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FILE 7

 教授の声が広い講義室に響く。外ではついに雨が降り出した。決められた時間だ。とうとうその時がきてしまった。

 スレートの電源をオンにしたまま、立ち上がる。誰も気をとめてやしない。今が、チャンス。なんか、みんなを騙しているみたいで気分が悪い。でも、行かなきゃならない。

 講義室を出る。行く先を、歩いていく廊下をしっかり見すえて。

 ……さようなら、グラウクス。


 ユイリに肩をたたかれて、クロードは我に返った。途端に視界が暗くなる。無理もない。今は夜も更け、スクールの照明は落とされている。マリアの残した想いの世界で昼のスクールを見ていたクロードは、視覚を奪われたような錯覚に陥った。

 グラウクス中を歩き回るとは言っても、やみくもに捜し歩くわけではない。やはり、始点はマリアが姿を消したスクールだ。昼間は他の人間の存在自体が邪魔したが、人気のない夜のスクールで、マリアの残留思念は目で見えるのではないかとクロードが疑いたくなるほど、くっきりと感じられた。かなり強い想いなのだろう。

 徐々に暗さに馴れたクロードの目に、ユイリの姿が見えてくる。

「何か判りましたか?」

「マリアにとって、失踪はよほど重要な決心だったらしい。こっちだ」

 クロードの先導で、マリアの視界で見た廊下を、ユイリは歩いていく。

 歩きながら、クロードは時々立ち止まった。ユイリには判るわけもないが、そういう処はひときわマリアの想いが強く残されている場所だった。

 立ち止まった後のクロードは心なしか歩調が早まっていた。スクールから出た時には、二人は小走りしていた。


 髪を、服を、雨が濡らす。水を含んだ髪と服は、体にまとわりついて動きを阻む。立ち止まってブラウスを脱ぎ、しぼりたい衝動に駆られる。

 そのたびにスピードを上げる。最初、歩いていたのが、いつの間にか全力疾走になってしまった。

 立ち止まったら、もう歩き出せないんじゃないかしら。楽園のようなこの場所から離れたくない。いつまでも安楽な椅子に腰かけていたい。そんな弱い自分を知っている。

 止まっちゃいけない。走るしかない。

 他人事じゃないんだ。もう、見てしまったから。見て見ぬふりなんてできない。成し遂げなければならないことがある。そう思うと心が高ぶる。その高ぶりを激しいリズムに変えて、体中をめぐらせる。

 頬にはりつく髪が冷たい。雨がどんなに体を冷やしたとしても、心は絶対に冷やせはしない。

 口に広がる、塩辛さ。雨に混じった涙の味。

 ……ゴールは、近い。雨と涙でにじむあの明りまで。あそこの浮上車ポート(停留所)まで。

 そうしたら浮上車に……。


「クロード、待って!」

 背後からした声にクロードは速度を緩めた。ふりかえると、ユイリが5メートルほど後ろで肩で息をしている。

 彼女の顔は暗くてよく見えないが、きっと疲労に歪んでいるのだろう。繁華街から離れたこの通りには街頭が少ない。

 クロードは街灯に照らされた光の中に立ち止まり、パートナーが歩いてくるのを待った。

「マリアは、どこまで行ったのでしょう。この先には浮上車ポートしかないのに……」

「浮上車に乗ろうとしていたらしい」

 メモリーシークエント(思念追尾)の後、能力者が自分を失うケースは多々見られる。それを知っているユイリはわざとこんな確認手続きのような質問をするのだった。

「IDカードもないのに、ですか?」

「ああ。それより嫌な予感がする」

 クロードは駆けだしたい気持ちを抑え、ユイリとともに浮上車ポートに歩いていく。

 最終の浮上車が既に出てしまった浮上車ポートはスクールに負けず劣らず静かだった。

 しばらくマリアの想いを捜していたクロードは予感が当たったことを確信した。

「マリアをロストした」

 浮上車ポートは毎日何千人という利用者がいる。さすがのクロードもその中からマリアを見出だすのは不可能だった。

「迷宮入りになるのか……」

 クロードは手をきつく握った。掌に爪がくいこみ、昼間の細い月のような痕を残す。自分がふがいなかった。特にヴァンプとして生かされている自分を嫌というほど認識している彼は、事件の未解決を憎悪していた。それでは、自分が生きている意味がなくなるではないか。

「クロード、これを見てください」

 ユイリの声でクロードは現実に戻された。見れば、浮上車ポートの端で手招きをしている。ユイリが発見したのは柱に結わえられた赤いスカーフだった。

「これがどうしたって?」

「これはマリアのものではないでしょうか。失踪当時、彼女は赤いスカーフで髪を束ねていましたよね?」

 立体写真の中のマリアが、クロードの脳裏に浮かんだ。立体写真のスイッチを入れて確かめるまでもなかった。クロードは赤いスカーフを注意深くほどき、両手で握った。


 髪が乾いたので、スカーフを柱に結ぶ。持っていくつもりだったけど、やめた。これは持って行けない。これを見るたびに今までの生活を思い出すだろうから。着替えた服も、乾いたら焼こう。これからは、今までの思い出も何もない、新しい服だけでいい。

 時計に目を向ける。時間だ。もうじき指示された浮上車が来る。

「じゃ、行くよ」

 目立たないように小声でスカーフに話しかける。ポケットから昨日送られてきたばかりのIDカードを出して確かめる。

 お父さんから一度見せてもらったことがあったからすぐに判った。これはゴーストIDカード。マスコミなんかに足取りをつかまれたくない公用で動く時に使うカード。ふつうのIDカードと同じように使えるけれど、使った人のIDは記憶されない。

 ああ、これからIDもないのか。生きてきた証を全部なくして。でも、これからしようとすることにはそれだけの意味があるはず。そう信じたい……。

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