11-12
11-12
「ドラッグ?」
ベッドから身を乗り出し、床へ転げそうになる。
「何してるの。ドラッグじゃなくて、薬。発汗作用のある。漢方だと、麻黄と桂皮の組み合わせとか」
よく分からない事を言い、サトミはベッドサイドに腰掛けた。
「つまりは発熱して、汗をかいて。多少体を打って。重傷者の出来上がりという訳」
「まだいるの?」
「ええ。会いに行く?」
私は頷いて、ベッドを降りた。
こみ上げる気持ちを、抑え込みながら。
男子寮ラウンジ。
その一角。
椅子に座る例の男の子と、彼を取り囲む名雲さん達。
渡り鳥の人達は、もういない。
すべき事を成したため、帰っていったのだ。
彼等の事をよくは知らないが、その生き方は何となく理解出来る。
「で、何だっていうの」
人垣の後ろで、最初からいたというモトちゃんに尋ねる。
聞かなければよかったと思いたくなる話を。
話を持ちかけたのは彼の方。
傭兵の女の子と親しくなった彼が、舞地さんの事を口にする。
それを伝え聞いたオールバックの男達が、彼の元に来る。
詳しくは語らなかったそうだが、お互いが幾つかの合意を見いだす。
結論としては、舞地さんと親しかった自分を利用してカードを奪うと。
いくつ失敗しようと、それはかまわない。
それは逆に、最後の手を効果的する結果へとつながるから。
失敗の責任を取りリンチ。
思わず助けを求める男の子。
舞地さんは必ず助けに来ると、読んだ上で。
後は昨日、私達が経験した通り。
茶番とも呼べない、あまりにも下らない出来事。
もう、言葉がない。
「どうするんです」
壁に持たれていたケイが、醒めた声で問い掛ける。
それは場の中心にいる名雲さんにであり、また舞地さんにでもあるのだろう。
「お前は、どうしたい」
「警察に突き出せばいいと思いますけどね」
「遠野は」
「同意見です。昨日は警察も動きましたし、事情を話せば逮捕してくれます」
ケイ以上に醒めた態度。
名雲さんは軽く頷いて、私とショウへ視線を向けた。
「お前達は、実際に被害を受けた訳だ」
「俺も、二人に賛成。ケンカ程度ならまだしも、冗談抜きで死にかけた」
「分かった。で、雪野は」
「私は……」
少し離れた所にいる舞地さん。
赤のキャップに、紺のジージャンといういつもの服装。
表情には、微かな動揺も見られない。
「私も、同じ。他の連中も全員捕まったんだし、彼一人見逃す訳にはいかないと思う」
私の言葉を聞いても、舞地さんの表情は変わらない。
彼女は口を閉ざしたまま、じっと彼を見つめ続ける。
「元野さん達も、同意見だ。当然、俺達もな」
間を置き、おもむろに視線を動かしていく名雲さん。
舞地さんへと。
「みんなの意見はともかく、お前はどうだ」
「意見は決まっているのなら、私が言う必要もないだろう」
淡々と返す舞地さんに、名雲さんはゆっくり首を振った。
「はっきり言えば、俺達の意見なんてどうでもいい。お前はどう思うか、それが一番大事だ」
「和を乱す事になっても?」
「余計な事は考えなくていい。自分の気持ちに正直に答えれば」
そっと手を伸ばす池上さん。
舞地さんは彼女の手を取り、もう片方の手でキャップを上へ上げた。
前髪越しに見える、澄んだ瞳。
真っ直ぐと男の子を捉える、鋭い眼差し。
気持ちの揺れは、感じられない。
「警察へ連れて行くのが妥当だろう」
淀みのない口調。
震えない体。
ただ池上さんの手だけを握り続ける舞地さん。
「ふ、ふざけるな。どうして、僕が」
「それだけの事をしたからには、その責任は自分で取るんだ」
諭すような舞地さんの台詞に、男の子は激しく首を振った。
「違う。僕は関係ない。誘われただけで、本当に何も」
「説明は、警察ですればいい」
「僕達は、そんな仲だったの。真理依さん」
不意に彼の態度が変わる。
鼻に掛かるような甘い声。
緩む口元。
状況が状況なら、歓声を上げる女の子がいてもおかしくないだろう。
だが舞地さんは、伸びてきた手をかわすように体を引いた。
「もう一度言う。自分の責任は、自分で取れ」
「……分かったよ。あんたが、どういう人間か」
鼻を鳴らし、床へつばを吐く男の子。
口元を歪ませ、苛立った顔で舞地さんを睨み付ける。
「あんたを頼ろうとした、俺が馬鹿だった。ワイルドギースだかなんだか知らないけど、ただの冷たい女じゃないか」
「その通りだ」
「情けや感情がないんじゃないの?」
鼻先へ指を差された舞地さんは、何もせず黙って立っている。
男の子はもう一度鼻を鳴らし、大げさに肩をすくめた。
「あんたみたいな奴と知りあって損したよ」
「そうか」
「そうさ。人の気持ちも分からない、最悪な女だよ。この前知り合った傭兵の子とは、比べ物にならないくらいに」
にやける男の子。
舞地さんは落ち着いた表情で、彼を見つめ続ける。
「あんたみたいな女は、誰も相手にしないだろうけど。俺に声を掛けられて、嬉しかったんじゃないの」
「ああ」
「それなのに、警察へ突き出すって?本当、最悪だな。そうやって、誰にも相手にされない寂しい人生を……」
言葉を途中で止める男の子。
それに代わって聞こえるのは、呻き声。
発汗性のある薬のせいではないだろう。
「いい加減にしないと、一生喋れなくするわよ」
喉元に突きつけた貫手を収め、こみ上げる怒りを必死で押さえ込む。
舞地さんが何も言わなかったから我慢しようと思っていたけれど、やっぱり駄目だった。
というか、我慢をしたくなかった。
また、それが出来るようになったらもう終わりだろう。
「サトミ、警察に連絡して」
「分かったわ」
「ま、待ってくれ……」
「待たない」
逃げ出そうとした彼の足首を払い、倒れた彼の腕を後ろで交差させる。
最後に指錠をして、もう一度彼の喉元に貫手を突きつけた。
「何も話さなくていい。次に口を開くのは、警察でして」
青ざめた顔を、何度も縦に振る男の子。
泣き出しそうな、すがるような表情。
その視線はやはり、舞地さんへと向けられている。
しかし舞地さんは醒めた眼差しで、そんな彼を見下ろしている。
重なる二人の視線。
かつては、切ない意味を持って見つめ合った事もあったのだろう。
でも今は、違う立場と違う気持ちで向かい合っている。
流れていく時。
重苦しい沈黙。
目を背けたくなるような辛い事。
そして、現実の事。
「しょ、証拠が無いのに、どうやって捕まえる気だよ。どうせ、すぐに釈放されるだけだ」
壁際に座らされた男の子が、必死の顔で叫び出す。
誰も相手にしないかと思っていたら、ケイが微かに表情を変えた。
「どういう意味」
「状況証拠と証言しか無ければ、立件まで持ち込むのは難しい。罰より更正っていう、青少年法の絡みもあるし」
「やってるのは、大人の犯罪じゃない」
「まあね」
それは彼の方が分かっているんだろうけど、つい声が荒くなる。
こみ上げる苛立ちと、余裕を取り戻し始める男の子。
それが余計、気に障る。
「いいよ、警察へ早く連れてってよ。ここで拷問されて、脅された事も話すから。民事裁判で争ってもいいね」
口元から漏れる笑い声。
小馬鹿にした表情。
だがこちらは、やり場のない怒りを抑えるだけで精一杯だ。
彼の言う事には、確かに一理あるのだろう。
でも、だからといってこのままで……。
「それならこれも、一緒に持っていったら」
しとやかな、やや甲高い声。
ウェーブの掛かった長い髪と、大きい勝ち気な瞳。
やや反らし気味の顎。
赤い革ジャンに、黒のショートスカート。
艶のある口元が、微かに緩む。
「あなたが連中と交わした、カードの配分を記した契約書。勿論、署名入り」
テーブルに置かれる、一枚の紙。
手書きで、今の事柄が短く書き記してある。
「だ、誰だよ。お前は」
「私の事より、自分を心配したら」
大内さんは髪をかき上げ、薄笑いで彼を見下ろした。
「あなた、どうしてここへ」
口を開けたまま、彼女を見つめる私。
彼女は少し柔らかい笑顔になって、革ジャンに両手を入れた。
「知り合いに頼まれただけよ。傭兵のとりまとめと、それを届けるようにって」
「誰に」
「峰山君。あなた達に分かりやすく言うなら、前自警局長っだたかしら」
色気のある独特な眼差しが、それとなくケイへと向けられる。
「これで、借りは返したわよ」
「義理堅いな、随分。そんなのしなくても良かったのに」
「私が勝手にやっただけよ。……舞地さんには、関係なく」
少し言い淀む大内さん。
舞地さんは微かに頭を下げ、小さく呟いた。
「だから、あなたには関係なくて……。とにかく、これでいいんでしょ」
「ああ。サトミ、警察は」
「学内には入れないから、職員に任せましょ。この子も含めてね」
彼がいなくなり、ほんの少しだけ雰囲気が緩む。
「それで、あの契約書はどうした」
苦笑気味に尋ねる名雲さんへ、大内さんは鼻で笑った。
「勿論偽造よ。証拠になるような物は、殆どが処分されてたわ」
「だろうと思った。感謝はするけどな」
「どうでもいいわ。あなた達が、どうなろうとも」
醒めた口調でそう返し、大内さんは舞地さんの前へと立った。
「相変わらず、甘いのね」
「自分ではよく分からないけど、そうかも知れない」
「それが真理依の良いところなの。恭夏ちゃんには、ちょっと難しいかな」
「下らない。その結果が、この様なんでしょ。全然良くない」
吐き捨てるように言い放つ大内さん。
舞地さんは黙ったまま。
池上さんも少し困惑気味に、彼女を見つめている。
「ここにいる人間を巻き込んで、他の人達にも迷惑を掛けたって分かってる?」
「恭夏ちゃん、それは」
「いいんだ、映未。私が全部悪いんだから」
伏せられる視線と、自嘲気味な呟き。
大内さんは鼻を鳴らし、大きく髪をかき上げた。
「せいぜいそうやって、仲良しごっこをやってなさいよ」
「ああ。……それと、大内」
キャップを上げ、澄んだ瞳を彼女へ向ける舞地さん。
大内さんが思わず姿勢を正す程の強い眼差し。
「お前が困っていても、私は助けに行く。その理由にかかわらず」
「な、何を」
「照れないの、もう。あの倉庫で、ぴーぴー泣いてたのは誰よ。怖かった、もうしないてって」
くすくす笑い出す池上さん。
舞地さんも、笑いを堪えている。
だが大内さんは顔を真っ赤にして、彼女達に背を向けた。
「く、下らない。だからあなた達は嫌なのよ」
「帰るのか」
「当たり前でしょ。ここは、私の居場所じゃないもの」
小さな、寂しげな呟き。
その背中は何も語らないけれど。
でも彼女は、顔を伏せない。
真っ直ぐに前を向いている。
「じゃあね。今度何かあっても、私は知らないわよ」
「ああ。気を付けて」
「晃によろしくね」
「ええ」
振り向きもせず。
手を振りもせず。
大内さんはドアを出ていく。
彼女らしい、気高く毅然とした態度のままで。
その大内さんも去り、ラウンジ内に落ち着いた静寂が戻る。
「結局、変わっちゃったのよね。それも、悪い方向へ」
一人離れ、窓際で佇む舞地さんを見つめながら呟く池上さん。
柳君は首を振って、机に腰を下ろした。
「最初会った時は、普通の子だったのに。ちょっと元気で、でもあんな事やる子には見えなかった」
「池上が言った通り、人は変わるって事さ。当然、俺達もな」
軽く彼の肩に触れ、名雲さんは苦笑した。
「昔の俺達だったら、あいつは今頃病院で唸ってる。でも今は、場所はともかくとして元気そのものだ」
「僕達はいい方向へ変われたって事?」
「それは、分からない。今回の判断がよかったかどうかも」
煙るような眼差しが、窓際で佇む舞地さんに向けられる。
窓に手を当て、彼女は空を見上げている。
澄んだ、雲一つ無い冬の空を。
「進歩している。私は、そう思いたいですけどね」
優しく微笑み、気遣うように語りかけるモトちゃん。
木之本君も、彼の隣で頷いている。
「私も、サトミも。昔はもっと、トゲがありましたし。いい事ですよ、変わるというのは」
「トゲなんて、無くはなかったけれど。ショウみたいに、ケンカばかりしてるよりはましでしょ」
「俺も変わったんだよ。だから、最近は大人しくしてる」
「説得力ゼロね」
顔に張られたガーゼを指さされ、ショウは肩をすくめた。
「これは、事情ってやつさ。なあ、ユウ」
「まあね。私も多少は変わってきたから。ついこの間までの自分とも、違ってるし」
「そうして人間は、大人になっていくんじゃないのかな。よく分からないけど」
くすっと笑い、沙紀ちゃんは前髪をかき上げた。
「私も、中等部の頃に比べれば大分変わった。あの時の自分も嫌いじゃないけど、今の自分の方がいいのは分かってる。今のままじゃ駄目だとも」
「君は、真面目だから」
「七尾君こそ、最近は人がいいじゃない」
「元々だよ。分かってないな、全然」
呆れたように首を振る七尾君。
ふと起こる笑い声。
心が、少し軽くなる。
「お前は、変わらないな」
何気なく呟くショウ。
話を振られたケイは、鼻を鳴らしてもたれていた壁から起き上がった。
「どうでもいいと思うけどね。俺はそれで、何も困ってないし」
「自覚しろよ」
「した上で言ってる」
はっきりと言い切るケイ。
ショウは処置無しという顔で、ため息混じりに首を振った。
楽しげに会話を続ける彼等から離れ、舞地さんの隣りに来る。
邪魔かとも思ったけれど、やってきた。
「雪野か。怪我は、大丈夫?」
「うん。それより、さっきは……」
「あれでいい。自分が正しいと思ったなら、それで」
「だけど、舞地さんの気持ちは」
微かに首を振る舞地さん。
少し寂しげに。
「確かに、辛い。彼を逃がしてあげたいとも思った。だけど、それは出来ない」
「私達が反対するから?」
舞地さんはもう一度、首を振った。
力強く、意志を込めて。
「彼を警察へ引き渡すのは、私も正しいと思ってたから」
「舞地さん」
「確かに私は、情けも感情もないのかもしれない。気持ちよりも、理屈を優先してしまって。あの子が怒るのも無理はない」
はっきりした口調。
自嘲気味な表情。
キャップの奥にある瞳は、悲しそうに揺れている。
「そんな事無い。絶対に」
彼女の腕を握り、顔を見上げる。
「どうして、そう思う」
「分からないけど、私がそう思うから」
自分でも無茶苦茶だと分かりつつ、彼女の瞳を見つめる。
澄んだ、柔らかな光を湛える瞳。
それまでの悲しみの色は、もうどこにもない。
「本当に、訳の分からない子だな」
くすっと笑い、舞地さんがそっと私の頬に触れる。
昨日私がしたのとは違う、優しげな動きで。
「ありがとう……」
小さな呟き。
心に降りていく言葉。
舞地さんはもう一度頬を撫で、私の隣を通り過ぎていった。
みんなの輪へ入った彼女は、素っ気ない態度でその場に収まっている。
気を遣うような雰囲気も、それを気にする人は誰もいない。
彼女自身も、また。
そこにはいつもの舞地さんと、普段通りのみんながいるだけだ。
それだけは、変わらない。
そして私は、どう変わればいいのか。
彼女の温もりが残る頬に手を触れながら、その事を考えていた。
第11話 終わり
第11話 あとがき
とにかく色々ありました。
バレンタインディあり、バトルあり、古いキャラあり。
特に、終盤のバトルはやり過ぎかなとも。
今回はほぼ、舞地さんとワイルドギースの話。
多少彼女達の過去も書きました。
まだまだ色々とあるんですが、それは外伝なり今後に。
後は、バレンタインディ。
ユウやモトは、男性だけでなく女性にも上げてます。
丹下さんも、おそらく。
ただサトミは、別。
彼女は、彼氏であるヒカル。
それ以外ではユウ、ショウ、ケイ。
もしあっても、せいぜい木之本君とモト辺りまで。
その理由については、中等部編の外伝で。
大した理由じゃないですし、あればの話ですが……。
第12話は、春休みの話ですね。
同時に、1年編のラストにもなります。