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花咲く歌を夜明けにつなぐ。  作者: 津森太壱。
【花咲く歌を夜明けにつなぐ。】
3/56

02 : 思いもしなかった。





 シャルナユグ、シャナは考えていた。


「予算が足りないわ……」

「ええっ? クロネイ皇子のこと考えてたんじゃないんですかっ?」

「は? なんのこと?」


 じっと見ていた書類から顔を上げて、心底驚いた顔をしている部下を見やる。


「は、って、は? そんな憂い顔で、なんでクロネイ皇子のこと考えてないんですか。昨日ご到着したそうじゃないですか」

「……ああ、忘れていたわ」

「いつもの無駄にある記憶力はどこにいったんですか!」

「違うわよ。挨拶を忘れていたの。お疲れだと思って、今朝は遠慮しておいたのよ。今から行ってくるわ」

「え、今からっ?」


 危うく本当に忘れるところだった、とシャナは書類を机に置き、くるりと踵を返して部屋を出る。部下が慌てたようにシャナを呼んでいたが、さもないことだろうから無視する。廊下に出れば、扉の前に控えていた近衛騎士が当然のように会釈し、歩き出したシャナの後ろに続く。近衛騎士にどこへ行くのかと問われたが、シャナはにやりと笑うだけにして廊下を進んだ。


 しかしてその結果。


「まだ眠っておられる……?」


 皇子、クロネイに宛がわれた部屋の前でシャナを出迎えたのは、律儀な皇子の騎士、ノエだ。


「体力もないくせに、二週間も歩きまわりましたからね。さすがに疲れたんでしょ」

「……歩き回った?」


 ノエがぽろりとこぼしたそれに、シャナは食いつく。

 帝国を出立して四日もあれば到着するセムコンシャス王国、しかし皇子は二週間もかかって到着した。

 その理由を、ノエは口にしたのだ。


「ああ、王女殿下にはお話していませんでしたね。到着が遅れたのはクロ……皇子が、おれの目を盗んでは、道なき道を道として歩き回ったからですよ」


 思わず、シャナは目を丸くする。


「……それは言い訳かしら?」

「ま、そうですね。事実ですけど」

「……もしかして皇子は、わたしとの婚姻がおいやなのかしら?」

「国を出られて万々歳、とかは思っていると思いますよ?」


 沈黙する。

 それはいったいどういうことだろう。シャナとの縁談を、どうにかして断ろうとした言い訳だろうか。いやそもそも、縁談を持ち込んだのはクロネイの祖国、トワイライ帝国のほうだ。となると、クロネイ自身が、シャナとの婚姻をいやがったとしか思えない。


「わたしとの婚姻がいやなら、わたしはべつにかまいません。過ぎた歳ですし、もとよりその気もありませんでしたから。今回は父上……陛下の独断です。わたしが今こう言う限り、お帰りいただいてもけっこうですが」


 変わった皇子だ、と思って興味は湧いていたものの、シャナには縁談に対する気持ちが薄い。というより、無きに等しい。いやいやながらも夫婦になるなら、友人のような関係ができれば上等だと、そんな気持ちでいたくらいだ。


 だが考えてみれば、トワイライ帝国ほどの大国が、セムコンシャス王国という小国に政略的な縁談を持ち込んだところで、利益があるのはセムコンシャス側だ。トワイライ帝国にはなんの利益もない。

 はじめからおかしい話だと思ってはいたが、やはりこれはおかしな話だったかと、シャナは思った。


 その、ときだ。


「シャナの匂いが……ああ、おはよーごじゃーますー」


 噛みまくった朝定番の挨拶に、正直吃驚した。気配がまるでなかったし、扉が空いた気配もなかったからだ。


「んな恰好で出てくんなよ、クロ。かっこ悪いぞ」


 シャナが吃驚していても、ノエのほうはまったくそんなことはなく、寝間着姿のぼさぼさ頭で部屋から顔を出したクロネイに、暢気に話しかける。


「いにゃ、すっごくにぇむくて……きづいたら、ひる? と」

「すげぇ勢いで噛みまくりだな、おい。なに言ってるかもわからん」

「ちょお、まって……おきるから」


 ごしごしと目を擦ったクロネイは、やはりなんというか、皇子らしくなかった。


「おはようございます、シャナ」


 完全に目が覚めたわけではなさそうな、けれども朝ならとても爽やかな笑みを、シャナは真正面から受けた。


「お……おはようございます。もう昼ですが」

「すみません、眠り過ぎました。思った以上に疲れていたみたいです。柔らかい寝台なんて初めてですし、あんなに寝心地がいいとは予想外でした」


 いやはや失礼、と言いながら、クロネイはシャナを「どうぞ」と部屋に促した。


「え?」

「すぐに、着替えます。中でお茶でもどうぞ。ノエが淹れてくれるお茶は意外と美味しいですよ」


 いやそんな、いくら婚姻が決まっているとはいえ、部屋を別々にされている以上、正式に夫婦となるその日までは挨拶程度のものしか交わすことは許されないものだ。セムコンシャス王国では、それが婚前の数日間とされ、外出が制限される。だからシャナは儀式的に挨拶に伺ったわけだが、クロネイはそんなシャナの返事を訊くことなく部屋に戻っていく。

 シャナは、ちらりとノエを窺った。


「こちらの通過儀礼はご存知?」

「一応、教えましたけど」

「……知識としてはあるのね」

「クロには関係ないですね」

「どういうことよ」

「昔からああですから」


 つまり人の話を聞いているようで聞いていない。また、聞いていないようで聞いている。そういうことだ。


「変な皇子……」


 思わずそうこぼすと、ノエは苦笑した。


「いろいろあるんですよ」


 そう言いながら、ノエも慣習をわかっていながらシャナを部屋に促した。ここで断るのもどうかと思い、シャナは近衛騎士を伴って部屋にお邪魔する。

 中央の長椅子に腰かけ、ノエのお茶をいただくとすぐ、クロネイは続き間の寝室から出てきた。瞬間的に瞠目してしまうのは、これはもう仕方ない。


「待たせてすみません。急いで用意したので、これしか着るものがなくて……どこかおかしいですか?」


 昨日もさっきも、まったく皇子らしくなかったクロネイだが、着るものが変わると雰囲気までがらりと一変する。整えられた髪は、昨日までは薄汚れていたのか灰色に見えたが、実は銀髪であったらしい。夕焼け色の双眸は、寝起きのせいか少し潤んでいて、頼りない。それを包むように白い礼装が、漸くクロネイを皇子らしく見せている。

 しかし、その白い礼装は、神官のものだ。


「神官でしたの?」

「え? あ、違います。なにか着るものはないかとお願いしたら、急なことでこれしかないと言われまして」


 それを甘んじて着ているわけか、と思うと、本当に皇子なのか疑いたくなる。そもそも、着るものをお願いするとは、どういうことだ。


「そういえば荷物が……帝国から多少は届いていましたが」

「ああ、それはおれのではないですよ。おれのものは、昨日持っていたものがすべてですから」


 確かに、皇子の私物と思われるものは、トワイライ帝国から届いていない。婚姻に伴って必要になる最小限のものしか、送られてきていない。


 しかしながら。


「昨日の……あれがすべて?」


 身一つのように思えたのだが、と首を傾げたら、クロネイは苦笑した。


「あちこち歩き回るには、路銀が必要でしょう? 換金しながら歩いたので、荷はほとんど無くなってしまいました」


 あはは、と笑う神経が知れない。

 この大国の皇子は、本当に歩きでこの国までやってきたらしい。


「車はいかがされたのです」

「途中で換金しました。いい値で売れましたよ」


 がく、と肩が落ちる。車まで換金したらしい。それも、ここに来るまでに二週間は経過しているわけだから、おそらく出発したその日に売ったと思われる。

 なんて皇子だ。


「あなた、本当に皇子なの?」


 うっかりそう訊いてしまったが、クロネイはただ柔らかく笑んだ。


「たぶん」


 しかも曖昧な答えを返された。


「とりあえず、クロネイ・エイブン・ロンファ・トワイライという名は、おれが持つ唯一の名ですよ」


 偽名ではないし、偽者でもないと、クロネインは言う。


「ああ、もう少ししたら、クロネイ・エイブン・セムコンシャスですね」


 などと、暢気にも言う。

 この皇子は、その名が本物である限り、確かに大国の皇子だ。


「……わたしと婚姻する気があるの?」

「ああそれ、いいですね」

「はい?」

「おれに敬語は要りません」

「それならあなたも……」

「いえ、おれはシャナの地盤になるために、ここへ来たんです」


 ふとシャナは、口を噤む。

 シャナの地盤になるために、などと言う男は、初めてだった。口説く文句としては、一流かもしれない。この国では、いくらシャナが優秀でも、女だからという理由で卑下する者が、少なからず存在しているのだ。


 シャナが言葉を失っていると、クロネイはさらに笑みを深めて言った。


「シャナという花を、明日に、繋げるために」


 ただただ、優しい笑み。

 そして力強い笑み。


「おれをあなたの婿にしてください、シャナ」


 こんなところで、こんなふうに、求婚されるとは思いもしなかった。







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