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第五話 邂逅

「あれが、闘技場の街アイレスかぁ」


 彼女は鬱蒼と茂る森の中、遠くに見える大きな円形状の建物を見つめていた。その建物の下には、小さな建物がいくつも並んでいる。その様子は、蒼く輝く海にまで続いていた。微かな潮の匂いが風に運ばれ、彼女の鼻腔をくすぐる。

 彼女は今、闘技場の街アイレスに続く山道を歩いていた。山道と言っても、すでにヒトが利用している形跡はほとんどない。海路の発達と共に、利用されなくなってしまったのだろう。もはや獣道と言っても過言ではないそこを、彼女は舗装された道と変わらないような足取りで歩いていた。彼女にとっては獣道だろうと、そんなことはたいした問題ではなかった。


「もう半年も経つんだよね。皆、どうしてるかな……」


 故郷の森を思い出す。あの森も、ここと同じように森と潮の匂いで満ちていた。だが、自分に感傷に浸る資格などはない。そう思う。彼女自らが捨てていったものなのだから、と。

 故郷を思いだして緩んでしまった心へ、気合を入れるように両頬を手のひらで叩く。もう街は目の前だ。彼女は先ほどよりも早い足取りで森を駆け抜けた。




 街へ着くと、あまりの賑やかさに彼女は圧倒された。今まで見てきたどの街よりも賑やかだ。目にも眩しい色とりどりの服を着たヒトで街はあふれていた。ヒトの匂いと潮の匂いとおいしそうな匂い。それから血の匂い。これは、闘技場からだろうか。そうかもしれない。

 もの珍しさにきょろきょろと辺りを見回していた彼女だったが、ふとどこからか視線を感じた。感覚を鋭敏化して探れば、視線の主はすぐに見つかる。怪しげな黒いコートを身に纏った男だ。

 気づかれないように気配を消し人ごみに紛れれば、男は驚いたようだった。そこで彼女は悩んだ。このまま撒いてしまうのもいい。だが、どうして自分を見ていたのかは気になる。それにこのままでは、散策もゆったりとできやしない。

 そう考えた彼女は、男の真後ろまで接近した。腰に下げていた短剣を抜き、刃を首筋にあてがえば男は硬直した。


「何なの、一体。さっきからあたしのこと見てたよね」

「会長に、獣人の狼族を見かけたら知らせるようにと言われているんです。だから、放してくれませんか」


 会長、とは闘技場連盟会長のことだろう。少なくとも、この街で会長と呼ばれるようなヒトはその人物しかいないはずだ。その会長が狼族を探しているというのは、一体どういうことだろう。彼女は、首を傾げる。それと同時に、黒色の毛で覆われた尻尾が一回揺れた。


「あたし、何かした?」

「それはわかりかねます。そう、命令されただけなので」


 心底困っている様子の男に、嘘を吐いている感じはしない。どうやら本当のことなのだろう。群れのリーダーの命令は絶対だ。ここで彼女を知らせることが、この男の役目なのだ。それなら、と彼女は考える。


「じゃあ、あたしをその会長のところまで連れて行ってよ」


 そう言って男を解放する。彼女の殺気を受け続けたせいで、男の膝が笑っていた。何だか申し訳ないことをしてしまったかな、と彼女は思う。だがすぐに男は回復し、彼女を案内し始めた。彼女よりも腕は悪いがこの男もまた戦士なのだろう。

 そう考えれば、彼女は会長とやらに会うのが楽しみになった。彼よりも強いのだろうか。あの、優しい戦士よりも。晴れ渡ったアイレスの空を見上げて、彼女はそんなことを思った。




 案内されたのは、闘技場の中にある一室だった。黒と赤で上品に纏められた室内はそのままでは薄暗いためか、明かりが灯っている。その奥に設えられた豪奢な椅子、そこに一人の女性が足を組んで座っていた。朱の髪を持ち、肉食獣のような黄緑色の瞳を爛々と輝かせている。恐ろしいほどの威圧感を感じた。思わず、髪と同色の黒い毛で覆われた耳を伏せてしまう。

 だがここで弱気になってはいけない。横に降ろした手をぎゅっと握り、彼女はその銀色の瞳で女性を見据えた。


「あなたが会長?」


 そう問えば、その女性が軽く頷く。傍から見れば隙だらけにも見える体勢にもかかわらず、女性はこの場の誰よりも隙がなかった。


「あたしは闘技場連盟会長のアルキリアだ。あんたは間違いなく、獣人狼族か」

「そうだけど、何の用?」


 強い口調で言い返した彼女ではあるが、内心では恐れていた。自分は確かに何もしていない。それなのに、アルキリアの視線を受けていると、何かしてしまったのではないかと不安になるのだ。

 さらに言えば、この状況で襲いかかられたら抵抗できないという事実が、彼女の胸を不安で高鳴らせていた。周りにいる黒いコートの連中、闘技場連盟のメンバーだけなら逃げることは不可能ではないかもしれない。しかし、アルキリアから逃げるのは絶対に不可能だと、彼女の本能が告げていた。

 床をしっかりと足で踏みしめたが、緊張のために尻尾は真上に立っていた。そのままアルキリアを睨みつけていると、アルキリアが獰猛な笑みを浮かべて口を開く。


「この街にいるフェンリルという青年に頼まれた。同族を見つけたら教えて欲しいと」


 表情と内容が全く噛み合っていないことに彼女は肩をがっくりと落とした。緊張していたのが馬鹿みたいだ。口からは溜息が洩れ、立っていた尻尾も力なく垂れる。それにしても同族を見つけたら教えて欲しいとは、この街には自分の他に狼族がいるのだろうか。

 そこまで考えて、彼女は先程の言葉に聞きなれた名前があったことに気づいた。過度の緊張に、本来なら聞き逃すはずのない名前までもが耳を素通りしてしまったようだ。


「今、フェンリルって言った?」

「ああ。知り合いか」


 知り合い、その言葉に彼女の耳がぴくりと動いた。彼は、フェンリルは知り合いなんてものじゃない。そんな、他人行儀な関係などではないのだ。彼女の心の中に今も、消えない熱と痛みを持って残っている彼。空と黒の髪を持ち、彼女と同じ銀色の、夜空を優しく照らす月のような瞳を持つ青年。そう、彼は。


「彼は、あたしの幼馴染よ」






「ありがとうございましたー」


 ホールの方から、エレンの声が聞こえた。すぐに扉の閉まる音が聞こえてくる。どうやら、昼の最後の客が出て行ったようだ。

 厨房でフェンリルは腕を伸ばした。もうお腹が減って大変だった。何せ、厨房にはおいしそうな匂いが充満しているし、目の前にはできたての料理があるのだ。我慢するのが大変である。


「では、私たちもお昼にしましょうか」


 アルトのその言葉に、フェンリルは目を輝かせて尻尾を振った。アルトが作っていたパスタを手際よく皿に盛っていく。余った魚と野菜の切れ端を利用した冷製パスタだ。余り物で作ったとは思えない、おいしそうなパスタである。四人分を盛り付け終えるのを待って、すでにテーブルについているエレンとメイファの所へ運ぶ。


「今日の昼食は何かしら」

「冷製パスタですよ」


 四人掛けのテーブルに白い皿が並んだ。フェンリルがアルトと共に席についてから、皆で食前の挨拶をして食べ始める。相変わらずアルトの料理はとてもおいしい。厨房に立つようになってから色々と教わっているのだが、フェンリルにはまだこの味が出せなかった。

 取り留めもない会話をしながら食事をしていると、エレンがフォークにパスタを巻きつけている手を止めた。そのまま上目づかいで向かいに座っていたフェンリルを見つめてくる。何だろう、と思いながらフェンリルはフォークを口に運んだ。


「そう言えば、アルキリアさんから情報来ないね」


 そう言うと、エレンは小さな口を開いてパスタを放りこんだ。その食べる様子は何だか、小動物みたいで微笑ましい。

 それはそうと、エレンの言うことはもっともだった。先日、フェンリルがアルキリアに頼んだことは、アイレスで自分以外の獣人狼族を見かけたら知らせて欲しい、ということだった。闘技場連盟は、有事の際に備えて常日頃から街の警備を行っているのだ。そのため、あちこちで黒いコートを着たヒトを見かけることができる。

 そんな闘技場連盟の頂点に立つアルキリアならば、街の情報を集めることはたやすいはずだった。むしろ、アルキリアくらいしかできない。そのために頼んだのだ。あいにく今のところ情報はないのだが。


「そうそう来る訳ないでしょ」

「そうですね。狼族の方が街に来ることが前提ですから」


 二人の言うとおりだった。狼族が街に来ないことには意味がない頼みなのだ。もし、やって来なかったら無駄に仕事を増やしたことになる。そう考え始めたら、フェンリルは悪いことをした気分になった。耳もぺたりと伏せてしまう。


「そうだ、フェン。今日は私と鍛錬しよう!」


 そこまで情けなさそうな顔をしていたのだろうか。エレンがにっこりと笑って話を変えてくれた。鍛錬とはまぁ、色気も何もない提案ではあるが、エレンなりに気遣ってくれたのだろう。そう思えば、フェンリルの顔に自然と笑みが浮かんだ。


「そうしようかな」


 そもそもの原因となった発言はエレン自身のものであったのだが、フェンリルはそんなことをすっかりと忘れて残りのパスタを口に運んだ。




 昼食も食べ終わり、思い思いに食休みを取っていた。もうそろそろ、夜のための仕込みを始めなくてはいけない。いけないのだが、お腹がいっぱいの上にこうも暖かいと、眠くなってしまう。半分銀の瞳が隠れた状態で、フェンリルは机に伏せていた顔を上げようと努力した。

 その時、顔と同じように伏せていたフェンリルの耳が立ち上がった。何かの足音が近づいてくる。昼過ぎの時間帯、食堂は休み時間に入っている。闘技大会も丁度白熱する頃合いのため、いつもこの時間にヒトがやってくることはなかった。それなのに、どういうことだろう。

 ばっちりと眠気が吹き飛んでしまったフェンリルは、椅子に座ったまま警戒態勢をとっていた。武器は自室に置いてあるが、そう簡単にやられはしない。扉を見つめ続けていれば、木製のその扉が開かれ来訪者が姿を現した。


「……狼族?」


 フェンリルは思わず立ち上がり、そう呟いていた。来訪者は何と、獣人の狼族だった。

 首のあたりで揃えられている黒い髪からは、同色の大きな三角の耳が飛び出ている。褐色に近い色の肌を覆うのは、露出の激しい黒のインナーと生成り色の上下だ。全体的に、フェンリルの服に近い雰囲気を感じた。服の下からはこれまた黒い毛で覆われた尻尾が見えている。

 その狼族の少女は、銀色の瞳を大きく見開いていた。その瞳に何故か見覚えがある。だがどうしても、それを思い出すことはできなかった。

 しばらくの間、食堂に沈黙が落ちる。どこか遠くの方から、人びとの歓声が聞こえてきていた。どうしようとフェンリルが考えていると、少女が急に俯く。何事だろうかと思って見つめていたせいで、フェンリルは次の少女の行動に対応できなかった。


「フェン、探しに来てくれたんだ!」

「え?」


 いきなり身体の前面に柔らかい感触を押し付けられる。背中には、引きしまった筋肉が付いてもなお、女性特有の柔らかさが失われていない腕が回されていた。目の前に見える黒髪からは、僅かに汗の匂いがするものの不快さはない。

 そこまで分析したところで、フェンリルは自分の置かれている状況にようやく頭が追いついた。フェンリルは何故か、狼族の少女に抱きつかれていたのだ。理由はさっぱりわからなかった。

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