エピソード(外伝) 11 ~阿川・山下メイン~
一人
名古屋都心部、大須。
電気街と古い商店街が共存する、やや変わった繁華街。
その一角にある、大型のアイススケート場。
今はアイスホッケーの試合が行われていて、プロテクターに身を包んだ高校生同士が激しい戦いを繰り広げている。
エッジに削られる氷、プラスティックフェンスにぶつかる選手達。
小さなパックが氷を滑り、ゴール前で両者のスティックが行き交う。
白熱した、熱い攻防がそこでは繰り広げられて……。
「弱いな、うちは」
背もたれに肘をかけ、ため息を漏らす阿川。
厚手のパーカーと、紺のジーンズ。
腰には警棒が下がっている。
甘い、優男と言った顔立ち。
大柄ではないが、均整の取れたいい体格である。
「名古屋は、雪国じゃないもの」
苦笑気味に返す山下。
彼女も厚手のパーカーと、紺のジーンズスカート。
膝にはオープングローブが、揃えて置かれている。
やや小柄な体型とセミロングの髪型は、人に安心感を与えるだろう。
本人がそれを意識しているかは、別にして。
スクリーンボードに表示されたスコアは、4-1。
アイスホッケーでは、やや離れた点差。
しかも、まだ最終ピリオドが残っている時間帯。
二人の言葉も、致し方ない。
「観客もいないし、警備してても」
「そう言わないの。本当、眠いわ」
「何だよ、それ」
笑い合う二人。
だがそれは、草薙高校のゴールネットをパックが揺らした事で終わりを告げる。
「誰だ、ここの警備しろって言ったのは」
「勿論、アイスホッケー部よ」
「客もいない、試合も負け気味。で、俺達にどうしろって」
「応援団もいないものね」
アイスリンクを囲む、意外に広い観客席。
二人がいるのは二階席で、周囲には草薙高校の関係者がまばらにいる程度。
それは相手チームも同様で、ジャージ姿の高校生が声援を送っている。
人がいなくて静かなので、少人数の応援でも反対側まで聞こえてくるのだ。
「大体、俺達をここに廻したのは誰」
「浦田君。普段忙しいですから、是非お二人にって」
「暇ならいいって物じゃない」
苦笑して、端末を取り出す阿川。
何やらボタンを操作して、もう一度笑う。
「どうしたの」
「軽いいたずら」
「しょうがないわね」
という自分は、すでに端末をしまった後だ。
「俺達以外は、誰がいる」
「遠野さんと、玲阿君」
「雪野さんじゃなくて?」
「付き合ってる訳でもないし、よそから見ればあの二人だってお似合いよ」
真下に見える一階席を指差す山下。
精悍な顔立ちの、モデルのような体型をした少年。
その隣りに座る、凛々しげな美しい少女。
二人は楽しげに、アイスリンクに向かって声援を送っている。
「俺はどうでもいいけど」
「また、それ?冷たいわね」
「他人の自主性を大事にするだけさ。誰が付き合おうと、何をしようと関係ない」
素っ気ない、言葉通りの無関心な表情。
山下は何かを言いかけ、首を振った。
「なに」
「同じ事を何度言っても仕方ないと思って」
「済みませんね、いつもご迷惑をお掛けして」
「本当よ。大体前期だって、あの馬鹿隊長がいなくなった後はあなたが隊長になると思ってたら」
くすっと笑う山下。
阿川も、口元を緩める。
「丹下さんが上からやってきて、俺はかろうじて副隊長。君は、その補佐」
「私だって立場に未練はないけど、あの時主張すればあなたが隊長だったのよ」
「分相応って訳さ。現に丹下さんは、多分俺よりも隊長の仕事を上手くこなしている」
「それは認めるわよ。彼女は優秀だし、私も丹下さんは好きだわ。付き合いの長さを別にしてもね。ただ、あなただって……。っと、また同じ事言ってるわね」
手を挙げて、言葉を止める山下。
ペットボトルが傾けられ、小さな吐息が漏れる。
「来期は、どうするの?」
「自警課は、今まで通り頼むって。つまり、丹下さんの副隊長。こっちから意見は言えても、命令を拒否は出来ないから」
「フォースも自警局に統合されるし、少し揉めるのかしら」
「さあ。俺は副隊長としての役割を果たすだけだよ」
感情の薄い返答。
笑顔こそ浮かんではいるが、その内面は出てこない。
「矢田君もいまいち、ぴりっとしないし」
「理想主義から、現実主義に転向したんだよ。それに誰だって、学校には逆らえない。河合さん達じゃあるまいし」
「まあね。でも、上に立つ人があれでは」
「確かに頼りない。でも、代わりもいない。屋神さんは卒業、峰山は退学。風間達もいない。後は誰がいるって話だ」
淡々とした口調で語る阿川。
「仕事の出来る人間はいるだろうけど、あれだけの権限と責任を使いこなせるかと言えば難しいよ」
「矢田君は、使いこなせてないわ」
「だから問題なんだ。塩田が自警局長なら、問題はないんだが」
「あの子はガーディアン連合の代表。自警委員ではあっても、生徒会メンバーではない。それを良しともしないでしょ」
ゲームが中断し、選手が数名交代する。
アイスリンクに流れる、軽いBGM。
二人は気にする様子もなく、会話を続ける。
「そう考えると自警局、生徒会ガーディアンズも人材不足だよな。ガーディアン連合には元野さん、木之本君、遠野さん、浦田君、雪野さん、玲阿君。1年だけでも、それだけ揃ってる」
「方やこちらは、ひよっこばかり?」
「生徒会という後ろ盾を頼りにしてるのと、自分達の力でやってる彼等。物資や金銭では勝ってても、やり合えば簡単にこっちが負ける。前期の丹下さんと雪野さん達が、その例だ」
「あの子達は特別よ。それで丹下さんを責めるのは酷だわ」
「責めてはいない。ただあの子は正攻法で行き過ぎた。結局生徒会ガーディアンズの力を、どこかで過信してたんだよ。それに気付く事が出来る子だけどね」
阿川の指摘に頷く山下。
アイスリンクでは、ゲームが再開されている。
依然草薙高校は押され気味で、再三ゴール前にパックが飛んでくる。
「このままだと、こっちも危ないな」
「試合が?それとも、自警局が?」
「試合はもう負けさ。危ないのは自警局」
「舞地さん達がいるじゃない。それにフォースが統合されれば、沢君もやってくる」
しかし阿川は小さく首を振った。
山下も分かっているとばかりに息を付く。
「公然の秘密だけど、彼女達は生徒会長に雇われている。沢君も、自警局を利する行動を取るとは限らない」
「俺も、そう思う。逆に言えば、あの連中はお腹に入った爆弾だよ。いつ爆発するか分からないし、取り出すのも難しい。分かってるのは、そのとてつもない威力だけ」
「渡り鳥と、フリーガーディアン。確かに、この学校にいるのが不思議だものね」
周りから聞こえる、控え気味な歓声。
だがそれは、すぐに野次とため息に取って代わる。
「俺達が卒業すると、元野さん達が3年。あの子達が最上級生になれば、生徒会ガーディアンズは相当に立場が弱くなる。とにかく、人材が違い過ぎる」
「丹下さんや七尾君は、心情的に向こう側ね。北川さんも、彼の味方に付くとは思いにくい」
「矢田君一人でどうにか出来る相手じゃない。だからその布石のために、学校とのコネクションを強めてるのかも知れない。まあ、どうでもいいけど」
「結局はそれ?」
苦笑する山下。
同時に辺りから歓声が上がり、草薙高校の選手がスティックを振りかざす。
「やった。一点返したわ」
両手を上げて喜ぶ山下だが、スコアボードの「5-2」を見ようとはしない。
「逆転は無理でも、追いつけるかな」
「試合が?将来の自警局が?」
「さあね」
休憩時間。
施設内の売店で買った食事を取る二人。
観客席の1階では数名の若者が、サトミとショウに仲裁を受けていた。
若者達は一様にうなだれ、サトミとショウはいきり立っているようにも見える。
仲裁、ではないのかもしれない。
「玲阿君、遠野さん。程々にね」
手すりから顔を出し、ホットドッグを振る阿川。
二人は遠慮気味に頷き、若者達を追い返した。
「若いね、全く」
「1才違うだけじゃない」
「俺は、あそこまで元気じゃないよ。……ゴミを捨てるな」
突然阿川が厳しい声を出す。
彼の後ろで紙コップを床へ捨てようとしていた男は、顔色を変えて慌てて逃げ出した。
「後ろに目でもあるの?」
「これだけ静かなら、服のずれる音くらい聞こえる。それに屈む気配が重なれば、推測は付くよ」
平然と答える阿川。
山下は特に驚いた様子もなく、ぬるめのホットミルクをストローで吸い上げた。
「それにしても、弱いわね」
「健闘してる方だろ。そう思いたい」
「最後に少しは追いつけるかしら」
「努力すれば、もしかして。難しいだろうけど」
アイスリンクに戻ってくる草薙高校の選手達。
スケーティングやスティック裁きは様になっているが、戦術やパワー面はやや見劣りがする。
雪国でない土地柄と、学校の支援の薄さ。
それは試合結果となって、はっきりと現れてくる。
「ある意味、逆よね」
「なにが」
「私達が応援しているチームは、弱小で基盤も弱い」
「自警局ではなくて、連合に似ているって?。どっちもガーディアンだよ」
肩をすくめる阿川。
山下は小さく頷き、ホットミルクを隣の席へ置いた。
「とにかく、頑張ってもらわないと」
「それは同意見だ」
再開される試合。
展開はやはり押され気味なものの、得点を許してはいない。
ただ観客も少ないため、全体の盛り上がりはやや欠けるが。
「頑張ってるけどね」
「私は眠いわ。ルールも、よく分からないし」
「それも同感。チアリーディング部くらい、動員して欲しいよ」
「観客より多いんじゃなくて?」
苦笑し合う二人。
周りから叫び声が上がっても、彼等は表情一つ変えない。
相手ゴールに選手が殺到したが、キーパーが難なくパックをはじき返したのだ。
「暴れたのは、さっきの連中だけか」
「そこまで人がいないもの」
「トラブルを求めはしないけど、俺は何しに来たんだろ」
伸びをして、背もたれに崩れる阿川。
だがその瞬間にも、それとなく周囲へ視線が向けられる。
「問題は無さそうね。それ以前に人もいないし、階下へ行きましょうか」
「ああ」
1階の観客席へと降りてくる二人。
2階よりは観客が多いが、それは比較しての話である。
言うなれば閑散とした光景。
関係者以外で見に来ている者は皆無だろう。
「こっちも、問題なし」
「いっそ、私達が暴れる?」
「その方が、余程面白いよ」
気だるげに笑う二人。
そこへサトミとショウがやってくる。
「階上はよろしいんですか」
「よろしいですよ、遠野さん」
「それは結構ですわ」
愛思いい笑顔を浮かべるサトミ。
やや目元が鋭いが。
「冗談だよ。とにかく、上も下も問題ない。試合が負けてるのを除けば」
「2点差ですからね」
「え、いつ入れたの?」
「多分、お二人が降りてくる途中。ついさっきです」
スコアボードは、5-3。
小さく拳を上げる阿川と、両手を振る山下。
アイスホッケーに興味はなくても、母校に対する気持ちはまた別らしい。
「玲阿君。君がキーパーやった方がよくないか」
「俺は素人だから」
「動体視力と反射神経、後は身体能力だろう。問題ない」
「無理だって。大体、登録してないよ」
生真面目に答えるショウ。
阿川は肩をすくめ、目の前にあるプラスティック製のクリアフェンスを警棒でつついた。
「だったらこれを叩いて、妨害するとか。何かやろうよ」
「ええ?」
「どうせ暇だろ」
「ま、まあそうですけど」
じりっと下がるショウ。
じりじりと距離を詰める阿川。
だがその間に、サトミが入ってくる。
「下らない事言って、ショウをからかわないで下さい」
「軽い冗談さ」
「あなたには冗談でも、彼は本気と取りかねません。そのくらい、分かっていらっしゃいますよね」
まなじりを上げ、阿川へ詰め寄るサトミ。
今度は阿川が後ずさる。
「分かった。俺が悪かった。ごめん、玲阿君」
「いえ、俺は別に」
「これだから、おぼっちゃまは。たまには断ったり、嫌だと言ったら」
「本当に。……いや、独り言だよ」
サトミに睨み付けられ、慌てて両手を振る阿川。
山下は彼の腕をつつき、しかめた顔を向ける。
「何をしてるの」
「怒られてただけさ」
「私は、怒ってません」
「遠野さんは、ああ言ってるわよ」
二人の視線を受けた阿川は、「悪い悪い」と軽い調子で謝り通路へと消えていった。
「ごめんなさい、二人とも。阿川君も、本当に悪気があった訳じゃないの。ただ少し暇を持て余してたから」
「いいんです、山下さん。あのくらい返せない、ショウの方が悪いんですから」
「そうですね……」
肩をすぼめる、草薙高校最強と言われる男の子。
サトミは気に留めた素振りも見せず、観客席を見渡した。
「いますね」
「阿川君が?」
「ええ。二階に戻って、警備を続けてます。一見、ただ歩いてるだけですが」
冷静な指摘。
先程までの険しい表情は影をひそめ、信頼と敬意に満ちた眼差しを二階にいる阿川へと向けている。
「仕事は出来るのに、軽いというか深く入り込まないというか。人と距離をおきたがりますよね」
「性格なのよ。本人は困ってないから、私はそれでいいと思ってる」
案外素っ気なく答える山下。
サトミは意外という顔付きを一瞬見せて、すぐに頷いた。
「浦田君はもう少し遊ぶ面があるけど、阿川君はまず第1に自分のスタイルを貫きたいのよ。自分は自分、人は人。その自分の距離感やスペースを大切にしたいのよね」
「分かります」
「俺は、よく分からん」
「玲阿君は人がいいから、難しいかな。例えば目の前で、誰かが溺れてるとする。時期は真冬、救命道具は何もない。あなたなら、どうする?」
そう尋ねられたショウは、少しの間を置いて彼女に顔を向けた。
「飛び込んで、助ける」
「阿川君は違う。即、処理出来る人を呼ぶ」
「でも」
「巻き添えになって、自分も死んだとする。困るのは助けてもらった人の家族。そしてあなたの周りにいる人。どんな人でも、一人で生きている人なんていないのよ」
淡々とした口調。
冷静な表情。
観客のささやかな歓声の中。
「素人が無理をして、却って危ない事になる場合もある。自分のせいで、却って周りに迷惑を掛ける時もある」
「だからって、人と距離を置くというのも」
「寂しい生き方かもしれないわね。でも、それが間違いだと誰に言い切れる?」
薄く微笑む山下。
ショウは無言で、視線を伏せる。
サトミは真っ直ぐに、彼女を見つめ返す。
「あなた達のような性格だと、認めにくいかな」
「そうは言わないけど、目の前で何かあっても人に任せるなんて」
「玲阿君は自分に自信があるから、そう言えるのよ。だけど本当に自分の行動がどんな意味を生み出すか、なんて考えた事がある?」
「いや、あまり」
さらに視線を伏せるショウ。
「誰かを助けた。その人は、本当は悪人だった。助けたせいで、余計悪い事をするようになった。なんて循環が無いとも限らない」
「この間学校にいた、舞地さんの知り合いみたいに?」
「そうね。勿論、そこまで考えたら歩く事も出来ないって話だけれど」
やや大げさに首を振る山下。
アイスリンクでは草薙高校が、相手ゴールへ襲いかかっている。
「例えばこの試合。私達が勝ったとする。すると、どうなる」
「え?」
「この場にいない報道部は叱責、SDCは来年度の予算を再検討。顧問は補助金の増額を要求し、優秀な人間をスカウトする資金も出来る。たまたま相手チームを見ていたJHLのスカウトが、誰かに目を付ける可能性も」
「つまり私達は、草薙高校アイスホッケー部の歴史が変わる瞬間に立ち会っているのかも知れない。そしてその試合を警備した人間として、いつの日かインタビューを受けるのかも」
冗談っぽい口調。
サトミも微かに笑う。
「全ての可能性から目を背ける訳には行かない。そのために阿川君は、つかず離れずの立場にいるのよ」
「随分、詳しいんですね」
「中等部からの付き合いだもの。昔、あの子がまだ……」
「俺が、何か」
不意に現れる阿川。
山下は彼に手を振り、今度は自分が通路へと消えた。
「俺の悪口は楽しかった?」
「ええ、とても」
「嘘でも、違いますと言って欲しいね」
「それは失礼しました」
優雅に会釈するサトミ。
ショウは困惑気味に、彼女と阿川の様子を窺っている。
「心配しなくても怒ってないよ。君も学校最強の割には、人がいいね」
「俺は、そんなに強くないから」
「非公式の試合とはいえ、三島さんに勝っただろ。クマに勝てる人なんて、そうはいない」
「参ったな」
所在なげに、頬をかくショウ。
阿川は優しい笑顔を浮かべ、彼の肩に触れた。
「それが君のいいところだよ。そこにつけ込まれる可能性が無いとも言えないけど」
「はあ」
「その時は、仲間を頼るんだね。俺みたいに、人へ背を向けるんじゃなくて」
ショウが何か言うより前に手を振る阿川。
「気にしなくていい。……と、点が入ったか」
周囲から上がる歓声。
人数が少ないので、その寂しさは否めないが。
「5-4。勝ちますか?」
「さあ、俺は素人だから」
「だったら、賭けます?」
悪戯っぽく微笑むサトミ。
阿川は頷いて、スコアボードを指差した。
「いいけど、どっちに賭ける?」
「勿論、母校ですよ」
「俺は負けに賭けるって?いくら何でも、それはないだろ」
「そうですか」
サトミは笑顔を崩さず、ショウへ視線を向けた。
「あなたは?」
「賭けないよ」
「私が相手に賭けても?」
「……いや、止める」
躊躇の表情を見せ、首を振るショウ。
「それが堅実な生き方だよ。遠野さんなら、何をするか分からないし」
「人聞きが悪いですね。私はただ、観戦するだけですよ」
「もし自分が負けても、ローカルルールでは違うとか言いそうだ」
するとサトミは「まさか」と呟き、手にしていた小冊子を後ろへ隠した。
表紙には「東海地区高校生リーグ・ルールブック」とある。
「全く、そういうのはユウとやれよ」
「駄目なの。あの子最近知恵を付けてきて、私の言う事聞いてくれないの」
「騙されなくなった、の間違いだろ」
「いいわ。その内ケイから、何か巻き上げるから」
とんでもない事を言い、サトミはルールブックを椅子へと置いた。
それを手に取り、数ページ目を通して首を振る阿川。
「さっき、山下さんが言ってた事だろ」
「え?」
「俺が昔、何とかっていうあれ」
戸惑い気味に彼を見つめるショウ。
サトミもやや硬い顔付きになる。
「隠す程の話じゃない。今もそうだけど、昔はもっとひねくれてさ。影でこそこそ動いて、悪い連中をからかてったんだ。それを面白がって、仲間も増えた。楽しかったよ」
「はあ」
「でもそれを俺達がやってると気付かれて、襲われた。俺以外の、殆どの人間が」
普段と変わらない、軽い雰囲気。
口調も表情も。
無理をしている訳でもなく、彼は態度を変えず語っている。
「俺は自分が表へ出ないようにしてたから、連中も気付かなかったんだ。仲間はぼろぼろ。金を取られて、学校にも来なくなった。結局自分の行動がどういう結果をもたらすか、全然分かってなかったんだ。本当に、馬鹿だったんだよ」
「阿川さん」
「その後で、仲間を襲った連中には全員仕返しした。ただ、だから何だって話さ。金は戻ってきた、学校にも来るようになった。でも、仲間が襲われたという事実は消えない。俺の下らない遊びに付き合ったせいで」
鼻を鳴らし、足を組む阿川。
軽い笑顔は自嘲気味に見えなくもない。
「そのために他人へ無関心になっている、という部分はある。それに、一人でいる方が気は楽だ。君達には、分かりにくいかも知れないけど」
「全く分からない、という訳でもありません」
「俺はあまり」
「だろうね。一匹狼を気取る気はないが、仲間と一緒にどうこうという気もない。君達が学校とやり合うと聞いても、ああそうかと思うだけだ」
阿川は二人の反応を見る事もなく席を立った。
「試合も負けで終わったし、帰るとしようか」
スケート場の地下駐車場。
おそらく両校の選手が乗ってきた大型のマイクロバスが2台。
後はRV車やワゴンが、まばらに点在している。
「悪いね、わざわざ」
「いいですよ、どうせ暇ですし」
「持つべき者は後輩だよ」
「お一人で生きてるのではなかったんですか」
サトミの指摘に苦笑する阿川。
肩をすくめた山下は、開きかけた口を突然つぐんだ。
「どうかした?」
「こっちを見てる」
薄暗い地下駐車場内。
弱い照明と、打ち出しのコンクリート壁。
殺風景な空間の奥に見える、幾つかの人影。
「襲われるような理由がある人は」
そう提案した阿川を含め、全員が手を挙げる。
「仕方ない、警備を呼ぼう」
何のためらいもなく端末を取り出す阿川。
「俺達だけで、何とか出来ると思うけど」
「さっきの話を聞いてなかったのか?この場はよくても、という話さ。……済みません。地下駐車場にいるんですが、性質の悪そうな連中がうろついてます。……ええ、まだ何も。……はいお願いします」
「どうするって?」
「カメラで確認してるから、今すぐ来るって。やる気は無さそうだったけど」
サトミを後ろへ下げ、車との間に入れる阿川。
そしてショウの肩にも、手を置く。
「玲阿君も下がって」
「だけど」
「何かあったら、君の知り合いも困る。ここは俺に任せて」
どういう力が働いたのか、バランスを崩し後ろへ下がるショウ。
驚く彼へ笑いかけ、阿川が前に出た。
「大丈夫?」
「でなかったら逃げてるよ。山下さんは、二人をお願い」
腰のフォルダーを外し、警棒ごと彼女へ渡す。
「ちょっと」
「むやみに警戒させたくない」
そのまま数歩歩く阿川。
駐車場の奥から来た若者達も、足を止める。
距離にして20mあまり。
照明が薄暗く、お互い相手の顔は殆ど見えていないだろう。
「俺達に、何か」
普段通りの軽い口調。
若者達の何人かが、頷く仕草を見せる。
「誰に用?」
指を差す若者達。
それを辿った阿川は、自分の顔を指差した。
「最近は、大人しくしてるつもりだけど」
怪訝な顔をする彼に構わず、距離を詰める若者達。
腰をためる阿川。
パーカーの袖口に手が入り、小さく動く。
「そこで止まれ。そう、動くな」
彼の指示通り、若者達は足を止める。
照明の真下。
先程より近付いた距離。
彼等の顔が、おぼろげながら見えてくる。
笑顔の者もいれば、固い顔付きの者もいる。
そして共通しているのは、阿川を見つめる意味ありげな眼差し。
手を、完全にパーカーの袖口へ入れる阿川。
だが彼は、突然背を向けて走り出した。
「車に乗ってっ」
普段はまず見せない、切羽詰まった表情。
戸惑う山下達をよそに、車のドアを開けて中を指差す。
「早く」
「何かあったの?」
「ここにいたらまずい。玲阿君、急いで」
「は、はい」
その剣幕に押され、素早く運転席へ乗り込むショウ。
サトミが助手席に座り、阿川も後ろへ滑り込む。
「山下さん、早くっ」
「別に、怪しい素振りは無いけれど」
「それどころじゃないっ」
彼女の手を掴み、強引に引き込む阿川。
よろけて彼に抱きつく形となったのも構わず、運転席のヘッドレストを叩く。
「玲阿君っ」
「い、今すぐ」
小さなエンジン音と共に点灯するヘッドライト。
光の中にに消える、若者達の姿。
車はその場でターンして、スロープとなっている出口へ向きを変えた。
「ちょ、ちょっと」
激しく揺さぶられるサトミと、阿川に抱きついたままの山下。
阿川は未だに必死な形相で、半ば彼に脅されているショウも車を操るのに懸命だ。
だが車は、スロープの手前で急停止した。
ハードロックバンドのボーカル並みに髪を振り乱すサトミと、両手を伸ばしてあちこちに抱きつくというかぶつかる山下。
「ど、どうした」
「さっき警備に連絡したから、出口が封鎖されたんですよ。参ったな」
「あ?」
「本当、何がどうなるかなんて分からないわね」
彼の胸元から顔を上げ、ようやく体勢を立て直す山下。
少し顔が赤いのは、照れのためか怒りのためか。
阿川を見据える眼差しからして、後者だろう。
「まずい、それはまずい」
額を抑え、口元で呟く阿川。
顔色は悪く、額には汗も浮き出ている。
「外に出て、追い返しますか?」
「い、いや。それはもっとまずい」
「……何か、隠してません?」
「まさか」
阿川は棒読みで答え、深く顔を伏せた。
その間に例の若者達が、車の周りを取り囲む。
警棒を取り出すサトミと、アクセルとブレーキに足を置くショウ。
山下は難しい表情で、顔を伏せている阿川を見つめている。
軽くノックされるドア。
ショウは慎重に、ウインドウを下げた。
「俺達に何か」
冷静に応対するショウ。
ロングヘアに鼻ピアスの男は小さく頷き、後部座席を指差した。
「さっき、俺達の所へ来た男がいるだろ」
「それがどうした」
「少し、話があるんだが」
見かけの割には丁寧な態度。
ショウは手を挙げて彼に応え、後ろを振り返った。
「知らない、俺は何も知らない」
俯いたまま首を振る阿川。
だが彼がいる席の窓側には若者達が張り付き、首を振る彼を覗き込んでいる。
「何やったんですか、一体?」
自分を見てにやにや笑っている男達を手で追い払ったサトミも、後ろを振り返る。
「だから、知らないって」
「周りを囲まれて、あなたを名指し。問題があるのなら、私達も力になりますから」
「無い、何も無い。それより、早く車を出してくれ」
やはり下を向いたまま前を指差す阿川。
だが車の前には若者達が立ちふさがっていて、簡単には発進出来ない。
「どうするの?」
「構わないから、突っ切ってくれ。とにかく俺は、何も知らない」
「だけど阿川君」
山下の言葉に、若者達が表情を変える。
姿勢を正す者、汗をかき出す者、愛想笑いを浮かべる者。
「襲ってくる、という雰囲気でも無さそうね。一体、何だって言うの」
「いいから、早く行ってくれ」
「無理よ。それよりも……」
再びノックされるドア。
開けられるウインドウ。
先程の男が、緊張した面持ちで頭を下げる。
「あ、あの。阿川さんが乗ってらっしゃるんですか?」
丁寧な、まるで恐れるような口調。
ショウは眉をひそめ、後ろを振り返った。
「と、仰ってますが」
「知らない。俺は阿川じゃない」
「馬鹿」
腕を組んで鼻を鳴らすサトミ。
しかし反応したのは阿川ではなく、鼻ピアスの男の方だ。
顔を強ばらせ、サトミと阿川を交互に窺っている。
「何よ」
「い、いえ」
慌てて首を振る男。
サトミはもう一度鼻を鳴らし、ため息を付いた。
「山下さん、何とかして下さい」
「俺からも、お願いします」
「仕方ないわね」
いきなり開けられるドア。
外へ転がり出る阿川。
したたか、突き飛ばされたらしい。
「無茶苦茶だ」
腰を抑えつつ立ち上がった彼の前に、若者達が進み出る。
鼻ピアスの男同様、全員が緊張気味の表情。
動きも固い。
「あ、阿川さんですよね」
「だったら、なんだよ」
無愛想な答えに身を固くする男。
だが、めげる事なく話を続ける。
「た、多分俺の事は覚えてないでしょうけど。その、前に何度か会った事があって」
「知らないよ、お前らみたいな連中は」
やはり素っ気ない阿川。
男だけでなく、他の者も慌てて頭を下げる。
車の中から、怪訝そうに彼と若者を窺う山下達。
阿川は顔をしかめて、手を振った。
「いいから、帰れ」
「で、ですけど。阿川さんに挨拶もしないで行くのは、まずいと思って」
「何が」
面倒に尋ねる阿川。
男は深く一礼して、頭を下げたまま口を開いた。
「阿川さんの事は、先輩から色々と聞いてます。お、俺達は、その、もう悪い事はやってませんので」
「それが、どうした」
「い、いえ。阿川さんのご指導通り、真面目にやってます。え、あの、やってない場合もあるんですが。す、済みません」
彼に合わせ、一斉に頭を下げる男達。
阿川は額を抑え、無言で手を振った。
「あ、あの」
「止めろ」
「え?」
「俺が誤解されるだろうがっ」
突然怒鳴る阿川。
それに身をすくませ、さらに深く頭を下げる男達。
「もういいから、帰れ」
「し、しかし。阿川さんのお話を聞きたいという奴もいて」
「頼む、もう勘弁してくれ」
阿川は彼等以上に頭を下げ、やるせないため息を付いた。
「今日は知り合いもいるし、予定もあるんだ。悪いが、帰ってくれ」
「は、はい。分かりました。済みませんでした」
慌てて後ずさる男達を無視して車に乗り込む阿川。
男達は直立不動で、それを見つめている。
「……何だよ」
山下以下3人は首を振り、そのまま前を向いた。
「ったく、玲阿君早く出して」
「警備の連中が来ましたけど」
「俺はもう、何も知らない」
静かに走り出す車。
それを姿勢を正して見送る大勢の若者達と、不審そうに彼等を見つめる警備員達。
スロープの外は、春の明るい日差しが降り注いでいた……。
車の中で、だるそうに崩れる阿川。
普段の軽さも、先程の剣幕も無い。
精も根も尽き果てた、やるせない表情を浮かべる男の子以外は誰も。
「あれが、阿川さんの仕返しした連中ですか?」
「そうだよ。ったく、なんであんな所にいるんだ」
「アイスリンクに入るのを見つけて、付けられたんでしょ。怖い子供に挨拶しないとって」
くすくす笑う山下。
阿川は鼻を鳴らして、窓際のアームレストへ肘をかけた。
「あー、来るんじゃなかった」
「その時、余程の目に遭ったんですね。もう、何年も前の話なのに」
「全員入院、補導、停学。大人しくもなるわよ」
やはり笑う山下に、阿川は顔をしかめて指差した。
「君だって関わってるだろ。少なくとも半分は、山下さんのフリッカージャブでやられたんだから」
「さあ、何の事だか」
「よく分かりませんけど、お二人とも怖いですね」
大げさに肩を抱くサトミ。
ショウは気付かない素振りで、ハンドルを握ったままだ。
「……二人とも」
静かな低い声。
サトミとショウの肩に置かれる阿川の手。
鋭い、気迫に満ちた表情が彼等の顔を覗き込む。
「今日の事は、誰にも話すんじゃない。いいね」
「ですけど」
「これは、俺と君達との秘密だ。分かったね」
強い口調、しかし物悲しげな表情。
半ば懇願とも言えるその態度。
それには二人も、苦笑気味に頷いた。
「そうか。いい後輩を持って、俺も助かった」
「一人で生きてるって言ってたのに。現金ね」
笑い声の沸き起こる車内。
元気に笑う阿川と、彼をからかう山下。
サトミとショウも、笑顔で会話に加わっている。
一人ではない仲間同士の光景が、そこにはあった。
車を降りる山下。
それを見送りに、阿川だけが外に出る。
「今日は、余計な話しちゃったな」
「いいじゃない。あの二人も、少しはあなたの事が分かったんだから」
「聞いてどうするって気もするけど」
相変わらずの淡々とした口調。
表情も落ち着き払っていて、先程の動揺は微塵も感じられない。
「それじゃ、また今度」
「ええ。気を付けてね」
手を振り、玄関のドアへ手を掛ける山下。
その彼女が振り向き、一言呟く。
「……少なくともあなたは、一人じゃない」
「ああ。確かに今は、そうだ」
「昔から、でしょ。少なくとも私達は、中等部の頃からそのつもりよ」
笑顔で敬礼した山下の姿が、ドアの向こう側へと消える。
阿川は車に乗り込み、ショウを促した。
「何か話してたみたいだけど」
「昔話を少しね」
「ふーん」
ショウはそれ以上深くは尋ねず、車をゆっくりを走らせていく。
バックミラーで阿川の様子を窺っていたサトミも、顔を隣へ向けて視線を逸らした。
離れていく山下の実家。
阿川はお腹を押さえ、鼻で笑った。
「ったく、まだ痛むよ」
「何か言いました?」
「いや、独り言」
素っ気なく返す阿川。
サトミとショウも、無言で頷きを返す。
静かな車内に、クラッシックのBGMが小さく聞こえる。
「一人じゃない、か」
そのBGMに掻き消される、阿川の呟き。
遠い過去と、今を見つめる醒めた眼差し。
後ろを振り返った阿川はこめかみに指を当て、それを軽く振った。
今は見えない。
ここにはいない。
だけど昔から、共に歩んできた人達へと。
サトミやショウのいる前で。
気にしないのではなく、彼等になら見られても構わない。
そう物語るような表情。
一人で生きる事も悪くはない。
だけど、仲間と生きる道もある。
自分では気付かなくても、そうとは意識しなくても。
周りには人がいる。
仲間がいる。
それが時には辛い事になり、苦しい事にもなるだろう。
でも、それ以上の喜びがある。
今浮かべる笑顔はきっと。
エピソード11 あとがき
殆ど本編では出ていない二人です。
ただ、私が好きなので書いてみました。
優達とは一線を画す人達で、冷静に彼等を見つめています。
また第10話をお読み頂くと分かりますが、様々な陰謀や確執からも距離を置いてます。
この作品を、少し別な視点で見るとこうなるという一例ですね。
勿論二人も多少は関わりがあるので、完全に別とも言い切れませんが。
二人のデータに付いて、若干補足を。
阿川。
生徒会ガーディアンズ、I棟Dブロック副隊長。
細身の優男。
醒めた性格で、他人との距離を置きたがる。
ただ面倒見は良く、ケイの冷静さとはまた違うタイプ。
過去に何があったのかは謎だが、かなりの策略家であり格闘技の腕もあるらしい。
体中に警棒を仕込ませていて、場合によっては二本差しで戦う。
山下。
生徒会ガーディアンズ、I棟Dブロック副隊長補佐。
小柄で、穏やかな顔立ち。
穏和な性格だが、意外と冷静で厳しい面もある。
丹下とは、以前からの知り合いらしい?
ボクシングを習得していて、フリッカージャブが得意。
ショックを和らげるオープングローブを、常時所持。
この人達も多少あるのですが、それはまたいずれ。
エピソード(外伝)については、12が舞地さんになります。