FILE 6
語気が鋭くなっていくのを、クロードはとめられなかった。無理もない。メディスンを常用しているというのは恥ずべきことであり、罪だった。
メディスンは生きた人間の血液を主成分に合成される薬のことである。ゆえに、これを常用している人間にはヴァンプという蔑称がつけられた。
メディスンは「ワクチンの究極形」と、完成した当時はもてはやされた。
だが、メディスンしか特効薬のない病は多く、メディスンとして使える血液を体内で造れる人間、メディスン・ドナー(提供者)は少なかった。
メディスンの研究は進んだ。
他の動物の血液を使ってみてはどうか。そもそも、他の物質から合成できないか。
しかし、その試みはいずれも失敗した。
メディスンの需要は常に供給を上回り、法外な値がつけられた。
メディスン・ドナーの行方不明事件が相次いだところで、連盟はようやく重い腰を上げた。それ以来メディスンはすべて連盟が管理することになった。
メディスン・ドナーは或る場所、具体的には医療機関が集中する衛星都市コローネーに集められ、血液を搾りとられるだけの生活を強いられているという噂がまことしやかに流されたが、いかなる連盟の機関も沈黙し、いかなるマスメディアも真相を追求はしなかった。
連盟市民の、実に、0.1%を占めるメディスン・レシピエントを気遣ってのことである。
牛や豚を殺し肉を食べることを嫌って、菜食主義になる者は少数である。多くの人間は罪の意識をほとんど感じない。しかし、メディスン・レシピエントは、自分の命のために一つの人生を犠牲にしているということを常に感じざるをえないのだ。
「俺のような貧乏人は、本来ならメディスンなんて手にすることができず、成人する前に死んでいるはずだった。それがたまたまメモリーシークエントなんて能力があるために生かされている。自分がやましい人間だなんてことはとっくに判っている。それでも生きることはやめられない」
狂人のようにぬめった光をクロードは瞳に宿していた。
うがった見方だろうか、ユイリには、彼が罪にさいなやまされ狂った人間というよりは、巧妙に狂人を演じる俳優に思えた。
「そして、さっきの醜態はメモリーシークエント能力の暴走さ。スレートに残されたマリアの思いを読みとろうとして、引きこまれ、自分を無くした」
「スクールの講義室で、カラスという単語が重要な意味を持っている、と言ったのもメモリーシークエントで得た情報が根拠となっているのですか?」
淡々とした口調で、ユイリは問いた。
「ああ。あの席には、まだ、マリアの想いが残されていた。彼女はなぜだかカラスという言葉に気をかけていたんだ」
メモリーシークエント――物や空間に残された思念や感覚を読みとる能力。
ユイリはこの能力に関するファイルに目を通した時は懐疑的だったが、こうして眼前に提示されると驚くほど素直に受け入れられた。
「これですべての辻褄があいました」
「ところが、俺の方はそうはいかない」
クロードの鋭い視線がユイリにぶつけられる。
「君は一体なんなんだ? そこまで俺のことを知り、協力員を名のる。だが君は市民課グラウクス支局を辞めているじゃないか」
「そこまで、調べたんですね」
ユイリがうっすらと笑む。さげすみというよりは、感心したような顔つきだ。
「俺を見くびらないでほしい。これでも有能な調査員なんだ」
凄味をきかせた低い声のクロードに、ユイリは動じなかった。少なくとも、表面上はそうだった。
「厚かましいのですが、もう少しの間、私をパートナーとして信じてはいただけないでしょうか」
「フン、本当に厚かましいな。身分を偽っていた人間を信じろだって? 個人データを盾に脅迫するつもりなら、考えを改めろ。有能な調査員は、自分の秘密を知られた人間を始末することなどに躊躇はしない」
クロードの目が光ったようにユイリには感じられた。恐怖で視線をそらしたくなったが、それを実行したら彼女は無事ではいられまい。そう思えるような狂気が、クロードにあった。
ユイリは声がふるえないように注意しながら言った。
「私は、決してあなたに仇なすことはしません」
「保証は?」
「これを」
ユイリが手渡したものをクロードはしげしげと眺めた。それは変更手続きを済ませたばかりの連盟市民の共通IDカードだった。昼間に見せられたのは連盟職員用――変更手続きを経てなかったもの――そして、今、クロードの掌の上にあるのは、正真正銘、ユイリのIDカードなのだ。
「事件解決まで持っていて下さってかまいません」
IDカードは単なる身分証明証ではない。この時代、公共施設を利用するには、これが必要なのだ。例えば、クロードがユイリのIDカードを持っている限り、彼女は病院にかかることも、新しい職を見つけることも、他の衛星都市に行くこともできない。
「君の覚悟はよく判ったよ、ユイリ」
クロードはユイリに彼女のIDカードを差し出した。ユイリの細い目が、大きく見開かれた。今のクロードからは、狂気は霧散していた。
「覚悟さえあればいい。君は信用に足る人間だ。一気に事件解決と行こうじゃないか」
「どうするんですか?」
クロードはジャケットの襟をただしながら応じる。
「FSSファイルに相応しい手段を取るのさ。君にも協力してもらう。グラウクス中を歩き回ってマリアの思念を捜すぞ」