11-11
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今背にしている鉄管は、向こう側からはたやすく上って来られない積み方。
右手は鉄管の端で、人が数名通れるくらいの隙間があり、すぐに壁。
左手はかなり先まで鉄管があり、真ん中当たりで端になっている。
その向こうには、別な鉄管の山が出来ている。
私達の位置からスペースのあった扉の前までは、大体そんな状況。
男達がいる方は、中央に広いスペースがあり周囲を鉄管や鉄筋に囲まれている。
当然、遮蔽物の多いこちらの方が戦いやすい。
また少ない数を相手に出来るという意味でも、ここの方が有利ではある。
ただ相手には、何百人が援軍に来るという強みがある。
それに対してこちらは、名雲さん達が向かっているという情報だけ。
途中で妨害されないとも限らないし、彼等もまたそれだけの数と出くわした時にどうするのかという話だ。
だからここに来たのが短慮であり、アパートにいればよかったのかもしれない。
だが、そう出来なかったからこそ私はここにいる。
それは今の行動だけではなく、私の気持ちとしても。
罠なのは最初から、薄々分かっていたから。
それでも舞地さんは行くと言った。
そんな彼女に付いていくのは、馬鹿なのかも知れない。
だったら私は、馬鹿でいい。
「さー、困ったね」
「何を悠長に」
呆れ気味に、人の顔を見つめるショウ。
私は彼の肩に触れて、顔を伏せ気味に微笑んだ。
「でもさ」
「ん?」
「ショウが来てくれて嬉しかったなって、思って」
「な、何も今言わなくてもいいだろ……」
慌てて顔を背けるショウ。
私も彼から手を離し、さらに顔を伏せる。
確かに、今言わなくてもいい話だ。
でも、私は言いたかった。
「ユウを守るのは俺の役だって、前言わなかったか」
「言った」
「という訳だ」
軽く頭が撫でられ、ショウは私に背を向けた。
伸び始めた髪の間からのぞく、形のいい耳。
薄暗い照明の中でも、赤く染まっているのが分かる。
「それに、ケイの事もある」
「傭兵に斬られたっていう意味?」
「手口から言って、こいつらもその仲間だろ。だから、その借りも返す」
後ろを向いたまま語るショウ。
その事を気にしているのは知っていたけど、まさかその気持ちをここにまで持ってきていたなんて。
多分、ケイには絶対に言わない事だろう。
そんな友情に、私の胸にも嬉しさがこみ上げる。
「男の子だよね、格好いいよね」
大きな背中を何度か叩き、少し笑う。
本当に、どうしてこういう状況でと思う。
いや。
こういう状況だからこそ、本音が出るのかも知れない。
張りつめる緊張感。
そこで自分を偽り続けるのは難しい。
だから、何気ない一言が真実を語る。
例えば今の、ショウのように。
そしてさっきの、私のように。
「何を笑ってる」
険のある、喘ぎ気味の声。
後ろを振り向くと、男の子が私達を睨んでいた。
「人が苦しんでる時に、何を」
「ああ、悪い」
ややおざなりに返すショウ。
彼の手は私の肩に置かれ、それ以上前に出ないようにしている。
「辛いなら休んでろ。じき、向こうが仕掛けてくる」
「言われなくても、自分の事くらいは面倒見られる。恩を着せられる覚えはない」
「そうか」
苦痛で苛立っているのか、怒りをぶつけてくる男の子。
ショウはあくまでも落ち着いて応対しているが。
それに余計怒りを覚えたらしく、男の子の表情がさらに険しくなる。
「大体、君達が来なくたって僕一人で……」
「黙れ」
その口元へ手を伸ばすショウ。
息を詰まらせたように口をつぐむ男の子。
だがそれは、脅した訳ではない。
静まりかえる倉庫内。
コンクリートの床を打つ、小さな音。
消そうとしても、確かに聞こえる足音。
左から、数名だろう。
右からも、やはり数名。
鉄管を上ってくる音や、何かをフックしている様子はない。
「左は、俺がやる。舞地さんは、そいつを頼む」
「分かった。雪野、スティックで」
「うん」
鉄管に背を付け、少しずつ歩き出す。
やがて鉄管の端まで来ると、スティックを胸元へ構え呼吸を整える。
感覚を研ぎ澄まし、スティックを下へ降ろす。
鉄管を背にしているため、壁と鉄管の間となっている通路は右手。
薄暗い照明。
コンクリートの床に落ちる、鉄管の影。
さらに暗い部分のそこへ視線を落とす。
傷やペイントの薄れ具合、小さな埃。
はっきりと見える。
「ガッ」
横に伸ばしたスティックを受け、後ろへ仰け反る男。
だから人の足音や息づかいなど、たやすく聞き取れる。
「ちっ」
鉄管の端から、ボウガンの先端だけがのぞく。
照明にきらめく鉄製の矢。
それが放たれるよりも早く、スティックを上へと跳ね上げる。
再び上がる叫び声。
同時に、ジャケットのポケットから閃光弾を取り出し壁際へと投げる。
今度は複数の叫び声。
直視すれば、数時間は目も開けられないだろう。
そして聞こえてくるのは呻き声ばかり。
剣呑な気配は、取りあえず去った。
「ショウ」
「片付けた」
派手な物音が後ろで聞こえていたので気になってはいたが、彼のジャケットは袖や肩口がかなり裂けている。
顔の傷も、増えている。
こちらよりスペース的に広かった分、例のショットガンやボウガンを使われたのだろう。
「少しは減らせたと思うけど、どうだ?」
「難しいね。向こう側にもドアがあって、どんどん補充してるのかも知れないし」
「コンビニのジュース棚かよ。やっぱり無理してでも、扉から出るか」
床へつばを吐くショウ。
赤い色が、薄暗い照明の中に落ちる。
「……その方が、いいかも知れない」
鉄管に持たれたまま、小声で漏らす舞地さん。
彼女の傍らにいる男の子の息は、さらに荒くなっている。
顔は相当に赤く、額にもかなりの汗が浮かぶ。
「おそらく向こうも、今は一旦引いていると思う。その間に、扉へ取り付く」
「分かった。開けるのは俺がやるから、二人は後ろを頼む」
「うん。それじゃ、急ごう」
鏡を鉄管の端から出し、通路の様子を探る。
特に人影も、何かの仕掛けも見あたらない。
とはいえ見えていないだけで、存在しない保証はどこにもないが。
「大丈夫?」
「俺から行く。舞地さんはそいつを頼む。ユウは、最後を」
そう言うや、何のためらいも見せず通路へと出るショウ。
ショットガンやボウガンの音は聞かれない。
男の子を支えつつ、それに続く舞地さん。
彼の足元がおぼつかないため速度はどうしても遅く、またかなり無防備な体勢となっている。
そのために、私がしんがりにいる訳でもある。
さっきはそう思わなかったけれど、扉までは意外と距離がある。
単なる直線で、迷う心配が無いだけまだましか。
とにかくいつ矢やゴム弾などが飛んでくるかも知れないので、かなり神経をすり減らす事となる。
近ければ音や気配で分かるが、距離が開けばそれを判別するのはかなり難しい。
薄暗い照明と、居並ぶ鉄管。
そこから誰かが飛び出してくるかも知れないという、漠然とした不安。
狙われる立場故の弱さだろう。
だがそれも、後少しで終わる。
終わりにしたい、という願望でもある。
それでもどうにか、鉄管の切れ間まで辿り着いた。
この先は左右に多少鉄管があり、中央が大きなスペースとなっている。
再び鏡を出し、ここでも様子を探る。
扉の前に、数名。
鉄管の上に、ショットガンを構えた者が数名。
さっきの話ではないけど、減らした先から補充されている。
「左にいる連中は、私がやる。雪野は右を頼む。玲阿は、それを見届けてから扉へ」
「了解」
私達は揃って頷き、3人で拳を合わせた。
それ以上の言葉はいらない。
ただそれだけで、もう何も。
後は、自分のすべき事をするだけだ。
「何があってもここを動くな。扉が開いたら、私が迎えに来るから」
「で、でも」
「動くな」
諭すように呟き、床にしゃがみ込んでいる男の子の頭を撫でる舞地さん。
彼女は微かに口元を緩め、キャップを被り直す。
警棒を腰へ戻し、私達に背を向けて。
「気を付けて」
私の呼び掛けに、走り出した舞地さんが少しだけ手を挙げる。
そして彼女は振り返る事無く、走っていった。
「私も行ってくる」
「無理するなよ」
「お互いに」
そっと手を合わせ、低い姿勢のまま走り出す。
扉付近の人間はこちらに気付いていない。
そのまま一気に加速して、壁際にある鉄管へと取り付く。
積み上げられた高さとしては、7、8mあまり。
警戒気味に、辺りの様子を探っている。
私は一番下の鉄管をよじ登り、上の鉄管との間に収まった。
体が小さいので、見つかる心配はない。
それは舞地さんも同様だろう。
上の動きを見定めつつ、もう一つ上へと上がる。
音を立てず、慎重に、正確に。
そして、後1つ。
ここを上れば、鉄管の最上段に辿り着く。
鉄管なので湾曲していて上りにくいのだが、スティックと指先の動きでどうにかここまではやってきた。
最後は、出来るだけ舞地さんとタイミングを合わせて上に登りたい。
そう思い、反対側を鉄管の隙間から見つめる。
かなりの距離で、上にいる男達の表情も読みとれないくらい。
おそらく鉄管の裏側にいる舞地さんを見つけるのは、あまりにも無理がある。
ただ、何かの合図があれば。
反対側の鉄管の隙間から見える、青い光。
私もスティックのグリップを操り、微かに電流を流す。
それと同時に湾曲している上の鉄管へ指を掛け、勢いよく足を踏み切る。
下半身に感じる浮遊感。
その勢いのまま腕へ力を入れ、さらに突き放す。
視点は床から壁、そして天井へと変わる。
最後に見えたのは、真下にいる男達。
その中へ、スティックを振るいながら舞い降りる。
頬をかすめていくボウガンの矢。
動いている標的に当てるのは難しく、また不意を付かれているため狙いは定まっていない。
ショットガンはスティックを受けはじけ飛び、人間もまたその場に崩れていく。
青い光を体の回りに一周させたところで、ようやく鉄管の上へと降り立つ。
そこに立っているのは私だけ。
後はうめき声を上げ、全員が苦痛の表情を浮かべて倒れている。
私も脇や腕に当たった警棒の感覚に、少し顔を歪める。
それにかまわず、反対側へと視線を向ける。
どうにか見える、左右に振られる青白い光。
私もすぐにスティックをかざし、振り返す。
言葉が無くても通じ合える。
お互いを理解し合う事は出来る。
そんな思いを、胸に抱きながら。
だが、いつまでもそうしている訳にもいかない。
私達の状況を見定めたショウが、すでに走り出しているのだ。
さすがにこの高さで飛び降りるのは無茶なので、とりあえず鉄管伝いに降りていく。
そこまでの緊急事態では無いためでもある。
反対側を見ると、舞地さんもこちらへと走ってきている。
男の子をフォローするつもりだろう。
広いスペースのほぼ中央辺りですれ違い、軽く手を合わす。
それだけで、十分だ。
「セッ」
扉に取り付こうとしているショウの背中へ、派手なスーツを着た男が警棒を振り下ろそうとしている。
その肩口にスティックを当て、床へと転がす。
周りにはショウが倒した人間が、4名。
後は、もういないようだ。
鉄管の反対側にいるだろう、いわば本隊を除けばの話だけど。
「出来そう?」
「ああ。SDCのドア程は固くない」
無造作に拳を扉へとぶつけるショウ。
それだけで、扉の表面がめり込んでいく。
「人一人通れるくらいの穴なら簡単だ」
「ドア壊すの、得意だもんね」
「人聞きが悪いな」
苦笑して、大きな扉の右端へ移動するショウ。
その前で構えを取り、開いた手の平を押し当てる。
私はそこで彼から目を離し、背中合わせになって辺りの様子を窺った。
舞地さんが、遅い。
男の子がいた場所からここは、それ程の距離は無いはずだけど。
「よし」
「開きそう?」
「警棒を壊す覚悟でなら、何とかなる」
突然聞こえる、派手な金属音。
一瞬後ろを振り返ったら、警棒が厚いスチール製の扉を切り裂いていた。
警棒の強度という事もあるが、驚嘆すべきはその腕前だろう。
私もコンクリートなら何とかなるけれど、力のいるようなこういう物は難しい。
「あー、手が痛い」
「スティック使う?」
「いや。後少しだから……。よし、開いた」
床へ何かを捨てる音がして、私の足元にぼろぼろの警棒が転がってきた。
後ろを振り返ると、珍しく息を荒くするショウが笑っていた。
扉は派手な裂け目が出来、本当に人が一人通れるくらいの穴が開いている。
そこから覗ける向こう側には、倒れている人影も見えるような気がする。
「向こうにも見張りがいたから、ちょっと」
「そう。でも、舞地さんが遅い」
「やられる訳はないだろうし。何かあったのかな」
顔を見合わせる私達。
胸に広がる、嫌な感覚。
その思いを打ち消すように、私は走り出していた。
先程までいた鉄管へと戻り、辺りを見渡す。
男の子も、舞地さんの姿もない。
「ここにいないとなると、向こうか」
例のオールバックの男達がいた方を指さすショウ。
確かに、それ以外は考えられない。
でも私達はかなり素早く行動したから、その隙を付いてさらわれたなんて事は考えにくい。
そう思い込みたいだけかも知れないけれど。
それに、舞地さんがいない事の説明が付かない。
「なんか、嫌な音がするな」
「ショットガンのあれ?」
「ああ。とにかく、行ってみよう」
再び、先程の広いスペースぎりぎりまで近付く私達。
鉄管の端からカメラを出し、そちら側の様子を探る。
向こうの壁側にある鉄筋を背にしている、オールバックの男達。
手にはボウガンやショットガンを構えている。
そしてスペースの中央には、警棒を構えている例の男の子が。
「さっきまでの威勢はどうした。俺達を倒すんだろ」
「ほら、掛かって来いよ」
彼の間近に近づいた男が、小馬鹿にした顔を前へ突き出す。
力無く振られる警棒はあっさりとかわされ、男の子はよろけ気味に前へと流れた。
「全く、困ったもんだ。……おい」
隣の男へ顎をしゃくるオールバックの男。
その途端、ショットガンが火を噴いた。
火薬の固まりなのか、男の子の足元で小さな火花が上がる。
「ひっ」
声を上げ警棒を落とした男の子は、泣きそうな顔でその場にしゃがみ込んでしまった。
その顔に、いくつものショットガンが狙いを定める。
しゃがみ込みうなだれている男の子は、気力を使い果たしたのか動く気配もない。
「まずいな」
「まだ矢があるから、これ使おう」
「……でも、舞地さんはどこに」
怪訝そうな顔で呟くショウ。
私も辺りを見渡し、思わず口元を抑えた。
「舞地さん」
「え?」
「すぐ上」
私達がひそんでいる鉄管の最上段。
束ねられ、後ろに伸びる長い黒髪。
手に提げられた、長い警棒。
深く被られたキャップ。
後ろ向きで、その表情は全く見えない。
何の言葉も発しない。
だが彼女が次に何をするかだけは、はっきりと分かった。
私達が鉄管から飛び出ると同時だった。
手を広げ、そこから飛び降りる舞地さん。
彼女を包むようにたなびく黒髪。
凛とした表情。
一瞬だけ緩む口元。
しなやかな動きで着地した舞地さんは、警棒を床へ落として両手を上げた。
「狙うなら、私の方がいいだろ」
「舞地さん」
「二人は下がって」
こちらへ向かって、手が向けられる。
下がれと。
戻るようにと。
そしてショットガンは、当然のように彼女へと狙いを定める。
「そんな事、出来る訳無いでしょっ」
「うるさいな、お前」
炸裂音と同時に、耳元を何かがかすめていく。
頬に感じる、微かな痛み。
手を触れると、それは赤く染まっていた。
それでも私は、前に出た。
「雪野。お願いだから」
苦しげな、懇願するような声。
伏せられる顔、目深に被ったキャップ。
彼女の表情は読み取れない。
だけど、何を考えているかだけは痛い程分かっている。
「その気持ちだけで十分よ。後は、私が何とかするから」
「どうやって」
「それは……」
言い淀む舞地さん。
彼女の足元で上がる火花。
下品な笑い声が、あちこちから聞こえる。
最悪の状況。
いや、最初から予想された状況。
舞地さんは彼を助ける。
それは分かっていた。
そのために、彼女はここに来たのだから。
彼が何を思おうと、何をしようと。
舞地さんは彼を救う。
そのために、何があろうとも。
大きくなっていく笑い声と、彼女の周りで飛び散る火花。
舞地さんは顔を伏せ、静かに立っている。
諦めでも、開き直りでもなく。
彼女には、今そうする事しか出来ないから。
彼を救うためには、自分が犠牲になるしかないと分かっているから。
傷付き、どうなろうとも。
舞地さんはそれを貫くだろう。
それが彼女の信念である限りは。
でも、私は違う。
ここへ来たのは、舞地さんを守るため。
彼女が彼や私達を守る気であるのと同じように。
私も、彼女を守る。
例え何があっても、何をしてでも。
「友情物語は、もう終わりか?」
「ほら、どうした」
火を噴くショットガン。
舞地さんのお腹の辺りが、赤い炎で包まれる。
「ちっ」
素早く彼女へ駆け寄り、ジャケットの腕でそれをもみ消す。
辺りに漂う焦げた匂い。
それに暇もなく、腰の辺りに激痛が走る。
インナーのプロテクターがなければ、本当に骨が折れているだろう。
「雪野。本当に」
私を抱きしめ、耳元でささやく舞地さん。
噛みしめられる唇、震える頬。
私は彼女を突き飛ばし、その頬に手を伸ばした。
手の平に伝わる痛み。
呆然と私を見つめる舞地さん。
「舞地さんは、私を守ってくれるんでしょ」
「あ、ああ」
「だったら、こんな事してる場合じゃないでしょ。違う?」
「……そうだな」
再び彼女の顔が下がる。
そしてその手が、私の頬へと伸びてくる。
私のように勢いよくではなく、ゆっくりと慈しむように。
「ごめん」
「謝るのは、私の方。それに、まだこれからじゃない」
「そうね」
微かに緩む彼女の口元。
先程の様な自嘲気味の笑みではなく、おかしさを堪えたような。
そして私も、少しだけ微笑む。
「馬鹿が。何やってんだ」
「いいじゃないか。二人同時に、相手してもらえるんだし」
「まずは、邪魔者から消えてもらうか」
どっと笑う男達。
だがそれは、悲鳴によって掻き消される。
「邪魔なのは、お前らだろ」
低い、感情を押し殺した声。
ショウは手首を返し、最後の矢を放った。
肩口にそれを受け、仰向けに倒れる男。
その前に矢を受けた男も、二人倒れている。
「てめえ」
4方向から一斉に打ち込まれるショットガン。
だが火花が炸裂した場所に、彼の姿はない。
地を這うような低い姿勢。
瞬く間に男達のいる鉄管に辿り着いたショウは、その場で腰をためて足を蹴り出した。
「うわっ」
鈍い音が辺りに響く。
もう一度突き出される長い足。
肩口で火花が散るが、その勢いは止まらない。
「な、なんだっ」
揺れ始める鉄管。
それは徐々に大きくなり、鉄管の山が大きく波を打つ。
当然それは上へも伝わり、男達はこちら側のスペースへと転がり落ちてくる。
それでも揺れをどうにか堪えた男が、ショットガンを彼へと向けた。
「セッ」
スティックを肩に構え、感覚のみで投擲する。
間もなく上がる叫び声。
ショウはすかさず身を翻し、こちらへと駆け寄ってきた。
「無茶苦茶ね」
「たまにはな」
血の滲む頬と、焦げの目立つ革ジャン。
だがそれは、私達も同じだろう。
思わずこみ上げる笑み。
そこに飛んで来る、青い火の玉。
今までのに比べて速度が遅い分、どうにかかわす私達。
後ろの鉄管に当たったそれは、大きな火柱を上げて消えていった。
「お前達……。覚悟しろよ」
血みどろの顔でショットガンを構える、オールバックの男。
どうにか動ける彼の仲間も、ボウガンやショットガンをこちらへと向ける。
「今連絡があった。すぐに俺達の仲間が来る。何百人とな」
響き笑う高笑い。
私達の足元で上がる火花。
「港も近いし、全員沈めてやる。女達は、その前に楽しませてやる」
連続して火花が、足元で上がる。
だが、誰も下がらない。
前に出る事以外は、頭の中にない。
「土下座しろ。泣け」
「映画の見過ぎだな」
淡々と返す舞地さん。
声を上げて笑う私達。
どう考えても状況は最悪のまま。
いや。
これから、それ以上に悪くなるだろう。
でも、不思議と不安や焦りはない。
ここへ来た事への後悔も。
切り抜けられると思っているから。
自分一人だけでは、そうは思えない。
でも、この人達がいればきっと。
私は知らない間につないでいた二人の手を、そっと握りしめた。
「まずは、足からだ。動くとおかしな所に当たるからな」
「無理せず、近付いたらどうだ。さっきから、ろくに当たってない」
あくまで淡々とした態度を変えない舞地さん。
その時、辺りから足音が聞こえてきた。
怒りに変わりかけていた男達の顔が、大きく緩む。
「やっと来たな。何をしようと、お前らの負けだ。さあ、楽しくなってきた」
私達の周りで上がる火柱。
そして笑い声。
認めたくはないが、状況は最悪を通り越しているだろう。
打つ手は殆ど無く、逃げ場も無い。
今くらいの数ならともかく、武装した数百人相手を突破出来るのは無理がある。
近付いてくる足音。
迫る絶望的な状況。
オールバックの男のショットガンが、真っ直ぐに構えられる。
狙いは舞地さんの顔辺り。
いくらゴム弾や軽い火花でも、場所によっては致命傷となりかねない。
「望み通り、当ててやる」
震える声。
興奮と狂気。
傭兵だなんだといえ、人の顔を狙う事などまず無いはずだ。
それへの異様な高ぶりと、緊張。
大きな隙が生まれる瞬間。
舞地さんの警棒はまだ残っている。
危険な賭けだが、自信はある。
それを投げるのは、舞地さんだから。
大きな信頼感と共に、私は姿勢を低くした。
「殺してやる……」
男の、ぎこちない呟きをはっきりと聞きながら。
「だったら、お前は俺が殺してやるよ」
笑いを含んだ、よく通る声。
鈍い音がして、男のショットガンがはじけ飛んだ。
「で、何するって」
翻るロングコート。
肩に担がれるショットガン。
ワイルドに微笑んだ名雲さんが、突然私達の後ろから現れた。
「お、お前どうやって入ってきた」
腕を押さえながら、彼を睨む男。
他の連中もショットガンを、名雲さんへと向ける。
「扉からさ。親切な奴が、キー貸してくれたぜ」
「何?」
「鼻血出して、ひっくり返ってるけどな」
床へ放られる、血の付いたカードキー。
男は血相を変え、胸元へ手を入れた。
そして取り出した端末に、何やらがなっている。
「だ、誰だお前……。浦田?」
「俺の後輩だ。さあ、仲間を呼べよ。何百人もいるんだろ」
「貴様、何をした」
睨み殺すような、鋭い視線。
名雲さんはあくまでも軽い調子で、ショットガンを肩に担いでいる。
「俺達も、仲間を集めただけさ。周りを見てみろ」
「何だと……」
こちらを警戒しつつ、顔を動かしていく男。
その表情が、見る見る強ばっていく。
恐怖、焦燥、怒り。
それらの重なり合った、表情へと。
「さつき、広、日向、森山、岸……」
顔を上げ、呆然とした顔で呟く舞地さん。
「どうして、ここに」
「言ったでしょ。あなた達に何かあったら、駆けつけるって」
「信頼する、裏切らない、助け合う。そう誓ったから」
鉄管の上で笑顔を浮かべる、白鳥さんと伊藤さん。
彼女達だけでなく、いつか名雲さんのアパートであった渡り鳥達もいる。
その場にいなかった人達も。
全員が笑顔で、舞地さんを見守っている。
彼等は何のためにここへ来たのか。
それは今語った通り。
私と同じ思い。
切なさと熱さが、胸の奥を満たしていく。
やっぱり私達は一人じゃないんだという気持ちと共に……。
「お、お前達が何人いようと、こっちは何百人と集めてる。余裕でいられるのも、今の内だ」
体勢を立て直し、ボウガンを取り出すオールバックの男。
彼の仲間も男を囲むように集まり、ボウガンを周囲に向けている。
「だから、呼べよ。ただ、倉庫の周りにいた連中は全員寝てるからな。チンピラも傭兵も、全員」
「それだけと思うな。全国から、集まってくるんだ。カードと、お前達を倒すために」
「来ないわよ」
済みきった、綺麗な声。
ロングコートをたなびかせ、私達の後ろから現れる池上さん。
そして手にしていたコートを、舞地さんの肩へ掛ける。
「映未」
「遅れてごめん。でも、もう大丈夫だから」
「うん」
そっと抱き合う二人。
池上さんは薄く微笑み、オールバックの男を見上げた。
「ここに来ていた連中は、名雲君達が始末した。ここへ来ようとしていた連中は、さつきや広が説得した。もう誰も、ここには来ないのよ」
「ば、馬鹿な。そんなはずはない」
「さつきと広がどんな子かは知ってるでしょ」
「映未がいなかったから、結構大変だったのよ」
苦笑気味に、池上さんを指さす白鳥さん。
池上さんも微笑んで、彼女と隣にいる伊藤さんに手を振った。
「お前達が連絡を取れない連中も誘ってる。全員を説得出来るはずがない」
「そいつらは、俺の後輩が説得した。正確には、後輩の知り合いだが」
「な、何」
「という訳だ。……柳」
名雲さんが手を振ると、男の後ろから人影が現れた。
首筋に走る、黒い影。
倒れる男。
宙に浮いたショットガンを柳君は素早く受け止め、周りにいる男達へ向けた。
吹き飛ぶ男達と立ち上る火花。
そしてその場に立っているのは、ショットガンを担いだ柳君一人となる。
それは、たなびいていたコートが舞い降りるまでの時間。
彼の実力を、改めて思い知る瞬間でもあった。
「真理依さん」
「ありがとう」
「うん。上手く言えないけど、みんないるから。だから、もう大丈夫だよ」
可愛らしい顔をほころばせる柳君。
今の閃光の様な動きをした人とは思えない、愛らしい笑顔。
それに釣られたように、他の人達も笑い出す。
勿論、私も。
「後は警察に任せて、俺達は帰るぞ。多少残りがいるかも知れないから、注意しろよ」
ショットガンを構え、慎重に歩き出す名雲さん。
舞地さんは池上さんに付き添われ、その後ろへと付く。
しんがりは柳君で、彼もショットガンを手にしている。
数名の渡り鳥が先行し、他の人達は周囲へ散る。
例の彼は、男の子達に肩を貸してもらい歩いている。
それについては、あまり気にしたくない。
私とショウも腰を落とし、舞地さん達から距離を置いて歩き出す。
「お前達も、真ん中にいろ」
舞地さんの隣を指さす名雲さん。
「だけど」
「いいから。それと、物を投げるな」
苦笑して放られる、私のスティック。
誰かが、拾ってくれていたようだ。
「全員倒したんでしょ」
「目に付く所にいた奴らはな。ただ、隠れてる人間は知らん。それよりもまず、ここへ来る必要があったから」
「警戒するのは、倉庫を出てバイクへ辿り着くまでね。勿論、手は打ってあるけれど」
意味ありげに微笑む池上さん。
その自信に満ちた表情に、気持ちが軽くなる。
緊張感や集中を解くのは早いだろうが、自分達だけで耐える必要はなくなった。
それに、少し疲れた。
扉の前まで来ると、シャッターが半分程上まで上がっていた。
だけど、完全に上がりきってはいない。
ショウが無理矢理こじ開けた部分で、引っかかっているのだ。
「誰かが壊しやがった。顔見てみたいぜ」
「ここにいるよ」
小声で呟き、二人でくすくす笑う。
名雲さんは何だという顔で、こちらを見てくる。
「何でもない。それより、サトミ達は大丈夫?」
「木之本達と、ガーディアンも何人か付けてる。お前達に比べれば、何十倍も安全さ」
「そうなの」
扉をくぐり、久しぶりの外の空気を胸に吸い込む。
冷たい、潮の香りのする夜風。
雲が切れ、星の瞬きがいくつも見える。
舞地さんも同じように、空を見上げていた。
何も語らないけれど、その手はしっかりと池上さんの手を握っている。
しかしその静寂を破るように、名雲さんが低い声を出す。
「舞地、池上伏せろ」
「了解」
素早く地面に伏せる二人。
私達もそれに倣い、ノクトビジョンを掛ける。
倉庫の前。
左右に伸びる道路を塞ぐように置かれた、鉄筋やフォークリフト。
その後ろに見える人影。
名雲さんもいつの間にかノクトビジョンを掛けていて、その視界に従ってショットガンを左へと向けた。
柳君は右へ。
発砲音は聞かれないが、明らかに狙われている気配。
一気に高まる緊張。
星明かりが、薄暗い照明の中に消える。
「銃を降ろして」
頭上にあるスピーカーから、醒めた静かな声が聞こえてくる。
扉の上にある、コンクリート製の小さな屋根。
わずかに顔を上げると、そこには小銃を構えた沢さんが立っていた。
その隣には、ケイの姿も見える。
彼もまた、手には銃を持っている。
銃からは赤い光が伸び、鉄筋の向こうにいる人影に当たっているようだ。
「君達のとは違って、僕のは実弾も発射出来る。今レーザーが当たってるのは、鳩尾かな。死にはしないけど、その方がましと思えるくらい苦しいよ」
「当てる自信が全くないんですけど」
「君のは、ロックオンさえすれば確実に当たる。鉄筋ごと吹き飛ぶよ」
「また銃刀法違反か」
ため息混じりに漏らすケイ。
だが銃は構えられたままで、それを降ろす気配はない。
「降伏するか腹に穴を開けるか、選ぶんだ。5秒待つ」
「ま、待てっ。今降ろすっ」
「浦田君」
「了解」
突然火を噴く、二人の銃。
左右の鉄筋が激しく火花を上げ、小さな呻き声が聞こえてきた。
降ろす素振りはしたが、その手が胸元へ滑り込む仕草を取った。
沢さんは、それを見切って発砲したんだろう。
「殺すな」
「あれは見た目だけさ。今はガスで、いい気持ちになっている」
「まあいい。とにかく、助かった」
「長野での借りを、少し返しただけさ」
しなやかな動きで、下へと舞い降りる沢さん。
ケイは屋根の端に手を掛け、恐る恐る降りてきた。
「飛び降りろよ」
「お前と一緒にするな。そんな事するのは、普通の人間じゃ……」
そう言いかけた彼の前に、人影が舞い降りてくる。
ポニーテールと、ロングコート。
手にはやはり、銃を持っている。
「沙紀ちゃん」
「バックアップという事で。顔、血だらけよ」
「大丈夫、擦り傷だけだから。寮に帰って、サトミに洗ってもらう」
「そうね。それがいいかも知れない」
私とショウの肩に触れ、銃を沢さんへ返す沙紀ちゃん。
だがケイは腰のフォルダーに戻し、返そうとはしない。
完全に危険が去るまではと、思っているのだろう。
また、沙紀ちゃんに発砲させないためにも。
「一つ聞いていい?」
「何」
「傭兵の知り合いって、誰」
ケイは鼻で笑い、微かに顔を伏せた。
「あれ、前自警局長。あの人が、ここにいた傭兵を束ねてたって話は聞いただろ」
「知り合いでもないでしょ」
「色々あってね。ユウ達は嫌がると思って、黙ってた」
何となく浮かない表情。
だがそれを後悔する素振りは、全くない。
「浦田はそうやって、傭兵が遠くにいる段階で片付けたかったんだ。でも俺は、相手を確かめるためにも連中を近付けたかった。それで、多少揉めてたって訳さ」
「結果、この様ですけどね」
私達を指差し、醒めた表情で名雲さんを見つめるケイ。
彼も真剣な面持ちで、その視線を受け止める。
「ただ今回は、ユウ達も先走ったんだし良しとしましょう」
「悪いな」
「俺じゃなく、謝るのならユウ達へ」
ケイは私達へ手を向け、一歩下がった。
「……雪野、玲阿。悪かった」
私達の前に立ち、頭を下げる名雲さん。
だがその肩に、ショウがすぐに手を置く。
「いいって。俺達は、好きでやったんだから」
「そうそう。結局はみんな無事だったんだし、もういいじゃない」
「済まん」
伏せた顔から流れていく、小さな呟き。
すぐ側にいる舞地さんは、黙って彼を見つめているだけだ。
「舞地も、済まなかった。囮にするような真似して」
「勝手に出かけた私が悪いんだ。もう、この話は無しにしよう」
素っ気ない言葉。
彼女の気持ちが詰まった、優しい言葉。
誰の胸にも届く、その思い。
「よし。引きげるぞ」
「真理依は、私の後ろにね。あなたの車、ぼろぼろだし」
「バイクで来たのか」
「車では無理だって、聡美ちゃんが言ってたもの。あの子達にも、お礼を言わないと」
そっと舞地さんの頭を撫でる池上さん。
舞地さんはそれに身を任せ、彼女の胸に顔を埋めた。
静かな、穏やかな一時。
ようやく顔を出す、大きな月。
蒼く澄みきった光を、私達へと投げかける。
戦いに疲れた体。
緩んでいく緊張感。
真冬の冷たい風が、今は何故か心地いい。
蒼い月に向かい、私は少し微笑んだ。
ここに来たのは間違いではないと、胸に刻みつけながら……。
寮に戻ると、サトミがいきなり抱きしめてきた。
「服、汚れるよ」
「いいの」
確かな温もりと力強さ。
髪が優しく撫でられ、サトミは私の顔に手を当てた。
「こんなに怪我して。傷が残ったらどうするの」
「擦り傷だし、今さらって話だから」
「本当に、もう」
暖かいタオルを手にして、私の顔を拭いていくサトミ。
微かな痛みと、心地よさ。
それに身を任せていると、モトちゃんが側にやってきた。
「例の彼は」
「名雲さん達が尋問してるけど、私はパス。どうも、嫌な気がするから」
「そうね。今日はゆっくり休んだ方がいいわ」
ベッドサイドに腰掛け、長いため息を付くモトちゃん。
結局かなりの大事になったのを、呆れているんだろう。
「塩田さんには会った?」
「さあ。寮の前にはいなかったよ」
「そうじゃなくて、名古屋港で。沢さんだけじゃなくて、塩田さんも向こうに行ったのよ。私が頼んだからでもあるけれど」
それが、手を打つという事だったのか。
なるほど。
「中川さんと天満さん、それに副会長も来てくれてたわ。今度、お礼言わないと」
「うん。本当、みんなに迷惑掛けたね」
「誰も、そんな事思ってないわよ。ユウが舞地さんのために頑張ったのと同じ」
私の顔を指差し、くすっと笑うモトちゃん。
私も消毒の痛みに頬をしかめつつ、少し笑う。
「医療部で、ちゃんとやってもらった方がいいのかしら」
不安げに、私の傷口を見つめるサトミ。
自分ではそれ程大した事無いと分かっているので、面倒げに手を振る。
「モト、どう思う」
「そうね。傷は軽そうだけど、体は打ってないの?」
「少しはね。でも、ショウ程じゃないよ」
「じゃあ、やっぱり行った方がいいと思う。内蔵に何かあったら、大変よ」
「だから、大丈夫……」
有無を言わさず、左右から私の腕を掴む二人。
そしてずるずると引っ張っていく二人。
その気持ちは本当に嬉しい。
でも、注射は嫌なんだって……。
夜間用の入り口から医療部の建物へ入り、受付を済ませて診察室へと向かう。
真夜中ではないけれど、かなり遅い時間。
それでも待合室には、具合の悪そうな生徒が数名座っている。
寮にいる生徒の数を考えれば、毎日このくらいの患者は来るのだろう。
サトミ達とベンチに腰を下ろしていると、ソバージュっぽい髪型の看護婦さんがやってきた。
「大丈夫?」
「ええ。擦り傷くらいですから」
「問診では、体も殴られたってなってるわね……。いいわ、先生に聞いてみる」
端末で連絡を取ってくれる看護婦さん。
30過ぎのきびきびした、仕事の出来そうな人。
胸元のIDは「木屋 婦長」となっている。
「先に検査してくれって事だから、検査室へ行きましょ」
「注射は、ちょっと」
「CTやレントゲンよ。全然痛くないから」
看護婦さんはおかしそうに笑い、診察室とは反対側の通路を指差した。
緑色のガウンに着替え、しばし検査。
穴蔵のような装置から出てくると、モニター室の方で検査技師の人が笑っている。
どうやら、大丈夫のようだ。
一安心という事で着替えを済まし、検査表を持って診察室へと向かう。
「雪野さん、どうぞ」
「あ、はい」
カーテンをくぐり、中へ入る。
机に向かい、卓上端末と向き合っているやや額の薄い白衣姿の男性。
胸元のIDは「緑 主任医師」となっている。
「取りあえず、ベッドの方に。怪我の程度を、確認するから」
「はい」
それも問題なし。
傷も、跡は残らないとの事だった。
「君の友達も大丈夫だよ。しかし、こんな夜中に何やってたんだい」
「ちょっと、その」
「言えない事?感心しないね」
苦笑気味に、端末へ情報を書き込んでいく緑先生。
彼の傍らには、もう少し若い白衣姿の男性が立っている。
「片岡君、君が担当していた例の子は?浦田君だっけ」
「日赤の知り合いに聞いたら、予後も順調ですし殆ど治ってるそうです。傷跡は、どうしても残りますけどね」
「あれだけの怪我だ。仕方ないか」
端末に映される、ケイの写真。
細かな診察記録は表示されないが、あの時の事を思い出してしまった。
「今回はここまでの事にならなかったようだけど、気を付けるんだよ」
「あ、はい」
「君の友達は先に帰ってるから。彼等にも、そう伝えておいて」
ベッドから降り、頭を下げる私達。
緑先生は苦笑して、私の顔を指差した。
「次は注射だよ」
「え?」
「冗談だ。しばらくは体を休めて、大人しくしてなさい」
医療部の施設を後にして、ゆっくりと歩く私。
怪我は問題ないし、内臓系統も心配ない。
ショウ達も大丈夫。
でも、注射か。
「冗談、だよね」
「いいじゃない、注射くらい」
事も無げに言ってのける元野さん。
「痛いの好き?そういう趣味?」
「それで治るのなら、少しくらいは我慢出来るって事。それに殴られるよりは、よっぽど楽よ」
根本的に分かってないな。
だけど向こうも、何を言ってるのという顔でこっちを見つめている。
いいんだけどさ。
「ほら、二人とも早く。ユウ、今日は私の部屋に泊まる?」
「大丈夫。薬もあるし……」
前に行く二人の肩に手を置き、一気に引き下ろす。
私の意図を読み、同時に床へ伏せる二人。
強引だけど、当たるよりはましだ。
目の前を通り過ぎていくボウガンの矢。
確かに、注射の方がましか。
「何?」
「伏せたまま、後ろへ戻って。私が食い止める」
「だけど」
「まだ動き足りないくらいよ。二人とも、声上げないでね」
無駄に騒がす、静かに下がっていく二人。
この辺りの、冷静な判断は助かる。
さて、夜間警備をくぐり抜けてきたのはどのくらいの腕前か。
まだまだ、これからだ。
収まりかけていた闘争心を高めていると、おかしな叫び声が聞こえてきた。
矢が放たれた地点の、植え込み辺り。
腰を落としたまま、慎重に走り出す。
サトミ達は医療部の建物内に入っているので、問題はない。
スティックはないが、それなりの事は出来る。
不意に植え込みから現れる人影。
小さいジャンプで跳び蹴りのフェイントを見せ、すぐにしゃがみ込んで水面蹴りを放つ。
あっさりとかわされる蹴り。
予想内の動き。
地面に手を付き、倒立の要領で足を振り上げる。
まずは右で、仰け反らせ。
左で、首筋を刈りに行く。
しかし、それも難なくかわされた。
多少セーブしているとはいえ、今のは当てに行った動き。
傭兵も、侮れないという訳か。
ここはやはり、さっき並みに集中を……。
「殺す気か、お前は」
聞いた事のある低い声。
街灯に浮かび上がる、狼を思わせる精悍な顔立ち。
革ジャンを手で払い、苦笑気味に私を見下ろす屋神さん。
「あ、あれ」
「ボウガンを撃った奴は、もういない。多分、今ので最後だろ」
「あ、ありがとうございます」
「礼なら、三島に言え。あいつは塩田と一緒に、名古屋港まで行ったんだから」
「そ、そうなんですか」
皮パンのポケットに手を入れ、月夜を見上げる屋神さん。
切なげな、何かを懐かしむような表情。
「伊達の仲間はどうなった」
「他の渡り鳥の人が来て、何とか。前の自警局長も、協力してくれたって言ってました」
「何の得にもならないのに、みんなよくやるぜ」
「だったら、屋神さんはどうしてここにいるんです」
私の問い掛けに、屋神さんは目を細めて呟いた。
「お前らも、俺の後輩だからな」
小さな、何となく照れの混じった口調。
淡い光の中、はにかみ気味の笑顔が浮かぶ。
「それだけのために?」
「他に、理由がいるか?」
「いえ。私も、それと同じ気持ちでしたから」
「恥ずかしい事言うな」
後ろを向く屋神さん。
遠ざかっていく大きな背中。
何か言おうにも、言葉は出てこない。
言いたい事はたくさんあり、また言わなければならないのに。
だから私は、頭を下げた。
それしか出来ないけど。
きっとそれが今、一番ふさわしいと思ったから。
深く思いを込めて。
見えるのは薄暗い地面。
でもそれで、私は満足だった。
たわいもない自己満足だとしても。
あの一言さえ、この胸にあれば。