10-14
10-14
運営企画局、企画課。
ミーティング用に使われる小さな一室。
あるのは8人掛け程度のテーブルと椅子。
資料検索用の端末がケーブル接続で備え付けられていて、壁際には規則や企業関係の本が棚に収まっている。
正面には大型のディスプレイがあり、今は海洋生物の映像をライブで中継中だ。
「塩田君が、また襲われたって」
肩をすくめる天満。
それを聞いた中川は、鼻を鳴らして腕を組んだ。
「あの子、血の気が多過ぎるのよ。だから狙われるんじゃない?」
「屋神さんも、そう言ってた。落ち着けって」
「嶺奈にも言えるけど」
「私はちゃかついてるの」
自分で説明した天満は、跳ねた髪を適当に撫でつけテーブルに伏せた。
「やる事ないー」
「確かに、あなたは企画の人間だものね。生徒がいないと、どうしようもないか」
「新入生用の企画はもう終わってるし、それの話し合いは他の局員がいないと始まらないし。何で私、学校に来てるんだろ」
「これも、屋神さんが言ってたじゃない。このメンバーは狙われる可能性があるから、出来るだけ目の届く所にいろって」
「却って危ない気もするんだけど」
一瞬真剣味を帯びる天満の表情。
だがそれは中川の顔を見上げた時には、消えて無くなっていた。
「杉下さんは、どう?」
「相変わらず。会っても素っ気ないし、早く帰れって」
「予算も、なかなか許可してくれないのよ。いくら暇でも、多少は発注する物とかあるのに。運営企画局の残金も、ちょっと危ないの」
「新妻さんは、なんて」
「企業から、直接物で援助してもらう形にすればって言ってる」
テーブルの上に置かれているのは、「試供品」と書かれたお菓子やティーンエイジ向けの化粧品。
文具やちょっとした電化製品なども並んでいる。
「この程度ならどうにかなるけど、人件費や施設の使用料はちょっとね」
「杉下さん、か」
やるせない顔で呟く中川。
だが、この間までの切なさはかなり薄れている。
完全に払拭したとまでは、言えないようだが。
「生徒会と揉めて、私達を挑発してるのよ。それこそ学校の、思うつぼだわ」
「屋神さんみたいな事言うね」
「そう?どっちにしろ、我慢するしかないわ。来期になれば一般生徒も出てくるし、向こうもそう無茶は出来ないでしょ」
「余計混乱させやすいんだけどね」
そのささやきにも、中川は動じない。
少なくとも、その素振りは見える。
インターフォンの合図と共に、ドアが開く。
「済みません、入学式後のガイダンスなんですが……」
「大山君、あなたも学校にいたの」
「色々仕事がありましてね、中川さん」
そつなく微笑み、大山は書類をテーブルへと置いた。
「私、こういうの苦手なの。企画は立てたんだし、後は学校の仕事でしょ」
「職員が断ってきたんです。どうせなら、全部自分達でやれと」
「とにかく、私は忙しいから。大山君に一任します」
さっきとは違う事を言い、書類を突き返す天満。
「仕方ない。屋神さんか、間さんに頼みましょう」
「来期も間さんだもんね、生徒会長」
突然笑い出した天満と、それに合わせるかのように笑い出す中川。
大山も、珍しく声を上げて笑っている。
「まだ選挙は終わってませんよ」
「立候補者は、間さんだけでしょ」
「ええ。理屈では、彼が最有力候補です」
再び笑う大山達。
するとそこに、当の間が入ってきた。
「大山君は……。何笑ってるの」
「い、いえ。それより、私に何か」
「明日総務局の会合があるだろ。その資料を、少し見ておこうかと思って」
「へえ、間さんも仕事するんだ」
真顔で感心する天満。
中川は笑いを堪えて、彼女を肘でつつく。
「たまにはね。基本的には屋神君と大山君がやってくれるんだけど、どうしても俺がやらないといけない仕事もあって。参るよ」
「それは私の台詞です。忙しいのは分かりますけど、私も同じですから」
「はいはい」
大げさに頭を下げ、テーブルの上にあったお菓子を食べ始める間。
「あ、これ美味しい」
「持って帰ったらどうです。まだ、たくさんありますから」
「はは、貰ってしまった」
天満のような言葉使いをして、チョコスティックの箱を大山に見せつける。
大山はため息を付き、それを一つ手に取った。
「……ん、これはなかなか」
「だろ。お茶欲しいね」
「今入れます」
苦笑して、壁際にあった給湯ポットにお湯を注ぐ中川。
暖かな白い湯気が、立ち上っていく。
「難しい状況ではあるよ」
マグカップを両手で持ち、そう呟く間。
天満と中川だけでなく、大山もが表情を変える。
「俺がこういう事言うと、変?」
「そうではないですが」
「もっと脳天気だと思ってた」
「嶺奈。でも、私も同意見」
上がる笑い声。
間は紅茶を一口含み、マグカップをテーブルへ置いた。
「杉下はどうやら学校側。塩田君は誘拐未遂。俺達自身も監視下にあるし、時折狙われている。学校は常に管理案を施行する機会を窺ってる」
「それで」
「大変だね」
またもや顔色が変わる大山達。
多少呆れ気味であるのは致し方あるまい。
「でも、何となるよ」
「その根拠は」
詰問に近い調子で尋ねる大山。
間はポテチをかじって、指先を舐めた。
「君達がいるからね」
「え?」
「屋神君達も含めて、そういう人間が揃ってる」
力強い口調。
「そうは思わない?」
「自分では、そこまでの自信はありませんよ」
苦笑する大山。
天満と中川も、小さく頷く。
「じゃあ、これから持てば」
「そう軽く言われても」
「ねえ」
顔を見合わせる女の子達。
大山は困惑気味な視線を間へ送る。
「1年にして、名門草薙高校の生徒会幹部。各種成績も優秀で、奨学金も上限まで支給。中等部までの成績も同様。そして一般生徒達からの評価も高い」
「実感は無いけど」
「屋神君や新妻さんと比べるから、そう思うんだよ。ああいう人達は、例外」
楽しげに笑う間。
それに対して、ぎこちなく笑う大山達。
不思議な先輩と後輩の光景であった。
一人廊下を歩く間。
その行く手に立ちふさがる数名の男。
警棒を肩に担いでいる者もいる。
「間だな」
「そうだけど、俺に何か」
逃げ腰で聞き返す間だが、後ろからも人影が現れる。
「俺を殴っても、何にもならないと思うけど」
「お前が気にする事じゃない」
突きつけられるショートフック。
後ずさったタイミングが良かったのか、かろうじてそれは鼻先を通り過ぎる。
「本当、謝れっていうなら謝るから」
「プライドはないのか。え」
「殴られるよりはましだよ」
そうする間に、壁際へと追い込まれる。
周りは完全に囲まれ、逃げる隙はどこにもない。
「生徒会長を辞めるか、退学するか。それとも、俺達の言う事を聞くか」
「それ以外の事なら、どうにかする」
「じゃあ、仕方ない。取りあえず、学校に来られないくらい……」
振り上げられる警棒。
だがそれは、顔を強ばらせる間の頭上には振り下ろされない。
戻っていく警棒。
歪む顔。
叫び声と共に飛んでいく体。
「一人で歩くな」
男を放り投げた三島は、間を後ろにかばい腰を下ろした。
開いた手を上下に構え、極端に落ちた膝。
一歩踏み出す三島。
激しい音が起き、トレッキングシューズが床にめり込む。
そのあまりにも鋭い震脚に、男達は一斉に後ずさった。
この場合実践的な意味合いは薄いが、威嚇としてはかなり効果的だったようだ。
「しょ、所詮太極拳だ」
「じじいの体操だろ」
「やれっ」
引いた勢いそのままで突き進んでいく男達。
三島は滑らかな足裁きで、その間をすり抜ける。
「なっ」
彼の腕を掴んだ男はいつの間にか床に叩き伏せられ、それ以外の男は全員鳩尾を押さえている。
そしてそのまま、床へ膝を突く。
「何したの」
「内勁だ」
「内径?」
かみ合わない会話。
三島は息吹と共に構えを解き、男達の首筋に手を当てていった。
「何それ」
「放っておいてもいいが、一応手当をしておいた」
「はあ」
適当に頷く間。
「それにしても、随分いいタイミングで出てきたね」
「ここは、SDCの施設内だ」
「なるほど。でも、ああいう連中が出てくるようじゃ」
「分かってる。しかし、新1年として入っている連中もいてな。そいつらが内通した場合は、正直見分けが付かない」
今度はやや重めに頷いた間は、手に抱えていたバインダーを三島へと渡した。
「君に渡そうと思って。丁度良いから、ここで」
「来期の、ガイダンスか」
「運動部の新入生勧誘の時間も作るから。涼代さんにも言っておいて」
「分かった、生徒会長」
珍しく、冗談めいた口調をとる三島。
苦笑した間は床に崩れる男達に「悪いね」と声を掛けつつ、歩き出した。
「それは各クラブがやる事だから、私には」
「SDC代表としての挨拶。それに室内陸上部女子部長としての挨拶」
「来期から代表は、三島君という事で」
「もう決まった事だ。俺は副代表、君が代表と」
執務用の机で頭を抱える涼代。
間はのんきに、棚に飾られているトロフィーや盾を眺めている。
三島も表情のない顔で、机の前に立っている。
「杉下も、予算編成局局長を留任する。まあ、昔馴染みが揃ったという事で」
「あなたは屋神君や大山君に仕事をして貰ってるからいいだろうけど、三島君は何もしてくれないのよ」
「差し出がましい真似は嫌いなんだ」
「これだもの。いつまでこんな事が続くんだか」
何気ない一言。
そして涼代自身の顔色が変わる。
「たけ……。塩田君、さらわれたのよ」
「らしいね。屋神君と伊達君が、すぐ助けたらしいけど」
「いつまでも我慢してる場合じゃないわよ、これは。犯罪じゃない」
「相手が相手だからね。この辺りの警察は、上層部が草薙グループ出身者で占められている。余程の証拠がない限りは、動いてくれないよ」
「だからって、いつまでも自衛してるの?正直、不満ね」
塩田のように剥き出しな感情ではない。
しかし強い憤りと悔しさは、彼以上に感じられる。
間は刺すような眼差しを受け止めたまま、応接セットのソファーへ腰を下ろした。
「確かに面白い話じゃない。俺も、たった今襲われたばかりだし」
「だったら」
「学校との交渉は取り付けた。ただし、杉下も加えるとの条件で」
「それは、どちらからの申し出なの」
「学校。別に、問題はないだろ」
不承不承という様子で頷く涼代。
その指先が、机の上にあるフォトスタンドを触れていく。
「あの頃は、何もかもが上手く行くと思ってたのに」
「理想と現実?俺は、上手く行ってる方だと思うけど」
「学校の運営自体はね。だけど、私達の関係はどう?」
「そこを突かれると、答えようがない」
両手を上げる間。
三島は例により無言。
涼代も、ため息混じりにフォトスタンドを手に取った。
「誰かが犠牲にならないと、幸せになれないのかしら」
「沢君は、そんな事を言ってた。幸せの量は相対的だって」
「あなたはどうなの」
「もっと楽天的だよ。そう思い込みたいだけかも知れないけどね」
間は苦笑して、ジャケットのポケットからチョコスティックの箱を取り出した。
「甘さの中に隠された、微かなほろ苦さ」
「え?」
「いや、このお菓子のコピー」
一本ずつ受け取り、かじる涼代と三島。
お互い顔を見合わせ、首を振る。
「それはともかく、これからどうするの」
「夏休み同様、2年だけで責任を取る。俺の考えは、それだけ」
「……そうね。私も、それでいいと思う」
「ああ」
チョコの甘さに、顔を緩める3人。
微かな苦い表情を、漂わせて……。
「お年玉でも欲しいよね。なあ、小泉君」
「いえ、僕は」
「清水さん、お年玉は」
差し出した林の手に、果物ナイフを突きつける清水。
それは指の間をすり抜け、こたつの台すれすれで止まった。
「あ、危ないな」
「正月なんて、とっくに終わってる。大体、どうして私にもらおうとする」
「気分的にね。あーあ、爆竹でもやろうかな」
ベランダには多少の燃えかすがあるが、清水の一喝でそれは禁止となっている。
「やりたいなら、外でお願い」
「だって。行こうか、小泉君」
「あ、あの」
「子供は風の子だ」
寒風吹きすさぶ、午後の公園。
子供や親子連れの姿はなく、ジャケットやコートの前を押さえる小泉達がいるだけだ。
「どうして私まで」
「大勢でやった方が楽しいんだよ。紙銭でも焼こうか」
「そんな慣習に付き合う程暇じゃない」
「ご先祖様は大切にしないと。たまには、大陸にでも帰ろうかな」
「君は、横浜生まれの横浜育ちでしょ」
清水の突っ込みを無視して、爆竹に火を付ける林。
派手な音と火花が散り、辺りにもうもうと白煙が舞い上がる。
「春節にはまだ早いんだけどね」
「しゅんせつ?」
「旧正月の事」
華奢な指先に息を吹きかけ、足踏みをする清水。
するとその方に、濃茶のダッフルコートが掛けられる。
「ちょ、ちょっと」
「僕、寒いのは強いんです」
はにかみ気味の、どこか男らしい表情。
清水は口元で何かを呟き、コートの前を合わせた。
「参ったね」
「はい?」
「寂しい男の独り言だよ」
「な、何をっ」
コートを脱ぎかけた清水だが、寂しげに微笑む小泉と目が合いすぐに掛け直す。
「俺にも可愛い女の子が……」
爆竹に付けていたライターをポケットへしまう林。
立ちこめる白煙。
その向こうにかすむ、女性のシルエット。
「大内?」
淡々とした中に、微かな親しみの声が混じる。
「久し振り」
頬を上気させた大内は、革のロングコートをたなびかせ清水に抱きついた。
「いい年して、何してる」
「良いじゃない、ねえ」
話を振られた仲間達は、苦笑気味に肩をすくめる。
「……誰、この子」
大きな目を細め、白いセーター姿の小泉を見据える大内。
清水は口元でなにやら呟き、突然爆竹に火を付けた。
「わっ」
慌てて飛び退く大内達。
その煙の彼方に、清水の姿も消える。
「何、あれ」
「さあ」
首を傾げる、ショートヘアの二人組。
大柄な子は茶、もう一人の小柄な子は金に近い。
「実際、どうなの」
背の高い理知的な面差しの女の子が、それとなく林の耳元でささやく。
「さあ。本人に聞いてみたら」
「どっちの」
「さあ」
喉元で笑う林。
その間にも大内は、小泉から視線を逸らさない。
「あ、あの」
何か言いかけようとする小泉。
大内は懐に手を入れ、柔らかく微笑んだ。
「おい」
珍しく緊迫感のある声を掛ける林。
しかし大内は、彼を振り返らずその手を抜いた。
小さな乾いた音。
そして赤らむ小泉の頬。
「しゃきっとしなさいよ」
優しい、姉のような笑顔。
小泉は頬を抑えもせずに、ぎこちなく頷く
そして大内も。
「ここは寒いわ。早く部屋へ行きましょうよ」
こたつにはまり、談笑に更ける男女。
食べ物や話のみならず、アルコールの量も進んでいく。
「アキラさんは、いつまでいるの」
金髪の可愛らしい顔立ちの子が、赤ら顔で尋ねる。
それに合わせて頷く、茶髪の女の子。
名前はそれぞれ、小松と中西。
もう一人の長身の子が本並だと、清水が先程紹介した。
「決まってない。せっかく草薙高校に入れたんだし、出来ればこのままとも思ってはいるけど」
「傭兵も卒業ですか?ちょっと、らしくないですね」
彼女のグラスにワインを注ぎ、おかしそうに微笑む長身の女性。
清水は、顔を逸らし気味にそれをあおった。
「仕方ないわよ」
対して大内は、楽しげに鍋をつついている。
「な、なにが」
「あ、言ってもいいの」
「な、なにを」
「はいはい。先輩飲んで飲んで」
はやし立てながら、清水のグラスにワインを注いでいく女の子達。
清水は眉をひそめ、それでも一気にグラスを空にした。
「さすがアキラさんっ」
「傭兵の鏡っ」
「建物壊したら日本一っ」
どっと笑う女の子達。
大内は苦笑して、林のグラスにビールを注いだ。
「どうなのよ、実際は」
「俺の見たところ、お互い憎からず思ってるって感じだね。何と言っても、添い寝する仲だから」
「添い寝?それだけ?」
真顔で頷く林と、首を振る大内。
そして彼女は隅で小さくなっている小泉を捕まえ、ワインボトルを掴ませた。
「あ、あの」
「いいから、飲んで」
「ぼ、僕。そうお酒は」
「だったら、アキラさんに飲んでもらうわよ」
後ろを指さす大内。
そこには酔いが回り、こたつに埋まって寝込んでいる清水の姿があった。
「……分かりました」
突然真顔になり、一気にボトルを傾ける小泉。
蒸せ返し、息継ぎをして。
苦しげな表情を浮かべながらも、飲むのを止めようとはしない。
「……そこまで」
ボトルを掴み、その頭を軽く撫でる大内。
小泉は赤らんだ顔で、必死にあえいでいる。
「あなたも寝なさい」
「は、はい」
「そこじゃなくて、そっち」
目配せを受けた林は、小泉を抱えて清水の隣に彼を横たわらせた。
「あ、あの」
「気にしない、気にしない」
座布団で枕を作り、楽な体勢にさせる林。
最初は抵抗していた小泉も、酔いが回ってきたらしくすぐにその目を閉じる。
そして聞こえてくるのは、清水のそれと重なる微かな寝息。
二人とも健やかな表情を浮かべ、顔を寄せ合っている。
「世話が焼ける先輩ね」
「自分こそどうなんだ」
「私に見合う男なんて、いないわよ」
「俺も一応、男なんだけどね」
どっと笑う一同。
それに合わせて、清水と小泉の顔も緩んだように見える。
少し遅い正月、少し早い春節。
仲間達の、楽しい一時……。
射し込む朝日。
ゆっくりと開く瞼。
そして口元。
叫び声を抑え込み、小泉は慌てて顔を上げた。
「あ、あの。あっ」
とうとう上がる、小さな声。
「どうした」
「い、いえ。その、僕は、えと。気付いたら、いやそうじゃなくて。ワインが一杯で」
しどろもどろの小泉に対し、峰山は鼻を鳴らして湯飲みを傾けた。
「事情は聞いた。飲めないのに、無理をするからだ」
「え?あ、そうですか。とにかく、頭がちょっと」
「寝てろ」
素っ気ない一言。
小泉は眠そうに頷き、そのまま元の体勢へと戻った。
それと同時に、今度は清水が目を覚ます。
「なっ」
慌てて飛び起きる清水。
しかし小泉が起きないくらいの、静かな動きで。
「……峰山」
「ここでも添い寝か」
微かにその表情を和らげる峰山。
清水は言葉に詰まり、可愛らしい寝息を立てている小泉を見やった。
その頬へ伸びる平手。
だがそれは頬を過ぎ、彼の柔らかそうな髪を撫でていく。
「……どうしてかは、私も知らない」
顔を赤らめ呟く清水。
峰山は何も言わず、湯飲みを見つめている。
「この子の事は殆ど知らないし、どういう子かもまだよく分かってない。今までどうしてきたかも」
「それは、小泉もだ」
「君は気にならないの?この子が、その」
「本人がそうなら、それでいい。小泉だけでなく、君もな」
低いささやき。
清水は首を振り、何かを言い掛ける。
「晃さん、起きたの」
「え。ええ」
「そっちの子は、まだ寝てるわね。……で、あなただれ」
笑顔で尋ねる、青いブラウス姿の大内。
だがその大きな瞳には、剣呑な光が宿っている。
「そいつの知り合いだ」
「おぼっちゃんの?彼氏って雰囲気にも見えるけど」
「観察眼は鋭いな」
「冗談よ」
両者の間に流れる、鋭い気配。
敵意めいた物は感じられないが、一概に友好的とも言えない。
「んー、ぴりぴりしてるね」
部屋に入ってきた林が、苦笑混じりに全員を見渡していく。
「悪いか」
「いいや。はい、報告書」
弧を描いて放られるDD。
峰山は指先でそれを掴み、器用に手首を返してジャケットのポケットに入れた。
「こんなの必要ないと思うんだけどね。監視しなくても、分かる事が殆どだよ」
「なら止めるか」
「いや。楽してお金がもらえるなんて言う事無い」
「介入する場合もあるんだろ」
「場合もね。絶対じゃないし、義務でもない。その必要性があると俺達が認めた時だけさ。その際は、草薙高校内の規則に関係なく行動出来る」
穏やかな顔に一瞬浮かぶ、鋭利な表情。
清水は知らぬ顔で、落花生の殻を剥いている。
「あのー、あなたも関係があるんですけど」
「判断は任せる。私はこの後もここに残るつもりだし、あまり事を荒立てたくない」
「そうですか。清水さんは傭兵を卒業ですか」
「元々これといった目的があった訳でもない。女隊長の呼び名は、大内にでも譲る」
柔らかな清水の笑顔に、大内はため息を付いて小泉の頬をつついた。
「そんなに、この子がいいの?」
「そういう訳でも。ただ、あちこち渡り歩くのにも疲れた」
「分かるけど」
頬を軽くつねり、もう片方もつまみ上げる。
「まあ、この辺で勘弁してやるかな」
「下らない」
「私には意味があるの。みんな待ってるし、今日はもう帰るわ。林君も、さよなら」
「ああ」
「峰山君、だったわね。あなたも、また」
軽く手を挙げる峰山に、大内は鼻で笑いドアを出ていった。
「相変わらず、怖い子ですな」
こたつにはまって笑う林。
清水は台の上で指を組み、そこに口元を寄せた。
「女の子だけであちこちを渡り歩いてるんだ。多少の厳しさはないと、やっていけない」
「まあね。君も舞地さん達も、よく頑張ってるよ」
「他人事みたいに」
「俺は女の子じゃないからね。身の危険を感じる事も無い」
低くなる声。
「傭兵に憧れてグループに入ったはいいが、いきなり数人の男に襲われそうになるとか。そしてそれを助ける女の子も」
「なんだそれは」
「襲われそうになったのがさっきの大内さん達で、助けたのが清水さん達」
「昔の話よ」
淡々と呟く清水。
林は指を自分の頬へ当て、そのまま滑らせた。
「あちこち怪我をして、清水さんは彼女達をどうにか助け出した。それからだよ、あの子達が清水さんを慕うようになったのは」
「達、というのは」
「舞地さんという子達もいたんだけど、大内さんとは相性がちょっとね」
「突っ張ってるだけだ。それと、彼女達が「渡り鳥」だという事に多少の引け目を感じてるのかも」
清水は苦笑して、湯飲みを手の中で転がした。
「金のためなら何でもやる、私達「傭兵」。対して舞地達は「裏切らない、信頼する、助け合う」という自分達で決めたルールで行動する」
「どちらが偉いという訳でもないだろう」
「理屈では、そうなる。でも、所属する人間の質は違う。傭兵はお前も知っているような、おかしな手合いばかり。だけど「渡り鳥」は、一騎当千の者達ばかり。大内が拗ねるのも無理はない」
静かな口調は、立ち上る白い湯気と共に消えていく。
それを聞いていた峰山は、こたつに埋まって横たわっている小泉へ目を移した。
「そんな君がこいつを、か」
「理屈じゃないんだよ、峰山君」
「なるほど」
頷き合う男二人。
清水は一気にお茶を飲み干し、湯飲みをこたつへと戻した。
「私の事はどうでもいい。それよりも、連中の情報でも探ったら」
「その必要はないよ。今日は学校との直接交渉だから。俺達の依頼主は理事長だけど、その報告は直接彼女へと行く」
「交渉してどうにかなる訳でもないのに」
「殴られっぱなしは、性に合わないんだろ。俺達は、しばらく傍観さ」
教職員用特別教棟。
理事用会議室。
円卓式のテーブルの正面に居並ぶ理事と学校職員。
その反対側には、屋神達が腰を下ろしている。
杉下の顔もあり、彼も一応は生徒側に座ってはいる。
「証拠ならビデオと顔写真。証言も揃ってる」
「君達以外が撮影したビデオと顔写真。そして君達以外が尋問した証言は」
「それがないのなら、有効とは判断出来ない」
「警察に持っていっても、俺達はかまわないが」
「傷害事件担当の人に聞いたところ、それでは立件が難しいそうだ。型どおりの捜査はするが、おそらく無駄に終わると言っている」
素っ気ない、事務的な反応。
屋神達が提出したレポートやDDを見る気配すらない。
疑似ディスプレイで証言をする柄の悪そうな男の映像は消され、変わって学内の規則が音声付きで表示された。
「生徒の自警組織、通称ガーディアンに逮捕権捜査権はない。あるのは実行犯を拘束する権利だけだ」
「だから、拘束しただろ。それに捜査じゃなくて、尋ねただけだ」
「理屈を言い合うつもりはない。とにかく君達の勝手な判断に付き合う暇はない」
「それ以前に、権利の乱用だよ。後は、過剰防衛。訴えられるのは君達の方じゃないのか」
あくまでも突っぱねる理事と職員。
屋神達の話を聞くという態度は、少しも見られない。
「杉下君。君はどう思う」
「仰られる通り、自治の解釈が間違っているように思います。学生の本分は勉強であり、警察ごっこではないんですから」
背もたれに大きくもたれ、淡々と語る杉下。
屋神達はそれを、苦い顔で聞いている。
「ただ彼等が、何らかの武装グループに襲われているのは事実のようです。ですから、その解決策を探る方が賢明ではないかと」
「例えば」
「学内警備の強化。特に個人情報のチェック。生徒一人一人の行動を、より明確に知る必要があるのでないでしょうか」
「悪くないね、それは」
低い笑い声を上げる理事達。
杉下は一礼して、話を続けた。
「問題のある生徒には厳罰を、そうで無い生徒には手厚い報償。無論その判定を生徒がしていては話になりませんから、それについては学校の判断で」
「風紀を糺す、という事かな」
「ええ。施設管理や学内での物品販売などでも、問題点が見られます。それらを含め、色々と考慮すべきでしょう」
「君からの報告書は受け取っている。悪くない内容だよ」
目元を細める杉下。
対して屋神達は厳しい顔のままだ。
「規則改正に関してはいくつものハードルがあるが、これをベースに検討しようと思う」
「ありがとうございます」
「さて。君達から何か意見はないのかな」
余裕の笑顔を見せつける理事。
押し黙る屋神達。
理事達はお互いに頷き合い、席を立った。
「今日は、これまでとしましょう。また時間をみて、ゆっくりと……」
「黙れよ」
「何だって」
「黙れって言ったんだ。年なら、補聴器でも付けてろ」
屋神は机の上に長い足を乗せ、顎を大きく逸らした。
「そ、その態度は何だ。少なくとも、こういう場で取る……」
「子供を襲わせる大人よりは、礼儀を知ってるぜ。それともこの学校は、体罰重視のスパルタ教育に方針が変わったのか」
「い、今までの話を聞いていただろ。証拠がない以上……」
「規則、証拠、理屈。やりたいように、そこの奴とやってろ。その代わり、俺は絶対に従わないからな」
ブーツが机を捉え、派手な音が会議室に鳴り響く。
「俺達が襲われてる分には、まだ我慢してやる。塩田がさらわれたのも、こいつにやり過ぎた面がある。ただし、女達に手を出してみろ」
ゆっくりと二つに割れる机。
屋神は俊敏な動きでその間に立ち、スラックスのポケットへ手を入れた。
「……一人ずつ、同じ目に遭わせてやる」
「きょ、脅迫する気か」
「ああそうだ。とにかく、警告はしたからな」
椅子を蹴り飛ばし、ドアへ向かう屋神。
その顔が、背もたれに崩れて腕を組んでいる杉下へと向けられる。
「お前も好きなようにやれ。俺も、そうする」
「元々、そのつもりだよ」
「そうか」
ぶつかり合う熱い視線。
濃くなるお互いの気配。
しかし杉下は、気を抜けば気圧されそうな屋神の視線を真っ向から受け止める。
「覚悟、ありか」
「でなければ、やらない」
「お前一人で、やれると思ってるのか」
「傭兵はいくらでもいる」
薄く微笑む杉下。
その視線は意味ありげに理事達を捉え、すぐ屋神へと戻される。
「質では劣っても、数では勝る」
「……まあいい。せいぜい、頑張るんだな」
「お互いに」
焼け付くような視線を離し、ドアを出ていく屋神。
三島と伊達、そして塩田もすぐその後を追う。
「私は、私は屋神さんに付きます。そう、決めました」
顔を伏せ、杉下の前に立つ中川。
震える言葉、しかし力強い言葉。
「それでいい。俺に関わっていても、ろくな事がないから」
「杉下さん。でも私は」
「話は終わった」
「……冷たいんですね」
「そういう人間なんだよ」
上目遣いで一瞬杉下を捉え、ドアへと掛けていく中川。
今度は涼代と新妻が、彼の前に立つ。
「まだ、間に合うわよ」
「もう遅いさ。言ってみれば、賽は振られた。それも、相当前にね」
「それでも、私はまだ待ってる」
「人を信じられるのが、涼代さんのいいところだけど。いつかそこを、逆に突かれるよ」
「かまわないわ。私は、そうにしか生きられないんだから」
新妻の肩に触れ、彼の前を離れる涼代。
「君の、予想済みかな」
「そうね」
「君達がこっちに付くのも、まだ間に合うよ。学校対生徒。心情的にはともかく、勝ち目はない」
「それで、あなたは私達が学校に寝返ると思う?」
新妻からの逆質問に、杉下ははっきりと首を振った。
「あなたも、予想済みよね」
「まあね」
「言いたい事は色々あるけれど、彼に任せるわ」
素っ気ない口調と共に去っていく新妻。
残ったのは、間ただ一人。
「俺は別に、言いたい事はないよ」
「俺もだ」
どちらからともなく差し出される手を、お互いはしっかりと握り合う。
「また会おう」
「ああ」
笑顔で手を振り、ドアの向こうへと消える間。
杉下は鼻を鳴らし、机の上にあった書類をまとめた。
「杉下君、よかったよ」
歩み寄ってくる理事や職員達に浮かぶ、如才ない笑み。
「彼等が、何か文句でも?」
さりげない探り。
盗聴器らしき物は、伊達の手で全て無効化されてある。
「負け惜しみですよ。まだ、勝つ気でいるみたいです」
「はは。所詮は子供か。失礼、君の仲間だったね」
「かまいません。今は敵ですから」
固められた拳。
爪は手の平を破いて、血を滲ませる。
杉下は席を立ち、落ち着いた表情で彼等を促した。
「さあ、行きましょうか。彼等の行動パターンは分かってます。これからのスケジュールも、問題ないですよ」
「向こうからの同調者は」
上目遣いの、媚びるような笑み。
その他の者も、期待よりは好奇心を込めて杉下を見つめる。
誰でもない、仲間を裏切った者を。
「それは無いでしょう」
「でも一応、こちらでも仕掛けはしておくよ」
「ええ。同調者がいれば、俺も少しは気が楽になります。裏切り者と、後ろ指を指されないで済む」
「君は最大の功労者だよ。来期の予算編成局局長は勿論、生徒会の幹部にも入ってもらう。卒業後は、当然草薙グループ入りだ」
「新カリキュラムにも劣らないエリートコースだよ。期待してくれ」
一斉に上がる、低い笑い声。
杉下も、それに合わせて笑顔を作る。
醒めた眼差しと共に……。
「何が我慢しろ、だよ」
「ついな。足が長いのも困るぜ」
ニヒルに微笑み、足を組み替える屋神。
塩田は鼻を鳴らして、彼のデスクに腰を掛けた。
「そこに座るな」
「自分だって、いつも座ってるだろ」
「俺の机だ。だから、俺は座る権利がある」
「子供じゃあるまいし」
むくれつつも、塩田は机からは降りない。
「それに、大山は。天満さんも」
「陽動だ。メンバーが欠ければ、向こうも多少は動揺すると思って。まあ、そんなはずもないけどな」
「じゃあ、二人は」
「デートだ」
忙しく立ち振る舞うスーツ姿の男女。
端末のキーを打つ音やアナウンスの音がひっきりなしに聞こえ、談笑と足音がそれに重なっていく。
ソファーには年齢差のある男女が座り、別なコーナーでは備え付けの端末に向かう者達もいる。
「デート、だって」
「また風変わりなデートスポットで」
カウンターに出来た列に並ぶ大山と天満。
二人とも私服で、手には申請用の書類を持っている。
「こんなの、学校に提出すればいいのに」
「受け付けてもらえない可能性がありますからね」
「ただの、食堂メニュー改善要求じゃない。しかも今は食堂閉まってるし。それにどうせ出すなら、委託してる料理屋さんじゃないの」
「中部庁から補助金が出てますから。学校の言い方ではないですけど、結局は書類と規則なんですよ」
カウンターの女性に書類を出す大山。
女性はそれに軽く目を通し、電子サイン用のペンを押し当てた。
「3階の教育厚生室で、面談して下さい」
「はい、ありがとうございました」
書類を受け取り列から離れる二人。
「またお話し会?」
「法人ではなく、生徒会。つまり生徒個人の嘆願ですから。お願いします、はい分かりました。とはなりませんよ」
「あー、早く大人になりたいー。って心境ね」
「そんなところです。行きましょうか、その教育厚生室へ」
申請書を受理され、食品管理・栄養問題担当部署(仮)を二人が後にしたのはそれから数時間後。
お互いやつれ気味で、足元も何となくおぼつかない。
「これで、メニューは改善されるの?」
「ええ。50kl分の援助と、地方の名産を週1度フリーメニューに付けてくれます」
「そんな事のために、私はこの1日を……」
「確かに、しなくてもいい交渉ではありました」
顔を見合わせて笑う二人。
夕暮れ前の日差しは緩やかで、彼等を白い色に染めている。
「大山君は、どう思う」
「漠然とした質問ですね。間さんなら気楽に、河合さんなら笑って済ませる所ですが」
「そう、甘くはないと」
「だから尋ねたんじゃないんですか」
醒めた眼差しを、天満は薄い笑みで返した。
「このまま無事で済むとは思えないから。杉下さんが向こうに付いた事で、こちらは一気に追い込まれた。そして私達にあるのは結束だけ」
「それがあるだけ、大したものですよ。裏切り者が出てもおかしくない状況です」
「君は」
刺すような一言。
大山は黒のロングコートを翻し、白い日差しに目を細めた。
天満の柔和な表情は、その影に消える。
「答えられない?」
「答えてもいいんですか」
「かまわない。二人しかいないんだし」
重なる視線。
白い息が、風に揺れる。
「杉下さんや学校と接触しているのは認めますよ。特に学校から、かなりの期待をもたれてるのも」
「時折あった、私達の情報が漏れていた件については」
「あれは中川さんですよ。当たり障りのない情報でしたけど、杉下さんの頼みは断れなかったようです。知ってるのは私と、後は沢君ですね。屋神さんも、薄々は勘付いているいるでしょう」
「肝心な、あなたの気持ちは」
穏やかな表情。
しかし鋭い口調は変わらない。
「学校側、と最初は思ってたんですけどね。事情が変わりました」
「先を越されたっていう意味」
「ええ。杉下さんが、もう向こうに付いてます。勿論今でも条件は良いですが、彼程は厚遇されません。むしろ利に走ったと評価されるだけです」
低い、感情のこもらない声。
風になびく前髪をかき上げ、一歩踏み出す。
「軽蔑しましたか」
「良い感情は持たない」
「でしょうね」
背中越しの、自嘲気味な笑い声。
それはすぐ、足音にかき消されていく。
「分かってたけど」
「私の行動を?」
足を止めないまま尋ねる大山。
その隣に並んだ天満は、朗らかに笑って彼の腕を取った。
「あの」
「寒いもん。それにいいじゃない、二人きりなんだし」
「デートじゃないですか、まるで」
大山は苦笑して、天満のゆっくりした足取りに合わせる。
何がおかしいのか、笑い続ける天満。
夕暮れ前の白い日差し。
二人の姿は、その中に溶け込んでいく。
何もかも。