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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【いとしさの連鎖。】
43/56

42 : その姿が、響いたのなら。

*シャナ視点です。





 クロが近づいてこない。

 それはシャナにとって、常にない珍しいことだった。

 処分されるところであったジェット・ラプレツィアを侍従兼護衛騎士にするため、教育に忙しいのかと最初は思ったのだがそうではなかった。補佐官エリオンの話によれば、なにをしたのかジェットはクロに対して従順になったらしい。もともと教育らしい教育も要らないだろうと思われたジェットであるから、クロに素直に従うようにさえなったならとくに問題はない。態度を改めたらしい今は特に、生来の有能さからアイルアートには一目置かれているようであるし、侍従老官チェルザも見所があると認めつつあるようだ。

 ただ、クロが自分で護衛騎士に選んだサンジュンだけはどうしてもジェットを受け入れられないようで、積極的に会話をしようとしないという。もうひとりの護衛騎士カラミアは、彼はジェットの教育を任されているのでそうでもないようだが、護衛騎士の役目をジェットひとりに任せるようなことはしていないらしい。

 どうなることかと思われたジェット・ラプレツィアは、予想を覆して順調に、クロの侍従として頭角を見せつつある。このままいけば、武の心得がある侍従官として、のちのちクロの補佐官となるだろう。

 ジェットの処分をクロに任せた手前、口出しをするつもりはなかったシャナであるが、それは実に正しい判断であったと思う。


 しかし。


 ジェットのことと、シャナに近づいてこないことは、たぶん繋がるようなところはない。


「……なにを、気にしているのかしら」


 巡行視察から帰ってから、クロは一度も、お茶の時間に現われることがなかった。正確に言えば、シャナが懐妊したとわかってから、クロはシャナと距離を置くようになった。

 心が離れてしまったのだろうか。

 そう心配したが、それは呆気なく精霊騎士ノエに否定された。曰く、あり得ないこと、らしい。


「まあ、気にするなというほうが、おかしいかもしれませんね」

「だから、なにを気にしているというの?」


 元来、甘えたであるクロは、だからこそ愛情には敏感で、たまに怖がるという。たとえば、虚弱であるのが当たり前であるクロにとって、常に健康状態が保たれている人が少しでも体調を崩すと、それはとても恐ろしいことになってしまうらしい。弱いのは自分なのに、自分ではない誰かが弱る姿というのは、クロの日常をひっくり返したあり得ない世界であるというのだ。


「姫がほら、今はまだ悪阻の自覚もないようですけど、そのうちひどくなるわけでしょ」

「なぜあなたがそれに詳しいのかは不思議だけれど、そうね……悪阻がひどかったら、仕事もできないわね」

「ほら、クロにはあり得ない世界でしょう」

「どこが?」

「自分が寝台にいるのは当たり前ですからね。姫が寝台にいたら、クロには恐ろしいことでしょう」

「……そうかしら?」


 クロにはできるだけ寝台にいない生活をしてもらいたいと、シャナはよく思う。元気なときは元気なのに、次の瞬間には倒れていることもあるのだから、恐ろしさで言えばシャナのほうが常に抱えていると言っていいだろう。クロに代わって自分が、と思うことはしょっちゅうだ。懐妊という、人生において初体験の最中である今は自分の身体を優先しなければならないが、それでもクロのほうが大事だ。


「頓着しない姫ですねぇ……クロの気持ち、汲んであげてくださいよ」

「頓着していないわけではないわ。クロとの子どもだもの、とても大切よ。無事に産みたいわ」

「だからこそ、クロの気持ちを汲んでください。姫は子どもを産むことに不安がないようですけど、クロは不安なんですよ」

「……わからないわ」


 シャナだって、初めてのことに不安がないわけではない。だが、不安だと言ってもどうしようもない。クロとの子を宿すことができたのだから、産むとなったら産むだけである。

 それに、クロは「自分の役割」をとても気にしていた。虚弱な身体が、正常に働くか心配していた。それは杞憂に終わったことだとしても、クロにはセムコンシャスに婿に迎えられた「義務」がある。その課せられた義務はシャナにもあるわけだが、シャナ以上にクロにその期待は重く圧し掛かっていたことだろう。もしシャナとクロの間に愛情が芽生えなければ、その期待も軽いもので済んだかもしれないが、そうではない以上、クロはシャナ以上の期待を一身に背負っていることになる。

 今では解消された期待であるから、これ以上のことを不安に思うことは、シャナにはなかった。


「婿より嫁が強い……こりゃ、クロが悪阻に悩むかもしれませんね」

「え?」

「たまにあるそうですよ。嫁と一緒に悪阻に苦しむ婿が」

「……それはいやね」

「面白そうですけど」

「面白がらないでちょうだい。クロが……寝台から離れられなくなるなんて」


 漸く床上げできたところなのに、またそんな状態になるなんて、そちらのほうが心配で仕事にならない。

 不穏なことは言わないでくれとノエに言うと、ノエは苦笑した。


「クロにはそれが当たり前だと思いますよ」

「どういうこと?」

「姫が寝台にいるより、自分が寝台にいたほうが安心できるということです」

「……。わたしはそれがいやなのだけれど」


 クロの代わりに自分が、と思うのだから、シャナが悪阻のときくらいクロには元気でいてもらいたいし、そうでなくてもいつだって元気でいてもらいたい。


「シャナ殿下、お時間を少々拝借してもよろしいでしょうか」


 はあ、と息をついたとき、休憩時間だったので外に出ていた補佐官フィルが、深刻そうな顔をしながら入室してきた。


「なにかしら?」

「クロさま就き護衛騎士が、殿下にお話ししたいことがあると」

「サンジュンが? それともカラミア?」

「サンジュン・レクタです」


 おや、と思いながら、シャナはフィルを促し、護衛騎士サンジュンの入室を許可する。

 外見からして真面目そうなサンジュンは、それに違わず至極真面目な性格をしていて、だからこそクロの言葉には実直な護衛騎士だ。アイルアートに言わせると、その実直さゆえにクロの言葉には疑いもせず、頼みごとにまで素直になってしまうので、クロの様子はカラミアに報告させたほうがいいという。つまりアイルアートには、クロのことに関しては、信用されてない。クロに頼まれて必ず否と言わないサンジュンであるから、クロへの忠義は信頼されているものの、クロの友としては当てにならないほど信用されていないわけである。またクロのほうも、サンジュンに対してはそれがわかっているから、ひどく懐いていた。


「直言をお許しください、シャルナユグ殿下。お時間を融通していただき、ありがとうございます」


 一礼したサンジュンは、クロがきてから誰もが親しげに「シャナ殿下」と呼んでいるというのに、一貫して「シャルナユグ殿下」を通す。クロ以外にシャナをそう呼んではいけないと思っているあたり、クロへの忠義はどこまでも厚いと言えるだろう。


「なにか話があるようだけれど?」

「はい。クロネイ殿下のことで、遅れましたが報告をさせていただきたく」

「報告?」


 カラミアからクロの様子を報告されるのはいつものことだが、サンジュンから報告されるのは珍しい。いや、珍しいわけではないが、滅多にないことだ。


「先日、シャルナユグ殿下が巡行視察からお帰りになった際、連れてきた者ですが」

「ジェット・ラプレツィアが、クロになにか?」

「クロネイ殿下が、思い知ればいい、ということで、剣の相手にしました」


 その報告に、軽く息を呑む。


「まだ体調は万全ではなかったはずよ」

「はい。途中で、お倒れになりました」


 ひゅっと、シャナは言葉を呑み、唇を噛んでしまう。

 その報告は、カラミアからはもちろん、クロの体調管理を任せているアイルアートからも、侍従のチェルザからもなかった。シャナの隣で飄々としている精霊騎士などは、気づいていただろうに、白々しくも顔を逸らしている。


「……なぜ今になって報告に至ったのか、説明してくれるわね?」


 なぜクロに無理をさせたのかと、怒鳴りたい気持ちを抑える。抑えていられたのは、一番に体調管理の報告をするアイルアートが、サンジュンにそれを任せたらしいというのが窺えるからだ。


「お聞き及びかと思いますが、あの者の態度が、変わりました」

「ええ、それは聞いているわ。まさか……クロがそう仕向けたというの? 剣の相手をさせたことで?」


 なにかしたのだろうとは思っていたが、まさか倒れるほど剣の稽古をしたとは、なんたる無謀だろう。


「思い知ればいい、とクロネイ殿下はおっしゃいました」

「さっきもそう言っていたわね。どういう意味かしら」

「残念ながら、わたしにはその真意が読み取れません。ですが、あの者が犯した罪に、クロネイ殿下は覚えがあるようです。その罪を犯すという重さを、クロネイ殿下は思い知らせたかったようでございます」

「罪……?」

「大切な人たちからの想いを裏切ること、だそうです」


 ハッとする。


「わたしは、あの者をなかなか理解できませんが、クロネイ殿下は理解しようとなさりました。その結果が、今のこの状態です。ですから、お倒れになったことに対しての報告が遅れました。申し訳ありません」

「……サンジュン」

「はい」

「クロは、わざと倒れるように、自分を追い込んだのかしら?」

「そのようでした」


 わかっているのか、と思った。いや、わからないわけがないのだ。クロは、だからこそ愛情に敏感だ。心配されるということが、どういうものなのか、クロほど理解している者はいないだろう。

 ああそうか、とシャナは小さく息をつく。


「本当に、許せなかったのね」

「……、はい?」

「いいえ、今もきっと、許せないままなのね」


 寝台にお世話になることが当たり前であるクロにとって、ジェットが犯した罪は、許せないものである。同時にそれは、自身にも言えることだった。

 クロも、命を軽んじたことがある。

 クロは、自身のその罪を、許していない。生きると決めた今だから、過去のそれを悔いることはないとしても、二度と思わないと誓ったことだろう。

 その、姿が。

 同じ罪を犯したジェットに、響いたのなら。


「きっと、それが最善の、策だったのね」


 これはシャナが怒るところではないだろう。いくら無謀をしたからといっても、それは必要なことだったのだ。ジェットにとっても、自身にとっても、必要だったからこそクロはそう動いた。

 それは間違いだ、と言うには早計かもしれない。


「だから、後ろめたい気持ちで、わたしのところに来ないのかしら」


 サンジュンがその報告を、遅ればせながら運んできたとはいえ、シャナの耳に入らないことではないから、追い込むような真似をしたことに後ろめたく思ったのは確かだろう。

 それに、たぶん今クロは、そんな無謀をしたツケを支払っているに違いない。


 シャナはちらりと、サンジュンの背後を見やった。


「……アイルアート、そこにいるわね」


 結託されたことではなかっただろうが、必要と思ったのはクロだけではなかった。アイルアートも、チェルザも、同じように必要だと思ったから、今になってシャナにその報告が届いたのだ。


「今は休ませてやってください。そのことに関してだけでなく、あなたが宿した子のことにも、クロさまは過敏になっておられますから」


 ゆっくりと姿を見せたアイルアートに、まったくここの人たちはクロに甘い、とシャナは頭を抱えた。








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