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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【いとしさの連鎖。】
37/56

36 : きみが、あまりにも綺麗に、泣くから。3

*シャナ視点です。





 シャナは目を真ん丸にして、あっというまに過ぎたその瞬間に息を呑む。だが長くそうしていることもできず、ハッとして声を上げた。


「駄目よ!」


 叫んだことで、それは免れた。

 ゆらりと動いた影は、だがしかし、一向にその気配を絶とうとしない。まるで威嚇している猫だ。尻尾があったら、あれはきっと毛を逆立てていたことだろう。


「駄目よ、それ以上は」


 そっと、シャナは声をかけた。シャナの声に反応して、猫がぷるぷると震える。


「なんで、止める……っ」


 毛を逆立てた銀色の猫は、組み敷いた領主の息子ジェットを逃がさないように押さえつけ、鈍く光った剣を咽喉元に押しつけている。

 物騒だ、とは思わなかった。

 必死なその姿に、微笑ましく思った。


「わたしはなにもされていないわ。だから、離してあげて」

「シャナに剣を向けていた! 殺そうとしていた!」

「だいじょうぶよ。なにもされないわ」

「またシャナを傷つけるかもしれない……っ」


 ぷるぷると震えながら毛を逆立てている銀色の猫が、漸くシャナを振り返った。蒼褪めた顔色が痛々しい。


「だいじょうぶよ、クロ」


 シャナはふっと笑い、両腕を広げる。とたんに、銀色の猫は飛ぶようにしてシャナに駆け寄ってきた。


「シャナ…っ…シャナ、シャナ」


 甘えてくる、それまで猫みたいだったクロを、シャナは優しく抱きしめた。シャナの名を呼びながらすり寄ってくるところはまだ猫みたいだったが、本当に猫だったらこんなに大きくない。

 抱きしめ返されながら、未だ震えているクロの背中をポンポンと撫でていると、唐突に現われたクロに剣を弾き飛ばされて倒れたジェットが身を起こした。するとクロがハッとシャナから離れ、警戒も露わにジェットを睨みつける。毛を逆立てている猫というのは、本当に今のクロのことを言うのだと思う。


 そのときだった。


「クロ坊、待てって言っただろ!」


 もうひとり、いやふたり、精霊騎士ノエと一緒に、見覚えのある青年が部屋に飛び込んできた。


「ほんと獣みたいに本能的に動くよなぁ、あんた」

「……あなた」


 ノエと一緒に現われたのは、商人で画家のハーレン・リスタンだった。


「ああ、シャナ殿下、お久しぶりです」


 へらりと笑ったハーレンは、どうやら本当にここに招かれていたらしい。なぜクロやノエと一緒であるのかは不明だが、シャナに逢いたいと言っていたのもこの様子なら本当のことなのだろう。シャナがいることにも、クロがいることにも、そしてなぜかこの状況にも驚くことなく、暢気に笑っている。


「うそつき!」


 と、いきなりクロが怒鳴った。


「ハレのうそつき! なにもないって言ったじゃないか!」


 クロが怒鳴った相手は、暢気に笑うハーレンだ。怒鳴られたハーレンは、それでもまだ笑っている。


「だから最初に言ったでしょーが。ジェットは面倒くさがりで極端な奴ですよって」

「でもなにもないって、あるわけないって言った!」

「そりゃそーですよ。ジェットは面倒なことが嫌いですもん。面倒がるから、極端なほうに思考を働かせるんですよ」

「シャナに剣を向けたんだぞ…っ…許されることじゃない」

「そのあたりがジェットの極端な思考でねぇ……おいジェット、だいじょうぶか」


 シャナにはわけのわからない展開に、目が丸くなる。


「クロ……どういうこと?」

「どうもこうもないっ」

「……。とりあえず、落ち着いて」

「シャナが怪我するところだった!」


 シャナに背を向けていたクロが、ぐるんと振り返ってその夕焼け色の双眸を涙で潤わせる。蒼褪めた顔色はまだ戻らず、震えも止まっていないクロに、思わず苦笑がこぼれた。


「わたしには、あなたが突然現われたことのほうが、驚きだわ」

「ハレが教えてくれた。シャナがここにいるって。逢いに行きたいって言ったらその準備もしてくれた。あとはノエに連れてきてもらった」

「それを訊いているのではないのだけれど」


 クロが現われた経緯はわかった。けれどもそれは、今のこの状況を説明しているわけではない。


「おれから話しますよ、シャナ殿下」


 と、ジェットの手を取って立つのを手伝っていたハーレンが、口を挟んでくる。


 とりあえず、とさらに口を出したのは、どこか呆れた様子のノエだった。


「ここじゃあ落ち着けないでしょ。場所、変えません?」


 ノエの提案に、それまでどこか張りつめていた空気が、漸く薄れた。











「こいつ、おれの幼馴染でして。そんでもって、昔からものすごい、面倒くさがりなんですよ」


 ハーレンの話によると、ジェット・ラプレツィアという領主の息子は、ハーレンの幼馴染かつ非常に面倒くさがりな性格の持ち主で、あまりにも考えるのが面倒になると、極端な方向に思考が働くらしい。つまり、面倒が過ぎると「どうでもいい」と思考を放り投げ、「どうでもいい」から命まで投げ出すような、そんな人物だというのだ。


「だから領主さまもすっごい気にしてましてねぇ……積極性にも欠けるから、王女殿下が滞在するこの機会に、官に召し上げてもらって王都に連れて行って欲しかったみたいなんですよ。こいつ、頭だけはいいですから。面倒くさがりだけど」


 ジェットが、後宮に召し上げて欲しい、と言ってきたのは、父親にあまりにも強くせっつかれたためにそのことが面倒になり、いっそ不敬を働いて斬られてしまえば父親も口を出さなくなるだろうと思ったためらしい。それであの、脅迫じみた「頼み」だったわけだ。


「蓋を開けてみればこれですか……」


 エリオンが、目を据わらせて苛立たしげにため息をつく。その気持ちはわからなくもない。ジェットの極端なその行動のおかげで、エリオンもリグもぴりぴりと気を張り詰めていたし、警戒していたし、夜の訪問のせいでシャナは寝不足になったのだ。

 ジェットに出し抜かれた騎士ふたりに至っては、戻ってくるなり問答無用でジェットに斬りかかろうとしたが、その前にノエに止められ、クロやハーレンの姿を見るとすぐ状況を察したものの、忌々しげな顔を隠そうともせず、話を聞いた今ではふたりとも剣の柄を握っている。警戒していたこの数日の苦労を返せ、と思っているに違いない。

 むろん、クロは、エリオンや騎士以上に、ひどい顔つきだ。これまで見たことのない、非常に不機嫌な空気を全身から垂れ流し、ずっとジェットを睨んでいる。そんなクロに後ろからしがみつかれているシャナとしては、かなり居心地が悪い。


「そんなわけでシャナ殿下、このバカの愚行を、できれば許して欲しいのですが。おれに免じて」


 へらりと笑うハーレンに、そうはいきません、とエリオンが厳しく口にする。


「どんな事情にせよ、王女であられるシャナ殿下に、剣を向けたのです。極刑にも値するその行為を、簡単に赦すことはまかりなりません」

「いや、それはわかりますけどね、こいつ、本気でシャナ殿下をどうこうするつもりはなかったわけですし」

「だとしても、赦される行動ではないのです。処分は当然の報いです」


 きついエリオンに、へらへら笑いつつそれを商人の武器として成功させているハーレンも、汗を滲ませる。それは、ハーレンにとってジェットという幼馴染は、それほどまでに大切な友人だという証だ。


 さてどうしたものかと、シャナはエリオンを見、ハーレンを見、そして黙してそっぽを向いているジェットを見やった。


「……ジェット・ラプレツィア」


 呼びかけると、ちらりとジェットが視線を寄越す。


「なにか?」

「弁明はあるかしら」

「ありません」


 とても冷めた瞳をしているジェットは、問題を起こした当人であるのに、まるで他人ごとだ。自棄を起こしているのは間違いないし、これでは不貞腐れているというシャナの見解も間違いではない。


「……あなたの目的は、斬られること、だったのね」


 ジェットがまた、ふっと視線を逸らした。


「なぜ、命を投げ出そうとしたのかしら。そして今も、あなたの友人はあなたのためにこうして身を投げ出しているのに、あなたはどうしてそんな態度でいられるのかしら」

「……ハーレンの勝手に、わたしがつき合う義理はない」

「それは、あなたの問題だから? あなたは、まだ斬られたいと、思っているのかしら?」

「だからなんだと? わたしの命は、あなたには関係ないでしょう。それこそ、これはわたしの勝手だ」


 偏屈、と言うのだろう。柔らかく表現するなら、頭が固い、そんな人物だ。


 そのとき、ずっとジェットを睨みながらシャナにくっついていたクロが、ふとシャナから離れていく。向かい側にいるジェットに歩み寄ると、前振りもなくいきなり、平手でジェットの頬を叩いた。

 ぱしん、と響いたその音に、皆が目を丸くする。


「おまえ、今日からおれの侍従だから」


 クロの口から飛び出た言葉にも、目を丸くした。頬を叩かれたジェットも、そのことに驚きながらもクロの言葉に目を真ん丸にしている。


「おれに従え」


 冷え冷えとした声音は、クロらしくない。機嫌が悪くても、ここまで冷え冷えとした声など、クロは出さない。

 それくらい、クロは怒っている、のだろう。


「おまえが、おれにとってどれだけの存在に手を出したか、身をもって知るがいい」


 ぱしん、とまた、クロがジェットの頬を叩く。

 いくら武闘派でも、クロは乱暴的ではない。むしろ穏やかで、静かで、戦時中のときですらその姿を崩さず、死者を出さなかった。

 これはかなり腹を立てている。これまで以上に、ひどく、この事態を不快に思っている。


「シン、ラミアン!」


 クロが呼ぶと、部屋の扉が開かれ、来ているだろうとは思っていたが廊下に控えていたらしいクロの護衛騎士ふたりが、揃って姿を見せた。


「こいつ、おれの侍従だけど、ついでだから騎士の訓練を受けさせろ。使えるようならおれの騎士にする」


 またとんでもない言葉が出されたが、心得たとばかりに護衛騎士は頷く。


「クロ、あなた勝手に……」

「シャナは黙って」


 口出しするなと、クロがその背でシャナに語ってくる。


 ここでの勇者は、同じように腹を立てているエリオンだった。


「その者の処遇を、クロさまにお任せしてよろしいのですね?」

「……おれの侍従兼騎士なんて、これほど面倒なことはないだろ」

「それはあまりにもご自身を卑下し過ぎでございます」

「どうかな……おれは、本当に面倒な奴だよ?」


 自嘲気味な笑みを、クロが見せる。

 そんな顔をさせてしまったことに、シャナはハッとした。


 命を投げ出したジェットのそれに、己れの姿を重ねて悔しい想いをしたのだろうなどと、どうして今頃気づくのだろう。







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