06 : 想われたい。3
「……教えてください」
「わたしに答えられるものなら」
「殿下は、権力というものをご存知です。欲したものを、本当に手に入れられないわけがありません。なぜそんなことを?」
ネフィスは笑った。
「わたしに、有力な妃候補がいたことは、知っているかい?」
「……確か、ヴェルニカ帝国の皇姉殿下がご息女、だったかと」
「実は彼女には想い人がいてね。ではこういう尊大な理由を作っているところだからいかがだろう、というわたしの提案のもと、茶番劇にアーシェが組み込まれて、彼女は妃候補から退いてもらうことになったわけだよ」
「……はい?」
「有力であった彼女が妃候補から外れさえすれば、あとは団栗の背比べだからね。アーシェほどの理由を持つ妃はいなくなったわけだ」
少し、考えた。ネフィスの言葉を理解できないわけではない。なんだか面倒なことをネフィスはしたのではないかと、そう思ったのだ。
「まあつまり、アトナに課した設定に基づいて、より確実に、頑丈な地盤をわたしは作ったということだよ。ただ、それだけだよ」
ネフィスは、アーシェを確実な正妃に迎えるために、しっかりと足許を固めたと言っているのだろう。
回りくどく、面倒なことだと思ったが、確かにアーシェが正妃になるためには、ネフィスの望みそれだけでは無理なことだ。アーシェは貴族ではあるものの、子爵家の生まれで平民とほぼ同じ暮らしをしていた身だ。それが、望まれたからといって皇太子に嫁ぐことなど、それこそ伯爵の存在がなければその無理を押し通すこともできなかった。
「……そこまで、わたしを?」
アーシェを迎えるために、ネフィスがしたこと。アーシェの心をかき乱すには、過ぎるほどの下準備だ。
「言葉とは難しいね。言っても言わなくても、伝わるときは伝わって、伝わらないときは伝わらないのだから」
困ったように笑ったネフィスは、これでもかというくらい、アーシェに向ける感情を露わにしてくる。
「わたしは幾度も、伝えたね。アーシェ、きみを愛していると」
口先だけの優しさだと思っていたそれが、まさか、本当に心まで伴っていたなんて、いったいどれくらいこの目は曇っていたのだろう。
アーシェは胸を震わせる。
「アーシェもわたしを愛してくれているだろう? どうして、そのわたしを疑うのかな」
「う……疑ってなど」
ああ本当に、わたしのこの目は曇っていた。
自分の醜さばかりが気になって、いとしい人の確かな感情を見落としていた。
「まあ、かまわないよ。疑われても、わたしは幾度でも伝えるからね。むしろどう思われていようが、アーシェに愛されていることだけは知っているから、わたしには関係ないかな」
ふふ、と微笑んだネフィスが、ことりと小首を傾げて楽しそうにアーシェを見つめてくる。
「わ、わたし……っ」
今、アーシェの顔は真っ赤に染まっていることだろう。楽しそうなネフィスが、より楽しそうに口角を上げている。
アーシェの心など、ネフィスには初めから見えていたのだろう。
「愛しているよ、アーシェ。側妃がいるわたしは、アーシェには不誠実な夫に映るだろうけれど、それでもわたしはアーシェに対して不誠実でいるつもりはないからね」
アーシェへと伸ばされた手のひらが、指先が、さらりとアーシェの頬を撫でる。くすぐったさと温かさと、そこから感じられる愛情に、頭が真っ白になった。
「許せとは言わない。アーシェは怒って拗ねていい。自分だけのものであって欲しいと、むしろ願ってくれてかまわない。嫉妬に狂ったアーシェ……ああ、見てみたいね」
「……ひ、ひどいひと」
「そうだね。だがわたしはアーシェを愛しているし、アーシェがわたしを愛してくれているから、どう想われようがかまわないよ」
アーシェの心を弄ぶネフィスに、それでもアーシェはやはり、いとしいと想う。
憎たらしさと、いとしさと、ない交ぜになる感覚は複雑だけれども、ネフィスの言うとおりアーシェはネフィスを愛しているし、どんな状態でもネフィスへのいとしさを失うことはない。
ネフィスがいつも楽しそうに笑っているのは、アーシェがどんな状態であっても、ネフィスの愛がまったく変わらないからなのだと、このとき漸く気づいた。むしろネフィスは、アーシェが自分に振り回される姿を見て、本当に楽しんでいたのかもしれない。どう想われていても、というのは、きっとそういうことだ。
「ねえアーシェ、アーシェはわたしを愛しているだろう?」
確信を持って言うネフィスが恨めしい。
けれど、それ以上にいとしい。
ここで返事をしたら、きっとわたしは負ける。
「殿下、殿下はわたしを愛しているでしょう?」
「もちろん」
初めて、相対したように思う。
初めて、きちんと正面から、向き合えたように思う。
「アーシェの愛はわたしだけのものだからね」
笑うネフィスは楽しそうで、アーシェは少し悔しい気もしたが、それ以上の喜びと嬉しさに、心が満たされる。
心が満たされる、というのが、こんなにも心地よいことだとは思わなかった。