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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【眩む光りに歌を想う。】
30/56

29 : これも経験ですよ。

*シャナ視点です。





 婚姻の式典を一週間後に控えたその日、セムコンシャス王国城内はその多忙さの頂点に達していた。他国からの賓客はもちろん、各地の領主たる貴族たちが王都に集まりつつあるので、必然的に王女シャナは接待に追われることになり、王もまた似たような状態にあった。王城に滞在することになった貴族たちとは特に、昼に夕にと会食や茶席が設けられ、このときを逃すものかとばかりに綿密な情報交換がなされる。この席を断ることは、シャナにはできない。必要なことだからこそ、積極的に参加する。


 けれども。


「噂の婿どのには、まだ逢わせていただけないのですか」


 国民の誰もが期待するそれに、シャナは苦笑する。肖像画が出回っているので顔を知らないということはないだろうが、それでも王城内でその姿を見かけることはおろか、会食や茶席にも姿を見せないのだから、気になって仕方ないというのはわかる。


「あまり丈夫な方ではないのです。大事をとって、今は休んでいます」

「なんと……そうでしたか」


 べつに黙っている必要があるわけでも、隠しているわけでもない。一国の王配となったからには、多少なりとも国政に携わってもらう必要がある。だからこそ、式典を除いた場には姿を見せない。少し前までは迷子になっている姿がよく目撃されていたが、俄かに騒がしくなってくるとその姿も消えていた。


「あの勇士を見られるかと、楽しみだったのですが」

「いずれ見かけることになるでしょう。ただ今はまだこの地に慣れていませんから、それだけです」


 侮られるような言動は取らない。未だ力量を知られていないのに、姿を見せない、たったそれだけで印象を悪くされたくなかった。主要な臣には挨拶を済ませてくれていたことが幸いして、今のところシャナの婚約者を悪く捉えるような発言は聞こえてこない。


「シャナさま、よろしいでしょうか」


 ふと、フィルが静かに歩み寄ってきた。

 シャナの婚約者が、シャナと呼ぶようになってから、それまで「王女」や「姫」や「殿下」と呼んでいた補佐官たちが、シャナを「シャナさま」と親しみを込めて呼んでくれるようになった。少々複雑になるが、いいことだと思う。シャナの婚約者は、とてもいい影響を及ぼしてくれている。


「どうかしたの?」


 茶席を失礼して、フィルの言葉に耳を傾ける。


「クロさまが……」


 婚約者の名に、シャナはどきりとする。これが見間違いでなければ、フィルは顔色が悪い。シャナもすっと、青褪めた。


「クロがどうしたの」

「アイルアート医師の部屋で、休まれています。席が終わり次第お立ち寄りくださいと、アイルアート医師からの伝言でございます」


 ハッとして、そばに控えている精霊騎士を見上げた。飄々としているその騎士は、きっとシャナの気持ちを試している。


「ノエ、行きなさい」

「おれが行っても状況は変わりませんよ」

「あなたはクロの騎士でもあるのよ」

「そのクロに、できるだけ姫のそばにいろと言われてるんですけどね」

「行きなさい」


 語尾を強めて命令すると、飄々とした騎士は肩を竦め、くるりと身体の向きを変えるとさっさと立ち去った。

 ふっと息をつき、茶席を失礼してしまったことを詫びて席に戻る。なにかあったかと訊かれたが、なんでもないことを伝えた。動揺した姿を見せるものではない。しばらくは笑顔で対応した。


 設けられた茶席が終わると、シャナは引き留められる前に場を離れる。シャナの多忙さは知られているので、急いているような行動は不審に思われることもなかった。

 フィルが持ってきた伝言に沿って、医師アイルアートの医務室へ向かう。案の定というか、当たり前だが、アイルアートの医務室の前にはふたりの騎士が扉番をしていた。サンジュンとカラミア、婚約者につけた騎士だ。シャナを見るとすぐ頭を下げ、膝を折る。


「クロは?」

「休まれています」

「なにがあったの」

「それが……われわれにも、よくは」

「……どういうこと?」


 倒れたわけではないと、サンジュンとカラミアは互いに互いを見やりながら言う。だが、よくわからないともふたりは言った。

 首を傾げながら、シャナはアイルアートの医務室の扉を叩き、部屋に入る。


「アイルアート」


 それが彼の仕事机なのだろう、叔父でもあるアイルアートはのんびりと椅子に腰かけていた。その奥には簡易な寝台があって、人が横たわっている影が見られた。

 シャナに気づいたアイルアートが、人差し指を唇に押しあてる。


「お静かに。眠られています」


 それは、寝台にシャナの婚約者が横たわっているということだ。視線を動かせば、アイルアートと向き合うようにして、先に行かせた精霊騎士が腕を組んで立っている。

 シャナは息を潜めながら歩を進めた。


「……クロ」


 婚約者クロネイが、寝台に沈むようにして、ぐったりとしていた。ひどく顔色が悪い。こんな姿は、クロの虚弱さを知っていても、初めて見るかもしれない。こんな姿を見たのは怪我をしていたときだけで、なんでもない、忙しくても穏やかな日々を過ごしていた中でのこれは、シャナを僅かでも動揺させる。

 寝台の端に腰かけ、そっとクロの手のひらを握った。伝わってくる熱が薄い。


「なにがあったの」


 そっと静かに、クロを起こしてしまわないよう、シャナはアイルアートに問う。


「それはわたしのほうが訊きたいのですが」


 アイルアートの答えに、シャナは目を丸くする。


「どういうこと?」

「ここへ来てすぐ、クロさまはこのように。先ほどまで会話はできましたが、ここから動こうとはなさいませんでした」


 つまりそれくらい、具合が悪かったということになる。


「サンジュンとカラミアは、ここへ来るまでは元気そうだったと、言いました。それは確かに、言葉からもわかりました。眠られるまで、声に力はなくとも、なにか楽しそうでしたからね」


 いったいなにがあったのだろう。クロがこうなっている状態の理由を、誰も知らない。ずっとそばにいたサンジュンとカラミアだけでなく、医師たるアイルアートにもそれがわからないなど、ではどうすればいいというのか。

 シャナは飄々としている精霊騎士、ノエを見上げる。


「なにか知っているわね?」


 断定的に訊いたのは、幼少期からクロを知る精霊であり騎士だからだ。真の意味でクロを護っているのは、この精霊騎士だ。知らない、なんてことはないはずだ。


「なんか悪いもんでも食べたんでしょ」


 さらりと、ノエは言う。


「悪いものを食べた?」

「出されたものはなんでも食べますからね」


 さっと、血の気が引く。


「毒を盛られたのっ?」

「それはあり得ません。わたしがそばにいましたし、ノルイエどのが確認済みです」


 昼食は一緒だった、とアイルアートは言う。そのときにはなにもなかったそうだ。それから一切、クロはなにかを食べるということもなかったらしい。お茶の時間に再びアイルアートのところへ来たくらいだから、飲みものすら口にしていなかったと思われる。サンジュンとカラミアに確認も取った。


「昼食の中に、クロが食えないもんが入ってたんでしょうね」


 再びさらりと言うノエを睨んで、アイルアートにクロの症状を確認させる。すでに診察は済んでいると言う彼は、書き記したらしい紙をじっと見つめた。


「脱水症状が見られたので薬湯は飲ませましたが……しかし、昼食にクロさまが召し上がれないものはありませんでしたよ?」


 それはあなたも確認済みでしょう、とアイルアートはノエに向かって言う。ノエは頬を指先で掻き、考える素振りを見せた。


「おれ、トワイライでクロが食えなかったもんは把握してますけど、この国でクロが食えないもんは、食わせてみないとわからないですからね」


 とぼけているような口ぶりだったが、だから飄々としていたようだ。


「食べさせてみないと、わからない?」


 実験するみたいに言うから、少し腹の立つ言動ではある。


「食えないぞ、とは言ってますから、まずおれは食事に出しませんし、誰かに出されてもクロは手を出しません。けど、食えないものだと思わなければ、クロはなんでも食べますよ」

「クロさまに偏食はありません。貝類が食べられないらしいのですが、身体に異常が出なければ食べたいとおっしゃっておられました」


 クロの好奇心の強さに眩暈がした。いや、これを好奇心と言っていいのか不明だが、なんにせよ注意することもなくなんでも口に運ぶのはやめさせるべきだ。ノエが事前に確認していてもこれなのだから、むしろ食事の際は監視があったほうがいいかもしれない。


「今日の昼食になにが出たのかしら……?」


 ため息を押し殺しつつ、一緒だったというアイルアートに問う。並べられた献立は、さして珍しくもない、いつもの昼食だった。


「あ、ちょい待ち、クルハ葉の蒸し焼き?」

「薄緑の葉で巻いた鶏肉があったでしょう。それのことです」

「ああ、あれか……」

「あなたも事前に確認したでしょう」

「料理名を今日は聞いてなかったんで」


 ノエが引っかかった料理を、アイルアートが調理法の説明をする。

 といっても、クルハ葉の蒸し焼きは難しい料理ではなく、一般家庭でも作られるものだ。食材は珍しくもなく、味つけも岩塩のみという質素なものである。


「あー……それかも」


 クルハ葉の特徴までアイルアートに説明させたあと、ノエが唸るようにして言った。


「蒸すまでは赤いんですよね?」

「ええ、そうです。それがクロさまには食べられない葉であったと?」

「可能性ですけど」

「と、言うと?」

「トワイライに、クルハ葉と似た葉があるんですけど、それだと思ってたんですよね、おれ」

「クルハ葉と似た……メイ葉ですか?」

「そう、それ。トワイライは、クルハ葉よりメイ葉のほうが主流なんで。お茶にもなりますから」


 可能性としてはそれだなぁ、と言いながら、ノエはクロを覗くように見下ろす。

 未だ顔色は冴えないものの、眠る前にアイルアートが飲ませたという薬湯が効いているのか、クロの呼吸は穏やかだ。


「クルハ葉が、駄目なの?」

「それくらいしか、おれは思い当たりませんね。ほかのは、トワイライでも食べるものですから」


 トワイライとセムコンシャスに、大きな食文化の違いはない。多少違うとしても、困るくらいではないとシャナはクロから聞いている。クロの好奇心の強さからいけば、食べたことのないものならむしろ進んで手を出すだろう。


「もう一回食わせてみますか」

「なんてこと言うの」

「可能性の一つでしかないんですから、確かめないと」

「もうクルハ葉を使った料理は出さないわ」

「クロが泣きますよ」

「食べられないとわかれば諦めるでしょう」

「でもクルハ葉って、セムコンシャスでは珍しくもない、一般的な食用葉でしょう」

「それでも、クロは食べられないわ」

「可能性でしかありません」


 たとえ可能性でしかなくとも、身体がこうして受けつけなかったのだ。高い確率で、クロはクルハ葉を食べられない。


「確かに、クロさまなら泣くでしょうね」

「アイルアート」

「クルハ葉は、今が旬の食材です。クルハ葉を使った料理は多いですし、飾りにもなりますからね」


 言葉に詰まる。

 そう言われると、確かにその通りだ。クルハ葉を使った料理は、これから多くなる。季節ものであることは幸いだが、だからこそクロは悲しむかもしれない。季節の料理を食べられないのだ。


「……メイ葉なら、食べられるのよね?」

「ええ、まあ」

「クルハ葉と似ているなら、メイ葉でも代用できるわ。クロの分だけ、メイ葉で作ればいいのよ」

「それ、無理だと思います」

「どうして?」


 シャナの提案をはっきりと無理だというノエに、シャナは眉をひそめる。


「メイ葉は、生では食べられません。必ず火を通します。お茶にするときも、乾燥させたのち水から煮立たせるのです。薬の効用が強いので、そのままでは強くて逆に毒となってしまうからです」


 アイルアートが丁寧にも説明してくれた。


「クルハ葉もほとんど火を通すでしょう」

「生で出された際、メイ葉で代用することができなくなります。それならいっそ、クルハ葉の料理を出さないほうが、クロさまのためになるかと」


 けっきょくクロの泣き顔を見ることになるらしい。


 はあ、と諦めに近いため息をつくと、握っていた手のひらが握り返される感触がして目を向けた。


「シャナ……?」


 ぼんやりとした夕焼け色の双眸が、シャナをじっと見ていた。

 さらりと流れた銀の髪が目に邪魔そうで、そっと前髪を払ってやる。


「シャナ」


 にこりと嬉しそうに微笑む姿に、どうしたものかと肩が落ちる。


「具合、まだ悪い?」

「ん? なんで?」

「顔色が悪いわ」


 前髪を払った手でそのまま頬を撫でると、クロは懐いてきた。


「べつに、具合なんか悪くないよ」

「嘘言わないで」

「ほんと、平気。いつもより調子がいいくらい」


 口のわりに、声には力がない。


「……クロ、聞いてちょうだい」

「ん?」

「昼食に、クルハ葉の蒸し焼きが出たでしょう?」

「……メイ葉の蒸し焼きじゃないの?」


 ノエが勘違いしたように、やはりクロもそうだと思っていたようだ。


「クルハ葉よ。あれね……あなた、食べられないみたい」


 告げると、クロが思い切り目を丸くした。

 心当たりがあるからそんな顔をするのだ。痩せ我慢をして、やはり本当のところはかなり具合が悪いのだろう。


「クルハ葉って、あれだよね、季節ものの食用葉だよね?」

「ええ、そうよ」

「食べられないって言うと、おれは季節料理も食べられない、と?」

「そう、なるわね」


 クロの目が潤んできた。

 食べられる日を楽しみにしていたのかもしれない。


「なんで? え? だっておれ、べつになんとも」

「なくないわ。現に、具合が悪いでしょう」


 駄目よ、と言おうとして、いきなり起き上ったクロに遮られた。ぎゅっと強く、握った手のひらに力が込められる。


「……昼食のあと、吐いた」


 俯きながらの告白に、アイルアートが脱水症状だと言っていたから、そうだろうとは思っていた。


「どうしても、気持ち悪くて……食べたものを吐くなんて、したくなかったけど……駄目だったんだ」

「外に出してよかったのよ。むしろそのままだったら、あなたは危なかったわ」

「おれの我儘で食事には気を遣ってもらってるのに……」


 悔しそうな声に、そんなことを考えるのはクロくらいだろうなと思う。

 皇族なら、王族なら、上に立つものとして弱い姿など見せられない。だから食事は一方的な命令のもとで作られ、当たり前のように食す。傅かれることが当たり前なのだから、そうあらねばならない。


 つくづく、クロは皇子っぽくない。


「クロ、王族は」

「わかってる」


 俯かせていた顔を上げると、クロは無理やり笑みを見せた。


「国の繁栄は、王族の姿で決まることもある。だからおれの考えは甘い」


 それがわかっているなら、とシャナも注意する言葉は飲み込んだ。


「怒らないで、シャナ……わかってる。わかってるんだ」


 身体が弱い、というのは、クロのふだんがどうあれ、どうしても悔しいことだろう。悔しい以前に、悲しいことかもしれない。不便な身体だ、とこぼしていたことは、アイルアートから聞いている。シャナはそんな言葉をクロから聞いたことはないけれども、そのつらさを知っているわけではないけれども、どれだけクロが歯痒い思いをしていることか、理解する努力はできると思っている。


「……だいじょうぶよ」


 そんなに無理やり、笑わないで欲しい。クロの笑顔は、城の者たちに笑みを与えるほど、優しく温かいものだ。無理な笑みは、それだけ心が痛い。

 頬を撫で、シャナも笑みを浮かべた。


「あなたのその考えが、間違っているということはないの」


 国の繁栄は、王族の姿で決まることもある。けれども、その王族を養っているのは臣民であり、国そのものだ。そのことをクロはよくわかっている。だから葛藤がある。


「だいじょうぶ、間違ってなんかないわ。わかっていればいいの。重要なのはそこ」

「……シャナ」


 シャナの言葉に、クロがホッとしたように息をつく。握っていた手が離れたかと思うと、抱きついてきた。シャナ、と呼びながら慕ってくるその姿に、シャナもホッと息をつく。


「クルハ葉の料理……楽しみだった」


 食べたいよ、と言う声が弱々しくて、けれども懇願していて。


「……メイ葉で代用する?」

「それだとセムコンシャスの料理じゃなくて、トワイライの料理になっちゃう」


 シャナの故郷のものを食べられないことが悲しいと、その声はひどく寂しがっていて。

 シャナの心をきゅっと、締めつける。

 アイルアートが言ったように、クルハ葉をメイ葉で代用するくらいなら、いっそ初めから出さないほうがクロのためになるかもしれない。


「……シャナ」

「ん?」

「シャナ……」


 ごめんね、と謝るクロに、ただただいとしさが込み上げて、苦笑がこぼれた。






 試しますか、とクロを実験体にしたノエによって、二日後の夕食にクロはクルハ葉の料理を口に突っ込まれ、見事に吐き出した。もはや胃の腑が受けつけないようですねえ、と暢気に言ったノエを、もちろんシャナは容赦なく拳骨した。


「クロに謝りなさい」

「これも経験ですよ」

「謝りなさい!」

「あとはなにが食えないかなぁ」

「ノエ!」


 それからしばらく、ノエは懲りることなくクロにいろいろな料理を食べさせて、けっきょく、クロが食べられないセムコンシャス料理は、クルハ葉を使った料理だけだということがわかった。







なんとなく食事情を……。

クロはなんでも口に放り込んでしまいます。


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