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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【歌う花に幸あれ。】
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04 : 想われたい。1





 デイランが、わが国トワイライに向けての開戦を宣言したとアーシェが聞いたのは、ネフィスを追いかけたラトウィックが立ち去ってすぐのことだった。アーシェは聞いたとたん蒼褪めたが、城内の者がすべてアーシェのようだったかと言えばそうではなく、まるで予期されていたかのように配備された軍が、デイランが向かっているというセムコンシャス王国との国境付近で、竜旗を上げた。それはネフィスの采配であり、デイランがいつ動き出してもいいようにと、数か月前から準備が進められていたから成し得たことだった。

 はらはらとしながらアーシェは起きてしまった戦争の早期終結を祈り、開戦宣言がなされたあとの報告が来ないことをもどかしく思っていたところで、その二日後になんと、負傷者は多いものの死者はいないという結果つきの自国勝利の報告を聞いた。あまりに早い終結報告に嘘かと思ってしまったが、報告を持ってきたのは言わずもがなラトウィックであったので、これは真実だ。


「ただ、その際にクロネイ殿下が負傷し、現在もこん睡状態にあります」

「クロネイ殿下が……ネフィス殿下にお怪我は?」

「ご安心ください、無事です」

「そ……そう」


 義弟のクロネイが重傷を負ったのでは、あのネフィスなら平静ではいられないだろう。まして病弱なクロネイが、大怪我に打ち勝てるかもわからない。弟を溺愛するネフィスが、精神的に追い詰められても不思議ではない

 そう思いながらも、アーシェはネフィスが身体的に無事であることに安堵する。ネフィスがそうならなくてよかったと思ってしまう自分が複雑だったが、それでもアーシェにとっての一番はネフィスであり、ネフィスの無事を一番に祈っていたのも確かだ。


「あちらですべてを片づけるそうですので、お帰りはもうしばらく後になるかと。なにかお伝えしたいことはありますか?」

「ご無事でなによりです、お心を強くお持ちください、と。クロネイ殿下については、回復をお祈りさせていただきます」

「ネフィス殿下の早期帰還を願わないあたりが妃殿下ですね」


 苦笑するラトウィックに、アーシェは首を左右に振る。

 アーシェは、本来ならこの場所でネフィスを待っていい身ではない。アーシェ自身の心はともかく、ネフィスの心はアーシェに向けられているわけではないのだ。ネフィスの優しさだけで皇太子妃になったアーシェに、持っていい我儘はない。この恋心が促すままに、ただただネフィスを想うだけだ。想うだけなら許される。


「そんなアーシェ妃殿下に、ネフィス殿下からの伝言です」

「……わたしに?」

「どこに行きたいか考えておくように、だそうです」


 それは、散歩にでも行くかのような気軽さで出かけていったときの、約束だ。ただの口約束のはずが、確約のある約束となった瞬間だ。溺愛する弟の負傷は、ネフィスの精神を不安定にさせることはなかったらしい。


「それからもう一つ」

「もうひとつ?」

「もう少し我儘になってもらわないと寂しい、と。まあこれは僕がたまたま聞いたネフィス殿下のひとり言ですが」


 にっこり笑ったラトウィックにどう返事をしたらいいのか、正直アーシェは困った。我儘が言える立場ではないことくらい、ネフィスは理解しているはずだ。それに、アーシェはネフィスへの恋心を自覚してから、想うことだけに満足していた。本音を言えば振り向いて欲しいが、我儘というならそれくらいだろう。


「……ネフィス殿下に、お伝えください」

「はい」

「あなたをここでお待ちしてもよろしいですか、と」


 少しだけ勇気を振り絞って、声は小さくなってしまったが、そうラトウィックに伝言を頼んでみる。ラトウィックは軽く瞠目していたが、それがなす意味はアーシェには理解できない。迷惑なことだったろうか、と後悔を感じそうになったところで、ラトウィックが小さく噴き出した。


「相変わらず可愛らしい思考ですね」

「……はい?」

「もとはネフの言葉が足りないことから始まっていますし、仕方のないことでしょうが」


 くつくつと笑ったラトウィックは、珍しくネフィスを「ネフ」と愛称で呼びながら、一頻り楽しそうに顔を綻ばせていた。


「了解しました。一言一句、間違いなく、ネフィス殿下にお伝えします」

「お……おねがい、します?」


 笑っている理由を明かさないまま、ラトウィックはそのままなぜか楽しそうに、再びネフィスのところへ戻るべく飛んだ。

 なんだったのかしら、と会話を思い返しても、ラトウィックに笑われた理由はわからず、アーシェはしばらく考え込む。長いこと立ち竦んでいるような状態を侍女に心配されるまで、それは続いた。


 そうして。


「ただいま、アーシェ。どこに行きたいか、考えておいたかい?」


 まるで本当に散歩から帰ってきたかのような気軽さで、ネフィスはアーシェの許に帰ってきた。


「アーシェ? こら、アーシェ、聞いているかい? ただいまだよ、アーシェ?」


 あまりにもふつうに帰還したネフィスは、期間は短かったにしても戦争を終えてその処理までしてきたとは思い難いくらいに、いつものネフィスだった。


「お……かえり、なさいませ」

「うん、ただいま。早速だけれど、ちょっと抱きしめていいかな」


 笑顔のネフィスは、戸惑うアーシェを無視して、不意に伸ばした両腕にアーシェを捕らえた。ネフィスの帰還に呆気に取られていたアーシェは、そこで漸くハッとわれに返る。


「あ、あの、デイラン国と」

「終わったよ。銀山はうちが所有することになった。王家は断絶ね。カノゥゼ公爵に出張ってもらって、デイランは公国になるよ」


 すべて、終えてきたらしい。規模はともかく戦争をしたことで事後処理に時間がかかると思っていたアーシェとしては、この国が本当に戦争を嗾けられたのか疑問に思ってしまうくらいの素早さだ。


「く、クロネイ殿下は」

「王女に任せてきたよ。未だ寝台の上だが、意識ははっきりしているからね。サリヴァンもいることだし、もともと長居する気はなかったから」


 溺愛する弟を、連れ戻しに行ったわけでも、連れ戻そうと思っていたわけでも、なかったのだろう。ネフィスはあっさりとしている。


「……なにやら不服そうだね?」


 おや、とアーシェの顔を覗き込むネフィスを、ついつい見つめてしまう。


「不服、では……あの、お帰りが早いので……クロネイ殿下のことも、連れ戻すおつもりかと」

「ああ……戦争が早期終結したのは、まあデイランの準備不足が主な原因だからね。こちらはデイランにいつ動かれても平気なようにしていたから、対処に困らなかっただけで。クロネイに関しては……まあ、最初は怒っていたけれど、連れ戻す気はなかったよ」


 単身で出かけたネフィスは、本当に気軽な気持ちで、出かけていたようだ。デイランが開戦を宣言したのは、その最中に偶然起きたことだったらしい。なんという幸運か、あるいは本当に奇遇なのか、はなはだ疑問である。


「なんというか……わたしはね、あの気紛れな精霊騎士が、あまり好きではないのだよ。ああ、精霊騎士というのはね、クロネイの世話をしている騎士のことで、実はおばあさまの精霊なのだけれど、ラトウィックにそれは聞いたかな?」

「クロネイ殿下のおそばにいる騎士のことでしたら、はい」

「あの精霊騎士はね、おばあさまがクロネイのために捕獲した精霊なんだよ」

「ほかく?」

「おばあさまは天恵者だからね。精霊と契約できるほどの天恵者ではなかったけれど、産まれたばかりの精霊を言い包めることができるくらいには、口がよく回る人だったから」

「そ、そうですか」

「その精霊騎士にずっとクロネイを護らせていたのだけれど……まあわたしとしては、精霊の気紛れが心配でね。幸いなことにあの精霊騎士は人間に興味があるみたいで、飽きるということはないようだったけれど……それにしても信用できる人物ではないからねぇ」


 まるで兄弟姉妹を騙すかのように国を出て行ったクロネイのそれが、クロネイ自身の意志ではないかもしれないと、ネフィスは思ったのだそうだ。騙されたか、それともなにかに絆されたか、とにかくクロネイの意志を無視した行動のように思えて、癪に障ったらしい。確かめるために、ちょっと出かけてくるね、という行動に出ただけのことだった。


「弟というのは、可愛くないね。わたしとしてはいつまででも甘えてきて欲しいのだけれど……今や強かな男だ」


 セムコンシャス王国に婿入りしたクロネイは、王女シャルナユグと、確かな絆を結ぶに至っていたという。いつまでも可愛い弟が、一人前にも「夫」になっていたと、ネフィスは笑う。

 そして。


「……寂しいものだねぇ」


 呟いたネフィスは、本当に、寂しそうだった。


「最後の弟が、いなくなってしまったよ」


 すり寄ってきたネフィスは、抵抗もなにもしないアーシェを好きなだけ抱きしめて、ほぅっと息をつく。


「近くに呼びたいと、ずっと思っていたのだけれど……近くどころか、遠くに行ってしまったよ」


 今にも泣いてしまいそうなほど小さな声で、ネフィスはアーシェからの抱擁を望んでくる。応えない理由はないので、アーシェはネフィスの心を労わるように、そっと抱きしめ返した。


「ラトウィックの天恵があれば、いつでも、逢えますでしょう?」

「気持ちの問題だよ、気持ちの」


 くすくすと、小さく肩を揺らして笑ってみせるけれども、そうして震えた身体は、寂しさを誤魔化しているようにしか感じられなかった。


「いっとう可愛かったから、いっとう可愛がったけれど、あの子には重荷だったようでねぇ……わたしはただ、本当に、可愛かっただけなのだけれど」


 ネフィスの末皇子への溺愛ぶりは、多く知られていることだ。ただ、その気持ちが純粋なものであることを知る者は、実は少ない。可愛がるばかりでなく厳しくも接していたことから、不仲説が囁かれていたこともあるのだ。


「重荷、ではなかったと思います。わたしなどが語ってよいものではありませんが、クロネイ殿下は、ネフィス殿下のお気持ちを、心から嬉しく感じていたでしょう」

「そうかな……そうだといいな」


 愛情を注いだクロネイを疑うわけではないけれども、アーシェとしては、想う気持ちが幸福をもたらすことを知っているから、自分が想われていることを考えると、まずは喜びが勝る。クロネイもそれはわかっているはずだ。


「あなたがお育てになった弟君です。あなたの気持ちが、わからないはずが、ありません」


 クロネイのように、想われたい。

 首をもたげた願望に、アーシェは苦笑した。


「あなたに想われるクロネイ殿下は、必ず、幸せな道を歩み続けるでしょう」


 今生の別れになるわけではないのだから、と言うと、ふとネフィスが、密着していた身体を緩やかに離した。


「では、わたしに想われているアーシェは、どうしていつも、苦しそうなのかな」

「……え」

「わたしはアーシェと、幸せを感じたいのにね」


 見上げた玲瓏な面差しには、いつもの微笑みが消えていた。

 想われたい、そう思ったことへの、それは問いかけだった。







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