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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第2話
12/596

2-4






   2-4




 帰りのHRが終わったところで、サトミがやってきた。

 忙しかったのか彼女は午後からの登校だったので、ようやく私も話が出来る。

「昨日はどうだった、ショウのトレーニング」

「……走った」

「え?」

 笑顔のまま小首を傾げるサトミ。

「ショウが、むきになって走り回ったの。私も付き合ったから、ちょっと筋肉痛」

「でもいいじゃない。走り込んで悪い事は無いんだから」

「そうだね……」

 よっぽど、プロテインが気にくわなかったのかな。

 私は張り気味の太股を軽く叩き、机の上を片付けているショウを遠目に見た。

「私、そろそろヒカルの所へいってくるわ。それで……」

「ん、何?」

「う、うん」

 珍しくサトミの歯切れが悪い。顔も赤い。

 彼女がこういう時は、大体理由が決まっている。

「あ、明日から学校休んで、手伝いするかもしれないの」

「ふーん」

 予想通りの答えが返ってきた。

 結構な話ですね、しかし。

「いいと思うわよ。サトミは出席も足りてるんだし、後はテストでいい点取ればいいだけなんだから」

「え、ええ。そういう訳で、ショウとケイによろしくね」

「うん、分かった」

「じゃ、じゃあさよなら」

 初な乙女のように頬を染めて教室を出ていったサトミ。

 恋、か。

 いいね、何だか。

 ヒカルには休日くらいしか会えないんだし、たまには一緒にいるのも悪くないよ。

 押せ押せサトミ。

「ユウ、どうした」

 ようやくショウがこっちへやってきた。

 軽い足取りで、張本人が筋肉痛に悩んでいる様子はない。

「サトミがね、しばらく学校休むって。で、恥ずかしいから逃げてった」

「照れる年でもないだろ。どうもうちの連中は、色恋に弱いな」

「自分だってそうでしょうに。口ばっかで、一番照れるのショウじゃない」

 私は反論出来なくなったショウを置いて、教室を出た。

 確かに私達は、そういうの縁遠いもんね。

 ショウはもてるんだけど誰とも付き合ってないし、私はもてないし付き合ってもいない。

 ケイに至っては論外だ。

 そういえば、今日いないなあの子。

 聞いた話では、ずっと沙紀ちゃんのオフィスにこもっているらしいんだけど。


「ケイ、顔見せなかったな」

 オフィスに到着した私達は、着替えを済ませて少し休んでいた。

 さすがに今日は、ショウに外へ出てもらってちゃんと着替えました。

「あの子も単位は余裕で取れるから、どっかでマンガでも読んでるのよ」

「かもな。自分の事は自分でやる奴だし、放っておくか」

「そうそう。でね、……これ使ってみたらどうかな」

 副会長のつてを頼って借りた、白いベストをロッカーから持って来る。

 ベストにはあちこちポケットがあり、同じく白い板が入っている。

「鉛か、これ。10kgって書いてあるぞ」

「試合までずっと着てれば、脱いだ時に体が軽く感じるわよ。スピードも体力も付くし」

「……子供背負ってるようなもんだな。重りはこれで全部?」

「まだ、ロッカーに入ってる」

 するとショウはロッカーに向かい、あるだけの重りを持ってきた。

 でもって、それをベストのポケットに入れていく。

「全部使うの?」

「このくらいしないと、あいつには勝てそうにない。これでもまだ軽いくらいだ」

 総重量30Kgはあるベストを身につけ、その場で小さなジャンプを繰り返す。

 いつもよりは若干切れがないけど、跳躍力に変化はない。

「だったら、パワーリストとアンクルも使う?一緒に借りて……」

 ロッカーで先に見つけたらしく、いつの間にか腕に付いている。

 今は腰を屈めて、足首にも巻いてる。

「無理して、怪我しても知らないわよ。まさか棄権なんて言えないんだから」

「大丈夫だって。父さんは……。これは無しだったな」

「いいよ、聞かせて」

 私は姿勢を正し、照れくさそうにするショウを見つめた。

「ああ。父さんはそれこそ鉄下駄履いて、ダンベル腕にくくりつけて山を走り回ったんだよ。……たまには、母さんも背負ったって話だ」

「はは、それ面白いね。私達もやる?」

「ユウじゃ軽過ぎだ。大体、学校でそんな事やったら面白過ぎる」

 なるほど。

 確かに女の子を背負って走り回るってのは、相当に目立ちそうだ。

 でも、私としてはちょっとやって欲しいけどね。

 何か、青春って感じでいいじゃない。

「よそろそろ行くか」

「了解。ランニング、ストレッチ、筋トレとサーキットトレーニングで、その後スパーリング。最初に決めた通りオーソドックスに」

 頷きあってオフィスを出る私達。

 鍵を掛ける私の腕に巻かれている、ショウと同じタイプのパワーリスト。

 彼の辛さを分かち合えるように、彼を励ませられるように。

 少しでも彼と同じ思いを抱くために。

 頑張ろう……。



 規則正しい息づかい、正確な腕の振り、変わらないリズム。

「はい、ラスト10」

 ペースを変えずスクワットを繰り返すショウ。

 早くも無く遅くもない、一定の速度。

 ラスト一回までしっかり膝を伸ばして終わらせたショウは、軽く息を整えて肩を叩いた。

「筋トレはこれで終わりだな。スパーリング行くか」

「待って。私も少し、体暖めるから」

 一応ショウの半分は筋トレを付き合ったのだけど、スクワットを250回も待っていたら体が冷えてきた。

 正拳と前蹴りのみの、単調な動きを繰り返す私。

 それは常に一定のポイントを貫き、同じ軌道を描いて引き戻される。

 緩やかだった動きを少しずづ上げていき、限界の一歩手前まで動きを早める。

 静まり返ったトレーニングルームに、自分の息吹と空を裂く音が耳に届く。

 熱くなる体、だけど心は逆に澄み切っていく。

 この単調さがその役目を果たしていると気づいたのは、いつからか。

 今度は速度を落としていき、息を整えながら腕を胸元の辺りで交差させる。


「……いいわよ。打撃だけ?それとも何でもありで行く?」

「いつも通りさ。プロテクターが無いから軽くな」

「分かった」

 私は小刻みなステップを踏んで、前に出した左手を緩やかにふらつかせる。

 ショウほどの体力がない分、それ以上のスピードと体裁きで牽制するしかない。

「セッ」

 右前方へ飛び、ショウとの間合いを一気に詰める。

 即座に飛んでくるローキックを飛び越えて、ショウの左に張り付く。

 ローッキクがベクトルを変え、私の後頭部目がけて引き戻される。

 それに手を添えて受け流し、今度はショウの正面へタックル気味に飛び込む。

 ジャブすら出せない間合い。残っている軸足は、膝蹴りも出せない態勢だ。

 がら空きの脇腹に掌底を伸ばし掛けたが、すぐに引き戻した。 

 さっきまで腕があった空間を、ショウの肘が通り過ぎていく。

 私は素早くバックステップで間合いを取り、ショウが構え直した瞬間を狙って再び突っ込んだ。

 しかしタイミングを計ったように、カウンターとなるショウの前蹴りが飛んでくる。

 その足の甲にかかとを掛け、軽く飛び乗る。

 私の重みで沈み込む前に勢いよく踏み切り、顔をガードしている腕に跳び蹴りを見舞う。

 さすがにのけぞるショウ。

 さらに空中で体を翻し、勢いよくかかとを振り下ろす。 

 しかしショウはその動きを予期していたのか、難なく私の足を掴みそのまま横へひねった。

 一気に迫るマット張りの床。

 私は掴まれていない足を振り回し、ショウの頭を狙った。

 即座に足は解放され、私はさらに体をひねって床に降り立つ。

「……こんなところかな」

「まあな。お互い癖が分かってるし」

 私が投げたタオルで顔の汗を拭ったショウは、そのまま床へしゃがみ込んだ。

「重り付けてそれだけ動けるんだから、結構いいんじゃない」

 私もショウの隣りに座り、タオルで顔を拭く。

「だけど問題は、あの代表代行に通用するかだ。この重りを取ったとして」

「そうだよね。どれだけ体力付けても、あの人に追いつくとは思えないから」

「……パターンで攻めるか。型を決めて、あいつをそれに追い込むような」

 水筒のストローから口を離したショウが、それを私に差し出してくる。

 私もそれに口を付け……。

 あ、飲んじゃった。

 べ、別にいいけどね。

「た、例えばどうする?」

「前にも話し合ったように、スピードで上回って足元を狙うのさ」

 立ち上がったショウは無造作に構えを取って、右へサイドステップした。

「ここで死角から右ストレートを連打して、相手の上体をのけぞらせる」

「それで」

「セオリー通り、タックル。上体がのけぞってるから、手での攻撃はされない。飛んでくるのは膝か前蹴りだな」

 ショウはタックルの構えを解き、体を伏せてスライディングを見せた。

「その足元を抜いて、相手の背後に回る」

「でも、そうすると代表代行は肘を落としてくるかも。ビデオでも、何度か倒れた相手に肘落としてたじゃない。骨折れてる人とかいたよ」

「だからその前に、膝なり背中を蹴る。肘を落とすタイミングに合わせれば、カウンターが取れる」

 自信に満ちた言葉。

 私もその自信は疑わない、ショウの実力も。 

 だけど、でも。


「……私は賛成出来ない」

「俺だって、危ないのは分かってるさ。だけど、多少のリスクは負わないとあいつには勝てないんだよ」

 ショウが真剣な顔付きで語りかけてくる。

 自分のプライドと、意地を掛けて。

「分かってる、それは私も。でも……」

 言えない、これ以上は。

 他人の生き方を、否定は出来ない。

 私に、そこまでの資格はない。

 だけど、言わなければならない。

 たとえ何と思われようとも、どうなっても。

 何より、彼のために。

「それはリスクじゃなくて、無謀って言うんだよ。あれをショウがかわせるとは、私には思えない……」

 震える声を抑え込んで、顔を逸らさずに。 

 ただ自分の気持ちを伝えた。


 ショウはすっと立ち上がり、いつも通りの軽い笑みを私に見せてきた。

「そんなに心配するなって。俺もさそうするって決めた訳じゃない無い。ほら、もう少しスパーリングやろう」

「う、うん」

 ショウの手を掴んで立ち上がった私は、彼が怒らなかった事に安堵を感じていた。

 でも、止めると言ってくれはしなかった。

 微かに残る不安。

 ショウを信頼したい気持、そして彼のプライドを尊重したい気持。

 彼を守りたい気持。

 胸に沸き上がる幾つもの思い。

「ユウ」

「あ、うん。いいよ」

 今は忘れよう。

 ショウをサポートするのに専念して。

 ここからは、もう私が立ち入れないのだと分かっている。

 後はショウ自身が決める事であり、私には何も出来ないのだから……。



 インターフォンのボタンを押すと、落ち着いた声が返ってきた。

「今開ける」

「うん」

 自動的に開いたドアをくぐり、部屋の中へと入る。

「元気ないわね、ショウとケンカでもした?」

「そうじゃないよ。トレーニングに付き合ったから少し疲れただけ」 

 差し出してくれたグラスを受け取り、そのまま持ち続ける。

 サトミはベッドの脇に腰を下ろし、部屋の真ん中でしゃがみ込んだ私を見つめた。

「ねえ、サトミ」

「何」

「ショウって、今度の試合に勝てると思う?」

「勝つでしょ。勿論」

 きっぱりと言い切るサトミ。

 私は思わずトーンを上げて、さらに尋ねた。

「それは、ショウが強いから?ショウを信じてるから?」

「強いとか、信じてるとかじゃないわよ。勝つんだもの、仕方ないじゃない」

 サトミは何を今さらといった顔で、黒のタンクトップから伸びる腕をさすっている。

「ユウだってそうでしょ」

「私も、ショウが勝つと思ってる。でも、不安なの」

「また無茶な事でも言いだしたの、あの子」

「う、うん」

 私は、今日あった事を手短に話してみた。


「なるほどね」

 サトミは相変わらず、白くてほっそりとした腕をさすっている。

「それで、ユウとしては少し心配になったと」

「心配っていうのか、そこまでする必要が無いって思っただけよ。そんなのするくらいだったら、……負けた方がいい。だって、危な過ぎるんだからっ」

 グラスのお茶が、私の動きに合わせて大きく揺れる。

「私は、そこまで深刻に考えないけど」

 落ち着いたサトミの答え。

 思っても見なかった反応に、グラスのお茶はさらに揺れる。

「じゃ、じゃあサトミは、ショウがどうなってもいいって言うの?」

「そうじゃない。それに、試合でどうするかは結局ショウが決める事よ」

「だけど」

 サトミの手が私の肩に置かれる。

 穏やかな微笑みと共に。

「大丈夫、ショウも分かってるわよ。それがどれだけ危ないのかも、ユウがどんな気持で言ってくれたのかも」

 サトミの言葉が、心に溶け込んでくる。

 私は肩に置かれた手に、自分の手を重ねた。

 暖かく、柔らかなサトミの手に。

「それにユウは、私情が入り過ぎてる気がするのよね」 

「え、何か言った?」

「別に。さあ、ユウもそろそろ寝たら。明日も学校なんだし」

 しなやかに立ち上がったサトミが、てきぱきとグラスを片付け始める。

 よく分からないけど、私にも眠気が訪れているのは確かだ。

「分かった。ヒカルによろしく」

「ええ。お悩み相談ならいつでも受け付けるから、またいらっしゃい」

 サトミは私の両肩に手を置き、お姉さんっぽく微笑んだ。

「そうじゃないんだって。ただ、話を聞いてほしかっただけなんだから。じゃ、じゃあね」

 私は素早く立ち上がり、部屋を飛び出ていった。

 サトミの声が、玄関で靴を履いている私の背中に届いてくる。

「……頑張ってね、ユウも」

「ん?うん、分かった」 

 意味が分からないまま返事を返し、私は玄関を出た。

 自動的に閉まり、オートロックが掛かるドア。  

 私はすぐ近くにある自分の部屋までゆっくりと歩き出した。

 何か解決した訳ではないけれど、気持は楽になった。

 この気持があれば、明日からもやっていける。

 仲間と一緒なら。

 たとえ離ればなれになっていても……。



 それからは特に何事もなく、ショウのトレーニングは進んでいった。

 メニューを簡単に言えばこう。

 ランニングがまず10km。ストレッチを済ませて、筋トレに入る。

 腕立て、腹筋、スクワット、背筋などを各500。ショートダッシュとサイドステップを交えたダッシュ。

 それが1セットにして、計3~5セット。

 さらに、それの回数を減らしたサーキットトレーニングを10セット以上。

 私とのスパーリング10分を5~10回。

 仕上げにランニングを5kmで、柔軟をやってようやく終わり。

 これにトレーニングセンターで器具を使った筋トレが、時折入る。

 私も筋トレは半分ほど付き合っているけれど、それだけでも正直かなり辛い。

 しかしショウは文句一つ言わず、ただひたすらにトレーニングに励んでいる。

 サトミはヒカルの所に行ったきりで、ケイも教室に顔を出さない。

 二人に会う機会は減ったしガーディアンとしての仕事もしていないけれど、今はショウのサポートが優先だ。

 その間に重りを入れたベストの重さは50KGを越え、制服は半袖に替わった。

 試合までは後3週間あまり。

 ショウの体調は申し分なく、筋力も少しずつアップしている。

 おかげで一緒に付き合っている私も、前より体が軽くなった感じだ。

 ただ授業中はかなり眠くて、気づくと授業が終わってるなんてのもしばしば。

 その辺はサトミの個人授業を受けて、テスト対策を練る予定である。

 授業中に疲れをとって、放課後にトレーニング。

 あまり良いとはいえないのだけど、今生活の全ては代表代行との試合のために動いている。


 幸い今日は土曜。

 明日も休みなので、1日のんびりしていられる。

 訳もなく、私とショウは午前中から寮に隣接しているトレーニングセンターでスパーリングをやっていた。

 ショウの右フックをダッキングでかわし、腕が戻っていくのに合わせ体を突っ込ませる。

 すぐに動きを変えて、右フックが肘打ちに変わる。

 ヘッドスリップでそれをかいくぐり、脇に腕をまわして極めにいく。

 スピードとタイミングで、ショウの体を一気に沈み込ませる。

 そこに膝を出し、脇腹を突き上げにかかる。

 しかしショウは極められた腕を逆に利用して、そのまま前へ体を翻す。

 膝は空を切り、勢いよく宙を前転するショウの体。

 その反動に巻き込まれないよう、私はすぐにショウの腕を放して間合いを取った。

「危なかった」

 軽やかに降り立ったショウが、後ろで束ねられた髪をかき上げて笑う。

「よく重り付けて前転出来るね。信じられないわ」

 私も前髪を横に払って、くすくす笑った。

 いくら休憩を挟みながらでも、1時間もやってるとさすがに疲れてくる。

 ショウもそう思ったらしく、汗まみれになったTシャツを脱ぎ体をタオルで拭き始めた。

「ちょっと休もうか」

「うん……。あ、ちょっと待って」

 私は恥ずかしいのも手伝って、ショウに背を向けて壁際に置いていた自分のバッグに走っていった。


 バッグを抱えて戻ってくると、ショウはまだ上半身裸でうろうろしてる。

 まあ、いいんだけど。

「あの。あのさ、これ食べる?」

 私はバッグからタッパを取り出し、ふたを開けた。

 中には昨日の夜作ったレモンチーズケーキが、一応綺麗に収まっている。

「食べるけど、実はまずいってオチじゃないだろうな」

「失礼ね。それに保冷剤に包んであったから、まだ冷えてるわよ」

 私は小さめのケーキナイフでフルフルするケーキを切り出し、一緒に持ってきたお皿に乗せてショウに差し出した。

「まだ食べちゃ駄目よ。紅茶もあるから」

「はは。そういうの聞くと、ユウも女の子だなって気になる」

「何とでも言って……。はい、どうぞ」

 水分補給用とは別に持ってきた紅茶をティーカップに注ぎ、シナモンも添えて差し出す。

 ショウはおかしそうにそれを受け取り、ケーキのお皿と持ち替えた。

「それじゃ、頂きます」

 ケーキを少し切り取り、口に運ぶショウ。

 何故か正座をしている私は、その様子を上目遣いでじっと窺う。

「……あんまり甘くなくて、レモンの風味がいい感じだな」

 そう言ってどんどん食べていく。

「本当?」

「ああ。店で売ってる奴より、こっちの方がいい」

 気づけばショウのケーキは全て無くなり、お皿が私の前に置かれている。

「まだある?」   

「うん、あるよ。よかったら、食べる?」

 するとショウは一瞬頷きかけて、すぐに立ち上がった。

「止めとく。今から食べると、動きが鈍くなりそうだ。昼も近いし」

「そうだね」

 私はショウのお皿を片付け、タッパのふたをした。

 まだ半分以上ケーキが残っているけれど、後でサトミ達にでも上げればいいか。

 多分、喜んでくれる。

「あのさ」

 タッパをバッグにしまっていると、ショウが声を掛けてきた。

 顔を背け気味に。

「ん、何?」

「それ、どうするつもり」

 私はケーキを保冷剤の中に押し込みながら答えた。

「決めてないけど、誰か食べてくれそうな人に上げる。残ったらもったいないから」

「なら、俺が食べてもいいかな」

 小さな、ささやくような声。

 タッパをしまいながらぎこちなく頷く私。

 するとショウが立ち上がり、私に背を向けて伸びをした。

「食後のデザートも出来たし、少し走ってくる」

 そう言って駆け出すショウ。

 彼の足音が遠ざかり、ドアの閉まる音が遠くから届く。

 トレーニングルームに一人っきりとなった私は、小声で呟いた。

「明日から、お昼も作ろうかな……」

 そして、こうも叫んだ。

「Tシャツ脱いだままだってー」



 順調だ。

 プロテインのせいか腕が太くなった気もするけど、効き目がそんなに早く出るはず無いよね。

「飲まないのか?」

 空のコップをゴミ箱へ放り投げたショウが、私を見てくる。

「……飲みます」 

 どろどろのプロテイン入り牛乳を、勢い付けて流し込んだ。

 甘くはしてあるんだけど、積極的に飲みたいものではない。

 何でこれにも付き合わされてるんだろ、私。

 初めから、味付きのを買えばよかった。

「……ごちそうさまでした」

 丁寧にコップをゴミ箱へ入れて、ため息を一つ。

「気休めにはなるな。効き目が出るのは、試合が終わった後くらいだと思うけど」

「そ、そうだよね。まだ早いよねっ」

 すっ飛んでショウに迫る私。

 その太い腕を掴み、激しく揺すりながら。

「あ、ああ」

「そうだよ、関係ないよ」

 でも、ただ太っただけだったら。

 ま、まさか。

「腕痛いのか?」

「いえ、別に。何でもありません」

 私は二の腕をさすりながら、ヘヘッと笑った。

 いいんだよ、強くなるのなら。

 さてと、後は外に行ってお弁当でも食べようかな。



「毎日面倒だろ、これ」

 私はショウから渡されたランチボックスをリュックにしまい、自分の分も一緒に収めた。

「そうでもないよ。献立考えるの結構面白いし、お昼だけだもん」

 芝生をそっと撫で、空を見上げる。

 初夏の日差しが遮ぎられた木陰から望む、青い空。

 大きな白い雲がゆったりと流れ、涼しい風が髪を揺らす。

「夜も少し作ってくれてるだろ。おかげで体調はいいんだけどさ」

「カロリー計算と栄養バランスは完璧だから」

 モトちゃんから借りた料理の本が、頭の中にふと浮かんだ。


 数日前の事。

 私は中等部からの知り合いで、同じガーディアン連合に所属するモトちゃんと会っていた。

 サトミにとっても、お姉さん的な女の子と。

「あのさ、モトちゃん」

「何でしょうか、雪野さん」

「やな言葉遣いするね」

 モトちゃんは口元に手を当て、ホホッと笑った。

 下らないな、もう。

 そんな気持を教える意味も込めて、近くにあったふわふわのクッションをその顔目がけて放り投げた。

「わっ。何するのよ、ちょっと」

「いいから。ほら、こっち向いて」

「はいはい。で、一体どうしたの」

 警棒を取りに行こうとしていたモトちゃんを強引に引き戻し、自分の前に座らせる。

「うん。モトちゃんって、栄養学の授業取ってるよね。それで、いらなくなった教科書か参考書があったら貸して欲しいんだけど」

「中等部で使ってたのでいいなら、ユウに上げるわよ。待ってて、今探すから」

「ありがとう」

 本棚を探し始めたモトちゃんが、背を向けたまま話してくる。

「ユウは太ってないんだから、こういうの必要ないでしょ。誰に必要なんだか」

 う、鋭い。

 彼女との付き合いはサトミ達と同じくらい長いので、私の行動や考えはかなりを読まれている。

 もしくは、私の行動が単純だとも言える。

「……はい。料理の本もあげるから、しっかりね」

「う、うん。やっぱり、私が何やるか分かってる?」

「噂は聞いてるわよ。一般生徒はともかく、一部のガーディアンには公然の秘密っていうところ。賭の対象にもなってるんだって」

 そうなのか、予想はしてたけど。

 私はリュックに本をしまい、モトちゃんの顔を覗き込んだ。

「だったら」

 するとどうだ。

 モトちゃんは耳をふさぎ、「あー」と叫びだした。

「何それ。人の話はちゃんと聞かないと」

「だって、聞きたく無いもの。試合は見に行かないから、そのつもりで。ああいうの好きじゃないって、ユウも知ってるでしょ」

「むー」

 確かに彼女はケンカとかが嫌いで、ガーディアンをやっているのもそれを少しでも減らしたいというのが理由の一つである。

 残念だけど、嫌がってるのに無理矢理誘う事じゃない。

「分かった。それじゃ、これもらうね」

「ええ、ショウ君によろしく。ふーん、ユウがご飯作ってあげるのかー」

 詠嘆で締めくくるモトちゃん。

 私は聞こえないふりをして、リュックを背負い立ち上がった。

「何か分からない事があったら、また来て」

「うん、ありがと」

「いえいえ、どういたしまして」

 ニヤニヤして私を見上げてくるモトちゃん。

 私はやはり見えなかった振りをして、モトちゃんの部屋を出ていった。



 そういう訳で、彼女には色々とお世話になった。

 その内嫌がらせも兼ねて、真夜中にお酒でも持っていこう。「これで試合に負けたら大笑いだな」

「はは、そうだね」

 私達の笑い声は風に乗り、芝生の上を駆けていく。

 空は澄み渡り、遠くでフリスビーを楽しむ女の子達の歓声が途切れ途切れに届く。

「……少し寝る」  

「うん、時間が来たら起こす」

「ああ、頼む」

 ショウは自分のリュックを枕にして、芝生の上に寝ころんだ。

 疲れているのだろう、すぐに健やかな寝息が聞こえてくる。

 当たり前だよね、あれだけハードなトレーニングをしていれば。

 しばらくして、私は時計を見た。

 もうすぐ、授業が始まる時間。

 すぐ隣では、気持ちよさそうに寝息を立てているショウがいる。

 少し風が冷たいかな。

 私は肩に掛けていたパーカーを脱ぎ、彼の体にそっと掛けた。

 それまで周りにいた生徒達の姿はどこにもなく、私達だけが芝生の上で佇んでいる。

「ごめんね、起こさなくて」

 私のささやきが聞こえたのか、微笑んだようにも見えた。

「私も付き合うから、もう少し休もうよ」

 風になびいたショウの前髪を直し、寝顔に微笑み掛ける。

 日差しを遮る葉が風に揺れ、優しい音を立てている。

 遠くを、黄色の蝶がゆらゆらと飛んでいた。

 時は静かに、緩やかに流れていた……。



 結局彼が起きたのは、日も傾き始めた頃。

 勿論、授業なんてとっくに終わってる。

 それでも量こそ減らしたけど、トレーニングは一応一通りこなしはした。

 試合に駆ける意気込みもあるし、基本的に真面目な人だから。

「……まだ。少し眠い」

「疲れてるのよ。酢飲みなさい、酢を」 

「これこそ飲み物じゃないだろ。食は進むけど」

 棚に並んだ色々な種類の酢を指でつつくショウ。

 私はワインビネガーを手に取り、カートに入れた。

「サラダに使ってみよ。一度試してみたかったんだ」

「金、あるのか?」

「この前ショウのおじさんにもらったのが残ってるの。ショウが食べる分を買うんだから、丁度いいじゃない」

 今私達がいるのは、学校のすぐ近くにある大型スーパー。

 ショウのお弁当や夕食の追加分を作るようになってからは、すっかりお世話になっている。

 学内でも夜遅くまで食料品は売っているんだけど、品揃えがいいんだよねこっちの方が。


 レジを済ませてスーパーを出た頃には、空に星が瞬き始めていた。

 初夏とはいえ夜風は冷たくて、トレーニングで火照った体を冷やしてくる。

 人気のない路地に、二人の足音が響く。

 街灯に照らされた長い影が、行く手に伸びている。

 ショウは何も言わず、買い物袋を下げて私の隣を歩いている。

 私も黙ったまま、並んで歩いていく。

 でもそれは、心地いい静けさ。

 寄り添う二つの影に視線を落としながら、私はそう思った。


 自分の部屋に戻った私は、早速料理を開始した。

 ショウは食堂でもらってきた、おにぎりや若鶏のたたきを食べている。

 あれだけ動いているのだからカロリーオーバーはまず無いんだけど、余分な脂肪分は出来るだけ控えたい。

 フライドチキンとフライドポテト、厚切りのサーロインステーキという誘惑もあるにはあるが、後少しは我慢してもらおう。

 ふたをしたフライパンからは、何とも食欲をそそるバターの香りが漂ってくる。

 サラダの盛りつけを終わったところで、少し開けて中を覗いてみる。

「……そろそろかかな」

 ふたを取り、温野菜とレモンを添えたお皿に鱈のムニエルを盛りつけた。

「はい、出来上がりと」

 ドレッシングを掛けたサラダを一緒に持って、キッチンを後にする。


「お待たせ」

 自分の分のお皿を並べて、私もテーブルについた。

 お腹も空いたし、早速食べるとしよう。

「いただきます……」

 うん、美味しい。

 バターを相当少な目にしたんだけど、くどくなくて却っていいかもしれない。

 そうやって味を楽しんでいる間にも、ショウは余程お腹が空いているのか、黙々と料理を食べている。

 全部の料理を私が作った訳じゃないけれど、これだけ食べてもらえると嬉しいというか気持がいい。

 ワインビネガーを使ったサラダも、何とも美味しい。


 それなりに時間を掛けて食事を終えたところで、私は食器の後片づけをしていた。

 ショウがそれを、タオルで拭いてくれている。

 私は淡いグリーンのエプロンを、彼は薄い赤のエプロンをしている。

 料理を作るようになってから一緒に買った物で、胸元にある子犬がお気に入りである。

「ケイから連絡あった?」

 お皿を棚に戻していたショウが聞いてきた。

「駄目。こっちから連絡しても、忙しいとか言ってすぐ切っちゃうの」

「帰りも遅いんだよな、あいつ」

「分かんない。だから、明日様子見に行こうかと思って」

 私はおたまの水を切り、ショウに渡した。

 はい、これで終わりと。

「迷惑掛けてないなら、いいんだけど。どうだろうな」

「沙紀ちゃんも連絡くれないんだよね。ちょっと気が重いわ」

「俺も付いていこうか」

 リビングの方から、ショウの声が聞こえてくる。

 私は椅子に掛かった彼のエプロンをたたみ、リビングへ向かった。

「大丈夫、ショウはトレーニングしてて。私もケイの顔を見たら、すぐに行くから」

「どうも駄目だな、俺達男共は」

 リュックを背負いながらショウが苦笑する。

 駄目って事は無いと思うよ、少なくとも君は。


 寮の外に出ると、ショウはリュックを背負い直して軽く体を解し始めた。

 街灯が辺りを淡く照らし、私達の影を薄く伸ばす。

「また明日」

「うん、お休み。お腹冷やさないでよ」

「子供か、俺は」

 私に手を振り、男子寮へ続く道を駆け出すショウ。

 重りが入ったベストを着たままで。

 やがてその背中が見えなくなり、足音も聞こえなくなる。  

 私は街灯越しの夜空を見上げ、澄んだ夜の空気を胸一杯に吸い込んだ。

 何だか、いい気分。

 明日もきっといい事と思わせる程の、綺麗な星空。

 あ、でも明日はケイに会うのか。

 大丈夫かな……。



 翌日。

 帰りのHRが終わったところで、沙紀ちゃんのオフィスに向かう。

 笑い気味なショウの見送りを背に受けて。

 色々考えている間に、そのオフィスへ着いてしまった。

 ちなみに彼女はDブロックの隊長なので、オフィスはD-1にある。

 とにかく、ここまで来たら仕方ない。

 さて、覚悟を決めるとしますか。

「済みません、雪野ですけど」 

 インターフォンを押し、名前を告げる。

「あ、はい。今開けます」

 この前よりは落ち着いた声が返ってきた。

 前もって連絡したのがよかったのかな。

「おじゃまします」

 すぐに開いたドアをくぐり、笑顔を振りまいて中へ入っていく。

「こんにちは」

 この間も出迎えてくれた女の子が、笑顔で頭を下げてきた。

「あ、こんにちは。早速なんだけどケイ……、浦田珪いる?」

「はい。浦田君は今、奥でみなさんとお話ししています。さ、どうぞ」

 笑顔を崩さず奥の部屋へ続くドアへ歩き出す女の子。

 何か怖いな。

 そうやって誘っておいて、みんなに説教喰らったりして。

「失礼します……」 

 軽くノックして、女の子がドアを開ける。  

 さてと、その浦田君はどんな話をしているのかな。


 ソファーが向かい合って置かれた部屋の中央。

 何人もの生徒が書類や端末を手にして、ソファーに腰を下ろしている。

 いるのは班長や副班長といった、生徒会ガーディアンズDブロックの幹部達。

 私なんて邪魔じゃないのかなと思っていたら、見慣れた顔が一つ見えた。

「……ええ、それは処理しておきました。後は、経理担当の小山さんが備品課へ行ってくれれば許可は下りると思います。その提出書は、この前のDDに入ってますから」

「それと浦田君。フォースから、Cブロック辺りのパトロールで苦情が来てるんだけど」

「分かりました。D-1はパトロールを中止、後で見て来ます。何かあったら、丹下隊長か俺に」

 端末に情報を入力しながら話を聞いていくケイ。

 他の子達は、全員がそのケイに注目をしている。 

「後は、今週の日曜に野球部が試合の警備頼みたいって連絡が入ってる」

「……申し訳ありませんが、山下さんと阿川君でお願い出来ますか。おそらく、お二人だけでこなせる警備状況と思います」

 その山下さんと阿川君は素直に苦笑気味に頷き、自分達の端末にスケジュールを入力した。

「明日の訓練スケジュールだけど。これで問題ないよね」

 ケイは女の子から渡された書類に目を通し、何度も頷いた。

「ええ、完璧です。予定通り講堂も抑えましたし、訓練中にパトロールをするメンバーには先に連絡をしておきました。後は、丹下隊長の最終許可を仰いで下さい」

「浦田君、自警局から……」

 てきぱきと指示を出していくケイ。 

 私が見慣れていた、我関せずと皮肉な笑みを浮かべる男の子はそこにはない。

 でもそれは、私達が知っているケイのもう一つの一面でもあった。


「忙しいみたいだから、向こうで待たせてもらうわ」

「あ、はい」

 私と女の子は、ケイ達を邪魔しないように静かに部屋を出た。    

 椅子に座ってぼんやりしていると、さっきの女の子がお茶を持ってきてくれた。

「ありがとう。ごめんね、気使わせちゃって」

「いいえ。私達こそ、雪野さん達にはご迷惑をお掛けしてますから」

 女の子は私の前に椅子を持ってきて、何か言いたそうな顔でこっちを見てきた。

「あ、あの。ちょっとお聞きしてもいいですか」

「うん、いいよ。何かな」

「は、はい。あ、あの。浦田君の事なんですけど」

 ちょっと間を置き、声をひそめて女の子。

 やはり、そう来たか。

「最初は、どうして丹下さんがこの子を呼んだのかなって思ってたんです。雪野さんや玲阿君みたいに強い訳でもないし、遠野さんのように頭がいい訳でもないのにって。失礼ですよね、私」

「いや。分かるわよ。その気持」

 私と女の子は、顔を見合わせてくすっと笑った。

「でも実際仕事になると、すごい頼りになるんです。細かな事には気が付くし、さっきみたいに幾つもの仕事を同時に片付けたりして。ケンカを仲裁する時でも、いないなと思ってたら野次馬で暴れそうな人の所にいて、その人をしっかりマークしてるんです」

「よくそこまで見てるわね」

「ええ。と言っても、ケンカの話は丹下隊長から聞いたんですけど」

「へぇ、沙紀ちゃんから」

 そう言えば、その沙紀ちゃんもいないな。

 ただあの子はブロックの隊長だから、私みたいに遊んではなくて仕事に追われてるんだろう。

「浦田君は、まだしばらくここにいるんですか?」

「もうすぐこっちの問題が片づくから、そうなったら引き取りに来るわ」

「そうですか。私達としては、もう少し一緒に仕事をしていたいんですけど」

 周りで話を聞いていた子達も、しきりに頷いている。

 本気かな、この人達。

「考え直した方がいいよ。あの子はたまに会うからいいんで、ずっといたら困る事の方が多くなるから」

「……誰が困るって」


 ドアが開き、鼻を鳴らしながらケイが出てきた。

 ほら、こういうタイミングだけは逃さないんだから。

「あなたがよ。ねえ、優ちゃん」

 一緒に出てきた沙紀ちゃんが、むすっとしているケイの肩に触れる。

 どうやら彼女は、奥の隊長室から出てきたらしい。

「お話は終わりました?浦田、君」

 陰険な目付きで睨んでくるケイ。

 しかし彼と一緒に出てきた人達は、全く違う反応を見せた。

「済みません。わざわざ浦田君に会いに来てくれたのに、お邪魔してしまって」

「ちょっと話するだけだったんですけど、つい話し込んでしまって」

「いえ、俺も勉強になりました。今日は当分ここにいますから、また何かあったらお願いします」

 一緒に話をしていた子達に軽く頭を下げるケイ。

 みんなは私達に挨拶をして、書類を回し読みしながらオフィスを出ていった。

 こういう人達がいるから、ガーディアンの組織は動いていくんだな。

 私がおかしな事をやっている間にも……。

「あの人達って、他の学校行ってたんじゃないの?」

「予定が早まったのよ。だから浦田を戻しても良かったんだけど、みんなが引き留めちゃって」

「雑用に使われてるだけさ。おかげで、授業に出る余裕もない」

 大きく伸びをしたケイは、私達の顔を見てさっき出てきたドアを指さした。

「少し話したいんだけど、いいかな」

 よく分からないまま頷いた私達は、取りあえずケイの後に続いてその部屋へと戻った。


 私達の前に、数枚の書類とDDが置かれる。

「あくまでも試案なんだけど」

「……パトロール及び、各種警備における包括ネットワーク。スケジュール調整?」

「そう。ガーディアンは、生徒会の自警局、予算編成局のフォース、連合の3つ。それは多少連絡を取り合ってはいるけど、基本的に各自は個別に行動してる」

 自分の端末をモニターに繋ぎ、説明を始めるケイ。

「だからパトロールの時は、あるブロックにはガーディアンが集中して別なブロックには全然いないなんて事が起きる。それは治安維持に問題が生じると同時に、ガーディアン同士の不要なトラブルの原因にもなってる」

「だから、もっと連絡を取り合おうって事?」

「ああ。パトロールでいけば3つのガーディアン組織を一つに考えて、そこからスケジュールを決めていく。そうすればさっきのような無駄やトラブルはかなり減る」

 端末にペンを走らせ、数字を幾つか書き込んだ。

「具体的なローテーションや方法は説明に時間がかかるから、興味があったら後で読んどいて。こっちのDDは定時パトロールについてで、不定期のパトロールはこっちのDDに説明が入ってる。一応、5パターンずつ考えておいた」

 私はそんなケイの話に疑問を持って、口を挟んだ。

 体を動かすくらいしか取り柄はないが、一応組織としての問題点くらいは理解しているつもりだから。


「でも、誰が指揮権を持つの?そこをしっかりしないと、それこそトラブルの元よ」

「3つの組織から代表を選出して、合議制にする。といってもその権限はスケジュールの作成と、緊急時の出動要請くらい。あくまでも協力態勢を取るだけで、人事権や命令系統は各組織が持ったまま」

 今度は、沙紀ちゃんが彼へ視線を向ける。。

 彼女はDDを再生させて、端末の画面に映る文字を指差した。

「ここに、各提出書の統一とあるけど」

「それも同じ。3つの組織はそれぞれ独自の提出書を使用している。でもそれは結局形式が違うだけで、項目は殆ど同じ。しかも、自警局への提出書類もまた別にある。その無駄を省きたい」

 またもやDDを取り出すケイ。

 端末に映し出された映像は私もよく見る、自警局へ出す定時報告書と備品申請書。

 そこには、一緒にフォースの提出書も映っている。

 項目の順番や記述方法は違うけど、内容としては殆ど代わりがない。

「内容が一緒なんだから、各組織に提出する場合もこれを使えばいい。自警局へ出しているやつを。丹下の場合は生徒会、つまり自警局へ属してるからこれ1つ出すだけなんだけど」

「そうなれば確かに楽だけど、事務の方で受け付けてくれないでしょ」

 するとケイは軽く首を振って、書類を指さした。

「塩田さんに許可をもらってきた。このI棟Dブロックだけは、試験的に自警局の形式でいいって。フォースの方も沢さんが交渉してくれて、許可をもらってくれた。さっき言ったスケジュール調整は利害が絡むから、実現は相当先だろうけど」

「なるほど。そうなると、形式が違うからっていってミスを否認出来なくなるし、データベースも相互利用が出来て検索しやすくなるわね」

 沙紀ちゃんの言葉に頷くケイ。

 こんな事やってたら、授業にこれないはずだ。


「色々張り切ってるね、随分。沙紀ちゃん、やる事無いんじゃないの」

「ええ。私は許可を下すのと、全体のチェックくらい。その代わり、メンバーの話を聞く時間が増えて助かってるわ」

「本当は、ユウにもそうしてほしいんだけどね。ただ俺達の場合は人数が少ないから、全員で分担してるって訳さ」

 書類を片付けながら、ケイが笑う。

 充実した、生き生きとした笑顔で。

 もしかして私達4人の中で、一番才能を埋まらせているのはケイではないのだろうか。

 少なくともここにいれば、その能力を思う存分振るう事が出来る。

 下らない雑務やトラブルに追われ続けている私達の所とは違って。


「……ここは、居心地いい?」

 答えはすぐ返ってくる。

 淀みなく。

「悪くはないよ」

 下を向いて、DDを整理したままで。

 私はさらに言葉を続けた。

「ここに残りたいって思わない?」

 戸惑い気味に私を見つめてくる沙紀ちゃん。

 そして私と彼女の視線が、俯いているケイに向かう。

「俺を受け入れてくれる所なんて、どこにもない」

 沙紀ちゃんが何か言おうと口を開きかけた時、彼が不意に顔を上げた。

「第一ここは生徒会ガーディアンズで、俺は連合のガーディアンだから」

 Tシャツの袖に付けているガーディアンのIDを指さす。

 それには間違いなく、GU(Guardian Union)のロゴが入っている。

「ユウが変な事言うから、丹下が怒ってる」

「別に怒ってはいない……」

 顔を背けてため息を付く沙紀ちゃん。

 何となくはぐらかされた感じで、正直ケイの気持は分からなかった。

 でも私と沙紀ちゃんが、どこかほっとした表情を浮かべていたのも確かだった。

 おそらくは決定的な選択を、彼がしなかった事に対して。


「それより、ショウの調子はどう」

「うん、取りあえず順調」

 ここで私は、ある質問を思い出した。

「ケイは、ショウが勝つと思う?」

「勿論、勝つ」

 淡々とした答え。

 私の思っていた通りに。

 そう喜んだのもつかの間、彼はさらに話を続けた。

「ただ、試合は見に行かない。応援してSDCの恨みを買いたくないから」

「まだそんな事言ってるの?冷たいわね」

「優ちゃん、私は行ってもいい?」

 沙紀ちゃんが、そっと尋ねてくれる。

 ケイのフォローと、私達への気遣いだろう。

「勿論。出来たら一緒にセコンドへ付いてくれると嬉しいな」

「本当?絶対行くわ、私っ」

 あ、目が輝いてる。

 気を使ったというよりは、純粋に試合が見たかったのか。

 結構困った子だな。

 人の事は言えないけど。

 結局その後はケイの話なんかそっちのけで、私と沙紀ちゃんはショウの試合についてじっくりと話し合ってしまうのだった。

 そしてこっそり持ってきていた代表代行の試合が映ったビデオなんかも、一緒に見てしまうのだった……。



 そんな事もあったりする中、相変わらずショウのトレーニングは調子がいい。

 試合までは、後1週間あまり。

 競走馬じゃないけれど肌の艶はいいし、格段入れ込んでいる様子もない。

 拳を繰り出すための、蹴りを突き上げるための筋肉だけが確実についていっている。 

 逆に脂肪が落ちたせいか、一見すれば前よりも痩せてしまったようにも見える。

 文字通り無駄を削ぎ落とした、非常に研ぎ澄まされた刃物と評してもいい。

 こうして向かい合っていると、はっきり分かる。

 決して戦いたい相手ではないと。


 とはいえこれはスパーリング。

 今回はグランド(ここでは関節と投げ)のみ。

 やはり打撃で代表代行を倒すのは無理と考えた私達が、最も時間を割いているトレーニングでもある。

 打撃でダメージを与えておいて、ラストは締めもしくは間接でギブアップを奪う。

 この場合私が代表代行役で、ショウは試合を想定して攻めてくる。

 そう言いたいところだけど80Kgのベストはいかんともしがたく、ちょこまかと逃げ回る私を捕まえるのは難しいようだ。

 これまでのスパーリングでは完全に私が主導権を握り、ショウをあしらってきた。

 実際の代表代行が逃げ回るはずは無いとしても、それを読み切り動きで上回らない限りは彼にもかなわない。

 そして今、私の額にはうっすらと汗が浮かんでいる。


 細かなステップを見せ、私の行く手を阻むショウ。

 スライディングで足元を抜けようとしたが、ローキック気味に足が出て前を塞がれた。

 でもそれは、予想していた反応。

 足に手を掛け、そこを軸に大きく横へ滑り込む。

 立ち上がって背後に回り込もうとしたが、一瞬早く振り向かれた。

 いや、相当に早く。

 私も動きを読まれていたようだ。

 組み合う私達。

 しかし上になっているのはショウ。

 ベストの重さと彼の体重。

 私を押しつぶそうと、異様な圧力が掛かってくる。

 単純な力比べなら、圧倒的に私が不利なのは当然。

 私は素早く沈み込み、ショウの膝元を足で払った。

 同時に体を横にひねり、バランスを崩させる。

 のしかかるショウの体から腕を抜き、横に転がって間合いを取る。

 ……はずだったが、やはり反応が早い。

 床に転がった私の腕を取り、一気に極めに掛かる。

 腕の力を抜いてそれに対抗する私。

 それに元々私の筋は柔らかいので、そう簡単には極まらないと向こうも分かっている。

 腕を取ったのは、私の動きを止めるためだ。

 上体をひねって逃れようとするのに合わせて、ショウは素早く私の背後に回った。

 まだまだ。

 足を後ろに引き、背中に廻して彼のお腹を力任せに押し続ける。

 しかし離れない。

 それどころか、逆に押し返されている。

 とうとう足は完全に押し出され、ショウの腕が私の喉へと伸びてきた。


「……参った」

 頸動脈が軽く圧迫された所で、彼の腕をタップする。

 試合ならともかく、スパーリングで無理をする必要はない。

「とうとうやられちゃった。これは、試合まで絶対負けないと思ってたのに」

「だからあんなに必死で逃げてたのか。頼むぜ」

「でも、これなら試合でも上手くいくんじゃない。このポジションまで持ち込めればの話だけど」

 そう。代表代行の腕を取って、後ろに密着して首に手を回して。

 ……って、ちょっと。

 よく考えてみたら、この態勢ってどう?

 だって、後ろから抱きしめられてるのと同じだもん。

「あ、あのさ」

 まずいと思って、後ろにいるショウを振り向いた。

「ん、どうした……」

 それこそ頬が触れそうな程近くにある彼の顔と向き合う私。

 止まる時間。

 世界に二人きりしかいない感覚。

 目の前にいる彼しか、確かな存在を理解出来ないような。

 向こうも状況を悟ったのか、戸惑い気味に頷いた。

「そ、そのなんだ。今日はこの辺で終わりにしようか」

「う、うん。そうだね……」

 お互いの顔を見ず離れていく私達。


 本当、誰もいなくてよかった。

 というか二人っきりじゃない、今。

 何か、今さらながらに照れてきた。

「……ユウ」

「わっ」

 あ、ああ。ショウか。

 気を抜いてたから、かなり焦ってしまった。

 あ、あれなんだろ。

 顔がまともに見られない。

「わ、悪い。リュック持ってきたから、帰ろう」

 おずおずと差し出されたリュックを、俯いて受け取った。

 どうも駄目だ。

 すごい恥ずかしい。

 もうなんか、叫びながら逃げ出したくなるくらい。

 今までこんな事無かったのに、何でなんだろう。

 ショウは私と目を合わせようとせずに、すたすたと歩き出した。

「あ、待って」

 私もパタパタと駆け出すけれど、隣を歩く勇気がない。

 でも、離れてもいられない。

 おかしいな、どうしちゃったんだろう。

「風邪引いたのかな」

「本当か?ちょっと見せてみろ」

 急にショウが振り向いて、こないだのように私の頬に手を当てる。

 その瞬間、自分でも体が熱くなっていくのが分かった。

 それこそ、燃え上がったように。

「少し熱いぞ。大丈夫か」

「う、うん。ほら、動いたからだって。ショウだって熱いでしょ」

 私も手を伸ばして、彼の頬に軽く触れる。

 激しいトレーニングを終えたショウの顔は、火照っていると言っていいくらいに熱い。

 って、何やってんだ私は。


「は、早く帰ろ。汗かいてるんだし、本当に風邪引いちゃう」

「あ、ああ」

 私はショウに背を向けて、勢いよく駆け出した。

 頭が、体中が熱い。

 とにかく冷たいシャワーを浴びよう。

 この熱くなった心を冷やすためにも。





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