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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第12話   1年編最終話
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     12-1




 駐輪場にスクーターを停め、ヘルメットをロックして歩き出す。

 高度なセキリュティシステムが張り巡らされているエントランスだが、私はスライドした硬質ガラスのドアをくぐった。

 リモートカメラが追尾する事も、システムが警告を発する事もない。

 そのまま高速エレベーターに乗り込み、ボタンを押す。


 エレベーターを降りると小さめのロビーがあり、そこには玄関が一つだけある。

 厚いガラスのはまった窓から外を眺めつつ、インターフォンを押す。

「開いてるわよ」

 しとやかな落ち着いた女性の声。

 私はカメラに一礼して、ドアを開けた。

「こんにちは」

 笑顔で出迎えてくれる、長身の綺麗な女性。

 年齢的には40辺りで、優雅な雰囲気を漂わせている。

 微かに青い瞳と、通った鼻筋。

 白いセーターに紺のロングスカートという家庭的な服装も、彼女が着ればファッション雑誌の一ページのようだ。

「済みません、突然来てしまいまして」

 私が頭を下げると、女性は口元に手を当て優しく微笑んだ。

「他人行儀な挨拶はいいから、とにかく上がって」

「はい」


 日の差し込む、明るく広いリビング。

 大きな革張りのソファーと、ガラスのテーブル。

 壁際のローボードには高そうな洋酒が並べられていて、幾つかは中身が減っている。

 窓からは近所の高級住宅街が一望出来、都心がすぐ側とは思えない緑の多さが目に付く。

「あら、いらっしゃい」 

 物静かな態度で出迎えてくれる、綺麗な女性。

 今の女性に似た綺麗な顔立ちで、年齢は20辺りといったところ。 

 半袖のポロシャツに赤のミニスカートという服装は、その絶妙なプロポーションによく似合っている。

「ここへ来るなんて珍しいわね。どうかしたの?」

「ええ」

流衣るい。ちょっと呼んできて」

「分かったわ」

 しなやかな動きで立ち上がり、ベランダへ出ていく流衣さん。

 部屋に戻ってきた彼女の後に付いてきたのは、Tシャツにスパッツ姿の男の子。

「何してたの」

「軽くトレーニングを」

 首にタオルを掛けたショウは、はにかみ気味に笑った。

 顎から滴る汗を輝かせて。


 つまりここは、ショウの実家。

 私達がよく行く所は、彼の伯父さんの家である。

「俺に、何か用?」

 ペットボトルを片手に尋ねてくるショウ

 私は頷いて、彼を上目遣いで見上げた。

「ショウにというより、おじさんになんだけど」

「父さん?」

「嬉しい事を言ってくれるね」

 やはり肩にタオルを掛け、ショウと同じ格好をしている彼のお父さんが嬉しそうに笑う。

 ショウよりも精悍な顔立ちと、時折見せる鋭い眼差し。

 元大尉であり、今はセキュリティコンサルタントというボディーガードに近い仕事をしている。

「軍の話を聞きたい、という訳でもないよね」

「ええ。その、玲阿流について少し」

 今度はおじさんを上目遣いで見つめる。

 そして彼が言葉を発するより先に、私は話をつないだ。

「最近色々あって。その自分の弱さというか、足りない事があるのに気付いたんです。今の自分に不満がある訳じゃないんですけど、変わりたいというか。力を付けたいというか」

「それで」

「もっと、強くなりたいんです。負けないように。人に頼らなくても頑張れるように。大切な人を守れるくらいに、強くなりたいんです」

 最後の方は視線を伏せ、自分でも何を言っているのかよく分からない気分だった。

 ただ自分の気持ちを伝える、それだけしか考えられなくて。

 結局私には何が出来るのか、どうしたらいいのか。

 それは分からなかったけど、何かせずにはいられなかった。

 そして辿り着いた結論が、今の言葉の中に含まれている。

 強くなりたいと。


「なるほど」

 軽く頷き、お茶のペットボトルを傾けるおじさん。

 表情は話をする前と変わらず、別段怒ったり小馬鹿にする様子もない。

「玲阿流は無茶な事をしているから、それを習えば自分も変われる。つまり強くなれる。優さんは、そう言いたいのかな」

「私の考え方は、間違ってますか?」

「いや。玲阿流に精神論はない。今言った通り、強くなる。ただそれだけのために鍛練を積む流派だ。だから、間違ってはいない」

 いつにない淡々とした口調。

 その視線が私ではなくショウへと向けられる。

「こいつもそのために、兄貴の所で鍛練を積んでいる訳だから。だが、優さんも知っての通り全然弱い」

「精神的に、という意味でしょうか」

「まあね。人として生きるのならその方がいいんだろうが、うちの流派では通用しない。それでも最近は、多少ましになってきたかな」

 苦笑するおじさん。

 ショウは恐縮気味に、大きな体を縮めている。

「優さんが玲阿流を学びたいというのは、俺としてはかまわない。ただ弟子入りというか入門ともなると、師範に聞かないとな」

「月映さんに」

「ああ。でも優さんは、そこまで本格的に習う気はないんだろ」

「はい。気構えみたいな事を教えて頂ければ、それで」

 今度は私が恐縮して、小さな体を縮める。

 しかしおじさんは首を振り、私に笑いかけてくれた。

「構わないよ。大事なのは気構えであって、形じゃない。その気持ちさえあれば、という事さ」

「格好付けて」

 黙って話を聞いていた流衣さんが、鼻で笑う。

「私はあまり、勧められないわね」

「お前も玲阿家の人間だろ。そういう事を言うな」

「破門になったのは、どこのどなたですか。お父様」

 「お父様」を区切って伝える流衣さん。

 おじさんは肩をすくめて、おばさんへ視線を向けた。

「知らないわよ。ケンカの事なんて」

「冷たい親子だな」

「結婚した時も言ったけれど。私はあなたと一緒にはなっても、玲阿家を継ぐとは一言も言ってないわ」

「そうですね……」

 寂しく笑い、体を縮み込ませるおじさん。

 軍の英雄も、こうなってはどうしようもない。


「流衣の言う通り、私もあまり賛成は出来ないわね」

「お気持ちは嬉しいんですけど、自分でもよく考えましたから」

「そう」 

 優しい、包み込むような笑顔。

 そっと握られる私の手。

 暖かい感触と、言葉ではなく伝わる気持ち。

 私もおばさんの手を握り返し、少し頭を下げた。

「困ったものね」

 ため息を付く流衣さん。

 そんな彼女を、冷ややかな眼差しで見つめるおばさん。

「何か」

「そろそろ実家へ戻ったら。ここで油を売ってる暇はないでしょ」

「はいはい。仕方ない、従兄弟の顔でも見に行こうかな」

「あなたの夫よ」

 自然と起こる笑い声。

 家族の楽しげな笑顔。

 その中で一緒に笑う私。

 心の奥に、先程の思いを秘めたままで……。



 おじさんの運転で着いたのは、玲阿家本邸。

 さっきまでいた高級マンションからも近く、閑静な高級住宅街の中でも一際大きな敷地を誇っている。

 趣を感じさせる本宅と、それに付随する道場。

 住み込みの弟子やお手伝いさん達の寝泊まりする建物や離れもあり、とにかく広いとしか言いようがない。

 ショウの後を付いて本宅の中を歩いていると、ある部屋が目に付いた。 

 カーペット敷きの、10畳あまりの部屋。

 室内にはクローゼットがあるくらいで、やや薄暗い。

 そこで横になっている人達がいる。

 一つのタオルケットを掛け、向かい合って寝ている。

 枕代わりのクッションから伸びる長い黒髪。

 隣りの子は口を開けて、何故か舌を出している。

「何、これ」 

 彼等の枕元に立ち、ショウに尋ねる。

「昨日から、タンシチューとテールスープ作ってるとは聞いてた」

「どうして一緒に寝てるの」

「それは、俺も知りたい」

 私達の声で目が覚めたのか、長い黒髪の子が眠そうな顔を上げる。

「おはよう」

「え……。ええ、おはよう」

 よく分かってない顔付き。

 挨拶されたので返した、という感じだ。

「何してるの」

「もうアクを取らなくていいから、少し休んでました」

 敬語で説明してくれる女の子。

 少しして目が覚めてきたらしく、瞳が見開かれる。

「何してるの」

 反対に尋ねられた。

「ちょっと、用事があってね。自分こそ」

「私は、その。……起きなさいよ」

 隣で寝ている子のクッションを揺らす沙紀ちゃん。

 もうろうとした表情で、顔を上げる男の子。

「はい」

「優ちゃん達」

「どの辺が」

「さあ」

 素っ気なく答え、なんとなく見つめ合う。

 ケイは大きくあくびをして、口元のよだれをティッシュで拭った。 

 二人ともまだ一つのタオルケットを膝に掛けているが、それを照れたり言い繕う事はない。

 基本的に気にしていないのだろう。

 ある意味、理想的な仲とも言える。


「強くなる?」

「へえ」

 少し目を輝かす沙紀ちゃん。

 ケイは関心なさげに、膝に掛かったタオルケットを撫でている。

「沙紀ちゃんもどう」

「私は、そこまで頑張らなくてもいいと思ってるから」

「そうなんだ」

 彼女の答えはある程度予想していたので、素直に頷く。

 私とは違い、彼女の迷った素振りを見た事はあまり無い。

 きっとそういう事は、もっと前に乗り越えたんだろう。

 だから同じような場面にあっても、克服出来るんだと思う。

 つまり今さら強くなる努力を、慌ててする必要がない。

「一応聞くけど、ケイは」

「銃でも買ってくれば」

 冗談を言っている訳でもない表情。

 また、あながち外れでもない答え。

 彼ならば、という注釈が付くが。


「遠野ちゃんは?」

「家にいる。長女だって」 

 そんな事を言っていたあの子を思い出し、舌を鳴らす。

 確かに誕生日はサトミの方が先なので、理屈は合う。

 戸籍上は、他人だけど。

「沙紀ちゃんこそ、どうしてここに」

「遊びに来たの。そうしたらテールスープ作るから手伝ってくれって、泊まり込み。参ったわ」

「眠いッス」 

 揃ってあくびをする二人。

 なんだか楽しそうだな。



 二人に別れを告げ、私達は道場へと向かった。

 日の差さない、やや薄暗い廊下。

 手入れの行き届いた日本庭園が、ガラス越しに見えている。

「ケイは、いつからいるの?」

「休みに入った後すぐ。寮に一人でいるよりはいいだろうと思って」

「ヒカルの所は、サトミが顔を出すもんね」

 ケイ自身は一人で平気だろうが、私達の方が気にしてしまう。

 以前ならともかく、あれだけの大怪我をしたばかりだし。

 そういう私達の気持ちを分かって、ここにいるんだろう。


 と、人の事を構っている余裕は正直無く。

 ジャージ姿に着替え、板張りの道場にやってくる。

 広い道場にいるのは師範である月映さんと、師範代の風成さん。

 ショウの伯父さんと従兄弟である。 

 後はショウと、そのお父さん。 

 住み込みの弟子の人達も、何人か壁際で立っている。

 全員が空手着のような道着を着ていて、ジャージ姿の私は少々浮き気味だ。

 私は一礼して、道場の正面に立っている月映さんの前に進み出た。

 見上げる程の巨体と、圧倒的な存在感。

 玲阿流の頂点に位置する、師範である。

「話は瞬から聞きました」

 穏やかな顔立ちに似た、優しい声。

 私は小さく頷き、不安を押し隠しつつ次の言葉を待った。

「一つ課題を設けます。それをクリア出来れば、構いません」

「兄貴、もったい付けるなよ」

「単に強くなりたいだけなら、それでもいい。ただ、優さんが学びたいのは心構え。だからこの課題は、譲れない」

「固い男だ。で、何をさせる」

 私の隣にいるショウを指差す月映さん。

「四葉君と戦ってもらいます。それを見て、判断しましょう」

「なるほどね。四葉、分かってるな」

「ああ」

 小さく頷くショウ。

 手加減しろ、という意味ではないだろう。

 むしろ、その逆だ。

 勿論それは、私も分かっている。



「二人とも、距離を置いて構えて。私の合図で始めます」

 腰を落とし、上下に拳を構える。

 ショウは後屈立ちで、受けに近い構え。

 静まりかえる道場内。

 早まる鼓動を耳に聞き、少し笑う。

 緊張も不安もある。

 だからこそ、笑っていられる。

 笑顔ではなく、心の中で。

 鼓動が聞こえる程度の余裕はあるな、と。

「始め」

 低い合図。

 それと同時に床を蹴り、タックルに出る。

 振り上げられた長い足が降りてくる前に横へ飛び、再び突進する。

 体を変え、上げた足で横蹴りに来るショウ。

 唸りを上げるそれをヘッドスリップでかわし、足に手を添えさらに進む。

 バランスの崩れた体勢から放たれるジャブ気味の拳。

 腕力のみだが、当たればそれなりのダメージが待っている。

 ジャブが引くタイミングに合わせ、懐へと飛び込む。 

 だが向こうもそれを待っていたのか、上から腕が伸びてきた。 

 顎を引いたが、わずかに遅れる。

 髪を掴まれる感触と、引っ張られる感覚。

 普段のショウなら、絶対に仕掛けてこない動き。


 腕の動きに合わせ床を蹴り、振り上げた足で腕を払いにいく。 

 さらに体を反らし、後宙を切る。 

 髪を掴み続けていれば、逆に腕を極められる。

 その意図を読んだのか、髪を掴んでいた感覚が消える。

 だが、ショウの攻撃自体が終わった訳ではない。

 体をひねりつつ、間近にいる彼の動きをチェックする。

 離れ際。

 浴びせ蹴りを警戒してか、バックステップで距離を保つショウ。

 それに構わず、着地の体勢を取りつつ彼へかかとを振り下ろす。

 空を切った右足が床を捉える。

 そのままもう一度反転し、左足を振り下ろす。

 アクロバティックな、やや緩慢な動き。 

 当然難なくかわされ、逆に距離を詰められた。

 着地の瞬間、飛んでくるショウの前蹴り。

 その足の裏に向かい、拳を突き立てる。


「そこまで」 

 静かに宣言する月映さん。

 息の上がっている私に対し、ショウはやや汗をかいている程度。

 お互い距離を置き、一礼する。

「怪我はどうですか」

「ありません」

 月映さんにも頭を下げ、姿勢を正す。

 完全かどうかはともかく、自分の力は出し切った。

 だから満足という訳ではないが、体を動かしたせいか気分はいい。

 やはりこうしているのが、性に合っているようだ。

「……いいでしょう。入門という形ではありませんが、個人的な指導という事でよろしければ」

「ありがとうございます」

 騒ぐ事無く、もう一度頭を下げる。

 内心の嬉しさと、若干の不安。

 一線を踏み越えたという気持ち。

 そんな私の内心を読み取ったかのように、月映さんが口を開く。

「最後の、足の裏への一撃。あれはよかったです」

「かわされましたけど」

「四葉君といつも組み手をしているので、動きを悟られたのでしょう。それもただ突くだけではなく、指への貫手。かなりの覚悟をしましたね」

 満足げに微笑む月映さん。

 普通の格闘技なら卑怯な攻撃。

 ノールールに近い総合格闘技でも、指への攻撃は反則になっている場合が多い。

 だが私は、それを行った。

 勝つために。

 強くなるために。

 相手が、誰であろうとも。

「四葉君が髪を掴みに行った時、抵抗しないのもよかったです。髪を気にせず動けましたね」

「それよりも、攻撃で対処しようと思いまして」

「良い考えです。人間、髪が抜けても死にませんから」

 鋭さを帯びた笑顔を浮かべる月映さん。

 それを否定する声は、どこからも上がらない。

 多分私やショウの取った行動は、ここにいる人達からすれば当然の行動なんだろう。

 でも私にとっては勇気を必要とした瞬間であり、今でも胸に不安はある。

 罪悪感、と言い換えてもいいような。

 それと共に、これからも生きていく気持ちも。


「私達が世間で強いと言われる理由が、今のような事です。ためらわない、という」

「はい」

「私や瞬などは、図らずもそれを戦場で証明してしまいましたが。ためらわない事の意味を」

「絶対に譲れない信念のためなら、人を殺そうと何をしようとそれを否定しない気持ち。ある意味最低な人間でもあるが」

 苦笑気味に説明する瞬さん。

 それに対して口を挟む者は、誰もいない。

「ただ優さんは、そこまで思い詰める必要はない。自分自身に負けないとでもいうのかな。気持ちとして持っているだけでいいから」

「はい」

「よし。難しい話は終わりだ。四葉、呼んでこい」

「ああ」 

 小走りで道場を出ていくショウ。

 私以外のお客さんでも来るんだろうか。


「何かあるんですか?」

「イベントだよ、イベント。なあ、兄貴」

「そういう捉え方もありますけどね。私はちょっと」

「という訳だ。四葉にやらせるか」

 瞬さんがそう言った途端、壁際に突っ立っていた風成さんの瞳が輝いた。

「叔父さんそれはないでしょう。師範がやらないと言うのなら、師範代の出番だろ」

「だそうですが、師範」

「好きにしなさい」 

 苦笑する月映さんと、破顔する風成さん。


 そこにショウが、数名の大柄な男性を伴って戻ってくる。

 全員が殺気だった雰囲気を漂わせ、今にもこちらへ飛びかかってきそうな勢いだ。

 服装も空手着と、少なくとも普通の客では無い。

「道場破りさ」

 体をほぐしながら、風成さんがそうささやく。

「今時?」

「ここでは、珍しくない。世界規模の総合格闘技団体・RASレイアン・スピリッツの源流にして、前大戦でも勇名を馳せた玲阿流。それを倒せば、一気にネームバリューが上がるってもんだ」

「へぇ」

「優ちゃんでも勝てる相手だけど、俺も暇なんでね」

 こみ上げる笑い声。

 一応彼等には気付かれないようにしてはいるが、戦いに挑む緊張感などは殆ど感じられない。

 彼の実力からすれば、それは当然の事だが。


 道場の中央で対峙する風成さんと、男達。

 フルコンタクトの空手に、投げ技を加えている流派らしい。

 一応練習試合の形式になってはいる物の、お互い友好的とは言えない態度。

「お前が、相手か」

「師範代を務める、玲阿風成です。試合の結果にかかわらず、お互い遺恨を残さないという事で」

「分かった」

 意味ありげに微笑む、リーダーっぽい禿げた中年男性。

 それ以外はみな同じような丸坊主。

 気合いだけは買ってもいい。

「ルールは」

「何でもいい」

「では、いわゆる総合格闘技ルール。急所箇所への攻撃のみを禁じるという事で」

「任せる」

 男性の前に出る、大柄な丸坊主の一人。

 風成さんが手を伸ばすが、丸坊主は鼻を鳴らして拳を突きつけた。

「下らない事やってないで、掛かってこいよ」

「そうですか」


 閃光のごとく、真っ直ぐ一直線に伸びる正拳。

 それは反応した男のガードを捉え、その体勢のまま壁に叩き付けた。 

 突然その後ろ、死角とも言える位置から突っ込んでくる男が一人。

 前蹴りを肘で叩き落とした風成さんは膝蹴りで突進を止め、崩れた顔にフックを合わせて男を床へと崩れさす。

 どちらも微かな呻き声だけを上げ、けいれんにも似た動きで床の上に転がっている。

 早さだけではなく、的確に急所を突く打撃。

 相手のバランスを崩す、微妙な立ち位置の変化。

 どう仕掛けられようと冷静に対処する、その心構え。

 玲阿流師範代の名は、伊達ではない。


「寝不足かな」

 当たり前だが、汗一つかいていない風成さん。

 男達は顔を真っ赤にして、一歩前に出た。

「お前、何を」

「掛かってこいって言ったからさ。ケンカしに来たんだろ」

「ふざけやがって」

 懐から警棒を取り出す男達。 

 しかし道場にいる玲阿流の人達は、一歩も動かない。

 風成さんも、平然とした物だ。

 予想していたという顔でもある。

「外に仲間がいるなら、呼んだ方がいいぞ」

「馬鹿が。名前だけで勝てると思うな」

「なるほどね。俺達がどうして最強と呼ばれるのか、教えてやるよ」 



 結果は言うまでもなく、風成さんの圧勝。

 人数や武器でどうにかなる人ではないから。

「手加減しろよ」

 ようやく血塗れの床を拭き終えたショウがため息を付く。

 玲阿流本家の人間とはいえ、実力や序列では一番下とも言えるので。

「したさ。殺してない」

「馬鹿じゃないか」

「かもな」

 やはり血塗れの道着を脱ぎ捨て、引き締まった上体を露わにする風成さん。

 ボディービルダーのように見た目だけの筋肉ではなく、いかにも実戦向きといった付き方。

 刃物で刺されても、通らないんじゃないかと思えるくらいである。

「脱ぐな」

「暑いんだよ。さー、後は試合に向けて頑張るとするか」

「やっぱり出るのか?」

「日本中から強い奴が集まってくるんだぜ。出るに決まってるさ」

 彼等が話しているのは、RAS主催のオープントーナメント。 

 主催者推薦の有名な格闘家と、予選を勝ち抜いてきた人達で争われる国内でも有数の総合格闘技大会。

 例年優勝を含む上位はRASの人で占められていて、その打倒を目指して全国の猛者が集結するという訳だ。

 「10年間、玲阿流関係者の参加を禁ずる」という規定があったらしいのだが、今年がその10年目との事。


「姉さんが嫌がってただろ。今日も、母さんに愚痴ってた」

「そうですね……」

 肩を落とす風成さん。

 さっきまでの戦い振りとは打って変わった、やるせない態度。

 でも、出場を取りやめるとは口にしない。

 だからこそ、気分が勝れないんだろう。

「ただ、山でのトレーニングには付いていくって言ってた。それは聞いた?」

「ああ。……優ちゃんも来たら」

 巨体を小さくさせ、上目遣いで私を見つめる風成さん。 

 来て下さいという様にも見える。

 部外者の私がいれば、流衣さんもそうは怒らないと思ってるのかもしれない。

「邪魔じゃないですか?」

「そんな事無いよ。面倒ごとは全部四葉がやるし、遊びのつもりで来ればいい」

「はあ。考えておきます」

「出発はあさってだから、早めにね」 


「ショウと泊まる?」

 目を見開き、大声を上げるサトミ。

 私はため息を付いて、もう一度説明した。

「風成さんと流衣さんも一緒よ」

「でも、泊まるんでしょ。おじさん達がなんて言うか」

「さっき、ホテルの方に連絡した。好きにしなさいって」

「あ、そう。それならそれで、私は構わないけど」

 態度を一変させ、素っ気なく返してくるサトミ。

 今いるのは私の部屋なんだけど、サトミの私物があちこちに置いてある。

 少なくとも机はすでに、彼女の物だ。

 ここで私が留守にすると、部屋ごと取られそうだな。

「私は大人しくしてるから、頑張って修行してきてね」

「ここは、私の家よ」

「当たり前じゃない」

 くすくすと笑いながら、荷造りを始めるサトミ。

 彼女のではなく、私の分を。

 助かるけど、ちょっと嫌だ。

「帰ってくるからね」

「分かってる。分かってます」

 大きなバッグに、着替えや携帯用のアメニティグッズが詰められていく。  

 しばらく様子を見ていたら、机の上に置いてあったフォトスタンドまで中に入れた。

 家出じゃないんだからさ。

「それはいいって。着替えとかだけでいいから」

「残念ね。あ、嘘嘘」

 朗らかに笑い、私がよく読む小説と詩集を詰めていくサトミさん。

 まるで、自分が旅行に行くみたいに楽しそうだ。

「でも、おかしな事はしないでね」

「何、それ」

「若い男女が一つ屋根と来たら、そうじゃない。もう、嫌ね」

 しなを作り、人の頬をつねってきた。

 太股だろう、普通は。

「だから、そんなのじゃないの。まさか、もう嫌ね」

 私も彼女の頬をつねり、ははと笑う。

 本当に、まさかね……。



 旧福井・九頭竜湖。

 そこから北へと伸びる、雪まだ残る奥深い山道。

 細く狭い道はやがて行き止まりとなり、車が路肩へ止められる。

 空は青く澄み渡り、足元の雪をまばゆく輝かせる。

 白い息と、身を引き締めるような冷たい空気。 

 思わずダウンジャケットを抱きしめ、笑ってしまう。

「ここから、どれくらい?」

「荷物があるし、10分かな」

 ハッチバックを開け、食べ物の入った段ボールを抱えるショウ。 

 私は軽めのバッグを肩に担ぐ。


 やや急な勾配と、くるぶしまで埋まる雪道。

 この時点でトレーニングと言えなくもないが、10回も往復するものでもない。

 それでも夕方前には全ての荷物を山小屋へ運び込み、燃えさかるストーブの前でくつろぐ事が出来た。

 ログハウス風の2階建ての建物で、下はリビングとキッチンなど。

 2階はトレーニング器具が置かれた、物置兼用のスペースや寝室がある。

 私はストーブの前に腰を下ろし、床に引かれたカーペットの手応えを楽しんでいた。

「気持ちいいけど、これ何」

「毛皮。鹿か、ウサギだったかな」

「捕まえたの?」

 撫でていた手を止め、黒のセーターとジーンズ姿になったショウを見上げる。

 彼はぎこちなく首を振り、私から目をそらした。

「捕まえたというか、何て言うのか」

「さっき薫製がどうとか言ってたけど、もしかして」

「いや、俺は知らん」

 露骨にうろたえるショウ。

 さっきキッチンの冷蔵庫で見た、肉の塊はなんだったのか。

 知りたいけど、知りたくない。

「少し前に、ここへ来たって言ってたよね」

「さあ。……と、風成からだ」

 タイミングよくショウの端末が音を鳴らす。

 私もこれ以上はちょっと怖いので、それを受けれいる。

「……ああ。……全部運んだ。……え?……いや、でも。……ああ。……でもさ。……ああ、分かった。……違うよ。……ああ」

 通話を終え、様子を窺うように私を見つめるショウ。

 何か言いたそうだ。

「もう近くまで来てるの?」

「い、いや。それが、その」

「どうしたの」

「来られないって」



 今この小屋にいるのは二人。

 一人は私。

 もう一人はショウ。

 後から、仕事を片付けた風成さんと流衣さんが来る予定。

 だった。

 でも、来ない。

「ええ?」

「2、3日遅れるって。……どうする、ユウ」

 気まずそうな質問。

 はっきりと言わなくても、その意図は分かる。 

 この間のサトミの指摘。

 一つ屋根の下、高校生の男女が泊まる事の意味。

 大丈夫、気にしない。

 笑って済ませられる程、私には余裕がない。

「そう言われても」

「だよな。一旦街まで行って、ホテルか民宿にでも泊まろうか」

 さりげなく提案してくれるショウ。

 それに頷き掛けた所で、ふと思った。

 考え過ぎかな、と。

 一つ屋根の下と言っても、同じ部屋の同じベッドに寝る訳でも無いんだし。

 部屋はいくつもあって、鍵も掛けられる。

 大体ショウが、そういう事をするとは到底思えない。

 勿論、私だって。

「面倒でしょ。それに、お金掛かるじゃない」

「ただ、ここにいるとその。あれだろ」 

 言いにくそうに口ごもるショウ。

 私は視線を伏せ、小さく首を振った

「別に困る事も無いんだし」

「俺は別に困らないよ。でもユウは、困るというかなんというか」

「大丈夫。誰かに発表する訳でも無いんだから。それに、何もないんでしょ」

「あ、ああ。無いよ。勿論無いって」

 妙にきっぱりと言い切る。 

 「あるよ」と言われても困るけど、ここまで否定されると少し寂しい。

 どっちなんだと突っ込まれそうだが。

「少し早いけど、ご飯作るね」

「あ、ああ」


 軽めの夕食を終えた私達は、小屋の前にある広いスペースへと出てきた。

 二人とも動きやすいジャージ姿で、足にはブーツを履いている。

 一応辺りの雪は小型の除雪機で取り除いてはあるが、周囲の森に入れば膝まで埋まるから。 

 そのくらい、何もない場所。

 小屋に続く一本道と、水道などのライフライン。

 それ以外は小高い木々と、深い雪。

 後は私達の、白い息くらいか。

「思い出した」

「え、何を?」

「三島さんとやり合う前のトレーニング」

 はにかみ気味に笑うショウ。

 そういえば、そうだ。

 あの時も、二人きりで頑張っていた。

 勿論頑張ったのはショウだけど、私もほんの少しは役に立てたかなと思う。

 辛い事や苦しい事もあった。

 でも今となっては、大切な思い出の一つ。

 ここでの事も、きっとそうなるんだろう。

「今日は、筋トレとストレッチだけにしようか」

「ええ。明日から歩きづめで、大変そうだしね」

「お互いに」

 重ねられる拳と、眼差し。

 かわされる笑顔。

 伝えられる言葉と、伝わる気持ち。

 ここへ来てよかったと思えた、初めての時……。



 ショートヘアをタオルで拭きながら、備え付けのベッドに潜り込む。

 部屋の広さは6畳程、エアコンが頼りない音で温風を吹き出している。

 ベッド以外は小さなテーブルとラックがあるくらい。 

 殺風景と言ってもいい眺め。

 灯りを消し、暗闇の中天井を見上げる。

 耳に聞こえる、何かが響くような音。

 カーテンの降りた窓が、薄く光る。

 遠くで雷が鳴っているようだ。 

 冬の終わり、春雷とでも言うのだろうか。

 布団を頭まで被り、目を閉じる。

 近づいてくる轟音。

 瞼ごしに見える稲光。

 ベッドが揺れるような感覚。

 エアコンの温風は弱々しくて。

 稲光が過ぎれば、全ては暗闇の中に消える。 

 体を丸め肩を抱く。

 寒さよりも、言いしれない寂しさ。

 寮や自宅でも、一人で寝ている。

 幼い頃ならともかく、それを寂しいと思った事は殆どない。


 でも今は違う。

 訳もなく震えている。

 周りに誰もいない事、寒さ、雷。

 答えは見つからない。

 ただ不安が募っていくだけで。

 強くなる、なんて格好いい事をいった癖に。

 結局自分は、この程度なんだ。

 気が滅入っていき、寂しさはさらに強くなる。

 肩を抱いても、体を小さくしても。

 震えは止まらない。

 胸の苦しさも。

 だから……。


 明かりの灯ったリビング。

 ベッドソファーの上で、壁にもたれ雑誌を読んでいる。

「雷、うるさいよな」

 苦笑気味に、窓を指差す。

 それへ合わせるような稲光と轟音。

 体が震える。

「エアコンの効きも悪いし、俺も眠れなくてさ」

「……一緒に寝ていい?」

 クッションを抱え、俯き加減でささやく。

 上目遣いの視界に映る彼。

 一瞬の困惑と、それに続く優しい笑顔。

 毛布と布団がまくられ、スペースが出来る。

 下を向いたままベッドに上がり、体を丸める。

 体に掛かる毛布と布団。

 その上に、そっと手が置かれた。

「明かり、消そうか」

「うん」

 消える照明。

 窓からの微かな明かりが、室内を薄闇く映し出す。

 伏せた顔の目の前にある、ショウの胸元。

 何をする訳でもなく、何をしてくる訳でもなく。

 でも震えは止まった。

 彼の体温と、私の体温で暖まったからか。

 彼の気持ちが、心を温めたのか。 

 もう寒くはない。

 雷音も稲光も気にならない。

 訪れる眠気。

 閉じられる瞳。

 安らぐ気持ち。

 自分が何をやっているのかなんて、考える事もなく。

 私は眠りに付いた……。



 明けて朝。

 白い日差しと、小鳥の鳴き声。 

 ベッドから降り、軽く伸びをする。

 気持ちよさそうに眠っているショウ。

 その隣りにある、人一人入りそうな布団の抜け殻。

 そこでふと思い出す。

 サトミの言っていた、一つ屋根の下。

 いや、同じベッドか。


「まあいいや」 

 自分でも驚く程あっさりと切り替え、部屋を出ていく。

 それは勿論、何も無かったせいもある。

 私はすぐに眠りに付いたし、そんな記憶もない。

 ショウだってそうだろう。

 大体そんな事を考える余裕が、昨日はなかった。

 冷静に考えれば、色々問題なんだろうけど。

 私としては、「まあいいや」で済む問題だ。



 そんな事はどうでもいいから、ご飯でも作るとしよう。 

 私にとっては、そっちの方が大問題だから。

 そう自分の気持ちをごまかして、私はキッチンへと向かった。






 







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