2-3
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オフィスに入ると、もう一度ため息が出た。
伏せていた顔を上げると、ショウとサトミが向かい合って座っている。
「帰ってきたわね。ケイは」
「いるよ」
私の後ろから顔を出すケイ。
どうも元気が無いみたいだけど、普段もこんな感じなので調子が悪いのかどうかが判別しにくい。
でもこれまでの経験からいって、今日は何か考え事をしている感じだ。
「さて、お話を伺いましょうか」
サトミはテーブルの上で指を組み、そこにあごを添えた。
涼しげな瞳が、今は鋭さを湛えてショウを見据えている。
「……俺はただ、我慢が出来なかっただけだ」
ぶっきらぼうに言い放つショウ。
「我慢が出来なかったの。なるほど」
復唱したサトミは、ゆっくりと頷いてみせた。
「相手が、SDCの代表代行だと分かってて?」
あくまでも落ち着いた口調。
だがそれは、直下にマグマを蓄えた火山口のそれによく似ている。
「当たり前だ。相手が誰だろうと、俺は同じ事を言った」
「格好いいわね、玲阿四葉君」
フルネームで呼ばれたショウは、思わず喉を鳴らして目を逸らした。
「それで、玲阿君はどうするつもりかしら」
「決まってるだろ、あいつと戦うまでだ。勝ち目はどうか分からないけど、勝負は……」
机を指で叩かれ、ショウは口をつぐんでしまった。
しかしサトミは笑顔を絶やさず、その顔をショウへと近づける。
近いよ。
「私達は一体何かしら。玲阿君」
「お、俺達は生徒だろ。この学校の」
サトミは大きく頷いて、すぐに机を指で叩いた。
「ガーディアンでもあります、私達は。生徒を守り、治安を維持するのが任務の」
「あ、ああ、そうだな。確かにそうだ」
慌てて首を縦に振るショウ。
サトミは笑顔で頷き、小首を傾げた。
「分かってもらえて嬉しいわ。でもそのガーディアンが、どうして揉め事を起こすのかしら」
「だから言っただろ。あいつら態度があんまりひどいから、こっちもつい」
「それで、つい扉を壊してしまったのね。そして、ついSDCの代表代行とケンカになった」
「お、おう。な、何か悪い事でもしたか、俺」
精一杯強がってみせるが、いかんせん動揺は隠せない。
そろそろ限界だろう。
「馬鹿っ」
両手で机を叩き、勢いよく立ち上がるサトミ。
のんきに眺めていた私も、それには驚いて椅子から転げ落ちそうになる。
そんな私には目もくれず、二人の話は続く。
「あなた、今どういう状況になっているのか考えてる?」
「一応は」
「言ってみて」
「あいつの弱点は何かなとか、試合までどういうトレーニングしようかなって」
今度はショウの頭が叩かれる。
ショウは頭を抑え、情けなさそうに彼女を見上げた。
「た、叩くなよ」
「あのね。これはあなたと代表代行の、個人的な私闘で済む問題じゃないのよ。それにケンカを止める立場にある私達が率先してケンカするなんて、言語道断なの」
「俺だって、言いたい事は分かってるさ。だけどなサトミ、売られたケンカは……」
サトミの手が振りかぶったのを見て、すぐに黙るショウ。
まなじりを上げたサトミは、ため息を付いて椅子に腰を下ろした。
「とにかく、今から生徒会とガーディアン連合に報告してくるわ。いくら何でも、状況が悪過ぎる」
「いい、サトミ。それは俺がやっとく」
壁際にもたれて話を聞いていたケイが、無表情のまま近づいてきた。
あまり関わりたく無さそうな素振りではあるけど、問題なのは彼も十分に理解してるだろうから。
「結局はケンカなんだから、生徒会も連合も止めようが無いとは思うけど。それよりサトミは少し休んだら。明日から光の所へ行くんだし、疲れてるとあいつにも悪い」
「分かった、そうさせてもらうわ」
サトミは力無げに立ち上がって、小さくなっているショウを見つめた。
少し、申し訳なさそうに。
「ごめんなさい。本当は、私達のためにしてくれたのに」
「いや、俺こそ悪かった。その代わり、この勝負絶対勝つからな」
「懲りてないんだから」
苦笑したサトミはリュックを背負うと、私の所へ寄ってきた。
「しばらく来られないけど、暇な時は顔を出すわ」
「うん、待ってる。ヒカルによろしくね」
「ええ。それよりちょっと一緒に来て」
「ん?」
サトミは何も言わず、すたすたとドアの方へ歩いていく。
私も席を立って、出ていった彼女の後を追った。
廊下に生徒の姿は無く、照明に照らされた私とサトミの影が長く伸びている。
静まり返った廊下に、二人の靴音が響き渡る。
「ショウの事、お願いね」
「まかしといて。確かにごちゃごちゃしそうだけど、何とかなるって」
私は薄っぺらい胸を軽く叩いて、微笑んで見せた。
サトミも顔をほころばせて、私の肩をそっと抱いた。
「それと、ケイなんだけど」
耳元でささやかれるサトミの声。
オフィスはかなり離れていて、ささやかれている私ですら聞き取るのがやっとだ。
「あの子がどうかした?」
「はっきりとは分からないけど、何か考え込んでいるみたい。そう思わない?」
「そういえば、今日妙に静かだね。沙紀ちゃんと話した後からかな」
サトミは足を止め、壁際に私を連れていった。
「ユウ、ケイをしっかり見ていて。それにショウも」
サトミの強い思いが、仲間を思う気持が伝わってくる。
抱かれた肩から、音を立てて流れ込んでくるように。
「大丈夫。私これでもリーダーだから。あの二人も、勿論サトミの事も。ちゃんと見守ってるから」
「私もよ」
私もサトミの肩をそっと抱き、私達はしばしお互いの温もりを確かめ合った。
大丈夫、分かってる、心配いらない。
誰一人、辛い目になんて遭わせない。
必ずみんなを守ってみせる。
その力が無くても。
何も出来ないとしても。
せめてその気持だけは、いつまでも抱いていたい。
「ここでいいわ。二人によろしく」
私から離れたサトミは、軽く手を上げて廊下を駆け出した。
その背中に向かって、私は声を掛ける。
「お泊まりは駄目よ」
「ば、馬鹿っ」
サトミの叫び声が、廊下にこだまする。
でもそれは彼女の足音と共に段々と消えていき、やがて物音一つ聞こえなくなる。
一人廊下に佇んでいると、何だか切なくなってくる。
私は見えなくなったサトミの背中に手を振り、オフィスへと戻っていった。
戻ってみると、男二人が黙って座っている。
ショウは代表代行との試合で頭が一杯らしく、小さく手が動いているが。
「サトミ、何だって?」
何気ない感じでケイが尋ねてくる。
大して興味がある様子ではなく、儀礼的にという感じで。
「内緒。女の子同士の秘密のお話」
「あ、そう。俺もサトミと同じで、代表代行とやり合うのは賛成できないけどね」
「悪いな、迷惑掛けて」
「せいぜい頑張ってくれ。死なない程度に。それとも、殺さない程度に」
ケイは冗談っぽく言って、席を立った。
そのまま、こっちに近づいてくる。
「俺も話があるんだけど、いいかな」
「いいよ、何?」
サトミが言っていた通りに、そして私が思っていたように。
少し間を置いて、ケイが口を開いた。
「俺、しばらく丹下の所に行ってくるから」
「え、どういう事?」
「生徒会ガーディアンズの手伝いをするって事。正確には丹下の手伝いを」
「お前、それって……」
これにはショウも席を立ち上がり、ケイに詰め寄った。
しかし彼は表情を崩さす、淡々と語る。
「どこかのブロックの隊長と副隊長が、今いないんだってさ。だからその代わりに、手を貸してくれって」
「それは聞いた事がある。でも……」
「今はサトミはいないし、ショウもあんな事になって。はっきり言えば、ガーディアンどころじゃないだろ」
つい頷いてしまう私とショウ。
ケイはテーブルに置いてあるリモコンを操作して、緊急時の入電を伝えるスピーカーをオフにした。
「だから二人も試合まではガーディアンの仕事をやめて、トレーニングすれば。丹下に頼んで、このブロックのパトロールを代わってもらうから」
「お前、戻ってこないつもりじゃないだろうな」
真っ直ぐな視線を向けるショウ。
ケイは指を自分に向け、その指を床と向けた。
「ここ以外の、どこに行けって言うんだ」
その言葉はどこへも行かず、私の心へと残った。
絶対に、絶対に忘れない言葉として。
「分かった。沙紀ちゃんによろしくね」
「ユウも、ブリーダーとしてショウの世話頑張って」
「トレーナーって、言え」
ショウの右回し蹴りを軽く受け流して、ケイはリュックを手に取った。
「それじゃ、今から行ってくるから」
「行け行け、もう帰ってくるな」
「何言ってるのよ、ショウ」
声を出して笑う私達。
何一つ解決してない気もするけれど、だからといって笑っていけない訳じゃない。
悩みがあるからって、何かを抑えるなんて馬鹿らしい。
「困った事があったら、俺か丹下の所に連絡してきて。ガーディアンの事なら、すぐ手伝いに来るから」
「トレーニングは手伝ってくれないの?」
「だから言っただろ、試合には賛成しないって」
そう言い残して、ケイはあっさりと出ていってしまった。
気付けば、オフィスにいるのは私とショウだけ。
二人きりとも言う。
今も、これからしばらくも。
「……どうするの」
「そう、みんなで突っ込むな。俺だって、少しは反省してるんだから」
「はいはい」
私は顔くらいの位置にあるショウの肩に手を伸ばし、優しく叩いた。
「私も協力するから、一緒に頑張ろう」
「ああ、頼りにしてる」
はにかみ気味に私を見つめてくれるショウ。
あまりも純粋な、あどけない笑顔で。
そして私も勿論、それに負けないくらいの笑顔をショウに見せた……。
「弱点は何だと思う」
「無いだろ。強過ぎる」
その翌日。
私とショウはオフィスにこもり、代表代行が出場した格闘技の大会のビデオを見ていた。
結果はショウの言う通り。
スピード、反応、技の冴え。
どれを取っても、ずば抜けている。
総合格闘技のプロライセンスを持つ男子生徒と戦っているんだけど、レベルが2桁くらい違う。
連続して10人くらいを相手にして、あっさり全勝。
試合時間も計5分掛かっていない。
圧巻は、床に倒した相手目がけて落とされる強烈な肘打ち。
プロテクターが砕け散り、中には骨折している相手もいる。
「俺よりも強いな、悔しいけど」
顔をしかめて、ペンを指先でくるくる回すショウ。
「違うよ、とは私も言えない。だけど、試合までは一ヶ月位あるんだからさ」
「追い越せばいいだけか。かといってそう急激に実力が付くはずもないから、やっぱり弱点を探る必要があるな」
悔しいと言った割には、全くひるんだ様子のないショウ。
それどころか、彼のやる気が目に見えて分かるくらいだ。
「パワーとスタミナは問題外。この大きな体だから、足元狙いとスピードで対抗するしかないわね。オーソドックスだけど」
「賛成。その辺を中心にトレーニングメニュー組もう」
「了解」
私とショウはお互い意見を出し合って、1日のメニューと課題を書き出していく。
同時にタイムテーブルを作って、達成目標をその脇に書き込む。
ショウが言ったように突然強くはならないから、そのメニュー自体も非常にオーソドックスで筋トレやスパーリングが中心である。
だからこそ、代表代行の弱点をいかにつくかにかかっているの。
かかっているのだけど、さっき挙げたのが本当に弱点かと言われれば自信がない。
ビデオを見る限り足元のディフェンスは完璧だし、スピードや反応は普通じゃなかったから。
でも、あきらめてる訳ではない。
どんな事でも、気持で負けてたら仕方ないからね。
まずは気合いだ、気合い。
よしっ、よしっ。
「何やってんだ」
「え?」
「その手」
ショウに指さされて、ふと自分の手を見てみる。
しっかりと拳を握りしめ、胸元の辺りで何度も何度も振っている手を。
「ラ、ラッコの真似」
気合いを入れていたと言うのが恥ずかしかったんだけど、もっと恥ずかしくなってしまった。
だって今全然関係ないもんね、ラッコは。
せめて肩叩き、……でもないか。
「疲れてるんじゃないのか。少し休めよ」
勘違いされてる。
それも、変な方向へ。
気持は嬉しいけど、どれだけ疲れてもラッコの真似をする訳がない。
私の複雑な悩みをよそに、ショウが手を伸ばし私の頬に手を当てた。
「あ、あの」
「熱はないみたいだな」
「そ、そうじゃないんだって。あのね」
焦りながらショウの手を取って、そっと押し返す。
するとドアが何度かノックされ、いきなり開けられた。
「よう、元気か」
軽く手を上げて顔をのぞかせたのは、塩田さん。
「邪魔したな」
そう言ってすぐにドアを閉めてしまう。
「ご、誤解ですよっ」
一緒に叫ぶ私とショウ。
「本当か?」
再びドアが開き、にやにやしながら入ってきた。
「ユウが調子悪そうだったから、熱が無いか見てただけです」
「そ、そう。で、私は違うって言って、その手を押し戻したんですよ」
「ふーん、へえ。いいな、楽しそうで」
あ、あのね。
塩田さんはあまり広くない私達のオフィスを見渡して、目の前にある椅子に腰掛けた。
「遠野と浦田は」
「サトミはヒカルの手伝いに。ケイは、知り合いの生徒会ガーディアンズの手伝いに。ほら、Dブロック隊長の沙紀ちゃん」
「ああ、丹下か。初耳だなそれは。遠野が浦田兄の手伝いに行ってたのは聞いてたが。でも、あの二人がいないのなら都合がいい」
苦笑気味に呟く塩田さん。
どういう意味だろうか。
「あいつらは、何かとうるさいからな。お前、SDCの代表代行と試合するんだろ」
「ええ。ケイから連絡が行きましたか」
「いや。SDCから通知があった。試合に関する一切を極秘として、結果の如何に関わらず現在の不干渉を維持するって」
私達の疑問を読みとったのか、塩田さんはさらに話を続ける。
「理由は簡単さ。勝った方が、優位に立てるって事だ。お前が勝てばガーディアン組織、代表代行が勝てばSDC」
「そんな事言われても。俺はただケンカ……、じゃなくて試合するだけですよ」
「現実は厳しくてな。それだけの意味があるんだ、今回の試合は。それはお分かってるだろ」
ショウの顔が微かに曇る。
自分自身の関与しない所で繰り広げられる暗闘。
しかもそれが、自分の試合に絡んでくるとなると。
「大体よ、SDCの方から仕掛けてきたんだろ」
「え、ええ。挑発的というか、しつこく突っかかってきたんです。それで、ショウがつい」
「その辺は、遠野から聞いた。お前は、そこでおかしいと思わなかったのか」
「頭に血が上ってたんで」
ショウは気まずそうに顔を伏せ、鼻の辺りを軽く抑えた。
「今なら分かるだろ。SDCは、最初からガーディアンと揉め事を起こす気でいたんだ。いや、SDC全部がそうとは言えないけどな」
「最初から仕組まれてたんですか、全てが?標的を私達にするという事も」
「そんなの、この前の生徒会とフォースのと一緒じゃないか。誰だよ、そんなシナリオ考えてる奴は」
「勝って得する奴だ。代表代行が勝てばSDCが、玲阿が勝てばガーディアンが得をする。つまりガーディアンを束ねる自警局、そしてその上に位置する生徒会が」
私は思わず立ち上がって、人事の用に話をしている塩田さんを見下ろした。
「そんな。じゃあショウは、その代理として戦わされているんですか?」
「SDCと生徒会で、試合に関する密約があるとすれば。勝った方が相手に対して何らかの影響力を行使出来るとか。そこまで分かってるなら止めろって、遠野に怒られた」
「どうでもいいです、俺はただ試合をするだけですから」
塩田さん以上に淡々としたショウ。
でも私は、そこまで落ち着いてはいられない。
「ちょっと出掛けてきます」
「大山の所行く気か、雪野」
塩田さんが、ドアへ歩き出した私に声を掛けてくる。
「ええ。生徒会のトップに、副会長に聞いてきます」
そう言い残して、私はオフィスを出ていった。
ここには、いい思い出があまりない。
生徒会や各委員会のオフィスある特別教棟。
周囲を生徒会ガーディアンズが常にパトロールを繰り返し、「一般生徒の立ち入りを禁ずる」との標識があちこちで目に触れる。
私はそんなのに目もくれず、教棟へと歩みを進めた。
「おい」
例の横柄な呼びかけ。
振り向くと、完全武装のガーディアンがこっちに近づいてくる。
襟に付いている通信機でどこかに連絡を取りながら。
「一般生徒は……」
しかし私の袖に着いているガーディアンのIDを見て、眉をひそめる。
「連合のガーディアンか。一体何の用だ」
横柄な態度は変化しない。
むしろ、悪くなる。
「うるさいな。ここだって学内の施設なんだから、誰だろうと利用は自由でしょ
「何っ?」
むっとする生徒会ガーディアン。
私はかまわず彼の腰に掛かっていた端末を取り、自分のIDを通した。
「ガーディアン連合所属、I棟D-3ブロック担当、エアリアルガーディアンズの雪野優っ。生徒会副会長に面会希望っ」
一気にまくし立てると、生徒会ガーディアンは端末と私を交互に見比べて目を丸くした。
「エ、エアリアルガーディアンズっ?わ、分かった。すぐ連絡する……。いえ、致しますっ」
こういうやり方は好きじゃないけど、今は早く副会長と話をしたい。
急に低姿勢になった生徒会ガーディアンズに連れられ、私は特別教棟へと入っていった。
例の応接室に通されると、一人の男子生徒が出迎えてくれた。
「お久しぶりですね、雪野さん。お元気そうで何よりです」
「ええ、副会長も」
丁寧に頭を下げると、大山副会長も笑顔でそれに応えてくれた。
以前と変わらない落ち着いた態度。
忙しいんだろうけど、少しも嫌な顔をせずに。
「どうぞ、お掛け下さい」
「はい」
向かい合ってソファーに腰を下ろす私達。
私を連れてきたガーディアンはすでにいなく、応接室には私と副会長の二人だけである。
「今回のご用件は?生徒会に入ってくれるというのなら大歓迎ですよ。渉外局と厚生局の方で、君達を招聘したいという話もありますが」
「いえ、そうではありません。副会長もお聞きなっていると思いますが、SDCの代表代行との試合についてです」
「なるほど」
ゆっくりと頷いた副会長は、優雅な仕草でティーカップを手にした。
「今回の試合は、結果の如何に関わらず生徒会として関与しない方針です。玲阿君の属するガーディアン連合とSDCから、同様の通知が来ました」
「それは、建前ではないんですか。実際には、生徒会とSDCの密約があるのではないんですか」
「そこまで直接に聞かれるとは思っていませんでしたよ」
手にしたティーカップを口にしないままテーブルに戻す副会長。
私はじっと副会長を見続ける。
「この間の、フォースと生徒会の自作自演の抗争もそうです。実際に生徒会は、いえ副会長はどこまで知っているんですか」
「無能で、副会長として職務怠慢と思われてもかまいません。ですが前も言ったように、私は事後報告を受けているだけです。信じていただけるかどうかは、分かりませんが」
「いえ、副会長を信じます。信じたいです……」
自分でも声が震えているのが分かる。
それは私の心にある、副会長を疑う心がそうさせている。
彼の優しい笑顔を見れば見るほどに。
そして知っている、この人がどれだけこの学校を愛しているかも。
だからこそ、声が心が震える。
「今日も、学校に泊まるんですか」
「ええ。雑用が色々とありまして。最近はもう、学校に住んでいるようなものです」
朝から書類に追われ、学校や他校との交渉を繰り返し、終わらない会議を幾つもこなす。
彼の所に持ち込まれる問題は学校全体に強い影響力を及ぼす懸案ばかりで、下した決断にはただならぬ責任が担わされる。
各種の陳情や要請、学校からの様々な干渉。
気づけば夜が明けている時もあるのだろう。
特別教棟のある一室は、いつも明かりがついているという話だ。
副会長が執務を執る部屋は。
生徒会副会長としての義務感だけだったら、きっとそこまでは続かない。
この学校を、生徒達を愛しているからこそ、彼は頑張っているのだ。
私はそう信じている。
そんな人が、私利私欲のために何かをする訳がない。
「……お忙しいところをお邪魔しました」
「時間ならかまいませんよ、ちょうど一段落したところですから」
「でしたら、少しでも横になられたらどうです?私達の代わりはいくらでもいますけど、副会長の代わりはいないのですから」
「それは逆ですよ。私はあくまでも歯車の一つで、ただ大きい歯車だから目立つだけです。でもあなた達の代わりは、誰にも務まりません」
真剣な、何かを訴えかけるような眼差しを向けてくる副会長。
それは塩田さんが連合の代表を解任された時私達のオフィスで見せた、あの苦渋に満ちた顔と何故か重なった。
「今日は失礼な事をお尋ねして、申し訳ありませんでした」
私はソファーから立ち上がり、深く頭を下げた。
「いえ。雪野さんがそう疑問に思われるのは当然です。これからも何かあったら、遠慮せずに来て下さい」
優しく微笑み、手を差し出す副会長。
私は迷わずその手を握り返した。
あの時と変わらない、暖かな手を。
「それでは、失礼します」
「ええ。玲阿君によろしく。最後に忠告でも無いんですが」
「え」
「三島さん……。代表代行は、強いですよ。私はあの人が負ける姿を、想像すら出来ません」
静かに、しかし自信を込めて語る副会長。
甦るビデオの映像、実際に目の当たりにした彼の動き。
そして今の言葉。
胸に沸き上がる不安。
でもそれは、一瞬にして消えて無くなる。
「そう思います。でも私も、ショウが負ける姿を想像出来ないんです」
「なるほど。生徒会として肩入れは出来ませんが、何か必要になったら遠慮無く申し出て下さい。私の方で、何とかします」
「ありがとうございます。それでは」
ドアの所で振り返ると、副会長はまだ笑顔で私を見てくれていた。
心に浮かぶ様々な思いを振り切り、私は応接室を後にした。
「大山は、なんて言ってた」
「今日も学校に泊まるらしいです」
「……お前、何しに行ったんだ」
呆れた顔でじっと見てくる塩田さん。
だってさ。
聞いたけど、ちゃんと答えてくれなかったんだから仕方ないじゃない。
今になって考えれば上手くごまかされた気もするけど、私は副会長との会話は有意義だと思ってるからいいの。
「素直に、密約がありますとは言うはずもないけどな。あるのはお前らが挑発された事だけだ。それだけで生徒会とSDCを疑うのは無理がある」
「だって塩田さんがそういう事言うから、私は聞きにいったんですよ。何か知らないんですか?」
「知ってても、お前達には言わない。余計揉めるだけだ」
そう言われると、聞きに行った私が馬鹿みたいじゃない。
しかも、体よくあしらわれたし。
やっぱり私は、こういうのに向いてない。
考えるより、体動かしてた方がいい。
「はい、分かりました。もう誰が悪いとか、誰が企んでるとかは考えません。ショウが試合に勝てば、それでいいです」
「随分割り切ったな」
「私はいつも、前だけ見てるんです」
「前しか見てないの間違いだろ。俺はそろそろ帰る」
やな事を言って席を立つ塩田さん。
私は一緒にドアの所まで付いていった。
後ろからガッと襲ってみたらいい気持なんだろうけど、まさかね。
「玲阿によろしくな。あいつ、相当気合い入れて飛び出て行ったぞ」
「私もすぐに付いてきます」
「俺は一応立場があるから表だって手助けは出来んが、玲阿が勝つと信じてるからな」
「当然です。勝つに決まってます」
「信じるっていうレベルじゃないんだな、雪野の場合は。決まってる、か」
「え、ええ」
塩田さんは声を出して笑い出した。
そんなに、笑われるような事言ったかな。
「お前らしいよ、そういうの。それと報告書とかは、俺が直接処理する。それ以外の警備や合同訓練も、お前らは免除しておくからな」
「済みません。パトロールは、ケイが生徒会ガーディアンズに頼んでくれるそうですから」
「分かった。とにかくお前らは、試合に専念しろ。その決まってる試合にな」
そう言って、少し笑う彼。
苦笑気味にも見える。
「しかし、三島さんに勝つか」
「知ってるんですか。副会長も、そんな素振りでしたけど」
「一応な。とにかくあの人は強いぞ。俺の100倍は」
「大袈裟な」
塩田さんは肩をすくめ、そのままオフィスを出ていった。
どうも、色々な人に気を遣わせているようだ。
その全ては、ショウが勝つ事でお礼にしよう。
安上がりでみんなも喜んで、言う事無し。
「よかったよかった」
誰もいないオフィスで一人笑ってみた。
……ちょっと、空しいか。
というか、私は何やってるんだ。
今はショウのトレーニングを手伝わないと。
意味もなく笑ってる場合じゃない。
「はいはいっ、と」
制服で動き回るのはさすがに無理があるから、まずは着替えないとね。
「取りあえず、ひとっ走りしてきたけど」
突然ドアが開き、息を整えながらショウが入ってきた。
そして、ちょうどスカートを降ろしかけていた私と目があった。
「なっ」
「わ、悪いっ」
慌てて背を向けるショウ。
一方私と言えば、そのままスカートを下まで降ろした。
すでに冷静さを取り戻して。
「あ、あのさ、ショウ。私いつもスカートの下は、スパッツかショートパンツはいてるわよ」
勿論今日も、濃紺のスパッツを身につけている。
「そ、そう言えばそうだったな。だけど、着替えくらいは他でやれよ。それか、鍵を掛けろ」
「面倒だったから、ついね。それに制服脱ぐだけだもん」
そう言って、シャツのボタンを外してみた。
ショウは気まずそうに、なんか難しい顔で私の方を見ている。
「何よ、その顔。だから下は……」
ボタンを全部外したシャツを開こうとして手を掛けたけど。
止めた。
「下は……、下着でした」
「あ、あのな。俺外にいるから、ちゃんと鍵掛けてからにしろって」
「はい……」
顔を伏せたまま、慌ただしく出ていくショウ。
私はすぐに鍵を掛けて、そのまま椅子に座り込んだ。
はだけた胸元からは、申し訳程度に盛り上がっている胸元が見える。
「はぁ」
胸を見せそうにはなるし、でもってその胸は無いし。
大体色気っていうのが無いんだよね。
サトミとか沙紀ちゃんなんて、もう卑怯なくらいなのに。
何か疲れてきた、やる気が出てこない。
少し休もう、ショウもそう言ってくれたし。
言ってくれたのは大分前の気もするけど、いいじゃない。
「へぇ」
そのままテーブルに顔を付けて、腕を枕に目を閉じた。
胸元が開いているせいか、いつもとは違う開放感があって気持いい。
本当、いい気持。
「ユウ、終わったか」
「へっ?」
ショウの声がドアの向こうから聞こえてくる。
あ、そうだ。
今、着替えの途中だった。
「ま、まだ。ほら、また走ってきてよ。着替え終わるまで」
「また走るのか?いいけどよ、別に」
ため息が聞こえたようだけど、気のせいだ。
私はシャツを脱ぎ、ロッカーに閉まってあった替えのTシャツを手に取った。
ロッカーの鏡には私の華奢な、言い換えれば貧弱な体が映っている。
「この鏡、不良品だ……」
自分でも馬鹿馬鹿しいと思える事を呟き、Tシャツを着てみる。
これはサイズが大きいので、体のラインが殆ど消えた。
鏡に映るのは男女の判別すら付かない、お父さんの服を間違えてきた子供の姿だ。
「牛乳飲もうかな」
効果が無いのは分かってる。
だけど最初からあきらめてたら駄目なんだよ、何事も。
ショウの試合だって、私の胸だって。
よしっ、やるぞっ。
「おーっ」
うん、気合い充実。
私は鍵を開け、勢いよく外へ飛び出した。
向かう先は勿論食堂……。
じゃなくてショウが走ってるコースだ。
そっちには食堂もある。完璧だ。
鍵も掛けたし後は走り出すだけ。
「えっと、食堂は」
「あ、何か食べるのか?」
「え?」
振り向くと、ショウが額の汗をタオルで拭きながら戻ってきていた。
「は、早いね」
「ああ。で、食堂に行くのか」
「ん、うん。ショウが喉乾いてるかなと思って。ジュース飲みに行こ」
「俺、財布ロッカーにあるんだよ」
「おごるおごる。ほら、走って」
「また走るのか……」
私はショウを後ろから追い立てて、食堂へと突っ走った。
「脂肪分の濃い方が美味しいよね」
「太るぞ」
「バターじゃないんだし、このくらい平気だって」
自販機から出てきた牛乳パックを手にしたところで、ふと疑問が沸いて出た。
牛乳って背が伸びるとは良く言うけど、胸が大きくなるか?
「プロテインも入れようかな」
「そんなの食堂にある訳無いだろ。いいから飲めよ」
「購買だ、購買に走るんだっ」
「お、おいって」
ショウのジュースもひっ掴み食堂を飛び出す私。
息こそ切らさないが、げんなりした顔でショウが付いてくる。
でもって、購買部でプロテインを購入した所で一休み。
結構高いね、これ。
一緒に買った紙コップに牛乳を注ぎ、粉末のプロテインを振りかける。
プロテインはみるみる間に解けていき、何かどろっとした液体に姿を変える。
「これ飲むの?」
「自分で入れたんだろ。そんなの飲めるか……って、聞いてるか?」
私はどろどろなコップをショウに渡し、近くのテーブルに置いておいたジュースにストローを差した。
胸が小さいのが何だ。
今はショウを強くするのが優先なんだ。
「頑張って、ショウ。まずは肉体改造からよ」
「無茶苦茶だな、ったく」
苦笑しつつ、一気にあおるショウ。
ちょっと眉をしかめたけど、どろどろを見事全て飲み干した。
「まず。飲めたもんじゃない」
「じゃあ、今度からはハチミツかガムシロップでも入れる?」
「え、今日だけじゃないの?」
露骨に嫌な顔するね。
でも駄目。もう決めたから。
「だって、まだこんなに余ってるんだよ。もったいないじゃない」
「そういう理由は止めろ」
私が抱えているプロテインの缶を睨み付けるショウ。
「ただいま20%増量中」の文字が何とも頼もしい。
「大丈夫だって、その内慣れるから。さ、準備運動も済んだし、そろそろトレーニングに行くわよ」
「何のトレーニングですか」
「え?」
声がした方を向くと、コーラの紙コップを手にしている男の子がいた。
「また、騒ぎを起こしているようですね」
「局長」
そう、矢田自警局局長である。
しかも、例によって難しい顔をしている。
「悪い。今回は俺が原因だ」
私の前に出て、局長に頭を下げるショウ。
すると局長は戸惑いの表情を浮かべて、手を振った。
「別に、玲阿君を責めた訳ではありません。僕も経緯の報告を受けただけですから」
「何よ、ショウには甘いわね。もしかして、惚れてるんじゃないの」
「き、君。そういう言い方は無いだろうっ」
あ、怒った。
「冗談じゃない、冗談。誰も、局長が男の子を好きだなんて言ってないわよ」
「ば、ば、馬鹿な事を」
相当頭に血が上ったのか、言葉が出てこないようだ。
真面目な人をからかうのは面白い。
でも、図星だったらどうしよう。
「ぼ、僕には好きな女の子がっ……。い、いえ。なんでもありません」
急にとんでもない事言ったよ、この人。
当然周りにいた人達も、笑いを堪えて局長を見ている。
「と、とにかくこれからは気を付けるように。そ、それでは」
逃げるように遠ざかっていく局長。
へへっ、いい事聞いた。
今度から、文句言われたらこれ使おう。
「ユウ、あんまり矢田をいじめるなよ」
「いいじゃない。いつも怒られてばっかなんだから、たまには」
「そうだけど、あいつだって好きで怒ってる訳じゃないんだぞ」
妙に局長の肩持つね。
この二人仲いいみたいだし、もしかしてショウの方が怪しいのかな。
「好きなの?局長の事」
「まさか。俺も、好きな女の子がいるの。て言ったら、どうする」
意味ありげに笑い、すたすたと歩いていくショウ。
「誰よそれ」とは聞く気ににもなれず、私はジュースをちびちび飲みながらショウの後を追うのだった。
まさかとは思うけど。
でも、だけど。
それにしても、走ってないのに鼓動が早いのはどうしてだろうか……。