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それから数日。
例の彼やその仲間が、何かを仕掛けてくる事はなかった。
あちこちのブロックで、トラブルを起こしているという話は除いて。
生徒が少ない分被害は殆ど無いんだけれど、そのため彼等にはガーディアンが監視体制を敷いている。
私達は、「火に油を注ぐ」という理由で、監視班から除外されているが。
「暇そうだね」
可愛らしい顔を緩ませながら、警棒を磨いている柳君。
「暇だよ」
素っ気なく答えるケイ。
ちなみに柳君も暇なので、私達のオフィスに来ているのだ。
舞地さんは相変わらず元気が無く、池上さんとアパートにいるとの事。
名雲さんは例により、レポートと補習。
真面目な人だ。
「お茶をどうぞ」
「ありがとう、遠野さん」
「どういたしまして」
柔らかく微笑み、彼の隣りに腰を下ろすサトミ。
「何か、使ってる?」
「え?」
「その、肌」
切れ長の瞳が、いつにないすごみを増す。
張りのある艶やかな柳君の頬を見据えながら。
「あ、あの。僕は別に。ただ、普通に顔を洗ってるだけだけど」
「どんな」
「え、えと。洗顔料だよ。その辺のスーパーで売ってるような」
「何食べてるの」
あくまで追及の手を緩めない女の子。
柳君は少しずつ椅子を下げるが、サトミもそれに合わせて椅子を進める。
ついに壁際へ詰まる柳君。
サトミは口元を微かに緩め、その手をすっと伸ばした。
指先には、何か白い小さな紙が乗っている。
「大丈夫。肌の状態を調べるだけだから」
「そ、そう」
頬を撫でていく、サトミの白い指先。
その感触と状況に、柳君の頬が赤らんでいく。
サトミは目元を細め、最後に少し力を込めて指を離した。
「……なるほど」
じっと紙に見入り、一人で頷いている。
「脂分やphは普通ね。きめ細かさかしら。次は……」
セカンドバッグから取り出される、細いかみそり。
照明の光を受け、それはサトミの手の中で淡く輝く。
柳君の頬に、光と影を落としながら。
「あ、あの。僕、用事が……」
椅子に足を掛け、サトミを飛び越えていく柳君。
そしてドアを足で開け、転がるようにして部屋を飛び出ていった。
何か叫んでいたようだけど、気のせいだろう。
「ちょっと、うぶ毛を剃ろうとしただけなのに」
「どうだか」
かみそりを持ったまま睨み付けてくるサトミを放っておいて、外を眺めているショウに近寄る。
「どうかしたの」
「あいつらだ」
「え?」
窓を覗き込むが、辺りの通路には人一人いない。
「もっと、教棟の傍」
「ええ?」
背伸びして、ガラスに顔を近付ける。
「冷たっ」
「もういい」
苦笑して、人の腰を持つ人。
次の瞬間、視界が一気に高くなる。
「あ、いた」
教棟の入り口辺り。
この間ショウがやっつけた連中。
そして、例の彼もいる。
「もういいよ」
「ああ」
一気に低くなる視界。
全てが上にあるような気持ち。
というか、元々こうなんだけど。
「どうして」
「何が」
「別に」
まだ何か言いたそうなショウを放っておいて、ケイに近付く。
「ほら、行くわよ」
「俺達は、監視班じゃない。通常の仕事をやってればいい」
あくまでも冷静な一言。
この間、舞地さんの事であれだけ怒っていた人とは思えない程だ。
「あの子もいるのよ。もし何かあったら、舞地さんが困るかも知れないじゃない」
「知らない。ああいう奴は一度、ガツンとやられればいいんだ。それで、少しは目が覚める」
「覚めなかったら」
「それまでの奴って事」
あくまでも素っ気ない答え。
仕方ないので、放っておく。
というか、全員放っておいたら私が放っておかれるんじゃ。
困るなと思っていたら、室内のスピーカーがオンになった。
「I棟D-1ブロックにて、生徒同士のトラブル発生。付近のガーディアンは、至急向かって下さい」
「だって」
同じ内容を繰り返すスピーカーを指さす。
D-1といっても、おそらく玄関辺りだろう。
入ってきて、すぐか。
性質が悪い。
「俺達が行くまでもないと思うんだけどね。監視班も、結構出てるんだし」
「命令なら、仕方ないさ」
「そうね」
なんだかんだといいながら準備をし出すみんな。
私もスティックを背中のアタッチメントに付けて、軽く息を付いた。
彼がいるという事実。
それへの気の重さを、少しは減らせるように……。
場所はやはり、玄関付近。
野次馬も多いが、ガーディアンも多い。
広い玄関ロビーを埋め尽くす野次馬と、彼等を囲むガーディアン。
後ろの方には、怪我をしたガーディアンの姿もある。
「スタンガンか」
舌を鳴らすショウ。
手の甲にある、帯電の跡を見つけたのだ。
軽度の火傷で済んでいるようだけど。
それを警戒してガーディアンは全員グローブを付け、アース線を腰から下げている。
当然私達も、すぐ準備に掛かる。
「爆発しないでしょうね」
「何それ」
「前、いたのよ」
シスター・クリス警備の時を、ふと思い出す。
SP相手に戦うよりましか。
長い黒髪を後ろで束ねながら、サトミが尋ねてくる。
「例の彼は」
「いる。ほら、あそこ」
顎を前の方へ向けるショウ。
バトンや警棒を構えている、下品な笑みを浮かべている男達。
そのやや後方。
警棒を下に向け、気弱そうな顔立ちで様子を窺っている。
「積極的関与は無し。違うか」
「さあ」
「あくまでも、冷静だな」
軽く息を付き、サトミの隣を抜けるショウ。
自然と人垣が割れ、彼の姿は混乱の中央へと進んでいく。
「私達も行くわよ」
「どうなのかしら」
「とにかく、やるしかないって」
私とサトミも、すぐ彼の後を追う。
相手はこの間の5人だけではない。
さらに5名程いて、野次馬の中にも何人か隠れているようだ。
向こうもこちらを見つけ、視線を向けてくる。
先日同様、壁やガラスを叩き割っていたようだ。
舞地さん達を狙っていると聞いたけど、これは彼女達を呼び寄せようという事なのか。
「また、お前らか」
鼻を鳴らし、警棒を担ぐ男達。
ショウは他のガーディアンの前に出て、構えを取った。
それに異議を唱える者は、勿論誰一人いない。
「あまり暴れるようだと、警察に突き出すぞ」
「やって見ろよ」
「そう簡単に出来ると思ってるのか」
見下したような笑い声を出す男達。
あくまでも、この間ショウにやられなかった者だけの笑い声。
虚しい響きである。
「少し待て。こいつらは、舞地の仲間だ」
「ああ……」
それとなく視線が、例の彼へと向けられる。
彼もそれに気付き、ぎこちない仕草で警棒を構えた。
「どういう事」
隣にいるサトミへ、小声で話しかける。
「デモンストレーションじゃないかしら。1、俺はこいつらの仲間だ。2、嫌々やってます。3、元々こういう人間でした」
「2だと思いたいけど」
「そうね」
曖昧に答えるサトミ。
私は何も返さず、男達と向き合っているショウの背中を見つめた。
そして、彼の前に出てきた例の男の子も。
頼りない、とても経験者とは思えない構え。
体は微かに震え、顔も青ざめている。
また、ショウを見る余裕すらないようだ。
「本気か」
あくまでも構えを解かないショウ。
そこには微塵の隙も油断も感じられない。
周りにいる連中に対するプレッシャーだけではなく、目の前の気弱な彼にも。
「ぼ、僕は」
「やらせてるのなら、止めとけ」
気遣いを込めた一言。
男の子の顔が、微かに揺れる。
しかし。
「構うな。殴れ」
「お前なら勝てる。やれやれ」
「ほら、早くしろ」
無責任な野次と笑い声。
それに引きずられるようにして、男の子が前に出る。
上がっていく警棒。
その矛先が、震えながらもショウを向く。
「理由は知らないけど、まだ間に合うぞ」
「う、うるさい」
頼りない勢いで、警棒が縦に振られる。
微かに顎を引くショウ。
そのスペースを、微かな火花が走っていく。
高出力のスタンガンを内蔵しているようだ。
男の子はそれを知らなかったのか、さらに顔を青ざめさせる。
しかし警棒は下がらず、再びショウへと向けられる。
「もう一度言うぞ。止めろ」
「だ、黙れ」
振りかぶられる警棒。
腰をためるショウ。
野次も止まり、異様な緊張感が辺りに張りつめていく。
彼の振る警棒が当たるのかという事よりも。
ショウがどうするのかという期待へ。
いや、好奇心へ。
笑みを深める男達。
そして……。
右足で床を踏み切り、空中で体を翻す。
視界の隅に映る警棒。
そのまま右足を横へ伸ばし、それを足先で払う。
頼りなく宙を舞う警棒。
伸ばしていた右足を振り上げ、一気に振り下ろす。
鈍い音がして、床に亀裂が入る。
私はさらに体をひねり、床へと降り立った。
そして、二つに折れた警棒を蹴り飛ばす。
「下らない事やってるんじゃないわよ」
「な、何を」
腕を押さえながら、怯えた表情を作る男の子。
言わないでいようと思っていた。
言ってはいけないとも。
だけど。
「舞地さんの気持ちを、少しは考えたら」
「そ、それは」
「次は、そこを狙うわよ」
こめかみを指さし、荒い息と共に背を向ける。
もう、顔も見たくない。
彼にはそうするしかない、何か事情があるのかもしれない。
一人苦しむ理由があるのかもしれない。
だけど、動かずにはいられなかった。
言わずにはいられなかった。
後で後悔するのは、もう分かっている。
自分自身、馬鹿な事をしたと思っているから。
でも、構わない。
悩むのは、後にすればいい。
今は、自分のやりたいようにさせてもらう。
かつて舞地さんと、そう話したように。
「き、貴様っ」
血相を変えて突っかかってくる男達。
だがそれは、ショウの足で止められる。
蹴った訳ではない。
頭上で止められたかかとの裏を、見上げているからだ。
震える男以上に、ショウは微動だにしない。
「まずは、お前だ」
「なっ」
「IDを出してもらおうかしら。学校のではなく、個人のIDを」
ショウの足を気にする様子もなく、その下に入るサトミ。
男が何か言いかけるよりも早く、警棒が喉元へ突きつけられる。
「私はこの子ほど、腕がないから。手加減なんてしないわよ」
「わ、分かった」
「ゆっくりと出しなさい。……そう、床へ放って。彼だけではなく、全員。これは指示ではなく、命令だと思いなさい」
低い、妥協の余地を感じさせない凛とした口調。
その表情にはショウに劣らぬ気迫と威厳を漂わせている。
またそれに逆らえる者など、この場にはいないだろう。
床にIDの落ちる音がして、ガーディアン達が回収に向かう。
「また暴れるようなら、警察へ提出するわ。言っておくけど偽造だからって、安心しない事ね。そこから情報を辿って本人を確認する事くらい、私にはたやすいわよ」
彼女の表情から何を感じ取ったのか、男達の顔が青ざめていく。
まるで会ってはいけない者と出会ってしまったかのように。
後悔でも不安でもない、絶望にも似た顔付き。
漏れるのはため息ではなく、呻き声。
誰を相手にしたのか、これでようやく分かっただろう。
「行きなさい」
ドアを指さすサトミ。
男達は捨て台詞を残す余裕もなく、青白い顔のままで教棟を出ていった。
残ったのはガーディアンと野次馬。
そして、例の彼。
「これ、どうする」
いつの間にか彼の腕を取っていた阿川君が、笑いながら話しかけてくる。
ちらっと姿は見えたが、ちゃんとサポートしてくれていたようだ。
彼の隣には、グローブを外している山下さんもいる。
「取りあえず、連れて行って下さい。私達も、付いていきますから」
「襲撃にあうのは困るけど、仕方ない」
「いいから。こっちよ」
優しく先導する山下さん。
阿川君は指錠や捕縛道具こそ使わないが、彼から離れようとしない。
先輩なので普通は「さん」付けするんだけれど、この人はなんとなく「君」というイメージだ。
勿論「阿川さん」と呼ぶ時もあるが。
とにかく、私達も行くとしよう。
I棟D-1、生徒会ガーディアンズオフィス。
Dブロック全体を管轄するポジションであり、阿川君はそこの副隊長。
山下さんは、彼の補佐。
そして隊長は。
「連れて来たんですか」
やや険しい眼差しを彼に送る、Dブロック隊長の沙紀ちゃん。
阿川君は甘い笑みを浮かべ、彼を引き渡した。
「話を聞くだけさ。遠野さん、そうだろ」
「ええ。私達は、警察ではありませんから」
「だ、そうだ。空いてる部屋を使おう」
奥へと連れて行かれる彼。
それを見送りつつ、背中のスティックを外す。
「被害は?」
「ガーディアンが少しやられたみたい。それとは建物も。報告書は、後で私達が提出する」
「分かった」
小さく頷き、端末にメモ書きする沙紀ちゃん。
彼女の表情は、未だ勝れない。
「まだ怒ってるの?」
「そうでもないけど。面白くはない」
「それを、怒ってるっていうのよ」
笑いながら、彼女の肩を叩くサトミ。
かくいう自分はさっきあれほどの迫力を出していたのに、今は元の綺麗な女の子に戻っている。
「いきなり跳び蹴りをする人もいるし」
「玲阿君?」
「いや」
私の顔を指さしてくるショウ。
半ば、呆れ気味に。
「だ、だって。腹が立って」
「言い訳にもなってない……」
「そう?いいじゃない。ねえ」
ショウとは対照的に、何とも嬉しそうな沙紀ちゃん。
やはり先日の一件が、まだ引っかかっていたようだ。
「頭を叩き割られ無かっただけ、ましだと思ってもらわないと」
「あの。私は、そこまで無茶はしないけど」
「だと、いいわね」
ぽそりと呟くサトミ。
仕方ないので、彼女の脇をくすぐってごまかす。
「な、なにするのよ」
「いいじゃない。サトミも怒ったんだし」
「私は別に。ただ、IDを取り上げただけじゃない」
「ID無して、どうやって生活しろっていうの」
私の質問には答えず、奥へと消えていく黒髪の少女。
ショウもため息を付きながら、後を追う。
「それで、浦田は?」
「さあ。途中からいなくなった。その辺で、草でも食べてるんじゃない」
「猫じゃないんだかから」
とはいえおかしいので、つい笑う。
ふらりといなくなるところは、確かに猫だよね。
このまま帰ってこなくても、納得出来るし……。
オフィス内にある、小さな部屋。
中には机と椅子、後は記録装置がある程度。
普段はトラブル当事者の聴取などを行っている場所で、今はまさにその目的に沿って利用している。
赤いジャケットと、擦り切れたジーンズ。
染められた茶色の髪。
怯えたような表情で、机の上にあるマグカップを見つめている。
いや、視線がそちらへ向いているだけだろう。
「どうですか」
サトミの問い掛けに、彼と向かい合っていた阿川君が肩をすくめる。
「黙秘権を行使したいらしい。弁護士でも呼ぶか?」
「阿川君」
「はいはい」
山下さんにたしなめられ、席を立つ。
元々、大してやる気もなかったようだ。
「遠野さん、代わる?」
「そうですね」
髪をたなびかせ、彼の前に腰を下ろすサトミ。
先程の彼女の印象が残っているのか、怯えの表情がさらに強まる。
「何もしないわ。舞地さんの事もあるし」
「ぼ、僕は」
だがそこで言葉は終わる。
サトミはかまわず、記録用のDDを動かし始めた。
「規則に従って、一応録るわ。どこにも報告はしないけれど、私達も不正を行わないという事を分かってもらうために」
彼の言葉を待たず、白紙のプリントとペンを渡す。
「名前と、現住所を書いて。後、今回の謝罪文。それで終わりよ」
「サトミ」
「だったら、被害届を出す?」
彼を見据えたまま返してくるサトミ。
私は「当然だ」と言いかけて、止めた。
彼女の言う通り、舞地さんの事を考えたら。
もしかして、それを逆手に取られているのだろうか。
でもサトミは何も言わず、彼が走らせるペンの動きをじっと見つめている。
「どうよ」
「何が」
壁にもたれていたショウは、苦笑して私の足を指さした。
「被害届を出すのは、向こうじゃないのか」
「警棒を叩き折っただけじゃない」
「損害賠償かな」
「もう」
鳩尾に裏拳を叩き込み、言葉を止めさせる。
勿論それは、厚い腹筋で止められたけれど。
「無茶苦茶だな」
「いいの。他の事は知らないけど、今回だけはやらせてもらう。例え、どういう結果になっても」
「なるほどね」
共感混じりの呟き。
私は彼の肩にそっと触れ、男の子の背中を見つめた。
「……出来た」
紙とペンを差し出す男の子。
サトミの瞳が、鋭さを増す。
「IDも貸して」
「そ、それは」
「チェックだけよ」
差し出された綺麗な手の平に、おずおずとカードが置かれる。
サトミはそれを記録用の端末でスキャンして、彼に返した。
「私からは、以上よ。丹下ちゃんは」
「別に、聞きたい事はない」
素っ気ない一言。
だがその眼差しは、いつになく険しい。
「阿川さん達は」
「俺も、特に無し」
「そうね」
頷き合う二人。
私とショウも、同じようにサトミへ目線で答える。
「帰って結構よ」
「わ、分かった」
「話せない事情があるのなら、私達も考慮する。ただし舞地さんを利用する気なら、覚悟しておきなさい」
氷の刃と化すサトミの台詞。
男の子は顔を伏せたまま立ち上がり、頼りない足取りでドアへと向かった。
「あ」
ドアを開けた彼が、小さな声を上げる。
丁度入ってこようとしていたケイと、鉢合わせになったのだ。
「もう帰すの」
彼を視界に収めながらの質問。
沙紀ちゃんの合図を見て、ケイも頷く。
「どうぞ」
慇懃な態度で下がり、彼を通す。
男の子はぎこちなく一礼して、部屋を出ていった。
ケイは閉まったドアを、ずっと見続けている。
「どこ行ってたの」
「さっき回収したIDのチェック。偽装データでも本人が確認出来る。なんて見栄を切った人がいたから、ずっと情報局の人間に捕まってた」
「冗談に決まってるじゃない」
事も無げに言ってのけるサトミ。
ケイは鼻で笑い、男の子が座っていた席に付いた。
つまり、サトミの前に。
「で、何だって」
「話は聞いてないわ」
「人がいい事で」
謝罪文が書かれた誓約書を指で弾き、興味なさげにそれを端へ寄せる。
「それで、彼等は」
「IDは本物。学校へ生徒登録はしてないけれど、短期留学の形を取ってる」
「もう休みよ」
「受け入れたのは学校だから。去年からのトラブルで、多少何かあるんじゃないの」
あくまでも関心のない態度。
そのまま机に伏せ、大きく息を付く。
サトミも暇そうに、その毛を一本引っ張った。
「痛い」
「白髪よ」
「どれが」
「ごめん、捨てちゃった」
すっとぼける女の子。
ケイは舌を鳴らして、頭を掻きむしった。
「止めて」
「俺の台詞だ」
「あ、そう」
軽く返して立ち上がるサトミ。
そして手にした髪の毛を見て、「わら人形」とか呟いている。
「本気?」
「冗談よ。でも、面白そうでしょ」
「まあ、そうね」
悪い笑顔を浮かべる沙紀ちゃん。
私も一緒に、へへと笑う。
「君達は、楽しそうだな」
その言葉通り、阿川君が楽しそうに笑っている。
彼の隣にいる、山下さんも。
「トラブルがあったんだろ。今の子と」
「ええ。でも、何とかします」
「なるほど」
軽く頷き、警棒を手の中で転がしている。
「ん、どうかした?」
「二本差してないんですね」
「不器用なんだよ、俺。……その話、誰から聞いた」
「塩田さん達から」
簡単に、この間聞いた話を彼等にも伝える。
勿論全部ではなく、二人に関係する部分だけを。
「学校と、ね。俺はただ、少し手伝っただけだから」
「私も。塩田君達は、もっと色々あったようだけど」
「俺みたいな小物には関係ない」
冗談めいて笑う阿川君。
そこに塩田さん達が持つ翳りや重い雰囲気は、あまり感じられない。
ただ彼は表情を読み取りにくいので、その内心は分からないが。
「雪野さん達は、その後を継ぐ気なの?」
「決めた訳ではないですけど」
「まあ、頑張る事だよ。俺には関係ない」
あくまでも素っ気ない態度。
山下さんがそれを咎めるような視線を向けるが、気にした様子はない。
「俺は俺、塩田達は塩田達。その能力も役割も違う。分っていうのを弁えてるんだよ、俺は」
「私達……、私にその資格はないと」
「そうじゃない。現に去年の塩田は、単なる屋神さんの後輩という立場に過ぎなかった。勿論学内で際だった存在ではあったけど、人を率いるような雰囲気ではなかった」
淡々と語る阿川君。
その間も警棒は、彼の手の中で転がり続ける。
「それが今やガーディアン連合の代表で、来期からは議長。他の連中も、おそらく局長になるだろう。俺はそこまでの責任を負う気もないし、能力もない。また、理由もね」
「理由、ですか」
「ああ。塩田達は、屋神さんや間さん達のためにという意識がどこかにある。でも俺は、学校に危険視されてまで貫きたい信念は持ってない」
自嘲とも取れる口調。
だが彼の表情は、微かにも緩んではいない。
事実を語るという、醒めた態度の他は。
「結局大事なのは、自分さ。頑張って成果を残しても、退学になったら意味がない。その自己満足で生きていけるのなら、別だけどね」
「阿川君、言い過ぎよ」
「ああ、悪い」
「でも、彼の言う事も外れてはいないわ。何もしなかった私達が言うのもなんだけど」
少し寂しげに笑う山下さん。
その拳をもう片方の手で包み、顔を伏せる。
何かを堪えるように。
またそれは、冷静な素振りを見せる阿川君も同様に。
「頑張っても、一生懸命やっても。それが必ず報われる訳じゃない。そういう、悲観的な考え方もあるわ」
「だけど。私は頑張りたいんです。舞地さんのためにも」
「ええ。そうね」
彼女の顔から寂しさは消えない。
普段の明るい彼女からは想像しづらい一面。
阿川君の醒めた態度も、ここまで冷ややかなのは珍しい。
「止めはしないけど、俺達みたいにはならないように」
「え?」
「置いてけぼりを喰らうって事さ。自分で乗らなかったっていう面もあるけれど」
「それは、去年の話ですか」
曖昧に笑う阿川君と山下さん。
私はそれ以上何も聞けず、顔を伏せた。
彼等の言葉が、よく分かっているから。
気持ちだけでどうにかなる訳ではない。
頑張ったからといって、それが結果に結びつくとは限らない。
大切なのは、最後にどうなるか。
今の私に、それを成し遂げられるだけの力があるのかどうか。
舞地さんを守る事が、私に出来るのか。
人に頼るだけではなく、自分の力で。
そして塩田さん達の気持ち。
それを、どうするのか。
「また、怖い顔して」
「え?」
鼻先をつつく、白い指先。
それがサトミの指だと気付いた時には、鼻がへこんでいた。
「……骨がない」
真顔で人の鼻を押すサトミ。
私はその手を払って、彼女の鼻を押した。
「あるじゃない」
「ユウのがよ」
「また、冗談を」
笑いながら、自分の鼻を押してみる。
……あれ。
「イカみたいな鼻ね」
「ちょっと」
ショウを呼び寄せ、彼の高い鼻を押す。
……ある。
それも、しっかりした物が。
「おかしいな」
「別に無くてもいいだろ」
「あってもいいでしょ」
自分の鼻を押し、少し唸る。
これは問題だ。
かといって、鼻だけ整形しても余計変だし。
大体、痛いのは絶対に嫌だ。
お金をもらっても、やりたくない。
「……楽しそうだね」
「え?」
そう阿川君に尋ねられ、鼻を押さえていた手を離す。
先程の深刻さも重苦しさも、すっかり忘れていた。
「す、済みません」
「いいよ。だから、君達はいいのかな」
「どういう事ですか」
「仲間がいるっていう意味で。落ち込んでても悩んでいても、誰かが何とかしてくれる。自分だけでどうにかするっていう、悲壮感がない。去年の彼等みたいに」
微かに緩む口元。
優しい、暖かな笑顔。
その隣で笑っている山下さんも、また。
「俺こそ悪いね、柄にもない事言って」
「いえ」
「この人も、少しは気にしてるのよ。雪野さん達の事を」
くすくす笑う山下さん。
阿川君は素知らぬ顔で、警棒を回している。
「それで、傭兵だけど。危ない連中だから、注意はしておいた方がいい」
「分かりました」
「君達なら、大丈夫だろうけどね」
もう一度見られる、優しい笑顔。
私達を気遣ってくれる、見守ってくれている人達。
自分達だけで頑張る必要はない。
一人で気負わなくていい。
だから……。
みんなと別れ、一人で学校の外へ出る。
どうしても行きたい用事があったから。
息を整え、インターフォンを押す。
「……開いてる」
静かな答え。
私はドアを開け、部屋の中へと入った。
落ち着いた色彩で統一された室内。
壁に掛かる風景画や、ラックの上に置かれる猫の小物。
部屋の中央にはこたつがあり、気だるそうな表情をした女性が座っている。
「ご飯食べた?」
「まだ、そんな時間じゃない」
小さな声と、変化のない表情。
私は襟に巻いていたマフラーを取り、彼女の首へ掛けた。
「じゃあ、行こう」
「どこへ」
「いいから、ほら」
並んで玄関に立ち、インターフォンを押す。
「開いてるわよ」
さっきとは違う、元気な声。
「分かってる」
「子供の遊びに付き合ってる暇は……」
強い口調と共にドアを開けたお母さんは、すぐさま笑顔になって頭を下げた。
「あら、いらっしゃい。優ちゃん、帰ってくるなら連絡しないと」
「誰が優ちゃんよ。いいから、ご飯」
「はいはい。さあ、どうぞ」
私を押しのけ、家の中へ入っていくお母さん。
女性はお母さんに肩を抱かれながら、戸惑い気味に私を振り返る。
「いいから、いいから。お父さんは」
「いるわよ。プラモデル作ってるわ」
「いくつなの、あの人は」
二人で笑いつつ、奥へ進む。
戸惑いから戻らない、舞地さんと共に。
食事の並んだキッチンのテーブル。
お父さんとお母さんは隣同士。
私と舞地さんも、隣同士。
ちなみに今彼女が座っている場所は、いつもならサトミが座っている。
「一人娘が帰ってきたんだし、カニくらい出してよ」
「食べたいなら、海に行って来なさい。真冬の日本海へ」
冷徹に返してくるお母さん。
無茶苦茶な人だ。
勿論、私も。
でもいいや、モツ鍋も美味しいし。
このモツの、脂の部分が何とも。
「優、危ないよ」
いまいちパワーに欠ける電気コンロを指でつついていたら、お父さんが真顔で言ってきた。
「大丈夫だって。別に、電熱の部分じゃないんだし」
「そうだけど。とにかく、危ないから」
「はい」
ここは素直に返事をして、つつくを止める。
反抗期でもないし、大体こんな事を反抗したくない。
「どうぞ」
空になっていた舞地さんのグラスに、お父さんがビールを注いだ。
舞地さんは、両手でそれを持ち頭を下げる。
「ありがとうございます」
「黒ビールとかもありますよ」
「いえ、私はそれ程飲めませんから」
少しだけ口を付け、グラスを置く舞地さん。
箸も、それ程進んでいない。
「もっと、あっさりした物の方がよかったかしら」
優しく尋ねるお母さんに、舞地さんは小さく首を振った。
「ちょっと、食欲がないんです。申し訳ありません」
「いいのよ。じゃあこれは片付けて、果物でも食べましょうか」
てきぱきと片付け出すお母さん。
お父さんもそれを手伝い、私は残り物を適当に食べていく。
「優も手伝って」
「主婦の仕事でしょ」
「子供の仕事でもあるわ」
なかなかに鋭いな。
それに断る理由も別段無いので、食器を重ねてシンクへ運んでいく。
「私も」
「舞地さんはいいよ。リビングで、TVでも見てて」
小さく頷いた彼女の背中は、リビングへと消える。
「どうかしたの?」
耳元で尋ねてくるお母さん。
私は簡単に、今までの経緯を告げた。
「あなたが人の世話焼き、ね。その逆なら分かるけど」
「私は日々成長してるの。昔の私とは違うのよ」
「体格も?」
ははと笑うお母さん。
私も、へへと笑う。
お互いに小さい体を触りあい、「はあ」とため息を付く。
「ど、どうしたの。二人とも」
「なんでもない」
同時に答え、食器を洗っていく。
何を察知したのかお父さんは台拭きを持って、そそくさと行ってしまった。
でもこの責任の半分は、あなたにもあるんだよ……。
リビングで話をしていても、舞地さんはいまいち表情が勝れない。
話し掛ければ返してくるし、少しは笑う。
でもそれは寂しげな、切ない笑顔。
いつもの素っ気ないけれど優しい彼女の表情とは、全然違う。
「練乳は」
「はい」
仕方ないわねという顔をするお母さん。
これなくしてイチゴを食べる方が、仕方ない。
お父さんは牛乳に砂糖を入れて、それと一緒に食べている。
邪道だ。
「どうしたの」
イチゴを手にしてじっと見つめている舞地さん。
私の呼び掛けも、聞こえていないようだ。
「舞地さん」
「え?」
「どうかしたの?」
小さく首を振り、微かに口元を緩める。
寂しげに。
「綺麗だなと思って」
「え?」
今度は私が、イチゴを持って固まる。
綺麗?
美味しいじゃなくて?
どういう発想?
「優には分からないわよ、そういう感性は」
人以上にパクパク食べていた人が、くすくす笑う。
それはむかつくが、確かに私には薄い感性だ。
「おかしいですか」
少し不安げに尋ねる舞地さん。
お母さんは首を振って、イチゴを灯りにかざした。
「赤と緑。そして薄い毛は光に輝き、その光沢は宝石のよう。なんて、感じ」
「同感です」
舞地さんは小さく頷き、イチゴを頬張った。
微かな微笑み。
寂しげではない笑顔。
「……ご飯は、毎日食べられる?」
唐突なお父さんの質問。
「は、はい」
困惑しつつ頷く舞地さん。
お父さんはそれでも、心配そうに彼女を見つめている。
「僕らも大した事は出来ないけど、寝る場所やご飯くらいなら面倒を見られるから。遠慮無く言ってきて」
真顔、真剣な口調、暖かな眼差し。
……この人、なんか勘違いしてないか。
「お父さん。舞地さんは毎日ご飯も食べられて、寝る場所もあるの。お金だって、もしかしたらお父さんよりたくさん持ってるくらいよ」
「そ、そうなの。僕はてっきり」
「もう」
ため息を付き、謝ろうと舞地さんへ顔を向ける。
そこにあるのはやはり笑顔。
怒っても、屈辱に震える表情でもない。
楽しげな笑顔。
「ありがとうございます。色々、気を遣っていただいて」
丁寧に頭を下げる舞地さん。
お母さんは優しく微笑んで、廊下の方を指さした。
「お風呂沸いてるから。先に入って」
「済みません」
お母さんに付き添われ、舞地さんはリビングを出ていった。
「……馬鹿」
「だ、だって。僕はそういう事に詳しくないから。子供が全国を渡り歩くなんて聞いたら、普通は心配するよ。ニュースとかでも、あまりいい生活環境じゃないってやってるし」
「舞地さん達は別格なの。すごいの」
「何が」
そう尋ねられ、言葉が詰まる。
そういえば、知らない。
彼女の過去も、今まで何をやってきたかも。
どんな人かと尋ねられれば答えられるし、どれほど素敵な人かもよく分かってる。
でも、彼女はどうしてすごいのか。
何故別格なのか。
私の心情的な事だけではなく、今回狙われている事も含め。
「さあ」
「あの、優さん」
「いいの。とにかく舞地さんはすごい人なの。もう、私なんて問題にならないくらい。わーって」
ごまかしついでに、適当に叫ぶ。
「いや、優もなかなかだよ」
妙に真剣な顔で言ってくれるお父さん。
親馬鹿というか、でも嬉しいというか。
それにしても舞地さん、か。