11-9
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朝食を取り、こたつのある部屋でのんびりとする。
南向きのため日の当たりがよく、暖房無しでちょうどいいくらい。
舞地さんの膝には、いつか会ったチャトラの猫が丸まっている。
飼っている訳ではないので、どちらかといえば愛想はない。
「池上さんは」
「パンを買いに行った。昼に食べる分を」
「まめな人だね」
「オーブンで焼き出さないだけ、まだましだ」
何か経験があるらしく、口元を緩める舞地さん。
髪は束ねていなく、服装もシャツとジーンズというラフな服装。
私も同じような物で、こたつにスティックを置いてあるのが違うくらい。
「元野も、そこまで警戒しなくてもいいのに」
「池上さんも、昨日そう言ってた」
「ここへ入ってこれるのはドアだけ。窓も勿論あるけれど、外から進入すればすぐに見つかる場所になっている。夜でも街灯が灯っている位置だし」
「それだけみんな心配してるの」
そう答えると、舞地さんは素っ気なく頷いて私のスティックを手に取った。
「結構軽い。複合金属?」
「うん。ショウが軍の知り合いから、ちょっと」
「こんな物を必要としないようになればと、たまに思う。私が言う台詞ではないけれど」
左右を引いてスティックを伸ばし、軽く手首を回す舞地さん。
伸びたスティックが、彼女の顔の前で小さく揺れる。
「確かにそうだけどね。モトちゃんなんて、最初から警棒を持ち歩いてないもん」
「あの子は話し合いで解決するタイプだから。本当は、ああいう性格というか生き方の方がいい」
「無理だって。少なくとも私は、あそこまで穏やかになれない。性格は、なかなか変わらないわよ」
半分諦めも込めて、そう呟く。
舞地さんも、似たような表情で頷いている。
「人としての本質は変わらない、か。彼はどうなんだろう。私と出会った時は、それを隠していたのかな」
「舞地さん」
「ごめん。変な事を言って」
寂しげな笑顔。
以前程の気落ちした様子はないけれど、気にしているのははっきりと分かる。
でもそれは当然だと思うし、逆にそうだからこそ私はここにいる。
彼女を慰める、守るという理由だけではなく。
そんな、人としての自然な気持ちが彼女にはあるから。
強がって見せても、どうしても隠せない本当の気持ちが。
「駄目だな、私は弱くて」
切なげな声で呟く舞地さん。
私は首を振って、こたつに体を傾けた。
「弱くてもいいと思う。私も弱いから、そう思うだけかも知れないけど。前池上さんが言っていたみたいに、強いだけなんて」
「そうだろうか」
「分からない。でも、ただ強いだけの人よりはいい。私の周りにも強い人はたくさんいるけど、みんなどこか弱い部分もある。それを克服しようと頑張ってたり、そんな部分を大事にしようとしてたり。よく分からないけど、それがいいんだと思う」
「弱さ、か」
小さなささやき。
私の胸にも届く、低い声。
それは何度と無く、胸の中で繰り返される。
「確かに、こうして悩む事自体そうなのかもしれない」
「まあね。でも、悩みが一つも無いなんて人、却って嫌よ」
「そう言われてみれば、名雲達もそうなのかな」
「サトミやショウも。モトちゃんや沙紀ちゃんや木之本君も。みんなそうよ。何を悩んでるかは人それぞれだろうけど」
顔を見合わせ頷き合う私達。
同じ思いと、微かな悲しみ。
結局生きている限り悩みは無くならないという、当たり前な現実を突きつけられた悲しみ。
でもその悲しみは、決して不快ではない。
むしろ心に灯る、小さな明かり。
その悲しみ、痛みがあるからこそ先へ進める。
流される事無く、前を向いていられる。
それに、気付いたからこそ……。
「どうしたの、二人とも」
大きな紙袋を抱え、ドアの前で立っている池上さん。
ベンチウォーマーをハンガーに掛け、黒のニットシャツと紺のロングスカート姿へと変わる。
「何でもない」
「そう。たくさん買ってきたし、名雲君達も呼ぼうか」
「任せる。私は眠い」
そう言うや、横になる舞地さん。
膝の上に乗っていた猫も器用に動き、そのまま彼女の上に乗っかる。
「あなたは一体、どれだけ寝る気。本当に、猫ね」
「寝る以外にする事がない」
何ともいえない答え。
さっきまで真面目に話し合っていた人と同一人物とは思えない程に。
「そうだけど」
困った物だという顔で、何かを持ってくる池上さん。
それをこたつの上に置き、水の入った小さなバケツを隣りに並べる。
「揺らさないでよ」
パレットに絵の具を出し、少しずつ色を混ぜ始めた。
結局彼女も暇らしい。
「何を買ってきたの」
紙袋をごそごそやって、中身を取り出す。
カレーパン、ハンバーガー、クロワッサン。
チーズもち?
パンじゃ無いじゃない。
「楽しい?」
「食べるより楽しいかも」
「ならいいけど」
軽く頷いて、池上さんは絵の方へ集中していく。
舞地さんは猫と共に、横になったまま。
私はじっとパンを見つめる。
午前の一時は、ゆっくりと過ぎていく……。
お昼過ぎ。
ホットミルクを飲んでいると、柳君がやってきた。
「あれ、名雲君は」
「用事があるから、少し遅れるって。どこかに連絡してた」
こたつに入り、冷たい牛乳を飲み出す。
寒がりなのに、よく飲むな。
「連絡ね。あの子も、何をやってるんだか」
「何か知ってるの」
「聞いてないけど、多少は」
曖昧な言葉を返し、食パンにバターを塗る池上さん。
「後、すぐそこに変な人がいた。カードを渡せって」
「それで」
「やっぱりいらないって、逃げてった」
ややすごみのある笑み。
何をやったのかは、大体想像が付く。
「警察もパトロールしているし、あまり派手に動いちゃ駄目よ」
「うん」
「分かってるの、本当に」
柳君はそれでもニコニコ笑っているだけだ。
らしいといえば、らしいけど。
「パンだって。また焼いたのか」
入って来るなり笑っている名雲さん。
薄いジャケットを脱ぎ、柳君の隣りに収まった。
「買ってきたのよ。それで、どこに連絡してたの」
「ちょっとな。その内分かる」
「またそういう事言って」
「いいんだよ。……俺だ」
端末を取り出し、名雲さんはこたつから出た。
距離があるため、その会話は殆ど聞こえてこない。
「悪い。俺帰る」
「誰かと会うの」
「まあ、そんなところだ。これもらうぞ」
カレーパンをかじり、早足で出ていく名雲さん。
池上さんも食パンを一気に頬張って、厚手のコートを羽織り出した。
「少し、見てくるわ。すぐ戻るから」
「いいけど。後で聞けばいいのに」
「現場を押さえたいの。じゃあね」
喜々として、池上さんも部屋を出ていく。
人が減り、パンが残る。
それに名雲さんがいないんじゃ、絶対に余る量。
日持ちはするだろうけど、なんかもったいない。
「もったいないね」
「まだ来るからいいよ」
「誰が」
そう尋ねた途端、インターフォンが音を立てた。
「開いてる」
素っ気なく返す舞地さん。
名雲さん達の事を何か言うでもなく、チーズ焼きパンを少しずつかじっている。
そこから彼等の行動を気にしているという心情は、読み取れない。
「こんにちは」
やや遠慮気味に入って来たのは、赤いコート姿の沙紀ちゃん。
後ろには、濃紺のジャケットを羽織ったケイもいる。
「どうしたの」
「柳君が来いって。それで、何か用」
「パン」
差し出される、長いフランスパン。
ケイはそれを受け取り、両手に持って振っている。
「パンが、どうかした」
「パンは、どうもしないよ」
見つめ合う二人。
漏れる笑い声。
ケイのは幾分、虚しそうだが。
「警備はユウ一人で十分だろ。まさか、大勢いないと寂しいって性格でもないんだし」
「悪かったな、孤独な性格で」
淡々と漏らす舞地さん。
すると沙紀ちゃんが、笑顔を浮かべ彼女の隣へと収まった。
「いいじゃないですか。食事は、大勢でした方が。私、切りましょうか」
「ああ」
食パンをカットしていく沙紀ちゃんと、それをじっと見つめる舞地さん。
ケイは鼻を鳴らして、私の隣へと座った。
「相変わらず、愛想が無いわね」
「無いよ」
「名雲さんが、誰かと会ってるって。池上さんが、その後に付いていった」
「向こうも本腰を入れてきてるし、体勢を整えてるんじゃないの」
私だけ聞こえるくらいの声。
その視線は、取り出されている端末から離れない。
彼もまた、誰かと連絡を取っているようだ。
「後は、舞地さんを一人にさせない事。あいつから連絡があれば、絶対付いていくから。それが罠や悪い事だと分かっていても」
「今は私か池上さん達がいるから、大丈夫だと思う」
「だから逆に言えば、舞地さんの周りから人が減り始めたら怪しい。向こうがそうなるよう仕掛けてきてるのかもしれないし、また仕掛けてくるチャンスでもあるから」
あくまでも小さな声。
だけどその内容は、聞き逃しようもない程大切な事。
私は微かに頷き、チョコクロワッサンをかじった。
「あなたは、何してるの」
「その内話す」
「塩田さんみたいな事言って」
苦笑気味に口元を緩め、ケイはハムの欠片を頬張った。
「とにかくキーは、あの男。あいつからの連絡は気を付けた方がいい」
「しないって、名雲さんと約束したじゃない」
「本当に、そう思う?」
「いや」
首を振り、それとなく舞地さんの様子を窺う。
沙紀ちゃんと楽しげに話し込んでいて、こちらにはあまり気を払っていない。
「仮にそうなってもいいように、名雲さんも色々やってるんだけどね」
「ケイも?」
「近い事は。全く、傭兵だかなんだか知らないけど。子供は学校へ行けっていうんだよ」
だるそうに伸びをして立ち上がるケイ。
「帰るから、後はよろしく」
「パン、まだあるよ」
「そんなに食べられないって」
「じゃあ、お土産」
小さな紙袋に、あんパンを2つ入れて渡す柳君。
それを受け取るケイ。
意味は分からないけど、二人とも笑っている。
彼が出ていったのを見届け、柳君も立ち上がった。
「僕も、外行ってくる。牛乳、もう無いよね」
「そこのコンビニで売ってる」
「分かった」
トコトコと部屋を出ていく、可愛らしい男の子。
ケイを見送りに行ったという意味もあるんだろう。
「仲いいですよね、あの二人」
微笑まししげに、ドアを見やる沙紀ちゃん。
あなたとケイ程じゃない、と喉元まで出かかる。
「沙紀と浦田程じゃない」
事も無げに言ってのける舞地さん。
沙紀ちゃんが牛乳を吹き出しそうになるが、気にする様子はない。
「どうでもいい事だけど」
「な、なら言わないで下さい」
「分かった。もう私は食べないから、映未達の分だけ残して持って帰って。あの子達も、全然戻ってこないし」
「私は、その。別に」
沙紀ちゃんは口元で何か呟きながら、パンをしまい出した。
私はマグカップを片付け、舞地さんはふきんでこたつの上を拭いている。
「浦田はどうした」
耳元でささやく舞地さん。
私は首を振り、それとなく彼女から離れた。
「何も言ってないよ。マンガでも読みに行ったんじゃないの」
「そう」
マグカップを持ってキッチンへ入ると、舞地さんもふきんを持ったまま付いて来た。
「私の話をしてたんだろ」
「まあね。でも、別に悪口じゃないよ」
「そのくらい分かってる」
少し笑い、給湯器のお湯でふきんを洗い出す。
私もマグカップをお湯に浸け、グラス用のブラシで洗い始めた。
「自分の事くらい、自分で面倒を見られるのに。どうもみんな、世話を焼きたがる」
「心配なんだって。大丈夫だと分かっていても、ついっていう事」
「よく分からない」
拗ねたように答え、ふきんが絞られる。
「舞地さんを信用していないとかじゃないの。ただ、みんな力になりたいと思ってるだけだから」
「私は、子供じゃない。それにこのくらいの事、昔は毎日だった」
「池上さんもそう言ってた。でもいいじゃない。今は、昔じゃないんだから」
何気なく口から出た言葉。
舞地さんは手を止め、流れるお湯をじっと見つめている。
何か、思いにとらわれるように。
「どうかした?」
「なんでもない」
軽く首を振り、キッチンを出ていく舞地さん。
給湯器を止め、今度は私が彼女に付いていく。
「そういう顔には見えないけど。ねえ」
「子供には関係ないから」
「失礼ね。一才しか違わないでしょ」
「一才でも1cmでも……。何してる」
こたつに寝ころび、その長い手を大きく伸ばしている沙紀ちゃん。
こたつ布団からは、その長い足も二本覗いている。
「そ、その。誰もいないからリラックスしようかと思って」
「し過ぎだ」
「いいじゃないですか。舞地さんの温もりを、確かめるためにも」
変な言い訳をして、猫をお腹の上に乗せている。
でも猫は嫌な顔をして、どこかへ逃げていった。
「愛想がないですね」
「じゃあ、私が代わりにだっこしてあげる」
「逆ですよ。それに、舞地さんの方が小さいじゃないですか」
「そうかな」
小首を傾げこたつに入る舞地さん。
本気か、この人。
「……でもここへ来る時、変な人に付けられてました」
「何かされた?」
「いえ。お帰り願いました」
「また、無茶をして」
呆れ気味の舞地さんに、沙紀ちゃんは寝転がったまま笑う。
「本当にここは、安全なんですか?」
「そういう場所を選んで、このアパートにした。元野も雪野もだけど、沙紀も心配性だな」
「心配しますよ、当然。理屈とかじゃなくて、気持ちとして」
静かに語られる、心の込められた一言。
舞地さんは戸惑い気味に、寝ころんでいる沙紀ちゃんの顔を窺う。
「私だけじゃなくて、みんなそういう気持ちだと思います。真理依さんには、お節介や邪魔に感じるかも知れませんけど。それでもみんな、役に立てればと思ってやってるんです。少なくとも、私は」
私も微かに頷き、舞地さんの横顔を見つめる。
戸惑いと、はにかみと
そして、寂しさの入り混じった表情。
その意味は、彼女自身の口から語られる。
「私は、そこまで人に何かをしてもらえる程の人間じゃない。現にこうして狙われているのだって、恨みを買っているからだ」
「でも、逆恨みなんですよね。それはもう真理依さんの責任ではないんですから。私達が危ない目に遭うのを心配してくれてますけど、それは十分承知してます。私達は全員、自分がやりたくてやってるんですから。自分の責任において」
前に誰かから聞いたような台詞を返す沙紀ちゃん。
今まで何度も危ない目に遭い、今日も襲われている彼女。
それでも出てくる言葉は変わらない。
気持ちも、思いも。
「……私なんかに付き合っても、面白くないのに」
小声でささやかれる台詞。
沙紀ちゃんは体を起こし、小さく首を振った。
「面白いとかじゃないんです。一緒にいたいから、側にいたいから。それだけですよ」
「一緒に」
「ええ。そうです。私も上手くは言えないけど、それだけで十分だと思います」
重ねられる手と、交わる眼差し。
舞地さんははにかみ気味に、すぐ視線を伏せる。
そして彼女からは、言葉は出てこない。
それを見た沙紀ちゃんはそっと手を離し、コートを羽織った。
「私も帰ります。池上さん達によろしく」
「うん。パン、持って帰ってね」
「ええ。遠野ちゃん達と分けるわ」
袋を抱え、頭を下げる沙紀ちゃん。
舞地さんも微かに頭を動かす。
でも、顔は上がらない。
アパートの下まで沙紀ちゃんを送り、白い息に手をかざす。
「帰り、気を付けてね」
「優ちゃんも。浦田の話だと、向こうは結構動きがあるみたい。この数日中に仕掛けてくるんじゃないかって」
「気を付けとく。それと、あんまり暴れたら駄目よ」
「お互いにね」
手を振り、笑顔で去っていく沙紀ちゃん。
そのポニーテールが見えなくなるまで見送ったところで、アパートへと戻る。
舞地さんは相変わらずこたつに入ったままで、何をするでもなく湯飲みを見つめている。
あくまでも顔が湯飲みに向いているだけで、実際に見ているかは分からないが。
「外、寒い」
「ああ」
こたつに入ったまま頷く舞地さん。
エアコンも効いているので、この部屋は春のように暖かい。
「見せかけの暖かさ、かな」
「え?」
「この部屋が。今はまだ冬で、外は寒い。でもここにいれば、暖かい」
淡々とした口調。
つまりは、今の自分にも重なるという意味だろう。
「ただ、悪い話でもない」
「何が」
「お姫様扱いも」
微かに緩む目元。
漏れる笑い声。
前髪を横へ流し、軽くあごを反らす。
なんとなく、澄まし気味に。
「下らない。みんなは別にね」
「勝手にやっているんだろ。だったら、私がどう思おうと勝手だ」
「へ、屁理屈女」
しかし舞地さんは平然とした表情で、私の視線を受け流している。
「お茶」
「あ?」
「お茶が飲みたい。番茶がいい」
「ぐ、ぐぅ」
こたつに爪を立て、それでもキッチンへと向かう。
舞地さんはTVを付け、こたつへあごを乗せて見だした。
「お茶、まだ?」
「い、今お持ちします」
「お菓子もお願い。あられがいい」
「い、今すぐ」
湯気の出始めたケトルを横目に見つつ、棚の奥を適当に探る。
その前に、私の頭から湯気が出そうだな……。
大きなせんべいをガリガリかじり、お茶で流し込む。
あまり食べ過ぎると夕ご飯が食べられないから、程々にね。
「今日も泊まるの?」
「ええ、泊まります。泊まらせて頂きますよ」
なんかお腹が膨れてきたので、半分をセロハンに包んで袋へ戻す。
後で食べよう。
「柳君遅いね。戻ってこないのかな」
「浦田と遊んでるんだろ。気が合うのかどうか知らないけど」
「確かに、変な組み合わせではある」
二人で納得して、お茶をすする。
「名雲さん達も」
「一緒に住んではないんだから、来なくてもかまわない」
「そうだけどさ。ちょと寂しいじゃない」
もし私がいなければ、この部屋には舞地さん一人。
確かにいい年をしてという考え方もあるけれど、やはり寂しい。
特に今の状況を考えると。
「映未は戻ってくる。……いや。あの子は明日、京都へ行くとか言ってた」
「京都?何しに」
「実家、母親の実家が、京都にある。父親は、東京だったかな」
舞地さんが、自分の襟元を指さす。
そして、何かを振るような仕草。
「あのネックレスがそうだ。両親それぞれから贈られたのと、二人から贈られた物」
「だから、3つあるんだ。ふーん、初めて知った」
「改まってする話でもないから、言わなかっただけだろう」
「京都か」
八つ橋、京漬け物、豆腐、鹿せんべい……は違うか。
「舞地さんは実家どこなの」
「東京から少し離れた所。ここ程大きい街じゃなくて、ちょっと田舎」
「へぇ」
「名雲が九州で、司は対馬。ほら。ツインコリアと近い、KJラインの通ってる」
「あんな所から出てきてるんだ。それこそ、初めて知った」
柳っていう名前も、その辺では普通なんだろうか。
よく分からないけど。
「雪野は」
「私はこの前の所が実家。ショウと沙紀ちゃんも市内で、モトちゃんが少し西へ行った所。木之本君は、岐阜の方」
「なるほど」
「サトミが男鹿半島の方で、ケイが静岡。それと、塩田さんは伊賀上野。忍者の里からやってきてるの」
そう考えてみると、当たり前だけどこの辺出身の人が多い。
大体男鹿半島って、どこにあるのよ。
「でも、京都か。近いと言えば近いのかな」
「リニアならすぐだ。沢なら、ヘリで行くんだろうけど」
「あの人、運転出来るの?」
「フリーガーディアンはそのくらいやる。あまり乗りたくはないが」
高い所は苦手なのか、表情が強ばる舞地さん。
私はそう嫌いでもないので、少し考えてみる。
いつか乗せてもらおうとか、遠い所へ連れて行ってもらおうとか。
漠然とし過ぎかな。
「どうした」
「いや、別に。池上さん遅いなーって」
そう答えたところに、ドアが開き彼女が入ってきた。
走ってきたのか、息が切れ気味だ。
「あの子、どうしようもない」
「誰が」
「名雲君よ。後付けてたら、いきなり走り出して。栄のTVタワーが見えたわ」
荒々しく息を付き、お茶を飲み干す池上さん。
都心までいったのか。
車でも、10分は掛かる距離だ。
途中で諦めればいいのに。
「結局誰と会ってたか分からないし、変なナンパ野郎は来るし。参った」
「そんな所まで走っていくから。明日は大丈夫か」
「そこまで衰えてないわよ。今日は早く寝て、明日に備えると。泊まってこようかな」
「好きにすれば」
浮かれる池上さんに、素っ気なく返す舞地さん。
お互い相手の反応を、それ程は気にしていない。
「あ、雪ちゃん。私明日、京都へ行くから」
「うん。舞地さんから聞いた」
「お土産買ってくるから、真理依の事お願いね」
「分かった。出来れば、食べ物にして」
そう言って笑ったところで、ふと思い出した。
そして、考える。
「名雲さんは、どうしたの」
「一応連絡があったわ。その内、ちゃんと話すって」
「そう。ここにはいるんだよね」
「どうかな。柳君と一緒に、どこかへ行くような事も言ってたから」
池上さんの言葉に、さらに考えてみる。
少し分かった気になった。
「どうしたの」
「ん、ちょっと眠くなっただけ」
「真理依みたいな事言わないでよ」
「寝るのは悪い事じゃない」
笑顔を浮かべ、向かい合って話し出す二人。
その楽しげな会話を聞きながら、私は自分の考えに耽っていった……。
翌日。
金山総合駅まで池上さんを送り、舞地さんと車で帰る。
クリーム色のショートワゴンで、小回りが利いて走りやすい。
途中にあったお弁当屋さんでおにぎりを幾つか買い、アパート近くの駐車場に車を止める。
そこから歩いて学校内へと向かう。
手入れの行き届いた綺麗な庭園。
私達以外にも散策をしている人がいて、親子連れやカップルの姿も時折見られる。
私はメインのコースから少し外れ、奥深い緑の中へと進んでいった。
小さな川のせせらぎ。
湧き水を利用した人の手による川だけれど、自然のそれにも負けない趣を感じさせる。
川辺の下草と、そこに当たる水の流れ。
岩ではじける水が、木漏れ日に輝いていく。
心地よい一時。
言葉も笑顔も、何もいらない。
ただそばにいれくれれば、それだけで。
昨日沙紀ちゃんが言った言葉そのままの思い。
私は舞地さんと隣り合わせて座りながら、木漏れ日光る小川を眺めていた……。
その静寂を破る音。
舞地さんは申し訳なさそうな顔をして、ジージャンから端末を取り出した。
「……ああ。……そう。……ああ」
端末をしまい、小さくため息を付く舞地さん。
まさかと思いつつ、彼女に尋ねる。
「今のって」
「あの子だ」
静かな口調。
表情に変化はない。
そう振る舞っている様にも見える。
「連絡をしただけだと言っていた」
「それ以外は」
「自分にもしもの事があったらとか、どうとか。危ない目に遭っているようなニュアンスで、連絡が切れた」
彼女の表情は変わらない。
その代わりに、私が表情を変える。
焦り、不安、彼への不信。
だけど、信じたいという気持ち。
舞地さんもそうだからこそ、余計な事は言わないのだろう。
「名雲さんは?」
「連絡が取れなくて、すぐ留守録になる。映未は京都だし」
「取りあえず、サトミに聞いてみる」
自分の端末を出して、サトミを呼び出す。
「……私。またあの子から連絡があった。ただ名雲さんと池上さんがいないし、連絡がちょっと」
「こっちでどうにかするわ。警察にも、それとなく伝えるから。ユウ、早まらないように舞地さんに伝えておいて」
「うん」
「ショウをそっちへ向かわせるから。くれぐれも、落ち着いてね」
通話を終え、私は端末をしまって舞地さんを見つめた。
物静かな、いつもと変わらない彼女。
きっと、そう振る舞っている彼女。
私の思い過ごしなどではなく。
「まだ何かあったって、決まった訳じゃないから」
「大丈夫、私は落ち着いている」
「うん。ショウが来るから、アパートへ戻ろう」
警戒をしつつアパートへ入り、さっきは着ていなかったインナーのプロテクターを身に付ける。
ケイが斬られて以来、全ガーディアンに支給された物だ。
後は念のために、催涙スプレーと小型のスタンガンも用意する。
服も動きやすいよう、ジーンズとトレーナーに着替え直す。
「俺だ」
「入って」
ドアの開く音がして、ショウが部屋の中へと入ってきた。
厚手の革ジャンとジーンズ。
珍しく、腰には警棒のフォルダーが装着してある。
「連絡は」
「今のところはなし。何事も無ければいいんだけど」
「まあな」
革ジャンを脱ぎ、壁へともたれるショウ。
視線はそれとなく、窓へと向けられる。
午後を過ぎ、弱まる日差し。
温もりも消えていく。
「ケイは何してるの」
「分からんが、どこかと連絡を取り合ってる。丹下さんと一緒に」
「今回に関係ある事?」
「サトミが言うには。俺は、知らないけど」
まあいい。
ここは彼に任せるとしよう。
こういう場面では、頼りになる人だし。
「モトちゃんはなんて」
「寮にいるけど、あの子も何をやってるのかはよく分からん。それと木之本から、適当に預かってきた」
この間のノクトビジョンや、夜光マーカー。ネットワークを使わない通信機など。
「夜動く事になったら、使ってくれって」
「まだ何も起きてないし、大丈夫だとは思うけど」
自分でも半ば信じていない気持ちで、そう呟く。
舞地さんは瞳を閉じ、端末を両手で握りしめている。
何も語らず、表情にも現さず。
「舞地さん、少し横になったら」
「ああ」
言われるがままに横たわる舞地さん。
それでも手から端末が放れる事はない。
願うように、祈るように。
彼女は端末を握り続けた。
日はすっかり傾き、西日も消えかける。
暖房の乾いた風と、こたつの暖かさ。
目の前にある湯飲みが、白い湯気を立てている。
包装紙の上に置かれたおにぎりは数が減らず、ショウも殆ど手を付けない。
刻々と過ぎる時。
サトミやモトちゃんから時折連絡が入るものの、これといった進展はない。
出来ればこのまま、何事もなく過ぎていけば。
昨日と変わらないように、終わっていけば。
舞地さんが起き上がり、端末を耳元へ近づける。
その前に小さな着信音が、微かに聞こえていた。
「……ああ。……そう。今どこに……。……いや。……そうか。……分かった」
「何だって」
やや硬い表情で尋ねるショウ。
端末を両手で握っている舞地さんは、視線を落とし気味に小さく息を漏らした。
「追われているらしい。何とか逃げて、助かったような事は言っている」
「仲間に追われているの?どうして」
「それは知らない。追われているとしか言っていなかった」
醒めた表情。
変わらない口調。
端末を握る手だけが、強ばっていく。
私はすぐに、サトミへ連絡を取った。
「……どうするつもり」
「それは」
口ごもり、視線を伏せている舞地さんから顔を逸らす。
「向こうの罠かだったら、どうするの」
「でも、本当に襲われてるかもしれないじゃない」
「どうして襲われてるのかも分からないわ。全くの自業自得かも知れない」
「そうだけど」
再び舞地さんへ視線を向ける。
キッチンなので会話は聞かれていないけど、彼女の表情はよく見える。
先程から変わらない、醒めた横顔。
そうするしかないという顔。
その彼女が、私の元へやってきた。
「代わってくれ」
「あ、うん」
舞地さんは私から端末を受け取り、俯き加減のまま口を開いた。
「……ごめん。私は行く」
胸元へ放られる端末。
舞地さんはきびすを返し、奥の部屋へと消えた。
「サトミ」
「こうなると思ってたから、ショウをそっちへ向かわせたのよ」
苦笑気味の言葉が、端末から聞こえる。
私も少しだけ口元を緩め、ハンガーのコートを手に取った。
ショウもすでに、革ジャンを着込んでいる。
「木之本君から借りたGPSを作動させて、常時転送にして。場所はそれで掴んでおくから」
「分かった」
「とにかく、落ち着いて行動するのよ。私はモトと、寮で待ってる」
「うん。またね」
端末をしまい、スティックやそれ以外の道具をポケットにしまう。
かさばるけど、持っていた方がいいだろう。
少しして、ジージャンとジーンズといういつもの服装に身を包んだ舞地さんが戻ってきた。
髪は後ろで束ねられ、赤いキャップも被っている。
「それで、今はどこにいるって?」
「名古屋港の、工場地区にいるらしい。ここからも近い」
舞地さんが手を伸ばすより早く、ショウがハイチェストの上にあったキーを手に取る。
「俺が運転するよ」
「付いてくるのか」
「まあね」
キーを手の中に収め、外へ出ていくショウ。
舞地さんはキャップを深く被り、何かを言いかけた。
「いいから、早く行こうよ」
「……ああ」
微かに頷き、ショウの後に続く舞地さん。
私も部屋を出て、冷たい風に身を引き締める。
俯き加減の姿勢で歩く、舞地さんの背中を眺めながら……。
幹線を外れ、やや細い道へと入っていく。
寂れた感じの工場街。
人の姿や稼働している工場も時折あるけれど、時間帯のせいもあり活気めいた物は感じられない。
「この辺かな」
廃屋のような工場の前に車を止めるショウ。
私達は車を降り、辺りを見渡した。
静まりかえった雰囲気と、錆びた匂い。
薄暗い街灯に、古ぼけた工場の建物が浮かび上がっている。
「連絡は」
「取ってみる」
端末を取り出し、ボタンを押す舞地さん。
「……私だ。今着いた。……ああ。……分かった」
「どこにいるって?」
「その路地を入った、裏の倉庫辺りにいるらしい」
すぐ側の路地が指で示される。
街灯の明かりがかろうじて届いていて、どうにか反対側まで見通す事が出来る。
上にも注意を払いつつ路地を抜ける私達。
道幅はさらに狭くなり、軽トラックが一台通れるかどうかというところ。
街灯も灯ってはいるが、建物に挟まれているためかなり薄暗い。
「これか?」
錆び付いたドアを拳でつつくショウ。
だが取っ手の部分には大きな鍵が掛かってあり、この中に人が隠れているとは思えない。
舞地さんもそう判断したのか、ドアではなく辺りを見渡し出す。
「……いた」
小さな声を出し、その指先が倉庫と隣の工場の間に向けられる。
狭い、街灯も当たらないスペース。
廃材やゴミが積み上げられ、人目に付く場所ではない。
舞地さんは廃材を避けつつ、その中へと入っていった。
「ショウ」
「ああ」
彼女の前に回り込み、素早い動きで奥へ進むショウ。
私は辺りに注意を払い、スティックを手に構える。
物音や気配はないが、油断は出来ない。
色々な意味で。
そして。
微かな呻き声と、引きずるような足音。
はれた目元を押さえ、よろめき気味に歩いてくる。
ジーンズはあちこち擦り切れて、ジャケットは汚れが目立つ。
舞地さんはそれもかまわず、彼に肩を貸す。
何も言わず、表情も変えず。
「大丈夫?」
「骨折はないみたいだな。多分打撲の発熱で、切り傷が少しあるくらい」
後ろを振り返りつつ、二人の後から戻ってくるショウ。
本来なら彼も肩を貸す気だったのだろうけど、舞地さんがそれをさせなかったのだと思う。
何も言わないが、彼女はそういう表情だ。
「取りあえず、医者へ行くか」
「そうだね」
舞地さんは黙って、彼を後部座席へと乗せた。
自分もののまま車に乗り込み、彼の耳元へ口を近付けている。
よく分からないけれど、今は二人きりにさせておいた方がいいだろう。
「それで、何か言ってた?」
「追われてるとだけ。理由は、僕が悪いんですとだけ」
「どちらにしろ、早く行った方がいいよね」
「ああ。学校の医療部は救急病院だし、こういう場合も診てくれるだろ」
私は頷いて、端末を取り出した。
「サトミ、男の子を見つけた。怪我してるから、学校の医療部へ行く」
「分かったわ。こちらでも準備しておくから、注意してね」
「今の所は大丈夫。また連絡するから」
通話を終え、それとなく舞地さん達の様子を窺う。
二人が話し込んでいる素振りはなく、舞地さんは男の子の肩を抱いている。
「そろそろ、行こうか」
「飛ばせばすぐに……」
そう言いかけたショウが、眉をひそませる。
私もすぐに走り、助手席へ乗り込む。
「変な車が来たから、すぐ出る。ショウ」
声を掛けるより早く発進する、私達の乗ったクリーム色のショートワゴン。
後ろに見えるヘッドライト。
ここでUターンして学校へ戻る予定だったんだけど、難しくなった。
「挟まれる前に、路地から抜けないとな」
アクセルが踏み込まれ、車幅ぎりぎりの路地を駆け抜けていく。
道幅がない分速度が感じられ、また暗さのため視界がかなり悪い。
それでもショウは、速度を落とさない。
ヘッドライトは徐々に離れ、やがて見えなくなる。
それと同時に、車は大きな道路へと出た。
しかし。
「ちっ」
ブレーキを踏み、ハンドルを切るショウ。
タイヤが激しくきしみ、車がその場でターンする。
何台も見えるオートバイ。
反転したこちらを見て、向こうもすぐにターンしてくる。
「行かせない気かよ」
舌を鳴らし、ショウは再度ターンを試みる。
だが目の前に突然、大きなRV車があらわれた。
「出てくるなっ」
さらにターンするショートワゴン。
ちょうど360度回転したところで、エンジンが唸りを上げる。
「追い込まれてるな」
「学校が駄目なら、他の医者か薬局でも」
「工場街だから難しいぞ。ナビにも出てないだろ」
運転しているショウに代わって、私がナビを操る。
近所の地図が表示されるが、彼の言う通り医療機関は全く見あたらない。
「とにかく、こいつらを引き離すか」
「どこかへ、追い込まれるんじゃない?」
「かもな。でも、今はそうするしかない」
きしむハンドルと、噛みしめられる口元。
彼の性格からして、背中を見せるような真似はしたくないのだろう。
だが今はそんな事を言っている場合ではないし、それは彼もよく分かっている。
車内には男の子の呻き声だけがする。
重い空気の中で。
完全に日が落ち、街灯とヘッドライトだけが辺りを照らす。
工場街が途切れ、空き地に似たスペースが道路の左右に広がっている。
追っ手はいつの間にかどこかへ消えてはいるが、付けられている感覚ははっきりとある。
すれ違う車は大型のダンプやトラックばかりで、助けを求めようにも止める事すら難しいだろう。
やがて道の脇に、一際明るい照明が見えてきた。
コンビニの看板と、駐車場ありの文字が見える。
どうしてこんな所にとも思うが、今は詮索をしている場合ではない。
私達は氷やタオルを買い、はれている彼の顔や足にそれを巻き付けた。
消毒スプレーと包帯も売っていたので、それも使う。
大きな声こそ上げないが、さすがに苦痛に顔を歪める男の子。
舞地さんはかまわず、手慣れた仕草で手当をしていく。
それがどうにか終わると、男の子は目を閉じ疲れ切った様子で背もたれへと崩れた。
疲労と発熱、後は緊張が関係しているのだろう。
舞地さんは黙って、汗に濡れる彼の額をタオルで拭いている。
「来たな」
ペットボトルをゴミ箱へ投げ入れ、鼻を鳴らすショウ。
彼の視線を辿ると、道路の彼方にヘッドライトが幾つか見える。
私達が来た方向。
そちらへは行かせないという意思表示。
先へ進めという意味もあるのだろう。
「この先って、埠頭でしょ。倉庫しかないんじゃないの」
「そこに勤める人用のコンビニなんだな。どうでもいいけど」
「完全に、追い込まれたって訳ね」
「俺達の場所はサトミが把握してる。何とかなるだろ」
私の肩に触れ、ショウは車へと乗り込んだ。
確かにそうだ。
今までそうだったように、これからも。
仲間がいれば、何とかなる。
例えそれに頼り切ってばかりだとしても。
諦めるよりはましだ。
ペットボトルを手にしたまま、私も助手席へと乗り込む。
「行くか」
「ええ」
走り出す車。
流れていく景色。
私達を追うヘッドライトも、サイドミラー越しに見えている。
掛かってくるならやり返す。
無茶だと言われようと、考えがないと言われようと。
今はそれを貫き通す。
自分自身のためだけではなく。
舞地さんのためにも。
表情を変えず、男の子を気遣う彼女。
今朝までの穏やかな彼女の笑顔を、もう一度見るためにも。
例え何があろうと、やってみせる。
落ち込んでしまいそうな無力感、自分自身のふがいなさ。
やっぱり無理だという、内心の気持ち。
それでも私は、やってみる。
自分でも無茶苦茶だと思いながら、私はそう心に誓った。