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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【花咲く歌を夜明けにつなぐ。】
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05 : 今このとき、一瞬一瞬を。





 喧嘩、のようなものを、したと思った。

 けれどもそれは、シャナの一方的な感情であったらしい。

 クロネイは、「帰らない」と言ってシャナとのお茶の席を離れたが、翌日も同じようにシャナのところに来て、お茶に誘ってきた。その翌日も、そのまた翌日も、シャナが戸惑うのをよそに、クロネイはやって来た。ただ、「帰るなら今よ」と言ったシャナのそれには反抗心があるらしく、ずっと拗ねたような顔をしている。ノエが「わりと素直なんで」と言った通りの、正直な反応だ。


 そしてこの日も、クロネイはシャナのところにやって来る。やはり神官服姿で。


「シャナ、シャナ、休憩でしょう? 休憩しましょう。お茶にしましょう」


 懲りずに来たか、と思ってしまうのは、シャナが喧嘩のようなものをしたと思っていたからだ。


「殿下、皇子も来たことですし、休憩にしましょう」

「今日は無理よ。わかっているでしょう? 皇子、今日は忙しいの、明日にしてくれるかしら」


 シャナは書類から顔を上げることなく、部屋に顔を覗かせていたクロネイに、素っ気ない態度を取る。部下たちがはらはらとしていたが、かまっていられない。今日は忙しいのだ。夕方に貴族院の会議が控えているため、城には貴族や各領地の領主が集まりつつあり、シャナも議題になるであろうことをまとめて考えておかなければならない。


「少しくらい休まないと……それに、議会は明日もあるでしょう。しかも夜会もありますよ」

「ああ、そうだったわね。礼装は手配したわ。袖を通して、身体に合わせて確認してちょうだい」

「済ませました。ぴったりでした。さすがシャナです」

「そう。なら、あとはおとなしく部屋にいなさい。明日の夜会は、臣下にあなたをお披露目するという口上もあるの。うろちょろしないで」


 部屋にいたくないなら神殿でもいい、とシャナはクロネイをばっさり無視する。なにか言ってくるかと思ったが、それもなく静かで、沈黙が続いた。静か過ぎるなと思ってふと書類から顔を上げたら、いきなり背後に人の気配がする。


「それなら、ここにいますね」


 吃驚だ。どうしてこう、気配なく動くのか。


「ちょ……部屋か神殿にいなさい。わたしは忙しいのよ」


 部下が用意したのか、クロネイは椅子を運んで、シャナの後ろにちょこんと置いて座っていた。


「邪魔はしません。いるだけです」

「皇子……」

「ああそれと、おれはクロネイです。クロネがいやなら、ノエのようにクロでもいいです。犬みたいでイヤですが」

「……呼んで欲しいなら、その敬語はやめて」

「え」


 そう切り返されるとは思わなかった、とばかりにクロネイ、改め、クロは目を真ん丸にした。それは思った以上にクロを子どもっぽく見せ、可愛らしくした。


「敬語をやめたら、本当に呼んでくれるのですか?」

「やめたら、ね」

「わかりました、やめます。クロネって呼んで、シャナ」

「え」


 今度はシャナが目を丸くする番だった。そんなにあっさり敬語をやめるとは思わなかったのだ。


「最初にやめてと言ったときは、いやがったくせに……」

「それはそれ、これはこれ。やめれば呼んでくれるなら、やめるよ」


 ああ、素直だ。まさに素直だ。ノエの言うとおりだ。


「シャナ、クロネだよ、クロネ。はい、呼んで」


 うきうきと、目を輝かせるクロに、シャナはたじろぐ。確かにこの先ずっと「皇子」と呼ぶわけにもいかないと、それはわかっていることだが。


「く……クロ」


 呼ぶならそっちのほうが可愛い、と思っていたことは内緒にして、シャナは顔を引き攣らせながら口にする。

 すると、とんでもないものが待ち受けていた。


「しゃ……しゃな」


 ぶわりと、全身から花を咲かせたクロが、夕焼け色の双眸をきらきらと光らせて満面に笑みを浮かべていた。随分な感激の仕方だ。名を呼ばれることが、だいぶ嬉しいらしい。

 眼の端に移る部下たちが、そんなクロを見て目許を手巾で拭っているように見えるのは、気のせいだろうか。いやはやようございましたね、皇子、などという呟きも、幻聴だろうか。


 ハッとする。

 話が反れた。


「へ、部屋に戻んなさいっ」

「やだ」

「く……っ」


 不覚にも、可愛いと思ってしまった。


「わ、わたしは忙しいのよ。そこにいられると集中できないの、邪魔なの、だから戻りなさい」

「邪魔はしない。ここがいやなら、露台にいるから」


 どうしてもシャナとお茶がしたい、或いはそばにいたいらしく、後ろのほうが駄目なら露台のほうに移動すると、クロは粘ってきた。


「皇子……」

「クロ、だ。クロネがいいけど」

「……もう一度呼ばれたかったら、部屋に戻りなさい」

「え」


 それはひどい、という顔をされる。本当に表情が豊かな皇子だ。


「殿下、少しくらいいいじゃないですか。殿下も皇子も、一日に逢う時間はこの休憩のときだけなんですし」


 擁護してきた部下に、クロの目が輝く。それはあまりにも眩しい。絆されるものかと思ったが、見つめられるとどうも、なにか言うたびにシャナが虐めているような気がしてくるから不思議だ。


 シャナは深々とため息をついた。


「ああ、そんなにため息をついたら幸せが……」

「皇子」

「クロだよ」


 名を呼ばれたいしそばにもいたい、それがありありと伝わってくる。


 けっきょくシャナは、「少しだけよ」とクロの滞在を許した。クロだけではなく部下までそれを喜んで、休憩しないつもりが、お茶を飲みながらの仕事、になってしまった。


「進まないわ……議会で変な発言したらどうしてくれるの」

「シャナならだいじょうぶ」

「その確信はどこからくるのよ」

「いつもかっこいいから」

「……かっこいい?」

「凛としていて、清々しくて……羨ましいくらいだよ」


 椅子に深く腰掛け、背もたれに身体を預けたクロが、柔らかな笑みを浮かべながらシャナを褒める。シャナには、その余裕こそが羨ましく感じられた。これで自分より歳下だなんて、正直驚かせられる。


「……あなたも参加する?」

「おれ? 無理むり、おれは国政向きの頭でないから。シャナが戻ってくるのを待っているよ」


 敬語をやめたクロは、歳相応というよりも、少しおとなに見えた。敬語のままであったほうが、よほど子どもっぽく見える。なんだか、すぐに追いつかれそうだ。歳上の威厳というものも、掻っ攫われそうに思う。


「……クロ」

「ん?」

「わたしはあなたより歳上だけれど、だからといって、わたしに追いつこうなんて思わなくていいのよ」


 無理をしてまで、早く成長しようなどと、思って欲しくない。今このとき、一瞬一瞬を大切にして欲しい。

 本心からそう思って口にすると、クロは唇を歪めた。


「おれはもう成人したよ」

「そうね……それでも、わたしから見たら、あなたはまだ子どもよ」

「成人した」

「わたしが成人したのは、あなたとの歳の差の年数分、前のことよ」


 ムッと、クロが不機嫌そうな顔をする。


「……シャナは、おれが歳下なのが、いやなの?」

「違うわ。今このとき、一瞬一瞬を、大切にして欲しいのよ」

「なら、おれもそれをシャナに言うよ。シャナも、今を大切にして欲しい」


 椅子を離れたクロが、ゆっくりとシャナのそばまで歩み寄ってきて、すぐ近くで跪いた。


「おれに今を大切にして欲しいと言うなら」


 シャナの手を、クロはそっと、握ってくる。


「シャルナユグ」


 なぜだろう。見上げてくるクロに、心が反応した。


「おれと一緒に歩む未来も、大切にしてくれないか」


 それは、まるで二度めの、求婚に聞こえた。







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