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その三(靴)

警察がやっと到着した時には、午後2時をかなり過ぎた時刻となっていた。

鑑識班が現場検証と検視を行なっている間に、捜査員は分担して邸内に居た全員からひととおりの事情聴取を行なった。

その結果は、犯人特定に繋がる目撃情報なし、不振な物音を聞いた者もなし。また、東屋内は天井裏から床下に至るまで隈なく捜索されたが、どこからも犯人の存在または所在した形跡は確認されなかった。

鑑識による被害者の死因は、鈍器のようなもので背後から頂頭部を強打されたことによる失血死と推定され、死体のすぐ足元に落ちていた鋳鉄製の灰皿がその凶器と思われた。また、死亡時刻は午前2時を中心としてその前後1時間の範囲内・・・つまり午前1時から3時の間であろうと推測された。

分からぬことだらけの中で、唯一の興味ある証言を複数の者達から得られた。それは、もしこの事件がなかったならば行なわれたであろう『花婿候補者発表』というイベントのことだ。これがこの事件の動機かも知れないと、現場での初動活動における指揮官である大神(おおかみ)警部補は経験的観点から直感した。

大神は、容疑者を婚約者候補として集められた4人に絞ることに決めた。

萩高宗助、黴原太、盛本中也、公星亘、必ずこの中に犯人は居る。いや、居なくてはならないのだ。

そうそう簡単なことで確信が揺らぐような大神ではなかったが、一方で、あの足跡の謎が解けないことには前に進めないということも充分承知していた。

足跡から得られたデータは、それが25.5cmのスニーカータイプの靴であること、体重の推定は、到着が遅れたために足跡の輪郭はかなり溶けており、アバウトであるが・・・60~80キロ、歩幅は平均値が75cm、といったところである。

ブルーシートで保存されたとはいえ午後2時過ぎともなれば、早朝には固かったはずの雪も科学的に避けられない程度の進行度合いで解けかけており、データの幅がやや広くなるのも致し方なかった。


7

この甲羅館の住み込み従業員への事情聴取から、当の被害者である広之進の足のサイズが25cmであることが知らされた。そうだとすれば、あの足跡を付けたのは犯人だと考えて間違いないだろう。

仮に足のサイズが被害者と同じだったとしても、スニーカーの足跡が被害者のものだと考える根拠は薄い。何故なら、何らかの事情で被害者が本館に一度戻ったとしても、スニーカーを履く必要などはないのだから・・・。あの程度の積雪なら、上履き用のスリッパで充分ではないか。わざわざスニーカーを取り出して履く必然性は、相当に低いものと思われる。

大神は、自分を犯人サイドに立たせて考えてみることにした。

あの情況下では、足跡を付けずに東屋に行くことは不可能だった。仕方なく自分の靴を履いたままで渡り廊下に積もった雪の上を歩いたとする。

その時点では殺害する計画など考えてなかったとすれば、これは有り得ることだ。

ところが、東屋に着いてからどういう成り行きがあったのかは不明だが、殺意を駆り立てる何かの状況が発生したため、衝動的に殺人行為に及んでしまった。

前後不覚の中で殺害を終えた後、やがて冷静さを取り戻した犯人はきっと思い悩んだことであろう。

この東屋に来るときに、足跡を付けてしまった。このままでは自分が真っ先に疑われてしまうではないか。それを回避するためには、あの足跡を消してしまうしかない・・・。いや、他にもっと良い方法はないだろうか、もう少し考えてみよう。

あの跡と同じサイズの者は、知る限りでは他にも複数名がいる。つまり、容疑者は自分ひとりだけに絞られるわけではないのだ。

当然、警察は靴のサイズと同サイズの者を疑うに決まっている。だが、誰かひとりだけに絞り込むことは無理だろう。ならば、足跡はそっくりそのまま残して置くとしようではないか。

犯人が、そう考えたとすれば、足跡を消さずに残しておいた理由が理解できるではないか。

更に犯人は思考を続けたに違いない。一層のことにここを密室としてしまおうではないか・・・と。不可能犯罪という情況を構築することで、殺人事件そのものを、刑事事件として立証できなくすればよいのでは・・・?

犯人は恐らくそう考えたのだ。

では、どうすれば帰りの足跡を残さずに東屋から本館に帰ることが出来るか?

雪が止んだ情況下で、足跡を一切付けることなく、どのようにして東屋から出て行ったというのだろう?

そこが分からない・・・大神は目を閉じて煩悶した。


萩高の証言

「ええ、そうですよ。僕達がここに招待されたのには理由がありまして、社長・・・有馬城氏が一人娘である槿花様の結婚相手を自ら選び、それを今日発表するということになっていまして、我々は・・・黴原君は遅刻しましたが・・・昨夜からここに集合させられていました。

午前1時から3時にどう過ごしていたか? ふむ、それが犯行推定時刻ということですね? その時刻には宛がわれた201号室で横になっておりました。もちろん睡眠していた訳ではありませんが、ベッドには入っておりましたね。

そのことを証明してくれる人物ですか? そのような証人なんて居ませんよ。って言うか・・・むしろ、そんな時間に誰かと一緒にベッドに横たわっていることの方がおかしいでしょ?

靴のサイズ? 29cmですが、それが何か? ああ、そういうことね。神に誓って申し上げますが、やったのは俺じゃないですよ。

結婚相手として選ばれるはずだったのは誰だと思うかって? それは僕などには分かりっこありません。俺だと言いきれる自信も確信も、ましてや傲慢さも俺にはないし、それこそ、有馬城氏のみぞ知る・・・ってものです」


黴原の証言

「午前1時から3時に掛けての行動ですか? その頃はまだ雪道に苦戦を強いられていました。こんなにも雪が降るなんて、ここ数年はなかったですから、チェーンの準備もしていなくて、本当に散々な目に遭いました。

やっとの思いでここに到着したのは、午前3時を少し廻った頃だったと思います。

もう誰ひとり起きていないのか、何回も玄関のドアを叩けど反応がなくて・・・、ええ、ここにはチャイムというものがないのです。他にできる連絡方法といえば、槿花さんのメールアドレスを知っているだけでして、かといってまさか深夜にメールする訳にもいかず、本当に困り果てていたとき、やっと十数分経った頃に執事の矢木さんが気付いてくれまして・・・、その時は彼を思いっきり抱きしめたいとさえ思ったものです。

僕の靴のサイズですか? 28cmです。

あのようなことがなければ今日発表されたであろう結婚相手ですか? あくまでも私見という前提ですが、盛本かな? 理由は、有馬城氏の後継者という観点からは、実業家である彼が最もそれに近い人物だろうと思いますから・・・。

犯人に心当たりはないかって? ないですよ!

それに、東屋は屋敷の外からも行けるのですから、甲羅館に滞在している人物だけが疑われているのだとしたら、そこは納得できかねますね」


盛本の証言

「僕は、槿花さんとの付き合いというよりも社長との付き合いの方が長く、それなりに気に入られていたと思っています。槿花ちゃんとの事に関しては、彼女が高校生の頃からここに出入りすることを許されていましたから、もう彼此10年余りのお付き合いになりますかね。

社長が結婚相手に選ぶとしたら? それはどうとも申し上げかねます。僕が選ばれる可能性? さて、それも非常に難しい質問ですね? 僕としてはフィフティフィフティかな・・・とでも申し上げておきましょう。

足のサイズですか? 25.5cmです。そこに脱ぎ捨ててありますから、必要とあればどうぞ確認してもらって結構です。

午前1時から3時までのアリバイ? もしかして僕も容疑者のひとり? これも貴方に課された重要な職務なのでしょうからお答えいたしますが・・・、あのお祝い会が終わってから直ぐにこの自室に引き上げてきて、その後は夜明け前までずうっとパソコンをいじっておりました。

あちこちの取引先に急ぎのメールを送ったり、必要な情報収集のためにネット検索などをしていたのです。そうしているうちに窓の外が白んできましたから、4時過ぎまで働いていたということになりますかね。

犯人の心当たり? 全くないですね」


公星の証言

「きっかけということなら、槿花さんとはたまたまある人の受賞パーティで紹介されて知り合いました。彼女も小説に興味があるらしく、これまでに何度か応募された経験があるようです。

昨夜の午前1時から3時の間ですか? その時間には、某出版社の編集担当者と携帯電話で打ち合わせをしていました。ちょうど今、新作に取り掛かっているところなので、そのプロットとか内容に関することをいろいろと協議していたのです。もちろん2時間もの間ずっと電話していたとは申しませんが、それでも1時間近くは話し込んでいたように思います。

ええ、昨夜は一度も203号室からは出ておりません。バスもトイレも各部屋ごとに備え付けられていますので、部屋から一歩たりと出ることもなければ、誰かの部屋を訪ねることもなかったです。

靴のサイズ? 25.5cmです。

婚約者候補ですか? さぁ、いったい誰になるはずだったのでしょう。永遠の謎になりましたね。

自分が選ばれたかったと思うかって? そりゃそうでしょ。他の皆もきっと同じ考えだと思いますよ。あの槿花さんを妻に娶ることが叶うなら、人生においてこれほどの幸福は他にありません」


目星を付けた4人のうちで足のサイズが25.5cmという条件に当てはまるのは、盛本と公星の2人であった。

「この館に居る全員の靴を、ひとつ残らず調査したのだろうな?」

大神がいつにも増して不機嫌な顔付きで、部下の皿万田(さらまんだ)刑事に訊いた。

「もちろんです。あの足跡と同じサイズの者は、従業員の中にも3名おりました。調理師の球磨(くま)、庭園管理人の鴨目(かもめ)、そして執事の矢木です。しかし、あの足跡の模様と一致する靴は、東屋の靴箱に置かれていた靴以外には発見されておりません」

皿万田は、メモを見ながら要点だけを手短に報告した。

「動機について君はどう思う? 犯人の目的は何だったのだろう?」

「そうですね。僕の考えでは、自分が結婚相手には選ばれることはないだろうと確信した者が存在したのだと思います。何故そういう確信に至ったかという経緯までは分かりませんが、そこで失望した犯人が思い余って犯行に及んだのだというのはどうでしょう」

「それでは説得力が弱いな。いいか? 有馬城を殺したところで何かが変わるのか? 確かに、発表を阻止すれば候補者から排除されることを避けることはできるだろう。だが、それによって自分が優位に立てるという保証はない。むしろ、犯人として逮捕されかも知れないというリスクを背負ってしまうことを考えれば、何ひとつとして得るものがないではないか」

「リスクを覚悟したうえでの行動だとしたらどうでしょう。常にリスクだけを重視していたら、そこには何ひとつ進展がありません。きっと犯人はこう考えたのではないでしょうか? 今は『可能性ゼロ』という最低の位置に立たされているが、有馬城が死ねば自分にもチャンスが訪れる可能性は『未知数』に変わる。『ゼロ』と『未知数』では意味が全く異なります。つまり、『ゼロ』から脱け出すことが叶えば、彼女と結婚できる可能性が失われはしない。もしもこの世から有馬城さえ居なくなれば、花婿選択権は槿花自身の手に移ることになるわけですから、そのこととリスクを天秤に掛けた犯人は、迷わず殺人の方を選んだ・・・と」

「なるほど一理はある。君のような若者の価値観だとそういう考えも有り得るのか・・・」

大神は、心の奥底に何だか寂しいものを見たような気がした。

都合により、次話投稿は少し間隔を置いてからと致します。

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