32 : 花咲く歌よ、揺るぎなき大地よ。
*シャナ視点です。
着用しているものが違うだけで、こうも印象が変わる人はそういないと、つくづく思う。
白と黒、いろいろな対を意味する婚礼衣装は、またもシャナの婚約者の印象をがらりと変えた。
「なんだか逞しく見えるわ……」
「それってふだんが逞しくないって、そう聞こえるのだけれども」
苦笑した婚約者、クロに、シャナも苦笑する。
否定できない。
なにせ、逞しく見えることなんてあまりないのだ。ふだんぽやぽやとしていて可愛らしいだけに、可愛いという感想しか城内では聞かないし、シャナ自身もどちらかというとクロは可愛い部類だと思っている。本人に言うと目を据わらせて不服そうにするので滅多に言わないが、ついぽろりと言ってしまうことはよくあった。
「少し動きにくいね、婚礼衣装って」
「仕方ないわ。人生に一度きりのものだもの」
「これって、おれたちに子どもが産まれたら、その子たちの初めての礼装になるんだよね?」
「ええ。女の子が産まれたらわたしの礼装が、男の子が産まれたらクロの礼装が、それぞれ縫い直しされて作られるわ」
「そっか……楽しみだな」
ふふ、と嬉しそうにまとった黒い婚礼衣装の裾を摘まんだクロは、くるりと回ってやけにひらひらとしている衣裳をひらめかせる。クロに合わせてひらひらした部分が多いことは内緒である。
「シャナも回って」
「わたしは……やめておくわ。可愛くないもの」
「シャナは可愛いよ、綺麗だよ。おれのために、ね、回って見せて」
クロのように、そこまではしゃげないシャナだが、いとしいクロのためだ。恥をしのんで、ふんわりとした白い婚礼衣装を、くるりと回ってひらめかせてみる。やっぱり恥ずかしい。
「いいなぁ、おれのお嫁さん」
にこにことクロが笑っているから、まあ我慢もできる。けれども二度とやるものかとは思う。
「ねえ、抱きしめていい? せっかくの衣装を崩したりしないから」
「聞かないで」
「うん」
満面笑顔をいつになく崩さないクロは、シャナが予想した以上のはしゃぎっぷりだ。あとが怖いと思ってしまう。式典の間、立っていられるだろうか。念のため、クロの体調を慮って、大神殿のほうにはそれとなく伝えて、式典の時間を短くしてもらっている。いろいろな部分を省いているので、半日で済むはずだ。
「ああうん、シャナだ。温かい、軟らかい」
全力で愛情を向けてくるクロに、シャナは微笑む。
こんなに愛情を向けられるのは、両親以外では初めてだ。シャナに求婚してきた者もいろいろと口説き文句を並べたが、そこには中身が伴っていなかった。クロの声からは、たくさんの実が耳を澄ませなくても聞こえてくる。
「どうしよう、シャナ……おれ、ほんとに嬉しい」
「わたしも……嬉しいわ」
「これが終わったら、シャナのそばにずっとくっついてても、誰も文句言わないよね」
「そうね」
「おれ、バカだからシャナの仕事の邪魔にしかならないけど、そばにいることが邪魔ってことにはならないよね」
「そうね」
「一緒にいることが当たり前になって、離れ離れなんてことはないよね」
「だいじょうぶよ」
「シャナ」
「なぁに」
「おれと結婚してくれてありがとう」
化粧を崩せないのに、ちゅ、とクロが目許に口づけしてくる。反対側にも口づけは降った。
「どうしよう、泣きそうだ、おれ。かっこ悪い」
「いつも泣いているじゃないの」
「いつにも増して泣きそう」
「まだ早いわ」
「そうだよね、シャナを泣かせるのはおれだよね」
シャナの肩口に顔を埋めたクロを、一瞬だけ殴りたい衝動に駆られたが、クロが浮かれているのは目に見えているので抑えておく。
「そろそろお時間ですよ、おふた方」
「あ、アルアだ」
ゆっくりと入室した医師アイルアートも、今日はいつもの白衣ではなく礼装だ。
「おめでとうございます、シャルナユグ殿下」
「ありがとう、アイルアート」
「おめでとうございます、クロネイ殿下」
シャナとクロ、ふたりに頭をさげ、祝辞を述べる。少し気恥ずかしいのは、アイルアートが叔父でもあるからだろう。
「ありがとう、アルア。ところで、アルアはまだ行かないの? ほかの人は大神殿に移動しただろ」
「わたしはなにがあってもいいように、常にそばに控えます。それにクロさま、お約束が」
「あ……ごめん、シャナ。ちょっとアルアと話してくるね」
なんの約束かは知らないが、そう言ったクロはシャナから離れ、アイルアートと部屋を出て行く。すぐに戻ってきたので、さもないことなのだろう。シャナに訊かれたくない注意事項でも教えられたのかもしれない。
「そうだシャナ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
「おれ、基本的にひとりでなんでもできるから、今まで侍従とかいなかったんだけど」
アイルアートになにか言われてなにか頼まれるのかと思ったが、違った。
そういえばクロは、祖国から連れてきたノルイエという精霊騎士が侍従の役割もしていたので、シャナは決まった侍従をそばにつけなかった。事情を知る者がいいだろうと思って、そのあたりのことはアイルアートとも話し合っているが、護衛騎士ですら未だふたりだけという、婚約者に対してそれはどうかと思う状態のまま、今日まで至っている。クロが自身で言ったように、基本的にひとりでなんでもやってしまうところがあるので、選別が難しかったというのもあるが、それにしてもいつまでもそのままというわけにはいかない。
クロは本日をもって、シャナの夫なる。将来、王配としてシャナの横に並び立つ。
いつまでも護衛騎士がふたりで、侍従も女官もいないというのは、王族としては拙いことだ。
「今日、おれの着つけしてくれた、あのおじいちゃん」
「……チェルザ・ロット・ハンセルのことかしら?」
「そう、チェッサじいちゃん」
「じ……? 彼がいいの? けれど……」
今日、クロの着つけを手伝わせた老官チェルザは、実は侍従の役職にいる官ではない。文官のひとりで、今年限りで退官を申し出ている人だ。クロは「じいちゃん」と呼んだが、老人と言うには未だ闊達とした人物で、退官には勿体ないとシャナも惜しく思う文官だ。しかし、本人の願いは聞き届けなければならないとも思っている。
「勧誘したんだ。おれの侍従にならないかって」
「返事はもらえた?」
「シャナがいいって言ったら、考えますって」
「あら……それならお願いしてもいいわ。彼が文官だというのは知っているわね?」
「うん。今年で退官するんだろ? だから、晩年はおれのそばでいかがですかとも誘ってみた。やっぱりシャナの返事次第で。いい?」
「彼がいいのなら、わたしはもちろんいいわ」
本人がいいと思っているなら、シャナはもちろんそれでいいと思う。ただ隠居させるには勿体ないという理由だが、それでも惜しまれる文官なのだ。
「シャナからいい返事もらった! チェッサじいちゃん、いいって!」
「え? いるの?」
「だっておれの侍従だし?」
ニッと笑ったクロは、クロに呼ばれて入室したチェルザに駆け寄り、その手を取り合って「よかった」と言い合う。ふたり揃ってシャナに振り返りニッと笑った姿は、なぜだろう、似ていた。
「もう……チェルザ、クロをお願いね」
「はい姫さま。このチェルザ、誠心誠意クロさまにお仕えいたします」
チェルザは偏屈で頑固なことでも有名な文官なのだが、クロのなにかを気に入ったらしい。シャナを見るふたりの顔が同じに見えるのは、たぶんチェルザがクロを気に入ったその証拠だ。でなければチェルザが退官を辞退するわけもない。クロの侍従として復官するはずもない。
「よろしいでしょうか。もう時間なのですよ、おふた方」
「ああ、そうだったわね。大神殿のほうへ移動しましょうか」
「僭越ながら、わたくしアイルアート・フォロン・ファルムが案内役として、城門まで先導させていただきます」
「ええ、お願いするわ、アイルアート」
アイルアートに手を取られ、クロのもとに導かれる。
そこからシャナは、クロの腕に自身の腕を絡ませ、足を前に進めた。
「ふはっ」
「なによ、その笑い方」
「うん!」
クロが楽しそうに、嬉しそうに、本当に幸せそうにシャナの隣を歩む。それはシャナの心すらも躍らせる感情で、自然とシャナも口元に笑みが浮かんだ。
城門前までは歩きで、城に仕える者たちへのお披露目もかねてゆっくりと歩き、祝辞を受けながら手を振り、微笑みを向ける。
城門から大神殿までは、国民の祝辞を浴びながら馬車で移動した。
空は晴天、雲一つなく青々とし、柔らかな風が頬をくすぐる。宙を舞う花びらは臣民からの贈りもので、色彩がとても鮮やかで美しい。
聳え立つ荘厳な大神殿を前にして馬車から降りると、後ろからたくさんの歓声が聞こえた。
「シャナ、シャルナユグ」
クロに呼ばれて顔をそちらに向けると、頬を紅潮させたクロがにっこり微笑み、そうして片膝をつくとシャナの手のひらを取る。
「きみに光りあれ」
呟くと、シャナの手の甲に口づけを落とす。
背後から聞こえていた歓声が一気に熱を増し、高々と聞こえてくる。それでも、そんな音を音として捉えながら、シャナの目はクロに奪われた。
「……クロ」
「ぼくの花咲く歌よ、きみに、たくさんの愛と光りあれ」
ああ、今度は純白の礼装を用意しよう。ふわふわとさせて、くるくる舞うクロを見るのだ。しっとりした神官服もいいけれど、ふんわりした神官服も用意して、これでもいいのよと言うのだ。お堅い軍服も用意しておこう。痩躯をどこまでも活かせるように、素材には拘って、のびのびと動けるようなものを用意するのだ。
きっとクロは、どんなクロでも可愛いし、笑うだろう。
あなたの笑顔はこんなにも晴れやかで美しい。
「クロネイ」
「ん……?」
「あなたにも光りあれ。わたしの、揺るぎなき大地よ」
身を屈めてクロの両頬を包み、その額に口づけした。