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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【いとしさの連鎖。】
39/56

38 : きみが、あまりにも綺麗に、泣くから。5

*クロ視点です。





 目が覚めると、なにか音がした。シャラシャラという涼やかな音は、耳慣れないながらも心地がいい。


「なんだ……?」


 首を傾げながら、クロは寝台から起き上がる。

 昨日より身体の調子がかなりよさそうだ。節々の痛みもない。胸の苦しみもない。いつもより呼吸が楽にできる。ただ、胸の奥がぐずぐずした。まだ自分は腹を立てているらしい。


「お目覚めですか、クロさま」

「……チェッサ」

「はい、チェルザにございます。おはようございます、クロさま」

「おはようございます」


 深々と頭を下げるチェルザになんとなくつられて、クロも頭を下げる。そんなことをしてみても、昨日感じた不快感を拭えるわけもない。

 ふと身体を起こしてから、クロは口を開いた。


「チェッサ」

「はい、なんでございましょうや」

「鈴みたいな音が聞こえるんだけど、なんの音だ?」

「鈴の音? はて……わたくしには聞こえませんが」

「聞こえない?」


 クロの耳には聞こえるシャラシャラという涼やかな音は、しかしチェルザには聞こえていないらしい。

 クロはますます首を傾げる。


「なんの音だ……?」

「鈴の音が聞こえるのですか」

「シャラシャラ聞こえる……妙に心地いい」


 ぐずぐずする胸の奥の不快感は消えないのに、この音色は心地いいなんて不思議だ。


「なんだろうな」

「なんでしょうな」


 はて、とチェルザと揃えて首を傾げる。


「なんの儀式ですか」


 という突っ込みは、ひよこみたいな色の髪を揺らしながら入室してきたアイルアートからのものだ。


「おはよう、アルア」

「おはようございます、クロさま。今朝は調子がよさそうですね」

「ああうん、わりとすっきり。昨日は迷惑かけたな」

「それはかまいません。しかし……機嫌は悪そうですね」

「わかる?」

「なんとなく。ところで、チェルザどのと揃って首を傾げて、いったいなんの儀式ですか」


 なんのことかと思っていたが、アイルアートにはクロとチェルザが揃って首を傾げていたそれが、儀式のように見えたらしい。

 違うよ、とクロは苦笑した。


「鈴みたいな音が聞こえるんだよ。アルアは聞こえないか?」

「鈴の音? わたしには……なにも聞こえませんが」

「チェルザも聞こえないみたいなんだよ。アルアにも聞こえないなら……おれにしか聞こえてないのかな」

「でしょうね」


 チェルザにも聞こえない音は、アイルアートにも聞こえなかった。

 幸いにもうるさい音ではないし、むしろ心地がいいくらいなので煩わしくはないのだが、胸の奥に燻っている不快感もあるので複雑だ。


「……もしかして、ノエか?」

「ノルイエどのでしたら、昨夜からあなたの裡に入られたようですよ」

「……ノエかな」


 休むときなどクロの裡に入る精霊騎士ノエがこの音を出しているなら、チェルザやアイルアートに聞こえなくて当然だ。クロ以外に聞こえるとしたら、それはノエの契約者たるシャナだけだろう。

 クロはぽんぽんと、おそらくこの辺りにいるのだろうと適当な目星をつけて胸を叩く。


「ノエ、ノエ、この音なんだ?」


 試しに問うてみると、シャラシャラという音が緩やかになる。

 聞きようによっては返事に聞こえる音は、どうやら、ノエの仕業で間違いなさそうだ。


「ノエみたいだな」

「ほう……面白いことをしますな」


 チェルザが、本当に面白そうに、目を輝かせた。


「どうしたんだろうな? 機嫌がいいってことなんだろうけど」

「クロさまにとって心地のよい音を出されるほど、機嫌がよろしいのですな」

「珍しい……」


 クロは昨日のことを引き摺って未だ不機嫌だというのに、ノエはなにか嬉しいことでも、楽しいことでもあったのだろうか。祖母のこと以外でノエの機嫌がいいことなど滅多にないのだが、いったいどうしたのか。

 シャラシャラと心地よく響く涼やかな音は、クロの足取りだけでなく身体を全体的に軽くしてくれた。


「シャナは?」

「起きておられますよ。朝食を一緒に、と」

「うん、食べる」

「ほほ、よい返事です。久しぶりに聞きましたぞ」


 クロの身体を好調にしてくれる音には首を傾げるが、しばらく続いていた不調から解放されたことは喜ばしく、またそれはチェルザとアイルアートを安堵させたので、まあいいかとクロは手早く支度を済ませた。


「そういえばおれ、飛び出してきたから着替えとかなかったんだよね」

「お願いですからわたくしとアイルアートどのにだけでも宣言してから飛び出してください」

「うん、ごめん」

「お着替えは用意しております」


 軽く謝ったあとチェルザに差し出された衣装は、しかし、クロの顔を引き攣らせた。


「いつもの神官服は……」

「なんのことでしょうな」


 白々しく視線を逸らされた。

 怒っているようには見えなかったのだが、シャナ逢いたさに城を飛び出したことは、チェルザやアイルアートにまだ許されていないらしい。

 大急ぎで準備し、用意してくれたのだろう衣装は、白を基調とした王族の衣装で、見るからに凝った刺繍が重そうだ。いつもの神官服なら飾り気もなく動きやすいのだが、これはとても動きにくそうで、できれば袖を通したくない。黙って城を飛び出したお仕置きをされている、と思った。


「いつもの神官服、ない?」

「これはシャナ殿下が用意してくださった衣装です」


 カッと、目を見開く。


「着る」

「どうぞ」


 シャナが用意してくれた衣装なら着る。シャナがクロのために、クロを想って用意してくれたものだ。


 クロは手早く着替えを済ませると、寝室を出た。

 シャラシャラという涼やかな音は、まだ聞こえる。


「シャナ、おは……」


 先に来て待っていたシャナに、挨拶しようとしたときだ。


 それまで心地よく鳴り響いていた音が、いきなり音量を増し、クロの視界を歪ませた。


「クロっ?」

「クロさま!」


 いきなりの大音量に眩暈を起こしたクロは、そのままつんのめるようにして前に倒れ込んだが、床と仲良くなる前にチェルザとアイルアートに支えられた。


「な、なんだ……ノエ?」


 ぐわんぐわんと鳴り響く鈴の音は、それでも心地がいいから不思議だ。


「クロ、クロ、どうしたの、やっぱりまだ具合が悪いの?」


 心配して駆け寄ってきたシャナに、クロは片手で頭を支えながら顔を上げる。すると、また一段と音量が増して視界を危うくした。


「しゃ、シャナ? ノエに、なにかした?」

「え?」

「ノエが、おれの中で、なんかすごい機嫌よくて」


 あまりの音に頭までぐらぐらしてくる。それでもなお心地よさは変わらない。


「ノエの……機嫌?」

「うん、すごい、機嫌いい。おれの中で、騒いでる」

「騒いでいるの?」

「シャラシャラ、綺麗な音、出して……あ、ちょっとヤバい」


 目がチカチカしてきた。星が飛んでいる。


「く、クロっ」

「シャナ、なにかしたでしょ。なにしたの」


 耳にはひどいのに、心には、身体には、とても心地のよい鈴の音だ。これはよほどのことがあったに違いない。


「なにって……なにって、その……」


 シャナにはなにか心当たりがあるらしい。

 どうにか視界を取り戻そうと意識を集中させ、クロはシャナを見つめる。顔が真っ赤だった。


「シャナ?」


 もじもじと、らしくなく言いにくそうにしているシャナが、うろうろと視線を彷徨わせる。


「……こ」

「こ?」

「こども、の……」

「うん?」

「ノエが、子どもの、面倒を看たいって……言うから」

「……、うん?」

「い、いいわよって……許可したの、よ」


 はて、と考える。

 なんのことだ、と思った。


「子ども?」


 面倒を看たい、なんてノエが言って、シャナがそれを許可したというのは。


「…………。子どもっ?」


 吃驚した。

 思わず叫んだら、真っ赤なシャナがますます赤くなって、涙目になった。


「わたしとあなたの子よっ」


 叫び返されて、クロは放心する。


 理解し飲み込み咀嚼するまで、しばらく時間がかかった。


「お……れと、シャナの?」


 ぶわりと暖かなものが側から溢れてきて、それまで鳴り響いていた音を吹き飛ばした。


 いつかできるだろうとのんびりかまえていたが、それでもほぼ毎日のように頑張っていたが、こんなに早くその喜びを得られるとは思っていなかった。同時に、自分の身体が正常に働いてくれたらしいことにも、安堵した。

 ほっとした。


「そ……でき、たんだ」


 力が抜けて、がくんと膝が折れた。


「クロっ?」


 ぺたりと床に落ちたクロに、シャナが慌てて腕を伸ばしてくる。クロの身体はチェルザとアイルアートが支えていてくれていたが、シャナのそれは彼らも今聞かされたのだろう、驚いた拍子にクロを離してしまっていたので、クロはシャナの腕に抱かれた。


 だがすぐ、クロはどうにか自力で身体を支えた。名残惜しいが我慢だ。


「……クロ?」

「だいじょうぶ?」

「え?」


 妊娠は、初期がつらいものだと聞く。安定期に入るまで、油断してはならないとも聞いた。

 どきどきしながら、クロは震える手でシャナの腕を掴む。自分が貧弱であるのは当たり前だが、シャナがそうなることを考えると、なんだか怖くなった。


「か、身体、つらくない?」


 このときばかりは、貧弱なのが自分でよかったと思った。

 けれども、出産は命がけだと聞いたことがあるから、とたんに恐ろしくなる。


「お、おれ、嬉しいけど……すごく、幸せな気分なんだけど……ごめん、怖い」

「……クロ」

「お願いシャナ、つらいときは言って。おれの子だし……おれみたいに迷惑かけるかもしれないし……だから」


 ああどうして、と思う。どうしてその可能性を今の今まで考えなかったのだろう。

 シャナとの子どもが嬉しくて、幸せで、涙まで出そうなのに、その子がもし自分のような子であったら、どうしたらいいだろう。自分の役目はわかっているつもりだが、自分に問題があったら、苦しむのはシャナだ。


 俄かに困惑していると、シャナに両頬をぱんっと張られた。


「怖いことなんてないわ」


 それまで真っ赤だったシャナが、真摯な顔つきで、真っ直ぐクロを見つめる。

 ああ、この凛々しさが好きなんだ。

 つくづくそう思うと、ほっと息が出た。


「シャナ……」

「怖がらないで。こんなに幸福なことは、どこにもないのよ」


 その強かさに、ひどく惹かれる。シャナ以外に、こんなにも強く惹かれたことはない。きっとこれは、自分にはない強かさなのだと思う。


 シャナと出逢えたことを神に感謝しよう。

 いや、世界に感謝しよう。


「クロ……わたし、あなたとの子を授かることができて、とても幸せよ」


 柔らかな微笑みに、うっすらと涙を見つけて。


「……泣くほど、幸せ?」


 問うと、ぷっくりと浮かんだ涙が頬を伝った。


「だって、あなたとの、子どもよ?」


 これほど幸せなことはない。

 そう言ったシャナに、クロは深く、深く息をついて、頷いた。


「よかった……」


 きみが、あまりにも綺麗に、泣くから。

 その美しさに、その優しさに、微笑まずにはおれなかった。







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