10-21
10-21
エピローグ
膨らむ桜のつぼみ。
散る梅の花。
緩やかな日差しの中、冷たさを含んだ風が吹き抜ける。
「学校法人草薙学園 高等部」
大きな文字で書かれたプレートを眺め続ける少年。
彼は青いリュックを背負い直し、その視線を校内へと向けた。
旧白鳥庭園を内包する、緑豊かな学内。
休日に入った今日は人影もなく、クラブの生徒すら見かけられない。
正門は閉じられ、その脇にある小さな扉を時折業者らしい者が出入りする程度だ。
「何してるんだ」
やや険のある声。
少年は笑顔で、後ろに振り向いた。
「旅立ちの時だからね。一応」
「下らない」
「じゃあ、君はどうして」
「その、旅立ちの時だから」
間の逆質問に、顔を逸らし気味に答える杉下。
二人は楽しそうに笑い、プレートの前に立った。
「峰山君には、悪い事をしたよ」
「次期自警局長なんだろ」
杉下は首を振り、塀へもたれた。
「来期には、まだおかしな連中が入ってくる。そいつらを道連れにしてから、学校を辞める気だ。おそらく、小泉君も」
「冷静な子だと思っていたのに」
「俺や屋神さんの事を気にしてるらしい。全く、馬鹿馬鹿しい」
「同感だよ」
二人の口から漏れるため息。
薄い雲が、日差しを遮る。
影に落ちる彼等の姿。
風は冷たさを増す。
「それで、これからどうするつもりだ」
「北陸の方へ行こうかと思って。伊達君の知り合い、例のワイルド・ギースに会いたいから」
「謝るのか、それとも誘うのか」
「両方だよ。ただ、雇うだけの金が無い。それ以前に自分が旅するだけでも、結構苦しいんだよね」
苦笑する間。
するとその鼻先に、一枚のカードが差し出された。
「なに、これ」
「旅費の心配をする必要はない。それに、渡り鳥の契約金も」
「ええ?」
怪訝そうに見つめてくる間に、杉下は顔を寄せた。
耳元にささやかれる、密やかな声。
「俺に渡されていた報酬の一部だよ。理事達が使い込んだ事にして、ある程度を確保してある」
「そ、それって横領だろ」
「大丈夫。証拠は一切無いし、理事長は理事達への刑事告訴をしないって言ってただろ。だから俺にまで手が伸びる事はない。それに、この事を知っているのは俺と屋神君だけさ」
屈託のない、子供のような笑みを浮かべる杉下。
間はカードを手に取り、顔をしかめながらそれを胸元のポケットへ入れた。
「共犯か。面白くないな」
「俺を誘ったのは、君だ。そうやって、自分のミスを悔いるんだね」
楽しげな笑い声。
再び差し込み始める日差し。
間は小さくため息を付いて、カメラを取り出した。
「……済みません。ちょっとお願い出来ますか」
それを通りがかった年輩の女性に渡し、門の前で構えを取る。
「ほら、君も」
「どうして」
「記念だよ、記念」
「横領の?」
肩を組み、声を合わせて笑う二人。
カメラを渡された女性は、訳の分からないといった顔のままその姿を写真へ収めた。
「ありがとうございました」
「い、いえ」
逃げるように去っていく女性。
間はカメラをリュックへしまい、もう一度学校を振り返る。
遠い切なげな、そして誇らしげな眼差しで。
それは彼の隣にいる杉下も変わらない。
自分達の行為が正しかったのかどうか。
そして今からの行動が正しいのかどうか。
その答えは、どこにもない。
二人の、晴れやかな表情の他は。
「君が北なら、俺は南へ行こう」
「その内、会えるよね」
「ああ。さよなら」
「うん。また今度」
手を振り、背を向ける二人。
離れる距離。
お互いのだけではなく、学校とも。
だけど道は続いている。
どこかでつながっている。
今は二つに分かれていても、いつか出会う日が来るだろう。
今までの彼等がそうだったように。
これからも、きっと。
二人は振り返らない。
ただ歩き続ける。
それぞれの道を。
一つの、同じ道を……。
数日後。
春を感じさせる柔らかな日差し。
耳に心地いい、クラッシックのBGM。
シルバーのRV車は、東京方面へ向かう第2東名高速道路を走っていた。
制限速度を下回る、80km/h辺りの速度。
次々と追い抜いていく、後続車。
運転手は気にした様子もなく、BGMにあわせてハンドルを指で叩いている。
「次のパーキングはと」
「また止まるの?」
「病人乗せてるんだ。慎重に行かないとな」
「大袈裟ね。私は別に、何の問題もないわ」
気だるげに、その端正な顔を運転席へ向ける新妻。
頬は微かに赤みを差し、瞳は綺麗に輝いている。
自分で言う通り、体調は良いようだ。
「医者が言ってたんだよ。休み休み行けって。それに、また熱が出ると困るだろ」
「お姫様の運転手じゃあるまいし。ねえ、観貴ちゃん」
後部座席から身を乗り出した涼代は、笑い加減で彼女に話を振った。
新妻は曖昧に微笑み、青いシャツの胸ポケットから一枚のカードを取り出す。
彼女の顔写真と名前。
左上には、静岡にある名門校の校名が書かれている。
「遠くまで行くのね」
ぽつりと漏らす新妻。
クリアな防音壁の向こうには、豊かな水面が広がる。
旧静岡内との県境にある、浜名湖水上。
新妻は落ち着いた表情で、春の日差しにきらめく湖面を眺めている。
伏せられる視線、微かに歪む口元。
「駄目ね。何も出来なかった……」
小さな、かすれ気味のささやき。
肩が揺れ、膝の上にあった拳が固まっていく。
「仕方ないわよ。でも私は、良くやった方だと思いたいわ」
「そうかしら」
「ええ。戦略的撤退、I shall returnよ」
「戻れる訳無いでしょ」
醒めた声で返す新妻。
涼代はくすっと笑い、彼女の肩にそっと触れた。
「確かに、戻れない。でも、良いじゃない。頑張ったんだから」
「経過より、結果ではなかったの?」
「いいの。そういう陰気な考え方してるから、病気がちなのよ。持病のしゃくが、その内出ない?」
今度は頭を撫でられ、綺麗にブラッシングされた新妻の髪が乱れていく。
「人を馬鹿にして。楽しい?」
「ええ。これからもからかえるかと思うと、夢みたいね」
「私にとっては、悪夢じゃなくて?」
苦笑した新妻は、髪を整えながら運転席へ目をやった。
「どうして、送ってくれる気になったの?」
「暇だったし、杉下や間を見送るよりは楽しい。三島の見舞いも飽きたしな」
「観貴ちゃんが心配だって、素直に言えばいいのに」
「馬鹿」
新妻の突っ込みも気にせず、涼代はヘッドレストに手を当てたまま笑っている。
「SDC代表なんて肩書きも無くなったし、襲われる心配もない。みんなと別れるのは確かに辛いけど、それは仕方ないから」
つかの間清楚な顔に影が宿り、消えていく。
「という訳よ」
「空元気、か。冴えないな、お前も」
「自分はどうなの」
「別に。何の責任もないんだし、気楽にチンピラやってるよ」
屋神は鼻を鳴らして、軽くアクセルを踏み込んだ。
少しだけ加速が付き、景色が早く流れていく。
「いいご身分ね」
「お前達みたいな責任感は無いだけさ」
「そうかしら」
からかい気味の視線を向ける新妻。
涼代も笑いながら、背もたれへと倒れ込む。
「飯でも食べるか。ウナギでも」
「屋神君の奢りで?」
冗談っぽく尋ねる涼代。
屋神は口元を緩め、ダッシュボードから一枚のカードを取り出した。
「金なら心配するな」
「……杉下君から?」
さりげなく問い掛ける新妻に、屋神はワイルドに微笑んだ。
「安心しろ。金に名前は書いてない」
「そうね。体に良い、肝吸いでも頼もうかしら」
「食え食え」
「二人とも、勝手な事ばかり言って。……桜エビって、今食べられる?」
楽しげな会話と笑い声。
そこに悲痛な影は、微塵もない。
悔しくても、苦しくても、辛くても。
それを乗り越える事は出来る。
一人ではなく、仲間がいればきっと。
全てを笑い飛ばせる、もう一つの強さ。
例え離ればなれになっても、する事は違っていっても。
無くならない物がある。
同じ時を過ごした友との、思い出は。
その思いは。
そしていつの日か、振り返る。
あの時を、その思いを。
後悔ではなく、喜びと誇りと共に。
出会えた事、共に戦った事を。
でもそれは、遠い先の話。
今は悲しみを、笑い飛ばす時。
その日のために……。
第10話終わり
第10話(第1次抗争編) あとがき
予定以上に長い話になりました。
また、熱い話になりました。
登場キャラも、本編並みにいますし。
これだけで終わらせるには惜しい人も、何人かいます。
ちなみに「第1次抗争編」というのは、今が「第2次抗争編」という意味から。
色々矛盾や辻褄のあわない点もありますが、自分でも把握しきれてません。
メインはやはり、屋神さんでしょう。
何と言いますか、男です。
塩田さんが惚れるのも、無理ありません。
ヒロインが、新妻さん。
鋭いというか、切れるというか。
一人一人語りたいところですが、詳しくはいずれ書くキャラクターデータで。
少し寂しいラストですね。
一応、今まで本編で書いていた通りではあるんですけど。
ただこれで学校の狙いや、塩田さん達との確執は何とかなりました。
なった気がします。
なっていればいいなと思います。