌くの嫌がってさ。いつも俺とおじさんでやってるんだぜ」

「もういいわよ」

「いや。俺達は近所に出る熊と戦るだけで、すぐに逃がすよ。捌くのは、猟友会の人からもらう時さ。なにせ丸ごと一頭持ってくるから、大きめのナイフでこう……」

「もういいっていってるでしょ。本当に、どっちが獣なんだか」

 聞きたくないといった具合に、邪険に手を振る流衣さん。

 ショウもげんなりした顔で、壁に掛かった毛皮を見つめている。

 私は昨日食べたお肉を思い出して、お腹を押さえる。

 何の薫製か、はっきりと確かめるべきだった。 

 教えられても、ちょっと困るけど。

「とにかく、熊の事は忘れてちょうだい。今日は早く寝て、明日に備えて下さい」

「そうですね……」

 背を丸め、小声で呟く風成さん。

 私も背を丸め、彼から離れる。

 今日の夕食は気を付けようと誓いながら……。



 幸い、川魚がメインで助かった。

 後片付けを終え、お風呂から出てくるともう眠たくなって来た。 

 それは今日に限った事ではなく、ここに来てから毎日だ。

 一日中山道を歩いていれば、それも当然だろう。

 頭を拭いていたタオルをエアコンの側へ置き、暖かいお茶を一口。

 軽く体を動かして、ソファーベッドに潜り込む。

 後は明日の朝まで、ゆっくりと……。


「なに、してるの」

 戸惑い気味の問い掛け。 

 私は眠い目を開けて、声の方へ視線を向けた。

 マグカップを持ったまま立ち尽くす、スエット姿の流衣さん。 

 彼女の隣にいたジャージ姿の風成さんも、呆然とした表情で私を見つめている。

「え、何が」

「い、いえ。優さんがいいのなら」

「はい?」

 言っている意味が分からず、隣を振り返る。

 間近にある、ショウの顔。

 彼の表情も、すぐに固くなる。

 どうしてか。

「いつから、そんな仲になったのかしら。親御さんに顔向け出来ないわ、私」

 口元に手を当て、困惑気味に視線を伏せる流衣さん。

 風成さんも、難しい顔でこっちを見ている。

「俺、伯父さんになるとか?」

 その言葉に、ようやく自分の立場を悟る私。

 自分の居場所と言い換えてもいい。 

 大きなソファーベッド。

 そこに並んで寝る、一組の男女。

 つまり、私とショウ。


「ち、違うんだって」

 慌てて飛び降り、エアコンや窓を必死で指差す。

「寒いし、雷鳴るし。怖いというか、その、あの」

 バタバタ手を振っていると、風成さんが見慣れないリモコンを棚の奥から取り出した。

 それを操作すると、下の方から暖かな感触が伝わってくる。

「床暖房もあるし、二階の部屋もこれでもう少し暖かく出来る。四葉、この前来た時使っただろ」

「そういえば……」

 毛布を足元に掛け、横座りのまま頼りなげな表情を浮かべるショウ。

 格好いいというより、可愛い雰囲気。

 忘れた振りをしている、なんて訳はない。

「高校生の男女が、一つのベッドで寝てるなんて。私、優さんのご両親にどう伝えたらいいのよ」

「つ、伝えなくていい。本当に、何もないから。ただ寒さしのぎ、それだけ」

「そうね。私も、自分の弟を犯罪者にしたくはないから」

「でもそれはそれで、男として……。いえ、何でも無いです」 

 流衣さんに睨まれ、そそくさとリビングを出ていく風成さん。

 ショウも背中を丸めて、その後に付いていく。

「どこ行くの」

「頭を冷やしてきます」 

「それが良いわね」

「はい……」 

 お姉さんに恐縮して部屋を出ていくショウ。

 ドアの開く音がして、一瞬冷気が吹き込んできた。

 彼もようやく、この数日間の事を理解したようだ。

 私だって、指摘されるまで全く気にしていなかった。

 忘れていたとも言える。

「さあ、私達は寝ましょうか」

「え、ええ」

「ベッドを用意するのも面倒だし、一緒にね」

 くすっと笑い、ソファーベッドに滑り込む流衣さん。

 私もおずおずと、その隣で丸くなる。

「……変わった寝方ね」

「そうかな」

「まあいいわ。お休みなさい」

「はい、お休みなさい」

 照明が落ち、エアコンの微かな音だけが室内に響いていく。

 さっきまでの動揺は嘘のように無くなって、目を閉じればすぐに眠気はやってくる。

 昨日までと変わらない安堵感と安らいだ気持ち。

 それは隣にいるのがショウのお姉さんだからかなと思いつつ、私は微睡みに体を任せていた……。



 翌日。

 4人がかりで荷物を運び降ろし、私達は山小屋を後にした。

 狭い雪道を抜けると、走っていく度に景色からは白い色が消えていく。

 よく考えれば今は3月で、早春と言ってもおかしくはない時期。

 あそこの雪深さに慣れていたため、少し不思議な感覚に捉えられる。

 風成さんの運転で、車は東海北陸道を名古屋方面へとひた走る。

 時速140km/hと、制限速度をやや下回るくらいのスピード。

 このペースなら、すぐに名古屋市街へ入るだろう。

 やがて時刻はお昼頃となり、私達はサービスエリアへと立ち寄った。

「俺はいいよ、眠い」

 そう言うや、シートを倒し目を閉じる風成さん。 

 ショウも頷いて、やはりシートを倒す。

 昨日あれから外に出て、色々やっていたらしい。 

 さすがに、熊をどうにかはしてないようだけど。

「仕方ないわね、もう。優さん、行きましょ」

「はいはいっと」

 こっちはしっかり寝たし、食欲もある。 

 大体食事を抜くなんて人の気が知れない。

 さて、何を食べようかな。


「あ」

「わっ」

 音は違えど、同じように声を出す私達。

 レストランや情報センターの建物前。

 幾つか並ぶ屋台の一つ。  

 香ばしい匂いを辺りに漂わせている、小さな屋台。

 そののれんに、私達は目を奪われた。

「熊肉って」

「鹿肉もある」

「優さん、どう?」

「いえいえ。流衣さんこそどうぞ」

 二人で首を振り、その屋台から遠ざかる。

 匂いはいいし、炭火の上で焙られているお肉は何とも美味しそうだ。

 知らなかったら、一串買っていると思う。

 とにかく私は、薫製だけでもう十分だから……。


 食欲が無くなった訳でもないけど、五平餅と明宝ハムでお腹を満たす。

 後は春の日差しに包まれならが、ジェラードを頬張る。

 程良い口当たりと、ミルクのいい香り。

 ソフトクリームも好きだけど、これも好きだ。

「それで、結局どうだったの」

 ストロベリーミルクを舐めていた流衣さんが、さりげなく尋ねてくる。

 コーンをかじっていた私は、そのままで少し考えてみた。

「本当に、何もないです。疲れてて、食べたら寝るだけでしたし」

「……そう」

 安堵の表情を浮かべ、首を振る流衣さん。 

 そして、視線を落とす。

「ごめんなさい。下らない事を聞いて」

「いえ、私達も軽率でしたから」

「あの子がそういう事をするとは思えないけど、あなた達も子供ではないし。駄目ね、年を取ると」

 ため息を付き、ジェラードを少し舐める。

 綺麗な顔立ちと落ち着いた佇まい。

 私といくらも年は離れていないが、すでに彼女は大人の女性になっている。

 初めて出会った時から変わらない、しとやかな物腰と冷静な態度。

 私が彼女と同じ年齢になっても、きっとこうはならないだろう。


「大人、なんですね」

「皮肉?」

「いえ。私は全然子供だなと思って」

「可愛げ無いのよ、私は」

 薄く微笑み、コーンをゴミ箱へ放る流衣さん。

「お父さんは軍から帰ってきたと思ったら、いきなりボディガードなんて始めるし。破門された後、私達は玲阿家の実家にしばらくいたのよ。それでいじめられた事はないけど、どうしても気丈に振る舞う必要もあって」

「そうなんですか」

「風成がいたから、本当に無理をする事はなかったんだけど」

 少し柔らかくなる表情。

 だがそれは、すぐに消えていく。

「この人と一緒にいたら、玲阿流の後を継ぐ事になる。そう思ったら、色々考えちゃって」

「でも、結婚したんですよね」

「ええ。だけど私は、風成と結婚しただけ。玲阿流の後を継いだ気は無いわ。ただそんな事が通用する程甘くない場面もあったりして。なんて事を考えてると、こうして若年寄になって行く訳よ」

 くすっと笑い、私の頬に手を触れる流衣さん。

「だから優さんも、四葉と付き合うと苦労するわよ。特にあの子は、軍へ行くつもりだから」

「ええ。でも私は、付き合うとかって深く考えた事が無くて」

「私も初めはそうだった。従兄弟だし、余計にね」

 頬を滑っていく、柔らかな指先。

 それは私の顎を撫でて、離れていった。


「心配しても、仕方ない時もある。止められない時も。そういう時が、一番辛いわ」

「今度の、オープントーナメントですか」

「ええ。勝つのは分かってるけど、怪我をしたらと思うとどうしても」

「分かります、それ」

 苦笑気味に頷き、ショウが三島さんと戦った時を思い出す。

 あの時の、言いしれない不安と焦燥感。

 目の前で傷付いていく彼を、見守るしか出来ない自分。

 止める権利も無く、ましてそれに従うはずもない。

 これからも、そんな事が何度と無くあるんだろうか。

「それに、慣れないのよね。何度同じような事があっても、そのたびに不安になる。気が重くなるわ」

「そうですね」

 視線を伏せる流衣さん。

 私も何となく、空を見上げる。

「それに私は風成の、玲阿流師範代の妻である事に変わりはない。それは否定出来ない現実で、逃げたくても逃げられない。その勇気もなかったし」

「ええ」

「そんな毎日というか自分が嫌で、気が滅入った時もあったわ。もう何もしたくない、自分の事だけに専念していたいって。それでは何も解決しないと分かっていても」

 静かに語られる彼女の心境。

 最近の、私の気持ちと重なる事。

 私は黙って、その話に耳を傾けていた。


「だから結局、やるしかないのよね。それがいいかどうかはともかく、何かをしないと」

「はい」

「私は知っての通り、玲阿流とは殆ど関わらないようにしてる。言ってみれば、逃げたのよ。それがどういう意味かはよく分かっていたし、非難もされたけど。私は後悔してないわ」

 伏せられたままの視線。

 だけど口調には、言いしれない力強さが込められている。

「あくまでも風成の妻であって、玲阿流師範代の妻ではない。人からすれば詭弁だろうし、私だって常識的にはおかしい話だと思う。でも誰が何と言おうと、それを止める気はない」

「はい」

「そんな下らない事を、私は自分を貫いている訳よ。それに費やした労力を考えたら、玲阿流と関わった方がましというくらいに」

 苦笑する流衣さん。

 私も少しだけ、それに合わせて笑う。

「その穴埋めの意味もあって、RASの方には協力しているけれどね。今では、そちらの運営の方が大変なのよ」

「世界規模ですからね」

「そうなの。かびの生えた古武術にこだわってる人達の気が知れないわ。……こうして愚痴をこぼせる相手が身近にいると、私は助かるのよね」 



 優しい、暖かな笑顔。

 私の気持ちを見透かしたような、澄んだ瞳。

 本当に不安なのは彼女ではなく、私の方。

 風成さんよりも若い分、無鉄砲な部分も多い。

 軍に行けば、命の危険すら覚悟する場面もある。

 その時の気持ちを、どうすればいいのか。

 それを教えてくれたのではないだろうか。

 勿論、私がその時までショウと一緒にいればの話だけれど。


「さあ、そろそろ戻りましょうか」

「はい」

 小さく頷き、コーンをかじる。

 これを捨てない分、私は多分子供なのかな。

 それとも、そういう性格なのかな。

「食べるのね」

「子供ですから」

「そう素直に言える分、羨ましいわ。私は最初、これを食べるなんて知らなくて」

 寂しげに微笑む流衣さん。

 私は残りのコーンを、何となく彼女へ差し出した。

「どうぞ」

「え?」

「美味しいですよ」

 自分でも恥ずかしいなと思いつつ、食べかけのコーンを彼女へ渡す。

 そして流衣さんは、はにかみ気味にコーンへ口を付けた。

 小さく動く口元と、嬉しそうな表情。

 子供の様な笑み。

「少し、後悔してるわ」

「食べかけのコーンを食べた事に?」

「今まで、捨てていた事に」

 残りのコーンを全て頬張り、流衣さんは駆け出した。 

「行くわよ、優さん」

「はい」

 目の前で揺れるロングヘア。 

 私の先を行く女性。

 これからもこうして、私の前を行ってくれる人かも知れない。







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