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将校女物語  作者: 千野梨
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五話

 機械油と金属が削れていく時の独特の臭いが満ちていた。

 南火半島方面軍基地内に作られた巨大工房の中で機兵の修理が行われている。

 セラリスは作業服に着替え、ヘルメットを被り、彼女自身の機体を修理していた。

 現在のこの国における下級将校の役割は何でも屋的な意味合いが強い。

 なし崩し的な国家総動員令の結果、実は軍員数は過去最大となり周囲全ての国と戦える量になっていた。他国は常備兵と傭兵合わせて3~5個軍なのに対し、一般市民の志願兵と熟練兵を合わせた15個軍を所持している。市民革命の結果、「オラが国を守るべー」というナショナリズムが強まった結果である。反面、何もかもが足りなかった。

 機兵乗りはとりあえず最低限度の操縦方法を教えられ、前線に送られた。兵の質を維持するために熟練兵との混合部隊を形成(アマルガム制度)させられている。おかげである程度の兵の質と、かなりの量が確保できたが、その増大に対して整備員の数が足りなかった。

 そのお鉢が下級将校に回ってきた。機兵の操縦法だけでなく、メカニズムや工作知識を教育されている下級将校が自身の小隊、中隊機の整備および修理も行うことになった。


「ずいぶんゴツくなっちゃった」

 そうセラリスが修理を終えた自身の機体を見て呟いた。

 数日前の戦闘で破壊された肩の装甲は、山賊が使っていた機体のものを流用している。

 機能的意味はないようなトゲトゲがあった。最初、削ってしまおうかと思ったが、結局残すことにした。この装甲こそ、彼女が初陣で勝利を収めた証拠であるからだ。

「お疲れ様です、少尉殿。お茶の用意が出来ております」

 最近、どうも彼女の個人的執事のポジションになりつつあるランスロットが言った。

「うん、ありがと」機械油のマニキュアをつけたかつてのお嬢様が頷いた。

 工房の中だと作業の邪魔になるので、外の小高い丘の上にシートを敷いてお茶を飲む。

 修理を終えたことで精神的な一区切りついたのか、セラリスはようやく景色を見る余裕が出来た。遠くには雄大な須弥山脈連峰が広がっており、空はどこまでも青く高かった。冬が近いことを知らせる雪呼草のささやかな青い花が咲いている。「こんなに綺麗な場所だったんだ」とセラリスが思い、戦場にいることを忘れそうになった。しかし、駄目だった。

 気がつけば景色を楽しんでいたはずの視線は、敵情を探る観測的なものになっている。

 元教官と一緒にいるせいか、「この地形ではどこに陣を敷くべきか」「どう機兵を迂回させるべきか」と野外教練を行っている気分にさえなってくる。これはもうビョーキね、と思った。

「初めての戦闘はいかがでしたか?」

 ランスロットがここ数日意図的に避けていた話題を振った。

「楽しかったよ。楽しくて、楽しくて、毎晩夢に出るくらい。だから……」

 身を投げ出すように仰向けにセラリスが横たわった。そして空を見上げながら続ける。

「しばらくは、やりたくなーい。少なくとも自主的にはね。命令なら別だけど」

 そう言ってぐでーっと伸びをするセラリスにランスロットが何か差し出した。

「そうそう、この前の戦闘で得た敵機兵の報奨金が出ましたよ」

「んー、どれどれ?」

 寝転がったまま、セラリスが明細書を受け取る。

「……ッ!」次の瞬間、彼女の表情が変わった。

「こ、こ、ここここ、こんなに……?」

 そこに記されていた金額に、彼女の脳裏で何かがフラッシュバックした。



 機兵学校は厳しかった。女であっても、他の男の生徒と同じ部屋で寝泊まりさせられたし、ロッカーには扉がなく中が丸見えであった。トイレ以外にプライベートな場所が存在しない。

 何よりキツいのが、食事の貧しさだった。体力が必要なため、カロリーとたんぱく質こそ十分であったが、とにかくマズい。聞いた話だと意図的にマズくしてあるらしい。物資行き届かず、ロクな食事が出ない戦地でへこたれないように慣れさせておくためであった。

 そんな中、一度食事にジャムパンが出たのである。久しぶりの甘味であった。

「もう少し、ちゃんとしたスイーツが食べたいなぁ」と大して期待せずセラリスが口に運ぶ。

 その瞬間であった。


「………………ッ!」


 全身を電流が駆け抜けた。

 安物のジャムパンは、今まで感じたことがないほど美味しかった。

「うそ? うそ? うそ? な、なにこれ? し、信じられない!」

 バクバクとジャムパンに齧りつく。お嬢様らしくパンを千切って食べる行為が出来ない。

 一日が終わったあと、もう動けなくなるほど激しい訓練。知恵熱が出るほどの教育。

 それらで疲れ切っていた脳を、ジャムパンの甘みが蕩けさせていく。

「…………はぐはぐっ(甘い! 甘い! 甘い!)」

 あああ、美味しい! こんなにも……こんなにも甘いモノが麻薬的なものだったなんて!

 今なら何でもしかねない。角砂糖に身も心も捧げちゃいそう!

 あの時食べた一流シェフのフルコースよりも……あの時食べた有名パティシエのスイーツよりも……冥青女学園でこっそりつまみ食いした揚げたてのから揚げよりも……

 今まで食べた何よりもこのジャムパンが美味しい!

「あ、ああああ、もうなくなっちゃう……」

 手の中のジャムパンを泣き出しそうな顔でセラリスが見た。

 も、もっと味わって、ちょっとづつ食べなきゃ……ちょっとづつ……あ、あ、あ、あ、あ、ダメ! 我慢が出来ない! ダメだってわかっているのにっ! おいしいよう!

「はむはむ! はむはむ!」

 あっと言う間に食べ終わってしまった。指先についてたジャムを必死で舐め取る。

 この瞬間から、彼女にささやかな夢が出来た。

 今度の初給料の時、調達屋からお菓子を買うという夢。



「うふ……うふふ……」

 麻薬中毒者に近い表情でセラリスが笑っていた。

 耐えた。必死で耐えた。厳しい訓練、脳が枯れ果てそうになる詰め込み教育、そして仕送りを使って調達屋からこっそりチョコなどを買う同期生を襲いたくなる衝動を耐えた。

 今までは無一文でお菓子を買うことが出来なかった。

 しかし、今日は初めての給料日! 買えるのだ! 今の彼女は買えるのだ!

「何買おうかなぁ。チョコかなぁ、シュークリームかなぁ。どっちも買っちゃう? 買っちゃう? いっちゃえ! 飲み物はあえて苦いお茶かコーヒーにしてぇ……うふふふふふふ」

「そこの19番」

「そういえば、同じ部屋の子が桜鹿島のお菓子食べてたなぁ。わたあめ、って言ったっけ。あれは絶対に食べる! どんな味なんだろう。あああ、もう楽しみすぎて死んじゃいそう!」

「おい、セラリス少尉候補生」

「もういい。太ったっていい! 糖尿病になったっていい! 私、食べまくるもん!」

「おーい」

「…………え?」と、セラリスが振り返る。「ラ、ランスロット教官!」

「ようやく気付いたか」呆れ顔でランスロットが言った。

「わ、わた、わた、私、買い食い禁止されてるのにこっそり調達屋からお菓子を買おうだなんて微塵も思ってません! 私、真面目ですから! 教官の言うこと何でも聞きますから!」

「落ち着け。自分は何も聞かなかった。安心しろ、セラリス少尉候補生」

 目の前で泣き出しそうになりながらテンパっている生徒をランスロットが落ち着かせる。

 彼は真面目だが、生徒たちのささやかな違反を見て見ぬふりする情けを持ち合わせていた。

「君に面会者だ。1階の6番小会議室へ行ってこい。待たせているから駆け足だ」

「は、はい!」跳ねるようにセラリスが走った。

 同時に疑問を覚えた。身寄りのない私にわざわざ面会するのは誰だろう?



 面会に使われた部屋には、あまり見たくない顔がいた。

「冥青先生……」

 セラリスが一カ月ぶりに会う眼鏡の男の名を呼んだ。

「やぁ、元気そうで何よりだ」嘘臭い笑顔で冥青がセラリスを迎える。

 そして、彼女の瞳を覗きこんで何かに気付いた。

「おや、身体だけじゃなく目も輝いている。何かいいことでもあるのかな?」

「ええ、どんな辛い地獄でも夢や希望は持てるとわかったので」

 お菓子のことをセラリスは言っていた。正直、このいけすかない男との会話をするより、早く給料をもらって調達屋の元へ行き、お菓子パーティーを開きたかった。

「君の夢や希望とはこれのことかい?」

 にこり、と笑って冥青が何かを見せた。その手にはセラリスの給与袋がある。

「……え?」と理解が追いつかないセラリスがぽかんと間抜けた顔になった。

「君からはまだ今年の分の学費が払われてなくてね。そのことを僕の友人でもある校長に伝えたら、謝罪まで加えてこれを渡してくれたよ」

「え……いや、ちょっと……」

「しかし、まだまだ足りなくてね。これから毎月、君が卒業するまで受け取りに来るよ」

 そう言って彼女の給料を持ったまま冥青が立ち上がる。

 ようやく正気に戻ったセラリスが叫んだ。

「ちょ、待って! 私のお金! 私のお菓子! お金お金お金! お菓子お菓子お菓子!」

「やれやれ、たった一カ月で随分下品になってしまったようだね」

「す、少しだけでいいから! チョコ買えるだけでいいから、置いていって!」

「それでは息災でいてくれたまえ、僕のためにもね」

 セラリスの必死さに噴き出しそうになりながら、冥青が部屋から出ていく。

「おーかーねー!」

 セラリスの虚しい絶叫だけが響き渡った。




「おかね……おかね……おかね……おかね……」

 現在。ランスロットに明細書を見せられたセラリスがぶつぶつと呟いていた。

 そして、何とも俗っぽい小者な笑顔を向ける。

「え、えっとぉ……もうちょっとくらい、山賊狩りしてもいいかなぁ……なーんて」

「畏まりました。それでは次の戦闘の準備を進めておきましょう」

 目の前の元お嬢様にランスロットがそう答えた。

 やれやれ、昔の彼女にとってはこの程度の金額、はした金であっただろうに。無一文で過ごした機兵学校時代の経験で、貧乏性とお金への執着が身に着いたらしい。もはや美しい景色に目もくれず、キラキラした目で明細書を見つめるセラリスを見てランスロットがそう思った。

 まあ、やる気が出てくれたのが何よりだし、このくらい俗っぽい方が兵にとっても良い。




 新しい最高司令官が南火半島方面軍に着任したのは、セラリスが来た一カ月後だった。

 黒髪で黒い瞳の背が低い二十代半ばの軍司令官としては異常に若い中将だ。

 大夏国の人間に人種的には近いが国は違う。その東に存在する桜鹿島の出身であった。

 ちょうとこの男が生まれた年、いかなる政治的理由があったか不明だが、桜鹿島は大夏国からこの国に売り渡された。そのお陰で一応はこの国の人間ということになる。

 名を七峰梨音といった。

「聞いた通り、軍の態を成していないな」

 司令部となっている、徴発した地元豪農の館で梨音がそう言った。

「参謀長、軍として再編成するのにどのくらいかかる?」

「三週間」無表情な眼鏡の参謀長がそう答えた。歳は三十前後と司令官より上だった。

「わかった。んじゃ、再編成後ただちに南下するぜ」

「最高司令官、敵のど真ん中に突っ込む気ですか?」淡々と参謀長が尋ねた。

「あったりめーだ。それ以外、勝ち目はねぇ。再編成したところで金がねぇから士気は最低、ここが天然の要塞だとしてもすぐに崩壊しちまう。生き残りたきゃ勝って奪うしかねぇ」

「つまり……理想を守るべき防衛戦争が、侵略戦争となるわけですね」

「そうだ。どれほど高尚なお題目を唱えようと、先立つもんがなけりゃ人間おしまいよ。新政府もそれを望んていると確信しているぜ」

 梨音は軍司令官としての才能もさることながら、政治的嗅覚にも敏感だった。

 だからこそ、この年で中将の階級と一個軍の司令官になれた。

「あとな参謀長、言葉が悪い。俺たちは侵略をするんじゃない。支配階級に搾取され続けている哀れな他国の民に自由と平等を与えに行くんだ。素晴らしいことじゃねぇか」

 自分の言った言葉を微塵も信じていない風に梨音が笑った、

 おおよそ平等とはほど遠い、誰よりも支配者になりたいという野心をたっぷりもった軍司令官が参謀長に伝えた。

「軍が再編成されるまでの間、俺たち手持ちの部隊はこの地域に点在する山賊を殲滅する。奴らは敵の捜索と観測を兼ねている。放っておけば、こっちの行動は筒抜けになるからな」

「了解です」野心に見合うだけの軍才を持つ男に、参謀長が頷いた。

「しかし、私たちが来るまでに、山賊の大部分は討伐されていたようです」

「あん?」梨音が不思議そうな顔をした。着任が決まった一月前までは山賊で溢れかえっていたはずだったからだ。無論、現地の部隊がそこそこ食糧確保の必要から襲撃していたが、大した効果はあげていなかった。

「その大部分はひとつの小隊によるもののようです」

「へぇ、大したもんだ」

「指揮官はセラリス・バーネット少尉。最近ちらほら出始めた女性将校ですね」

「ほぉ……ちょっと資料をよこせ」参謀長の言葉に梨音の目が好奇心の色に輝いた。参謀長から手渡されたセラリスの資料を興味深そうに目を通す。

「この女を昇進させろ。中隊をくれてやれ。そして……」

 にぃ、っと梨音が悪意と期待がまじった笑みを浮かべた。


「現在計画中の作戦、その発動の時に尖兵の誉れを与えろ」


「了解しました。しかし、おそらく死にますよ。構いませんか最高司令官?」

「構わん。死んだらそれまでのことだ。だが、もしもこの女が生き残ったら……」

 資料に載っていたセラリスの写真を見ながら、梨音が魔王を思わせる顔つきになった。


「英雄にする。無論、俺のものとしてな。楽しみだ、本当に楽しみだ」

書き溜めてあった分はここまで。

続きはしばらく後で。

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