46 : いとしさの連鎖。
*シャナ視点となっております。
華奢な背中が二つ、並んで蹲っていた。一つは、背は高くとも実はそれほど身体ががっちりとしているわけではない護衛騎士サンジュンのもので、もう一つは言うまでもなく、虚弱体質のおかげで線が細いクロのものである。
「あの背中はなんですか」
と、アイルアートが問うてくるので、シャナはくすりと笑った。
「驚いているのよ」
「驚いている?」
「予想していたものとだいぶ違ったみたい」
「もしや……あの青い卵のことですか?」
「ええ」
「産まれたのですか」
「少し前にね」
シャナの向かい側に腰掛けたアイルアートが、感慨深そうに二つの背中を見やる。先ほどから二つとも動かないが、アイルアートがやってきてもそれは変わらない。
「確かあれは、ノルイエどのが見つけてきた精霊の卵でしたね」
「ええ。アイルアートは知っていたのね」
「ノルイエどのから聞いていました。精霊がそのように産まれてくることもあると、それは聞き及んでいましたから。しかし……クロさまには教えていなかったのですね」
「それであの驚きようよ」
「青い卵など、精霊の卵以外にありえませんでしょうに」
半ば呆れたように笑ったアイルアートは、侍従老官チェルザが淹れてくれたお茶を飲みながら、まったく動かない二つの背中にため息をつく。
「いつまで驚いているのでしょうね」
「想像していた生きものと違ったのだもの、仕方ないわ」
「サンジュンも見たことがなかったのですね」
「そうみたいね。ふたりして、しばらく前からああして動かないのよ」
「だいぶ信じられないのでしょうね……」
青い卵が、その固い殻を破って産まれたのは、つい一時間ほど前のことになる。偶然にもシャナはその現場に居合わせ、もちろん卵を常に持ち歩いていたクロも、産まれた瞬間には立ち会っている。サンジュンもその場にはいた。もうひとりの護衛騎士カラミアも、侍従ジェットもいた。たくさんの人々に見守られながら、青い卵は世界に姿を現わしたのだ。
それから、クロとサンジュンはあのとおり固まって動かず、さして驚かなかったカラミアとジェットは仕事に戻り、シャナも最初は驚いたもののクロやサンジュンほどではなかった。
「ねえシンくん、おかしいよね」
「はい、おかしいです」
「おれ、今までの人生で、こんなに目の前の光景が信じられなかったことはないよ」
「わたしも同じです」
と、身体は動かずとも口先だけは動かし、クロとサンジュンは青い卵から産まれた精霊を見つめている。
「ねえシャナ、おかしいよね!」
漸く身体を動かし、振り向いたクロに賛同を求められ、シャナは苦笑する。
「精霊だもの、わたしにはよくわからないわ」
シャナは、そんなものではないのか、と思うのだが、クロもサンジュンもそう思えないらしい。
「卵から産まれるのは鳥だよ! それも青い卵から産まれるんだから、ふつうなら青い鳥でしょうっ?」
青い卵から産まれたのが、青い鳥でなかったことが、どうしても信じられないらしい。
「鳥だったとしても、雛なんだから、最初から青いわけではないと思うわよ?」
「だとしても! どう見たってこれおかしい!」
これ、とクロが、産まれたばかりの精霊を手のひらに乗せ、シャナに見せてくる。
ぱっちりと目を開け、くあっと欠伸をした精霊が、こくりと小さく首を傾げながらシャナを見た。
「可愛いわね」
「うん可愛い! って、いや、そうじゃなくてね」
可愛さは認めるらしい。
「猫って卵から産まれないでしょ。そもそもこの小ささはあり得ないでしょ」
クロの手のひらに座るのは、小さな黒猫だ。
青い卵から産まれた、精霊である。
「瞳は青いのね」
「うん、そこだけは殻の色と同じ。って、いや、だからね? 青い卵から、どうして黒猫?」
猫なら猫から産まれてくるものだ、というのが、クロの常識であるらしい。もちろんそれはシャナの常識でもあるが、猫は猫でも、クロの手のひらに乗る猫は、精霊である。
「精霊だもの、なんでもありでしょう?」
「あり過ぎだよ」
ノエが人型の精霊であるせいか、どうもクロは、手のひら黒猫が精霊とは思い難いらしい。
「精霊もいろいろいるようで」
アイルアートが、小さな黒猫に「可愛いですね」と言いながら、愛らしいものを見るかのように微笑む。
「名前をつけてあげないのですか」
「その前に、この生態が気になる……名前つけちゃったら、愛着が湧くし」
「解剖する気ですか」
「アルア、してくれる?」
「神への冒涜です」
「だよね……うーん、おかしい。不思議だ。卵から猫が産まれたよ」
どうしたって、クロには、そしてサンジュンには、卵から猫が産まれたなんて、信じられないらしい。
「可愛いからまあ、いいけど……ねえシンくん、なんて名前にしようね?」
「クロネイ殿下の卵でした。クロネイ殿下が命名なさるのがよろしいでしょう」
「協力してよ」
「……では、いっそ、青い卵から産まれたのですし、アオ、でいかがでしょう?」
「アオ?」
「どこかの国で、青を意味する言葉です。或いは、クロ、と」
「おれ?」
「クロ、とは、どこかの国で黒を意味するそうです」
「……。アオにするね」
「そうですか」
青い卵から産まれた黒猫の名は、アオで決まりらしい。
「で、アオはなにを食べて成長するわけ?」
首を傾げたクロに、そこへちょうどノエが入室してきたので、問いはノエに向けられた。
「あ?」
「この子はなにを食べるわけ?」
「そんなのおれが知るわけないだろ」
「え」
「そもそも、そいつはなにか食うのか?」
「そこから問題っ?」
ノエ曰く、食事をしない精霊もいるのだとか。現にノエは食事を必要としない精霊で、精霊の特徴である気紛れで食事をするくらいである。
「ノエと同じ精霊だよっ?」
「おれは水の精霊だ」
「この子はっ?」
「風じゃないか?」
「わかんないのっ?」
見つけてきたのはノエなのに、「おれが知るか」の一言でクロを一蹴し、ノエはシャナが持っていた書類を回収すると部屋を出て行った。
「ノエの関心が極限にない……なんでこの子を見つけてきたんだ、ノエの奴」
「本当ね……」
見つけたときだけの興味だったらしく、産まれた今ではもうその対象外であるらしいノエに、さすがのシャナも吃驚した。
「まあ、なんにせよ、卵から孵したのはクロなんだから、面倒は見なさいね」
「それは責任を感じてるけど……え、じゃあ、おれの子はノエに取られちゃうわけ?」
「ノエがもっぱら関心を抱いているのは、この子だもの」
ノエがシャナの仕事を精力的に手伝っている理由は、もはや誰もが知るところである。シャナとしては、おかげさまで仕事が捗り、大いに助かっているのであるが、クロは大いに慌てた。
「その子は、おれが、育てるんだよっ」
「そうね。でも、ノエが先だったのよ」
順調に育っているわが子は、もう少しすると正面からもはっきりとわかるほど、大きくなる。そろそろふだんの礼装が着られなくなってくるので、腹部に負担がかからない衣装を手配中だ。
「ノエが育てたらおれみたいになっちゃうよ」
「あら、あなたが育ててもそれは変わらないと思うわよ?」
「え」
それはまずい、と顔を引き攣らせたクロが、手のひらからぽろりと黒猫を落とした。身体能力はふつうの猫と変わらないのか、落とされても黒猫は華麗に着地し、なぜ落としたのかと責めるようにクロを見上げる。
クロが視線を落とし、黒猫と見つめ合った。
「ねえアオ……おまえもおれの子だけど、もうひとり、おれの子がいるのね。まだあそこにいるんだけど」
と、クロが語りかけると、みゃーう、と黒猫は少し甲高い返事をする。
「ノエに取られちゃうよ……どうしよ」
黒猫を抱き直し、クロは不服そうにした。
猫が二匹いる、と思った。いつかクロが猫のように見えたことがあったのだが、だから青い卵から黒猫が産まれたのではなかろうか。
「ねえ、シャナ?」
「なぁに」
蹲ったまま黒猫を抱えたクロが、ふっと、笑った。
「おれみたいに育っても、おれみたいに、愛してね」
その笑顔が、あまりにも無邪気で。
「……なに、当たり前なこと、言っているのよ」
気恥ずかしさに、突き放すような言い方をしてしまったけれども。
「うん、そうだね」
怖がることを抑え、不安を乗り越え、恐れに正面から挑み始めたクロは、強かに微笑むだけだった。
いとしさは連鎖する。
「おれを愛して、シャナ」
あなたがいとしいから、あたらしい命が、芽生えた。
これにて【いとしさの連鎖。】は終幕となります。
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津森太壱。