45 : 世界が彩られる。
*クロ視点になっております。
これやるよ、とノエに渡された青い卵を、クロは手のひらの上に転がした。
投げても落としても割れない、とても頑丈な卵は、うっかり踏んでしまっても割れなかった。白い卵なら見たことはあっても、青い卵なんて見たことがなかったので、割れなかったときは卵ではなく石なのではないかと思ったが、放置していても冷たくならず常に暖かいので、どうやら卵であるらしい。
「おまえは、なんの卵……?」
どんなに乱暴に扱われようとも存在し続ける青い卵は、なんだか自分に似ていた。成人まで生きられないだろうと宣告されたのに、ノエという精霊に命を支えられることによって今も長らえている、そんな自分の図太さに似ている。
はあ、とため息をつきながら、卵を手のひらの上から寝台の上に転がした。
「クロ」
青い卵から産まれてくるのは、青い鳥だろうか。それとも青いのは殻だけで、産まれてくる生きものは違う色をしているのだろうか。
「クロ」
青い鳥だったら、幼い頃に読んだ物語に登場する、幸せを運ぶ生きものだと思う。
「クロ、聞こえないの?」
きみが幸せを運んできてくれるのだとしたら、いったいどんな幸せをもらえるのだろう。
これ以上の幸せなんて怖い気もするけれど、と苦笑しながら寝台から身体を起こした。ひとりにしてくれと頼んでいたので、寝室には誰もいない。
「……、ん?」
「クロ」
水差しに手を伸ばしたつもりだったのだが、見覚えのある手のひらにそれを遮られ、クロは漸くその視界に自分と卵以外の存在を把握する。
「っ! シャナ……っ」
いるとは思わなくて、吃驚して後ろに飛びのいた。
「……そんなに驚くこと?」
シャナは、驚いたクロに表情を変えることなく、なんでもないかのように寝台の端に腰かけると、クロが飛びのいた拍子に転がった青い卵を拾う。
「シャナ……?」
「そうよ」
青い卵をいとおしげに手のひらに包みながら、シャナはこくりと首を傾げ、じっとクロを見つめてくる。顔色はあまりよくない。それでも、そんなことには屈しない、力強さと凛々しさがあった。
綺麗だ、と思った。
こんなときでも、クロの目にはシャナが眩しく、そしてなお美しい。
世界が彩られる感じがした。
「……シャナ」
「ん?」
向けられた眼差しに、こぼれ落ちてしまいそうな幸福が、押し寄せる。
落としたくなくて、クロはぎゅっと、胸元を抑えた。
この幸せを失いたくない。
この幸福をずっと抱えていきたい。
「シャナ……」
きみがそこにいてくれるだけで、こんなにも、幸福になれる。
ああどうして、きみはこんなにも、力強いのだろう。
「シャナ……っ」
くしゃりと顔を歪め、しかしそんな顔を見られたくなくて、クロは身を丸めた。
「……クロ?」
どうしたの、と伸べられたシャナの手を、クロは反射的に捕まえる。そのまま自分に引き寄せて、縋るように蹲った。
「シャナ…っ…シャナ、シャナ」
「……そんなに呼ばなくても、ここにいるわよ」
くす、と笑ったシャナは、温かかった。
だからますますクロは切なくなって、シャナにもっと手を伸ばした。しがみつけば、シャナが苦笑する。
「あれだけ避けていたくせに、わたしから来たらこれなの?」
軽く文句を言いながら、それでも突き放そうとはしない。それがシャナの愛情だと思うと、たまらなく、いとしさが募った。
ああどうして、避けていられたのだろう。
ああどうして、遠くから見ているだけで満足できただろう。
こんなにも、愛しているのに。
こんなにも、いとおしいのに。
こんなにも、幸福であるのに。
「好きだ……っ」
「……え?」
「きみが……っ」
いとしい。
いとしい。
いとしい。
「好きだよ……っ」
こんなにも誰かを愛したことはない。こんなにも誰かにいとしさを感じたことはない。
だから。
「だから、お願い…っ…おれの子を、産んで」
「……クロ」
「シャナの子を、おれにちょうだい……っ」
きみはきっと、おれひとりのものでは、いられない。
王さまになるきみは、おれひとりに、振り回されてはいけない。
「ちょうだい……おれの、シャナの、子ども……っ」
寂しい想いをするだろうきみのためにも。
寂しさになんて、負けていられないのだと、今頃気づいた。
「……だいじょうぶ。わたしと、あなたの子どもよ」
「シャナ……っ」
「だいじょうぶ。だいじょうぶよ、クロ」
なにが怖いかなんて、自分以外の誰にもわからないことだと思っていた。それでも、シャナに「だいじょうぶ」と言われるだけで、潜んでいた恐怖や不安は簡単に和らぐ。
やっぱり寂しいなんて言っていられない。
寂しさよりも、いとしさが勝る。
そのいとしさの先に、幸福の先に、それがあるなら。
「おれが、育てるよ……っ」
愛情をいっぱいに注いで、どんなことがあっても屈しない力強さを持った、シャナみたいに凛々しい子に育てよう。
きみが俯かず、前を見続けていられるように。
いつかきみが、誇らしいと、笑えるように。
怖いなんて言っていられない。
不安だなんて、揺らいでいられない。
「あなたにばかり任せたら……甘えたがりに育って、それは大変ね」
それはそれで、楽しそうだけれども。
と、微笑んだきみが、産まれてくる生命に深い愛情を注ぐ、その姿がいとしいから。
「シャナ……っ」
「なぁに」
いとしいきみが、新しい生命に喜び、笑い、幸せにいられるように、おれはこの身のすべてを捧げよう。
「愛してる」