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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【歌う花に幸あれ。】
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02 : 恋をしている。





 喪服に身を包み、ネフィスに肩を抱かれながら、アーシェは悲しみに暮れる城内に佇む。棺に収まった亡き皇太后の傍らには、涙を流しながらも微笑み、これまでの感謝を述べ続ける末皇子クロネイが、棺に覆い被さるようにして寄り添っていた。


「あの子はまたあんなに……あのままでは倒れてしまう」


 剣呑な顔つきで、ネフィスはアーシェのそばを離れ、クロネイに駆け寄っていく。その手は優しくクロネイを抱えたが、棺から離そうとするととたんに「いやだ」と大泣きされて、珍しく暴れられる。細い身体では抵抗もさした力を持たないのだが、だからこそ慎重な扱いになるため、さすがのネフィスも途方に暮れていた。


 そうやってしばらくクロネイにつき添って棺のそばにいたネフィスは、しかし動く気配のないクロネイに諦めたのか、アーシェの隣に戻ってくる。


「アーシェ、わたしを抱きしめてくれるかい?」


 ほとほと困り果てた微苦笑に、アーシェも言葉なく腕を伸ばし、項垂れるネフィスを抱きしめる。

 祖母を失って悲しいけれど、それ以上に、そのことに引き摺られてしまうクロネイが心配なのだろう。アーシェのように、ネフィスたち兄弟姉妹の伴侶となった者たちも、ネフィスのような状態にある夫や妻を抱きしめて慰めていた。


 厳かに行われた葬儀が終わり、荼毘に付されて廟に皇太后が眠りにつく頃には、家族愛の深い皇族たちは皆、目を真っ赤にしていた。それは皇帝や皇妃も例外ではない。また皇帝の側妃たちも、臣下も、演技ではない悲しみのなかにあった。

 皇太后は深く愛された人だった。


 心配された末皇子クロネイは、すべてが終わってから、上皇の腕のなかに倒れた。すぐに部屋へと運ばれ、しかし案じたほどひどい状態にはならなかったようで、翌日には目許を腫らしながらも笑顔を見せ、王城に長く留まることなく辺境の離宮へと帰って行った。


「よろしいのですか?」

「うん?」

「ご一緒されたほうが……ひどく憔悴しておられます」

「言っただろう。わたしは、理性で動かなければならない。クロネイのことは心配だけれど、あれでも根性はあるし、おじいさまがそばにいてくださる。泣いて、泣いて、おばあさまとお別れできたのなら、それでいいのだよ」


 心配だけれども、そればかりではいられない。ネフィスは皇太子で、次期皇帝だ。立ち止まってなどいられない。


「アーシェ」

「……はい」

「そばにいておくれ」


 悲しそうだけれども微笑みを浮かべたネフィスは、きちんと前を見ていた。

 このひとは、こんなときまで、皇太子でいなければならない。どんなに心配でも、それだけでその身を動かすことは許されていない。少しくらいの融通は利かせられるだろうが、本当に僅かなものだ。


「時間です、殿下」

「……アーシェとの時間を邪魔しないでくれるかな、ラトウィック」


 気づけばネフィスの腕のなかにいたアーシェは、久しぶりに聞く侍従の声でハッとわれに返り、慌てて身を離した。


「ああこら、アーシェ、ラトウィックのことなんて気にしなくていいから」


 侍従ラトウィックを存外に扱うネフィスは、時間を急かされたであろうに、離れたアーシェを再び腕の中に捕らえ、頬ずりをしてくる。

 ラトウィックを前にして恥ずかしいという感情はないわけではないが、公務に差し障るようなことはしたくないアーシェなので、取り敢えず離れてもらえるよう抵抗し、けれどもまったくネフィスには通じなかった。


「こらこら、アーシェ、可愛いことをしないでおくれ」


 くすくす笑ってアーシェの抵抗を封じるネフィスは、なんだか楽しそうだ。


「アーシェがいてくれてよかったな……さて、ラトウィック、わたしになんの用だろう?」

「時間です。陛下に呼ばれているでしょう」

「ああ、そういえば……仕方ないか。ラトウィック、アーシェを部屋まで頼むよ」


 抵抗があっさり通じた、と思ったら、ネフィスが名残惜しそうに離れていくところだった。


「夕食は共に。待っておいで」

「……はい、お待ちしております」


 ラトウィックにアーシェを頼み、ネフィスは足早に立ち去っていく。姿が見えなくなってから、アーシェはラトウィックに差し出された手に促されて部屋へと戻る廊下を歩いた。


 終始無言のラトウィックは、幼い頃からネフィスに仕える侍従で、たまに護衛騎士にもなる、少し立場が微妙な人物だ。城内で帯剣している姿を見ることはないが、ネフィスが城下や地方へ赴くときに同行する場合は、近衛の騎士服をまとって帯剣している。ネフィスが言うには、細かな気遣いを見せる男だから、本来は近衛隊の騎士だけれども侍従にしている、らしい。ラトウィック本人がとくに嫌そうではなく、むしろ侍従のほうが性分に合っているのか、気づけば今のような立場になっていたそうだ。


「……妃殿下、お足許にご注意ください。階段ですよ」

「え? ……あら、ごめんなさい」


 気づけば部屋に戻るための階段の手前で、アーシェは立ち止まってしまっていたらしい。


「? お身体の具合でも?」

「いいえ、なんでもありません」


 このところ、ぼんやりしていることが多いと、アーシェ自身も自覚のあることだ。とくに意識して考えごとをしているわけではなく、むしろ、なにも考えていないからこそぼんやりしていることが多い。

 考えることを放棄しているのね、と自嘲する。

 いけないことだとわかっているけれども、考えたくないと思ってしまうから、逃げてしまう。逃げ道があると厄介だ。


「なにかお悩みですか?」

「……あなたのことを、少し振り返っていました」

「僕ですか」

「ええ。殿下と幼い頃からのつき合いでしょう? 今日も侍従なのね、と思って」

「僕は常から侍従……いえ、本来は騎士ですが」


 寡黙ではあるが、べつに苦手なわけではなく、話しかければそれなりに会話をしてくれるラトウィックは、だからネフィスの侍従兼騎士なのだと思う。表情もわりと豊かで、ネフィスになにを言われても顔色一つ変えないところは太い神経を持っているとは思うが、ものごとをはっきりと述べるその性格は潔くて接しやすい。初めて対面したときは少々怖くて接し方に困り果てたが、よく見れば顔の造形は優しく、笑わないわけではないし、アーシェに不必要な悪感情をぶつけることもなければ、特別な好感情を向けることもなかったので、次第に慣れて行った。年齢不相応の落ち着きがラトウィックにあって、それが初対面では畏怖の対象になったのだと、今のアーシェなら理解できる。


「なぜ、侍従に?」

「性分に合いまして。剣を揮うのは好きですが、運動としての意味合いが強いですからね。殿下の世話をしているほうが、時間を有意義に使えるのです」


 年齢不相応の落ち着き、それは老成しているラトウィックの思考からもたらされている。ネフィスよりも歳下で、アーシェよりは歳上であるラトウィックは、ネフィスが出逢った頃にはすでに、田舎で隠遁生活がしたい、と願うような男であったらしい。今でもそれは変わっておらず、ネフィスに重宝されているのに「早く隠居したい」と言い、「どうすれば隠居できるか」などと、ネフィスのそばに仕えている限り無理であろうことを口にしている。そのことをネフィスは笑っていたが、ラトウィックは常に真剣だ。真剣に、大真面目に、隠居のために日々を邁進している。

 いつ気づくだろうか。

 気づいたときのラトウィックの反応が少し気になるところだ。

 あなたは日々、夢の隠遁生活から離れて行っているのだ、と。

 侍従もできて騎士としても役に立って、おまけに書類仕事を任せても問題はないラトウィックの万能さを、ネフィスが手放すわけがない。ちなみに料理の腕も相当らしく、なにを任せても本当に皮肉なほど万能で、あまりにも有能過ぎてこの城に敵はいない。

 いつ気づくだろうか。

 このまま自身の万能さに気づかないほうが、ラトウィックのためになるかもしれない。


「僕のことより、殿下のことをお考えください。殿下に嫉妬されても面白くありません」

「……あなたのそういうはっきりとしたところが、殿下は好ましいのでしょうね」

「殿下に好かれたいと思ったことはありませんよ。が……まあ、懐かれている自信はありますね」

「殿下のほうが歳上であられるのに、あなたのほうがまるでお兄さまのようですね」

「殿下が子どもっぽいだけですよ。と、言ってしまうと、僕が年寄りくさいのだと殿下に返されますが」

「その通りだわ」

「否定してください。殿下が子どもなのです」

「そうかもしれないわね」


 くすくす、と笑えば、ラトウィックも肩を竦めて苦笑する。


「ああ……そういえば、一波乱が起きそうな気配がしていますので、妃殿下もお気をつけください」

「一波乱?」


 階段を昇り切ったところで出されたその言葉に、アーシェは再び立ち止まってしまう。ラトウィックを見上げれば、とくに顔色を変えてもおらず、またアーシェを心配している様子もなかった。


「デイラン国がきな臭くなっていましてね。すぐにでも行動を起こす、ということはまあないでしょうが、きっかけを求めているようなところはあるので、注意が必要なようです」

「……それは」

「ええ、まあ、つまり、戦争に発展するかもしれない、と危惧されています」


 久しく聞いていなかったその事態に、アーシェは思わず顔をしかめてしまったが、口にした当人はあくまで飄々としている。危惧しているくせに、なんの心配もしていなさそうだ。


「あなたは平気そうですね」

「自負がありますから。うちの国は強い」

「それは……そうだけれど」


 わが国、トワイライ帝国は、世界三大国に名を連ねている大国だ。そのトワイライに戦を臨むなど、愚かとしか言いようがないことだ。だから、ラトウィックの自負もわかる。誇りに思っていい。

 けれども、だからといって、戦争による被害をまったく受けないわけではない。同盟国にも迷惑をかける。

 戦争とは、勝利することがすべてではないと、アーシェは常から思う。


「回避することはできないのでしょうか」

「衝突は避けられないと思います。それならいっそ、刃を交えたほうが早い。余計な被害も防げますからね」

「短絡的過ぎます」

「ほかに方法があるなら教えて欲しいですね」


 辛辣な返しに、言葉が紡げなかった。話し合いでどうにかならないのか、とここで言ったところで、どうにもならないから刃を持ち出されるのでしょう、と言われて終わりだ。


「……殿下が陛下に呼ばれていたのは、そのお話なのですね」

「デイランは以前から怪しい状態でしたからね。それからもう一つ」

「もう一つ?」

「クロネイ殿下が、どうやら輿入れするようです」

「え?」


 思わず目が丸くなる。まさか縁談の話が上がっているとは、予想もしていなかった。


「早々にお帰りになったのは……そのためなのですか?」

「急に決まったことのようで。詳しくは知りませんが、以前からその話はあったのですよ」

「クロネイ殿下が……セムコンシャスへ」

「セムコンシャスは友好国ですし、随分と前から打診してはいたのです。ずっと断られていましたけれども」

「断られていたのに、打診し続けていたの?」

「セムコンシャスの王女の人嫌いが要因のようですが、そもそも十数年前に起きた売国未遂事件のせいで王女の婚約者が死亡していますから、なにかと大変だったのでしょう。内政が混乱状態にあったせいで、立て直ししているうちに気づけば今頃、というやつですよ」


 内政が混乱を極めたとして、立て直すのにそれほど時間がかかるだろうか、とアーシェは首を傾げたが、ラトウィックの話によれば、セムコンシャス王国の王女は随分と執政に強い王女らしく、王女を中心にして立て直しを図っていくうちに、国は王女ばかりを頼るようになってしまったらしい。


「セムコンシャスは今ほとんど王女が切り盛りしているような状態です。そんな王女に恋をさせるわけには、いかなかったのでしょうね」

「……というと?」

「もちろん王女の人嫌いもあるでしょうが、王女には国だけを愛して欲しかったのでしょう」


 それは人としての幸せだろうか。王族としての幸せだろうか。


「国を護っていくためにも、王族は華やかにあるべきだと、僕は思いますけれどね。命短し恋せよ乙女、とね」

「恋……」

「いろいろな愛憎劇を繰り返すべきです。醜聞はいただけませんが、王族の恋話は庶民の心を温めますからね。存分に華やいでもらいたいものです」


 人としても、王族としても、ラトウィックは愛を知っているだけで幸せになれるものだと笑う。


 ふと、わたしはどうだろう、とアーシェは俯く。

 愛されている、それはわかるのに、ラトウィックが言う「幸せ」にはない。むしろアーシェは、愛を知った今が怖いと思う。


 アーシェは、恋をしている。







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