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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【歌う花に幸あれ。】
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01 : この醜さをお許しください。

*ネフィス(クロの兄)の物話。

 視点はネフィスの奥さんから始まります。

 クロとシャナは物語の最後にしか出ません(それも予定)。

 力量不足で申し訳ありません。





 常からご機嫌麗しい様子を振りまく旦那さまは、毎日、なにがそんなに楽しいのかと不思議に思うほど、笑ってばかりいる。


「おはよう、アーシェ!」

「……おはようございます、殿下」

「おや、元気がないね? 具合でも悪いのかな?」


 いえ、あなたの元気が良過ぎるのです。

 と、言いかけて、アーシェは首を左右に振った。笑ってばかりの旦那さまは、実はそれほど毎日が楽しいわけではないらしく、むしろ機嫌が悪いときにこそ極上の笑みを浮かべるのだと、アーシェは知っている。

 ネフィス・エバン・ティファ・トワイライ。

 アーシェの夫となったトワイライ帝国の皇太子は、常から笑みを絶やさない人で有名であり、しかしアーシェにとってはひどく警戒心を煽られる不審人物だった。

 笑っているのに笑っていない。

 それに気づいたとき、アーシェは得体の知れないネフィスの笑顔を、簡単に信じることができなくなった。


「アーシェ? なにか心配ごとでもあるのかい? それとも、不安なことがあるのかな?」


 悲しげな顔をしながらそばに寄ってきてアーシェの手を握ったネフィスは、本日は真実、ふつうに機嫌がよいらしい。

 アーシェはふと息をつくと、再び首を左右に振った。


「ご心配をおかけして申し訳ありません。季節の変わりに、少々、疲れてしまったようです」

「ああ、それはいけない。今日は公務を休んで、ゆっくりするといい」


 やわやわとアーシェの手を撫でるネフィスは優しい。この優しさに嘘はない。

 ネフィスは、笑顔はやたらアーシェを警戒させるが、だからといって誰かに迷惑をかけるようなことをする人ではなく、とても真摯で誠実だ。国民の支持も高く、重臣たちからの信頼も厚い。将来を有望視されている皇太子だ。いつも笑っているから、この御方は怒ることを知らないのでは、などと囁かれることもあるが、ほとんどはよい意味での戯言だった。


「アーシェ?」

「……あ、申し訳ありません。ぼんやりしておりました」

「朝から無理をさせてしまったね。悪かった。もう寝室でお休み」


 気遣ってくれるネフィスに申し訳なくなりながら、しかし今日の公務は休ませてもらうことにした。

 春から夏、夏から秋、秋から冬、冬から春、と四季があるこの国は、それほど劇的な変化があるわけではないけれども、季節が変わる時期というのはどうも、アーシェは苦手だ。体調が悪いわけではないのだけれども、気分の落差が激しいと言おうか。とくに春から夏にかけて、秋から冬にかけての気候の変化は、体調を崩すこともある。気候に左右されるなんて、と思わなくもないのだが、医師が言うに体質的なものらしいので、あまり気に病まないようにしていた。


「さあおいで、アーシェ」


 ネフィスに手を引かれながら寝室に導かれ、控えている侍女に着替えを頼んだあと、そのまま退出する気はなかったらしいネフィスは、アーシェが寝台に潜り込んですぐ再び姿を見せた。


「無理をさせたくはないのだけれど、もう少しいいかな?」

「……あまりお相手はできませんが」

「聞いてくれるだけでかまわないとも。まあ実を言うと、わたしも今日は公務に出る気力がなくてね」

「どこかお具合が……」

「いやいや、至って健康だ。気分の問題だね」


 適度に息抜きをするネフィスは公務に真面目で、補佐官たちの手を煩わせるようなことはしないのだが、たまに「気分が乗らない」と宣言してひとりで姿を消すことがある。といっても、王城内にはいるようなので補佐官たちも捜さず、そして気が済めば翌日にはきちんと執務室で仕事をしているので、そういった心配はあまりされなかった。


「なにか……ありました?」

「いや、とくには」


 なにもなかったよ、と笑ったネフィスは、寝台に腰かけてアーシェの手を柔らかく握る。遊ぶように撫でられるとくすぐったかったのだが、アーシェが戸惑えば手を引っ込めてくれるネフィスが、今日に限ってはいつまでも離そうとしてくれない。


「……なにか、ありましたね?」


 ふつうに機嫌がいいと思ったのだが、もしかしたら違うのかもしれない。そう思って、少し警戒しながらネフィスを窺う。


「アーシェに隠しごとはないよ。ただ……そうだね、アーシェにそう言われると、隠しごとをしているような気分になってくるかな」


 ふっと視線を上げたネフィスの、夕焼け色の双眸にじっと見つめられる。その瞳が笑っていないことに今さら気づいて、アーシェは軽く息を呑んだ。


「いかが……なされたのです」

「アーシェはどうして怯えるのかな。わたしはそんなに怖いかい?」

「い、いえ……そういうわけでは」


 怯えている、と指摘するネフィスに、やはりこの態度は失礼なのだと、つくづく思う。それでも、アーシェは変えられない。アーシェにとって、ネフィスは皇太子だろうがなんであろうが、警戒すべき人でもあるのだ。


「アーシェは気づいているかな」

「……なにを、でしょう」

「アーシェがそうやってわたしに怯えるとき、その殆んどが、わたしの機嫌が悪いときだということだよ」


 それは当然だ、と思ったが、そんなことを口に出せるアーシェではない。わかっているならむしろ、その状態のときにわざわざアーシェの許を訪ねて欲しくないと恨み言が募る。


「だが今日は違う。べつに機嫌は悪くない」

「……では」


 ふふ、とネフィスが肩を震わせ、そうして目を細めるとアーシェの手を引き、指先に唇を落とした。


「慰めてくれないかな」

「なぐさめ……?」

「少々、複雑な気分でね」


 ネフィスには正妃のアーシェのほかに、側妃がひとりいる。慰めてもらいたいなら体調を崩してしまったアーシェではなく、側妃の許へと行けばいいのに、しかしそういう意味で慰めてもらいたいわけではないらしい。

 複雑、とネフィスが口にするとき、本当にネフィスは複雑な気持ちに振り回されていて、その内容はすべて、公務や自分のこと、アーシェのことなどではないのだ。


「弟殿下が、また、倒れられたのですか……?」


 ネフィスには弟や妹がたくさんいる。母親違いの弟妹だが、同じ母親の弟妹がいないわけではない。そのなかで、とりわけ可愛がっているのが、第三皇子にして末の弟殿下だ。

 末皇子はとても身体が弱く、幾度か逢ったアーシェでも末皇子のひどく華奢な身体が心配になるほど、日常生活のほとんどを寝台で過ごしている。アーシェがいるこの城ではなく、緑が深い空気の澄んだ辺境の離宮で、上皇夫妻と静かに暮らしていた。


「おばあさまが、危ないらしいのだよ」

「え……皇太后さまが?」

「クロネイはおばあさまに育てられて、いわば母上よりも母と慕う人だから……少し、怖いなと、思ってね」

「それは……」


 なんと言葉を返したらよいのかわからなくて、アーシェは握られた手のひらに力を込めることしかできなかった。


「以前伝えたと思うけれど、クロネイはひどく身体が弱くて、ひとりでは満足に歩くこともできない。成人を迎えられないだろうとも言われていた。それを、おばあさまが無茶を通して、今日まで持ち応えていた。おばあさまがいなくなったら……クロネイはどうなって、しまうのだろうね」


 心配だ、と呟いたネフィスが、珍しく気弱になって、アーシェの膝元に懐いてくる。


 末皇子のことになると、いつものネフィスはどこかに消え、ただただ弟が可愛くてならない青年になる。それはときに周りを呆れさせることもあるが、末皇子の病弱さを考えれば誰もが仕方ないと思うだろう。

 ここトワイライ帝国皇室は、兄弟仲もよければ後宮内も争いがないほど穏やかで、アーシェ自身も側妃と仲がいいくらいだ。みんなの子どもをみんなで見守る、後宮を抱える国の奥宮では非常に珍しい。

 だからネフィスのそれは当然で、慣れてきたアーシェも末皇子が少し心配になる。

 おそらく今頃、皇太后の危篤に複雑な思いを抱えているのは、ネフィスだけではない。他国へ嫁いだ姫も、降嫁した姫も、臣下に下った皇子たちも、末皇子の行く末を案じていることだろう。


「……おそばへ行かれたほうが、よろしいのでは?」

「そうしたいのは山々だが、弟妹たちに先を越されてしまってね。わたしまで城を離れたら、公務が立ち行かなくなってしまう。陛下にも、気持ちは痛いほどわかるから、年長者のわたしだけは理性で動いてくれと頼まれてしまった」

「まあ……」

「心配だが、わたしは動けない。聖国皇帝の訪問も控えているからね。だからこうして、少しだけ不貞腐れているくらいしか、できないのだよ」


 はあ、とため息をついたネフィスの頭を、慰めるように、アーシェはそっと撫でる。もぞもぞと動いたネフィスは、アーシェのほうに顔を向けて気持ちよさそうに微笑んだ。


「わたしに元気をわけておくれ、アーシェ。アーシェの、いっとう綺麗な笑顔を、見せておくれ」


 我儘とはかけ離れたお願いをされて、少々戸惑ったが、アーシェは要望に応えられる限りでの笑みを浮かべる。そうするとネフィスは本当に嬉しそうに頬を緩め、瞼を閉じた。


「アーシェ……わたしのアーシェ、アーシェはわたしを置いて逝かないでおくれよ」

「……もちろんです、殿下」


 皇太子として常に気を張って生きているネフィスに、こうして甘えられるわたしは幸せ者だと思う。

 けれども同時に、ネフィスの笑顔に警戒心を煽られるアーシェは、つまりネフィスに不安を抱いているのだ。こんな気持ちはネフィスに失礼だと思うのに、どうしても、心が揺らいでしまう。


「愛しているよ、アーシェ。心から」

「……わたくしも。愛しております、ネフィス殿下」


 愛の言葉を囁き合うのに、なんて醜い心だろう。ネフィスに愛されていると、どうして信じきれないのだろう。側妃がいるからだろうか。それとも、溺愛されている弟皇子が、ひどく羨ましいのだろうか。


 この醜さをお許しください、とアーシェは祈る。


 アーシェとネフィスは、幼い頃から決められた婚姻で結ばれたわけではない。まして、衝撃的な出逢いをして結ばれたわけでもない。アーシェが嫁ぐはずであった伯爵が急な病で倒れ、その伯爵がネフィスの直属部下であったというだけで、アーシェはネフィスに拾われることになったのだ。ネフィスの憶えもよく人望の厚い伯爵で、アーシェを頼むとネフィスに遺言したらしく、ネフィスは律儀にも伯爵の言葉を受け入れたのだ。それも、正妃という、世間一般的には最高の形で応えたのである。

 ネフィスがアーシェを正妃に迎えると決まったとき、反対の声がなかったわけではないけれども、多くは祝福されるものだった。それほどまでに人望の厚い伯爵で、誠実なネフィスが伯爵の言葉に応えるのも、応え方はともかく、当然だったのだ。

 だが一方で、当人であるアーシェは、ひどく複雑だった。

 アーシェと伯爵の婚姻は年頃を迎える前に決まっていたもので、伯爵の妻になるべくしてすでに準備が整えられていた。それなりの教養を身に着けたのも、伯爵の妻となるべくして培われたものだ。伯爵の人望の厚さや、どれだけ優秀な文官であるか、アーシェとて知らないわけではない。

 それなのに、アーシェは「伯爵が好きか」と問われて、即座に「はい」と答えられるほどの想いを、伯爵に抱いていなかった。

 わたしは愛に薄情な人間だと、伯爵が急死したときに思った。悲しいはずなのに、寂しいはずなのに、アーシェはホッと安堵してしまったのだ。少しは涙がこぼれそうになったが、悲しみに暮れて泣くことはなかった。今でも、悲しい気持ちはあっても泣くほどの感情を持ってはいない。

 そんなアーシェが、ネフィスに愛されて幸せ者だなんて、思うなど烏滸がましい。

 ネフィスの優しさ、温かさ、その微笑みを身に受けるたび、アーシェは苦しくてならなくなった。


「ああ、長く邪魔しては、無理を重ねさせてしまうばかりだね。ありがとう、アーシェ、おかげで少し元気が戻ってきたよ」

「……わたくしなどでお役に立ちましたのなら、光栄にございます」

「うん、ありがとう、アーシェ」


 アーシェの膝許から身を離したネフィスは、公務に出ると言って、アーシェの額に口づけを落とすと寝室を出て行った。

 その足音が聞こえなくなって、漸く、アーシェはほっと息をつく。

 罪悪感と、嫌悪感に、胸が苦しかった。


「アーシェさま?」


 胸を抑えて俯いたアーシェに、侍女が心配そうな声を出して近づいてくる。なんでもない、とそれを制し、アーシェは寝台に潜り込んだ。


「……わたくしは、薄情で……醜いわね」


 伯爵が逝去したときは涙も出なかったのに、なぜだろう、今はこんなにも涙が溢れそうになって、堪えるのが大変だ。末皇子のことが心配で公務に身が入らない状態にあるネフィスに、アーシェが今抱くこの感情は不敬以外のなにものでもない。

 どうしてこうも醜いのだろうと、アーシェは嗚咽を隠すために深く寝台にもぐり、身を丸めた。


 トワイライ帝国上皇が妃、皇太后セイエンが亡くなったのは、この二日後のことになる。







楽しんでいただけたら幸いです。

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