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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第11話
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11-5






     11-5




 タオルで頭を拭きながら、自分の部屋へ入る。

 舞地さんはベッドの中央に腰を下ろし、TVを見ていた。

 日本各地の風景を映すチャンネルで、今はどこかの海岸線が映っている。

「ごめんね。狭いなら、隣の部屋に布団敷くから」

「いや。一緒でいい」

 お風呂で暖まった頬、下ろされた長い黒髪。

 赤い、少し袖の短い私のパジャマ。

 いつもとは違う舞地さんに、つい見入ってしまう。

「どうした」

「ん、別に」

 適当に笑い、机の前に座る。 

 机の上や壁には何枚か写真があり、舞地さんとの写真も飾ってある。


「私の写真は、この辺りの風景ばかりだね」

「映未や、私の部屋の絵の事?」

「うん。よく分からないけど、あちこちの景色が描いてあるじゃない」

「ああ」

 背中越しに聞こえる返事。 

 私は椅子を廻して、彼女と向き合った。

「……さっきお父さんと話してて、気付いたの。私、全然舞地さん達の事知らないなって」

「大した生き方じゃない。全国を渡り歩いて、人を護衛したりして。今度のように、恨みを買って」

「辛くない?」

「少しは。でも、映未達がいるから」

 ささやくような、でも心の込められた一言。

 凛々しい表情が和らぎ、微かな笑顔がこぼれる。

「私は何かが出来る訳じゃない。格闘技では司、交渉や作戦では映未、人をまとめるのは名雲。そのどれも、私は彼等に及ばない」

「そうかな」

「それでもみんなは、私をリーダーとして認めてくれている。理由は自分でもよく分からないけれど。みんながそう思ってくれるなら、私はそれに応える」

 自信と勇気と、みんなへの思い。

 私にはない、本当の強さ。

「辛くても悲しくても、それがある限りは頑張れる。出来る出来ない、ではなくて。やってみせる」

 はっきりと言い切る舞地さん。 

 そこにはわずかな気持ちの揺れもない。

「だから今度の事も」

「え?」

「みんなが心配してくれて、色々やってくれてる。私はずっとそれから逃げていたけど、でも」

「舞地さん」

 椅子を降り、ベッドに上がって彼女の隣りに腰を下ろす。

 間近に見る、凛々しい表情。

 私を見つめる眼差しは、いつもより優しく感じる。

「いいご両親だな」

「ご両親……。ああ、お父さん達」

「優しくて、暖かくて」

「普通じゃないの」

 小さく首を振る舞地さん。

 私と同じコンディショナーの香りが、辺りに漂う。

「勿論私にも父がいて、今も元気で過ごしている」

「そう」

 遠い、遠い眼差し。

「遠野や浦田のように、仲が悪いという訳でもない。でも、家に戻る気はあまり無い」

「どうして」

「私はあそこでなくても生きていける。向こうも、私無しでも生きていけるから」

 淡々とした答え。

 それ以外には何もない答え。

「戻れば何事も無かったように、私を受けいれてくれる。出ていっても、当たり前のように送り出す。冷たさも、怒りも、何もない」

「そう……」

「だからさっきは、羨ましかった。こういう家族があるんだなって。私が憧れていたような家族が、本当にあるって」

 彼女の表情と声に、少しだけ色が混じる。

 さっきまでの、今日までの悲しさが。

 切なげな、苦しそうな色が。

 池上さんなら抱きしめられる。

 でも私に、それは出来ない。

 今の私には。

「分かった」

「何が」

「いいから」



 ドアをノックして、少し待つ。

「どうしたの」

 ブラシ片手に、ドアを開けるお母さん。

 私と同じような、チェックのパジャマを着ている。

「いいから」

「何がいいの」

 お母さんを脇へ寄せ、寝室へ入っていく。

 二つ並んだシングルベッド。

 一つはお母さんの。

 もう一つは当然、お父さんの。

「あれは」

「さあ。最近、毎晩よ」

 呆れる気もしないという表情。

 ベッドの上にあぐらをかき、小さなプラモデルを組み立てている男性。

 私のお父さんとも言う。

「あ、優。舞地さんも」

「面白い?」

「うん。夜鳴きソバの屋台、なんてあるんだよ」

 何とも楽しそうな笑顔。

 それはいいけど、そんなの作ってどうするんだろう。

「いいから、ほら」

 強引にベッドから下ろし、ぐいぐい背中を押す。

「なに、相撲?」

「違うわよ。いいから、隣の部屋いって。枕も持って」

「あ、うん」

 素直に頷き、枕を持って出ていくお父さん。

 お母さんも枕を持って、ドアの傍で突っ立っている。

「寝ぼけてるの、あなた」

「まさか。ほら、お母さんも」

「はいはい」

 肩をすくめて、何か呟きながら出ていった。 

 恨み節のようだったけど、気にしないでおこう。

「大丈夫?」

「勿論。ほら、舞地さんも」


 全員で布団を敷き詰め、枕を並べる。

 お父さん、私、舞地さん、お母さん。という並び。

 一本多い、川の字である。

「昔は、こうして寝てたわね」

「ああ。優がまだ、こんなに小さくて」

 自分の腰辺りに手の平を添える仕草。

 文句を言っていたお母さんは布団の上に倒れ込み、大の字になった。

「あー」

 叫んでる。

 よく分かんないな。

「紗弥さん。恥ずかしいよ」

「いいじゃない。睦夫君もやってみたら」

「参ったな」

 といいつつ、嬉しそうなお父さん。

 参ったのはこっちだ。

 仕方ないので私も寝転がり、手足を思いっきり伸ばす。

「あー」

「優、恥ずかしいから」

「何が」

「親子だね……」

 複雑な表情で笑ったお父さんも、寝ころんだ。

 当たり前だけど、叫ばない。

 そんなのは、お母さんくらいだ。

 舞地さんもそんな私達を見て、当惑気味に横になった。 


「済みません」

「いいのよ。うちの娘、たまに変だから」

「いいじゃない。いつもじゃないだけ」

「二人とも、もういいから」

「はーい」

 お父さんにたしなめられ、二人して返事をする。

 それに対してか、少し笑顔を見せる舞地さん。

「ごめんなさいね。本当に」

「いえ。私も、嬉しいです」

 はにかみ気味なささやき。 

 再び赤くなる頬。

 可愛らしい、女の子の笑顔。

 それを見てお母さんが、くすっと笑う。

「そう言ってくれると、私も嬉しいわ。添い寝なんて、聡美ちゃん以来ね」

「何それ。私は、寝てないわよ」

「優がいない時の話。お母さん、一緒に寝ていいですかって言うから。いやね、お母さんなんて」

 一人で笑ってるお母さん。

 しかし、あの女いつのまに。 

 私の、雪野家での立場も怪しいな。

「明かり消すわよ」

「うー」

「唸らないで」

 消える明かり。

 微かに感じる温もり。

 お父さんの暖かさだけではなく。

 舞地さんの華奢な指先。

 私もそっと、指を絡める。

 この時を忘れない。

 いつまでも、大事に思う。

 私の先輩を……。



 翌日。

 二人一緒に、学校へ登校する。

 特に何を話す訳ではなく、昨日の夜の事はお互い口にしない。

 また、する必要もない。

 きっと舞地さんも、同じ気持ちなんだと思う。

「おはようございます」

 丁寧に挨拶をするサトミ。 

 舞地さんも「おはよう」と返し、私の隣へ腰を下ろした。

 場所は音楽室。

 歌唱指導講義などという名前が付いているけど、要は歌を歌う授業。

 気楽なので、私は結構好きだ。

 ただ人前で歌わなければならない時もあり、選択科目としては不人気な授業。

 休み前とあって、いつにもまして生徒が少ない。

 いるのは私達と、まばらにちらほらいる程度。 

「どうも」

 あくびをしながら、何故か窓から入ってくるショウ。

「あのさ」

「筋トレだよ、筋トレ」

 言い訳にもなってない。

 しかも、満足げな笑顔だし。

 3階です、3階。

 肩をすくめていたら、今度は池上さんが入ってきた。

 勿論、ドアからだ。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 小さく手を挙げる舞地さん。 

 池上さんは、胸元を軽く叩いてサトミの隣へ腰を下ろした。

「何、今の」

「胸があるわよっていう意味」

「へっ」

「可愛くない子ね」 

 どっちがだ。

 二人で唸りながら睨み合っていると、予鈴と共にケイが入ってくる。

 いつも通り眠そうで、やる気も感じられない。

「おはよう」

「ああ……」

 かろうじてそう答え、歌集を取り出す。

「起きろよ」

「朝から、うるさいな」

 訳の分からない事を言って、長い息を付いた。

 このまま死んでも、私は納得出来る。



 全員で少し古い歌を合唱して、休憩に入った。

 先生はキーボードを黙々と、一人で演奏している。

 音楽の教師だからというより、好きなんだろう。

「名雲さん達は」

「これ取ってないもの。あの二人は、格闘技か体育の選択授業でしょ」

「ああ。俺も、それを取りたかったんだけど」

 ちょっと悔しそうなショウ。

 ケイは関心も何もないらしく、虚ろな眼差しで歌集と向き合っている。

 魂が、抜けてるじゃないかな。

「元気になったみたいね」

 ぽつりと漏らす池上さん。

 舞地さんは微かに頷き、口を開いた。

「いいの。何も言わなくても」

「映未」

「翳りを帯びた舞地真理依も、悪くなかったわよ」

 大人びた笑顔と、からかうような口調。

 舞地さんは頬を赤く染め、彼女の肩を軽く叩いた。

 楽しそうな笑い声。 

 私にはそこまで信じる事が出来なかった。

 だから、昨日のような真似をした。

 そうしか、出来なかった。

 池上さんのように、ゆとりがないから。

 でも、仕方ない。

 今の私には。


「悪かったわね。雪ちゃんも、聡美ちゃんも」

「いえ。私達は、何も」

「そう。その内、お礼するから」

「いいんですよ。私達こそ、いつもお世話になってますし」

 頭を下げるサトミ。

 今度は池上さんが、彼女の肩を軽く叩く。

「君は」

「……あ」

「真理依が呼び捨てにされたって、怒ってたんでしょ」

「どこが」 

 噛み合ってない。

 とぼけているという訳でもない。

「起こせばいいんですよ」

 リュックから、単語が書かれた紙を取り出すサトミ。

「例えば……」

 それを軽く振り、ケイの前に差し出す。

 すると突然立ち上がり、紙をひったくった。

「何したの?」

「おまじないよ」

 薄く笑う美少女。

 黒髪をかき上げ口元を緩める様は、背筋が凍るくらい。 

 でも、本当にどうしたんだろう。

 「ホワイトラビット、レバー、中等部北地区、木村君」

 とか意味不明の事が書いてあるだけなのに。

「特高みたいな女だな……」

「特攻?」

「何でもない」

 十分、何でもある顔だ。

 いいんだけどさ。


「さて、それでは最後に一曲歌って終わりましょうか」

 手を叩き、注目を促す先生。

 茶髪のショートカットがよく似合う、綺麗な先生。 

 優しいし、好きな先生の一人である。

「ちょっと今までの曲とは違うんだけど」

 各自の端末に送られてくる歌詞と楽譜。 

 オタマジャクシは読めないが、歌詞は分かる。

「先日学内の雑誌に載せられた詩に、私が曲を付けてみました。それ程難しいコードじゃないから、ギターが出来る人はやってみてね」

 それを聞いて、机の脇に立て掛けてあったフォークギターを手に取るショウ。

 弾きこなすという程ではないけど、コードくらいは押さえられる。

 私は指が届かなくて、やめた。

 その内長くなると、みんな言ってたのに……。

「よくやるよ」 

 だるそうに呟くケイ。 

 この人の場合は、指が動かなくて止めている。

「大体この詩って。映未さん」

「そうね。どこかで見たわね」

「知らない」

 聞かれる前に先手を打つ舞地さん。 

 作者名は、「M-A」となっている。

 つまりは、舞地さんだ。

 その間にも先生が歌いながら、キーボードを奏でている。

 綺麗な、柔らかなメロディライン。

 リズムも緩やかで、心地いいテンポ。


「それでは、通して歌ってみましょうか」

「はい」

 全員姿勢を正し、配られたプリントを手に持つ。

「いくわよ」

 滑らかなイントロ。

 重なるキーボートとギターのメロディ。

 そして。



 涼しくて肩を寄せ

 暖かくて肩を抱き合い

 雪を被る山

 日差しにきらめく小川

 夜空を仰ぎ星に手を伸ばし

 草原に腰掛け花に手を添える


 心躍る時もある

 顔を伏せ歩くもある

 例え今は傍にいなくても


 同じ道を歩いている

 みんなと同じ気持ちと共に



 涼しげなメロディが終わり、先生も席を立つ。 

「……素敵な歌でした。そして、素敵な詩でした」

「はい」

 上気した頬で頷く私達。

 誰からともなく、拍手が起きる。

 自分達の歌に、この歌に。

 控えめな、でも心のこもった拍手。

 先生も笑顔で手を叩いている。

 ショウも、ケイも、サトミと池上さんも。

「全く」

 はにかんだ表情で、そう呟く舞地さん。

 彼女の手も、小さく動く。

 私の手は、勿論誰よりも大きく……。



 みんなで誉めようとしたら、それを悟ったのか舞地さんはどこかへ消えてしまった。

 池上さんは居場所を知っているらしく、一人後を追う。

 全くなのは、舞地さんだと思う。

 それからの授業も全部終わり、私達は食堂へやってきていた。

 この時期は生徒数が少ないため食堂は休みだったらしいが、今年は生徒からの要望で美味しいご飯を食べられる事になっている。

 基本的にはフリーメニューだけで、後は数点オーダーメニューがある程度。

 何にしろ、お昼から茶碗蒸しは嬉しい。

「楽しそうだな」

 軽く手を挙げて、こちらへやってくる名雲さん。

 隣では柳君が、可愛らしく笑っている。 

「僕は、これを食べます」

 テーブルへ置かれるトレイ。

 お櫃に入ったウナギの細切れと、急須にわさび。

 数少ないオーダーメニューの一つ、ひつまぶしか。

 贅沢な子だ。

「あんた、金持ちだな」

「浦田君から巻き上げたお金が、まだたくさんあるから」

「じゃあ、俺の分を」

 勝手に一切れ持っていくケイ。

 柳君はニコニコして、それを元へ戻した。

「こっち上げるよ」

「ラーメンにわさびは無いだろ……」

 虚しくわさびラーメンをすするケイに、「冗談」と言って一切れチャーハンの上に乗せている。

 もう、いい子なんだから。

「みんなも食べる?」

「俺はいい」

 あっさり断るショウ。 

 カツ丼大盛りと天ぷらうどん大にサラダ付きで、後何を食べる気なの。

 しかも、おにぎりが2個置いてあるし。

「私はもらうわ。ユウは」

「これだけちょうだい」

「いいけど」


 へへ、これこれ。

 湯飲みのお茶を飲み干し、急須からだしを注ぐ。

 少しわさびを足して、くいっと。

 仄かなしょう油の風味と、後は魚のだしかな。

 淡泊だけどいいお味という、あれ。

「へんな好みしてるな」

「美味しいんだって、これが」

 俺には分からんという顔で、チャーハンを掻き込む名雲さん。

 この前もそうだったけど、落ち着きがないな。

 餌をとられる犬じゃないんだし……。



 美味しくて楽しい食事も済んで、私達はお茶を前にのんびりとくつろいでいた。

 授業はもう無いし、ガーディアンとしての仕事もめっきり少なくなっている。

 気楽、という言葉がぴったりあてはまる。

 まったりした一時と、言い換えてもいい。

「舞地ね。甘いな、雪野も」

「でも、私は」

「悪いとは言ってない。あいつも女だし、そのくらいの方がいいのかもな。要は、俺には分からんって事だ」

 冗談っぽく肩をすくめる名雲さん。

「僕も分からない」

「それはお前が、子供だからだ」

「あ、そう」 

 拗ねた顔をする柳君の頭を軽く撫で、名雲さんが一人で笑う。 

 本当に兄弟みたいというか、仲がいい。

「ただ傭兵っていうのなら、俺達も動くぞ。今までは舞地があれだったんで、黙ってたが」

「動くって、何」

「決まってるだろ」

 突き出される拳。

 自信に満ちた表情。 

 まるで昨日の舞地さんを見るような。


「またケンカですか」

「遠野、そういう顔するな」

「元々です」

 綺麗な顔が鋭さを帯び、威圧的に名雲さんを見つめる。

 それには多少気にした様子だが、止めるとは口にしない。

「あいつらは、暴力でしか物事を解決出来ない連中だ。それに対抗するには、こっちもそれで立ち向かうしかない。お前のような正論派は、認めたくないだろうが」

「そこまでは言いませんけど」

「それにこれは、舞地だけじゃなく俺達の問題でもある。ここらで、誰を相手にしたのか教えてやらないとな」

 すごみを増す名雲さんの表情。

 しかしサトミは険しい顔を崩そうとはしない。

「大丈夫だ。俺だって、いきなり暴れる訳じゃない」

「だといいんですが」

「信用がないな。少し様子を見に行ってくるから、遠野は残れ」

「ユウも連れて行くんですか」

「心配しなくても、俺と柳でかたを付ける」

 柳君の肩を叩き、食堂を出ていく名雲さん。 

 ショウも二人と連れだって、後に続いていく。

「大人しくしていなさいよ」

「分かってる。サトミもね」

「ええ。私は、非戦闘員だから」

 軽く手を取り合い、みんなの後を追う。

「ケイ、早く」

「俺も、非戦闘員なんだけど」

「早く行ってきなさいよ」 

 全然止めないサトミ。

 しかも、まるで野良犬を追い払うみたいに手を振っている。

「失礼な女だな」

「あなた程じゃないわ。いいのよ、まじない書きをもう1枚書いても。……怪我の消毒、傘も差さず病院前」

 すごい顔で私を追い抜いていく男の子。

 サトミは凍るように綺麗な笑みを浮かべ、私に手を振っている。 

 全く、非戦闘員が聞いて呆れる。



 名雲さんの先導で、学校を出ていく私達。

 やがて駅前のショッピングモールを過ぎ、なんとなく柄の悪いブロックに差し掛かった。

 飲食店街というか、バーやクラブ。

 性質の悪そうな若者があちこちにたむろして、楽しげに笑っている。

 警察が取り締まりに来ないから違法行為は殆ど無いんだろうけど、用がなければ訪れたくはない雰囲気だ。

「お前らから聞いたマンションは、さすがに俺も行く気がしない。向こうも、待ち構えてるだろうからな」

「じゃあ、今から行く所は?」

「情報だと、連中がよく集まってる場所だ。例の男の事も含め、少し話を聞く」

 話、か。

 そういう顔には見えないんだけど、ここは従うとしよう。


 薄汚れた雑居ビルの階段を下り、地下のフロアへとやってくる。

 消えかけの照明と、落書きだらけのドア。

 足元には瓶やゴミが散乱している。

 いつか塩田さんと一緒に来た雑居ビルとよく似ている。

 いや、こういう場所は概してこうなのだろう。

「キーは」

「無い」

「なら、どうするんだ」

 当然そう尋ねるショウ。

 名雲さんはセキュリティシステムの部分に拳を軽く当て、首を傾げた。

「古いな、これは。少し、下がってろ」

「え?」

 聞き返す間もなく火を噴くセキュリティシステム。

 ショウが私をかばっていなかったら、目の前に火花が飛んでくる所だった。

「壊すなよ」

「お前も、よくやるんだろ」

「さあ」

 すっとぼけるショウと、にやりと笑う名雲さん。

 ドアはおかしな音を立てながら、横へスライドしていく。

「へえ。ショウだと、力尽くで開けるのに」

「悪かったな」

「いいから、下がってろ」

 名雲さんは警戒する様子もなく、薄暗い建物の中へと入っていく。

 私達も仕方なく、その後へと続く。


 狭い廊下を抜け、再びドア。

 営業時間は夕方からで、今はひっそりと静まりかえっている。

 少なくとも、音は。

「じゃあ、これも」

 鋭い前蹴り。

 倒れるドア。

 それと同時に飛び出てくる、数名の男。

「誰だ、お……」

 顔が仰け反り、そのまま倒れる男達。

 名雲さんは裏拳を引き戻し、何事も無かったかのようにドアの中へと入っていく。

「こ、この」

 警棒を抜きながら、一人が椅子から立ち上がる。

「寝てないと」

 軽く舞い上がる柳君の体。 

 跳び蹴りが胸元を捉え、そこを支点にしてさらに体をひねる。

 まっすぐ伸びた後ろ蹴りが倒れていく男の頭をかすめ、数本の毛を散らす。

 柔らかな動きで降り立った柳君も、平然とした顔で後に付いていく。

 同じ事をしろと言われれば出来るし、やった事もある。 

 速度と威力、切れを数レベル落としての話なら。 


 カウンターと、その後ろに並ぶ洋酒。

 フローリングの室内には幾つかのテーブルと、その上に椅子が立て掛けてある。

 外程は汚れていなく、派手なポスターが多少目に付く程度。 

 薄暗い照明なので、よくは分からないが。

「お、お前」

 血相を変えて後ずさる男達。

 名雲さんは有無を言わさず、一気に距離を詰めて飛びかかった。

 振り下ろされる警棒を肘で跳ね飛ばし、前蹴りを喰らわして左右から来る連中を水面蹴りで倒す。

 倒れていく男達のあごをその足で蹴り上げ、前宙で体勢を立て直す。 

 左右から打ち込まれる警棒。

 それより数瞬早いジャブの連打。 

 血飛沫が上がり、名雲さんはカウンターにいた男の喉元に彼が持っていたグラスを突き当てた。

「や、やめろ」

「人狙っておいて、それか。傭兵なんだろ」

「お、俺は、ただ金をもらっただけで」

「だから頑張れよ」

 頸動脈に食い込むグラス。

 男は口から泡を吹き、そのまま床へと崩れていった。

「無茶苦茶だ」

 ぽつりと漏らす柳君。

 散乱する椅子。

 その間に横たわる男達と呻き声。

 あちこちには、鮮血が飛び散っている。

「どうして、こういう事を」

 つい尋ねてしまう。

 名雲さんは自嘲気味に口元を緩め、グラスをカウンターへ置いた。

「あのな……」


 一人の男が、よろめきながら立ち上がる。

 手には長いナイフ。

 薄暗い照明を受け、鈍く輝いている。

「ふざけやがって」

 はれた目元と、血のこぼれる口元。

 構えこそ頼りないが、男と名雲さんとの距離は非常に短い。

 一歩踏み込めば、間違いなく刃先が届くだろう。

「まずは、お前からだ」

 前へ出る男。 

 下がる名雲さん。

 だがその後ろは、カウンター。

 背中があっさりと、そこに付く。

「覚悟しろよ」

 低い笑い声。

 かざされるナイフ。

 切っ先が、名雲さんの鼻へと向けられる。


「す、済みません」

 突然の叫び声。

 男の前で土下座をするケイ。

「済みません、済みません」

 両手を付き、男に向かって何度も頭を下げる。

「何だ、お前。代わりに、やられたいのか」

「済みません、済みません」 

 繰り返される、同じ言葉。

 土下座の姿勢は変わらない。

 下げられた彼の首筋に、男がブーツを乗せる。

「情けないな。ええ」

「済みません、済みません」

「他に、何か言えよ」

 押しつけられるブーツ。

 下品な笑い声。

 ケイはひたすらに、謝り続ける。

「仕方ない。じゃあ、代わりにお前だ」

 腰を屈めた男は、ナイフの向きを変える。

 ケイの、首筋へと。

「済みません、済みません」

「心配するな。少し、頬を……」



 素早く手が上へ伸び、首筋を踏んでいた足首を横へ返す。

 バランスを失った男は、咄嗟にナイフを振るう。

 背中をかすめるナイフ。

 ケイはかまわず、男を床へ叩き付けてその上にまたがる。

 古い言い方をすれば、マウントポジション。

 ジャケットの襟が交差され、男は声すら上げず意識を失った。

「無茶苦茶だ」

 またもや呟く柳君。

 だが彼の足も、立ち上がりかけていた男の鼻先に突きつけられている。

「先に謝ったからいいんだよ」

 ケイは首元を手で払い、名雲さんへ笑いかけた。

「という事ですよね」

「ああ。油断してると、何をされるか分からん。素手ならまだしも、今みたいに武装してるからな。お前みたいな悪い奴もいるし」

「油断してるからですよ」

 鼻で笑うケイ。

 黒いジャケットは、背中の部分が小さく裂けている。

「どっちにしろ、やり過ぎだと思うけど」

「まあな」

 一部始終を壁際で見ていた私とショウは、彼等とは距離を置いていた。

 今の会話も、おそらくは聞こえていないだろう。

「でも、ああするしか無かった。だろ」

「結局私は、甘いのかな」

「無茶苦茶よりはましさ」

 肩に置かれる大きな手。

 甘い慰め。

「駄目だね、私は」

「強ければいいって訳でもない。と、俺は思う」

「ありがとう」

 今度は私が彼の肩に触れる。

 いつまでも、悩んでも落ち込んでもいられない。


「取りあえず、こいつに聞くか」

 ケイが落とした男に平手打ちをして、無理矢理起こさせる名雲さん。

「仲間は何人いる」

「……知らない。い、いや。俺は聞いてない。まだ後から増えるとしか」

「あの男は、どうしてお前らと一緒にいる。誰の事かは、分かってるな」

 いきなりの、核心を突く質問。

 男は動揺する素振りもなく、口を開いた。

「向こうから誘ってきた。舞地と知り合いだって言うから、誰かがあいつを利用しようって」

「無理矢理か」

「そうでもない。喜んで付いてきたぜ。俺達も目的を聞いても。元々あいつも、その気だったんだろ」

 下品な笑い声を上げる男。

 その口元に自分のナイフが突きつけられ、笑い声はすぐに消える。

「消えろ」

「な、なに」

「消えろと言った」

 口の中に入れられるナイフ。

 それが上に上がり、男も引きずられるようにして立ち上がる。

「仲間も連れて行け」

 目に涙をためる男。

 名雲さんはナイフから手を離し、あごを横へ振った。 

 男は横たわっている仲間達を叩き起こし、よろめきながらドアを出ていった。

 激しく震えるナイフをくわえたままで。


「今の話、どう思う」

 カウンターに腰を下ろし、隣を向く名雲さん。

 そこにはショウが、やはり腰を下ろしている。

「少なくとも嘘には聞こえなかった。俺は」

「私も。人がいいとか甘いとか言われるかもしれないけど」

 名雲さんは首を振り、しなやかな動きで床へと降りた。

「あいつの話は、おそらく本当だ。舞地には、聞かせたくないが」

「黙ってる訳にもいかないだろ」

「まあな。何にしろ、来るのなら叩きのめす。それだけさ」

 微かに苦さを含んだ口調。 

 壁際にもたれている柳君は、顔を伏せたままだ。

「浦田はどう思う」

「俺は関係ないんで」

 素っ気ない返事と表情。

 全くの感情を感じさせない佇まい。

 それがなんなのか、私は分かっているつもりだ。 

「まあいい。引き上げるぞ」



 学校にほど近い、ファミレス。

 夕食前で、客の入りは少ない。

 私達もドリンクだけを前にして、重い雰囲気に浸っている。

 柳君はショックと怒りのせいか、無言で先に帰ってしまった。

「どうするんですか」

 遠慮気味に尋ねるサトミ。 

 名雲さんはストローから口を離し、それで浮かんでいる氷をつつく。

「こっちから仕掛ける気は、今の所無い。襲われれば、話は違ってくるが」

「身を隠すとか逃げる、という発想は」

「それも無い」

 きっぱりと言い切る名雲さん。 

 サトミも分かっていたらしく、ため息混じりに背もたれへ崩れた。

「大体あなたは、また斬られてるじゃない」

「ジャケットだけだよ。悪いとは思ってるけど」

「人へ謝る前に、自分の心配をしたら」

「ああ」 

 苦笑して、ジャケットの切れ目に触れるケイ。

 サトミは腕を組み、もう一度ため息をつく。

「丹下さんに知れたら、また怒られるわよ」

「その前に処分する」

「何を」


 背後から聞かれる、ややハスキーな声。

 その手が、ケイの両肩へと置かれる。

「大活躍みたいね」

「あ、あんた。いつのまに」

「至急来るようにと、連絡が入って」 

 軽く手を振るサトミ。

「という訳です」

 そういって現れたのは、ハーフコートにジーンズ姿のモトちゃん。

 今日は私服だ。

 二人の後ろから現れた木之本君も、仕方なさそうに笑っている。

「名雲さんも、大活躍だったようですね」

「い、いや。俺は別に」

「いいんですよ。私は関係ありませんから」

 さっきのケイと同じような台詞。

 澄んだ笑顔と、明るいトーン。

 モトちゃんはそのままサトミの隣へ腰を下ろし、正面に名雲さんを捉えた。

「話し合いで解決出来ないのは分かりますけど、いきなり行くのはどうでしょう」

「連絡して行く訳にも。なあ、玲阿」

「俺は知らない」

 話を振るなという表情。

 私もそれとなく、彼の体で身を隠す。

「ケンカ結構、殴り合い結構。それで、何か解決しましたか」

「い、いや。でも例のあいつが、自分の意志で参加してるのは分かった」

「それ以外には。相手の怒りを増やしたという事以外には」

 笑顔で語るモトちゃん。 

 先程のナイフとは比べもないなら無い、鋭い切っ先が名雲さんへと向けられる。

「な、無い。ただ」

「ただ、なんですか」

「いや、何でもない」

 弱々しく首を振り、名雲さんは下を向いた。

 先程あれ程の立ち回りをしたとは思えない、消沈した姿。

 それでもモトちゃんの細い眼差しから、鋭い眼光は消え去らない。

「殴り合うのも、情報を聞き出すのもかまいません。舞地さんのためにという気持ちも、分かります」

「あ、ああ」

「ですけど、結果のためなら手段を選ばないという考えはどうでしょう。そんな私の考えは甘いですし、通用しないかもしれませんけれど」 

 しかし彼女の表情には、微かな揺らぎもない。

 自分の言葉に対する信頼以外には、何も。

「正論で、つまらない考えです。私やサトミの考えは。ただそれを無視して成し遂げられる事も、また少ないんじゃないんですか」

「そうだね……」

「私は怒ってるんじゃありません。ただ、もう少し考えて」

 小さく聞こえる拍手。

 言葉を切り、振り向くモトちゃん。


 そこには、楽しそうな笑顔を浮かべている沢さんの姿があった。

「名雲君をそこまでやりこめるとは。怖いね、君も」

「私は、別に」

「冗談だよ」

「お前は、どうしてここにいる」

 赤い顔で尋ねる名雲さん。

 沢さんは薄いジャケットに手を入れ、姿勢を変えた。

「少し、護衛を」

「契約でか」

「食事はおごってもらうし、一応そうなのかな」

 規則正しい足音。

 長い茶色の髪と、赤のキャップ。 

 寄り添って歩く、二人の姿。

 まるで一つの存在のように。

「舞地さん、池上さんも」

「ここにいるって聞いたから、ちょっとね」

「ああ」

 視線を伏せ気味に頷く舞地さん。

 その後ろには、柳君の姿も見える。

「途中で会って、その」

「司、済まない。私のせいで」

「真理依さんは悪くないよ。い、いや、誰が悪いというのはその」

「分かってる。ごめん」

 頭を下げる舞地さんと、困惑気味に池上さんに視線を送る柳君。

 池上さんは舞地さんの肩を抱き、半ば強引に前へ押し出した。

「ほら」

「ああ……。みんなにも、迷惑を掛けた。ごめんなさい」

 小さな、小さなささやき。

 深く下げられる頭。

 肩が、小刻みに揺れる。

 儚い、切なげな姿。

「という訳よ。これで、みんなも許してあげて」

 朗らかな笑顔で、そう言い放つ池上さん。

 その手が軽く舞地さんの背中を叩く。

「この子も反省してるし、今回はこれで勘弁してよ」

「ごめんなさい……」

 かすれるような声で、そう繰り返す舞地さん。

 冗談や演技ではなく、本心からささやかれる言葉。

 ここにいる人達全員へ向けられる、心からの言葉。

「も、もういいですよ」

 最初に駆け寄ったのは沙紀ちゃんで、サトミやモトちゃんもすぐに彼女を取り囲む。

「私達は、誰も迷惑だなんて思ってませんから」

「サトミの言う通りです。私達はやりたくてやってるんです。舞地さんのためだけじゃなくて、自分がそうしたいから」

「……ありがとう」

 もう一度のささやき。

 柔らかな、暖かな一言。

 顔は伏せられたままで、体の震えも止まってはいない。

 でも。

「頑固娘も謝った事だし、これでいいかしら」

「冷たいな、池上は」

「本当だよ」

「いいじゃない。ねえ、真理依」

「ああ」

 ようやく上げられる、凛々しく整った顔。

 微かに緩む口元。

 それを見て、同じように微笑む池上さん達。

 サトミ達は手を叩いて、みんなをテーブルへ付かせる。


 私は彼女とは距離を置き、その様子を眺めていた。

 はにかみ気味に乾杯する舞地さんを。

 笑顔を取り戻した、女の子を。

 私の家で過ごした時よりも、明るい表情。

 それを自分の力不足と思う気はない。

 彼女さえ元気になれば、それでいい。

 他には何も望まない。

 だから、それを守りたい。

 いや、守って見せる。

 例え自分の力でなくても。

 人に頼ってでも。


「……名雲君達はどうだった」

 隣にいた沢さんが、何気ない感じで尋ねてくる。

 さっきの、クラブでの事を言っているのだろう。

「いきなり殴りかかって、でも向こうも同じで。柳君もそうですし。私にはよく分かりません」

「草薙高校は、結局の所平和だからね。暴れるといってもたかが知れているし、ガーディアンの警備体制も整っている。でも、そうでない学校もたくさんある」

 少し遠くなる眼差し。

 グラスに入ったホットミルクが、微かに減る。

「そして来年度からは、草薙高校もそうなる可能性がある」

「え?」

「理由は色々あるけど、その覚悟はしておいた方がいい。それに対して何かしたいというのなら、僕の力を貸そう。研修という形で、一度他の学校に行ってもいい」

「フリーガーディアンとしての言葉ですか。それとも、沢さんとしての……。済みません」

 沢さんは笑顔で首を振り、グラスを置いた。

 その眼差しは、やはり遠い。

「来年度に状況が悪化するようなら、また話し合おう。その際は、名雲君達にも協力してもらう。君達への指導、かな」

「ショウもですか?」

「ああ。まだまだ彼も甘いからね。遠野さんも、優しいし。それは普通に生きるにはとても大事な事だけれど、それだけでは済まない時もあるから」

「だったら私は、全然駄目ですね。何をしたらいいか、どうしたらいいかも分かってません」

 自嘲気味に答え、ミルクセーキに口を付ける。

 甘い、甘ったるい味。

「それは君だけじゃない。僕だって、現に舞地さんもそうだ。だからみんなが、それを助けている」

「はい」

「この学校を去っていった人達も、これから去ろうとしている人達も。悲壮、身勝手、自己犠牲。そう言われるのを承知で頑張ってきた。僕も、それに応えるだけの事はしたい」

 ミルクセーキの甘い味は変わらない。

 氷が溶けても、甘さは無くならない。


「甘いですね」

「僕がかい。それとも、ミルクセーキが?」

「私が、です。でも、甘くてもいいと思います。厳しいのは、人に任せます」

「それでいい。元野さんに聞かれると困るけど、大事なのは結果だから」

 冗談めいて、そうささやく沢さん。 

 モトちゃんは謝るような仕草を見せ、名雲さんに笑いかけている。

「ワイルドギースの名雲祐蔵と言えば、その名前すら恐怖の存在だったんだけど。彼を怒れる人間が、舞地さん達の他にもいたとはね」

「モトちゃんですから。私もよく怒られてます。私も、怒り返すけど」

「それが君達のいいところだよ」

 楽しそうな、でもどこか寂しげな笑顔。

 ホットミルクの湯気は、頼りなく沢さんの前で立ち上っている。


「前も話した通り、僕らは先輩達の犠牲の上に成り立っている。何かをする権利はない。それを伝えるという、責任以外には。その発想自体が駄目だって言う人もいるけどね」

「私達に、務まると思いますか?引き受けてもないし、能力としても」

「だから、これだけの人間が集まっている。去年の二の舞にならないように。まだ誰も、諦めてはいないんだ。少なくとも、僕達は」

 一気に飲み干されるホットミルク。

 赤らんだ頬はその温かさのためか、それとも。

「仮に君達が駄目でも、その次の手まで考えている。そういった計算と非情さも、僕らは持っている。聞きたくなかったかい?」

「いえ。サトミが、そういう事を少し言ってましたから」

「遠野さん、か。学校としては狙いやすい存在なんだよね。ある意味君以上に熱い性格だし、自分で思っている以上に人が良い。それは雪野さんの方が、分かっているだろうけど」

「ええ。注意はしていますし、そうなってもケイがいますから。あの子が、何かなる前に防いでくれます」

 その名前に、沢さんが微かに眉を動かす。

「玲阿君は?」

「ショウは、難しいのは苦手ですから」

「三島さんから、学内最強の座を引き継いだ男。そして欲のなさも、彼と同じ。まだまだ、甘いけれど」

「辛辣ですね、ショウには」

「惜しいと思ってるんだよ。彼がもっとしっかり構えてくれると、大分楽になる。前よりは強くなったけれど、僕から見れば付け入る隙はいくらでもある。例えば、君との仲を裂くとかね」

 そう言って「冗談だよ」と手を振る。

 私は聞き流そうとして、頷いた。

「そういった手を使ってこないとも限らない。これこそ、力尽くでは何ともならないから」

「ええ。分かります」

「男女の絆というより、君達がどれだけお互いを信頼出来るのか。という、精神的な部分だね」

 つまらなさそうに笑う沢さん。


「済まない。下らない事を言って」

「いえ。あり得ない話では無いと、最近分かって来ましたから。どうすればいいのかは、分かりませんけど」

「それを浦田君がどうフォローするか」

 醒めた眼差しが、ケイへと飛ぶ。

 ジャケットを抱える沙紀ちゃんと、彼女へ何か言っているケイ。

「ワイルドギースですら一目置く存在。でも君達の中にいなければ、本当にただの変わり者だ。よく彼を、使いこなしてるよ。あまり、いい表現じゃないかな」

「勝手にやらせてるだけですから。私達は、何も」

「丹下さんが少しは和らげてくれるといいんだろうけど、難しそうだね」

「沙紀ちゃんも、結構熱いですから」

 ケイの肩を叩き、楽しそうに笑っている。

 男女の仲というよりは、本当に仲のいい友人同士という感じだ。

 首を絞めている、と見えなくもないけど。

「だから木之本君がいると、僕は思うんだけどね」

「あの子は、意外と冷静ですからね。何より、真面目だし」

「ただ彼がいなかったら君達がどこまで無茶をするか、見てみたい気もする」

 楽しそうに笑う沢さん。

 私にとっては笑い事ではなく、曖昧に頷いてみんなに気を配っている木之本君を何となく眺める。

 モトちゃんも含め、あの子がたしなめるからこその部分は確かにある。

 それでも暴れてしまう私達はどうなんだという話にもつながるが。


「沢さんはもう、フリーガーディアンに戻らないんですか」

「どうかな。引っかかっている事があるって前言っただろ。それがある限りは、少なくとも権限だけは持ち続ける」

「それも、過去ですか」

「ああ。ここへ戻ってくるきっかけになった、古い話だよ」       

 寂しげな横顔。

 遠い目は天井を捉え、ため息にもならない息が漏れる。



 何を思っているのかは、分からない。

 分かるのは心の傷と、それを癒せない彼の気持ち。

 それでも戦おうとする、気持ち。

 私にはない強さ。

 持つべきではない強さかもしれない。








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