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スクールガーディアンズ  作者: 雪野
第11話
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11-4






     11-4




 それから数日。

 例の彼やその仲間が、何かを仕掛けてくる事はなかった。

 あちこちのブロックで、トラブルを起こしているという話は除いて。

 生徒が少ない分被害は殆ど無いんだけれど、そのため彼等にはガーディアンが監視体制を敷いている。

 私達は、「火に油を注ぐ」という理由で、監視班から除外されているが。


「暇そうだね」

 可愛らしい顔を緩ませながら、警棒を磨いている柳君。

「暇だよ」

 素っ気なく答えるケイ。

 ちなみに柳君も暇なので、私達のオフィスに来ているのだ。

 舞地さんは相変わらず元気が無く、池上さんとアパートにいるとの事。

 名雲さんは例により、レポートと補習。

 真面目な人だ。

「お茶をどうぞ」

「ありがとう、遠野さん」

「どういたしまして」

 柔らかく微笑み、彼の隣りに腰を下ろすサトミ。

「何か、使ってる?」

「え?」

「その、肌」

 切れ長の瞳が、いつにないすごみを増す。

 張りのある艶やかな柳君の頬を見据えながら。

「あ、あの。僕は別に。ただ、普通に顔を洗ってるだけだけど」

「どんな」

「え、えと。洗顔料だよ。その辺のスーパーで売ってるような」

「何食べてるの」

 あくまで追及の手を緩めない女の子。

 柳君は少しずつ椅子を下げるが、サトミもそれに合わせて椅子を進める。

 ついに壁際へ詰まる柳君。

 サトミは口元を微かに緩め、その手をすっと伸ばした。

 指先には、何か白い小さな紙が乗っている。

「大丈夫。肌の状態を調べるだけだから」

「そ、そう」

 頬を撫でていく、サトミの白い指先。

 その感触と状況に、柳君の頬が赤らんでいく。

 サトミは目元を細め、最後に少し力を込めて指を離した。


「……なるほど」

 じっと紙に見入り、一人で頷いている。

「脂分やphは普通ね。きめ細かさかしら。次は……」

 セカンドバッグから取り出される、細いかみそり。

 照明の光を受け、それはサトミの手の中で淡く輝く。

 柳君の頬に、光と影を落としながら。

「あ、あの。僕、用事が……」

 椅子に足を掛け、サトミを飛び越えていく柳君。

 そしてドアを足で開け、転がるようにして部屋を飛び出ていった。

 何か叫んでいたようだけど、気のせいだろう。


「ちょっと、うぶ毛を剃ろうとしただけなのに」

「どうだか」

 かみそりを持ったまま睨み付けてくるサトミを放っておいて、外を眺めているショウに近寄る。

「どうかしたの」

「あいつらだ」

「え?」

 窓を覗き込むが、辺りの通路には人一人いない。

「もっと、教棟の傍」

「ええ?」

 背伸びして、ガラスに顔を近付ける。

「冷たっ」

「もういい」 

 苦笑して、人の腰を持つ人。

 次の瞬間、視界が一気に高くなる。

「あ、いた」

 教棟の入り口辺り。

 この間ショウがやっつけた連中。

 そして、例の彼もいる。

「もういいよ」

「ああ」

 一気に低くなる視界。

 全てが上にあるような気持ち。

 というか、元々こうなんだけど。

「どうして」

「何が」

「別に」

 まだ何か言いたそうなショウを放っておいて、ケイに近付く。

「ほら、行くわよ」

「俺達は、監視班じゃない。通常の仕事をやってればいい」

 あくまでも冷静な一言。

 この間、舞地さんの事であれだけ怒っていた人とは思えない程だ。

「あの子もいるのよ。もし何かあったら、舞地さんが困るかも知れないじゃない」

「知らない。ああいう奴は一度、ガツンとやられればいいんだ。それで、少しは目が覚める」

「覚めなかったら」

「それまでの奴って事」 

 あくまでも素っ気ない答え。

 仕方ないので、放っておく。 

 というか、全員放っておいたら私が放っておかれるんじゃ。


 困るなと思っていたら、室内のスピーカーがオンになった。

「I棟D-1ブロックにて、生徒同士のトラブル発生。付近のガーディアンは、至急向かって下さい」

「だって」

 同じ内容を繰り返すスピーカーを指さす。

 D-1といっても、おそらく玄関辺りだろう。

 入ってきて、すぐか。

 性質が悪い。

「俺達が行くまでもないと思うんだけどね。監視班も、結構出てるんだし」

「命令なら、仕方ないさ」

「そうね」

 なんだかんだといいながら準備をし出すみんな。

 私もスティックを背中のアタッチメントに付けて、軽く息を付いた。

 彼がいるという事実。

 それへの気の重さを、少しは減らせるように……。



 場所はやはり、玄関付近。

 野次馬も多いが、ガーディアンも多い。

 広い玄関ロビーを埋め尽くす野次馬と、彼等を囲むガーディアン。 

 後ろの方には、怪我をしたガーディアンの姿もある。

「スタンガンか」

 舌を鳴らすショウ。

 手の甲にある、帯電の跡を見つけたのだ。

 軽度の火傷で済んでいるようだけど。

 それを警戒してガーディアンは全員グローブを付け、アース線を腰から下げている。

 当然私達も、すぐ準備に掛かる。

「爆発しないでしょうね」

「何それ」

「前、いたのよ」

 シスター・クリス警備の時を、ふと思い出す。

 SP相手に戦うよりましか。   


 長い黒髪を後ろで束ねながら、サトミが尋ねてくる。

「例の彼は」

「いる。ほら、あそこ」

 顎を前の方へ向けるショウ。

 バトンや警棒を構えている、下品な笑みを浮かべている男達。 

 そのやや後方。

 警棒を下に向け、気弱そうな顔立ちで様子を窺っている。

「積極的関与は無し。違うか」

「さあ」

「あくまでも、冷静だな」

 軽く息を付き、サトミの隣を抜けるショウ。

 自然と人垣が割れ、彼の姿は混乱の中央へと進んでいく。

「私達も行くわよ」

「どうなのかしら」

「とにかく、やるしかないって」

 私とサトミも、すぐ彼の後を追う。


 相手はこの間の5人だけではない。

 さらに5名程いて、野次馬の中にも何人か隠れているようだ。

 向こうもこちらを見つけ、視線を向けてくる。

 先日同様、壁やガラスを叩き割っていたようだ。

 舞地さん達を狙っていると聞いたけど、これは彼女達を呼び寄せようという事なのか。

「また、お前らか」 

 鼻を鳴らし、警棒を担ぐ男達。

 ショウは他のガーディアンの前に出て、構えを取った。 

 それに異議を唱える者は、勿論誰一人いない。

「あまり暴れるようだと、警察に突き出すぞ」

「やって見ろよ」

「そう簡単に出来ると思ってるのか」

 見下したような笑い声を出す男達。

 あくまでも、この間ショウにやられなかった者だけの笑い声。

 虚しい響きである。


「少し待て。こいつらは、舞地の仲間だ」

「ああ……」 

 それとなく視線が、例の彼へと向けられる。

 彼もそれに気付き、ぎこちない仕草で警棒を構えた。

「どういう事」

 隣にいるサトミへ、小声で話しかける。

「デモンストレーションじゃないかしら。1、俺はこいつらの仲間だ。2、嫌々やってます。3、元々こういう人間でした」

「2だと思いたいけど」

「そうね」 

 曖昧に答えるサトミ。

 私は何も返さず、男達と向き合っているショウの背中を見つめた。

 そして、彼の前に出てきた例の男の子も。


 頼りない、とても経験者とは思えない構え。 

 体は微かに震え、顔も青ざめている。

 また、ショウを見る余裕すらないようだ。

「本気か」

 あくまでも構えを解かないショウ。

 そこには微塵の隙も油断も感じられない。

 周りにいる連中に対するプレッシャーだけではなく、目の前の気弱な彼にも。

「ぼ、僕は」

「やらせてるのなら、止めとけ」

 気遣いを込めた一言。

 男の子の顔が、微かに揺れる。

 しかし。

「構うな。殴れ」

「お前なら勝てる。やれやれ」

「ほら、早くしろ」

 無責任な野次と笑い声。

 それに引きずられるようにして、男の子が前に出る。

 上がっていく警棒。

 その矛先が、震えながらもショウを向く。

「理由は知らないけど、まだ間に合うぞ」

「う、うるさい」

 頼りない勢いで、警棒が縦に振られる。

 微かに顎を引くショウ。

 そのスペースを、微かな火花が走っていく。

 高出力のスタンガンを内蔵しているようだ。

 男の子はそれを知らなかったのか、さらに顔を青ざめさせる。

 しかし警棒は下がらず、再びショウへと向けられる。

「もう一度言うぞ。止めろ」

「だ、黙れ」

 振りかぶられる警棒。

 腰をためるショウ。

 野次も止まり、異様な緊張感が辺りに張りつめていく。

 彼の振る警棒が当たるのかという事よりも。

 ショウがどうするのかという期待へ。

 いや、好奇心へ。 

 笑みを深める男達。

 そして……。



 右足で床を踏み切り、空中で体を翻す。 

 視界の隅に映る警棒。

 そのまま右足を横へ伸ばし、それを足先で払う。

 頼りなく宙を舞う警棒。

 伸ばしていた右足を振り上げ、一気に振り下ろす。

 鈍い音がして、床に亀裂が入る。 

 私はさらに体をひねり、床へと降り立った。

 そして、二つに折れた警棒を蹴り飛ばす。

「下らない事やってるんじゃないわよ」

「な、何を」

 腕を押さえながら、怯えた表情を作る男の子。

 言わないでいようと思っていた。 

 言ってはいけないとも。 

 だけど。

「舞地さんの気持ちを、少しは考えたら」

「そ、それは」

「次は、そこを狙うわよ」

 こめかみを指さし、荒い息と共に背を向ける。

 もう、顔も見たくない。

 彼にはそうするしかない、何か事情があるのかもしれない。

 一人苦しむ理由があるのかもしれない。

 だけど、動かずにはいられなかった。

 言わずにはいられなかった。

 後で後悔するのは、もう分かっている。

 自分自身、馬鹿な事をしたと思っているから。

 でも、構わない。

 悩むのは、後にすればいい。

 今は、自分のやりたいようにさせてもらう。

 かつて舞地さんと、そう話したように。


「き、貴様っ」

 血相を変えて突っかかってくる男達。

 だがそれは、ショウの足で止められる。

 蹴った訳ではない。

 頭上で止められたかかとの裏を、見上げているからだ。

 震える男以上に、ショウは微動だにしない。

「まずは、お前だ」

「なっ」

「IDを出してもらおうかしら。学校のではなく、個人のIDを」

 ショウの足を気にする様子もなく、その下に入るサトミ。

 男が何か言いかけるよりも早く、警棒が喉元へ突きつけられる。

「私はこの子ほど、腕がないから。手加減なんてしないわよ」

「わ、分かった」

「ゆっくりと出しなさい。……そう、床へ放って。彼だけではなく、全員。これは指示ではなく、命令だと思いなさい」

 低い、妥協の余地を感じさせない凛とした口調。

 その表情にはショウに劣らぬ気迫と威厳を漂わせている。

 またそれに逆らえる者など、この場にはいないだろう。

 床にIDの落ちる音がして、ガーディアン達が回収に向かう。

「また暴れるようなら、警察へ提出するわ。言っておくけど偽造だからって、安心しない事ね。そこから情報を辿って本人を確認する事くらい、私にはたやすいわよ」

 彼女の表情から何を感じ取ったのか、男達の顔が青ざめていく。 

 まるで会ってはいけない者と出会ってしまったかのように。

 後悔でも不安でもない、絶望にも似た顔付き。

 漏れるのはため息ではなく、呻き声。

 誰を相手にしたのか、これでようやく分かっただろう。


「行きなさい」

 ドアを指さすサトミ。

 男達は捨て台詞を残す余裕もなく、青白い顔のままで教棟を出ていった。

 残ったのはガーディアンと野次馬。

 そして、例の彼。

「これ、どうする」

 いつの間にか彼の腕を取っていた阿川君が、笑いながら話しかけてくる。

 ちらっと姿は見えたが、ちゃんとサポートしてくれていたようだ。

 彼の隣には、グローブを外している山下さんもいる。

「取りあえず、連れて行って下さい。私達も、付いていきますから」

「襲撃にあうのは困るけど、仕方ない」

「いいから。こっちよ」

 優しく先導する山下さん。

 阿川君は指錠や捕縛道具こそ使わないが、彼から離れようとしない。

 先輩なので普通は「さん」付けするんだけれど、この人はなんとなく「君」というイメージだ。

 勿論「阿川さん」と呼ぶ時もあるが。

 とにかく、私達も行くとしよう。



 I棟D-1、生徒会ガーディアンズオフィス。

 Dブロック全体を管轄するポジションであり、阿川君はそこの副隊長。

 山下さんは、彼の補佐。

 そして隊長は。

「連れて来たんですか」

 やや険しい眼差しを彼に送る、Dブロック隊長の沙紀ちゃん。 

 阿川君は甘い笑みを浮かべ、彼を引き渡した。

「話を聞くだけさ。遠野さん、そうだろ」

「ええ。私達は、警察ではありませんから」

「だ、そうだ。空いてる部屋を使おう」

 奥へと連れて行かれる彼。

 それを見送りつつ、背中のスティックを外す。

「被害は?」

「ガーディアンが少しやられたみたい。それとは建物も。報告書は、後で私達が提出する」

「分かった」

 小さく頷き、端末にメモ書きする沙紀ちゃん。

 彼女の表情は、未だ勝れない。

「まだ怒ってるの?」

「そうでもないけど。面白くはない」

「それを、怒ってるっていうのよ」

 笑いながら、彼女の肩を叩くサトミ。

 かくいう自分はさっきあれほどの迫力を出していたのに、今は元の綺麗な女の子に戻っている。

「いきなり跳び蹴りをする人もいるし」

「玲阿君?」

「いや」

 私の顔を指さしてくるショウ。  

 半ば、呆れ気味に。

「だ、だって。腹が立って」

「言い訳にもなってない……」

「そう?いいじゃない。ねえ」

 ショウとは対照的に、何とも嬉しそうな沙紀ちゃん。

 やはり先日の一件が、まだ引っかかっていたようだ。

「頭を叩き割られ無かっただけ、ましだと思ってもらわないと」

「あの。私は、そこまで無茶はしないけど」

「だと、いいわね」

 ぽそりと呟くサトミ。

 仕方ないので、彼女の脇をくすぐってごまかす。

「な、なにするのよ」

「いいじゃない。サトミも怒ったんだし」

「私は別に。ただ、IDを取り上げただけじゃない」

「ID無して、どうやって生活しろっていうの」

 私の質問には答えず、奥へと消えていく黒髪の少女。

 ショウもため息を付きながら、後を追う。

「それで、浦田は?」

「さあ。途中からいなくなった。その辺で、草でも食べてるんじゃない」

「猫じゃないんだかから」

 とはいえおかしいので、つい笑う。   

 ふらりといなくなるところは、確かに猫だよね。

 このまま帰ってこなくても、納得出来るし……。



 オフィス内にある、小さな部屋。

 中には机と椅子、後は記録装置がある程度。

 普段はトラブル当事者の聴取などを行っている場所で、今はまさにその目的に沿って利用している。

 赤いジャケットと、擦り切れたジーンズ。

 染められた茶色の髪。 

 怯えたような表情で、机の上にあるマグカップを見つめている。

 いや、視線がそちらへ向いているだけだろう。

「どうですか」

 サトミの問い掛けに、彼と向かい合っていた阿川君が肩をすくめる。

「黙秘権を行使したいらしい。弁護士でも呼ぶか?」

「阿川君」

「はいはい」 

 山下さんにたしなめられ、席を立つ。

 元々、大してやる気もなかったようだ。

「遠野さん、代わる?」

「そうですね」

 髪をたなびかせ、彼の前に腰を下ろすサトミ。

 先程の彼女の印象が残っているのか、怯えの表情がさらに強まる。

「何もしないわ。舞地さんの事もあるし」

「ぼ、僕は」

 だがそこで言葉は終わる。

 サトミはかまわず、記録用のDDを動かし始めた。

「規則に従って、一応録るわ。どこにも報告はしないけれど、私達も不正を行わないという事を分かってもらうために」

 彼の言葉を待たず、白紙のプリントとペンを渡す。

「名前と、現住所を書いて。後、今回の謝罪文。それで終わりよ」

「サトミ」

「だったら、被害届を出す?」 

 彼を見据えたまま返してくるサトミ。

 私は「当然だ」と言いかけて、止めた。

 彼女の言う通り、舞地さんの事を考えたら。 

 もしかして、それを逆手に取られているのだろうか。

 でもサトミは何も言わず、彼が走らせるペンの動きをじっと見つめている。

「どうよ」

「何が」

 壁にもたれていたショウは、苦笑して私の足を指さした。

「被害届を出すのは、向こうじゃないのか」

「警棒を叩き折っただけじゃない」

「損害賠償かな」

「もう」

 鳩尾に裏拳を叩き込み、言葉を止めさせる。

 勿論それは、厚い腹筋で止められたけれど。

「無茶苦茶だな」

「いいの。他の事は知らないけど、今回だけはやらせてもらう。例え、どういう結果になっても」

「なるほどね」

 共感混じりの呟き。

 私は彼の肩にそっと触れ、男の子の背中を見つめた。


「……出来た」

 紙とペンを差し出す男の子。 

 サトミの瞳が、鋭さを増す。

「IDも貸して」

「そ、それは」

「チェックだけよ」

 差し出された綺麗な手の平に、おずおずとカードが置かれる。

 サトミはそれを記録用の端末でスキャンして、彼に返した。

「私からは、以上よ。丹下ちゃんは」

「別に、聞きたい事はない」 

 素っ気ない一言。

 だがその眼差しは、いつになく険しい。

「阿川さん達は」

「俺も、特に無し」

「そうね」

 頷き合う二人。

 私とショウも、同じようにサトミへ目線で答える。

「帰って結構よ」

「わ、分かった」

「話せない事情があるのなら、私達も考慮する。ただし舞地さんを利用する気なら、覚悟しておきなさい」

 氷の刃と化すサトミの台詞。

 男の子は顔を伏せたまま立ち上がり、頼りない足取りでドアへと向かった。

「あ」

 ドアを開けた彼が、小さな声を上げる。 

 丁度入ってこようとしていたケイと、鉢合わせになったのだ。

「もう帰すの」

 彼を視界に収めながらの質問。

 沙紀ちゃんの合図を見て、ケイも頷く。

「どうぞ」

 慇懃な態度で下がり、彼を通す。

 男の子はぎこちなく一礼して、部屋を出ていった。

 ケイは閉まったドアを、ずっと見続けている。

「どこ行ってたの」

「さっき回収したIDのチェック。偽装データでも本人が確認出来る。なんて見栄を切った人がいたから、ずっと情報局の人間に捕まってた」

「冗談に決まってるじゃない」

 事も無げに言ってのけるサトミ。

 ケイは鼻で笑い、男の子が座っていた席に付いた。

 つまり、サトミの前に。

「で、何だって」

「話は聞いてないわ」

「人がいい事で」

 謝罪文が書かれた誓約書を指で弾き、興味なさげにそれを端へ寄せる。 


「それで、彼等は」

「IDは本物。学校へ生徒登録はしてないけれど、短期留学の形を取ってる」

「もう休みよ」

「受け入れたのは学校だから。去年からのトラブルで、多少何かあるんじゃないの」

 あくまでも関心のない態度。

 そのまま机に伏せ、大きく息を付く。

 サトミも暇そうに、その毛を一本引っ張った。

「痛い」

「白髪よ」

「どれが」

「ごめん、捨てちゃった」 

 すっとぼける女の子。

 ケイは舌を鳴らして、頭を掻きむしった。

「止めて」

「俺の台詞だ」

「あ、そう」

 軽く返して立ち上がるサトミ。

 そして手にした髪の毛を見て、「わら人形」とか呟いている。

「本気?」

「冗談よ。でも、面白そうでしょ」

「まあ、そうね」

 悪い笑顔を浮かべる沙紀ちゃん。

 私も一緒に、へへと笑う。

「君達は、楽しそうだな」

 その言葉通り、阿川君が楽しそうに笑っている。

 彼の隣にいる、山下さんも。

「トラブルがあったんだろ。今の子と」

「ええ。でも、何とかします」

「なるほど」 

 軽く頷き、警棒を手の中で転がしている。

「ん、どうかした?」

「二本差してないんですね」

「不器用なんだよ、俺。……その話、誰から聞いた」

「塩田さん達から」

 簡単に、この間聞いた話を彼等にも伝える。 

 勿論全部ではなく、二人に関係する部分だけを。


「学校と、ね。俺はただ、少し手伝っただけだから」

「私も。塩田君達は、もっと色々あったようだけど」

「俺みたいな小物には関係ない」

 冗談めいて笑う阿川君。

 そこに塩田さん達が持つ翳りや重い雰囲気は、あまり感じられない。

 ただ彼は表情を読み取りにくいので、その内心は分からないが。

「雪野さん達は、その後を継ぐ気なの?」

「決めた訳ではないですけど」

「まあ、頑張る事だよ。俺には関係ない」

 あくまでも素っ気ない態度。

 山下さんがそれを咎めるような視線を向けるが、気にした様子はない。


「俺は俺、塩田達は塩田達。その能力も役割も違う。分っていうのを弁えてるんだよ、俺は」

「私達……、私にその資格はないと」

「そうじゃない。現に去年の塩田は、単なる屋神さんの後輩という立場に過ぎなかった。勿論学内で際だった存在ではあったけど、人を率いるような雰囲気ではなかった」

 淡々と語る阿川君。

 その間も警棒は、彼の手の中で転がり続ける。


「それが今やガーディアン連合の代表で、来期からは議長。他の連中も、おそらく局長になるだろう。俺はそこまでの責任を負う気もないし、能力もない。また、理由もね」

「理由、ですか」

「ああ。塩田達は、屋神さんや間さん達のためにという意識がどこかにある。でも俺は、学校に危険視されてまで貫きたい信念は持ってない」

 自嘲とも取れる口調。

 だが彼の表情は、微かにも緩んではいない。

 事実を語るという、醒めた態度の他は。

「結局大事なのは、自分さ。頑張って成果を残しても、退学になったら意味がない。その自己満足で生きていけるのなら、別だけどね」

「阿川君、言い過ぎよ」

「ああ、悪い」

「でも、彼の言う事も外れてはいないわ。何もしなかった私達が言うのもなんだけど」

 少し寂しげに笑う山下さん。 

 その拳をもう片方の手で包み、顔を伏せる。

 何かを堪えるように。

 またそれは、冷静な素振りを見せる阿川君も同様に。


「頑張っても、一生懸命やっても。それが必ず報われる訳じゃない。そういう、悲観的な考え方もあるわ」

「だけど。私は頑張りたいんです。舞地さんのためにも」

「ええ。そうね」

 彼女の顔から寂しさは消えない。 

 普段の明るい彼女からは想像しづらい一面。

 阿川君の醒めた態度も、ここまで冷ややかなのは珍しい。

「止めはしないけど、俺達みたいにはならないように」

「え?」

「置いてけぼりを喰らうって事さ。自分で乗らなかったっていう面もあるけれど」

「それは、去年の話ですか」

 曖昧に笑う阿川君と山下さん。

 私はそれ以上何も聞けず、顔を伏せた。

 彼等の言葉が、よく分かっているから。

 気持ちだけでどうにかなる訳ではない。

 頑張ったからといって、それが結果に結びつくとは限らない。

 大切なのは、最後にどうなるか。

 今の私に、それを成し遂げられるだけの力があるのかどうか。

 舞地さんを守る事が、私に出来るのか。

 人に頼るだけではなく、自分の力で。

 そして塩田さん達の気持ち。

 それを、どうするのか。


「また、怖い顔して」

「え?」

 鼻先をつつく、白い指先。

 それがサトミの指だと気付いた時には、鼻がへこんでいた。

「……骨がない」

 真顔で人の鼻を押すサトミ。

 私はその手を払って、彼女の鼻を押した。

「あるじゃない」

「ユウのがよ」

「また、冗談を」

 笑いながら、自分の鼻を押してみる。

 ……あれ。

「イカみたいな鼻ね」

「ちょっと」

 ショウを呼び寄せ、彼の高い鼻を押す。

 ……ある。

 それも、しっかりした物が。

「おかしいな」

「別に無くてもいいだろ」

「あってもいいでしょ」 

 自分の鼻を押し、少し唸る。

 これは問題だ。

 かといって、鼻だけ整形しても余計変だし。

 大体、痛いのは絶対に嫌だ。

 お金をもらっても、やりたくない。

「……楽しそうだね」

「え?」

 そう阿川君に尋ねられ、鼻を押さえていた手を離す。

 先程の深刻さも重苦しさも、すっかり忘れていた。

「す、済みません」

「いいよ。だから、君達はいいのかな」

「どういう事ですか」

「仲間がいるっていう意味で。落ち込んでても悩んでいても、誰かが何とかしてくれる。自分だけでどうにかするっていう、悲壮感がない。去年の彼等みたいに」

 微かに緩む口元。

 優しい、暖かな笑顔。

 その隣で笑っている山下さんも、また。

「俺こそ悪いね、柄にもない事言って」

「いえ」

「この人も、少しは気にしてるのよ。雪野さん達の事を」

 くすくす笑う山下さん。

 阿川君は素知らぬ顔で、警棒を回している。

「それで、傭兵だけど。危ない連中だから、注意はしておいた方がいい」

「分かりました」

「君達なら、大丈夫だろうけどね」

 もう一度見られる、優しい笑顔。

 私達を気遣ってくれる、見守ってくれている人達。

 自分達だけで頑張る必要はない。

 一人で気負わなくていい。

 だから……。



 みんなと別れ、一人で学校の外へ出る。

 どうしても行きたい用事があったから。

 息を整え、インターフォンを押す。

「……開いてる」

 静かな答え。

 私はドアを開け、部屋の中へと入った。


 落ち着いた色彩で統一された室内。

 壁に掛かる風景画や、ラックの上に置かれる猫の小物。

 部屋の中央にはこたつがあり、気だるそうな表情をした女性が座っている。

「ご飯食べた?」

「まだ、そんな時間じゃない」

 小さな声と、変化のない表情。

 私は襟に巻いていたマフラーを取り、彼女の首へ掛けた。

「じゃあ、行こう」

「どこへ」

「いいから、ほら」



 並んで玄関に立ち、インターフォンを押す。

「開いてるわよ」

 さっきとは違う、元気な声。

「分かってる」

「子供の遊びに付き合ってる暇は……」

 強い口調と共にドアを開けたお母さんは、すぐさま笑顔になって頭を下げた。

「あら、いらっしゃい。優ちゃん、帰ってくるなら連絡しないと」

「誰が優ちゃんよ。いいから、ご飯」

「はいはい。さあ、どうぞ」

 私を押しのけ、家の中へ入っていくお母さん。

 女性はお母さんに肩を抱かれながら、戸惑い気味に私を振り返る。

「いいから、いいから。お父さんは」

「いるわよ。プラモデル作ってるわ」

「いくつなの、あの人は」

 二人で笑いつつ、奥へ進む。

 戸惑いから戻らない、舞地さんと共に。



 食事の並んだキッチンのテーブル。

 お父さんとお母さんは隣同士。

 私と舞地さんも、隣同士。

 ちなみに今彼女が座っている場所は、いつもならサトミが座っている。

「一人娘が帰ってきたんだし、カニくらい出してよ」

「食べたいなら、海に行って来なさい。真冬の日本海へ」

 冷徹に返してくるお母さん。

 無茶苦茶な人だ。

 勿論、私も。

 でもいいや、モツ鍋も美味しいし。

 このモツの、脂の部分が何とも。

「優、危ないよ」

 いまいちパワーに欠ける電気コンロを指でつついていたら、お父さんが真顔で言ってきた。

「大丈夫だって。別に、電熱の部分じゃないんだし」

「そうだけど。とにかく、危ないから」

「はい」

 ここは素直に返事をして、つつくを止める。

 反抗期でもないし、大体こんな事を反抗したくない。


「どうぞ」

 空になっていた舞地さんのグラスに、お父さんがビールを注いだ。

 舞地さんは、両手でそれを持ち頭を下げる。

「ありがとうございます」

「黒ビールとかもありますよ」

「いえ、私はそれ程飲めませんから」

 少しだけ口を付け、グラスを置く舞地さん。

 箸も、それ程進んでいない。

「もっと、あっさりした物の方がよかったかしら」

 優しく尋ねるお母さんに、舞地さんは小さく首を振った。

「ちょっと、食欲がないんです。申し訳ありません」

「いいのよ。じゃあこれは片付けて、果物でも食べましょうか」

 てきぱきと片付け出すお母さん。

 お父さんもそれを手伝い、私は残り物を適当に食べていく。

「優も手伝って」

「主婦の仕事でしょ」

「子供の仕事でもあるわ」

 なかなかに鋭いな。

 それに断る理由も別段無いので、食器を重ねてシンクへ運んでいく。

「私も」

「舞地さんはいいよ。リビングで、TVでも見てて」

 小さく頷いた彼女の背中は、リビングへと消える。


「どうかしたの?」

 耳元で尋ねてくるお母さん。

 私は簡単に、今までの経緯を告げた。

「あなたが人の世話焼き、ね。その逆なら分かるけど」

「私は日々成長してるの。昔の私とは違うのよ」

「体格も?」

 ははと笑うお母さん。

 私も、へへと笑う。

 お互いに小さい体を触りあい、「はあ」とため息を付く。

「ど、どうしたの。二人とも」

「なんでもない」

 同時に答え、食器を洗っていく。

 何を察知したのかお父さんは台拭きを持って、そそくさと行ってしまった。

 でもこの責任の半分は、あなたにもあるんだよ……。



 リビングで話をしていても、舞地さんはいまいち表情が勝れない。

 話し掛ければ返してくるし、少しは笑う。

 でもそれは寂しげな、切ない笑顔。

 いつもの素っ気ないけれど優しい彼女の表情とは、全然違う。

「練乳は」

「はい」

 仕方ないわねという顔をするお母さん。

 これなくしてイチゴを食べる方が、仕方ない。

 お父さんは牛乳に砂糖を入れて、それと一緒に食べている。

 邪道だ。

「どうしたの」

 イチゴを手にしてじっと見つめている舞地さん。

 私の呼び掛けも、聞こえていないようだ。

「舞地さん」

「え?」

「どうかしたの?」

 小さく首を振り、微かに口元を緩める。

 寂しげに。

「綺麗だなと思って」

「え?」

 今度は私が、イチゴを持って固まる。

 綺麗? 

 美味しいじゃなくて?

 どういう発想?


「優には分からないわよ、そういう感性は」

 人以上にパクパク食べていた人が、くすくす笑う。

 それはむかつくが、確かに私には薄い感性だ。

「おかしいですか」

 少し不安げに尋ねる舞地さん。

 お母さんは首を振って、イチゴを灯りにかざした。

「赤と緑。そして薄い毛は光に輝き、その光沢は宝石のよう。なんて、感じ」

「同感です」

 舞地さんは小さく頷き、イチゴを頬張った。 

 微かな微笑み。

 寂しげではない笑顔。

「……ご飯は、毎日食べられる?」

 唐突なお父さんの質問。 

「は、はい」

 困惑しつつ頷く舞地さん。

 お父さんはそれでも、心配そうに彼女を見つめている。

「僕らも大した事は出来ないけど、寝る場所やご飯くらいなら面倒を見られるから。遠慮無く言ってきて」

 真顔、真剣な口調、暖かな眼差し。

 ……この人、なんか勘違いしてないか。


「お父さん。舞地さんは毎日ご飯も食べられて、寝る場所もあるの。お金だって、もしかしたらお父さんよりたくさん持ってるくらいよ」

「そ、そうなの。僕はてっきり」

「もう」

 ため息を付き、謝ろうと舞地さんへ顔を向ける。

 そこにあるのはやはり笑顔。

 怒っても、屈辱に震える表情でもない。

 楽しげな笑顔。

「ありがとうございます。色々、気を遣っていただいて」

 丁寧に頭を下げる舞地さん。

 お母さんは優しく微笑んで、廊下の方を指さした。

「お風呂沸いてるから。先に入って」

「済みません」

 お母さんに付き添われ、舞地さんはリビングを出ていった。


「……馬鹿」

「だ、だって。僕はそういう事に詳しくないから。子供が全国を渡り歩くなんて聞いたら、普通は心配するよ。ニュースとかでも、あまりいい生活環境じゃないってやってるし」

「舞地さん達は別格なの。すごいの」

「何が」

 そう尋ねられ、言葉が詰まる。

 そういえば、知らない。

 彼女の過去も、今まで何をやってきたかも。

 どんな人かと尋ねられれば答えられるし、どれほど素敵な人かもよく分かってる。

 でも、彼女はどうしてすごいのか。

 何故別格なのか。

 私の心情的な事だけではなく、今回狙われている事も含め。 

「さあ」

「あの、優さん」

「いいの。とにかく舞地さんはすごい人なの。もう、私なんて問題にならないくらい。わーって」

 ごまかしついでに、適当に叫ぶ。

「いや、優もなかなかだよ」   

 妙に真剣な顔で言ってくれるお父さん。

 親馬鹿というか、でも嬉しいというか。  


 それにしても舞地さん、か。











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