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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第11話
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     11-7




 寮の自室でTVを見ていると、インターフォンが来客を告げた。

「今開ける」

 ドアの開く音と、ストライドを感じさせる足音。

「夜になって、冷えてきたわね」

 カーティガンを脇へ置き、床へ座り込むモトちゃん。

 私はベッドサイドから、這うようにしてそちらへ近付いた。

「気持ち悪い」

 こっちは気楽だ。

「ショウ君、どうだった?」

「山のように来た。年々増えてるし、ケイの手際がよくなっていく」

「マネージャーね、まるで。で、ユウは」

「渡したよ」

 そう答えても、さすがに中川さん達のようには驚かない。

 付き合いの長さが違うしね。

「モトちゃんは、名雲さんにあげた?」

「ええ。柳君達にも」

「ふーん」

 うつぶせになったまま頷いたら、背中に何か置かれる感触が。

 軽さと面積からいって、そう大きくはない。


「チョコ?」

「クリーム。日持ちしないから、早めに食べて」

「味気ない物渡したわね、随分」

「名雲さんには、普通のチョコを渡したわよ」

「あ、そう。別に聞いてないけど」

 なんか唸ってる気もするが、気にしないでおこう。

「舞地さんにももらってたし、私のはおまけよ。おまけ」

「またそういう事言って。大体さ」

「私の事はいいから。あなたは……、寝ないで」

「ああ、ごめん」

 ずっと伏せてたので、つい。

 よだれを見られなかったから、良しとしよう。

「よだれ、垂らしてないでしょうね」

「ま、まさか」

 ばたばた立ち上がるついでに、袖の辺りで床を拭く。

「舞地さんが、例の子に渡したんでしょ」

「平手打ちよ。私なら、鼻の骨折ってるけどね」

「無茶言わないの。演技とかでもないらしいし、結局駄目なのかな」

 寂しげに漏らすモトちゃん。

 私もため息混じりに、姿勢を正す。

「いいのよ、あんなのは。金目当てかどうかしらないけど、悪い連中と連んで。あー」

「叫ばないで。今は大人しいみたいね」

「名雲さんの脅しが利いたのかも。それか、仲間がやってくるのを待ってるとか」

「そう。こっちも、手を打った方がいいのかな」

 思案の表情を作り、自分の端末をチェックし出す。

 私が口を出す領分でもないし、またそれを必要とする彼女ではない。

「実戦になったらユウやショウ君に任すけど、無茶はしないで」

「分かってる。それに向こうの狙いは舞地さん達だから。言い方はよくないけど、私達は安全よ」

「守ろうとするなら、同じ事よ」

「それは、モトちゃんもじゃない」

 笑顔を見合わせ、軽く手を取る。

 同じ思いを抱く人の手を。

 暖かな、大きな手。

 頑張ってという、気持ちを込めて。 

 お互いに……。



 翌日の学校。

 生徒の数は再び半減以下。

 昨日の微笑ましい光景を感じさせるのは、廊下の掲示板に張られたビラくらい。

 「2/14~恥ずかしさを、幸せに~お菓子屋の陰謀でもいいじゃない」

 なんてキャッチコピーが書かれてある。

 同感だ。

 一時間目の教室へ行こうと階段を上っていると、後ろから足音が聞こえてきた。 

 それ自体は問題ない。 

 足音を消す素振りと、独特の雰囲気が無ければだが。

 取りあえず踊り場までやってきて、後ろを振り向く。

「何か用」

 階段の途中で、顔色を変える男達。

 気付かれないとでも思っていたのだろう。

「チョコなら、もう無いわよ」

 珍しく人を見下ろせる位置。

 しかし彼等は、険しい視線を私へと向けてくる。

「……お前、舞地の知り合いだろ」

「だったら」

「あいつを誘き出すために、ちょっとな」

 下品な笑い声。

 取り出される警棒とスタンガン。

 以前、これに近い光景があった。

 あの時は私が下だったけど。

「セッ」

 一斉に繰り出される警棒。

 速度とコンビーネーションは、悪くない。

 さっきのストーキング並に。

 つまり、この程度ではという訳だ。


 ダッキングとウェービングでそれらをかわし、素早く抜いたスティックで一つ一つ叩き返す。

 バランスを崩し、階段を落ちていく男達。

 受け身くらいは取れるだろう。

 そこまで気を遣う程、人も良くない。

「邪魔なのよっ」

 スティックを後ろへ振り、壁に先端を当ててそこを軸に後方宙返りを繰り出す。 

 そのまま窓枠に足を掛け、驚いている男達の警棒目がけスティックを振り下ろす。

 叫び声が重なって聞こえ、それは呻き声へと変わる。

 挟み撃ち、ね。

 悪くはない考えかも知れない。

 腕にもよるけれど。

「確かに、その程度の腕では私を狙うしかないわね。舞地さんには、全然かなわない」 

 確信と誇りを込めて、力強く言い放つ。

 熱くなった頬に手を置き、彼女を思い出しながら。

 それをこの連中が聞いているかどうかは、問題じゃない。

 私がそう思っている、それだけの事だ。

「言っておくけど、他の人を襲っても同じ事になるわよ。場合によっては、もっとひどいかもね」

「う、嘘を付くな。お前が2番目に強いと……」

「ケンカの腕だけで判断してるから、そうなるのよ」

 鼻を鳴らし、男達を飛び越えて上の階へと駆け上がる。

 今の口振りだと、他の子も襲われてるな。

 さすがに今の脅しだけでどうにかなるとは思えないし、様子を確認するか……。



 授業をパスして、空いている教室で端末を使う。

 ショウやケイは、問題ない。 

「サトミ?」

「大丈夫。涙流して、転がってるわ」

「そう。モトちゃんは」

「連絡が取れた。名雲さんと一緒にいたんですって」

 スピーカーから聞こえる、苦笑気味の声。

 私も、安堵の息を漏らす。

「心配する必要なかったね。後危ないのは、木之本君か」

「彼も、対処したって。気は弱いけど、その辺の連中に負ける腕はしてないから」

「そうだね」

 単純な格闘技の実力で言えば、ケイよりも上だろう。

 練習熱心だし、向上心があるし。

「ユウは大丈夫なの」

「全員寝てる」

「程々にしなさいよ」

「お互いに」

 沙紀ちゃんのオフィスで会う事を確認して、連絡を終える。

 しかし、搦め手から来たか。

 それに動揺する、舞地さん達でもないだろうけど。

 取りあえずここは、急ぐとしよう。



「自警局に連絡して、警備の強化を頼んだわ」

 私の肩を抱き、状況を教えてくれる沙紀ちゃん。

 オフィス内の控え室には、すでに何人かが揃っている。

「沙紀ちゃんは大丈夫だったの?」

「私は、ずっとここにいたから。来るならこいっていう気分だけど」

「まあね」

 ソファーに並んで腰掛け、足を組んでいるサトミへ視線を向ける。 

 彼女も、私の隣だ。

「ショウ達は?」

「柳君と一緒に、舞地さん達の所。ここへ来るのは遅れるって」

「怪我でも?」

「ケンカしたいんでしょ。一応、舞地さん達の護衛だけど」

 確かにあの子達が付いていれば、問題はないだろう。 

「モトちゃんはまだ?」

「いるわよ」

 ドアが開き、ジャケットを脇に抱えた彼女が入ってくる。

 その後ろからは、腕に包帯を巻いた名雲さんが。

「名誉の負傷、ですか」

「避けそこなっただけだ」

「そういう事にしておきましょう」

 くすっと笑い、席を空けるサトミ。

 隣りに座ってきた名雲さんは、眉をひそめて包帯を見つめている。

「腕が落ちたかな」

「10人も相手にすれば、誰でもそうなります」

 淡々と語るモトちゃん。

「いや、昔はもう少しやれたんだ。最近ぬるい生活に慣れてたから、駄目だ」

「何も駄目な事はありません」

「あ、はい」

 恐縮する名雲さんに、モトちゃんは「冗談です」といって肩からジャケットを掛けた。

 何をやってるんだか。


「悪いな、迷惑掛けて」

「別に、怪我もしてませんし。ねえ、優ちゃん」

「その通り。そんなの全員、ポコポコよ」

「タヌキか、あんた」

 壁にもたれていたケイが、ぽつりと呟く。

 い、言い間違えただけじゃない。

「発信器とか作れないの。あいつらに付けて、居場所をいつもチェックするとか」

「違法だから」

 あっさりと拒否する木之本君。

 面白くないな。

「だって、よく映画とかであるじゃない。敵とか味方に付けて」

「確かにあれば便利だけど、悪用する人が絶対にいるから」

 自然と全員の視線は、ケイへと向けられる。

 しかし当人は鼻で笑っただけだ。

 否定くらいしてよ。

「それで、どうするんですか。ガーディアンを増強します?」

「やれる範囲でいい。一般生徒を狙ってくるのなら、また別だけどな」

「分かりました。正式に、自警局へ連絡しておきますね。元野さんも、よろしく」

「ええ。私は、塩田さんへ」

 頷き合う、沙紀ちゃんとモトちゃん。

 ケイも端末で、沢さんへ連絡を取っている。

「これで、生徒はいいだろう。最悪、警備会社でも入れる」

「それは塩田さん達が断ると思いますけど」

「生徒の自治か?なら任せるさ。俺は俺で、やらせてもらう」

 腕の包帯に触れ、薄く微笑む名雲さん。

 いつにない精悍な笑顔。

 辺りの空気が重く感じる程の、鋭い佇まい。


「本当、こっちも狙われていい迷惑ですよ」

「ケイ」

「いいんだ。悪いな、浦田」

 軽く手を顔の前へ持っていく名雲さんに、ケイは肩をすくめた。

「契約と行こうじゃないですか。前は、俺が名雲さん達を雇った。今回は、その逆という事で」

「報酬は」

「各個人の希望でどうです」

「いいだろう。全員、俺達の指揮下に入るという条件でだ。多少なら、個人個人で勝手に動いてもかまわないけどな」

 苦笑気味の名雲さん。  

 でも、わざわざそんな事しなくても言う通り動くのに。

「どちらにしろ、お前らに無茶をさせる気はない。動く時は、俺と柳でやる」

「もうしてます」

 冷静に指摘するモトちゃん。

 名雲さんは腕をさすり、鼻で笑った。

「とにかく、俺は情報を集めてきます」

「知り合いでもいるのか」

「犬猫くらいは」

 訳の分からない事を言って、出ていくケイ。

 とんだ嘘つきだな。 

 その犬猫にも、相手にされてないのに。

「あれだ。熊にも話を通してくれ」

「熊……、三島さんですね」

「ああ。学内の警備に、格闘系クラブも少し動かしたい。実際には何もしなくても、プレッシャー程度にはなる」



 という訳で、SDC本部内にやって来た私達。

 大きなドアを横目に眺め、先を急ぐ。

 ショウの付けた傷が、まだ壁のあちこちに残っている。 

 本当、請求書が来なくて良かった……。

 SDC代表代行執務室。

 廊下の右端にあるドアには、そう書いてある。

「こんにちは」 

 遠慮気味に中へ入ると、大きな人が立っていた。

 その体格だけでなく、存在が。

 屋神さんとはまた違う、大きな頼り甲斐を感じさせる人だ。

「話は聞いた。協力するよう、各クラブに通達を出した」

「ありがとうございます」

 重々しく首を振る三島さん。

 それが普通なのかも知れないけど、見慣れていないこっちにはそう見える。

「小さい部屋ですね。代表代行なのに」

 あるのは執務用の机と、トロフィーなどが収まっている棚。

 応接用のソファーとテーブルくらい。

 いや、実際は広いのかも知れないけど。

 この人がいるだけで、そう感じるのかも。

「君は、はっきりと物を言うな」

「あ、済みません」

 気にするなという意味か、小さく首が振られた。

 喋らない人だな。

「もう卒業ですけど、どうするんですか。大学の、スポーツコースとかへ?」

「ああ」

「プロにはならないって聞いてますけど」

「ああ」

「熊っていうあだ名の意味は」

 返事は返ってこない。

 呆れたのだろうか。

 拗ねているようにも見えるけど。

「その強さと、体格。後、普段は結構物静か。俺は、そういう噂を聞いてたけどな」

 笑い気味に漏らす名雲さん。

 何でも、学内より学外で名が通っている人らしい。

「屋神に熊、山鯨、忍者。魔女とか、コンダクターってのもいたな。侍っていうのは、誰だ」

「昔の話だ」

「この子達に、その代わりは務まるか?」

「俺が決める事ではない」

 静かに語る三島さん。

 その言葉は、直接私の心へと届く。

 確かに、そうだ。

「だがここにはいないが、玲阿君は俺に勝っている。それで、十分だろう」

「屋神さんは、三島さんの怪我が治ってなかったと言ってましたが」

「またあいつは、余計な事を」

 微かにしかめられる顔。

 困惑と言うよりは、親愛の気持ちに近い様子で。

「俺に協力を頼むのもいいが、屋神にも頼んだらどうだ」

「断られそうなので」

「分かった。ここへ呼んでみる……」

 そう言うや、端末で連絡を取り出す三島さん。

 案外、即決派らしい。


 10分後あまり。

 人を射殺すような目をした屋神さんがやってきた。

 元々そうみたいだけど。

「何だ、用って」

「彼等が、傭兵に襲われている。それを助けてやれ」

「お前の手下を使えばいいだろう。後は、塩田の手下とか」

 手下って。

 つい顔をしかめたら、その鋭い眼差しで睨まれた。

 そうなれば、対抗上こちらも睨み返す。

「怖い女だ」 

 肩をすくめ、三島さんの後ろに隠れる屋神さん。

 どっちがだ。

「大体俺は、ここへ立ち入る事自体結構あれなんだぞ」

「今は人もいないし、問題ない。それに、お前にケンカをしろとはいってない」

「良く喋るな、この野郎。しかも、こんな狭い所で。涼代の部屋は、もっと広かっただろ」

「代表の執務室だったからな」

 そう呟いた三島さんの机には「代表代行」のプレートが置いてある。

 彼の実績や実力、学内での存在感を考えれば代表になって当然とも言えるだろう。

 でも彼は、代行であり続ける。

 その思いが、少し胸に染みてくる。


「何か分かったら、情報をまとめて彼等に教えてやれ」

「今さら下っ端かよ」

「別に、指揮を執っていただいてもかまいませんが」

 腕を組み、切れ長の瞳で微笑みかけるサトミ。

 屋神さんは鼻を鳴らし、その顔を指さした。

「お前、綺麗だけど陰険だな。そこのちっこいのを見習えよ」

 誉めてるのか馬鹿にしてるのか。

 とにかく、気分は良くない。

「だから、睨むな。そこの、お前。塩田の手下だろ」

「ええ、一応は」 

 柔らかく微笑むモトちゃん。

 私やサトミのように、睨んだり陰険だったりはしない。

「塩田さん、日ごと泣いてますよ。屋神さん、屋神さんと」

「なに」

「冗談です」

 柔らかな、虫も殺せないような笑顔。

 言った言葉は、ともかくとして。

「性質の悪い女共だ。新妻達とは大違いだな」

「済みませんね。がさつで、ひねくれてて」

「雪野さん、自分で言わなくても」

 フォローしてくれる木之本君。

 それはいいんだけど、別に自分の事だけを言った訳でもない……。


「彼女達も悪気があって言っていたり、やっている訳ではないんです。ただ先輩達の事が気がかりで、つい表現が強くなっているだけで。出来れば、気を悪くしないでいただけると助かります」

「こういうまともな奴もいるのか。お前、苦労してるだろ」

「もう、慣れましたから」

「仲間は選べよ。俺も、おかしな奴らと連んで苦労したからよく分かる」 

 苦笑気味な笑顔で、机の上にあったフォトスタンドを取る屋神さん。

 その笑顔は、どこか切なげになる。

「……これって、清水と林。伊達も映ってないんだよな」

「仕方ない、夏休みの写真だ」

「この中で、今学校にいるのは何人だよ」

 独り言のような呟き。

 屋神さんだけではなく、三島さんの眼差しも遠くなる。

「その狙われてる女は、伊達の仲間なんだろ。何も心配する事は無い。ほっとけ」

「私達も、仲間だと思われて狙われてるんです」

「じゃあ、隠れてろ」

「そんな事、出来ません」

 釣られたようにそう言い、つい口をつぐむ。

 精悍な顔を緩ませる屋神さん。

 三島さんも、また。


「人のために熱くなっても、いい事なんて無いぞ」

「別に、そんな理由でやってる訳じゃありませんから。私は、自分でそうしたいから」

「勝手にしろ」

「あ、あの」

「情報は送ってやる。それ以外は、知らん」

 私から顔を背け、彼の視線が動いていく。

「何人かいないが」

「その舞地さんを護衛してます」

「沢にでもやらしとけ。いや、あいつもやらないか」

「さあ」

「まあいい。連絡は入れるから、もう帰れ。以上だ」



 半ば強引に外へ出された私達。

 ただ連絡はしてくれると言ってくれたので、もしもの時はそれを頼りにさせてもらおう。

「前期に、ここの会議室で私達を挑発した男。今考えると、あれは学校側の人間だったのね。その傭兵かどうかは、分からないけど」

「ああ、なるほど」

 そういえば、そんな事もあった。

 とにかくドア代の修理が気になって、私には余裕がない。

 大丈夫だと副会長は言ってるが、相当に高そうだしね。

「あの頃から、狙われていたなんて。ケイは、薄々気付いてたみたいだけれど」

「あの子は、発想が暗いのよ。じめじめしてるというか、ナメクジ的発想というか」

 笑いついでに壁を拳で叩く。

 ポコという軽い音がして、へこんだようにも見えた。

「き、気のせい気のせい」

 そこまで脆い訳はない、と思う。

「無茶苦茶な子ね。少し、慎んだら」

 人の肩を揉んでくるモトちゃん。

 この人はいつも慎み深いからな。

 羽目を外すモトちゃん、というのも想像は出来にくい。

「ここを出た途端に襲われる、なんてあったりして」

「まさか」

「私も、そう思いたい」

 顔を見合わせる、モトちゃんと木之本君。

 なんとなく二人の性格を表している台詞である。

「それは無いだろ。ここで襲うと、格闘系クラブまで敵に回す」

「混乱を求めている相手かも知れませんよ」

「まだ人が集まっているという話はない。つまり、それが出来る状況じゃない」

「そこまで頭の回らない人達ばかりだと、少し困りますね。今回に限っては」

 耳元をかき上げ、醒めた笑顔を浮かべるサトミ。

 木之本君はそれとなく、窓から外の様子を眺めている。

「特に、そういう人達は見えない。隠れている雰囲気も無い」

「こっちは大丈夫さ。それよりも、舞地達の方だな。俺なら、あっちを狙う」

「理由は?」

「今言った通りだ。ここは邪魔が多いが、向こうはいくら強いとはいえ玲阿と柳しかいない。。池上がいるから、挑発には乗らないだろうが」

 やや早足になる名雲さん。

 私達も当然、速度を上げる。

「大丈夫なの?」

「当たり前だ」

「どうして」

「俺達は、ワイルドギースだぜ」



 廊下に飛び散る血と、破れたジャケット。

 引きずったような血の跡が、廊下に続いている。

 折れた警棒を蹴飛ばし、室内へと入る。

「怪我は」

「無い」

 傷一つ無い顔を見せてくるショウ。

 さすがに笑ってはいなく、多少息が上がり気味だ。

 疲れというより、興奮のせいだろう。

「舞地さんはどう?」

「大丈夫。奥で、池上さんと休んでる」

「ふざけるなって話だよ」

 柳君は警棒を腰のフォルダーへ差し、その頬を赤くした。

 可愛らしい顔が、今は微かな怒りを湛えている。

「こそこそ僕達を狙って。しかも、逆恨みで」

「あいつらが欲しいのは金だ。恨みは、ともかくとして」

「そのお金だって、僕達が預かったお金と僕達自身のお金だよ」

「そんな理屈が通じるなら、襲ってこないさ」

 文句を言っている彼の頭を軽く撫で、名雲さんは近くの椅子に腰を下ろした。


 今私達がいるのは、生徒会ガーディアンズから使用許可を得ている仮眠室。

 夜間警備の時お世話になった部屋と同じ、学校で寝泊まりする生徒用に設けられている一室。

 畳敷きで、体を休めるにはいい場所だ。

 またドアも厚いため、襲撃にも耐えられる。 

 ショウ達は性格上、迎え撃ったようだけど。

「お前も奥で、頭冷やしてこい」

 ため息混じりに、奥にある部屋へ消えていく柳君。

 最近、血の気が多いな。

 それは私も大差ないが。

「そろそろ奴らも、その気になってきたか」

 固めた拳を、もう片手で握り締める名雲さん。

 その眼差しは、いつになく鋭い。

「彼等は、実際どの程度いるんです」

「その気になれば100人単位。金を使って、街のチンピラを雇う事もある」

「それに対処すると」

「殆どが、クズみたいな連中だ。多ければいいってものでもないしな」

 威圧感のある微笑み。

 サトミはくすりともせず、壁にもたれて腕を組む。


「策は」

「俺と柳で、護衛する。舞地以外の人間も」

「守りきれます?」

 醒めた、冷静な問い掛け。

 名雲さんは、微かに頷く。

「私は、自信を聞いている訳ではありませんよ」

「勿論、能力的に出来るという意味だ。何かあったら、俺が責任を取る」

「何かあっては、困るんですけど」

「分かってる」

 厳しく問い掛けるサトミに対し、名雲さんも真剣な面持ちで答えていく。

 二人の間に流れる重い空気。

 だが両者が、それを気にする様子はない。

「数でこられてもいいよう、俺なりに手は打ってある。詳しい事は言えないが」

「私達から、情報が漏れるとでも」

「そうじゃない。騒ぎを大きくしたくないだけだ」

 サトミは頷きもせず、その瞳を閉じた。

 そしてそのまま顔を伏せ、口をつぐむ。


 私はそんな彼女を眺めつつ、ショウへ話を振った。

「まるでケイね」

「あいつがいないなら、サトミがああするしかない。俺達には無理だし」

「そうだけど」

 とはいえ、サトミが無理をしていいとは限らない。

「大丈夫?」

「ええ。少し、尋ねただけよ」

「ケイはすぐ戻るし、今みたいのはケイに任せればいいじゃない」

「ありがとう。でも私達だって、あの子に頼ってばかりでもね」

 伏せられる端正な顔。

 口元だけが、微かに緩む。

 ケイに頼る、か。

 それは私も、同感だけど。

 あの子には聞かせられないな。

「で、ケイ君と丹下さんはどこへ」

 いつの間にか隣へ来ていたモトちゃんが、小声で尋ねてくる。

「知らない」

「私達には知られたくない事をやってるのよ。あの子は」

 呆れ気味なサトミの口調。

 今さっき、頼っていると言った人とは思えない。


「傭兵の情報を集めているという事?」

「多分。街に聞き込みへ行っているのか、情報局へ行ってるのか。謎ね」

「丹下さんが一緒なら、おかしな真似はしないだろうけど」

 顔を見合わせ、首を振るサトミとモトちゃん。

 私も、全く分からない。

 頼りにしているのとは、別問題で。

「あいつは放っておけばいい。その方が、やりやすいさ」

「まあね。木之本君は?」

「報告くらいは入れるべきだと思う」

 落ち着いた口調で、そう語る。

 確かにそうだ。

「だからって、こっちから連絡は入れられないわ。そういう場所かも知れないし」

「どちらにしろ、困った子ね」 

 再び顔を見合わせる二人。

 一人離れた所にいる名雲さんは、硬い表情で自分の端末を見入っている。

「サトミが怒るから。怖い顔してる」

「怒ってないわよ。ねえ、モト」

「さあ」

 いつにない、素っ気ない返事。

 そして彼女を置いて、名雲さんの元へ歩いていった。


「ふん。友情より愛情みたいね」

「拗ねないでよ。大体、愛情って」

「先輩と後輩なんて、一番怪しいのよ」

 安っぽい恋愛小説みたいな事を言って、自分の端末をチェックしている。

「警察が動けばいいのに、どうなのかしら」

「浦田君の一件で、多少は改善したみたいだけど。話くらいは聞いてくれるらしいよ」

「話、ね。一応、連絡だけはしてみるわ」

 キーボードを接続して、キーを打つサトミ。

 それは警察内の少年課へと送られ、文章を受け取ったとの確認書が送られてきた。

「これで、パトロールくらいはやってくれるでしょ」

「とはいえそういうのは、傭兵っていう連中も慣れてるだろ」

「無いよりはましよ。……名雲さん、指揮を執るんじゃなかったんですか」

 やや厳しい口調で尋ねるサトミ。

 端末に見入っていた名雲さんは、驚いたようにその顔を上げた。

「あ、ああ。ここは俺が固めるから、お前らは少し休め。後、定時連絡だけ入れろ」

「分かりました。それで、今後ははどうします」

「出来るだけ一緒に行動しろ。インナーのプロテクターも付けて。休めるなら学校は休んで、寮にこもっていてもいい」

「分かりました」

 丁寧に頭を下げ、部屋を出ていくサトミ。

 私達も頭を下げ、すぐに付いていく。


「さっきから、怒ってるね」

「怒ってはいないわ。ただ、狙われているのにいまいち緊張感が無いなと思ってるだけよ」

「そう。僕は連合の仕事があるから」

「一人で大丈夫か?」

 笑顔で手を振り、走っていく木之本君。

 彼も結構やるし、心配はないだろう。

「モトは、戻ってこないな」

「放っておけば。あの子も、子供じゃないんだから」

 どこか険のある返事。 

 ショウは小さく頷いて、後ろへと下がった。

「焼き餅焼かないでよ。池上さんじゃあるまいし」

「馬鹿馬鹿しい」 

 頼りない、小さな声。 

 端正な顔は、弱々しい笑顔にも見える。

「別にいなくなる訳じゃ無いんだから」

「理屈ではね。でも、心情的にちょっと」

「もう。自分こそ子供じゃない」

 軽く彼女の背中を叩き、肩へと手を回す。

 ショウは気を遣ったのか、後ろにも姿は見えない。

「私だって、サトミがヒカルと付き合ってるって聞いた時はショックだったけどね」

「別に、気にする事でもないでしょ」

「私は気になったの。私の聡美ちゃんをどうしてって。今でも思ってるくらいよ」

 古い呼び方で彼女を呼び、くすくす笑う。

 対して聡美ちゃんは、なんとなくはにかみ気味だ。

「恥ずかしい事言わないで、優さん」

「本当に」

「ねえ」

 楽しげな、少し寂しげな笑い声。

 変わらない友と、変わっていく関係。

 いつか別れの時が来るのかも知れない。

 そう強く思わされる、先程からの出来事。

 サトミのこの温もりも、その気持ちを高めていく事の一つ。

 舞地さんは、例の男の子にこんな気持ちを抱いていたのだろうか。

 そして別れの気持ちを。

 私は顔を伏せ、想像すら出来ないその気持ちから逃れようとしていた……。  



 それでも結局はサトミをモトちゃんへ託し、一人で食堂に来る。

 というか、みんなはお腹が空かないんだろうか。

 人がいない分、メニューはさらに簡素化。

 フリーメニューA・Bしかなくなっている。

 後はせいぜい、ご飯大盛りかどうかだ。

「インゲンか」

 みそ汁をすすり、顔をしかめる。

 あまり好きではない。

 ネギだよね、やっぱり。

「A?」

「うん」

 ちなみに、カップではない。

 どちらにしろ、Aだけどさ……。

「私は、B」

 少なくともFでしょと内心で呟き、軽く手を上げる。

「人、いないわね」

「私だって休みたい。そう思わない?」

「まあね」

 くすっと笑い、ひじきを食べている沙紀ちゃん。

 でも、さっき一緒に出ていったケイがいないな。

「ケイは?」

「あそこ」

 沙紀ちゃんが指さしたカウンターには、猫背の子がいる。

 何かをこぼしたのか、ふきんでカウンターを拭いている。

「またやってる。本当、不器用選手権シード選手だね」

 聞こえてはいないらしく、それでも愛想のない顔でこちらへやってきた。

 私の隣ではなく、沙紀ちゃんの隣りに座る。

 いいけどさ。


「何してたの」

「こぼしたお茶を拭いてた」

「そうじゃなくて、出ていった後に何をしてたのかって」

「別に。ちょっと知り合いに連絡を取っただけだ」

 沙紀ちゃんも、小さく頷いている。

「この人、連絡した後はマンガ読んだりゲームやったり。何がしたいんだか」

「情報は集まったから、もういいの。別に、名雲さん達と一緒にいても仕方ないんだし」

「サトミが怖かったよ、さっき」

「遠野ちゃんが?」

 その場にいなかった二人に、先程の経緯を簡単に説明する。

「そのくらい言っても当然だろ」

「言い過ぎだと、私は思ったけど」

「俺が名雲さんの指揮に入ると言ったのは、建前だけじゃない。最悪な場合、俺達は責任を負わないと確約したんだよ」

「でも」

「サトミもそれが分かってるから、釘を差したんだろ。あの子は優しいから、そうは突っ込まなかったみたいだけど」

 醒めた表情で、おにぎりを食べるケイ。

「心情的に舞地さん達へ協力しようとも、その後でどうなるかを考えないと。気付いたら背中にナイフが刺さってた、なんて困る」

「沢さんが、よくそんな事言ってるわ」

 沙紀ちゃんへ頷き、ケイは残りを一気に頬張った。

「冷たかろうとどうだろうと、全てを懸ける訳には行かない。分かってる、ユウ」

「だけど、私としては舞地さん達に協力したい」

「のめりこむなって言う意味さ。あの人達がどういう人達かも、よく分かってないんだし。一線という意識を、常に持ってないと」

「そこまで冷静には、私はなれない」

 ケイから視線を逸らし、顔を伏せる。

 彼の言っている意味が分かる分、余計に。

 ただその通りには行動出来ないとも、分かっている。

 それをケイが、心配しているのも……。


「俺はこうして関わる事自体、結構危ないと思ってるけどね。あまり言いたくないけど、いきなり刃物で斬りかかってくるような連中だから」

 苦笑気味に漏らすケイ。

 食事はすでに終え、私達の前にはジュースの入った紙コップが置かれてある。

「塩田さんが、前モトちゃんにこう言ったんだって。名雲さん達とは、あまり関わるなって。後が辛いからって」

「俺が言ったような理由でだろ」

「うん。沢さんで慣れてるって、塩田さんは言ってたけど。私達は、どうなんだろう」

「そういう知り合いなんて、いないものね」

 ため息混じりに、紙コップを手に取る沙紀ちゃん。

「だからって、傍観している訳にもいかないし。私達の出来る範囲では、頑張りたいじゃない」

「でしょ。そう思うでしょ」

「私個人としては、ね。でも誰かが巻き込まれて、怪我でもしたら。その責任というか、追求は名雲さん達へ向く訳よ。それを考えると、少し」

 寂しげな笑顔と共に、紙コップが傾けられる。 

 そして漏れるため息。

「自分で責任を取るとはいっても、あの人達が負い目を負ってしまうのは確かなんだから」

「そうだけど」

「それと、あれだ。あの男。あいつを囮に使われたら、相当にきつい」

 ぽつりと漏らしたケイは、醒めた顔付きのまま指を一本立てた。

「1。実は敵の内情を探ってました。舞地さん、どこどこの倉庫に来て下さい」

「それで」

「2。男はこちらで預かっている。引き渡して欲しかったら、金と舞地さんを連れてこい。3。男が犯罪に荷担した情報を持っている。警察へ突き出されたく無かったら、金と舞地さんを連れてこい」

 3本立てられた指が戻され、やはり表情は変わらない。

「連中があの男を連れているメリットは、そういった人質的な役割だよ。腕が立つ訳でも、頭が切れる様子でもないから。影のボス、なんて冗談なら面白いけど」

「確かに、あなたの言う通りね。真理依さん達は、どの程度分かってるのかしら」

「全部分かってるさ。だから俺の申し出に、責任を取ると言ったんだ。俺達に、迷惑が掛からないように」

 鼻を鳴らし、ケイは空の紙コップを手の中で潰した。

 乾いた、小さな音がする。

 そんなケイへ、沙紀ちゃんが鋭い眼差しを向ける。


「あなたが利用しているの?それとも、名雲さんの気持ちを汲んだと言う意味?」

「気持ちを汲んだのはサトミだよ。敢えて追求して、お互いの立場をはっきりさせて。最初から事務的な関係なら、傷付く事はないから。向こうも、こちらも」

「遠野ちゃんは優しさから。するとあなたは」

「俺は厳しさから。ワイルドギースと傭兵の暗闘に巻き込まれたくないと、文句を言ったようなものさ」

 低い笑い声。

 沙紀ちゃんは鋭い眼差しを向けつつ、何か言いたげな素振りを見せる。

「それはともかく、舞地さん達は何してる」

「今すぐ打って出ていく、という訳ではないみたい」

「チンピラじゃあるまいし、そこまで血の気は多くないだろ。俺達も名目上は指揮下にはいるんだし、行くとしようか」



 先程までいた、生徒会ガーディアンズの仮眠室。 

 今は舞地さん達の詰め所となっている部屋へと戻ってくる。 

 そう広くはないので、人が集まると正直狭い。

 一カ所に集まってるから、という話もあるが。

「お前は歩哨に立てよ」

「俺が?」

「強い奴が盾になる。常識だろ」 

 どこのだか分からない常識を押し立て、ショウを追い出すケイ。

 それに納得して、部屋を出ていくショウ。

 泣ける。

「女親分は」

「私の事か」

 タオルケットを落とし、ソファーから体を起こす舞地さん。

 眠いというより、例によって体を休めていたんだろう。

「何か言いたそうだけど」

「別に」

「浦田、ちょっと来い」

 あごを向けられ、名雲さんの元へ向かうケイ。

 二人の姿は奥の部屋へ消え、物音一つ聞こえない。

「サトミは?モトちゃんも」

「柳君と、ご飯を買いに行ってる。雪ちゃん達は」

「もう食べた。私も、少し外行ってくる」

 そう言ってドアへ向かうと、池上さんが肩を抱いてきた。

「とにかく、あなた達は無理しなくていいから」

「でも」

「大丈夫。私達の事よりも、自分達の安全を気にしなさい」

「はあ」

 軽く頭を撫で、離れていく池上さん。

 その気持ちは嬉しいけど、私としてはそうは出来ない。

 それがいいのかどうかは、ともかくとして。



 廊下に出ると、ショウが腕を組んで壁にもたれていた。

 周りに人影はなく、怪しげな気配も感じられない。

「本当に立たなくても」

「暇だし、涼しい方が気持ちいい」

 人がいないため、廊下はエアコンの温度が抑えられている。

 ショウは伸び始めた髪をかき上げ、後頭部を壁へ軽く当てた。

「木之本君は?」

「塩田さんの手伝い。モトがいない分、二倍忙しいってさ」

「それは、代表としての仕事でしょ。どうしていつも、木之本君は手伝ってるの」

「人が良いんだよ、あいつは」

 笑うショウ。

 ただ、他人事ではないとも思う。

「結構、危ないよな」

「何が」

「名雲さんが少し漏らしたんだけど、実際は今までも襲われてたんだってさ。俺達の気付かないところで。それだけあの人達は、危ない存在って訳だ」

 淡々とした口調。

 後頭部は壁に当たり続ける。

「塩田さん達も、この間聞いた通りだし」

 伏せられる顔。

 固められた拳が、前へと出る。

「俺達は、何やってるんだろう」

「ショウ」

「と悩む程、俺は繊細じゃない。ユウと違って」

 目にも止まらぬ速さで横へ動く拳。

 壁の寸前で止まったそれは、素早く引き戻される。

「馬鹿だから、俺は」

 苦笑気味な呟き。

 その横顔は、窓から差し込む冬の日差しに輝いている。

 私とは違う、自信に満ちた表情が。

「強いよね」

「俺は、開き直ってるだけさ」

「私も、そう出来ればいいけど」

「俺は俺。ユウはユウ。馬鹿は一人で十分だろ」

 鼻で笑い、拳を収めるショウ。

 私はため息を付き、彼の隣で壁にもたれた。

 緩やかな日差し。

 暖かくなる体。

 でも、心はどうだろう。


「それに、悩んだ方が人間として成長するっていうし」

「私は、駄目。ただ、いじけてるだけだから」

「なるほどね」

 何がおかしかったのか、声を出して笑うショウ。

「そんなにおかしい?」

「おかしいというか、素直というか。俺はそこまで、自分を出せないから」

「そうかな。自分では、よく分からないけど」

 ショウは表情を改め、謝っている。 

 素直、か。

「でも今は、あれこれ言ってても仕方ないよね。やらないと」

「無理しなくてもいいんだぞ」

「大丈夫。今回だけは」

 下げていた拳を突き出し、素早く引き戻す。

 さっきのショウに負けないくらいの速さ。

 辺りの空気が、一瞬にして引き締まるくらいの。

「私だって、このくらいはね」

「どこがいじけてるんだよ」

「空元気なの」

 振り返り様、壁に向かって右ストレートを連打する。

 飛び散るコンクリート片と、微かな拳の痛み。

 軽く息を付き、体に突いた埃を払う。

 無茶苦茶でも何でも、今はこうしていたい。

 自分を奮い立たせるという意味だけではなく、力を示したいから。

 無意味な行動かも知れない。

 でも、私が頼れるのは結局これ以外にない。

 少なくとも、今は。        


「ケイは」

「名雲さんと話し合ってる。説教されてるのかも」

「あいつこそ、悩みはないのか」

 苦笑気味にそういい、周りを見渡すショウ。

 私も一緒に見て、特に何もないのを確認する。

「取りあえず、戻ろうよ」

「ああ。少し、冷えた」

「え?」

「その、さ。やせ我慢だよ」

 そそくさと入っていくショウ。

 もっと早く言えばいいのに。

 でもそれがまた、彼らしいか……。



「本当に、馬鹿なんだから」

「だから、さっき言っただろ」

「意味が違うって言ってるの。私はね」

「楽しそうだな」 

 無愛想な顔で出迎えたのはケイ。

 名雲さんに、何か言われたんだろうか。

「愛想悪いな、お前は」

「悪いよ」

「あ、そう。サトミはまだ戻ってこないのか。腹減ったぜ」

「知るか」

 素っ気ない態度。 

 いつもと大差ないとも言えるけど、多少は機嫌が悪いようだ。

 そのくらいは分かる。

 沙紀ちゃんへ視線を向けてみるが、知らないという顔。

 気にしなくてもいいと言っているようにも取れる。

 確かにそうだ。

 放っておこう。

 いつものように。

「お待たせ」

 いいタイミングで、サトミ達が戻ってきた。

 何を買ってきたんだろう。

 私はもう食べたけど、気にはなる。

「焼きおにぎり?そんなの、売ってるのか?」

「美味しいのよ。はい、どうぞ」

 最初に舞地さんへ渡すサトミ。

 ついで池上さん、名雲さんと渡していく。

 年長者だし、当然だ。

 それに私は食べたばかりなので、関係ない。

 どんどんおにぎりが配られ、おかずの揚げ物も皿の上に盛られる。

 ふーん、おにぎりね。 

 じゃがチーズ揚げ、ね。

「あー、美味しい」

 可愛らしい顔をほころばせて、両手で持ったおにぎりを頬張る柳君。

 あ、ウインナー揚げ食べた。

「な、何。雪野さん」

「別に」

「そ、そう」

 柳君はぎこちなく頷き、顔を背けて食べ始めた。

 可愛くない子だ。

「ユウも食べれば」

 自分のおにぎりを差し出してくれるモトちゃん。

 その気持ちは嬉しいけど。


「お腹一杯だもん」

「だったら、人をじろじろ見ないの」

「見たいもん」

「もういい」

 呆れられた。

 でも、見る。

「お前、前世で飢え死にでもしたのか」

 失礼な事を言ってくる名雲さん。

 3つあったおにぎりは、すでにない。

 食べてるというより、飲んでるんじゃないの。

 自分だって、大差ないのに。

「餓鬼なのよ、餓鬼」

 もっと失礼な池上さん。

 おにぎりを奪おうかとも思ったけど、その気力がない。

 食べる気力がね。

「しかし、お前はよく食べるな」

「え?」

「いくつ目だ、それ」

 おにぎりをほう張りつつ、手を開くショウ。

 5個、か。

 無かったらそれで満足なのに、あればあるだけ食べようとするからな。

 この人も結構、犬体質なのかもしれない。

「聡美ちゃんはもういいの?」

「ええ。残りはショウが片付けます」

 優雅に微笑み、サトミは湯飲みを傾けている。

 ただそれは問題なので、先に私が持っていく。

 今日の夜食だね。

「これはもう、私の物。お金なら払うから」

 ポケットから小銭を取り出し、適当にテーブルへ置く。

 いくら出したか知らないけど、今はこれの確保が先決だ。

「そんなに高くないし、冷めるわよ」

「いい。冷めても美味しい、近江米」

 自分でも訳の分からない事を言って、笹の葉でくるんでいく。

 これで楽しみが出来た。

 おにぎり一つで幸せを感じられるなんて、安上がりないい体質だ。

 負け惜しみじゃなくて、本当にそう思う。

「丹下はいいのか」

「ええ。残りは、全部優ちゃんへ」

「私も、これだけでいいって」

「じゃあ、お前持ってけ」

 少し離れていたところでお茶を飲んでいたケイへ、名雲さんが包装紙を放る。

 それを受け取ったケイは、少しだけ頭を下げた。

「まだ怒ってるのかな」

「さあ。眠いだけじゃないの」

 沙紀ちゃんへ適当な事を言って、おにぎりをひしと抱く。

 意味もなく、嬉しい。

「本当に、素直だよな」

「へへ」

「本能の赴くままというか。……いや、何でもない」  

 慌てて目をそらすショウ。

 私は睨み返した視線を戻し、部屋の隅へと向かった。


 別に、取られるのを警戒している訳ではない。 

 リュックへとしまうだけだ。

 痛むといけないから、暖房の当たらない所へと。

 これでよし。

「沙紀ちゃんが心配してるよ。怒ってないかって」

「別に。怒る理由がない」

「名雲さんに、何か言われたんでしょ」

「意見の相違があっただけ。ケンカした訳じゃない」

 ケイもおにぎりを自分のリュックへしまい、壁にもたれた。

 壁際。

 みんなのいる座卓とは少し離れた位置。

 私もなんとなく、彼の隣りに座る。

 日が当たり、窓の外が覗けるいい位置。

 それを意図している部分もあるんだろう。

「あまり乗り気じゃないの?」

「契約を交わした以上は、その任務を果たす。名雲さん達が、そうなように」

「事務的だね」

「情に搦めてたら、こっちが危ない」

 視線はそれとなく窓の外へと向けられ、建物への入り口をチェックしている。

 勿論進入手段は他にもあるだろうけど、昼間からおかしな事をしていたら目に付いてしまう。


「出来る?」

「やるよ。その男がどうなるかまでは、責任を取れないけど。舞地さん達を守る、という契約だからね。あの子を改心させるとか、保護するという契約じゃない」

「でも」

「名雲さんは、そういう情で縛られないように俺達と契約をした。俺達がは舞地さん達を守る、それだけ。それ以外の責任も義務もない」

 誰にでもなく、はっきりと私に向かって語るケイ。

 私の考え、私の性格、私の行動。

 その全てを知った上での発言。

「彼が危険な目に遭っていても?」

「そういう契約だから。心情はともかく、義務はない。またそれは俺達じゃなくて、舞地さん達の問題だ」

「そうだけど」

「大体俺は、あいつを信用してない。敵の内情を探るなんて雰囲気には、とても見えないし。ユウも、余程の事がない限り心は許さない方がいい」

 あくまでも冷静な口調。

 声こそ小さく舞地さんに聞かれる心配はないが、それでもかまわないという態度だ。


「相変わらず、醒めてるわね」

 苦笑しつつ、こちらへやってくるサトミ。

 ケイは鼻を鳴らして、窓の外へ視線を向けた。

「信じて助かるなら、神様は必要ないって?」

「さあ」

「そして神でもその使いでもない私達は、あがくしかない。そうじゃなくて」

「知らないよ」

 面倒げに答え、サトミへ向き直るケイ。

 サトミは横座りになって、その眼差しを受け止める。

「俺がやる気無いって?」

「そうじゃない。むしろ、その逆に思えるから。一人でやる必要は無いって言いたいの」

 静かな、諭すような声。

 それでもケイは、何も言わない。

 サトミも、また。

「大体、名雲さんと何を話したの」

「大した事じゃない。それに、その内分かる」

「あのね……」

 さらに続けようとしたサトミが、ふと後ろを振り向く。



 小さな電子音。

 端末を取る舞地さん。

 自然と全員の視線が、彼女へと向けられる。

「誰から」

 聞いたのは、やはり池上さん。

 他の人には聞けない質問だから。

「……彼から」

 少しの間を置いて、舞地さんが呟く。

 表情に変化はなく、いつも通りに落ち着いている。

 むしろ、落ち着いていないのは私達だろう。

「用件は」

「会いたいって」

「そう来たか。名雲君、どうする」

「お前は、舞地とここにいろ。俺が会いに行く」

 軽やかに立ち上がり、ジャケットを羽織る名雲さん。

「分かっているだろうけど、慎重にね」

「ああ。柳は、少し後から来い」

「了解」

 握り締められた拳がテーブルへ置かれ、聞き慣れない音がする。

「丹下と元野さんも、残ってくれ。何かあったら、応援を」

「はい」

「分かりました」

 小さく頷く二人。

「後は、玲阿も残れ。呼び寄せてこっちを、という手かも知れないしな」

「ああ」

 てきぱきと指示を出した名雲さんが、最後に私達へ顔を向ける。

「私達よりも、ショウの方が適役だと思いますけど」

「あいつら程度なら、俺一人で事足りる。問題は、ここにいない連中だ。そいつらの警戒用に、こっちを手厚くする訳だ」

 分かったという具合に手を挙げるサトミ。

 ケイも無言で立ち上がる。

「よし、行くぞ」







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