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FILE 3

 まもなく、小綺麗なカフェを見つけたクロードとユイリは店の奥の席に腰を落ち着けた。どんなに暑くとも脱ぐことがなかったジャケットを椅子の背に掛けながら、クロードはオーダーを取りに来た店員にコーヒーと紅茶、サンドイッチを頼む。カウンターに店員がひっこんで行くのをそれとなく見届けると、ユイリが切り出した。

「普通のコロニーでは先程の手段は有効かもしれません。しかし、このグラウクスではそうはいかないのです」

 雨のグラウクスでは傘をささないで歩くのが通例なのだ、とユイリは言う。学生時代は進路や恋愛などあらゆることで悩む時でもある。その悩みを解決する方法のひとつが雨に濡れながら歩くことなのだ。

 根拠など何もない。学生たちに人気のある歌い手が紡ぐ歌や、作家が綴る小説などでしばしばみられるシーンだということが原因といえば原因だろう。

「グラウクスで傘をささないで歩くのは常識のようなもの。雨は講義中に降ります。エスケープして街を徘徊する学生はたいてい悩みを抱えているのです」

 クロードは正規の――グラウクスでの教育を受けていなかったので、こういったグラウクスの常識に疎かった。ユイリのほうはというとグラウクスに仕事場があるのに加え、学生時代を過ごしたので、そういったことはよく知っていた。

 店員が、オーダーしたコーヒーと紅茶、サンドイッチをテーブルに並べる。4人掛けのテーブルはその3つのメニューでいっぱいになってしまった。サイドイッチが5人前だったからである。

 ユイリは紅茶とサンドイッチを一人前、自分の方に引き寄せた。残りのサンドイッチはどうするのだろう、とユイリがちらりと思った時、クロードが口を開いた。

「結局、俺がわざわざグラウクスに赴いてもからもらった以上の情報を得ることはできない……か」

 自分に言って聞かせるような調子だった。その意図をくんだユイリは、ただ黙って紅茶に砂糖をとかしこむ作業に没頭していた。

 通常の方法で得た情報では、解決できない。だからこそ「マリアーダ嬢失踪事件」はFSSファイルに収められるのだ。

 失踪事件であるということで、聞きこみにも気をつかう。相手に失踪事件と悟られてはいけないからだ。人口抑制という点から(コロニーが造られたのは人口増加に起因する)身元の管理が必要不可欠なコロニー社会で、失踪者が出るのはタブーなのだ。失踪者が出たと一般市民に知られるのは汎衛星都市連盟の威信にかかわる。今回のケースでは失踪者が政府要人の娘なので、対外的には誘拐事件ということにしてある。

 必ず解決させなければならない。しかも通常では用いられない手段を用いて。その非常手段を用いることができるのがクロードだった。今のところは通常の手段に徹しているが。

 テーブル上のサンドイッチの皿は、既に4枚が空いていた。一枚はユイリの、残りはクロードの胃に収まっている。痩身というほどではないが引き締まった身体という見かけによらず、クロードは大食漢なのだった。

 ふと思いつき、クロードはユイリに訊いてみた。

「ユイリ、君はひとつのコロニーの中で人が失踪し続けることに意義があると思うか?」

 ナイエルがクロードにした質問だ。

「ないと思います。だから私はマリアが他のコロニーに行ったと思うのですが……IDカードを持っていなかった彼女にはそんなこと不可能ですね」

 ユイリの意見を聞きながら、クロードは最後のサイドイッチをたいらげていた。

「初心に立ち返って現場に行ってみようか」

「何の意味がありますか? 現場は人の出入りが激しいスクールの講義室で、現場保存は不可能です。当時のものはすべて撤去されていますが」

「それでも俺には行く意味があるんだ」

 ジャケットを着込み、オーダー票を手にすると、クロードは立ち上がった。

 スクールは、クロードの予想を見事なまでに裏切ったところだった。あちこちに採光窓があり、明るい。室度はまさに適温で、汗をかくことも鳥肌を立たせることもない。学生たちの笑いさざめく声が反響して建物中に広がる。学びたいことを学んでいるから、笑うこともできるのだろう。

 クロードの知っているスクールは、学びたくもない知識をただ頭の中に詰めこまれる場であり、比喩ではなく、過酷なサバイバルの場だった。笑っていたら、命を失っていた。

 こんな明るいスクールで学問を修めた人間はさぞ賢いのだろう。彼らしくない羨望と彼らしい皮肉をこめて、クロードはそう思った。

 マリアが最後に講義を受けた部屋は、部屋というよりホールといったつくりだった。高い天井が開放的な印象を与え、講義の説明に使うのだろう大きなスクリーンが劇場を連想させる。

「マリアはここに座っていました」

 クロードの呼び出しに応じてわざわざ放課後に講義室を案内してくれた、マリアの友人というエレンは涙ぐんだ声で続ける。

「とってもいい子なんだよ。あの日、あたしのあげた赤いスカーフで髪を結んで……」

 動揺しているのか、口調が砕けたものになっている。彼女が穿いているジーパンに小さな涙の染みができていた。

「あたし、スラム地区の生まれなんだ。奨学金とバイトで稼いでやっとスクールに通ってて、余裕なんて全然ないのさ。遊ぶ時間も金もなくて。そんなあたしのたった一人の親友ってよべるような子がマリアなんだ。なんて言うか、そばにいるだけで気持ちが明るくなるような、静かに咲くヒマワリみたいな子。……お願いだよ、探偵さん」

 クロードもユイリも正確には探偵ではない。しかしやっていることは探偵となんら変わりはないし、何よりもエレンの気持ちを慮って彼女の間違いを正そうとはしなかった。

「早くマリアを捜してやってよ、彼女、絶対生きてると思う。あんな性格のいい子、どんな誘拐犯だって殺せやしない」

「……ああ。すぐに見つけて君の側に連れてきてやるよ」

 無理なんだ。マリアは誘拐されたんじゃない、彼女の意志で姿を消した。たぶん二度と君の前に現れることはないだろう――慰めの言葉をかけながらそう思うが、そんなことは口にできない。規則と、いたわりからだった。矛盾を自分の内に渦巻かせつつ表面では平静を装う術をクロードは身につけていた。そういったことに馴れていないユイリは、唇をぎゅっと引き結んでエレンの肩をたたいていた。

 クロードが丁寧に礼を言うと、エレンはうるんだ瞳で一礼して、講義室を退出していった。

「さて」

 呟いてクロードはマリアが座っていたという席に体を押し込むようにして座る。

「フン……確かに特に新しい手掛かりは見あたらないな」

「やはり、無駄足でしたか」

 ユイリのきつい一言にクロードは応じなかった。クロードは目を閉じ、腕を組む。足も組もうとしたのだが机と椅子の間の空間が狭すぎて無理だったのだ。

 クロードのまとう雰囲気がとても声をかけられるような質のものではなかったので、ユイリは彼を促そうともせずにただただすんでいた。

 マリアの席は前から3番目の、真ん中の席だった。かなり真面目に学問にうちこんでいたのだろう。この席は「内職」などをしていたらいっぺんに教授に気づかれてしまうようなところだ。学生時代を、真面目にというよりは、要領よく過ごしたユイリはそう思っていた。

「……からす」

 唐突にクロードが言った。

「はい?」

 ユイリは律義にも聞き返す。すると、クロードは目を開けながらぼんやりした調子で呟いた。

「鳥の。黒い羽の、カラス」

「ええ、ファイルにありましたね。『マリアの失踪宣言書は彼女のスレートからプリントアウトされたもので、メモリーにはカラスというファイル名で記憶されていた』。それが、何か?」

 ユイリの視線をあびながら、クロードは前髪をかきあげる。

「カラスという単語、思ったより重要な意味をもっているかもしれない」

 立ち上がり、講義室を出ていくクロードの後を、ユイリは無言で追いかけていた。

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